資料集「医療保険の改革のために」
資料集を出して
2000年7月1日から,職域と地域で分けられていた医療保険が,「国民健康保険管理公団」として統合され,一元的に運営されるようになります.政府は医療保険制度の統合で「保険料負担の公平性原則が成立し,社会保障制度拡充の大きな歩みを踏み出すようになる」と,我が国の医療保障の新しい出発を宣言しています.
だが,保険の恩恵が大きく拡がれば,より迅速かつ便利なサ―ビスが実現し,管理・運営が効率的となる,という政府のバラ色の宣伝は,我々労働者・民衆にはあまりに縁遠い話しです.
なぜなら,医療保険制度はこの間,軍事独裁や反動支配層の政権維持と宣伝のための道具として使われてきたからです.さらに,これらの歴史的・政治的な経験からだけなく,労働者民衆が医療機関に受診しやすくなるとは思えないからです.実際,医療費に対する国民負担は,これまでと変わりありません.
7月1日,医療保険の統合を期として,我が国の医療保険制度は重要な岐路に立っています.
それは,医療保険財政の拡充のために,保険料の引き上げで労働者・民衆の負担をもっと増やすのか,政府と資本の負担をもっと殖やすのかという岐路です.また,医療保険が包括的なものとなり,すべての医療サ―ビスに対する給付が拡大され,それを通じて,労働者・民衆の健康権を保障してあたえるのか,管理運営の効率化にだけ止まるのか,という重要な岐路に立ってます.
この分かれ道で,労働者・民衆の健康権保障のための制度として,真の医療保険制度が確立できるかどうかは,労働者・民衆の力量に全面的に頼っています.
この資料集は,現在の医療保険の制度の問題点を指摘し,労働者の観点から解決策を模索していくための一つの試みです.このような試みの一つ一つが,労働者・民衆の健康権のたたかいの流れを形成して,健康な世の中と労働者の解放の海へと進む事を期待します.
2000年7月1日
平等社会を望む民衆医療連合
医療保険制度の歴史と健保
●我が国の医療保険
社会保障としての医療保険は,国民の健康要求を満たすための社会的費用を,国家が社会連帯の原理によって共同体的に解決する社会保障の制度です.分かり易く言えば,それは金持ちが貧しいひとびとを助けて,元気な人が病んだ人を助ける趣旨で, 多くの国々が採択している制度です.
1963年,医療保険の法制化から2000年7月1日,医療保険統合に至る,医療保険の40年は,時代の状況を反映する至難の歴史でした.
最初の医療保険制度は,1963年,朴正煕の軍事政権の正当性を確保するために採択されました.そういう素姓的限界があるために,民衆の健康権は認められず,恩恵授与的性格が強いものでした.しかもしかもその時点ではたんなる法制化にのみとどまり,実質的な保障はありませんでした.
実際の医療保険が施行されたものはそれから10年余り後でした.1977年,500人以上の事業場に医療保険が適用されるようになりました.適用対象は,はじめから全国民対象ではなく,最初は,比較的所得があって安定的な生活基盤と経済的能力がある階層から,漸進的に拡大するとされ,貧困階級と大多数の民衆たちは,その恩恵から疎外されたのです.
1989年以後,完全な医療保障の実現をめざす民衆たちの闘いは,医療保険制度を支配の道具化しようとする勢力とのけんかだったのです.1988年,農漁村を対象とする地域医療保険が実施されました.このとき起こった,農民の保険料納付の拒否闘争は,むやみに高い保険料の負担,不公平性などに対する抵抗だったのです.
闘いの結果,1989年,統合医療保険法を国会で通過させる成果を生んだが,ノテウ政権が拒否権を行使して,これを挫折させてしまいました.以後の厳しい闘いの結果,遂に2000年7月1日から医療保険統合を実施するようになったのです.
●医療保険の統合が持つ二つの顔
医療保険の統合は,医療保険運営の方式を組合から統合方式に変えることです.元々の趣旨は,組合方式では保険適用の拡大を成す事が出来なかったために,組職をひとつに統合することで,国家と社会の責任を強調して,保険適用の拡大のネックをとり除くということです.
それは,全社会的に労働者・民衆の全面的医療保障を実現するための,すなわち「連帯と公平の原理」を実現するための方途です.
だが,本来の趣旨である保険給付の拡大と,労働者・民衆間の社会的連帯は無視されたままでした.そして管理・運営の効率化という理由のみで統合方式が強調されたのです.
地域医療保険組合の加入者と,職場医療保険組合の加入者との間にある,保険料負担の不公平性は,まったく改善がなく,保険システム内部の問題に局限されて捨てられたのです.また不公平性の問題よりは,保険料の賦課の方式の合理性問題に変質されてしまったのです.すなわち'効率と合理化の原理'です.
すなわち,「連帯と公平の原理」という顔と「効率と合理化の原理」という二つの顔を持っているのが,医療保険制度の統合・一元化で出現した現在の健康保険の姿です.
医療保険,なにが問題なのか
我が国の医療保険は,世界色々な国と比較しても比較的早い時期に,全国民を包括し,管理運営の統合を果たしたといえます.しかし一方では,誰も満足できない制度に転落する状況に置かれてます.医療供給者は,低い医療点数に対する不満,民衆たちは医療費の負担が減らない状況で,保険料の負担だけが増えることに対して不満を持っています.政府は財政の負担を感じています.
●医療保険制度の問題点
■財政が破綻に瀕しています
地域医療保険の組合は,1999年単年度で5,054億ウォンの赤字が出ました.今年には8千億ウォンの赤字が予想されています.地域組合の積立金は,1999年には1ヵ月分の保険の給与費にも足りない3,900億ウォンに過ぎませんでした.今年は4,300億ウォンの赤字が予想されています.財政の破綻ぶりは,このことを見ても分かります.職域医療保険組合も,この間累積した積立金は2兆ウォンに至ったんだが,1999年から赤字運営に転落する危険もあります.
■保障性が極めて脆弱です
医療保険が「診療費の割引」制度の性格しか持つ事が出来ないということが,国民が医療保険を信頼しない根本的理由となっています.1998年に,診療費の本人負担金は外来60%,入院47%に達するなど,社会保障としての性格はまったく持てなくなっています.
新しい「国民健康保険法」には,これまで治療サ―ビスに局限された保険適用を,予防・リハビリまで拡大するように法條項が決められてるが,まだこれを現実化する具体的な計画は準備中というのが実情です.生命保険会社を始め,営利性の医療保険に加入している人口が1,200余万人に達し,資本の利潤獲得のための手段に医療保険が利用される原因はここにあります.
■個人負担があまりに大きいです
現在医療保険の財政は,職場医療保険も含め,個人負担の保険料が45.8%,国庫負担13.2%,使用者が19.0% その他の収入22.0%となっており,個人負担の比重が大きいのが特徴です.地域医療保険に対した国家負担は 89年に51%でしたが,長期的に落ちて現在は26%水準にとどまってる状況です.特に,所得にかかわらず一定の割合の保険料が付加される方式を選んでありますから,所得再分配效果が落ちて,むしろ逆転的な效果を現わしています.
したがって,現医療保険の根本的問題点は,医療保険制度が経済的負担を減らし,誰もが医療のサ―ビスを受けられるようにし,健康権を実現する,という機能を喪失している所にあります.
●なにが問題点を生んだ.
■ 根本的には「民間任せの医療供給システム」があります.
民間任せの医療システムは,利潤の追求を基本的動機で持つ事しか出来ません.医療供給者が供給するサ―ビスの価格や,過剰にサ―ビスを供する診療形態を,根本的で制御する方法がないです.
利潤の追求を基本的動機とする医療システムの否定的效果は,医療保険財政にだけ局限されるわけではありません.医療サ―ビスを利用して,その費用を実際負担する民衆たちの経済的負担を加重させることになります.そのことで,民衆たちが元気に生きる権利を妨げる障害物として作用しています.
■ 政府が約束を守らなかったためです.
去る89年,農民たちの医療保険料の納付拒否の闘いに火が付いたとき,政府は,職場医療保険組合と公務員・教職員医療保険組合が,使用者と労働者が50対50で負担していることを勘案したうえで,地域医療保険に50%の国庫支援を約束したのです.
だが政府の支援は 89年51%だったのが,ますます減少して,'国民の政府'を称える金大中政府に至っては最低率を記録して,,26% 水準にとどまっています.その間,政府が支給せずに累積した金額は,少なくとも5兆ウォンに至っています.これは保険料を引き上げずに地域医療保険の財政赤字を埋めるのに十分な金額です.
労働者50% 負担は世界に稀だ
医療保険を運営するためにはお金が必要です.このお金は患者の疾病を治療するのに使われます.
最近「お金を誰が出すべきなのか」という問題で論争がありました.医療保険が統合されれば,職場医療保険に加入した労働者が払った保険料は,地域医療保険の加入者たちが医療保険を利用するのにも使われることになります.したがって労働者にしてみれば面白くないということになります.
地域医療保険が赤字を出している状態では,労働者たちが出した職場医療保険のお金が,その赤字を補うのに使われるようになって,そのために労働者たちの保険料が高くなる可能性もあります.
もちろん,労働者が骨折って稼いだ賃金の一部が,富裕な自営業者に流れて行くのは正しくないかも知れません.金融所得,財産所得などの所得に対しても,公平に税金と保険料が賦課されなければなりません.
労働者は,家族や子供の生活の維持に必要だから労動しているわけですが,その労働は,彼が受け取る所得よりはるかに多い価値を生んでいます.残った「剰余労働」による利益は,企業が持って行ってしまいます.さらに,政府は租税,準租税の形態で民衆の獲得した所得を持っていきます.
ところが当然に保障されるべき健康権のために,誰がお金を出すのか,私たちがどうしてお金をめぐって争わなければならないのでしょうか.労働者が,50% 保険料を,どうしても出さなければならない理由は何なのでしょうか.どうして保険の財政は,労働者と民衆がお金をださなければならないでしょうか.どうして職場医療保険に加入している労働者が,自分が出したお金に文句を言うのでしょうか.国家や資本家からもっと多くの資金を引き出して,彼ら以外の民衆たちとすべて等しく分けあおうとしないのでしょうか.
我々の疑問はここから出発します.
●我が国の場合
医療保険法第52条は「組合の保険料は,被保険者と被保険者を使う使用者が,それぞれ保険料額の100分の50を負担する」と規定されています.そして,被保険者の労働者と使用者の資本家が,それぞれ保険料を折半して分担する法的根拠を呈示しています.これにによって,我々の労働者たちはきちんと保険料の 50%を出しているのです.
同じ法律の第48条には,「国庫は毎年度予算の範囲のなかで,大統領令が決める所によって,社保組合と社保連合会に対して,医療保険の事業の運営に必要な費用の一部を負担する事が出来る」としており,国庫負担の根拠が提示されてます.しかし保険料に対する資本家の50%分担は確かに実施されていますが,職場医療保険に対する国庫負担はまったくないのが現状です.
それでは他の国ではどうでしょう?
●他の国の場合
他の分野と同じく,医療保障の分野も,その社会の具体的状況によって異なった形で発展してきました.
したがってその比較は,慎重とならざるを得ません.しかし,我々の'常識'とは違い,社会保障を医療保険の形態で運営する多くの国々で,労働者の保険料負担50%を強制しているところは多くありません.どのような形態でも,企業の負担がもっと多かったり,政府が財政支援を行なったりしています.
日本の場合,700人以上の事業所の労働者には組合管掌健保が適用されています.そこで労働者たちが払うお金は 1996年現在,基本給の平均3.658%,これに対し使用者が負担するお金は,基本給の平均4.736% 水準です.計算すれば,労働者が43.6%,資本家は56.4%を負担することになります.さらにボ―ナスの0.5%に相当する金額が特別保険料としてとられます.
我が国とは違い,日本の医療保険制度では,労働者健保にも国庫負担が繰り入れられています.老人医療費の 16.4%,管理運営費の100%を国庫負担しています.
ドイツはどうでしょう? ドイツ労働者たちは平均で月収の6.9%を保険料で出します.使用者も6.9%を保険料で出しているが,月収が630マルク以下の労働者を雇う事業主は,収入の 13.8%を保険料で出しています.失業者の場合は,政府が保険料を全額負担しています.
フランスの場合はもっと驚くべき内容です.フランスの保険料率は所得の19.60%で世界で最も高いが,実際の労働者が負担する比重は6.80%です.我が国の公務員に適用される保険料率は5.60%ですが,フランスの包括的給付範囲と我が国の医療保険の制限された給付範囲を考えてください.企業が負担する12.80% の保険料が,フランスの包括的保険給与を支えているのです.
このように,諸外国では,労働者が負担する保険料の水準が50%というのは本当に珍しいです.保険の財政が困難になった国は,保険料を上げようとして,結局,労働者の負担をさらに増やそうとしています.企業も,50% 保険料の負担が大変だと民間の医療保険を導入しようと図っています.
この渦中で,労働者がまだ政府や企業主負担の拡大の主張を躊躇する必要があるでしょうか.政府と企業の保険料負担を拡大させなければなりません.これはただ,労働者たちが生活のために労動した対価,そして奪われた代価,その一部分を取り戻すということに他なりません.
民間医療保険の導入の背景と問題点
癌保険を始めとした民間医療保険費は,去年から幾何級数的で増加しました.それは医療保険財政の30%に至っています.公営医療保険費が何千ウォン増加しただけでもひどい拒絶反応を見せていた国民が,高負担を甘受してでも,こんなに幾何級数的で加入する矛盾した現実は,一体何を物語っているのでしょうか.
2000年5月17日,政府規制改革委員会は'国民の医療サ―ビスの選択権を拡大する為に' 民間医療保険を早期に導入する方針を決めて,保健福祉部に年末まで施行計画を用意するよう勧告しました.
去る95年から,民間医療保険導入の論議が,政府の経済部及び財閥の団体から主張されて来ました.医療保障の水準自体が貧弱な我が国の状況では,まだ時期尚早と結論がでました.ところが,その当時より地域医療保険の国庫負担率はもっと落ちたし,保険給付も別段拡がらない今,政府が民間医療保険導入を推進する意図は何なのでしょうか.
●民間の医療保険の拡大と,その背景
第一,多様な医療サ―ビスをもとめる国民の要求を,公営医療保険が実現する事が出来なくなります.
我が国の医療保険は医療保障の範囲が非常に制限的で,かつ高い本人負担金を特徴としています.それは'診療費の割引制度' 水準にとどまり,非常に不具的です.
これにより公営医療保険に対する国民の不信が累積しています.自身の不健康を恐れるため,他の方法での危険分散を切望するようになるのは,むしろ当然の結果なのかも知れません.すなわち,包括的医療保険はだめでも,一般保険の特約の形態として民間医療保険が持続的に増加するようになるのです.
二番目, 医療保険財政の危機を解消するための,政府の責任放棄です
医療保険財政の危機を解消し,国民の健康に対する要求をそらすために,「民間と政府の適正な役目分担」をうんぬんしながら,医療 「市場」を活性化させて,健康も能力別で獲得させようとすることです.
三番目に,医療の供給者(病院, 医者など)は,公営医療保険費で最大限利益をむさぼっています.
その一方で,政府の干渉を受けない自由な診療の下で,最大限の利潤を確保するために,民間医療保険の導入を願っています.
四番目,資本家・事業主は保険財政の負担拡大に反対しています.
資本家は,労動時間の短縮,職域保険の対象となる事業場の拡大,5人未満の事業場労働者の職場保険への編入などは,企業の費用負担を重くするとして反対しています.
それとともに,保険の財政の安定化,医療サ―ビスの質的問題の解決のためと称して,低所得層のための基礎的保障は政府主導の下に既存の方式どおり運営するように求めています.そして医療の需要が集中している高所得層が,良質の診療を差別的に受ける事が出来るように,民間の医療保険の市場を活性化するべきだと申し立てているのです.
五番目,「医療保険の市場開放」が主張されています.
90年代以後の医療市場開放の延長線で,98年中盤の韓米投資協定の過程を経ながら,「医療保険の市場開放」が主張されています.すでに89年度に,外国生保会社の国内進出は開放されました.プルデンショル会社のように,独自に進出する場合もあり,アルリアンツ=第一生命のように合資形態で進出する場合もあります.
●民間医療保険の問題点
第一, 民間医療保険は医療の利用の公平性を阻害し,国民を分裂させます.
費用負担の能力がある高所得者は,民間の医療保険を別に具備して,高級医療サ―ビスを利用できます.低所得者は公営医療保険に残るしかないという現象が起ります.民間医療保険加入者は1類,公営医療保険は2類,医療保護の対象者は3類と,国民を分割する危険を生むようになります.
イギリスの場合,民間保険加入率は最上層の管理職で34%,肉体労働者は3%に過ぎません.イタリアやスペイン等でも似たようなものです.管理職と肉体労働者の民間保険加入率が格段な違いを見せることで,その差はますます広がります.
また病院利用に差別が生ずるようになれば,利潤の追求を目的とする我が国の病院は,診療点数が高い民間医療保険の患者をより好みするでしょう.公営医療保険患者は,病院から差別的医療を受ける事しか出来なくなります.これは実際,医療保護の患者に対する医療機関の待遇を見ても容易に予測可能です.大型病院は民間医療保険の患者を中心に病院を運営して,公営医療保険患者が大型病院を利用するときは,制限を受けることになります.
二番目,公営医療保険が深刻な水準にまで萎縮します.
高所得の階層は,もう民間医療保険に加入しているために,公営医療保険の水準と範囲が拡大される必要性がなくなります.
西欧ヨ―ロッパ諸国のほとんどは,医療保険の保障率が80%を越していて,全体の診療費の80%以上を医療保険が負担しています.大多数の西ヨ―ロッパの国家でも民間医療保険が運営されています.しかしこれは言葉そのまま'補充的'な意味で利用されています.
民間医療保険の大規模導入は,公営医療保険の拡大のための財源の拡充をせず,社会的負担に対してさらにけち臭い方法をとることに他なりません.結局,公営医療保険は'基本的で必須の'サ―ビスがない'最小限の'サ―ビスだけを担当することになります.公営医療保険の役割はさらに縮小せざるを得ません.民間医療保険を購買する事が出来ない低所得の階層と,所謂中問層が保障される医療サ―ビスは最小限まで圧縮されるでしょう
三番目,国民の医療費負担がもっと増加します.
規制改革委員会の発表は,低い費用で高価の医療のサ―ビスを利用したい,という国民の医療利用要求を支持しています.いっぽうでは,庶民の医療費負担の増加に対する対策の一環として,民間医療保険の導入に賛成しています.しかし実際はこれとは正反対の状況を生むことにならざるを得ません.
たとえば,4人家族が代表的な民間医療保険に加入すると仮定して見ましょう.パパはス―パ―マン健保,ママは女性健保,爺さんはシルバ―健保,子女は子女海上保険など.一つについての月額保険料は商品にによって異なるだろうが,平均3万ウォンづつ払っても,合わせて12万ウォンです.これでも民間医療保険が医療費の負担の増加に即した対策だといえるでしょうか.
四番目,実際に医療保険を必要とする人は排除される可能性があります
米国の事例を見れば,医療費用をたくさん使うと予想される人の加入を排除するために,医療機関を指定したり,供するサ―ビスの種類を調整したりすることが当たり前になっています.また保険の加入者が深刻な疾病にかかると,医療保険料を上げるなどして,保険の脱退を誘導するなどの事例が頻繁に起っています.
つまり,元気で医療サ―ビス利用に対応できる支払能力がある時は,医療保険に加入する事が出来るが,いざ病気になって,医療保険が最も必要になる時は,切り捨てられる可能性があるということです.
民間医療保険は営利追求を目的としているために,一般の企業と同じで,短期的収益性の側面から投資を決定します.したがって健康増進,予防活動など保険財政に直ちに見返りが期待できないものは,給付の対象とはなりません.そして高い管理費用ために,国民が保険料で負担する費用に見合った恩恵を受けられなくなります.
1999年,我が国の民間疾病保障保険の収支現況を見れば,保険料の20.6%余りが保険金として支給されました.公営医療保険の場合,77.4%が保険の適用に使われています.いっぽう米国の民間医療保険の管理運営費用は 10.4%で,我が国の公営医療保険の7%に比べて割高になっています.
労働者・民衆の医療保障の代案と要求
●医療保障の基本原理
第一,医療保障は一時的或いは永久的に健康を喪失した対象者に対して,いかなる費用の負担もなく,法で保障された基本的・社会的権利として保障されなければなりません.
二番目,このようなの医療保障の権利は,人種,国籍,宗教,年令,性別,職業によるいかなる差別もなく,すべての人に適用されなければなりません.
三番目,医療保障は,単に疾病治療にだけ局限されることなく,出産と疾病の予防,治療,リハビリまで手広く拡がらなければならず,サ―ビス利用市精液徒然(?)の医療体系が確立されなければなりません.
四番目,医療保障の費用は,国家或いは雇い主或いはその養子(?)が負担しなければならず,被雇者や被保険者から保険料を受けとるべきではありません.
五番目,給付は差別なく平等に支給されなければならず,特に公的保険と私的保険の間に差別があってはなりません.
●医療の公共性強化,経済的負担は社会が責任を負うべきである
医療保険は,本来,予測する事が出来ない健康上の危険から,経済的・医学的に民衆の健康を保護する社会保障の制度です.だから現在の医療保険危機を解決する過程も,医療保険制度の本質的特性を強化・発展させる方向で成功させなければなりません.
それは,'私的利潤追求'が保健医療の支配的論理となっている現状を克服することと,一体のものとして追求されなければなりません.
私的医療体系に対する公的医療体系の優越性は,すでに歴史的に立証された事実です.米国の国民医療費は全国民所得の15%に肉薄しています.反対にイギリスは約7%水準です.国民1人当り年間の医療費支出を見ても,米国がイギリスの3倍以上に多くなっています.しかし国民の健康水準を比較すれば,すべての項目でイギリスが米国を圧倒しています.
健康上の危険から民衆の健康を経済的に保護しようとする,社会保障本来の役目をはたそうとすれば,現在の個人に負わされた経済的負担を社会に転化させなければなりません.このために,医療保険財政に対する国家と資本家の負担を増大させる過程がまず必要です.これは民衆と労働者の税金と,労働の対価を正当に評価するだけでなく,社会的財源に対する民衆と労働者の所有率を高める過程です.
●労働者・民衆の医療保障の闘い,どのようにすべきか?
第一,政府と資本家による医療費の民衆への負担転嫁の動きを断固沮止しなければなりません.
政府と資本家は,日に日に増えて行く医療費の負担を,民衆個人個人にもっぱら負担させようとしています.言葉では,政府と個人の役目分担といいながら,実状は弱者は能力ない通りに我慢せよという話しです.つまり民衆の健康を国家,社会が一緒に責任を負う,という医療保険の制度の役目を,政府と資本が回避することに他なりません.そしてその負担を民衆の個々人に押しつけているのです.
二番目,国民の基本的権利として福祉をたたかいとらなければなりません.
金大中政府は,「中産層と庶民中心の社会」を建設すると言っています.そして,そのための国政の課題として,「生産的福祉」のスローガンを掲げています.彼らは表向きの政治の場では,国民の基礎的な生活保障制度の実施などを語りますが,実際には,その対象と基準に対する規制を強化し,必要な予算配定をしない等,口とは反対のことを行なっています.そして政府が直接責任を負わなければならないことを,やらないで済まそうとしています.
結局,「生産的福祉」のスローガンは,民衆を政府と資本の意図どおり動かすためのエサに過ぎず,また新自由主義的構造調整に対する国民の反感をすりぬけようとする,欺満的な見せかけにすぎません.
住居・医療・教育など人間が生きていくための権利は,当然の権利として享受されるべきです.しかし,これまで数千年の人間の歴史のなかで,人間の権利というものが天賦的であったためしはありません.労働者,民衆が自らの闘いを通じて,自らの血と犧牲の歴史の上に勝ち取った権利以外の権利はありません.
三番目,それは譲歩と妥協の対象とはなりえません.必ず実現しなければならない権利です.
政府と資本は,民衆がより良い医療のサ―ビスを受けるためには,その費用の負担は保険ではなく個人が持つしかないと言っています.財政支出を殖やせば,結局その負担は国民に帰っていくとも言っています.
経営の失敗で倒産した不良企業には,国民の血税を幾重にわたって注ぎながら,国民の健康のために国庫の負担50%を実行するという約束を反故にし,もっと進んで健康を商品化させて民間の資本に投じてやろうとしています.
いつまで,果てしなく増える医療費を,民衆のポケットから取り上げなければならないのか? これ以上,譲歩しても妥協しても,それだけでは,社会全体がともに健康に責任を負って,確かな保障を約束する医療保険は作る事が出来ません.
●労働者・民衆は何を要求しなければならないのか?
第一,医療保険料引き上げは断乎として拒否しなければなりません.
政府は,医療保険財政の危機を,主に加入者の保険料の引き上げによって解決しようとしています.医療保険の財政危機をもたらした最大の原因は,政府の国庫の負担50%約束が守られなかったことです.国民が元気な生を享受するために一銭の財政も出し惜しんだ政府は,もはや '国民の政府'である事は出来ません.
二番目,政府と事業主の負担を拡大しなければなりません.
医療保険財政赤字は,政府の国庫負担を50%以上とし,事業主は現在よりさらにその社会的責任を高めることで解決できます.
外国の場合,すべて税金で運営されるイギリスを除いて,ドイツは月収630マルク以下の労働者は保険料を出さなくてもよいことになっています.事業主は労働者より2倍の保険料を出しています.フランスも事業主が2倍以上の割合で負担しています.我が政府と資本家の論理は,福祉の後進国さを自ら認めることに他なりません.
三番目,医療費の本人負担金は廃止されるか,最小限にまで低めなければなりません.
現在,医療費の本人負担は平均50% 以上で,医療保険料まで含め,医療サ―ビスが極めて制限的だからです.保険適用を全面的に拡大して,国民の誰もが何らの負担なく医療サ―ビスを受ける事が出来るようにすべきです.
四番目, 民間医療保険の導入と拡大は絶対あってはなりません
民間医療保険の導入は,現行の公営医療保険が極めて脆弱な條件の中では,公営医療保険の萎縮を引き起こすことにしかなりません.「選択の自由」は「強いられた選択」に他なりません.
民間医療保険は公営医療保険を補う方向ではなく,それと置き換わることになります.'持てるもの'は潤沢で良質の保険給付を享受するようになりますが,数多くの民衆は,医療保険の恩恵からますます阻害される結果となるでしょう.
五番目,医療保護と医療保険との差別を無くさなければなりません.
医療保護は,経済的能力がない貧困層を対象とする一つの医療支援制度です.しかし,その対象はますます縮まって来ています.政府の財政支援が迅速に実施されない結果,大多数の医療機関は医療保護の患者を忌避しています.この中で,医療保護の患者は人間的差別を感じています.
ますます貧富の格差が拡がっています.貧困者予算の支援が縮まる事によって,ますます支援対象者数も縮んでいます.そして保険の適用が制限され,まともな医療サ―ビスは,ますます個人負担に頼るようになってます.
何よりも必要なのは,医療保険の保険適用を全面的に拡大して,本人負担金をおさえ,貧困層との差別性が消えていくことです.そうしなければ,医療保険制度によって生存の権利を享受する事は出来なくなってしまいます.
六番目,公共医療体系を拡大・強化しなければなりません.
韓国は世界に類を見ないほど民間医療機関の比重が高くなっています.医療の90%が民間に頼っています.しかし民間の医療機関は,本質的に利潤追求を目的とする事しか出来ないです.
このことによって労働者・民衆の負担が増えるは当然の道筋です.その上に極端になって行く貧富格差があります.病院に一度でもかかれば,ものすごい負担なのが今の時代です.もっと公共医療体系を強化して,皆が低廉で気楽に利用する医療機関が出来るようにすることが政府の役目です.
だが政府は,公営企業の民営化と構造調整の一環で,今でさえ何の熱意もない公共医療機関をさらに縮小したり,競争システムを導入して,収益性の基準どおり運営することを強制するという逆コース政策をとっています.このような誤った政策は撤回されなければなりません.むしろ公共医療体系を拡大強化していくことが,これからの課題とならなければなりません.
●どのように対応すべきか?
第一, 民主労総と産別労動粗合の組織労働者が先頭に立たなければなりません.
医療保障と民衆の健康権のたたかいは,一つの企業単位の,あるいは産別単位の問題ではなく,全労働者的・全民衆的問題です.だから,労働者の全国的団結と連帯が何より要求されるのです.
現在,下請企業労働者・日雇いの労働者・派遣職の労働者など不正規職,未組織の労働者は,医療保障の恩恵からもっと疏外されてます.
民主労総をはじめとする組職労働者が,率先して労働者の階級的団結を前進させることが求められています.医療保障の闘いは労働者の団結を強め,促進させる強力な媒介作用があるのです.
二番目,民衆の連帯闘争で政治的争点に高めなければなりません.
全労働者・全民衆的問題は,これを全国的・政治的次元の闘いに高めることを通じてしか勝利することはできません.
一つの事業場単位で「福祉手当のたたかい」を目指す水準にとどまった時,労働者・民衆の全面的医療保障闘いは部分化・矮小化され,少数の労働者の問題で終わる事しか出来ません.
たとえば'週休二日制' の闘いのように,全民衆の連帯の中に目標を据えて,政治的次元でもっと発展させるべきです
三番目,教育・医療・福祉・健康など社会的権利のためのたたかいを日常的闘争として活性化するべきです.
資本主義は,我々の生活領域に深々と侵透して,労働者のすべての時間を利潤のための時間に置き換えています.人間らしい生活を営むべきはずの時間が,明け暮れ利潤追求の奴隷としての生におとしめられています.
私逹がどのような生を選択するのか,個人の能力・趣味の問題とされてきた教育,住居,福祉,健康などの問題は,労働者一人一人が誰でも平等に享受しなければならない権利として,あらためて認識されなければなりません.そのとき初めて,労働者の人生と生活は,より潤沢で自由なものとなるでしょう.
おわり