国家保安法の改正をめぐる動き

 

金大中大統領の決意

 国家保安法を現行のままで維持するのは,もう不可能な段階に来ているようです.各種の世論調査では,国家保安法の全面的な改廃を望む声が8割に達しています.もともと国家保安法の改正は,政治犯として死刑を宣告された過去を持つ金大中大統領にとって,悲願とも言うべき政策目標でした.金大中は年頭記者会見で,「民主・人権国家の具現のために,国家保安法の改正と人権法など改革立法を進める」と,強調しています.

 また昨年暮れ,ソウル高等裁判所は,国家保安法に基づく保安観察処分に対し,違法との判断を下しました.これは「南韓社会主義労働者同盟事件」で刑期を満了した出所者が,保安観察処分の不当性を訴えた裁判です.国家保安法による服役者には思想転向の義務が課せられています.非転向出所者には保安観察が例外なく課せられています.今回の判決は,近代法の枠を明らかに超えた処分に対して歯止めをかけた画期的な判決です.

国家本法改善への動き

 まず大統領に就任した98年の3月13日,金大中大統領は就任の特別赦免で,74名の良心囚を釈放しました.しかし,これは全良心囚(478名)のわずか15%に過ぎない小規模の釈放でした.

 良心囚の釈放に大きな足枷となっているのは,収監者に“反省と恭順”を求める転向制度の存在でした.それは戦前の治安維持法を引き継いだものです.これについては後で触れます.

 数ヶ月後,金大中政権は転向制度の廃止を発表しました.しかし,それは無条件の廃止ではなくあらたに「遵法誓約書」の導入を伴うものでした.

 法務長官は,「遵法誓約書は収監者の思想を問わないし,思想の放棄を要求するものでもない.実定法の遵守という制約を加えるだけだ」と説明しています.しかし,その趣旨からいえば,一般犯罪者のほうがよほど累犯の怖れが強いわけで,余り説得力はありません.妥協の産物でしょう.

 これに長期囚がへそを曲げてしまったことから,改正論議は暗礁に乗り上げます.その後厳しい経済危機という情況もあり,国家保安法論議はいったん沈静化します.

 大統領任期も折り返しを過ぎ,統一気分の高まり,経済の好調という時期をねらって,金大中はふたたび国家保安法改正を持ち出してきました.おそらく彼にしてみれば,政治的命運をかけた提案でしょう.

 

議会内外の情勢

 これに対し,朝鮮日報を筆頭に自民連,ハンナラ党などが,国家保安法の「現行どおり維持」を主張しはじめました.また改正を主張する勢力のなかにも,国家保安法の本質的な部分である人権侵害条項を避け,事実上,改正を骨抜きにしようとする動きがあります.

 政権与党を構成する自民連は,「国保法は相互主義に立脚するべきだ.北韓の労働党規約と刑法が変えられない限り,手をつけてはならない」という党論を再確認しました.

 朝鮮日報も「国保法が人権と何の関係があるのか」という社説を発表しました.この文章は,「一部の法条項に行き過ぎがあるが,国保法は自由民主体制をまもる最後のとりでであり,そのまま維持されなければならない」と主張しています.

 予備役将軍の集まりである星友会(会長は鄭昇和元陸軍参謀総長)は,「国保法は一部で誤用されたことがあったが,一般市民には不便はなかった.国保法は自由民主体制守護のためにはいまも必要であり,改廃は武装解除と同じだ」と強い憂慮を表明しました.

 さらにひどいのは,ハンナラ党です.イ・フェチャン総裁は新年記者会見で,「いま国保法改正を論議するのは,左右の論争を触発して国論を分裂させる憂慮がある」と,国保法についての議論すら拒否する立場を明らかにしました.

 国家保安法を含む3大改革立法(他に人権委員会法・腐敗防止法)が,座礁の危機に瀕しているなか,人権・社会団体が2月総力闘争を宣言しました.

 これに先立つ昨年末には,全国の拘置所・矯導所に収監されている405名の良心囚のほとんどが,国家保安法の撤廃と良心囚の釈放を求めて断食闘争に突入しました.これに呼応して,人権活動家が,2週間におよぶハンストを決行しました.それに続いて,「潜水艦に乗っていた」政治手配者らが無期限の座り込みに入りました.「潜水艦」と言うのは指名手配された政治犯が逮捕を逃れて地下生活を送ることです.

 「国家保安法による政治手配者ろう城団」は,明洞聖堂入り口で記者会見を開き,「人権活動家らの凄絶な闘争を引き継ぐ闘争を繰り広げる」と決意表明しました.そして「国家保安法に苦しむ220人の地下生活者の指名手配を解除し,良心囚を全員釈放しろ」と主張した.

 ところで国民世論の動向はどうでしょうか? 少し古い資料ですが,金大中の大統領選勝利直後の97年の11月27日,『ハンギョレ新聞』は,国家保安法に関する世論調査の結果を報道しています.

 これによると一般国民の70%が,改正を支持しています.他に廃止を支持するものが7.7%あります.同様の調査を全国大学の法学部教授に行ったところ,改正を望むものの比率は同じく70.0%でしたが,廃止を主張するものが29.0%にのぼりました.

 いっぽうで,一般国民の80%が「国家保安法の必要性を認める」とし,「廃止すれば国家安保が脅かされる」との回答も60%に達しています.現状は,「国家保安法の撤廃は好ましくない.だが現行法には深刻な問題点があり,何らかの改正が必要である」というのが,一般国民の多数世論であると判断されます.

 

国家保安法の問題点

 国家保安法は,日本が植民地支配していた時代の治安維持法をそのまま引き継いだものです.李承晩政権は自らへの批判をおさえつけるためにこの悪法を作り上げたのです.このことからもわかるように,国保法は北朝鮮ではなく「内部の敵」を抑圧するためにつくられたものです.

 国家保安法の第2条は,「反国家団体とは政府を潜称するか,国家を変乱する目的で結成された国内外の結社または集団のうち,指導統率体系を備えたもの」と規定しています.反国家団体の代表的存在は言うまでもなく朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)です.

 しかし,72年に発表された7・4南北共同声明は,明らかに北朝鮮を反国家団体ではない平和統一の主体として認定ています.また,92年9月4日には南北が国連に同時加盟を果たしており,北朝鮮の国家的存在は国際社会によって公認されたものです.さらに,92年2月19日に南北当局が発効させた「南北基本合意書」はその第1条で,「南と北は互いに相手の体制を認め尊重する」と宣言しているのです.これらの事実と国家保安法の趣旨は明らかに矛盾するものです.

 また国家保安法第7条は「反国家団体への鼓舞・賛揚罪」を規定したものですが,これを厳格に適用すれば,共産主義や北朝鮮を評価する発言はすべて反国家的行為とされてしまいます.これは国際的人権となっている「表現の自由」に明らかに抵触するものです.

 最近,何回かにわたって国連人権理事会は,第七条で有罪判決が宣告された事例に関し,「国連のB規約で定められた表現の自由を侵害している」との決定を下し,韓国政府に警告を繰り返しています.B規約というのは「国連人権条約」の「市民・政治的権利に関する国際規約」の略称です.この第19条2項に「表現の自由」の内容が詳細に規定されています.

 韓国政府は,B規約とそれに伴う国連人権委の監視活動を認める議定書を批准しているので,同理事会の決定は国内法と同等の効力を持つことになります.

 

いまこそ「転向工作」を明らかにすべき

 国家保安法の,もっとも非人道的特徴をなすのが「拷問」です.この拷問の多くは「思想転向」を強制する中で行われました.その最盛期は,朴独裁政権が最も凶暴だった1973年から74年にわたります.当時は7・4南北共同声明,10月維新,金大中ら致事件などにより,政局が混乱していました.

 今年初めの金大中発言を承け,大統領直属の疑問死真相究明委員会は,75件に対する調査を開始しました.非転向長期囚の獄中死亡事件5件もここに含まれています.

 長期囚のキム・ヨンシク氏は「組織的な拷問が行われた」として,彼の人生を踏みにじった国家暴力を告発しています.

 転向工作は「地獄」で行われた.彼が当時服役した矯導所は,長期囚の間で「地獄」と呼ばれた光州矯導所だった.いったん殴打が始まると,数時間継続するのが普通だった.全身を拷問ひもでしばり「水責め」をおこなった.「水責め」とは,口と鼻を水でふさぎ,やかんで数十リッターの水を顔にかけるというものだ.やかんの水に辛子粉を加えると,「コチュカル拷問」になる.このような生活を2か月続け,彼は矯導所の教務課に引っぱっていかれ,いわゆる「転向」をした.

 聖公会大学のハン教授によると,「72年までに700人にのぼった非転向長期囚が,無差別の転向工作で約100人に減った」といいます.彼は転向工作の背後には法務部と中央情報部がいたとし,「この転向工作は国家によるち密な人権じゅうりん事件だった」と語りました.

 

いまも生きる国家保安法

 国家保安法は,朴政権時代の遺物で現在はあまり問題にならない,という考えは違っています.家族らの発表によれば、今年1月現在で良心囚は79人、潜航中の指名手配者は223人にのぼります.

 現在も政府から「国家保安法の利敵団体」と規定され弾圧の対象となっている団体があります.ひとつは汎民連(「祖国統一汎民族連合」(汎民連),もうひとつが「韓国大学総学生会連合」(韓総連)です.

 特に韓国の全学連に相当する「韓総連」への当局の対応は,常軌を逸した感情的なものとなっています.現在,裁判が進行中の良心囚のほとんどが「韓総連」の学生たちです.昨年7月,最高裁判所は「韓総連」を利敵団体と認定し,姜議長に懲役5年を宣告した2審判決を確定しました.公安当局があげる「韓総連=利敵団体」の根拠は,韓総連が「連邦制統一,米軍撤収」などを主張しているからというだけのことです.

 いまもなお,検察は「韓総連」を利敵団体として弾圧しています.各大学の自治会長や学部の学生会長で,「韓総連」からの脱退書を提出しない学生はそれだけで逮捕されます.学生たちの自由選挙で学生会長に選出されたその日から,半ば自動的に指名手配者となってしまうのです.

 昨年夏,韓総連がホンイク大学で定期代議員大会を開きました.警察兵力は大会場を厳重に包囲し,最高検察庁の公安部は,韓総連代議員全員に対する検挙方針を確定しました.

 金大中政権の下で拘束された学生は264名を数え,指名手配者も数百名に達しています.拘束の理由は,以前のように反政府デモを主導したとか,投石などの過激行為ではなく,たんに「韓総連」の代議員であるという事実だけなのです.

 

労働運動への弾圧

 国家保安法の適用は,「統一」を主張する団体に限りません.労働運動や,各種の大衆運動にも無制限に拡大されています.

 民主労総の発表によれば,拘束あるいは指名手配状態にある労働者は216名に達しています.民主労総の事務総長はすでに拘束されており,首席副委員長や組織局長が指名手配を受けています.容疑は不当解雇に抗議する組合員のストライキを主導したというものです.

 ソウル地検は「安養民主化運動青年連合」の会員9名を拘束・起訴しました.労働者のストライキを支援し,社会主義思想を流布したことが国家保安法に違反しているとの容疑です.

 また「進歩民衆青年連合」の幹部6名が拘束されました.「労働者階級の解放」をスローガンに各地のデモに参加したのが国家保安法に違反しているとのことです.

 さらに釜山警察庁は,蔚山市東区の区長・金昌鉉氏など青年活動家15名を拘束しました.釜山と蔚山地域で労働運動や市民運動に参加していたことが,国家保安法の「反国家団体結成」の罪に相当するということです.

 

国家保安法の下での政界腐敗

 昨年夏,検察庁は元国家安全企画部運営次長の金己變を逮捕しました.またハンナラ党副総裁の姜三載に対しても聞き取りを行いました.しかし調査はその後尻すぼみに終わります.

 この安企院疑惑は,1996年の総選挙で安企部(現国家情報院)が1千億ウォンを当時の与党・新韓国党に渡したというものです.姜は新韓国党の事務総長で選挙対策本部長でした.

 もともと軍事独裁時代には、大統領が情報機関の予算を政権維持のために利用することは公然の秘密でした.国家情報院の予算は「二級国家機密」に分類されており、予算会計特別法に保護され,その規模と実体が明らかにされたことはありません.日本の機密費よりは遥かにたちの悪い存在です.国会情報委の関係者によれば「国家情報院が運用しうる資金は年間一兆ウォンを超える」といいますから,とてつもない闇の世界です.

 

国家保安法は国民の政治的権利を侵害する

 韓国の人権状況を視察に訪れたアムネスティ・インタナショナル事務局は次のように報告しています.

 働く権利や居住し生活する権利,教育を受ける権利などは経済権に属する.この権利が侵害されるとき,被害者たちは政治的な空間に進出し,組織的な抵抗をするようになる.この場合,被害者にとって,経済権と政治的な権利は分かちがたく結びついている.

 解雇された労働者が抗議のデモに参加して逮捕された場合,彼は経済的な権利を侵された上に,結社と表現の自由など,市民的・政治的権利をも侵害されたことになる.

 人々が市民的・政治的権利を留保されるなら,自らの経済的権利を守ることはできなくなる,ということを施政者は知るべきだ.