画期的な梅香里判決

 

 今年4月11日,「梅香里(メヒャンリ)裁判」が原告側の勝訴に終わりました.ソウル地裁は,国に1億3200万ウォンの賠償を命じる判決を下したのです.この判決は韓国の歴史上,画期的なものといわれています.原告団は「今回の判決は,裁判所が初めて在韓米軍の不法行為に対する損害賠償の責任を明確にした点で,大きな意義を持つ」と述べました.これを機に,国民の間で韓米行政協定(SOFA)の改正を求める声が高まることも予想されます.

 この裁判は梅香里という村の住民14人が起こした訴訟で,韓国に駐留する米軍の爆撃訓練による被害の補償を求めたものです.原告は,村の隣の射撃場で米軍の戦闘機が射撃訓練を繰り返すため,被害を被ったとして,国を相手に損害賠償を請求していました.

 判決は,「住民が今まで,工業地域と同水準の騒音にさらされ,身体的,精神的被害を被り,生活にも支障がもたらされるなど,米軍訓練の違法性が認められる」とし,「住民らが騒音被害対策を国と米軍側に求めてから20年以上も被害を減らすための措置を講じておらず,被告には損害賠償の責任がある」としています.

 また判決に先立って,裁判所の命令で梅香里一帯の騒音被害を調査した亜州(アジュ)大学の研究チームは,「梅香里一帯の騒音は,聴力の損失を誘発しうる水準だ」という鑑定結果を出しています.

 「メヒャン里米軍射撃場の閉鎖を求める住民対策委員会」のチョン・マンギュ委員長は,次のように述べています.

 現在,梅香里陸上爆撃場と,機銃射撃場での射撃は,しばらく中断している.しかし村から1.5q離れた海上では,いまも爆撃が続いている.誤爆に対する不安感と騷音による被害は,今も続いている.陸上・海上射撃場の完全な撤廃,住民被害補償と50万坪に及ぶ射撃場の住民への返還が実現するまでは,法的,物理的闘争を続けざるをえない.

 

梅香里射爆場の歴史

 韓国京畿道ファソン郡のメヒャン里は,いまや韓国における反米運動のメッカと言えるでしょう.朝鮮半島の西海岸に面したメヒャン里の一帯には,3200余名の住民が半農半漁の生活を営んでいます.

 アメリカ空軍は1955年,メヒャン里一帯の土地を軍用地として一方的に取り上げました.米軍は,海上と陸地をふくむ機銃射撃場を作り,クニー射撃場と名づけました.沖合いのノン島には爆撃訓練場を設置しました.村の中心部の農地29万坪と近隣の海上690万坪が演習基地となりました.

 米軍はクニー射撃場をアジアで最高の射撃場と呼んでいます.沖縄の米軍基地に所属する爆撃機や,太平洋艦隊所属の空母から発進する戦闘機も,メヒャン里まできて訓練場を行っています.

 クニーを最高の射爆場と呼ぶ理由は,陸地と海上の訓練を同時にできるだけではありません.その周辺(というよりも射撃場の一部)に200戸余り約700名の住民が生活していることから,操縦士たちに実戦さながらの緊張感を与えるというのです.米軍がメヒャン里に執着するもう一つの理由は,ここの地形が北朝鮮の寧辺や黄海道の一帯と類似しているためだといわれます.

 今日まで50年近く,月曜の午前から金曜の夜遅くまで,米軍は機銃射撃と爆弾投下などすさまじい訓練をくり返してきました.ノン島は昼夜わかたぬ爆撃によって,その面積が3000余坪から900余坪に縮小したほどです.

 その間,米軍機による誤爆や不発弾によって13名の住民が死亡し,22名が重傷を負っている.また,120デシベル(金浦空港が90デシベル)という耐え難い騒音によって難聴や不眠症,情緒不安による自殺者の増大といった被害が後を絶たない.

 その後,米軍戦闘機の機銃及び砲弾投下訓練などが続けられてきました.誤爆事故などで人命被害,家屋の損壊,騒音被害が続きましたが,これに対して米軍からも韓国政府からも一切の保障はありませんでした.射撃場はもともと,住民の所有する農地でした.今も農民たちは畑米軍の許可をもらい,土地の使用料を米軍に支払いながら,畑を耕し作物を栽培しています.もちろん,射撃訓練が行なわれている間は中に入れません.

 住民側は,これまで国との交渉を続け,賠償申請も提出しました.しかしこれを却下され,98年2月に民事訴訟に踏み切ったのです.

 

爆弾不法落下事件

 訴訟が係争中だった昨年5月8日の午前8時頃,メヒャン里が内外の注目を受けることになる重大事件が発生しました.演習中の米軍爆撃機がエンジンに故障を起こし,機体の重量を減らすために6発の500パウンド爆弾をノン島付近の海上に投下したのです.予定外の爆弾投下によりメヒャン里一帯の700余りの農家で,窓ガラスが割れ壁にヒビが入るなどの甚大な被害が発生しました.爆発音に驚いた住民が逃げようとして負傷したりしました.

 住民側は米軍に強硬に抗議しましたが,米軍はまったく誠意を見せず,「補償問題は韓国国防部を通じて行なうように」と,住民代表との面会すら拒絶しました.

 まもなく米韓両者による共同調査の結果が発表されましたが,内容がひどいものでした.「操縦士は規定に従い指定された訓練場に爆弾を投下した.米空軍機の爆弾投下による直接的な被害は存在しない」との結論です.

 6月2日,現地で「メヒャン里対策委員会」主催の抗議集会が開かれていました.このときチョン・マンギュ委員長は,突然射撃場内に突入し,立入り禁止の目印である赤旗を引き裂いたのです.彼は警備にあたっていた戦闘警察によって,その場で取り押さえられました.そして軍事保護法違反の容疑で即時拘束されました.

 連日の抗議行動にもかかわらず,メヒャン里での爆撃訓練は6月19日に再開されました.

 チョン委員長は法廷でこう陳述しています.

 「…この国の政府と司法部に真の主権と正義が存在するなら,はたして自国の土地を,自国民の生存権を犠牲にしてまで,外国軍隊の殺傷実験に提供するだろうか.

 生存権を死守せんと抵抗する者が,米軍の旗を一本引き裂いたからといって,被害者である住民の代表を拘束し,二重三重の苦痛を加えることがあっていいのだろうか.

 自国民の安全に責任をもつべき検察と司法部が,権力の侍女となり米軍の下僕となって,一介の無力な農民を捕らえるとは….我々は植民地の民なのか!

 

静かな最前線…梅香里

 梅香里はソウルから南へバスを乗り継いで約二時間,西海岸に面するのどかな村です.「韓国のディープ・サウス」と言えるでしょう.部落の真中に教会があり,そこからはなだらかな斜面が海岸に向かって下っていきます.さらにその先に,干潮時には一面の干潟となる遠浅な海…黄海が広がっています.あさりやカニがとり放題に採れるそうです.その沖合いに,牛が腹ばったような形の小さな島…ノン島が横たわっています.

 ちょうど種まきの時期で,赤っぽい土にクワが入り,農家の人たちが種を蒔いていました.唐辛子の種だと言っていました.農家の暮らしは,それほど豊かではなさそうです.レンガの家を建てるのが韓国人の習わしですが,それが所々剥げ落ちていたり,木戸が傾いたままになったりで,少なくともこの十年間は,あまり手入れしてない感じです.三軒に一台くらいはクルマがありますが,これも十年近く乗っている感じのヒュンダイでした.

 乗合バスというのに,運転のひどいといったらありません.突然の急ブレイキであやうく倒れそうになり,二三歩よろめいたところがメヒャンリの停留所でした.そこからちょっと坂を登ると一面の展望が開けます.メヒャンリです.右手には闘争事務所,左には「自由の神」が屹立しています.「自由の神」は砲弾と鉄条網,くず鉄で作り上げられたオブジェで,高さ約5メートル,立派な一物のある♂の神様です.

 バスの通りすぎた道路の向こう側には延々と鉄条網が張られています.もうそこからは米軍用地,クーニー射爆場です.兵隊が二里,こちらをにらみながらウォーキートーキーにどなっていました.「新手が来たぞ」と報告でもしたのでしょうか.今日は爆撃はお休み,鳥がさえずる音と,遠くで耕うん機のうなる声が聞こえるだけの静かな畑に,ウォーキートーキーを通じて流れる,だみ声の韓国語だけが響きます.

 「ここが,沖縄・ビエケスと並ぶ米軍と国際平和勢力の対決の最前線か!」

 それは,矢臼別の静けさと何かしら似通った,一種の不気味さを内にふくんだ静けさでした.