2006年4月

平沢反基地闘争

A.平沢基地の増強計画の経過

 ソウル都心にある龍山米軍基地の移転問題は、以前から問題となってきました。ソウルに行った人ならご存知でしょうが、 龍山はソウル駅から南に二つ目の駅、本当にソウルのど真ん中です。

 「日帝支配」の時代、このあたりは日本人が多く住む地域でした。死んだ私の祖父や父もこのあたりに住んでいて、父は龍 山中学の出身です。戦争後にこれらが接収され、米占領軍の基地となったのです。

 首都の都心にドデンと構える基地に対しては、さすがに市民の反感が強く、2004年9月には廃止が決まりました。しかし移 転地と費用をめぐって難航し、一時棚上げされたこともあります。

 結局折れたのは韓国政府側でした。昨年10月、返還交渉は、移転費用を韓国側が負担することで合意しました。米国は龍 山をはじめとするソウル市内の9ヶ所の基地118万坪を返還することになりました。これと交換に、韓国側は平沢地域に52万坪と施設を提供すること になりました。

 これだけでも結構屈辱的です。韓国政府は当初、交渉の結果を非公開としました。しかし民主労働党議員が秘密文書を暴 露したことから、事実が明らかになりました。市民団体などからの抗議が殺到します。要するに「米軍基地の移転には賛成するが、移転費用を全面 的に負担し、さらに平沢にあらたな土地まで提供するというのは、あまりにも屈辱的だ」というものです。

 また駐留米軍の受け入れ先に決まった平沢市でも、はげしい反対運動が巻き起こされています。平沢はソウルから南に車 で1時間30分、人口36万人の中規模都市です。韓国の西海岸近くに位置しており、朝鮮戦争の激戦地のひとつです。また黄海を隔てて中国に直接 面している戦略的な要衝地でもあります。

 つまり平沢米軍基地は北朝鮮だけではなく中国をも牽制できる要衝の地を占めていることになります。

 もともと平沢には大規模な米軍基地が存在していましたが、今回の再編計画では11平方キロに拡張され、休戦ライン近く の米陸軍第2師団など全国の100か所余りに分散した米軍基地を統廃合、さらに空軍と海軍も増強されることになっています。

B.米軍の「西海岸MDベルト」構想

 いま米国は、世界各地の駐屯軍の再編を行っています。米国防総省は2003年に作戦計画『CONPLAN.8022』を作成し、その実現に向け各国で 詰めの交渉を行っています。

 CONPLAN.8022の主な目的は、海外駐留米軍を削減する一方で、先端兵器で装備した機動旅団を創設することです。なかでも目玉とされてい るのが、ハイテク装備のもと「精密打撃能力」を備えた迅速機動旅団の創設です。これはストライカー旅団と呼ばれています。

 特に日韓両国では、大胆な米軍再編計画が実施されています。韓国本土の防衛機能は韓国軍に“自主的”に担当させ、駐韓米軍は整理する ことになります。その一方、機動旅団の配備により、駐日韓の米軍戦力は「世界各地で展開する作戦の前哨基地として」強化されることになります。

 そればかりではありません。駐韓米軍は3年間で110億ドルを投資し、中国と向き合う韓国西海岸の一帯に、パトリオット・ミサイルを中心とする ミサイル戦力を増強しようとしています。これが「西海岸MDベルト」構想と呼ばれるものです。

 「MD」はミサイル・デフェンス、つまり敵国から飛んでくるミサイルを水際で打ち落とそうという戦略計画です。これについては北海道AALAの 2001年総会での私の報告、「ブッシュとNMD構想」をご覧ください。

 この「西海岸MDベルト」構想に基づき、光州、群山、平沢、烏山など西海岸各地に64基のパトリオット・ミサイルが配置される予定になっていま す。04年11月には、その先駆けとして、光州に米第35防空砲旅団の450余名が新たに配備されました。また群山では空軍基地が増強され、最新鋭 のF-117ステルス戦闘爆撃機15機が配置されました。これは駐韓米軍が保有する55機のうちの1/4強にあたります。

 ご承知のとおり、平沢から程近い梅香里の戦闘機射撃練習場では、チョンマンギュさんたち住民が50年以上にわたって粘り強く闘い続けてき ました。その結果、米軍は射爆場の閉鎖を決定しました。しかし、その代替地として新たに群山近海の直島(ジクト)が選定されるという状況も生まれ ています。転んでもただでは起きません。

 

C.民衆の反基地闘争

 これらの動きに対し、現地の農民はすでに三年にわたる抵抗運動を続けています。また市民は「平沢米軍基地拡張阻止汎国民対策委員会」を 結成し基地反対と農民支援運動に立ち上がっています。その中心地域は平沢市郊外の農村地帯ペンソン邑テチュ里です。テチュ里の住民たちのう ち約半数は、強制収用を拒否し闘い続けています。その闘いの模様は、すでに現地を訪れた影山さんが会報で伝えているとおりです。

 昨年11月23日、中央土地収用委員会は米軍基地の拡張予定地に対する収用を裁決しました。韓国政府と国防部はこれに基づき、12月19日、 水原地裁に補償金を供託しました。裁判所はこれを受け、該当する農地を全て国防部所有地に登記移転することを認めました。

 その後、何回かの「行政代執行」が試みられましたが、住民と支援団体の壮絶な抵抗にあい、挫折を繰り返してきました。業を煮やした政府は 、ついに警官を大量動員して実力で接収する決意を固めました。

 3月6日、行政代執行令状の要請を受けた裁判所は、これを認めました。「戦闘警察隊」(日本でいうなら機動隊)が、25台のバスに分乗しテチ ュ里に押し寄せました。抵抗する農民と支援の学生たちは、テチュ小学校を拠点として徹底抗戦に入りました。

 合図とともに戦闘警察隊がいっせいに防衛隊に襲い掛かります。活動家たちは鎖で自身の体を校門に縛りつけるなどして抵抗しました。これが 日本のニュースでも流された映像です。衝突の末、結局小学校は接収されました。しかしこの事件を機に闘いはむしろ激しさを増しつつあり、国民の 注目も集まっています。