韓米行政協定(SOFA)について

 

「韓国では,アカ(共産主義者)であることが,最大の悪であるという教育を行ってきました.“恐ろしい北からわれわれを守ってくれる米軍”という考えを,徹底的に刷り込まれてきたのです.

 ですから,米軍基地に反対するということは即,アカのレッテルを貼られる.そのような状況で,人々の意識を変え,運動を進めねばならないところに,韓国における米軍基地反対運動の困難性があります.

 しかし,米軍による凶悪犯罪の続発や,米軍基地駐屯費の重圧,そして何よりも,南北の和解と統一に向けた取り組みの前進などが,人々の意識を変え,運動を前進させるでしょう」

イ・ジャンヒ(駐韓米軍犯罪根絶のための運動本部共同代表 韓国外大教授/国際法)  

 

はじめに 米韓行政協定の問題点

米韓行政協定の正式名称は次のようになっています.

大韓民国とアメリカ合衆国間の相互防衛条約第4条による施設と区域及び大韓民国での合衆国軍隊の地位に関する協定

1953年に締結された韓米相互防衛条約は,米軍が韓国に駐屯する法的な根拠になる条約であり,韓米行政協定は,韓米相互防衛条約を通して駐屯するようになった米軍の法的な地位を規定していることになります.すなわち,韓米相互防衛条約は韓米行政協定の母法ということになります.

 米韓行政協定には,数え切れないほど多くの問題があります.それを大まかに分けると次のようになるでしょう.

一 協定の基礎となる相互防衛条約の不平等性

二 米軍人の犯罪に対する司法権,基地被害への対応

三 米軍基地の使用権,費用負担

四 非核原則への抵触の危険

 なかでも圧倒的な比重を占めるのが二の問題です.

 この問題を中心に問題点をまとめていきます.

 

米兵犯罪の動向と刑事裁判権

 駐韓米軍による犯罪は,1945年9月8日の仁川に米軍が第一歩を踏み入れた瞬間から始まっています.韓国政府の公式統計によっても,米軍犯罪はざっと見積もって10万件を上回っています.これは年間平均2,200余件,一日あたり5件に達します.まことに驚くべき数値です.

 ところがもっと驚くのは,これらの米軍犯罪が,ほとんど処罰されていないということです.米軍犯罪の中で韓国が裁判権を行使したのは0.7%にすぎません.1992年度で総850件の米軍犯罪中,韓国政府によって裁判権が行使されたのはわずか10件です.

 しかもこれですら多すぎると米軍は主張しています.96年4月,駐韓米軍司令部は,『米軍犯罪に対する韓国政府の起訴率があまりにも高い』,『傷害が全治2−3週の軽い事件は除いて,特別に重要な事件だけ起訴権を行使してくれ』と要求しました.

 米軍犯罪は殺人,強盗,強姦,暴行,詐欺,窃盗,密輸,麻薬,放火など,あらゆる種類の犯罪を含んでいます.さらにこのような直接的な犯罪だけではなく,米軍基地の環境汚染,PX物資の横流しを通した巨大な闇市場の形成など,広範囲な形態で問題が広がっています.

 駐韓米軍は,韓国民を保護するために駐留していると考えています.だから態度は傲慢で,その根本に韓国人に対する蔑視があります.彼らが殺人,暴行事件を起こした場合,最も多い動機が「何の理由もなく」というものです.つまり米軍は何の理由もなく,些細ないさかいの果てに韓国民の命を奪うのです.

 駐韓米軍の主力,米第2師団の標語は「出生は偶然」(LivebyChance),「愛は選択」(LovebyChoice),「殺人は仕事」(KillbyProfession)というものです.自ら認めるとおり,彼らは本質的に職業的殺し屋集団です.また米軍の相当数が貧民街の出身です.彼らの多くは,本国で低質文化に浸って育ってきました.そして彼らは,貧困生活を抜け出し金を稼ぐためだけの目的で,韓国に来ています.

 米軍当局の態度が彼らの犯行をそそのかす一因となっていることも,指摘しておかなければなりません.駐韓米軍当局は,本国であれば当然,刑事裁判で処罰されるケースも,大部分は注意,譴責などの行政的懲戒で処理しています.

【事例1】三母娘,監禁暴行事件

 94年10月25日の夜,米軍人と国際結婚した娘の家を訪ねた金グンスンさん(68歳)が,娘にもらったもち米と牛肉を持って住宅正門を出た.このときグリム中尉ら米憲兵4名の誰何を受けた.彼女は「米軍物品故売商」とみなされ,暴行を受けて連行された.

 これに抗議した二人の娘も連行され,強制的に手錠を掛けられたまま,金グンスン氏と共に5時間の強制拘禁,調査を受けた.被害者達が自分達に暴行し,公務執行を妨害したという罪である.

 連行された金さんは,気絶してズボンに失禁した.娘が米憲兵に母を病院に運んでくれるように要請したが,米憲兵達はこれを黙殺した.三母娘に嫌疑がないことがはっきりすると5時間ぶりに韓国警察に引き渡した.

 翌日一家は龍山警察署に米軍4名に対する告訴状を提出した.この事件を担当した検事は,この事件を米軍の公務遂行を超えた犯罪と規定し,事件を調査するため米憲兵に対する召喚状を発布した.しかし米軍当局は「正当な公務遂行であり,暴行した事実はない」として出頭を拒否した.結局韓国政府は何の処罰もできなかった.

 米軍が公務遂行中に犯した事件や犯罪に対しては,韓国政府は刑事裁判権を持てず,裁判権は米国にわたる.米軍犯罪が発生した場合,米軍当局は公務だと主張するのがこれまでの通常である.したがって,重要なことは公務に対する合理的な判断基準だ.

しかし現実には,そのような基準は存在しない.明白な犯罪行為であるにも拘わらず,米軍当局が公務だと言い張れば,韓国政府は処罰できないようになっている.

【事例2】実刑宣告を受けた米軍属,米国に逃走

 米軍属ジェイムス・リー(34歳)は,94年4月に韓国人女性の友人であるヤン某氏(24歳)を,心変わりしたという理由で自分の車に強制的に乗せ,アパートに引っ張って行き,顔を殴って服を無理矢理脱がした後,刃物で刺して5pの傷を負わせた.

 懲役8ヶ月を宣告されたリーは,宣告直後,民間人旅券を利用してノースウェスト航空便で逃走した.リーは,宣告公判当日も米軍憲兵の護送を受けながら帰隊したという.

【事例3】8・15特赦で釈放された米軍属

 93年5月29日,米軍人ジョン・ロジャー・サロイ兵長は,ソウル市端草洞「レーベンホープ」の女主人金菊恵氏を強姦した.このとき全身をさんざん殴打された金さんは,2ヶ月余り脳死状態に陥った.

 被害者金氏は,パンティーとパンティーストッキングが脱がされた状態で発見された.諸状況から見て「強姦致傷」であることは明らかであった.しかし事件を担当した端草警察署は,膣分泌物に対する精液反応を検査せず,証拠を隠滅させた.被害者自身が強姦を受けたと陳述しても検察はこれを受け入れず,引き続き裁判を強行した.

 強姦に対する物議は,裁判過程でも大きな問題となった.一審は,「暴行罪を適用するが,性暴行の情状を勘案し懲役10年に処す」と判決した.これに対し二審裁判部は「強姦に対する心証は充分だが,物証がなく原審を破棄して暴行罪で懲役2年6ヶ月に処する」と判示した.

 ロジャー兵長は,95年1月収監されたが,同じ年の8月15日,金泳三政府の8・15特赦で釈放された.

 被害者は3,900万ウォンの倍賞を受けるにとどまった.しかし治療費だけで2,000万ウォンを超え,被害者は一生障害を持って暮らさなければならない状況だ.

 駐韓米軍犯罪根絶のための運動本部は,担当警察3名を職務放棄,公文書偽造などの嫌疑で告発したが,警察は刑事1名に対してのみ「虚疑公文書作成」などの嫌疑を認めた.それさえ「警察官としての功労が認められる」として不起訴処分にした.

【事例4】米軍が1審で無罪を受ければ検察は控訴ができない

 1967年2月20日の夜,コックス下士官とスモールウッド上等兵は,厳ギョンス嬢の家に火をつけて,放火及び暴力罪で裁判に回付された.コックスは裁判中にも部隊外を好きなように出入りし,目撃者達を訪ねながら『不利な陳述をすれば家族を皆殺しにする』と脅迫した.

 裁判で李建介検事は懲役3年を求刑したが,裁判所は無罪を宣告した.検察はこの判決に当然控訴すべきだったが,上の条項のために検察の権利を行使できなかった.結局,コックス下士官らは無罪を「確定」された.

【事例5】猟奇殺人は米軍犯罪

 米軍兵士ケネス・マイケル二等兵(当時20歳)は,尹今伊氏(当時26歳)の頭をコーラ瓶で乱打し,血を流して死んでいく女性の子宮にコーラ瓶を差し込み,肛門に傘の柄を差し込んだ.その上,証拠を無くすために全身に白い洗剤の粉をまき,最後の儀式なのか尹氏の口にマッチ棒をくわえさせた.

 この事件は,全国的に波紋を巻き起こした.連日,拘束捜査を要求する抗議デモが続いた.

 しかし犯人はついに拘束されず,最高裁判所の最終刑である懲役15年が確定された後,95年5月17日になって初めて身柄が韓国側に引き渡された.しかし,韓米行政協定第22条には,大韓民国の裁判所が宣告した拘禁刑に服役している場合でも,米国が要請すれば韓国政府は配慮をすることになっており,マイケル二等兵が米国に送還される可能性を全く排除することができない.

 尹氏の殺害時件を担当した捜査班長は,事件現場を初めて目撃した瞬間,「米軍犯罪」であることを直感した.米軍犯罪は,いつもそうであるように残酷で想像を超えたものだからである.

【事例6】タクシー強盗及び殺人未遂事件

 1993年12月16日零時15分頃,韓昌烈氏が運転するタクシーに,エドワード米軍部隊正門前で米軍2名が乗車した.ブリアンはタクシーの前座席に,リチャードは後部座席に座った.

 米兵達は英語で言葉をやりとりし,後部座席のリチャードが刃物で突き立て,前座席のブリアンがハンドルをつかんで車を止めた後,金を奪って逃げることで合意した.2qぐらい運行したところ,後部座席に座っていたリチャードがいきなり刃物で被害者の首を刺した.

 この瞬間,刃物で刺された被害者が,首に突き刺さった刃物をとって声をあげ,車を停止させた.米兵達はドアを開けて逃走した.

 一方,被害者は,通りがかりのタクシー運転手の助けで整形外科病院に護送され手術を受けた.刃物で刺された傷は幅4p,深さ9.5pであり,4番目の頸骨が折れ,脊椎部の神経が部分破裂していた.

 韓昌烈氏は,労働力喪失率70%の傷害診断を受け,一生を障害者の体で生きなければならない.国家賠償審議会に賠償申請をしたが,95年9月現在まで倍賞を受けられないでいる.

【事例7】命を掛けた篭城の果てに勝利した李ヨンジク氏

 94年10月17日明け方,李氏は仕事を終えて夫人と共に家に帰ろうとしていた.東豆川市ポサン洞の四辻の横断歩道にさしかかったところで,通りがかりの米兵5人が,夫人のお尻をさわるなど嫌がらせをはじめた.これに抗議したところ集団暴行を受け,脊椎をひどく痛めた.

 ところが李氏は,すぐに治療を受けることができなかった.経済的余力が無かったためである.賠償が決定するまで,治療費は被害者が自費で負担しなければならない.手術費を準備できなかった李氏は,6カ月も経ってから手術を受けた.そして彼に残ったのは,山のような借金と40%障害判定という働けなくなった体だけであった.

 李氏は94年11月,米軍当局に1億4千余万ウォンの賠償を申請した.1年後,米軍側は賠償金221万ウォンを支給する旨の通知を送ってきた.これでは治療費はおろか薬代にもならない.この金額は,韓国法務部の8,100万ウォンの賠償判定もはなから無視していた.賠償金の金額がどのように策定されたのか,何の根拠も説明も無かった.

 李氏はこの金を受け取ることを拒否した.すると米軍は,受領人が金を受け取ることを拒否したため,賠償金が米財務省に帰属されたという通知書を送ってきた.我慢できなかった李氏は,市内のど真ん中にテントを張って13日も篭城した.東豆川民主市民会の支援と,住民達の共感で事件は拡大し,米軍糾弾の世論が広がった.

 96年1月12日,米軍当局は韓国法務部の算定基準を考慮して賠償金を再び決定すると李氏に通報した.李ヨンジク氏は,テント籠城を解いた.

 現行韓米行政協定の民事請求権条項は,米軍側の思い通りに賠償額を定めることができることになっている.この条項が存在する限り,第2の李ヨンジクはいつでも生まれるだろう.

【事例8】

 98年2月19日夜、梨泰院の外国人専用クラブで、30代のホステスが殺害死体で発見された.彼女は,顔と首などに深い打撲傷を負い、血を流していた。まもなく,殺害犯人は米第8軍47機甲大隊所属のクリストファー・マッカーシーという白人男性であることがわかった。

 22歳の米軍殺人犯は,クラブで会った女性に変態的性行為を要求して拒絶された.怒った彼は,彼女の首を絞めて殴りつけ、結局は殺してしまった。

 ここに挙げた事例のほかにも,洗たく場で米軍に強かんされた後、銃殺された女性(57年、京畿道パジュ(坡州))、娘と母親が一緒に強かんされた事件(69年、忠清南道イエチョン(舒川))、チームスピリット演習に参加した米軍らに,妊娠中に輪かんされた後、疑問死した女性(86年、忠清北道チェチョン(提川))、米軍に首を切られて死んだ女性(96年、京畿道トンドゥチョン)、殺害された後、燃えたままで発見された女性(98年、京畿道ウィジョンブ) など上げたらきりがありません.

 

基地公害への対処

 米韓行政協定には環境条項は含まれていません.米軍基地の発生する各種の公害は,事実上垂れ流し状態です.アメリカは基地のなかに環境浄化設備を建設する義務を負わなくても良いことになっています.現に,河川に放流する廃油や有害物質によって深刻な環境被害が発生しているにもかかわらず,米軍は何らの規制も受けていません.

 昨年7月,ソウル・竜山の米軍基地から,大量のフォルマリンが大量に漢江へ放流されたことが暴露されました.これは死体防腐処理用のフォルマリンで,50リットル入りのビン480個分,約20トンに相当します.フォルマリンは30mlを服用しても即死するほどの劇薬です.漢江はソウル市民の上水道源です.

 環境運動団体の糾弾を受けた米軍側は,当初フォルマリン投棄の事実を否定していました.これは明確に犯意を持った行為であり,投棄したこと自体よりはるかに悪質です.そして内部告発者の陳述が公開されると,事実そのものは認めましたが,「フォルマリンは大量の河川水によって希釈されたから人体に影響はない」との詭弁に転じました.これも信じられないほど反省を欠く発言です.

 現在韓国には95カ所の米軍基地があります.軍事基地のもたらす環境破壊に対して,韓国政府は法的になすすべがありません.ヨンサン基地の事故の他にも,グンサン基地の廃液流出,オサン基地の油もれなどの事故が起きていますが,韓国政府には調査ができないのです.

 最近,非軍事目的の基地が韓国に返還され始めています.しかし,それは「汚染つき返還」といえます.それまでアメリカ軍が発生させた環境汚染などは,一切お咎めなしで,韓国側は補償を要求することができません.

 

韓国風「思いやり」

 アメリカは半世紀にわたって韓国に大量の軍隊を駐屯させてきました.そして韓国軍に対する軍事指導権を掌握してきました。いまも約3万7千人の常駐兵力で,94の軍事基地と関連施設(小規模キャンプ、爆撃・射撃場、貯蔵所、通信施設)を持っています.その総面積は8020万坪におよんでいます.これらの基地は事実上、韓国政府の主権が及ばないアメリカの占領地域です.韓米相互防衛条約と駐韓米軍地位協定が,この広大な地域を無償かつ無期限に占有することを保障しているのです.

 1998年度に韓国政府が駐韓米軍に提供した間接支援費は1兆8000億ウォンにのぼります.これには各種の免税措置や高速道路の料金免除などが含まれます.しかしその大部分は土地の賃貸料の肩代わりです.これだけで1兆5900億ウォンに達しています.韓国全土で1億坪近い広大な土地を,米軍は無償で基地や施設用地として使用しているのです.

 例えば,仁川市の中心部,富平という地域には16万坪規模の米軍基地があります.緑の豊かな基地の周辺を高層のアパート団地が取り囲んでいます.信じられないような話ですが,その部隊に勤務しているのは9名の米軍人のみです.わずか9名の米軍将兵が,16万坪の一等地を無料で使用しているのです.

 第二の「思いやり」は駐韓米軍の駐屯費です.今年,韓国政府はその43%(4億4.850万ドル)を負担するようになっています.政府の分担金比率は,91年には16.8%でしたから,10年間に何と3倍に増えた計算です.ところが米政府は,来年には米軍駐屯費分担比率を50%に増やすことを韓国政府に要求しています.

 米軍に対する直・間接支援比がGDPに占める比重を比べてみると,韓国は日本の5倍,ドイツの13.5倍に達します.しかも韓国の場合,米軍駐屯費負担は毎年平均30%以上増加しているが,ドイツは94年〜97年の間に57.3%減っています.日本は負担率を増加させているが,それでも年平均5.4%の増加にとどまっています.

 第三の「思いやり」は米国製兵器の購入です.99年度だけで,韓国は42億ドル分の米国武器を導入しました.ブッシュ新政府は「太陽政策」への不支持をちらつかせながら,10兆ウォンを超える米国産武器購入を強要しています.パウエル国務長官は機種や会社名まで指定して,新戦闘機の購入を迫っています.

 

韓米行政協定とは何か?

非常時立法の延長

 私たちにすれば,日米安保条約とこれに基づく日米地位協定でも屈辱感をおぼえるのですが,それに比べても,韓米行政協定の不公平さは目に余ります.その理由は,協定の出発点が朝鮮戦争さなかの非常時に結ばれた大田協定だというところにあります.

 1945年9月8日,アメリカの第24軍団が韓国駐屯を開始しました.その目的は,「日本軍の降伏を受け,その受け皿となる機構を設置する」ことでした.1948年5月の李承晩政権樹立をもって,米軍が駐屯する理由はなくなりました.しかし,李政権の基盤が極めて不安定であったことから,アメリカ政府は軍の全面撤収に応じようとしませんでした.そこに北朝鮮軍が怒涛の如く攻め込んできたのです.

 首都ソウルの市民を置き去りにしたまま南方に逃げた李承晩政権は,大田という町に臨時の首都を置き,そこで米軍との間に協定(正式名称:駐韓米国軍隊の刑事裁判権に関する大韓民国と米合衆国間の協定:1950,7,12)を結びました.アメリカは国連軍の名で介入し,最大規模で32万7千名の軍隊を朝鮮半島に投入しました.

 戦時という緊迫した状況で,米軍に一切の裁判権が付与されました.この時点で韓国は米国の属国となったのです.続いて1952年5月24日には,マイヤー協定(正式名称:経済調整に関する協定)が締結されました.この協定は韓国駐留米軍に対する韓国政府の経済的支援を義務付けたものです.これにより韓国は,米政府の,というより在韓米軍の支配の下におかれることとなったのです.

 アメリカは,北からの脅威に対応するためにも,「北進統一」を掲げる李承晩を抑止するためにも,作戦指揮権の掌握を求めていました.1954年,李承晩政権は,韓国軍の作戦指揮権を国連軍(米軍)に譲渡する「合意議事録」に調印しました.これはまさに売国行為そのものです.

 事実上の駐留米軍による軍政が長期化することで,国民の不満は高まりました.1950年代から60年代にかけて頻発した駐韓米軍将兵の蛮行は,国の政治を揺り動かすほどの国民的憤激を呼ぶようになりました.

 60年4月には腐敗と汚辱に満ちた李承晩独裁体制が打倒されました.しかし民主の息吹は,数ヶ月のち,朴正熙の軍事クーデターによっておさえこまれました.

 朴政権は進歩勢力の抵抗を暴力でねじ伏せるいっぽう,米国に深刻な政治・経済危機の打開を訴えることになります.ここに至り米国も交渉に応じるようになりました.1966年7月9日,韓米行政協定が締結されて1967年2月9日に発効しました.これが現在まで続く行政協定の原型となっています.

 しかし新行政協定は,あくまで,非常時体制の延長という範囲内での若干の手直しにしか過ぎませんでした.まがりなりにもサンフランシスコ条約で国際的な承認を獲得した日本における日米地位協定とは,根本的な成り立ちが異なっています.

行政協定の改定を求める動き

 1968年1月,北朝鮮軍の特殊部隊による大統領官邸襲撃事件が起きると,朴正煕大統領は北への報復攻撃を主張しました.彼は米軍に対して作戦指揮権の返還を要求しました.アメリカ政府は挑発的な対北軍事行動をおさえるため,韓国軍への統制力を維持する必要を痛感するようになります.

 70年代にニクソン・ドクトリンが発表されると,駐韓米軍は4万1千名に縮小されました.維持費の負担を減らし,これ以上ベトナム戦のような紛争に巻き込まれたくないという意思表示でした.その後もカーター政権の下でさらに3436名の駐韓米軍が撤収しています.

 しかし,レーガン政権の強硬な新冷戦政策の下で,駐韓米軍はソ連と中国を封じ込める有効な手段として見なおされました.これまでとは逆に,空軍を中心とする戦力の強化が図られました.

 1980年5月の光州民衆蜂起とこれに対する弾圧,虐殺は米軍に対する国民感情を大きく変えました.作戦指揮権を掌握しているアメリカが,軍部による鎮圧を承認しなければ全斗煥らの行動は不可能だったからです.

行政協定の第一次改正

 80年代後半に,韓国内の民主化運動が一気に盛り上がりました.これに伴い,米軍の各種犯罪行為が大きな社会問題として浮上するようになりました.韓米行政協定もまな板の上に上がるようになりました.そして91年1月4日,両国政府は協定の改訂に合意しました.

 この改正の焦点は,第22条の刑事管轄権を定めた第22条にありました.改正により,韓国側の刑事裁判権の自動放棄条項が削除されました.裁判の対象となる犯罪の範囲も拡大されました.しかし,これらの部分的な進展にもかかわらず,韓国側の権利行使を制限する条項に手を着けないことが致命的な弱点となりました.実質的には,既存の協定とほとんど変わらない不平等構造がそのまま温存されたのです.

 その後も米兵犯罪が続発したことは,事例1から事例9までに見たとおりです.行政協定の全面改正を要求する国民の声を無視できなくなった韓米両国は,95年末から再改訂の交渉を開始しました.交渉のほとんどは第22条関連のものでした.施設・基地の供与と管理などの問題は,ほとんど取り扱われなかったといってよいでしょう.

 韓国側は,米軍被疑者を起訴の時点で身柄引き渡しするよう求めました.また一審判決が不当と考えた場合の検察の上訴権なども求めました.アメリカ政府は,自国の刑事訴訟法と証拠法による法的な保護装置が保障されていない状況では,被疑者の引き渡しには同意できないという立場をかたくなに主張しました.

 交渉は難航しました.アメリカ政府は一貫して改正そのものに消極的な態度を続け,交渉を引き延ばしてきました.あげくのはてに,条約改正の見返りとして,とてつもない「防衛負担金」を要求されたあげく、米国側から一方的に交渉決裂を通告されました.

 国会はすでに両院会議を開き,「SOFAの全面改正を要求する国会決議案」を採択しています.市民団体・宗教界は『不平等なSOFAの改正を求める国民行動』という運動組織を結成し,毎週火曜日にソウルのアメリカ大使館前で集会とデモを開催しています.

 ついに98年の8月3日,高まる不満の声を前にして,アメリカ政府は交渉の叩き台となる素案を提示しました.

 この案は,日本での基準に準じ,容疑者の身柄引き渡しを起訴時点へと前倒ししています.しかしその代わり,法定刑量が3年以下の犯罪に関しては,韓国政府が裁判管轄権を放棄するように求めています.

 「懲役3年以下の犯罪」は,決して"軽犯罪"を意味しません.殺人・強盗傷害といった凶悪犯罪を除く殆どすべての犯罪が,この基準内に収まってしまいます.事実上,韓国政府に裁判権の放棄を求めていると見るのが正しいことになります.

 米国案にはもうひとつ重大な問題があります.米軍容疑者の身柄が韓国の司法機関に引き渡された後でも,「法的権利に重大な侵害があった場合は,駐韓米軍司令官がその身柄再引き渡しを要求することができ」るのです.そして「もし韓国側がそれに応じない場合は,SOFAが規定するいっさいの効力を停止させる」ことになります.これは韓国政府の人権感覚に対するあからさまな不信と侮蔑の条項です.

 もし米軍総司令官が,米国政府や司法システムに対しこのような言辞を吐けば,彼は直ちに危険人物として排斥されるでしょう.その前に精神鑑定が必要になるかもしれません.

 韓国の政治家が与野党を問わず,「韓国の主権と司法体系を全面的に否定した不平等の極み」,「こんな侮辱を受けてまでSOFAの交渉を続ける必要はない」といった怒りの声をあげているのも当然のことでしょう.

 民主団体の共闘組織「不平等なSOFA改正をもとめる国民行動」は「最低限の要求」として,次の項目を挙げています.

(1) 米軍犯罪に対する南朝鮮の捜査権、裁判権、刑執行権の完全保障

(2) 米軍被害に対する損害賠償上の請求権確立

(3) 米軍基地使用の契約締結と基地使用料の徴収

(4) 米軍部隊に勤務する南朝鮮労働者の労働権と人権の保障

(5)米軍の密輸と物資の不法流出防止対策と米軍の特権的地位の廃止

 そしてなににもまして求めているのは,「米国がわれわれを三等国民扱いしている」のを止めることです.

 「国民行動」の常任代表を務める文正鉉神父は,次のようにのべています.「このごろ私には,SOFAがさして重要ではなくなりました.なぜか.米軍が自分の国に帰れば,すべての問題が解決されるからです.だからこれからは,SOFA改正の国民行動ではなく,米軍撤収を求める国民行動に名前を変える必要があるのではないかと思います

 

在韓米軍の強化に動くブッシュ政権

 南北首脳会談を契機に、駐韓米軍の問題があらためて浮かび上がっています.アメリカ政府は「駐韓米軍問題を南北首脳会談で議題としてはならない」との圧力を韓国政府に加えました.そして首脳会談の直後には「朝鮮半島の軍事緊張が首脳会談で解消されたわけではない。米軍は引き続き韓国に駐屯する」とあらためて強調しました.

 アメリカが南北朝鮮の対立をあおっている理由は明白です.現在も,駐韓米軍司令官が韓国軍の戦時作戦指揮権を掌握しているからです.つまり韓国軍の統帥権は,韓国大統領ではなく米国大統領が掌握しているのです.それを可能にしているのは,いまも生きている1952年の休戦協定です.つまり朝鮮戦争が,形式的にはいまだ終結していないからです.そしてアメリカ軍は特権的地位を享受できる現在の状態を,将来にわたって継続したいからです.

 だから米国は、絶えず両国間の緊張を強めようとしています.米国は韓国を「死活的な利害地域」とみなし,米国自身が北朝鮮と軍事的に対決する構えを崩しません.それだけでなく,韓国の政府や軍を北との対決にあおりたて,韓国軍の軍事装備を現代化し,戦力を増強させ,それを総動員する軍事演習を繰り返しては,北を刺激しています.

 その象徴的な出来事となったのが,今年3月のトーマス・シューウォーツ韓米連合司令官の証言です.シューウォーツ将軍は,2002年会計年度の国防予算を審議している米上院軍事委員会に出席し,つぎのように証言しました.

 「一部では,朝鮮半島の情勢が変わりつつあり,すべてが順調に進んでいて,脅威が減少したと主張している.しかし軍司令官として,私はこれに同意できない.私たちの敵(北朝鮮)は,よりいっそう軍事的脅威を増大した.情勢は昨年よりさらに深刻で切迫しており,致命的になったと立証できる.今は,急激で劇的な変化がありうる不安定な時期である.このような時期においての危機は,誤った判断で始まる.アメリカ軍は,朝鮮半島で起こりうる危機に対し即応するための訓練を行い,臨戦態勢を完備しておかなければならない.少なくとも現時点で,在韓米軍を縮小することは誤りである

 これではまさしく戦争前夜です.米国内のさまざまな論調と比較しても,彼の好戦ぶりは突出しています.このような異常な扇情的発言は,南北和解と,それに連動した駐留米軍への反感の高まりに対する,一種の「あせり」の表現としてとらえるべきかもしれません.シューウォーツは,また以下のように述べて,韓国駐留米軍の増強を求めています.

 「朝鮮半島において,南北の軍事力の不均衡が目立つ部門は,大砲などの火力である.北朝鮮は放射砲を含めて,小国としては世界最大規模の火力を保有している.アメリカ側としても,「クルセーダー」を含む新鋭諸砲を充実させ,これによって南北の火力のバランスを維持すべきである

 シューウォーツ証言と呼応するかのように,韓国国防部も,以下の情報を明らかにしました.

 「(北朝鮮は)チョンマホ型戦車と小型潜水艦をさらに増産し,ミグ21を導入・配置した.さらにスカッド・ミサイルやノドン・ミサイル基地を増設するなど,持続的に戦力増加を進めている

 

韓国国内の動き

 こういった各界の動きに対し韓国国民はどう評価しているのでしょうか.『ハンギョレ新聞』の世論調査によると,「南北首脳会談により朝鮮半島で戦争が起きる可能性は低下した」との回答が9割,「米軍は南北関係の進展にあわせて段階的に撤収すべき」が2/3をしめています.「速やかに撤収すべき」という10%を含めると,米軍の撤収を求める国民は78%に達しています.「統一後も駐屯すべき」という声はわずか20.6%に過ぎませんでした.『東亜日報』が2万人以上を対象にして行った調査でも,「統一後も駐屯すべき」との意見は16.9%にとどまっています.

 これに対し,金大中大統領は米軍基地つき「統一」を考えているようです.金大統領は当選直後に以下のように述べています.

 「統一後に米軍が撤退すれば、東アジアに軍事的真空状態が発生する。駐韓米軍は必ず存在しなければならない

 さらに翌年の韓米首脳会談でも,おなじ考えを強調.米議会における演説でも次のように述べています.

 「北朝鮮に開放と改革をせまるためには、『太陽政策』による融和策が必要だ。そして東アジアに米軍が駐留することが地域の平和と安定に不可欠で、アメリカの利益にも合致する

 しかし先ほどのシューウォーツ司令官の証言を見ると,米国政府と駐留米軍が,金大中の思惑のように動くとは到底思えません.一見現実的な金大中の提案ですが,アメリカ側の考え方を根本的に変えさせない限り,人々を誤った方向に導く非現実的な空想でしかないでしょう.

 今年2月,地位協定の改正や米軍犯罪根絶などをもとめる政党、労働、市民、学生団体など24団体の代表が参加して,「駐屯米軍問題の解決のための諸団体連席会議」を開きました.

 会議は,各地域で個別に進めてきた反米運動組織を一本化し、全国民的な単一機構「駐韓米軍問題の解決のための汎国民連帯」(仮称)の結成に向けて協議を進めることで合意しました。そして単一機構の傘下に事案別委員会を設置し,事案別の運動を中心に進めながら徐々に全面的な反米闘争に発展させること,団体・機構間の日常的で有機的な連帯のもと,体系的で組織的な闘争を展開することを確認しました.

 日本と韓国を含む東アジアを平和な地域とするためには,米軍のプレゼンスを全面的に排除する以外にありません.結局はそれが一番現実的な解決となるのです.中国や北朝鮮も巻き込んで,東アジアの平和とパートナーシップの確立のために,共通の枠組み作りをしていくことが,何よりも大事な課題でしょう.