医薬分業と医師の診療拒否

 

なぜ医薬分業が問題になったのか

 昨年韓国で最も騒がれた事件のひとつに,政府の医薬分業に関する提案と,これを拒否する医師会の「閉業闘争」(診療拒否)があります.医師たちは「診療権をまもる闘争だ」と訴えました.そして薬剤師の代替調剤や任意調剤の可能性を閉ざそうとしました.

 この闘争は,日本では非常に分かりにくいものですが,進歩勢力の間では「エリート主義と営利主義に染まった医師たちの独善だ」として,評判の悪いものでした.医師の中ですら,人医協,民医連,医療生協は明確に反対の立場をとりました.

 そもそも韓国における医薬分業は,市民団体の要求から出発したものでした.市民団体の主張は,「医薬分業によって国民の健康を保護し,医療の腐敗を根絶し,医者の乱診乱療を正常化すること」にありました.初めから,かなりケンカ腰の提案ではあったわけです.

 市民団体の言い分をもう少し聞いて見ましょう.

 医師と医療機関は,低い診療費をカバーするために必要以上の処方を行なっている.医薬分業が行なわれれば診療情報が公開されることになり,薬剤師は用法,用量,薬物の相互作用に対して点検を行なうことになる.それは,医師の処方間違いに対するチェックだけではなく,処方自体が愼重になるという財政效果を持つだろう.医薬分業が定着すれば,患者たちは「軽い疾患」は薬局ですませ,重い疾患のときに病院にかかるということになるだろう,というものです.

 市民団体の要請を受け,政府も医薬分業に乗り出しました.市民団体のいうとおりに動けば,医療費の大幅な節減が可能になるし,市民団体に進歩的な政府という評判を取ることもできるし,一石二鳥というわけです.

 しかし,医師会はこれに猛反発しました.医師会の主張は,処方は医師のみが行なうものであり,薬剤師による代替調剤,あるいは任意調剤はまったく認めることができないというものでした.日本の常識でいうと,この論争自体は医師会の側に分があるように思えますが…

 両者の対立の背景には,医師が極めて低い診療報酬をカバーするために,薬価差マージン,注射剤の過剰使用,ドック健診,美容整形などの収入に頼ってきたという構造があるようです.市民団体側によれば,医療機関では医療保険の不当請求,製薬会社からのバックマージンなどが日常茶飯事だということです.(私観ですが:帝王切開の比率が43%に達することを,儲け主義の根拠としてあげている論調がありました.確かに異常に高いことは認めますが,それは技術水準の問題だろうと思います.儲け主義の現われと断じる市民団体側の主張には,いささか疑問をおぼえます)

 政府も低診療報酬を糊塗するため,医療側のこういった不正には,事実上目をつぶってきたという事情があります.今回の医療側の診療拒否に対しても,結局政府は,無原則的な妥協を重ねることになりました.結局患者・国民が政府と医療側の妥協の被害をこうむることになりました.

 

医師の診療拒否闘争の経緯

 医師たちの反対は強硬なものでした.特に青年医師たちの戦闘的な姿勢は,市民団体も予想外だったようです.もちろん,低診療報酬による矛盾を患者さんにしわ寄せする,これまでの医療のあり方は大問題です.しかし診療報酬上の見返りなしに,安上がりの医療だけが優先されれば,医療供給体制が崩壊の危機にさらされることも確かです.代替調剤制度が,医療の質のさらなる低下をもたらすことも容易に予想されます.製薬独占の問題も等閑視されています.それ以上に,市民団体が政府と手を結んで,医療人と対抗するという構図は余りにも不幸です.

 医薬分業制度が政府により提案されたとき,真っ先に反対の声を上げたのは,以外にも既得権益にしがみつく古い医師層ではなく,大病院に働く若い医師たちでした.彼らが強硬な反対の声を上げる中で,医師層は急速に結束していきました.医師会による「スト権投票」は90%を超える圧倒的多数の支持を集めました.

 医薬分業を提案し,政府との合意を実現した市民団体は,医師会の強硬な姿勢の前に動揺し,情勢の主導権を失いました.医師会の「ストライキ」そのものは,国民の命を守る責任の放棄につながりかねず,必ずしも市民の支持を得たわけではありません.彼らはエリート意識を剥き出しにし,医薬分業を主張する市民を「雑輩」呼ばわりし,誹謗を加えました.しかし9割以上の医師がストを支持し結集したという事実は,有無を言わさないものがありました.

 日本でいうと,30年ほど前に武美太郎会長の率いる日本医師会が,厚生省を相手に大立ちまわりを演じましたが,あの頃の情況と似たようなところがありそうです.

 ある学者はこう書いています.「患者の急変が予想される状況でも,応急室まで留守にする彼らの自己中心主義も衝撃的だったが,それにもまして,彼らの戦闘性と団結力の前にはストの代名詞たる労動者も驚愕するほどだった

 今回の事件をきっかけに,医師のプロフェッショナリズムとは何か,医師の権利は首切り反対でストを決行した労働者たちの権利と同列に語ることができるのか,それは国民が健康に暮らしていくための生存権とどのような関連があるのか,などの問題が真剣に語られるようになりました.

 

根本に政府の無策

 政府は保健医療への国庫支援を惜しみ,医療を私的医療の市場メカニズムにゆだね,まったく放置してきました.地域医療保険財政の国庫支援は,わずか26%に過ぎません.国民にはお話にならない低質な給付,医療関係者にはまともな医療が不可能な診療報酬しか与えられませんでした.保険給付は医療費の5割しかなく,重病にかかれば医療保険証は紙切れに過ぎないというのが実体です.

 残された医療費用は民間保険か自由診療にゆだねられています.医療供給側にしてみれば,良くも悪しくも,患者さんの懐具合を見ながらの診療にならざるを得ません.

 こういう情況の下では,より良い収入を確保したい医療関係者と,もっと安い費用で良質なサ―ビスを受けたいと望む患者の間の潜在的葛藤は,ある意味で必然的なものでしょう.

 大型病院にはCTやMRIなど最先端の医療設備が導入されています.しかしそのような装備は,貧しいひとびとには絵に書いた餠に過ぎません.医療供給の9割は,民間の大型病院と開業医がになっています.大学病院さえ,このような競争に積極に参入しているのが実体です.私的資本によって運営される大型病院は,徹底的に市場の法則にしたがって行動しています.

 先ほどの学者は,民間大病院に鋭い批判の矢を向けています.

 「民間大病院こそは巨大な腐敗・不合理集団と言っても過言ではない.…我が国の高次医療機関は,第一線医療機関と無差別な競争をしている.それは結局,身近な開業医が沒落するような医療体系を作り出した.それは開業医の政府不信を生み,ついに今回の診療拒否にまで至った

 

国民から不信を買う医師層

 韓国で"医者は公認された泥棒"という歌が流行ったそうです.ある小説では開業医は次のように描かれています.

 「それはまるでホテルのボーイがロビーに入ってきた客の品定めをするのと同じだ.彼は客の身なりを見て,その等級にふさわしい部屋を瞬間的に決める.あるいは即座に躊躇なく拒絶する.そんなボーイとそっくりだ.…

  その医者は,新来の患者を初診するに先だって,まずその負担能力を見定めることから始める.美味しい患者ではないと感じたときは,どんな逃げ口上を持ち出そうかと考えている.それも直接自分がやるんではなくて,看護婦に引き出させるのだ.彼の御得意様は,日本の占領時代には日本人だったし,いまは権力層か,さもなければ財閥のお大尽というわけだ

 最初にも述べたように,医師の乱診・乱療を抑制するために医薬分業を導入するというのは,あまり正しい選択とは思えません.しかしそれは,余りにも根深い韓国民衆の意思不信の表現なのでしょう.どうして韓国の医師は,このように民心から離反した集団となったのでしょうか?

 歴史的に,韓国の医師は特権階級のために奉仕する医療を任務としていました.そのため自らにも特権階級の一員としての地位が与えられてきました.一方で多くの民衆は医師にかかることもなく死んでいくという情況がありました.

 80年代以後,医学部が大幅に増設されました.医師が増えることによって医療という市場の敷居が低くなり,資本主義的経営の参入が容易になりました.封建的な医師をそのままに,医療供給システムが市場の論理に委ねられるようになりました.その結果,韓国の医療供給体制は,前近代的な医療関係と露骨な営利主義が結合する最も醜悪なシステムとなってしまったのです.いわば日本の医療とアメリカの医療の悪いところだけをとってきて,つなぎ合わせたようなものです.

 それまで安定した医業を営んできた地方の医師や開業医は,一方では営利主義医療の洗礼を受け,医師増の中で分け前が減り,他方では新設された医療保険の給付内容の劣悪さに鬱屈感を抱いていました.それが医師の古い特権意識と結びついたとき,民衆敵視の方向に流れかねない危険を持っています.

 若い医師たちはどうでしょうか.

 大学を卒業した医師はソウル近くに集中するようになりました.地方で庶民をあいてに保険診療をしていてもとても食えないが,都会にはそれなりの需要があるからです.

 今日,韓国では専門医が8割を占めているといわれます.専門医志向は,自身の技術をお金に換算する考え方を強めると同時に,医者と患者の民主的関係や,医療の社会的意味付けを希薄にしています.これは医療の過剰な専門化であり,医療営利化の象徴と見ることができるでしょう.医学教育も一次医療よりは専門医養成に力を入れています.

 しかし,それには専門性を持たないとやっていけません.都市志向と専門医志向,第一線医療の忌避とは同じ根から生えているのです.医師数が増えたことが医療サービスの拡大につながるのではなく,よりいっそうの偏在をもたらしています.専門職の分野における需要供給関係は一筋縄ではいかないということが明らかになりました.

 

医療運動と医師運動の進む道

 軍事独裁政権の崩壊は,国家機構の民主化,政党の機能の回復,社会のさまざまな分野での民主化という実践的課題を残しました.戦闘的労働組合運動の登場と各種の市民団体の動きは,このような社会的・経済的課題に対する最も大胆な挑戦だったといえるでしょう.

 87年以降,政治の民主化と経済の資本主義化が同時に進行しました.当初は市民運動の権威が,弱体な国家の不完全さを補完する場面もありました.しかし利益集団の登場,資本と利潤追求の論理が社会に徐々に浸透し,市民運動の権威や立場を徐々に弱めてきました.

 今回の医者閉業は,市民団体の公共性,中立性の限界を象徴的にあらわした事件といえます.医師会は,専門家ではないという理由で,市民団体の声を無視しました.市民団体に一緒に属した医師は,仲間たちからパージを食らってしまいました.悩んだ末に結局,医師会についた医師は,市民団体から脱退することになりました.

 医薬分業案が提起した最も重要な問題は,医療の商品化を許さず,医療の公共性を確保するということでした.しかし医師会の閉業闘争により,重要な争点はぼやけてしまった観があります.医療の公共性を主張する声はかき消されてしまいました.

 疾病と貧乏は人間にとって最大の宿命であり,最悪の災難です.そして概して"貧乏と疾病は一緒にやってくる"のです.不平等の現象が,医療の領域のように赤裸裸と悽絶に現われる場合は,他に多くありません.

 医師が取り戻すべき真の権威は,利潤を最大の動機とする病院の論理とは,絶対に相容れないものです.いま医師には,病院の営利主義を抑え,医療の独立性を維持することが求められています.そうしてこそ,医師自身が真の権威と誇りを取り戻すことが出来るのです.