ある「思想的大転換」

金永煥(カンチョル)の場合

 

主体思想派とカンチョル・グループ

 「主思派」は,韓国内の親北朝鮮勢力を代表する組織である.「主思」というのは,金日成が掲げた「主体思想」のことで,いわば「金日成信仰化されたマルクス主義」というか,「マルクス主義の言葉を利用した金日成神格化」路線のことである.科学的社会主義とは縁もゆかりもない,テロと言論弾圧,民主主義の封じ込めを合理化する「理論」である.

 不思議なことに,これが80年代中盤から90年代中盤まで韓国の学生運動や労働運動に,大きな影響を与えてきた.90年代初めには,140余りある4年制大学自治会のほとんどが,主思派の影響下にあったのである.彼らは学生運動の中にあってNL(民族解放)派と自称した.その勢力は一時に比べかなり後退したが、それでも現在なお、約80の全学学生自治会を握っているといわれる.

 主体思想を広めるのに大きな力があったのが金永煥氏(36)である.彼は主思派の理念・思想面を担当し、「カン・チョル」のペンネームで主体思想を紹介する多くの論文を書いた.それらをまとめた単行本「カン・チョル書信」(89年)は学生運動家の必読書になった.彼を中心とするグループは「カンチョル・グループ」と呼ばれ,主思派の中核を形成してきた.

 他のメンバーとしては,非合法組織事業を担当して7年間も指名手配生活を送った趙赫氏(36)、97年まで13年間、大学卒の経歴を偽って現場の労働運動オルグを続けてきた韓基弘氏(38)ら、錚々たる闘争経歴の持ち主ばかりである.彼らに対する求刑の合計は50年に達するという.

 このカンチョル・グループが,99年に態度を180度転換させた.

 朝鮮日報社の発行する「月刊朝鮮」という雑誌のインタビューに応じて,要旨次のような自説を展開したのである.参席したのは,金永煥をはじめ31歳から44歳までの主思派リーダー6人であった.

 「親北朝鮮雰囲気を大きく広げるのに決定的な役割を果たしたのは致命的な過ちであった.…いま意味ある戦線は金正日政権打倒闘争戦線だ.…そのためには左も右も団結すべきだ」

 「月刊朝鮮」は「80年代主思派の大転換:韓国知性史の一大事件」と書きたてた.そして00年の11月には,6人が編集委員となって「時代精神」という雑誌を発刊した.創刊号の巻頭言にはこう書かれている.

 「80年代以来、人間解放のため献身した人々は、自分たちが主張した多くの主義・主張・スローガンが,いまや時代の要求に適合しないという現実に、深い心の苦痛を感じている.…(過去への執着や現実逃避を超えて)社会発展と人間発展のための新しい総合的なビジョンの提示が必要だ」

 「時代精神」第三号はさらに踏み込んで,北朝鮮のみならず社会主義そのものの否定にまで至っている.そこではマルクス・レーニン主義による社会主義の実験が「失敗した」とされ,新たな共同体主義の必要性が強調されている.

 

思想転換の背景

 彼らの思想転換の理由を聞いてみると,意外にも韓国では北朝鮮政治の非道ぶりが良く知られていないことが分かる.基本的には現在も反共を旨とする国家であり,北の問題点は,大袈裟過ぎるほどに宣伝されているのかと思ったが,これは予想外であった.北に関する過剰な報道管制が,逆に北朝鮮に関する正確な情報の流通を妨げているのではないか?

 インタビューに応えた金永煥氏は次のように述べている.

 「86年から平壌放送で主体思想学習を開始した.…92年に北朝鮮の収容所を脱出した人たちの証言は非常な衝撃だった.…そんなにむごたらしい所とは想像もしなかった.…主体思想の同志と考えていた金日成・金正日政権が,こんなむごたらしいことをしていた,という事実を受け入れるのは,耐え難い苦痛だった」

 「社会に対して最も申し訳ないのは、金賢姫事件はねつ造という文書を書いて全国の大学に出させたことである」

 「今は北朝鮮革命にしか関心がない.…金正日政権打倒ほど重要な闘争はない.…左派であるほど,その先頭に立つべきだ.…(自分は)この闘いに命を捧げると決意した」

 こうなると転換というより「転向」に近い.ただし,彼らの中では,この思想的大転換はあまり問題にならないようだ.というのも,彼らは科学的社会主義をもとめて,誤って「主体思想」に迷い込んだのではないからである.彼らは,金親子と北朝鮮の呪縛から離れて,初めて「真の主体思想」を展開できる可能性が生まれたと,今でも言っているくらいだ.基本的には無思想・理論パーというべきであろう.したがって彼らの転換は,少なくとも彼ら自身の内部においては「転向」では有り得ないのである.