大宇自動車を中心とする

韓国労働者のたたかい

 

IMF体制がもたらしたもの

 金大中政権が発足してから3年が経過しました.一時の経済困難は脱したものの,国民の生活はむしろ厳しさを増し,貧富の差は広がっています.労働者のたたかいも激しさを増しています.

1)財政は好転したのか?

 99年後半から回復基調に入った韓国経済は,2000年に入ると「ミレニアム景気」と呼ばれる好況を迎えました.国内総生産は前年同期比で12.8%を記録しました。民間消費も前期比2.4%増加しました.パソコンや携帯電話など電機電子分野を中心に,民間の設備投資が大きく伸びました.

 87億ドルの貿易赤字は399億ドルの黒字となりました.金大中政権の発足直前に39億ドルに過ぎなかった外貨準備高も史上初の800億ドル台に達しています.ただしこれは短期的には,金融機関が外貨預託金を償還したことや,通貨当局がドル買いを行ったことも関係しています.外国からの直接投資も69億ドルから89億ドルへと増大しており,これは韓国史上最大の規模です.

 膨大な外債を抱えてIMFに緊急支援を要請するにいたった国家経済の危機は,外面上は解消されたかのように見えます.金大中大統領は,"経済成長率を10%まで引き上げ,国民所得を1万ドル水準に回復させた"と胸を張りました.

2)問題はむしろ深刻化?

 しかし外貨保有高が増えたのは,貿易収支の好転だけによるものではありません.それはIMFなど国際金融機関からの融資の結果でもあるからです.あらたな借金(外債)の増大によって,見かけ上の外貨保有高が増えた側面も見落とすことはできません.

 景気が改善すれば国際収支が悪化するという,後進国型貿易構造も改善していません.98年,99年の貿易黒字は2000年初めには早くも4億ドルの赤字にもどりました.輸出額は32.1%増えて122億ドルに達しましたが,輸入額はそれを遥かに上回り,46.3%増の126億ドルに達したためです.資本財の増加は別として,高級消費財の輸入が大きく伸びたことが,今回の景気回復の内実を語っています.

 肝腎なのは資本収支と財政収支です.1,500億ドルを超えていた外債総額は,この間ほとんど減少せず,最近ではむしろ増加の傾向を示しています.政府保障の民間債務をあわせると,対外債務の総額は二千億ドル近くになるという報告もあります.

 債務の内容も改善されたとはいえません.国際金融資本による高率の緊急融資を優先的に返済した結果,"IMFの優等生"として先進国から称賛されましたが,債務の総額自体は変わらず,より投機性の高い海外資金にシフトしただけの話です.

 国家財政への圧迫も強まっています.昨年初め時点で,国債発行残高など政府債務の累積は100兆ウォンを超えていることが明らかになりました.これは一年前に比べ20兆ウォンの増加で、GDP比では20%から22%に上昇しています.

3)財閥の成長と中間層の没落

 金大中政権は,IMF体制に入るとき,国民に「痛み」を甘受するよう呼びかけました.その代わりに戦後の日本に匹敵するような財閥の解体と経営の民主化を約束しました.

 この間,政府は5つの銀行,16のノンバンク系金融機関,3つの証券会社,4つの保険会社を整理し,倒産に追いこみました.残りの再建可能な銀行に対しては,国際決済銀行(BIS)の求める「自己資本比率8%」を達成できるように多額の公的資金を提供しました.

 公的資金の源は国民の税金です.国民一人当たり税金は186万4千ウォン,4人家族の場合は750万ウォンにのぼります.都市勤労者の平均年収は2千万ウォン,なんと収入の35%が税金として徴収されることになります.

 このように“構造調整の成果による経済指標の改善”は,国民の甚大な税負担によって実現されているのであり,苦痛に満ちた「資金の移動」に過ぎないのです.

 しかし肝腎の「財閥改革」と経営の民主化は形式だけに終わってしまいました.政府が国民に対して“苦痛の分担”を強いている最中に,5大財閥グループ(現代,三星,大宇,KG,SK)の資産総額は,13.8%も増えました.大企業はすさまじいリストラによって逆に利益を増大させています.

 財閥改革を不徹底に終わらせたのは,IMF自身の責任です.経済マクロ指標のみならず,産業構造の改変まで干渉してきたIMFが,インドネシア政変の後突然態度を豹変させたのです.厳しい金融引締め政策から,一気に国際金融団を組織しての緊急融資へと政策が変わりました.金大中政権の頭越しの決定です.

 いっぽうで金融緩和による経営改善,他方における公的資金援助とリストラ奨励,これでは企業が儲からないはずがありません.資金繰りに苦しんでいた財閥資本は,わが世の春を謳歌することになりました.

 残されたのは中産層の没落(大量の失業)による貧民層の拡大でした.「雇用動向調査」によると,2月の失業者は178万5千名,失業率は8.7%に達しています.特に20代青年層の失業率は19%と極めて高い数字を示しています.2月中の臨時職・日雇い職労働者は670万名に達し,これは前年同期に比べ103万名の増加です.こうした雇用形態の悪化は,企業にとっては人件費の減少をもたらしています.

 失業や不安定雇用の増大は,韓国社会の多数を占める中・下位の階層に集中的な苦痛を与えています.韓国経済が破綻状態になる前には,自らを中産層に属すると評価していた人々が全体の3分の2を占めていました.今はその比率が40%に満たず,下位層への転落を自認している国民が増えているのです.

4)増大する貧困者

 世界銀行の調査によれば,韓国の都市貧民人口は97年の9%から98年には19%と,一年間で2倍以上に拡大しました.ここでいう「貧民」とは,政府が定めた最低生計費(1人あたり月額23万4千ウォン.約10ウォンが1円に相当)以下の生活を余儀なくされている人たちです.つまり国民の5人に1人は最低生計費以下の生活を強いられているのが現状なのです.

 有所得者においても貧富の差の拡大は顕著です.最上位階層(全体の10%)は月収を4%増やし529万ウォンに達しました.一方,73万ウォンの月収であった最下位階層(10%)は22.8%も所得を減らし,月収56万ウォンまで落ち込みました.

 韓国を訪れれば誰でも分かることですが,GDPプラス二桁という数字の実感はどこにもありません.為替の影響もありますが,韓国国民の生活水準が,前回(98年9月)訪問したときよりさらに低下していることは明らかです.もっとも日本人観光客が行くような高級商店街はあまり見ていないので,印象が少しずれているかもしれません.

 金大中への支持は,就任当時80%を超えていました.しかしその支持率は下降の一途をたどり,一時は31.2%の最低値を記録しました.IMFの突然の政策変更があったとはいえ,このような貧富の差の拡大を許した責任を金大中政権は免れることができません.経済成長率が10%を超えているのに,一般国民の生活がさらに貧しくなるとは余りにひどいはなしです.金持ちの懐には想像もつかないような大金が転がり込んでいるのでしょう.これでは国民の不満が高まるのも当然です.

 

労働者のたたかい

金属労働者と地下鉄労働者のたたかい

 上述した社会の両極化と絶対貧困層の増大は,企業側の一方的な大量解雇とも相まって,労・使間の対立を激化させています.それは,ひいては労働者と金大中政権との対立にまで発展しつつあります.

 2000年2月,金属産業連盟が,整理解雇の中断と労働時間の短縮を求めて3万3千の組合員によるストライキを展開しました.政府は労働者のストライキを“不法行為”と規定し,法的処罰を科す方針を打ち出しました.それ以降,1ヶ月の間に逮捕令状や出頭命令の出された労組活動家は60余名に達しています.

 3月,状況はさらに緊迫しました.ソウル地下鉄の経営を担当しているソウル地下鉄公社が,職員1万余名の2割近く,2千名もの解雇方針を打ち出したのです.労組側は「生存権を脅かす一方的な整理解雇は絶対に受け入れられない」と強く反発しました.そして97.6%の投票と86.4%の賛成という圧倒的多数の支持でストライキを決議しました.

 これに対し最高検察庁の公安対策協議会は,地下鉄労組がストライキを敢行するなら,戦闘警察を投入して関連者を全員検挙するとの強硬方針を発表しました.

 スト入りして7日目の4月25日,6千名を越える地下鉄労組の組合員が篭城していたソウル大学に,機動隊が投入されました.労働者と彼らを支持する学生たちの闘いは,ヘリコプターと催涙ガス車まで動員した弾圧によって敗北に追い込まれました.ソウル地下鉄労組は,こみ上げる怒りと癒されぬ痛みの中でストライキの終結を宣言しました.

 その後,労働者のストに対する警察の実力行使はますます激しくなっています.6月にはスト中のホテル・ロッテ労組員2,600人が連行されました.12月には国民銀行労組がろう城を続けている現場に,ヘリを使って突入.篭城を強制解散させています.

 また昨年秋,整理解雇に反対してストライキ中だった「万都機械」の全国7カ所の工場に対して,公安部は「労働者の集団行動は不法争議とみなされる.ストライキを主導していた労組の幹部は全員拘束する」との方針を表明しました.1万7千名の警察が投入され,2432名の労働者が連行されました.

 

大宇自動車のたたかい

 自動車産業では,すでに98年,起亜自動車が倒産に追い込まれましたが,今度は大宇自動車が経営困難に陥りました.大宇自動車は債権者との交渉で,大幅な人員整理を伴うリストラを行った後,海外企業への合併を行うよう迫られます.

 昨年11月,大宇自動車はついに不渡りを出し,最終的局面に陥りました.債権者は強く人員整理を求めます.その数は総計6,884人という途方もないものでした.

 これに対し労組は無給循環休職の実施などの独自案を提出し,労働者の生存と会社の再生をともに実現しようとしましたが,会社側にはこの提案を受け入れる余地は残されていませんでした.

 今年に入ってからも,労組は一定の人員整理を受け入れ,「労組と会社側が半々の比率で名誉退職慰労金を共同負担し,残りの人員に対しては4か月間,無給循環休職を通して雇用維持をしよう」とのぎりぎりの譲歩案を提示しました.しかし会社側はこれらの提案を黙殺しました.

 2月16日,大宇自動車は労組との交渉を打ち切り,1750人の整理解雇対象者に解雇通知を送付しました.労組はただちにストに入りました.ストには家族も応援に駆けつけ,家族ぐるみのろう城となりました.

 19日午後,仁川のプピョン(富平)工場に,35中隊約4200人の機動隊が突入しました.2機のヘリによる空中からの指揮の下,掘削機7台のほかフォークリフトなど重車両多数が動員されました.ろう城をしていた労働者650名とその家族ら約千人は,石や火炎瓶などを投げて激しく抵抗しましたが,約二十分で解散させられました.この衝突で,抵抗した労組員76人が当局に連行されました.同時に警察は,大宇自動車労組と民主労総の仁川地域本部長など,労組指導部34人を市内で拘束しました.

 

 工場を追い出された労組員ら約300名は,工場の隣にあるカトリック山谷聖堂に集まり,ふたたびろう城に突入しました.共同闘争本部は声明で「構造調整政策の見せしめのために,労働者の生存権をじゅうりんする金大中政権を,これ以上座視することはできない」とし,「すべての力量を動員して金大中退陣闘争を展開する」と宣言しました.

 翌20日,大宇自動車労組と民主労総など26の労組・市民・学生団体で構成した「大宇自動車共同闘争委員会」所属の労働者や学生ら約1500人は,富平駅前広場で「整理解雇と強制解散の金大中政権糾弾大会」を開きました.集会は,事態が解決されるまで毎日政権糾弾大会を開くと宣言しました.

 この日の大会にも警察は解散を命じ,実力行使に出ました.労働者は火炎瓶を投げるなどで対抗,警察車両が焼けるなどの騒ぎになりました.またこの日午後,警察は大宇労組員らがろう城を始めたカトリック山谷聖堂に再び警官を突入させ,労働者を連行しました.

 街頭での行動をおさえこまれた労働者は,早朝の富平駅での出勤阻止闘争を実行した後,午後には仁川教育大学に結集.「金大中政権退陣決起大会」を開き,集会後デモに出ようとして戦警隊と激しく衝突しました.

 3月初め,1,750人を整理解雇した大宇自動車富平工場は操業を再開しましたが,整理解雇撤回を要求する労働者と市民の抗議集会とデモが終日行われ,仁川市富平区内は事実上の戒厳令状態におかれました.

機動隊による集団暴行

 その後仁川市内および富平工場周辺で,労組や学生活動家と警察とのにらみ合い,小競り合いが続いていましたが,4月10日には大規模な衝突事件が発生しました.

 この日の午後1時ごろ,篭城先の教会を出た労組活動家たちが,歩道を歩いて富平工場の南門方向へ向かっていました.工場に接する労組の事務所へ行くためだったとされています.工場から約100メートルの地点で警察が労組員を阻止しました.同行した労組側代理人のパク・フン弁護士は,「警察の行為は労組活動を妨害するものだ.業務妨害罪であなたたちが逮捕される前に,ただちに解散しなさい」という警告を,数回繰り返しました.しかし機動隊は退かず,3度にわたるもみあいが展開され,その過程で組合員8人が連行されました.

 午後4時ごろ,富平工場付近の道路では,武装した戦闘警察兵力とかけつけた労組員らがにらみ合いを展開していました.このとき労組員側は「全員が上着を脱いで無抵抗を宣言し」,座り込みの体制に入りました.そこへ[戦警]と呼ばれる機動隊が襲い掛かったのです.

 ニュースでは次のように述べています.

 彼らは外側に座っていた労働者の体を踏みにじりながら,座り込みの隊列に突入,野球のバットを振るように鎮圧棒で労働者を殴りつけ,大盾を振り下ろしました.倒れ込んだ労働者の頭を何度も軍靴で踏みつけました.こうして数十人の労働者がケガを負って病院に担ぎ込まれることとなりました.

 明らかに無抵抗の民衆に集団で暴行を加えた警察に対し,全国的に抗議の声が広がりました.ソウル地方弁護士会は12日,ソウル地方検察庁の記者室で会見を行い,「大宇自動車の労組員,担当弁護士に対し警察が無差別な暴行を加えたことは,法治主義の根幹を揺るがすこと」だと主張しました.そして暴行事件の責任者処罰と政府レベルの公式謝罪などを求めました.

 野党ハンナラ党も「テウ自動車流血暴力事態真相調査特委」を組織し,調査に乗り出しました.

 同じ日の午後,警察庁は「デモを鎮圧する過程において,一部の興奮した戦闘警察(戦警)と機動警察らにより,多数の勤労者と関連弁護士らが負傷したことを大変遺憾に思う」とする公式謝罪を発表しました.また過剰鎮圧への責任を問い,仁川富平警察署の署長を職位解除処分としました.

 金大中大統領は17日,警察によるテウ自動車プピョン工場の労組員への暴力弾圧に対し,「何とも言えない心境であり,非常に遺憾だ」と述べました.イ・ハンドン首相は「徹底した真相究明の後,関連者を問責し刑事上の責任も問う」と話しました.

 金大統領は「デモのスタイルが改善されつつあるなかで,仁川で思わぬ暴力事態が発生したことは,がい嘆せざるをえない.事情があったことは理解するが,どんな場合であっても暴力を加えてはならない」とし,「とくに警察が先に模範を示して反省すべきだ」と強調しました.さらに「デモへの参加者そして警察の両者が隠忍自重し,今回のようなことが二度と起きないようにすべきだ」と要請しました.