韓国民主医療運動との出会い

広津(こうじん)医療福祉センター

98.12 勤医協新聞に掲載

 

センターの概要

92年に設立された組織.城東住民医院と地域環境研究所よりなる.なお医院には健康管理センターが付設されている.

構成員は尹(よん)所長を筆頭に医師二人,他看護婦などあわせて9名,外来のみの診療所で1日170人の患者数である.来年からは三人目の医師が着任予定だそうだ.

診療所はソウル市の南東部,城東区の広津地区にある.昔は大きな紡績工場があり労働者の街だったが,郊外移転にともない現在では零細自営業者が人口の多数を占めている.診療所のある一画は地下鉄駅前の繁華街,高速道路を挟んで北側は衣料品店の集中するゾーン,診療所のある南側にはいかにも下町らしい飾らない雰囲気の飲食店が軒を連ね,人でごった返している.経済的に見ると,この地区はソウル全体から見て「中の下くらい」の地域だという.しかし貧富の差は激しく「貧民」も多い.

 

広津医療センターの活動

広津医療・福祉センターは「住民が作る福祉社会」をスローガンに掲げ,@65歳以上の患者は半額,A急患往診は無料,Bはたらく人たちのための夜間診療(週3回),C診療時間外を使った無料家庭訪問などを売り物にしている(職員がボランティアでやっているようである).またD慢性疾患の教育・管理にも力を入れている.韓国にも医療保険はあるが,その給付水準は極めて劣悪で,実際にはほとんどすべての医療が差額医療となっている.したがって軽費診療や実費診療が地域住民の強い要求となっている.

このような日常診療のほかに,さまざまな地域活動を展開している.@障害児の授産施設や家出少年の施設への無料訪問,A貧困者を対象とした相談活動,制度を利用する場合には患者とともに区役所の窓口で掛け合ったりすることもある.B貧困者のために医療保障制度を拡充させる運動,C児童のための文化活動やサマーキャンプなどを行っている.

また健康作りへの住民の主体的参加を促すために「アオイ」健康教室を開催している.隔月に1回の割で続けられているが,これまでのテーマを紹介すると@健康の常識,A上手な保健所の利用法,Bみんなで「健康の歌」を歌おう(シングアウト・パーティー),C気功体操の指導,D「アオイ共同体」(友の会)について,などなどである.

沿革

87年に韓国全土を巻き込む民主化大闘争があった.このたたかいで盧泰愚軍事政権が崩壊した.韓国の自主的,進歩的な諸活動はほとんどすべてこの時から始まっている.

韓国の学生にはそれ以前から「農活」という伝統があった.農村に入って農民に学びながら,さまざまな援助を行う自主的な活動である.87年以降は農村よりも都市のスラム地区での活動のほうが盛んになってきた.韓国の抱えるさまざまな社会問題が,農村よりも都市に集中するようになったからである.また都市では夏期休暇などではなく通年的に,定着型の活動ができるからである.

広津地区でも87年頃から尹先生たちのボランティア活動がおこなわれるようになった.子供会の活動や健康についての啓蒙活動をやっていくうちに,広津地区に診療所をという熱情が盛り上がっていった.最初は住民の協力も得て一軒の民家を借り,大学病院の医師の援助を受けながら日曜診療や夜間診療などを開始した.

その内に臨時の診療所では物足りなくなった.尹先生が地域に飛び込む決意をした.彼ら「6人衆」は恒久的診療所(韓国では医院というようである)を建てることで堅く意思統一をしたのである.こうして尹先生が兵役を終えた92年,城東住民医院が創設された.

韓国の医療運動

87年の民主化大闘争では医師も人道主義医師実践協議会(人医協)に結集して闘った.医療の民主化を高く掲げたこの組織は,現在の加入者が約千五百名。民主化以降は主として理論・政策活動に重点をおいて活動を継続しているようである.日本でいえば新医協のような感じだろうか.ちなみに人医協の事務局長は広津センターの副所長である.

地域での活動が盛んになるにつれて,地域医療活動にも関心が強まりつつある.キリスト教関係の組織なども,独自に協力してくれる医師を見つけ出し週1〜2回の診療所を開設したり,理解のある開業医に委託したりしているようである.しかし韓国における医師の社会的地位は想像以上のもので,いざ貧困者の地区に飛び込んで診療するということになると,やはり余程の決意を必要とするようである.医師が自ら住民のための医療機関を運営し,住民のための医療を正面に掲げて実践しているのは,今のところ城東医院のみである.


これからの広津医療・福祉センター

尹先生は韓国最高といわれる延世大学の出身,副所長はソウル大学の出身である.診療所を開設するときは仲間の医師からぜひがんばってくれと励まされたそうだ.しかし今のところ大学の仲間からは「精神的支援」のみしか受け取っていない.尹先生は今40歳,医者としては一番あぶらの乗ったところである.中央病院の佐藤忠直先生と坂病院の村口先生を足して二で割らないような人といったら,わかる人はわかってもらえるはずだ.彼は上部消化管の内視鏡,エコーなどを手がけている.研修は保障されていない.すべて診療の合間を縫っての独学だ.診療所を始めてもう6年がたつ,広津に続く民主診療所はまだ現われない.この間、地域医療をやっている人たちが年に1―2回会合を開いているが、具体的な組織作りには至っていない。いささか気弱になろうというものである.この路線が正しかったのだろうか?,と….

いっぽうで彼には大きな夢がある.ひとつは地域に保健協議会を作り,住民が主人公となる医療・福祉のシステムを作っていくことである.いわば「地域医療の民主的形成」ということだろうか.もう一つは,センターを名実ともに住民の医療機関とするために,その所有形態を変更することである.

具体的には医療生協への動きである.それとともに大衆債の募集によって施設・設備の飛躍的充実を図ることである.モンドラゴンを一生懸命勉強して生協への移行を準備しているようであるが,同時に生協となることによって生まれる制限や役所からの干渉の可能性,自分たちのイニシアチブがどのように貫けるかなど,さまざまな不安も抱えている.そしてもう一つの夢は広津の経験を全国に広げ、地域医療のネットワークを作っていくことである。

時代は急速に変わった。政治的スローガンを掲げてたたかっているだけでは、もはや十分ではない。国民・地域住民の医療要求にどう応えていくかが問われる時代になったのである。

 

若干の感想

彼らの才能はまさに驚嘆に値する.たった数年で,まったくの手探りの中で,これだけの活動を考え出し,作り上げ,しかも将来を見通すなんて恐るべきことだ.およそ想像を絶する.

すっかり感動してしまった私は,つい偉そうに言ってしまった.あなたがたの路線は間違っていない.日本にはあなたと同じ道を歩んでいる数千の医師,数万の仲間がいる.確信を持ってほしい.それを聞いたときの彼の顔といったら見ものだった.

それからますます図に乗った私は,@人民的所有形態は原則課題であるが,生協か法人かという選択は政策課題である.A「地域医療の民主的形成」は主要にはたたかいの課題であり,本質的には「階級的形成」である.センターの影響力が大きくなれば必ず逆流も強まるだろう.「敵なし論」でやっていっても進まない.B技術建設の問題を軽視しては運動の発展はありえない.とくに医師を集団として形成しようとするなら,この課題は避けて通れない……など,とくとくとして語ったのでした.

私のつたない説明を聞くとき,尹先生は食い入るような目つきだった.その姿はまさに「あの頃の民医連」だった.