韓国民主運動について


最初にお断りしておきますが,著者は韓国についての専門家でもなんでもありません.行きがかり上,知っている限りの情報を提供するだけです.もしこの文章について間違っていたり,ここはこう見るべきだという意見があったら,どんどん寄せてください.なお,インターネットで去年のゼネストについての記録があり,訳した文章が事務所にあります.とても面白いので一度ごらんになってください.



急成長する韓国民主運動

 ご承知のように韓国はつい数年前まで事実上の軍事政権下にありました.軍事独裁は30年にわたり,独立後の韓国はそのほとんどを独裁政権下に送ってきたのです.これが第一の特殊事情です.

第二には北朝鮮との絶えざる緊張関係の下に暮らしてきているということです.独裁政権に反対するさまざまな運動にも,北朝鮮の影が常にちらついています.反対派は常に「北の回し者」のレッテルを貼られ,民主主義を望むものの行方には死刑をふくむ重大な運命が待っていました.

 全斗喚,盧泰愚と続く軍事政権は,とくに日本の大資本進出による経済発展を進めました.米日への従属を深めながら重工業を中心に急発展するなかで,労働者の運動も急速に拡大しました.それらのたたかいの多くは非合法なもので,まさに命を懸けたものでした.

 こうした状況を一気に変えたのが87年6月の「民主化大闘争」です.ソウルの証券会社,保険会社の労働者を中心に闘われたことから,「ホワイトカラー闘争」ともいわれるこの闘争は大勝利をおさめました.この時以来韓国の労働運動は,高い道徳的威信を与えられるようになりました.

 この頃,慰山や木甫の重工業コンビナート地域でも戦闘的労働者の組織化が密かに進められました.

 一応民選の形をとった盧政権,それに続く金泳三政権の下で,国際的な圧力も受けながら一定の民主化が進みました.政府公認の労働センターとして韓国労働組合総連盟(韓国労総)が結成され,公務員労働者を中心に百万の労働者を結集しました.しかしそれは当局の都合の良いようにされた「御用組合」の連合体であり,非合法時代から真の労働者の権利を求め闘ってきた活動家は排除されていました.

 この人たちが95年末に結成したのが全国民主労働組合総連盟(民主労総)です.このセンターの組織人員は韓国労総の半分に過ぎず,相変わらず非合法な存在として弾圧の対象となっていました.しかし多くの戦闘的な労働者は民主労総に結集,とりわけ韓国一の財閥「現代」グループなど韓国を支える大企業の労組を握ったことは大きな意味を持ちました.
 

韓国経済危機

 韓国には日本のバブル期を通じて巨大な資金が流れ込みました.つぎつぎと設備投資が行われ,自動車,造船,電機などでは日本を上回るスピードで生産が拡張していきました.

 しかし,外国資本に頼る経済成長は最初から破綻の危機をはらむものでした.80年代後半「漢江の奇跡」といわれる高度成長を遂げた韓国経済も,90年代の後半になってウオン高不況と国際収支の悪化,対外債務の累積などから危機的状況に入りました.経済構造の改革が不可避的となったにもかかわらず,政府は財閥企業の放漫経営には手を付けず,もっぱら労働力の流動化,国民生活の犠牲の上にこの危機を乗り切ろうとしたのです.

 金泳三政権はOECD加入により先進国入りしたと大々的に宣伝するとともに,先進国にはおよそ似つかわしくない労働者の権利剥脱を強行しました.それが96年12月26日深夜の労働法と安企部法の改悪案,単独採決です.いっぽうでは50万人の組合員を擁する労働組合の全国センターである「民主労総」を非合法とし,他方では悪名高いKCIAの後身「国家安全企画部」の権限を強化するという反人民的な態度は,国民の憤激を呼びました.
 

97年1月のゼネスト

変形労働や労働時間の延長,「整理解雇制」による解雇条件の緩和,スト破りの合法化を盛り込んだ労働関係法改悪にたいし,反対運動の先頭に立ったのは全国民主労働組合総連盟(民主労総)です.

 (以下は総会情勢からの転載です)
民主労総はいわば組織の命運をかけて,ゼネストを提起しました.これに応え全国自動車産業労組連盟を中心に10万人がゼネスト入りしました.新年をはさんで息づまるような駆け引きが続きます.金大統領は妥協や話し合いなどを一切拒否します.検察当局は民主労総指導者50人の逮捕状を請求しました.

 1月7日になると現代自動車など210労組22万人がスト入りし,一気にゼネストが拡大します.民主労総は闘争に最大動員をかける一方,最大の労働団体である韓国労働組合総連盟(韓国労総:組織人員120万人),さらにその上部団体である国際自由労連への工作を強めました.

 結局世論をつかんだのは労働側でした.一般紙の世論調査でストライキ支持は75%に達します.1月9日,韓国労総は民主労総の呼びかけに応えゼネストへの参加を決定しました.国際自由労連はILOに調停を申請するいっぽう,世界各地での抗議活動を呼びかけます.ILO事務局長は「結社の自由を認めない限り解決は困難」とし,金大統領宛に組合結成と表現の自由を求める書簡を送ります.

 状況は一気に変わりました.民主労総と韓国労総は共同で1月15日の労働者総決起を提起しました.14日には韓国労総傘下の銀行,タクシーなどがスト入りし,この日のスト参加者は63万人に達しました.15日,スト参加者はついに75万人に達します.韓国の経済はこの日完全にマヒしました.

 勝利した闘いを成功裏に収束させるのは労働運動指導者の腕の見せ所です.この点でも民主労総は見事な統制力を発揮しました.20日,民主労総は職場復帰を指示します.そのいっぽうで週1回のストライキを続行し,その戦闘能力を誇示します.26日には韓国労総と民主労総が抗議集会を共同開催,史上最大の20万人が参加しました.参加者の多くが「統一と連帯」のスローガンを掲げます.

 それは金大統領にとっては全面的な敗北でした.ゼネスト後に開かれた与野党会談には彼も出席を要請され,労働関係法の再審議を約束させられました.その場で金大統領は,労組指導者の事前拘束についても執行を猶予するよう約束させられました.

 泣きっ面に蜂とはこのようなことをいうのでしょう.2月10日,反撃のいとまもないままに「韓宝」スキャンダルが発覚します.捜査の手は次々に上層部に波及,ついに金大統領自身にも及びます.彼の次男が韓宝スキャンダルへの関与を暴かれ逮捕されてしまうのです.かつて全,盧の二人の前大統領を獄に送ったときには国民の8割から支持を得た金大統領が,いまや任期の終わりを待つ「レイム・ダック」となり果てました.それ自体が国民世論の健全さを示す大勝利です.

 しかし労働者の闘いがいかに勝利しようとも,それで韓国経済の抱える深刻な問題が解決されたわけではありません.労働省=国家権力は民主労総の提出した設立申告の受け取りを拒否するなど,依然抵抗の姿勢を変えていません.そこには国家のシステムを国民主体のために変換する闘いが依然として残されています.
 (転載はここまで)

 

政治変革への展望

 民主労総は残された課題として以下の4点を提起しています.

1.1千万人にのぼるといわれる未組織労働者を組織すること
2.単一の,独立した,民主的な労働センターの創設
3.政治.経済闘争を結合させる「真の勢力」結成についての議論
4.労度運動がかち取るべき「究極の目標」に関する意識的追究

 12月に行われた大統領選挙では,民主労総のKwon 議長が「人民の勝利21」という政治団体を代表して立候補しました.学生代表や労組代表も「非公式に」彼を支持しました.というのも非政治団体が特定の政治的立場を明らかにする事自体が法律で禁じられているからです.これを犯して集会でKwon 支持を訴えた民主労総の副議長はただちに逮捕されました.

 民族分裂国家という状況,反共を「国是」とする政治体制のなかで,真の民主化の課題を追究することの困難さは想像にあまりあります.李承晩時代の国家安全法が未だに生き続けているこの国では,94年にも36人が一斉検挙される「社会主義者事件」が発生しています.去年の11月にキューバを訪問した学生は,自宅に帰るなり公安に逮捕されました.共産主義の手先とみなされれば,それだけで重刑が待っているのです.

 金泳三から金大中への政権交代は,国民の一定の期待を反映したものです.しかしIMFの管理下に入った韓国がとりうる手段は限られています.労働運動をふくめた自主的,民主的運動が国政の根本的転換に向けどのような展望を打ち出していくのか,注意深く見守っていく必要がありそうです.

1998年10月