民主労働党と政治改革

 

民主労働党の結成

 2000年1月30日,民主労働党大会が開かれ,党の結成を宣言しました.役員選挙では,権永吉氏が82%の支持を得て党代表に選出されました. 97年12月の大統領選挙では,「国民勝利21」という選挙運動団体が結成され,当時の民主労総委員長の権永吉氏が大統領候補として立起しましたが,民主労働党は,その「国民勝利21」を母体として結成されたものです.

 民主労働党の結成宣言文は,「民衆に希望を与える新しい政治勢力の出現は時代の要請である.民主労働党は2000年を腐敗と地域主義にまみれた政治を清算する元年にする」と述べています.

 また,党の性格を「新たな社会を建設するための,進歩的な綱領と政策を備えたイデオロギー政党」と規定しています.そして自らの目ざす道として,「資本主義体制を越え,すべての人間が人間らしく生きることのできる,平等と解放の新しい社会の建設」を挙げています.

 イデオロギー政党としての自らの立場に関しては,国家社会主義の誤謬と社会民主主義の限界は言うまでもなく,北朝鮮社会主義の硬直性をも克服の対象であると述べています. 国家保安法の関係があって,注意深い言いまわしになってますが,これは明らかに科学的社会主義を行動の指針とするという宣言です.行動綱領の部分では,財閥の解体,対米不平等条約の無効化,平和的で民族和解的な統一の追及などを掲げています.

  権代表は就任の辞で「金大中政権は経済再生のため8割の国民を犠牲にした」と非難し,整理解雇拒否や不整腐敗・政経癒着の断絶などを訴えました.進歩勢力としての立場を鮮明にした民主労働党.民主党のある幹部は,「民主労働党なのか朝鮮労働党なのか分からん」と皮肉るほどでした.

 民主労働党はその性格や結成の過程,そして民主的な党運営などの点で,既存の政党とは全く異なっています.既存政党では,党総裁とその側近たちが公認権を独占し,密室で選挙の立候補者が決定されます.

 これとは違い,民主労働党は,すべての候補者や代表者の選出を,地域の党員大会や党代議員大会での民主的な投票によって決定します.党の財政は,1万余名の党員が毎月1万ウォン以上の党費を納入することで基本的にまかなわれることになっています.このことによって,政治資金に絡んだ不正や腐敗の根を断ち切りました.

 中央委員会の委員103名のうち,女性が1/3にあたる34名を占めたことなども,韓国の政党政治に新鮮な衝撃をもたらしました.

 大会当日は,南アフリカ共産党,ニュージーランド労働党,フランス共産党など数十カ国の進歩政党から祝電が寄せられました.このことは,民主労働党に対する国際的な関心の高まりを表していると言えるでしょう.

 ただし,韓国には近い過去にも1988年のハンギョレ民主党,1992年の民衆党などの経験がありますが,いずれも志半ばにして挫折しています.民主労働党が持つ一番の強みは,民主労総という全国的労働組合運動をバックとしていることですが,逆に労働運動の枠を超えた国民的政党に脱皮できるかどうかが,これから問われてくるでしょう.

 

社会労働党と2000年総選挙

 4月13日におこなわれた第16代国会議員総選挙は,結成間もない社会労働党にとって最初の選挙戦でした.

 民主労働党は候補者の公認に際して,地区党員の直接投票によって候補者を決定する「下からの公認制度」を徹底させるなど,政界に新たな風を吹きこみました.

 民主労働党は,労働者たちが多数居住する蔚山や昌原など慶尚道地域をはじめ21の地域で候補者を立てました.そして蔚山北区で崔勇圭候補が41.8%,昌原乙区では党代表の権永吉氏が38.7%を獲得し,次点につけました.いずれも僅少差での次点で,とくに崔候補はわずか563票の差でした.

 民主労働党が候補者を出した21地域だけをとってみると,その平均得票率は13.1%になります.3月19日から4月22日の一ヶ月余りの期間にあらたに入党した党員が1000名を超えました.現在は党員数1万5千名に達しています.いわゆる「二本足の活動」を通じて組織が拡大したことは,今後の展望を明るくするものです.

 

社会労働党の今後

 韓国の政党法はひどいものです.第38条にはこのように規定されています.

 「総選挙に参加して議席を獲得できず,2%未満の得票率を記録した政党はその登録を取り消す

 この条項により,民主労働党は政党登録を抹消されてしまいました.つまり非合法となったわけです.しかし権代表は党の再建を宣言し,次のように述べています.

 「進歩政党に対する国民の意識は徐々に高まっている.2002年の地方自治体選挙では多数の当選者が出るだろうし,次回の総選挙では,議会内に確固とした地位を占めることも不可能ではないだろう.2008年に第1野党を達成し,2012年には執権党になることが私たちの目標だ

 長年にわたって韓国の政界を牛耳ってきたのは,金泳三・金大中・金鍾泌による「3金政治」でした.「3金政治」はまた,慶尚道(金泳三),全羅道(金大中),忠清道(金鍾泌)という,三つの地域の対立を基軸とする政治でもあります.

 今回の総選挙を契機に民主・ハンナラの二大政党時代が始まろうとしています.しかし韓国の二大政党は,先進国のような保守・革新という理念上の差異に基づいたものではありません.社会労働党が政策を前面に押しだし果敢にたたかいを進めるなかで,大きく成長していくことが期待されます.