韓国労働運動に関する視察報告

 

はじめに

私たちAALA連帯委員会は、アジア諸国人民との連帯を重視しています。7月には道労連の後援を受け「インドネシアと韓国の労働運動を考える集会」を開きました。今回 は現地調査団として韓国を訪問し、民主労総や日雇い建設労働者組合との懇談を持ったので報告します。 なお取材に当たっては、集会の講師でもあった信州大学教授加藤先生の全面的なご協力 をいただきました。

「民主」の意味

民主労総とは韓国民主労働組合総連合の略称です。英語名では「民主」という言葉が入っていません。この点についてヨン国際部員から「民主」には特別な思いがあるのだと 説明がありました。

ご承知のように80年代半ばまでは韓国は軍事独裁が続きます。すべての自主的運動は苛酷な弾圧を受けました。戦前の日本と同様です。朴大統領が暗殺されてから全斗煥らがクーを起こすまでのわずかな期間に、現代自動車労組が結成されました。しかしその後長いこと地下活動を強いられます。このころ労働運動を支えたのは繊維工場で働く女子労働者でした。職場放棄や籠城、抗議の自殺など激烈な戦いが展開されました。

87年に民主化大闘争が勝利すると、一気に労働運動の高揚、労組への組織化が進みます。国内繊維産業の衰退もあり労働組合の構成は男性中心となりました。

このように労働運動の発展は民主化闘争抜きにはなく、労働運動の指導者は民主化闘争を担った活動家でもありました。このことからあえて「民主」という言葉をつけくわえ ているのだそうです。

IMF下の民主労総

87年以降も労働運動への弾圧は続いています。この10年間で活動家3千人が逮捕されたと言われます。全民労総が合法化されたのは97年、わずか1年前のことです。この10年の内、最初の6〜7年は賃上げと労働条件の改善が中心課題でした。しかしこの数年は労働法改正要求など政治課題でもたたかうようになっています。とくに96年末に強行採決された雇用調整法(整理解雇法)に対しては史上空前のゼネストでたたかいました。法案そのものは撤回させられませんでしたが、民主労総の合法化を始め多くの成果をあげることができました。しかし教員組合などは依然、非合法下におかれて います。

昨年暮れに韓国がIMFの管理下におかれるようになって、状況は厳しさを増しています。民主労総でも58万組合員の内5万人が職を失い、組合を離脱しています。矛盾は とくに不安定雇用者、女性、下層労働者に集中しており、実際には1割を超える失業率となっています。

民主労総傘下で最大・最強の現代自動車労組のたたかいは、これら労働者の要求を反映しており、けっして孤立したたたかいではありません。政府は整理解雇をせまる一方、軍隊3千人を出動させ突入の構えを見せます。息詰まるにらみあいが続いた後、労組指導部は流血の事態を避けるため戦術的撤退をおこないました。しかしこのたたかいは、すべてをIMFのせいにして財閥免罪をはかろうとする政府にとって大きな打撃となり ました。

日雇い労働者のたたかい

今年に入ってから国内総生産はマイナス6%,国民所得はマイナス12%,失業率は8%,新卒者の就職率は30%を割り込むだろうといわれています.とりわけ不安定雇用労働 者にとって、IMFの影響は厳しいものがあります。公式統計でも仕事は3〜4割減と されていますが、実際には半分以下とのことです。この人達を組織しているのが韓国日 雇い建設労働者組合です。

好況時でも日雇いの賃金は常雇いの7割。雇用保険も年金もありません。地域保健(日本の国保)に加入していますが掛け金は全額負担です。「おやじ制度」といわれる封建 的な雇用関係で、給与の不払いも珍しくありません。

彼らを組織しているのが日雇い建設労働者組合です.組合員数は今のところ5千人.二百万人といわれる日雇い労働者にくらべれば微々たるものです.しかし組合費を払うこ とすら困難な人々のなかで「五千」という数字の意味は決して小さくありません.

組合は元請け会社や「おやじ」たちと掛け合って給料を払わせたり,組合員の生活相談に乗ったりしています.活発な支部では職業訓練のようなことも手がけているようです. また政府に対して失業給付金のための共済結成を求めています.

韓国というと97年のゼネストや現代自動車の激しいストがマスコミをにぎわせ,一見労働先進国のように見えますが,現実には本格的労働運動が開始されてわずか十年,すごい熱気とはうらはらにまだ不慣れなところも多いようです.いま日本の労働運動が彼らと連帯することの意味は大きいだろうと思います.

98年11月 北海道労連機関紙に掲載

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