朝鮮戦後史年表 その2

朝鮮戦争 年表

1950年 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
1951年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
1951年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
1951年 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
 

軍隊の編成
軍隊の編成はおおむね三進法となっている.基本は師団(Division)である.師団は三つの連隊からなる.一個連隊(Regiment)は千名から3千名を数える.連隊は三つの大隊からなる.大隊(Battalion)は600から800名規模で,四つの歩兵中隊・対戦車中隊・本部中隊からなる.重迫撃砲と3日間の武器・弾薬・糧秣・輸送トラックを持つ.歩兵中隊(Company)は100から150名規模で,給食部門を持つ.中隊は三個小隊により編成される.小隊(Platoon)は30から40名の規模である.実戦時には10名程度の分隊(Squad)を編成することがある.砲兵部隊,工兵,通信部隊は連隊単位で配備される.補給,医療関係は師団単位での配属となる.
師団の規模は戦時完全編成時には1万9千人とされる.しかし米国の場合,急ごしらえのため規模が小さく,約1万人あまり.これに対し北朝鮮側は2万を越えていた.なお現在の米国の軍制では連隊はなく,9ないし10個大隊7千名が,師団の下に直接置かれている.歩兵大隊と戦車大隊の構成比率に応じ,歩兵師団あるいは装甲師団と呼ばれる.実戦では数個大隊により旅団(Brigade)が編成されることがあり,朝鮮戦争当時の連隊に相当する.

50年6月25日 開戦

朝鮮時間

4:00am 北朝鮮軍,雨の中,38度線全域でいっせいに砲撃を開始.

4:30am 西海岸の甕津半島から東海岸の注文津まで,38度線全域11ヶ所にわたり,北朝鮮の侵攻開始.戦車250台を先頭に,北朝鮮の5個師団13.5万人が攻撃に加わる.主要方面は開城(第六師団と第一師団)、議政府(第三師団と第四師団)、春川(第二師団と第七師団)。東海岸では第五師団が南下。これに対し韓国軍は9.8万人で装備も貧弱だった.

5:25am 平壤放送が第一報.北朝鮮政府が「アメリカ帝国主義者たちの扇動によって南朝鮮カイライ軍が38度線全域で北進を開始した.英雄的朝鮮人民軍は,敵の攻撃に反撃を加えつつある」と放送.(今日では南朝鮮攻撃の情報は北側が流したデマであることが確定している)

6:30am 韓国陸軍本部,北朝鮮の砲撃開始から2.5時間後に,南朝鮮全域に非常呼集を発令.

7:00am 韓国放送(KBS)、北朝鮮が大規模攻撃を開始した、との第一報を放送。

9:00am 方虎山将軍の率いる北朝鮮第6師団(旧中国人民解放軍第166師団)が開城を攻撃.前線は開城南方に進出.偵察部隊は臨津河を渡河.

10:00am 李承晩韓国大統領,北朝鮮軍侵入の報告を受ける.

10:00am 議政府の第七師団に蔡参謀総長が出動。57ミリ対戦車砲などがT34戦車に無効との報告を受ける。

11:00am 北朝鮮,公式に開戦宣言.平壤放送は「軍事行動は韓国側の挑発に対抗する措置」であることを強調.南ではこの宣言は報道されず.

12:00am 三機の北朝鮮ヤク型(ソ連製)戦闘機がソウルに飛来.

01:00pm 北朝鮮軍,開戦後4時間で開城を制圧.西海岸部の韓国軍第一師団第12連隊は兵力の半ばを失いソウルに向け敗走.甕津半島の第17連隊は海岸部に圧迫され孤立。

01:00pm ソウル・スタジアムで開かれていた全国大学サッカー選手権大会決勝が、試合途中で中止される。(そもそも試合を開始したこと自体が不思議)

02:00pm 李承晩、臨時閣議を招集。蔡参謀総長は攻撃が全面的であることを認めつつ、政治犯の解放を強制する北側の戦術ではないかと報告。

03:00pm 京郷新聞が開戦を知らせる号外を配布。北朝鮮の攻撃を報せつつ、「国軍精鋭部隊が総反撃を開始し、北朝鮮軍を撃退しさらに追撃中」とする。

03:00pm ムチオ大使、英語放送局「WVTP」を通じ、「憂慮すべき理由は何もない」と発表。

03:00pm 北朝鮮機が金浦飛行場を銃爆撃.燃料棟2棟に火災発生.

06:30pm 国務総理代理兼国防相の申性模,戦況について発表.「開城市は包囲されているが,韓国軍は依然,市の半分を確保し交戦中である.1万名編成の師団が,戦車90台の支援下に京城北方45キロの抱川を攻撃している.アメリカ政府に対し,韓国へ戦車,飛行機,大口径砲,船舶等を至急援助するよう要請した」

07:00pm 朝鮮人民共和国務省,第一回目の戦況発表.「南鮮軍が38度線全線にわたって奇襲攻撃.北朝鮮治安部隊および警備隊がこれを撃退し,さらに反攻に出ている.現在5キロないし10キロを前進して,なお戦闘継続中である」

07:00pm KBSは韓国軍優位との虚偽の戦況報告を流し始める。

08:00pm 韓国陸軍本部、朝日新聞の質問に答え、「明朝までには完全にやっつけてしまう。北へ進めという命令がないのが不満である」と述べる。

09:00pm 米軍事顧問団、「北朝鮮軍の進出は、午後までに実質的に食い止められた」と発表。

09:00pm ムチオ大使と李承晩が会見。李承晩は大田移動を提起するが、ムチオの説得で翻意したという。

夜 国連朝鮮委員会,ソウル放送を通じて即時停戦を呼びかける声明を発表.

北朝鮮の中部戦線部隊が,春川市の北方3.2キロに達し,韓国軍最強の第6師団と激闘を展開する.東部海岸では釜山北方65キロの九竜浦,蔚珍,江陵,三陟、玉渓、臨院津などに上陸.臨川の上陸部隊は小口径砲を揚陸した.浦項では上陸した北朝鮮部隊と韓国軍が戦闘態勢に入る.

米国時間  (それぞれの文献で記載された時刻どおりに並べたが,日本時間=朝鮮時間と米国東部時間は14時間のずれがあることに注意)

24日9:30pm ワシントンに,北朝鮮攻撃開始の第一報.ムチオ大使は「攻撃の性質および方法から見て、これは全面攻撃と見られる」と報告。

24日深夜 米国務省,トリグベ・リー国連事務総長と連絡。北朝鮮軍の韓国侵入に抗議するため,直ちに安全保障理事会を開くよう要請.ソウル駐留中の国連朝鮮委員会も緊急安保理の招集を要請.(朝鮮現地時間では25日午後)

25日午前 米政府、北朝鮮に対し即時戦闘中止と38度線以北への撤退を要求する決議案を提出.

02:00pm 週末休暇中のトルーマン大統領,ミズーリ州の自宅からワシントンに戻る.緊急閣議では,①防衛計画の中に台湾を含ませる,但し台湾への援助は蒋介石には与えない.②インドの主張する中立政策を非難することに力を注ぐこと,を確認.ジョンソン国防長官は「陸海空軍はすでに出動待機の姿勢にある」と述べる.

03:00pm 緊急国連安保理が開会.リー国連事務総長は「国連朝鮮委員会の報告によれば,今回の事件が北朝鮮の侵略行動であることは疑う余地がない」と説明.

06:00pm 北朝鮮に対し「平和の破壊および侵略行為」の即時中止と,38度線以北への撤退を要求する米決議案が可決される.北朝鮮の主張を聞くべきだとのユーゴ決議案は1対6(エジプト,ノルウェー,インド棄権)で否決される.当時ソ連は,台湾が中国を代表するのに抗議し,安保理をボイコットしていたため欠席.

07:00pm トルーマン,ワシントンに到着。閣議決定を受け極東海空軍に対し出動命令.朝鮮半島における軍事行動の指揮権をマッカーサーに与える。

50年6月26日

朝鮮時間

朝鮮最高人民会議常任委員会,金日成首相を委員長とする軍事委員会を創設.

03:00am 蔡参謀総長、議政府の第7師団にソウル死守を指令。

未明 韓国第7師団、東豆川の奪還に成功。さらに抱川に進出を図るが北朝鮮戦車隊に撃破される。

08:00am 金日成,開戦を告げる演説.「李承晩の軍による全面的な侵攻によって,祖国に大きな危機が迫っている」とし,全国民に総動員・総決起を訴える.しかしその後続けて「朝鮮人民は、南半部の倍国的な傀儡政権を叩き潰して、真の人民政権としての人民委員会を南半部に復活させ、朝鮮民主主義人民共和国の下に、祖国統一の大業を成し遂げなければならない」と述べ、韓国の武力統合の方針を鮮明に打ち出す。

朝 北朝鮮第一師団、臨津江の鉄道橋を確保。韓国軍第一師団は臨津江南岸の汶山で抵抗を続ける。

AM 北朝鮮軍第三師団,議政府(Uijongbu)を占領.韓国政府は,ソウル南方の水原への遷都を決定.李承晩大統領はただちに避難.

AM 米政府・軍事関係者の家族が仁川港から避難。

PM 北朝鮮軍,甕津半島を完全制圧.韓国第一師団第17連隊は上陸用船舶により撤退.

PM 北朝鮮第三師団、ソウル郊外の倉洞に迫る。韓国軍第二および第7師団は全滅.避難民の群れが大挙ソウルに押し寄せる。

PM 東京の米軍総司令部,F51戦闘機10機を韓国政府に引渡す.日本を発進した米軍機が韓国上空へ進出する.

夜 北朝鮮機が,ソウルへの小規模な爆撃を開始.

6.26 マッカーサー,「日本共産党機関紙アカハタが朝鮮問題について事実を歪曲した」との理由により,吉田首相に対し最小限30日間の発行停止を命じる.

米国時間

AM トルーマン,国務省・国防省首脳を集め会談.マッカーサーに対し,①ソウル防衛のため武器・弾薬を送ること,②米国市民の避難のため航空機・艦船を急派すること,③査察団をただちに送り,韓国政府・軍に対する支援策を策定すること,を求める.

10:00pm トルーマン,この日二回目の命令.38度線以南の北朝鮮軍に対し,航空機・艦船による攻撃を開始するよう指示.マッカーサーは「緊急命令」(alert order)を発し,極東地域の全戦闘部隊に,韓国への出動に備えるよう指示.第七艦隊第77機動部隊が海岸線の封鎖のため出動.この時点では地上兵力の派遣は見送られる。

50年6月27日

朝鮮時間

02:00am 申国防部長官が韓国軍首脳会議を召集。韓国軍は実質的に崩壊し、米軍の直接援助がない限り事態は絶望的と判断。政府ト軍司令部のソウル脱出で合意。引き続き国務会議、非常議会を開催し、水原への撤退を決定。

03:00am 李承晩が大統領官邸から脱出。釜山に向かう。

06:00am KBS放送、首都の水原移転を発表。たちまち市内に避難民があふれる。

朝 韓国国防軍当局,議政府を奪回したことを確認(実際には誤認であった).韓国政府は韓国軍が北鮮軍の進撃を食止めたとして,水原への首都移転を中止.しかしその後,参謀本部は,「情勢は再び甚だ困難となっている.圧倒的に優勢な北朝鮮軍は議政府を無抵抗で占領.さらに京城に迫っている」と発表.

09:30am 北朝鮮軍第三師団が,倉洞を突破。ソウル市内へ迫る。韓国軍第五師団は弥阿里に最後の抵抗線を敷く。汶山の韓国軍第一師団、春川の第6師団は抵抗を続ける。水道,電気は供給を停止し,政府・公共オフィスはすべて閉鎖.

AM 駐韓米大使ムッツィオとジョン・チャーチ准将ら,ソウルを離れ水原に向かう.韓国軍,「米軍事顧問団(KMAG)所属の米将校全員が水原に異動した」と発表.

11:00am 蔡参謀長、首都圏部隊長会議を開催。ソウル撤退と漢江橋の爆破を決定。午後2時過ぎに撤収を完了。米陸軍公式戦史は,韓国陸軍参謀本部が,米軍事顧問団に連絡しないままソウルを離れ,永登浦の南約8キロの始興(シフン)に向かったと非難している.

3:00pm マッカーサー、米軍事顧問団の団長代理ウィリアム・ライト大佐に対し、「これまでの位置に復帰せよ」と指令。ライトは始興の陸軍本部を訪れ,ソウルに戻るよう説得.説得を受けた蔡参謀総長はふたたびソウル入り。

4:00pm KBS放送、米陸海軍の出動とマッカーサー司令部前線指揮所設置のニュースを報道。これを受け、漢江橋の爆破はいったん中止される。

7:00pm 日本を出発した極東軍総司令部の視察団(fact finding group)が水原に到着する.団長のジョン・チャーチ准将は現地に臨時作戦本部を設営.

PM 米軍のF82戦闘機と,北朝鮮のヤク戦闘機が初の空中戦.ヤク3機が撃墜される.

03:40pm 駐日韓国代表首席の金公使,「ソウルと電話連絡したが,首都はまだ占領されていない」と発表.

5:00pm 李承晩、列車で釜山に向かう途中、大邱で思いを変えふたたび北上。大田に到着。

5:20pm 韓国軍,米軍総司令部の前線指揮所が設置され,米空軍が直接戦闘に参加することになったと発表.

10:00pm 李承晩の演説がラジオ放送される。「国連は我々を支持し、米国は敵の侵略を撃退するため行動を開始した」ことを強調。

6.27 国家公安委員会の辻委員長,「現在までの状況では,国内の治安状態に異常は認められないので,非常宣言などは考えていない」と語る.

6.27 中国で初めて朝鮮戦争勃発が報道される。

米国時間

正午 トルーマン大統領,海軍・空軍に韓国軍援助のため出撃するよう命令.在日司令部のマッカーサーに対し,駐留軍一個大隊の釜山派遣を指令.米海軍が韓国水域に進出する.同時に台湾海域への第七艦隊の出動,フィリピンの米軍増強,インドシナのフランス軍への軍事援助を指令.

午後3時 安保理,停戦命令を北朝鮮が黙殺しているとし,9対0で北朝鮮を「平和の破壊者」と断定.国連加盟国に対し,北朝鮮の武力攻撃を撃退すること,韓国への緊急軍事援助を開始することを勧告する米決議案を採択.

15の参戦国  オーストラリア,ニュージーランド,英国,フランス,カナダ,南アフリカ,トルコ,タイ,ギリシャ,オランダ,エチオピア,コロンビア,フィリピン,ベルギー,リュクサンブール.ほかに三つのスカンジナビアの国は医療スタッフを派遣した.

6.27 夜 国連安保理事会,アメリカの韓国武力支援に関する決定を支持する決議案を7対1で採択.ソ連は安保理事会の会議をボイコット.「朝鮮における武力攻撃を撃退し,国際的な平和と安全保障を回復するに必要な援助を,大韓民国に提供することを,国連加盟国に対して勧告する」

6.27 深夜 第7艦隊の指揮を含む全作戦の責任がマッカーサー元帥に与えられる.

6.27 米政府,朝鮮問題にかんする覚書をソ連政府に送り,ソ連側の真意をただす.

50年6月28日 北朝鮮軍のソウル占領

1:00am 北朝鮮第三師団の戦車10台がソウル市内に侵入。弥阿里の防衛線は崩壊。戦車隊は東大門付近まで進出。

2:15am 韓国軍,漢江人道橋と鉄道橋を爆破した上でソウル撤退.市民のほとんどが取り残される.爆発時,橋の上にいた市民・将兵など500ないし800人が犠牲となる.さらにソウル北方で戦闘中の三個師団,韓国軍本部と米軍事顧問団も取り残される.(児島によればライト少佐ら米軍事顧問団は爆破直前に渡河したとされる)

4:00am 水原のチャーチ准将、蔡参謀総長と会談。「38度線を回復するためには、地上軍の投入以外にない」との判断をマッカーサーに送る。

5:00am 北朝鮮軍、ソウル総攻撃を開始。李英鎬少将の率いる北朝鮮第3、第4師団が,ソウル市内中心部に突入.

05:05am 極東空軍司令部のストラトメイヤー司令官,F-80戦闘機,B26爆撃機がロケット弾および500ポンド爆弾を積載して,韓国戦線に参加していると発表.

11:30am 金日成によりソウル解放が公式に宣言される。北朝鮮政府,李承焼司法相を京城市人民委員会委員長に任命.ソウル市内の政府諸官庁,アメリカ大使館,放送局および新聞社を接収.

PM 米軍事顧問団,漢江フェリーを利用して脱出に成功.夕方には水原の臨時本部に到達.チャーチ准将と意見交換.

6.28 午後 北鮮軍,水原16キロ以内に迫る.韓国軍は兵力の半ばを失い,さらに南方に移動.春川の第6師団も南方に向け撤退を開始.師団つきの米軍事顧問トマス・マクフェイル中佐は大邱に飛び,韓国軍の再編成に当たる.

夜遅く 散発的な市街戦の末,北朝鮮軍がソウル全市を制圧.朴憲泳は「首都の解放は,戦争の勝敗を事実上決定するもの」と評価.「南半部の全体の解放は時間の問題に過ぎない」と豪語する.

6.28 UPによれば,国連代表筋はソ連が国連から脱退するかも知れないとの懸念を表明.

6.28 中国政府,トルーマンと米軍の台湾に対する行動は,朝鮮戦争を口実とした中国領土に対する「侵略」であると抗議.「中国政府は,中国人民が侵略に対する戦いに参加するため,朝鮮へ出発するのを引き止める理由を見出せない」と述べる.

50年6月29日

朝鮮時間

AM 第507対空砲部隊から派遣された「X分遣隊」が,水原に到着.空襲に備える.

AM 北朝鮮軍,金浦飛行場・漢江南岸への攻撃を開始.

10:30am マッカーサー元帥が東京から飛行機で水原を視察.朝鮮へ赴く機上で幕僚会談.マ元帥はストラトメイヤーに対し,38度線以北の北朝鮮基地攻撃を命令.

AM マッカーサー,李承晩と会見。蔡参謀総長の事情説明を受けたあと、漢江南方永登浦の前線を視察.防衛線は維持困難と判断.「南朝鮮軍は混乱に陥って戦意喪失し,いまや統率力も欠いている.彼らが主導権をとることは不可能である」とし,統合参謀本部に地上軍派遣を勧告.また李承晩に蔡参謀総長の解任を勧告。

PM 米艦ジュノー,韓国東海岸の三陟,江陵地区で艦砲射撃開始.

5:30pm 米空軍,北朝鮮領域への爆撃を開始.平壤を米軍爆撃機27機が爆撃.50キロないし500キロの爆弾300個を投下.

6.29 韓国政府,水原から大田へ移る.

米国時間

AM ソ連政府,米政府覚書にたいし回答.「朝鮮の事態は国境地区での南朝鮮軍の攻撃によって誘発された.事件の責任は南朝鮮当局ならびにその背後の者にある.ソ連は伝統的に他国の内政問題に不介入主義をとっている.ソ連政府は現在もなお,朝鮮内政問題に外国の介入が許されるべきでないとの主義に立っている」

PM ホワイトハウスで緊急会議.トルーマンのほかジョンソン国防長官,アチソン国務長官,ダレス国務長官顧問,ブラドレー統合参謀本部議長,三軍幹部も参加.必要とあれば朝鮮に陸軍を送るとしつつも,ソ連の対米回答が軍事干渉を匂わせていないことから,慎重論が大勢を占める.

50年6月30日

朝鮮時間

7:30am スタッフの撤退後,学生が自主運営していたソウル放送,最後の放送が絶える.

AM 北朝鮮軍,漢江南岸への渡河作戦を開始.第三師団の一部が西氷庫付近に橋頭堡を設営。

9:00am 韓国陸軍,蔡秉徳参謀総長を更迭.これにかわり丁一権准将が三軍総司令官兼参謀総長に就任.

7:00pm チャーチ将軍,極東軍本部との電話連絡のため水原南方17キロの烏山に移動.明日の歩兵師団到着まで水原空港の確保は可能と連絡.しかしこの間に水原の軍事顧問委員会は恐慌に陥り,通信設備を破壊して水原空港に移動.ここに防衛線を張る.

10:00pm 水原空港に移動した軍事顧問委員会,さらに水原空港を放棄し大田への撤退を指示.

11:30pm 水原に戻ったチャーチ准将は水原死守を命じるが,通信設備が破壊され,指揮系統が回復不能となったことから大田への撤退を指示.

6.30 北朝鮮の最高人民会議常任委員会,「共和国英雄」の称号に関する政令発表.533名に英雄称号が与えられる.

6.30 アーモンドGHQ参謀長,「米空軍は朝鮮半島のどこであろうと,これを攻撃する行動をとっている」と発言.北朝鮮への爆撃を認める.

米国時間

5:00am トルーマン,マッカーサーの度重なる要請に応え地上軍投入を決定.オーストラリア政府も部隊の出動を命令.

午前 第一回目の参謀本部命令.釜山防衛のため1個連隊の出動が承認される.(スミス機動部隊)

PM 第二回目の参謀本部命令.二個師団の派遣が承認され,水原防衛も含め,北朝鮮軍との交戦が認められる.在日第八軍司令部は,第二四師団の第二七連隊に韓国進出を命令.

 

50年7月

7月1日

3:00am 李承晩、ムチオ大使の勧告を受け太田を離れる。木甫から海上経由で釜山に避難。

9:00am 第二四師団(小倉)所属の第21歩兵連隊(熊本)が板付基地を飛び立ち韓国に向かう.当初は水原着陸予定であったが,直前に釜山に変更.現地ではスミス機動部隊と称される.

スミス機動部隊(Task Force Smith)  指揮官はJ.B.スミス中佐.実体は正規の連隊編成ではなく,変則的な大隊規模.21連隊第一大隊の歩兵二個中隊を中核とする500名の部隊.戦車はなし.対戦車砲はT34の装甲を破壊できず. 

3:00pm 大田の軍事顧問委員会本部が設営完了.

8:00pm スミス隊は釜山に到着したあと鉄道で大田に向かう.

7.01 北朝鮮軍,仁川を制圧.

7.01 米国内にアチソン国務長官の路線に対する批判が強まる.

反対派の主張(AFPが有力筋情報として報じたもの)
①政治的,経済的に弱体な諸国を共産主義に対する障壁とするためには,軍需品や原料を送るだけでは不十分である.まして組織された民主主義諸国の陣営に立たせることは出来ない. ②対日講和条約の全問題を再考慮.場合によっては占領統治の延長.台湾の戦略的地位は重要性を増している.今後長時間にわたって「未解決」のまま残す.比島とインドシナに対する軍需品の供給を促進. ③中国政策も再考慮.中国の国連加盟に必要な多数が得られても,米国は拒否権を発動.北大西洋同盟諸国に対する軍事援助もさらに強化される.

7月2日

8:00am 第24師団スミス機動部隊が大田に到着.チャーチ准将は烏山近辺に防衛線を築くよう指令。

11:00am 李承晩が釜山に到着。

AM 第24師団長ウイリアム・ディーン少将が,朝鮮派遣全米軍総指揮官に任ぜられる.総司令部前線指揮所司令官ジョン・チャーチ准将は,総司令部高級連絡将校として,ディーン少将の司令部付勤務を命ぜられる.

PM 韓国軍第17連隊が烏山を防衛。スミス機動部隊は、後方の平沢と安城に進出し防衛線を築く.

7.02 米艦ジュノーと英艦2隻,三陟・江陵地区で北朝鮮の水雷艇4隻と10台の木造貨物船と戦闘.これを撃滅する.

7.02 米戦略空軍の2部隊が大田に到着.米第20空軍のB29爆撃機は漢江南岸に進出した北朝鮮軍を爆撃.

7.02 中国軍,大規模な移動を開始.聶榮臻の軍が,北朝鮮に進入する態勢を整えるため前進.陳毅軍は福建,江蘇,浙江各省の部隊を台湾の対岸に配置.トルーマン米大統領は第7艦隊に台湾防衛を命令.

7月3日

8:00am 北朝鮮第4師団、韓国軍第8連隊が守る永登浦を攻略。韓国軍の激しい抵抗にあい、227人が戦死。負傷・行方不明あわせ2千名以上の損害を出す。

朝 漢江鉄橋の修復が完成。北朝鮮のT34戦車が漢江南岸に進出。戦車を見た韓国軍はいっせいに逃散。韓国軍は漢江の防衛線を全面的に放棄.

AM スミス部隊に続き,第24師団第34歩兵連隊、第52砲兵大隊が釜山に到着.第21連隊の主力が佐世保を出港。

10:30am 第24師団長ディーン将軍が大田に到着.極東軍総司令部に直属する朝鮮米軍の司令官となる.釜山基地は朝鮮米軍司令部の下に置かれ,クラムブ・ガーヴィン准将が基地司令官に任命される.

夜 北朝鮮軍主力が漢江渡河を完了.第三師団が仁川を制圧.主力は水原に,一部は東に迂回し水原東南15キロの梧山に迫る.

夕方 スミス部隊の偵察隊が北朝鮮軍と初の交戦.

7.03 米艦バレー・フォージと英艦トライアンフから飛び立った海軍機が,南浦から平壌にかけて空襲.第5空軍のB26軽爆撃機隊は,ソウル西南9キロを南下する韓国軍トラック部隊を爆撃.死傷者は200名以上に上る。

7.03 豪軍のF51ムスタング4機が,平沢駅に停車中の弾薬列車を誤爆.誘爆により駅舎が吹き飛ぶ.

7.03 烏山を防衛する韓国軍第17連隊の本部も飛行機による銃撃を受け、白仁燁連隊長が負傷。

7月4日

6:00am 北朝鮮軍、第四師団を先頭に南進を開始。

9:00am 韓国軍,水原を放棄し平沢方面に撤退.スミス機動部隊,平沢の防衛を固める.防衛隊には第52野砲大隊も参加.

AM 米英海軍,東海岸における海上封鎖を開始.

夜 北朝鮮軍三個師団が水原を占領.米軍司令部はスミス部隊に対し,烏山北方までを確保するよう指令.

7.04 マッカーサー,統合参謀本部に対し第二歩兵師団,第82空挺師団の連隊規模の即時投入を要請.さらに海兵隊師団の支援も要請.

7.04 児島によれば、この日マッカーサーは「ブルー・ハート」作戦を下命。第一騎兵師団に仁川上陸を命じる。その後戦況の変化により作戦は中止された。その後もマッカーサーはライト作戦部長の「統合戦略計画作成班」に仁川上陸作戦の検討を行なわせた。

7.04 日本政府,朝鮮における米国の軍事行動に行政措置の範囲内で協力する方針を閣議了承.日本籍商船による韓国向け物資の輸送,国内通信網の提供,特定労働者の超過勤務対策などに着手.

7.04 北朝鮮最高人民会議常任委員会,南韓土地改革実施に関する政令発表.

7.04 UP通信,ワシントン筋の情報として,「日本を完全に非武装化しておくのは現実的ではない」との考えが浮上してきたと報道.米政府内の再武装論者は,「米国がアジア防衛実行するためには,日本に基地を持つだけでは不十分であり,日本に自国領土を守りうる程度の再武装を許すべきだ」と主張.

7月5日 米朝軍が初の本格的対決

3:00am スミス機動部隊,烏山(Osan)北方4キロの竹美峰に進出し,斬壕を掘る.竹美峰南方には第52野砲大隊が榴弾砲6門を配置する。

6:00am 北朝鮮軍第4師団と機甲師団が水原を出発。烏山に向かう。

8:18am 米軍,前進してくる8台の北朝鮮軍の戦車に砲撃を加える.

9:00am 北朝鮮の戦車部隊33両が,スミス部隊の東方防衛線を突破.

10:15am 北朝鮮の戦車部隊,歩兵部隊の後方に迂回し第52砲兵部隊の第二防衛線を突破.

11:45am 北朝鮮軍歩兵部隊がスミス部隊を攻撃。

2:00pm 孤立の危機にさらされたスミス部隊、撤退を開始。

2:30pm 北朝鮮軍,烏山の韓国軍第17連隊を殲滅.韓国軍はT34戦車を見て崩壊。

7:00pm スミス部隊の残党が安城にたどり着く。部隊は総崩れとなり、スミス部隊は150人,第52砲兵大隊は15人の将兵を失い、72人が捕虜となる.

AM 第34歩兵連隊が大田に到着.ただちに第一大隊が,スミス部隊に代わり平沢の防衛に向かう.平沢駅の南10キロの成歓(Songhwan)に連隊本部を設営.安城には第三大隊が派遣される.スミス部隊(第一大隊)を除く第21連隊も大田に到着。第三大隊が安城に進出、第二大隊が大田の防禦線構築を開始.

7.05 韓国軍第八師団と第六師団は、中東部山岳地帯で遅滞戦闘を続行する.

7.05 大田刑務所では,3日間にわたって政治犯1800人が集団処刑される.これらの政治犯は主として順天・麗水蜂起の参加者。駐韓米大使館の陸軍武官ボブ・エドワード中佐は,虐殺をすべて監視.「韓国陸軍憲兵による処刑」報告をワシントンに提出.ほかに大邱、釜山でも同様の虐殺があったといわれる。

7月6日

3:00am 34連隊の第一大隊,平沢北方の鉄道橋,国道の橋を爆破したあと後退.

早朝 北朝鮮軍第4師団が平沢北方で渡河し,第34連隊第一大隊を挟撃.第一大隊は南に向け壊走.

AM 北朝鮮軍は一挙に24キロ前進し平沢を確保.

PM 北朝鮮軍,天安北方の成歓(ソウル南65キロ)まで進出する.平沢から壊走した第34連隊第一大隊は、天安南方で安城の第21連隊第三大隊,スミス部隊と合流し隊列を整える.

7.06 周恩来中国外相,リー国連事務総長あてに電報を送り「米国が台湾付近の水域に侵入している.中国は米国の妨害を跳ね除け,台湾を解放する」と声明.

7.06 社会党中央委員会,国連軍の朝鮮武力介入を「精神的に支持する」と決定.

7月7日 国連軍の創設

AM 第34連隊第三大隊,天安北方への索敵前進と遭遇時の遅滞戦闘を命じられる.天安北方8キロで戦闘が開始,米軍は徐々に後退し,天安北方3キロの最終防衛線を守れず,天安市街まで後退.第63野砲大隊の支援を仰ぐ.

PM 大田の第21連隊第2大隊,天安後方の鳥致院の守備と34連隊の支援を命じられ出動.

7.07 米軍司令官ディーン少将,北朝鮮が15個師団兵員9万5千,戦車150台を投入していると語る.

7日 韓国軍、壊滅した五つの師団を再編成。首都師団、第一師団、第二師団を新たに創設。鎮州、忠州、堤川、平海里を結ぶ線を新たな防衛線とする。

7.07 マッカーサー,統合参謀本部に対し,空輸連隊戦闘団と中型戦車4個大隊の機甲部隊に支援された4個以上の完全編成師団を要請.統合参謀本部は,日本配備の第25師団と第一騎兵師団,日本を統轄する第7歩兵師団から戦力を割き,再編成・増強に着手.さらに米本土シアトル配備の第二師団の派遣を決定.

7.07 米国政府,朝鮮戦争に必要な兵力を満たすため,選択徴兵法の発動を命令.義勇兵の募集も許可される.

7.07 国連安保理,開戦以来三度目の決議.英仏両国の共同提案で,米軍指導部を統一司令部とする国連軍の創設を決定する.ここまでに16カ国の軍が参戦.

7.07 北京で国防軍事会議が開かれる。東北辺防軍の創設を決定。

7.07 ソ連政府,「米国の朝鮮海上封鎖は新しい侵略行為であり,国連の諸原則に反するものである」と抗議.

7月8日 マッカーサー書簡

AM 未明 北朝鮮軍が天安の側面を戦車で攻撃.夜明けとともに天安市内に突入.南の脱出路を断ち米軍を捕獲.市街戦では、バズーカ砲を担ぎ戦車と一騎打ちを試みたマーチン連隊長が戦死。 (新型対戦車砲が届いたのは大田の戦闘最中であり、これはバズーカではないと思われる)

PM 34連隊第三大隊が天安から敗走。脱出に成功したのは175名にとどまる.

PM 天安陥落の報を受けたディーン司令官,34連隊の残党には遅滞戦闘をとりつつ撤退するよう指示.鳥致院の21連隊には,最低4日間は持ちこたえるよう指令.砲兵隊,戦車隊などからかき集め援軍を組織.さらに34連隊の壊走を防ぐため,公州へ抜ける道路を封鎖.大田北方の錦江にかかるすべての橋の爆破準備にはいる.

7.08 北朝鮮第二師団が鎮川を制圧。首都師団は鎮川南方の文案山を奪還するが、北朝鮮軍の猛攻を前に清州まで撤退。

7.08 第24師団に引き続き、大阪の第25師団にも出動命令。これを受けたキーン師団長が大田でディーン司令官と会談。

7.08 トルーマン,国連安保理決議にもとづき国連軍総司令官にマッカーサー元帥を指名.定期的な戦況報告を求める. 

7.08 マッカーサーが吉田首相あて書簡.日本の警察力を現行の12万5000より20万に,海上保安隊の勢力を8000人増加するよう指令.予備警察隊(National Police Reserve)設置の法的措置は新たな立法ではなく,ポツダム政令(GHQが占領政策を円滑に進めるために出す勅令が,憲法より優先すると定めた政令)によるとする.

増強される7万5000の警察力は,国家公安委員会の下にある国家,地方警察とは別個の性格をもち,政府直属のもとに,現行警察法に拘束されずに活動するものとされる.さしあたり4個師団編成の日本防衛隊で、朝鮮有事に米軍が派遣された後の手薄になった日本の防衛を任務とする.「必要に応じて随時随所に出勤し、相当規模の機動力を持つ」と規定され,マッカーサーは将来の日本陸軍の基礎としようとした.

7月9日

AM 第21連隊第一大隊(スミス部隊)が全義で前線防衛.第三大隊はその1キロ南,戦略空軍地上部隊と第11野砲部隊は支援配置に付く.

正午 北朝鮮軍と全義北方で交戦に入る.戦闘機と野砲の支援を受けた米軍は,三時間の戦闘のあと北朝鮮軍を撃退.北朝鮮は戦車5台,運搬車両100台を破壊されるなど甚大な被害.

7月10日

未明 岐阜駐屯の第25師団第24連隊(黒人部隊だが司令官の名はホワイト大佐)、小倉の城野キャンプに到着。

早朝 霧にまぎれた北朝鮮軍が散開し攻撃開始.米軍の野砲はめくら撃ちとなり消耗.その後,戦車部隊が第一大隊の防衛線を突破,鳥致院に向かう.米戦車が北朝鮮軍戦車と初めて会戦.惨敗を喫する.

9:00am 北朝鮮軍,全義の第一大隊に最初の攻撃をかけるが撃退される.

正午 全義の第一大隊,鳥致院に向け撤退.交代に第三大隊が全義奪還作戦を開始.夕方にはいったん奪還に成功するが,深夜になり,鳥致院北方10キロまで撤退.

9:00pm 城野キャンプの第24連隊黒人兵250人が次々に鉄道車両から脱走。小倉市内の歓楽街に繰り出す。酒屋を襲い銃を乱射するなど強盗・暴行を繰り返す.武装したままの兵士集団に対し警察は取り締まり不能となる。

7.10 米第二五師団第27連隊が釜山に上陸.大邱北方40キロの義城まで進出.師団司令部は永川に置かれる.

7.10 統合参謀本部で,第24,25師団に加え,第2師団の投入が承認される.マッカーサーは仁川上陸を柱とするブルー・ハート作戦を検討するが,時期尚早としていったん破棄.

7.10 米国防総省,コリンズ陸軍,ヴァンデンバーグ空軍両参謀総長を東京に派遣.マッカーサーと必要兵力について協議.

7月11日

0:00am MP二個中隊が出動し、脱走兵の鎮圧にあたる。城野キャンプ近くの松原で、脱走兵と銃撃戦を展開したあと、主力を拘束。

早朝 補充兵を加えた21連隊B,C中隊が鳥致院の第一大隊に復帰.鳥致院の北3キロまで進出.

正午 鳥致院北方の21連隊第三大隊,北朝鮮軍に包囲され壊滅する.隊の半分が辛うじて南への脱出に成功.

PM 鳥致院西方の34連隊第一大隊,遅滞戦闘を繰り返しながら後退.錦江を越えて大田方面に敗走.北朝鮮軍は米軍防衛線の西部地区で錦江を越える.

11日 清州の首都師団、北朝鮮軍第二師団を奇襲攻撃。800人の損害を与える。

7.11 吉田首相が記者会見.「どんな事態になろうと戦争放棄を鮮明にした我々の態度は不変」と強調.

7月12日

早朝 北朝鮮軍,21連隊の守る鳥致院に迫る.北方2キロで挟撃体制に入る.

正午 ディーン司令官,錦江北岸に構築された陣地を放棄し後退する指令.鳥致院の21連隊に後退命令.第一大隊は錦江南岸の大坪里に新たな防衛線を敷く.韓国軍もこれにあわせ戦線を後退。

7.12 小倉で騒動を起こした第25師団第24連隊が板付から釜山に到着.沖縄の第29連隊にも出動命令.これにともない第27連隊は安東に移動.

7.12 大田の李承晩政府,米軍との間に「駐韓米国軍隊の刑事裁判権に関する大韓民国と米合衆国間の協定」を締結.米軍に一切の裁判権を付与する.

7月13日

未明 米第24師団はすべての軍勢が錦江をわたり南方に撤退.大坪里方面に第19連隊と砲兵隊主力、公州方面に第34連隊を配備。弱体化した21連隊は飛行場警備に回される。工兵隊がすべての橋梁を破壊.船舶・はしけを爆破.

早朝 北朝鮮軍第4師団が公州方面から、第三師団は大坪里方面から進出。この時点ですでに米軍は戦力の1/3にあたる5千人を失う。とくに先発した21連隊は戦力を半減。満身創痍の各部隊が大田防衛に当たることとなる.

AM 在韓米軍が編成替え.極東を統括する第八軍司令官ウォルトン・H・ウォーカー中将が,朝鮮派遣米地上軍司令官に就任.第八軍は朝鮮派遣米軍(USAFIK)の任務を引継ぐ.第八軍は,横浜から大邱へ司令部を移す.

7.13 米大使館、韓国政府、韓国軍本部も大邱に移動.

7.13 コリンズ陸軍とヴァンデンバーグ空軍の両参謀総長,アーサー・ラドフォード米太平洋艦隊司令長官らが来日.東京でマッカーサー,ウォーカー第八軍司令官らと会談.

7月14日

払暁 北朝鮮軍,大田北方15キロの錦江に出現.米軍と砲火を交わす.

9:30am 公州方面から進出した北朝鮮軍第4師団の約500名が、大田西方32キロの錦江橋付近で渡河作戦を開始.防衛にあたっていた第34連隊L中隊は承認なしに退却。

1:00pm 北朝鮮軍第4師団の前衛500人が橋頭堡を確立。第63野砲大隊に攻撃をかける。

1:30pm 北朝鮮の攻撃の前に取り残された第63野砲大隊に攻撃が集中.部隊は壊滅し136名の将兵が失われる.そのうち捕虜となったものが86人。

夕方 最後まで錦江北岸で抵抗を続けた第34連隊第三大隊「I中隊」も撤退.

7.14 韓国軍,東海岸で次々に撤退.浦項北方30キロの盈徳に最終防衛線を設定.

7.14 韓国政府、軍の作戦指揮権を国連軍司令官に委譲.トリグブ・リー(TrygveLie)国連事務総長,韓国での国連軍の地上行動に対し各国の増援を要請.

7月15日

未明 大坪里方面の北朝鮮軍が錦南橋付近で渡河作戦を開始。米第19連隊の砲撃を受けいったん撤退。

早朝 北朝鮮軍第4師団,錦江渡河作戦を完了.34連隊はほとんど抵抗せず論山まで後退.

6:00am 大田飛行場の守備にあたっていた第21連隊の1100人,大田を立ち16キロ東の沃川に向かう.第一大隊が大田・沃川間の第一トンネル付近で道路防衛に当たる.

7.15 徳田球一ら共産党幹部9名に対し逮捕状発行.勅令違反容疑および出頭拒否の罪状.これら幹部はいっせいに地下潜行.

7月16日

3:00am 北朝鮮軍第三師団が大田への全面攻撃を開始.大坪里への本格的な渡河作戦。

10:00am 北朝鮮軍第三師団主力が19連隊と激しく交戦.数時間後に19連隊は包囲され壊走.兵員650人を失う。

PM 論山まで後退した34連隊が呼び戻され,大田西方5キロの儒城で防衛につく.第19連隊は永洞まで撤退。師団本部の設営に当たる。ディーン師団司令官は引き続き大田にとどまる。

7.16 韓国政府,大邱に臨時政府を樹立.

7.16 米両院合同原子力委員会のマクマホン委員長,朝鮮で原爆を使用することはないと言明.

7.16 タイディングス米上院軍事委員長,「米国は朝鮮で6カ月ないし9カ月,戦闘を続けねばならないだろう.もしソ連が北朝鮮に増援軍を送るならば,戦闘はさらに長引くだろう」と語る.

7月17日

7.17 大田飛行場は放棄され,市内中心部にも砲弾が散発的に落下.

7.17 ウォーカー第8軍司令官、マッカーサーの指示に従い韓国軍の指揮権を掌握。

7.17 韓国政府,大邱からさらに釜山へ移転.

7.17 トルーマン大統領,ネール・インド首相に対し「米国は北朝鮮軍が戦闘を中止し,38度線以北への撤退に同意するまでは,朝鮮の如何なる和平交渉にも応じない」と通告.

7月18日

12:00am ウォーカーが太田を訪ね、飛行場でディーン師団長と会見。第一騎兵師団の到着する20日までの大田死守を要請。ディーン司令官,第19連隊第二大隊などの部隊に大田への前線復帰を命令.

7.18 米軍第一騎兵師団,迎日湾の浦項に上陸作戦.釜山が前線への軍需品輸送で飽和状態のためとされる.第25熱帯電撃師団は釜山に上陸.

7.18 GHQ,共産党国会議員の追放と「アカハタ」の無期限停刊を指令.後継・同類紙も同様に発行停止。共産党の機関紙活動が非合法化される.

7月19日 

AM 北朝鮮のYAK戦闘機が沃川北方3キロの二栢鉄道橋を爆撃.公州方面の第4師団が、群山国道上の論山から儒城に進出。第34連隊第一大隊と衝突。

AM 第一騎兵師団所属の第5騎兵連隊が大田に向かう.永洞でいったん停止.

PM 第21連隊の「L」中隊が,大田南西の長城里付近の群山国道上で北朝鮮軍と遭遇戦.2時間後に壊走.永同の21連隊第二大隊、19連隊第二大隊が呼び戻され,防衛線を再構築.

夜 34連隊第1大隊、儒城を撤退.大田市内に入る.

7.19 トルーマン大統領,軍事費増額を求める特別教書を議会に送る.「韓国に対する国際共産主義勢力の攻撃は,彼らがいつでも武力侵略という手段を用いて他国を征服する用意があることを,一点の疑いもなく暴露した」と非難.①100億ドルの軍事支出,②兵力制限の撤廃,③必要な物資についての優先制及び割当制などを要求.

7.19 トルーマン大統領,ラジオ放送演説.自由諸国の団結を呼びかけるとともに,国民にいっそうの協力を訴える.

演説の要旨  南朝鮮侵略はその規模からいって周到に用意されたものであろう.北朝鮮軍を38度線まで撤退させるためには,まだまだ困難な戦闘を覚悟しなければならない.より多くの兵員と兵器をマッカーサーに送らなければならない.
北朝鮮軍の南朝鮮侵入は,世界の他の地域でも同様の侵略が行われる可能性のあることを示した.ソ連政府は平和を希望していると主張している.しかしこれは,現に行われている侵略行為について,ソ連が示している態度とまったく矛盾している.

7月20日 大田陥落

深夜 北朝鮮の戦車部隊が群山国道から大田南方10キロの地点に出現.米軍偵察部隊は全滅.

4:00am 北朝鮮軍主力は,儒城東方の34連隊第一大隊を殲滅.残党は大田から東南方面に敗走.

5:00am 北朝鮮軍,大田西方2キロに迫る.このとき第三工兵大隊が新型対戦車バズーカ砲を使用.北朝鮮戦車3台が破壊される.

早朝 北朝鮮の戦車3両が市内中心部に侵入。バズーカを用いた米軍の反撃により破壊される。

正午 19連隊と34連隊が大田市内から撤退.大田飛行場の争奪戦では,新型バズーカがさらに北朝鮮戦車8台を破壊.

バズーカ砲(3・5インチロケット砲): 米軍が第二次大戦中に使用した2・36インチロケット砲をより強力に改良したもの.北朝鮮軍のT34戦車の装甲を打ち抜く力を持っている.これまで秘密兵器として秘匿されていたが、10日前に大田に配備された.

2:00pm ディーン司令官,師団各隊に対し大田からの撤退と沃川経由永洞までの移動を命令.

3:00pm 第一騎兵師団所属のM24戦車中隊が太田市内に入り、第24師団の撤退を護衛。

5:00pm 北朝鮮軍が大田に対する最終攻撃を開始。この時すでに撤退路は封鎖されていた.

6:00pm ディーン司令官、しんがりとなった第34連隊に退却を指示。北朝鮮軍は大田を完全解放.ディーン師団長は36日におよぶ山中逃避行の末,北朝鮮の索敵行動により捕虜となる.

7.20 米第7艦隊の艦載機が,48時間にわたって平壌付近の軍事施設を爆撃.さらに鉄道構内,輸送トラックおよび沿岸の船舶に対し爆弾および焼夷弾を投下.

7.20 米政府,「朝鮮の危機」と題する白書を発表.危機をもたらした責任がソ連にあると強調.国連決議に基づく米国の行動の正当性を訴える.

7.20 第一管区海上保安本部,北海道海域における国籍不明船の出没が31件に達していると発表.さらに標津上空に双発1機,厚岸沖に双発中型機1機が飛来.

7月21日

7.21 21連隊,遅滞戦闘を行いながら沃川から永洞まで撤退.永洞北西方6キロに新たな防禦線を構築.

7.21 07:17am 米第一騎兵師団,韓国軍との共同作戦により東海岸の盈徳を奪還.米艦隊が艦砲射撃で支援.中部戦線の醴泉地区でも作戦を開始.

7.21 吉田首相,「共産軍の侵入に対し,国連がその全機能をあげて対抗する事態が実現した.これにより,日本の安全保障に対するはっきりした見通しがつき,国民の不安も一掃された.『義勇軍』のような動きは許さない.また諸外国から再軍備の要請があっても従うつもりはない」と答弁.

7.22 第24師団の司令官にチャーチが就任。24師団は予備役扱い、21連隊は退役扱いとなる。19,34連隊は洛東江上流の軍威,義城方面にかけての守備につく.沖縄で編成されたばかりの29連隊があらたに24師団配属となるが,ほとんど戦闘経験なし.第24師団に代わり,第一騎兵師団が大田ー大邱防衛責任を負うこととなる.第八騎兵連隊が第21連隊と入れ替わりに前線配置につく.第五騎兵連隊は永洞東方に控える.

7.22 中国軍,廈門(アモイ)沖合いの金門島国府基地に対し砲撃を開始.

7月23日

早朝 北朝鮮軍,永同北西の第八騎兵連隊第一大隊に攻撃.4回にわたる突撃も米軍に跳ね返される.

朝 西海岸を南下中の第六師団が米偵察機により発見される。申国防部長官は蔡前参謀総長に部隊の編成を委ねる。蔡少将は釜山と馬山で兵を徴募し、1個大隊を編成。

7.23 マッカーサー元帥,「統合戦略計画作成班」の答申を受け、仁川・群山・注文律(東海岸)のいずれかへ上陸し,北朝鮮軍を側面攻撃する作戦を策定(クロマイト計画).第一海兵旅団と第二歩兵師団を用いるとされる。

7月24日

7.24 韓国軍,二個軍団・五個師団に再編成される.

7.24 夜 北朝鮮軍,永同の一部地域に突入.

7.24 第六師団南下の情報を得たウォーカー、予備役扱いとした第24師団をふたたび現役復帰。晋州から金泉にいたる西部戦線の守備を命じる。

7.24 第24師団に配属された第29連隊が釜山に上陸。そのまま晋州に向かう。この連隊は2個大隊しかない変則編成。ほとんど実戦訓練を受けていなかったという。

7.24 トルーマン,さらに105億ドルの追加支出を議会に要請.

7.24 米国務省,「もし中国が澎湖群島を攻撃すれば,米海軍部隊は防衛行動に入る」と声明.

7月25日

7.25 市民を装いひそかに永同市内に浸透した北朝鮮軍,夜明けとともに総攻撃を開始.第一騎兵師団ゲイ司令官は永同撤退を命じる.北西部に展開していた第八騎兵連隊第一大隊は,北朝鮮の奇襲部隊を殲滅し撤退に成功.南西部の第二大隊は壊滅し敗走.撤退路の確保に当たった第五騎兵連隊は,「F」中隊が全滅するなど甚大な被害.パニックに陥った兵士は市民を見境なく殺害.

7.25 第24師団の師団司令部を陜川におく。19連隊第二大隊が晋州に入り,南西方の安義に第一大隊、34連隊を西方の居昌に配備。あらたに編成・配備された29連隊は、南西50キロの河東と北西部の咸陽・安義に防衛線を敷くこととなる.

7.25 Sangyong-niの第27連隊第一大隊,夜間に撤退.早朝とともに北朝鮮軍が攻撃をかけるが,すでに後退を完了した第一大隊が周囲の高地からターキー・ショットを仕掛ける.この戦闘で大隊規模の北朝鮮軍が全滅.このあと27連隊はHwangganまで後退.

7.25 蔡少将、河東に対する前進守備を提案。晋州の第19連隊の支持を得る。晋州に着任したばかりの第29連隊第三大隊が、急遽河東に派遣される。

7.25 東京に国連軍総司令部が設置される.マッカーサーを総司令官とする一般命令第一号が発せられる.李承晩は国連軍に指揮権委譲.

7.25 マッカーサー朝鮮派遣国連軍総司令官,米政府を通じ,安保理事会に第一回戦況報告.

戦況報告要旨  北朝鮮軍の兵力は歩兵6個師団,国境警備隊3個旅団,35トンないし50トンのソ連製戦車100台,その他大砲多数,飛行機(主として戦闘機)100機と推測される.北朝鮮軍の総兵力は9万ないし10万で,訓練も行き届き,装備はソ連製の優秀なものである.

7.25 ノグンリ虐殺事件の主人公となる第7騎兵連隊第二大隊が,大田・大邱国道沿いに撤退中の臨時本部を設営.

7月26日 ノグンリ(老斤里)虐殺事件

北部戦線

深夜 北朝鮮軍,永洞郊外に集結した第一騎兵師団に対し数波にわたる攻撃.このあと,智異山北麓の山道を迂回する計画に変更.

正午 ノグンリ虐殺事件が発生.退路が断たれたとのうわさでパニックに陥った第二大隊は,統制を失い武器を捨て四散する.軍の一部は付近の住民500人を集め,鉄橋下のトンネルに閉じ込めた後,三日間にわたり機銃掃射を続ける.

南部戦線

未明 北朝鮮第6師団、河東を攻略。民兵400人からなる韓国軍守備隊は壊走。

夕方 晋州から進出した29連隊第三大隊は,河東から5キロ東の横川に防衛線を設営.

7.26 全羅北道の裡里駅では,米軍機の爆撃により350人の民間人が死傷.

26日 ウォーカー、洛東江防禦線への後退準備命令を発する。あわせて第8軍司令部の釜山への移動をマッカーサーに打診。

7.26 シンウエル英国防相,英地上軍の朝鮮派遣を発表.1億ポンドの追加軍事予算を議会に提出.オーストラリアも地上軍派遣を決定.

 

馬山戦線と洛東バルジ

 

7月27日

南部戦線

9:45am 第24師団29連隊の第三大隊と蔡秉徳(Chae Byong Duk)将軍の韓国軍の合同部隊,横川から進出。河東峠で北朝鮮軍の待ち伏せ攻撃にあい、蔡将軍は戦死,第三大隊のモット隊長も重傷を負う.

12:00am 第三大隊が壊滅状態で退却。死傷および行方不明者は400名以上に上る。

AM 第6師団の主力,南原付近を釜山への第2の突出路と定める.南原から咸陽に進出.安義を防衛する19連隊第一大隊が北朝鮮軍の側面攻撃を受ける.29連隊第一大隊が晋州から救援に派遣される.

北部戦線

7.27 安東を守る韓国軍第一軍団(首都師団および第8師団),北朝鮮第二軍団の攻撃をはね返し、さらに第一師団は尚州北方の咸昌で反撃を開始.尚州に配備された第25師団は撤退の動き。児島によれば、第25師団のうち第27連隊は第一騎兵師団に引き抜かれ、第24連隊は動揺を繰り返したという。

27日 マッカーサー、大邱を訪れウォーカーと会談。「朝鮮からの撤退はありえない。朝鮮でのダンケルクはない」と述べる。

7.27 マリク・ソ連国連首席代表,リー国連事務総長に書簡を送り,8月の安保理事会議長に就任すると通告.

7月28日

7.28 安義に救援に向かった29連隊第一大隊が包囲され,二中隊が全滅.北朝鮮軍主力はさらに居昌に向かい,24師団第34連隊を包囲.

7.28 24師団司令部,崩壊した29連隊を解体,残党を19連隊の第一,第二大隊に配置.河東からの北朝鮮軍の進出に備え,晋州防衛線を組織.

7.28 Hwangganの27連隊第一大隊,北朝鮮軍に防衛線を破られ撤退.第一騎兵師団は司令部を金泉に後退させる。27連隊は第一騎兵師団から第25師団に復帰.

7.28 国警本部,各管区本部に対し「主力を一般の刑事事件から通信・発送電・列車妨害事件に集中せよ」との「第一号指令」を発する.日発首脳部も電産と連絡し電源地防衛のため国警・警視庁と協議.

7.28 報道8社,占領軍の勧告を受け共産党員336人を解雇.赤色分子追放(レッドパージ)の始まり.

レッドパージ: 新聞報道関係の700名(全従業員の2.3%)をはじめ,電産2000名,日通500名,映画110名,石炭2000名,私鉄700名などが三ヶ月間に職場を追われる.ほかに造船,鉱山,鉄鋼,自動車,化学,石油,印刷,車輌,電工,銀行などほとんど全産業で職場追放が実施される.


7月29日

4:00am 居昌の第34連隊に対する攻撃が始まる.第一大隊は命令なしに居昌東方に撤退.まもなく第三大隊も撤退.逃げ遅れた1個小隊が全滅.

PM 34連隊,居昌から25キロ東の山際に新たな拠点を構築.第八軍は韓国軍第17連隊,21連隊第一大隊を陜川に急派.(21連隊は退役となったはずだが)

夜 咸陽付近のUmyong-niで防衛線を張る29連隊第一大隊の残党,北朝鮮軍の攻撃を受け晋州北方35キロの山清まで後退.

7.29 第八軍,大邱防衛線を編成.第一騎兵師団本部が金泉に設営され,第八騎兵連隊が尚州への国道,第5騎兵連隊が智異山国道,第7騎兵連隊が金泉の北西部で永洞への道路を確保することとなる.尚州には新任の35連隊第二大隊.

7.29 ウォーカー中将、幕僚を集め、洛東江防禦線が最後の一線であることを強調。「我々は最後まで戦わなければならない。捕虜になるのは死よりも悪いことである」と演説。

7.29 マッカーサー、戦況の悪化からクロマイト作戦の実施を延期。海兵隊と第二師団を洛東江防禦線に投入。

7.29 吉田首相,警察予備隊をめぐる議論の中で,講和後の安全保障について持論を展開.

吉田答弁の要旨
①最近特に共産党の行動が目立って来ており,現在の警察力では十分治安を維持しがたい.更に朝鮮動乱の発生によって,いかなる事態が起らないとも限らぬ情勢になって来た.警察予備隊設置の目的はあくまで国内秩序を維持するもので国際紛争を解決する手段としての軍隊ではない.
②義勇軍参加は法的には認めらるかも知れない.しかし未だに世界各国は日本を猜疑の眼で見ており,これが講和の大きな妨げになっている.この誤解を解くためにも,義勇軍は許したくない.
③武力による自衛権の発動は憲法で明らかに否定されており,これを変更しようというような考えは毛頭ない.軍事基地は貸したくない.基地を要求されることはないと思う.なるべく戦争に介入させたくないというのが,日本に平和憲法を作らせた連合軍の本当の気持だろう.
④永世中立論は,たとえ条約で保障されてもこれを無視して省みぬ国家がある以上,それだけでは安心できない.安全保障の伴わない講和条約は空念仏である.地域的集団保障か世界的集団保障かということについては相手方の申し出ることであり,こちらから指定できるものではない. 

7月30日 晋州陥落

7.30 払暁 北朝鮮軍,河東・晋州間の道路を寸断し,19連隊第二大隊の守る晋州西南16キロの鳳渓里を攻撃.夕方までに晋州まで3キロに迫る.夜になって米軍はSangjuまで撤退.

7.30 35連隊第二大隊,Sangju南方に後退.これにともない24連隊はSangju西方5キロの高地まで後退.

夜 ウォーカー、晋州の維持を断念。馬山を最後の防衛線とし、倭館の第25師団27連隊を派遣。

7.30 アチソン米国務長官,「米国は中共に対し,何ら敵対感情を抱いていない.中国が国連憲章に違反して介入しないよう望んでいる」と語る.

7.30  警察予備隊設置の構想が明らかになる.警察隊の仕事は暴動などの予防,取締にあたることにあり,一般警察の業務は行わない.さしあたり小銃を携帯,近い将来は軽機関銃が与えられる.
 

警察予備隊についてはGHQ内部でも対立があった.国務省側の民生局のホイットニー准将は旧内務官僚と結び、日本の再軍備を阻止しようとしていた。これに対し、国防総省側の情報局のウィロビー少将は,東条英機の秘書官上がりの服部卓四郎大佐と結んで再軍備を推進しようとした。

7月31日 マッカーサーの台湾訪問

2:15am 晋州で激戦が始まる.北朝鮮軍が19連隊第二大隊を攻撃.明け方までに米軍は敗走.ナム川を越え晋州から東に20キロのChiryong-niまで撤退.さらに新たな拠点を構築するため馬山まで後退する.

7.31 マッカーサー,台湾を訪問し蒋介石と会談.中国軍の動きへの対応につき協議.「総統の共産主義の支配に対する不屈の決意は、米国の利益と共通のものである」とし,「中国本土と戦っても台湾および澎湖島の防衛を支援する」との特別コミュニケを発表.米華協定の締結を声明.蒋介石は国民政府軍の朝鮮出動を提案するが,マッカーサーは否定.(マッカーサーは国府軍の動員を念頭においており、それを蒋介石に語らせることでアドバルーンを揚げたものと見られる)

7.31 米軍、南部に進出した北朝鮮部隊が第4師団ではなく、別の師団(第6師団)であることを初めて知る。ウォーカーは洛東江線より外側の米韓両軍の総引き揚げを決断。

7.31 ハワイで編成された第五戦闘団(連隊規模)が,朝鮮に上陸.ただちに南部戦線に加わる.

7.31 開戦以来1ヶ月余りで,米軍死者は1884人,負傷者2695人,行方不明523人,捕虜となったもの901人に達する.ウォーカー中将,「もはや退却はない.われわれは最後まで戦う.われわれは防禦線を守り抜き,勝利を得るだろう」と声明.

7月 韓国政府,国民補導連盟の会員を予防拘束.多くがまもなく処刑される.国民補導連盟は,左翼組織にかかわった経歴を持つものが強制的に加入させられた組織.

7月 「在日本朝鮮統一民主戦線(民戦)」,北朝鮮防衛のための行動隊として「祖国防衛委員会(祖防委)」を組織.

 

50年8月

8月1日

8.01 米第八軍司令官ウォーカー中将,洛東江を最終陣地線とし,全軍への後退を指令.

8月初頭の両軍の配置: 北朝鮮軍第6師団は馬山を、第4師団は霊山を、第三師団は倭館の南方、第10師団は倭館の北方から大邱を、さらに北方からは第15、第13、第1、第8師団が大邱を、第12師団は浦項、第5師団は盈徳を攻撃。
米・韓国連合軍は、 鎮東から洛東江・南江合流部まで(馬山戦線)は25師団,そこから高霊まで(洛東バルジ戦線)は24師団と韓国軍17師団,高霊から倭館までは第一騎兵師団,倭館以北は東海岸の盈徳までを韓国軍第一軍団(首都師団と第三師団)が防衛する.新たに配置された第9歩兵連隊と第二歩兵師団はリザーブとされる.

8.01 北朝鮮軍第6師団は晋州から咸安に向かい進出.馬山の25師団に配属された27連隊,19連隊が戦意を喪失していることから,前線防衛の任務を交代.鎮東に防衛線を設定.

8.01 午後 兵力3万以上の北朝鮮軍第三、第四師団が一斉攻勢を開始.陜川,知礼および金泉地区の拠点から西方に移動.24師団、第一騎兵師団の守る大邱―釜山交通線の切断を狙う.

8.01 洛東バルジ戦線: 元北朝鮮軍橋頭陣地のあった洛東江屈曲部の昌寧南方地区に侵入.8キロ東方まで侵入.第24師団は,洛東江屈曲部南端近くの霊山まで後退,新たな陣地を構築.

8.01 安全保障理事会開催.議長国のソ連のマリク国連代表は,国民政府代表の追放を裁定するが,表決に敗れる.オースチン米代表は,「韓国侵略に関する提訴」を議題に加えるよう要求.ソ連がこれを拒否したため紛糾.

8.01 マッカーサー,外地戦参加在郷軍人会の質問に答え,台湾防衛の意義を強調。また「武器なき日本が自由の破壊に専念する侵略国の犠牲となることの懸念よりも,再び武装され,軍国化した日本の将来について大きな懸念が存在する」と述べる.

8.01 英,仏,ベネルクス5カ国外相からなる西欧連合常設諮問理事会,朝鮮紛争問題の評価をめぐり会合.西欧諸国の再軍備を急進化する必要について一致.

8月2日

8.02 早朝 洛東バルジに進出した北朝鮮軍の一部が,南部戦線にも攻勢.新たに編成された24師団米戦車機動部隊が,南江より5キロ南で北朝鮮軍と遭遇戦を展開.8時間の戦闘の末,北朝鮮軍は撤退.

8.02 馬山の27連隊,戦車部隊を中心に機動部隊を編成.鎮東方面へ威力偵察行動を展開.航空機の支援を得て,北朝鮮の補給線に大きな被害を与える.

8.02 第一騎兵師団,北朝鮮第三師団との一週間にわたる攻防戦の末,大邱西北50キロの金泉から完全撤退.

8.02 ハワイの陸軍第五連隊戦闘団,第二歩兵師団,第五海兵連隊を中核とする第一臨時編成海兵旅団が相次ぎ釜山上陸.(所属は不明)

8.02 トルーマンの意を受けたジョンソン国防長官、「台湾中立化を標榜する米国の公式方針と背反する」とし、マッカーサーの在郷軍人会への手紙を撤回させる。手紙は撤回されるが、その内容はメディアで大々的に発表される。

8月3日

8.03 北朝鮮軍,第三師団(第四師団?)を投入し鎮東の27連隊に大規模な攻撃を仕掛けるが,米戦車部隊により多数の犠牲を出し撤退.これを機に南部戦線における攻守の関係が逆転.

8.03 トルーマン,「ジョンソン国防,アチソン国務両長官に全幅の信頼を寄せており,私が大統領の職に留まる限り,両氏を更迭することはない」と述べる.また台湾での蒋介石との会談に関しマッカーサーとの協議のため、アヴェレル・ハリマン大統領特別補佐官を東京に送る.

8.03 米政府,ダレス国務長官顧問を責任者とし対日講和草案の作成を急ぐ.ダレスは「米国は他の民主的諸国に対し,日独両国を自由世界の一員として参加させるよう説得するつもりだ.早期対日講和によってアジア太平洋地域が危険に陥ることはない.米国は日本に米軍を駐留させることで,これを保障する」と述べる.

8.04 米軍,洛東江を防衛線とする守備体系を編成.

8.04 マリク代表,朝鮮紛争の両当事者を招請するよう提案.オースチン米代表は「国連はまだ北朝鮮を承認していない.しかも北朝鮮は安保理事会の停戦命令に従うことを拒否してきた」として,マリク提案に反対.

8.04 マグナスン議員,日本人義勇軍法案を議会に提出.

8.05 国連安保理,「朝鮮問題の平和的解決をはかる」ソ連提案は否決され,「北朝鮮の侵略を非難する」米提案が採択される.議長国であるソ連は拒否権を行使せず.なお中国加入問題については,ソ連,英,ノルウェー,インド,ユーゴの5カ国がソ連案に賛成するが,可否同数で否決となる.

8月6日 北朝鮮の渡河作戦と米軍の晋州奪回作戦

8.06 正午 北朝鮮の大隊およそ800人,Ohang(不明,南旨の近郊か?)で渡河を開始.頭に服,器材,武器を括りつけ,首まで水につかりながら渡る.船舶の不足により迫撃砲,重火器の持込は妨げられる.上陸部隊はSoesilで,出動した第19歩兵連隊と戦闘となる.攻撃をしのぎながら集結予定のCloverleafHill(現釜石近郊?)に拠点を構える.

8.06 第25歩兵師団,南部で晋州攻撃(キーン作戦)の命令を受ける.第5機動部隊が晋州に進出.第一暫定海兵大隊が固城国道を南下.夕方には鎮東に達し,27連隊と合流.晋州攻撃の準備に入る.35連隊はMuch'on-niから南西方向に進撃し,第5連隊と合流.第24連隊は,馬山と晋州のあいだのSobuk山地域で索敵行動を展開.

8.06 リー国連事務総長,国連総会に提出する年次報告書を発表.

年次報告の結論
国連憲章に従う国連加盟諸国は,第三次世界大戦を防止する僅かの可能性でも存在する限り,世界をあい争う二つの陣営に分裂することを受け入れないだろう.しかし,そのためには懸命な政治的行動を必要とする.平和こそ我々の目標である.朝鮮だけではなく全世界で平和を勝ち取らなければならない.
アジア,その他未開発地の何千万という人々は,新時代の夜明けを心配しながら待っている.我々が取るべき措置が複雑かつ困難なものであるにせよ,これ以上行動を遅らせることはできない.

8月7日

8.07 渡河した北朝鮮軍,19連隊,34連隊による反撃を撃退し,CloverleafHillとObong-ni(五方?)山の確保に成功.

8.07 06:30am 米軍,朝鮮戦乱開始以来最大の攻撃を開始.ウイリアム・キーン少将の指揮する第35連隊,第5機動部隊,第3海兵旅団が「キーン」作戦軍を編成,馬山,鎮東西方115キロにわたる戦線で一斉攻撃.晋州地区の北朝鮮軍2ないし3個師団に攻撃を加える.海兵隊は海岸沿いに南方に進出.第35連隊が錦江方面に北進.5時間の戦いの後,北朝鮮の大隊は敗走.西方に進んだ第5機動部隊を中核とする混成軍,フォックス・ヒル(鎮東里西方の海岸道路を支配する高地)で北朝鮮軍の待ち伏せに会い孤立.

8.07 アベレル・ハリマン大統領特使,日本と韓国を訪問.マッカーサー=蒋介石会談の真意をただす.台湾に対する米国の軍事および政治上の戦略を調整.

8.08 ハリマンに同行した統合参謀本部のリッジウェイ陸軍副参謀長,ノースタッド将軍、空軍のチャールズ・カベイル将軍を加え,東京でマッカーサーのクロマイト作戦計画を検討.基本的に了解.

8月8日

8.08 早朝 第二師団が戦闘に参加.第9歩兵連隊が洛東バルジに到達.クローバー丘・五方で戦っていた第24師団第34連隊を救援.いったん拠点を奪取するが,夜になって奪還される.

8.08 キーン作戦.第二大隊と第五海兵大隊,フォックス・ヒルの攻略に成功.包囲された第5機動部隊を救出.晋州―馬山街道を西進中の米第35戦闘部隊は沙谷里の郊外に到達.

夕方 北朝鮮の第一5師団,倭館付近のいくつかのポイントで洛東を渡り,Yuhak山地域(力山か?)に移動.Yuhak山は標高約千メートル.大邱北方25キロにある.(この後ほとんど地名が分からず翻訳断念)

8.08 国連安保理事会開く.マリク議長は冒頭,北朝鮮爆撃に関する朴外相の抗議文を朗読.オースチン米代表は「マリク代表は,朝鮮問題審議を妨害し続けている」と反論.

8.08 マッカーサー,マグナソン上院議員の提案に対し回答.「講和条約が締結されるまでは,日本人義勇兵を米国軍に徴集することは出来ない」と述べる.(いかにもとってつけたような理由.実際には,少なくとも数十人の日本人が兵士として派遣されていた)

マッカーサー回答の要旨
講和条約が締結されるまでは,日本は国際管理の下にある敵国である.重ねて対日講和の早期締結を考慮するよう訴える.それまでのあいだ日本の国内治安をはかるため,7万5000の警察予備隊を加える措置を取った.

8月9日

倭館戦線 午前3時 北朝鮮第三師団,倭館南方の洛東鉄橋から,洛東江渡河作戦を開始.米第五騎兵連隊の激しい砲火の中,甚大な犠牲者を出しつつも先進部隊は渡河を完了.大邱に通じる公路沿いに,3キロ南のNoch'onに進出.第一騎兵師団の前衛部隊後方で進路を遮断し測量山(268高地)を確保.これに続く二個連隊は強まる米軍の砲火の前に渡河を断念.
倭館北方では,渡河中の北朝鮮軍を韓国第一師団が攻撃.北朝鮮軍は渡河を断念.

09:30am 第一騎兵師団,倭館南方で洛東江を渡河した北朝鮮軍を包囲.第7騎兵連隊の第一大隊が,測量山の北朝鮮軍を攻撃するが,撃退される.倭館北方では,韓国軍第一師団が,北朝鮮軍第10師団を洛東江に向け5キロ余り退却させる.

洛東バルジ: 05:45am 米軍第24師団第9連隊,大邱西南方45キロの北朝鮮軍橋頭陣地に対して一斉に攻撃を開始.午後には,北朝鮮軍の確保する昌寧橋頭陣地の最後の高地,クローバーリーフとObong-ni尾根を奪還.

北朝鮮軍は南東端の南旨に兵力を集結.洛東江の西方約2キロの陜川道路にも北朝鮮軍の大部隊が集結中.

南部戦線: 正午 米軍の反攻作戦が開始.第五海兵連隊第3大隊が24連隊とともにChindong-niの北朝鮮軍防衛線を突破.海岸道路をさらに南下し,Much'on-ni の35連隊との連絡を図る.午後には,第五戦闘団が晋州国道の戦いで勝利.

浦項戦線: 北朝鮮軍第五師団、盈徳を攻略。さらに浦項に向かう。韓国軍第三師団は盈徳南方の海岸に圧迫され孤立状態に陥る。

8.09 金日成,ソウルを訪問.

8月10日

倭館戦線: 朝 第一騎兵師団,倭館南方で洛東江を渡河した北朝鮮軍に対し反撃を開始.洛東江東岸の2つの北朝鮮軍の橋頭陣地を奪取.

騎兵師団第一砲兵隊,268高地の北朝鮮軍に集中砲火を浴びせる.F51戦闘機が北朝鮮部隊を爆撃.このあと第7連隊第一大隊が268高地を制圧し,夕方までに北朝鮮部隊を殲滅.

洛東バルジ: 霊山の北朝鮮軍第4師団部隊が,遺棄死体1200を残し壊滅.北朝鮮軍,洛東江西岸にいったん撤退.

南部戦線: 第35連隊は晋州東方20キロの班城を挟撃.北朝鮮軍数百名を包囲する.第五戦闘団第二大隊,Pongam-niの南尾根を確保.第一大隊は北朝鮮軍の激しい抵抗の中,北尾根の東斜面を確保.北朝鮮軍はPongam-niの米砲兵隊を夜襲するが撃退される.

8.10 マッカーサーの台湾訪問への批判が広がる.マッカーサーは「この旅行はあらゆる機関と事前に打合せを行い,公式に準備されたものであった.旅行の目的は軍事問題だけに限られたもので,米大統領の指令に基くものであった.今回の訪問は,太平洋における敗北主義と緩和政策を宣伝して来た者により,悪意を持って伝えられている.それは現在の重大な世界的危機に際し,米国代表者への忠誠と信頼を破壊し,不和を促進するものである」と述べ,米国務省を半ば公然と攻撃.

8.10 政府は警察予備隊設置の基本を定めたポ政令第260号「警察予備隊令」を公布,即日施行.増原恵吉(本部長官),江口見登留(同次長),石破二朗(警務局長)が発令される.

 

大邱北方戦線

8月11日

倭館戦線: 北朝鮮軍、第三師団に代わり第10師団が前線に立ち攻撃。騎兵師団により撃退される。

洛東バルジ: 北朝鮮軍,数カ所で仮設橋を建設.戦車数台と第4歩兵師団の渡河に成功.クローバーリーフとObong-ni尾根をふたたび奪還.米第19連隊第二大隊はクローバーリーフ北方のOhang高地を確保.

北朝鮮部隊の一部は南方に回り,Yongsanー馬山国道を洛東江で切断.

洛東江の橋を奪還するため,馬山で待機中の27連隊が急遽派遣される.27連隊は馬山北方5キロで,避難民の大群のため前進を阻まれる.

午後 27連隊,Namji-ri鉄橋南方のIryong-niで北朝鮮軍200名と遭遇戦.これを撃破したあとNamji-ri鉄橋に達し,これを確保.橋の北側に橋頭堡を構築.

午後 米第19,第34,第9連隊による総攻撃は北朝鮮側の強力な火力に阻まれ失敗.

南部戦線: 米軍前線,晋州まで5キロ以内の線まで前進.第35連隊,晋州の直ぐ東方の高地を占領.
第25連隊第三大隊,第五海兵連隊の支援を受け,晋州南方約30キロの固城を制圧.カモフラージュした北朝鮮補給部隊を捕捉.31台のトラック,24台のジープ45台のオートバイを破壊.
第五戦闘団はPongam-ni周囲の高地を制圧するが,北朝鮮軍主力とぶつかり,そこからの前進を阻まれる.

浦項戦線: 朝 約3000の北朝鮮軍第12師団,浦項の北西部および西部から市内に強襲.韓国軍は正午ごろ,浦項を放棄し後退.韓国軍増援に急行した米軍部隊は,浦項の西南16キロで北朝鮮軍の待ち伏せにあい,前進を阻まれる.(児島は13日に北朝鮮軍が浦項に迫ると記載している)

8.11 アチソン国務長官,「マリク国連代表が安全保障理事会の議長として,その行動を妨害している」と非難.対日講和条約検討は時期尚早と述べる.また台湾については,国府政府に対する軍事援助の可能性を含みつつ,中立化路線を強調.

8月12日

北部戦線: 北朝鮮軍一個連隊が,あらたに玄風(Hyongp'ung)で洛東江渡河作戦を開始.南西3キロの265高地を確保.もうひとつの連隊は破壊された橋を渡りYongpoへ侵入.さらに第7騎兵連隊第二大隊の守るWich'on-dongへ進出する.この大隊は Yongdong東方のNo Gun Ri で武器を捨てて逃亡した経歴を持つが,今度は北朝鮮軍を撃退し,Wich'on-dongと265高地を確保することに成功.多くの犠牲を出した北朝鮮軍は,算を乱して洛東江西岸に撤退.

洛東バルジ: 北朝鮮軍,夜のあいだにYongsanを包囲.Yongsan東方5キロでYongsan-密陽国道を封鎖.

密陽の第24師団本部は,非戦闘員・憲兵・第24偵察中隊などをかき集め,緊急支援部隊を編成し派遣.北朝鮮軍の密陽への侵攻を食い止める.その後23連隊が密陽に到着.そのままYongsan方面へ出動.

馬山から北上したNamji-riの第27連隊は,航空機の支援を受けながらさらにYongsanに向け前進.

南部戦線: 深夜 第五戦闘団第一大隊C中隊が,北朝鮮軍の奇襲を受ける.3時間の戦闘のあと,中隊は撤退を余儀なくされる.撤退中の中隊は,谷間で北朝鮮軍の待ち伏せ攻撃を受け,第555,第90野砲大隊を含め全滅.攻撃を切り上げた北朝鮮軍はSokum山地に引き上げる.

第五戦闘団第三大隊はさらに西方に進み,晋州東方5・4キロのMuch'on-niに到達.すでにMuch'on-niを制圧していた35連隊との連絡に成功.

固城を出発した第五海兵連隊は,晋州の南13キロまで前進.ここで北朝鮮軍の待ち伏せ攻撃を受ける.海兵は午後になり後退.その後,孤立の危険が迫った第五戦闘団の後方支援に回る.

浦項戦線: 米救援部隊,浦項飛行場への攻撃を撃退.米駆逐艦2隻が浦項沖合いで待機.浦項西方高地の北線軍陣地に砲撃.

8.12 シャーマン海軍作戦部長とコリンズ陸軍参謀総長が来日し,マッカーサー元帥と会談,クロマイト100-B計画を採用.仁川への上陸作戦が決定される.

8月13日

北部戦線: 騎兵師団地域の南端Hyongp'ungで,北朝鮮軍1個連隊が洛東江をわたり,409高地を確保する.

洛東バルジ: 第24師団,北朝鮮軍橋頭陣地に対し,大規模な反撃を開始.南からの第27連隊,東からの23連隊第一大隊がヨンサンに向け前進.夕方までにヨンサン東部の高地を確保.北朝鮮軍がヨンサン東部に設けた道路封鎖はすべて排除される.

第24師団を激励に訪れたウオーカー第8軍司令官,「この北朝鮮軍の橋頭陣地は米軍にとって最も重大な脅威だ」と語る.これに対しチャーチ師団長は「北朝鮮軍を河の対岸に撃退するか,それとも東岸で撃滅するかの何れかだ」とこたえる.

南部戦線: 第五海兵連隊,前線離脱を命令され,Chindong-niに撤退.これにともない,第25師団所属の各連隊も戦線拡大の中断を指示される.1週間の戦いで、北朝鮮第6師団は4千人の人的損害を受ける。

浦項戦線: 東海岸を南下した北朝鮮第五および第12師団,浦項西方の杞渓に進出.

米軍機甲部隊の偵察隊,浦項市内に突入.激しい市街戦となる.建物の3分の1は火災のため破壊される.浦項飛行場周辺でも激しい争奪戦が続く.

8.13 国警本部,警察予備隊に司法警察権を与えることに反対.法務総裁は司法警察権を持たせる意向を強く表明.

国警本部の意見書  予備隊は軍隊的なもので,司法警察権を与えると憲兵政治を復活させる恐れがある.しかも総理の直属機関であるため,政党政治に悪用されるきらいがある.したがって司法警察権は予備隊内部の規律保持,犯罪処理にとどめるべきである.

8月14日

北部戦線: 深夜 北朝鮮軍第10師団が,Yongp'oで渡河作戦を開始.明け方までに二個連隊規模の渡河に成功.Wich'on-dong方面への進出を目指す.同時に行われたSamuni-dongの渡河作戦は,第7騎兵連隊第二大隊により阻止される.

夕方 倭館北方で北朝鮮軍が渡河.防衛にあたっていた韓国軍第一師団を撃破,さらに南方に向け進撃.倭館を眼下に見下ろす303高地に迫り第5騎兵連隊G中隊と激突.

洛東バルジ: 早朝 34連隊B中隊がObong-ni尾根への攻撃を開始.いったん確保に成功するが午後には押し返される.Obong-ni北方のクローバーリーフ攻撃に向かった第9連隊も制圧に失敗.さらに北側で行われた19連隊の攻撃も失敗に終わる.

8.14 郭沫若を団長とする中国人民政府代表団が訪朝。中朝バーター貿易協定を締結。

8月15日

北朝鮮軍、新たに第15、第13、第一師団が攻撃に参加。総勢6000名が,大邱西南方24キロと西北方25キロの2地点に新橋頭陣地を築く.

北部戦線: 早朝 北朝鮮軍のT34戦車が西方から303高地に接近.山の東側の米軍駐屯地に歩兵部隊が突入し制圧.

8:00am 北朝鮮軍第10師団,騎兵師団の守る303高地の包囲を完了.兵士が山に登り始める.まもなくH中隊迫撃砲小隊が陥落.G中隊は頂上付近に結集し,303高地死守の構えをとる.午後 B中隊がG中隊救出に向かうが,北朝鮮軍により阻止される.

洛東バルジ: 洛東江西岸南方には,32キロにわたって北朝鮮軍6万と数十台の戦車が集結.昌寧付近に第3橋頭陣地を築いた北朝鮮軍1万,霊山付近に潜伏していた戦闘部隊とともに,米軍に対し激しい反撃.第24師団は後退を迫られる.

第八軍,南部戦線の第一暫定海兵旅団に洛東バルジへの転戦を指令.24師団に代わり前線に立つ。23連隊第1大隊は,21連隊が北朝鮮軍と対峙するHyongp'ung付近の409高地への出動を命じられる.

8.15 米奇襲上陸作戦専門部隊(コマンド),北朝鮮の清津に上陸.清津港付近にある重要トンネル1カ所を爆破.

8.15 仁川上陸のための第10軍が編成される。司令官にはGHQ参謀長のアーモンドが就任。カリフォルニア州ペンドルトンの第一海兵師団、第7歩兵師団、韓国軍第17連隊、海兵連隊の一部が編入される。

8月16日

北部戦線: 303高地の戦闘.B中隊がG中隊救援に向かうが,ふたたび阻止される.G中隊は夜間になって自力での脱出に成功.

日本と沖縄の基地を出発したB29編隊,倭館北西部の北朝鮮軍に対し絨毯爆撃.

多富洞戦線: 倭館北東30キロ,大邱北方20キロの地点に,北朝鮮軍が進出し韓国軍を撃破.Sangju- Tabu-dong - Taegu道路を,大邱に向け進軍開始.

洛東バルジ: 第五海兵連隊,密陽に到着.洛東バルジの南部への展開を命じられる.中部は34連隊,北部は19連隊が担当することとなる.27連隊はKyongsanに移り予備役となる.

浦項戦線: 韓国軍首都師団,盈徳から海上撤退.

8.16 UPによれば,朝鮮戦争のいかんにかかわらず,早期講和については政府部内で一致.ダレス国務長官特別顧問と国防省が条約草案について意見調整をはかる.

8.16 ワシントン・ポスト社説,「北朝鮮軍の韓国侵略によって,『極東のスイス』構想は根本から覆された.米国は日本に基地を獲得すべきである.またこの観点に立って,元日本軍将校の率いる警察予備隊7万5000の設置もみとめるべきである」と主張.

8月17日

倭館戦線: G中隊脱出を受け,米軍は203高地に砲火を集中.4:30pmに高地の制圧に成功.

多富洞戦線: 午前 北朝鮮軍4個師団,戦車を先頭に韓国第一師団地域に猛攻を開始.大邱北方32キロ以内に迫る.背後にはさらに少なくとも3個師団が控える.

27連隊が大邱の北5キロのKumho川北岸に本部を置き展開.第一大隊と第八野砲大隊は,さらに北方3キロCh'ilgokまで進出し防衛線を引く.37野砲大隊は浦項から移動し,Ch'ilgokの前線に送られる.

洛東バルジ: 午前 第五海兵連隊第二大隊,Obong-ni尾根への攻撃を開始.二度にわたり頂上を制圧するが,そのたびに押し返される.兵力の60%が犠牲となった第二大隊は,午後4時に,第一大隊により救出される.

午後7時 第9連隊がクローバー・ヒルを制圧.海兵隊はクローバー・ヒルに隣接するObong-ni尾根に再度突入.夜になって,北朝鮮軍はクローバー・ヒルとの連絡路の切断行動に出る.

南部戦線: 北朝鮮軍が24,35連隊に対し小規模な索敵攻撃を繰り返す.Komam-ni地区のSibidang尾根では,駐屯中の35連隊第一大隊に対し,大隊規模の攻撃がかけられる.A中隊と砲兵小隊はいったん拠点を撤退するが,夕方までに回復.

8.17 李承晩、大邱を発ち釜山に向かう。その後外交団も次々に釜山に向かう。

8.17 国連の軍事行動に関するマッカーサー報告書,国連米代表部を通じてマリク安保理事会議長に送付される.「速やかに勝利を収めるためには,地上軍を速やかに増強することが絶対に必要である」と訴える.

8月18日

北部戦線 早朝 北朝鮮軍の後方支援部隊,倭館に近い洛東江西岸から大邱の郊外へ砲撃を開始.大邱市中にも砲弾が落下.午前9時には大邱駅に6発の榴弾が打ち込まれる。韓国政府は大邱から釜山へ撤退.釜山に臨時政府を設立.

多富洞戦線: 韓国第一師団の支援を受けた27連隊が,多富洞の北3キロSoi-riに到達.新鋭パーシング戦車隊および砲兵,空軍の援助の下に,北朝鮮軍を迎撃.

多富洞付近の地勢
大邱ーサンジュをつなぐ主要道路が南北に走る,道路の両側は道路に並行して丘陵が続く.西側には約千メートルのユハク山,東側にも800メートルクラスの山.Soi-riからさらに2キロ北にCh'onp'yong-ドン,さらにその北2キロで道は二股に分かれ,左側がサンジュに,右側が軍威に向かう.

洛東バルジ: 3:45am 北朝鮮軍,Obong-ni尾根の海兵隊に反撃.1時間後に183名の犠牲を出し撤退.この日のうちに海兵連隊第一大隊は尾根の全面制圧に成功.北朝鮮軍第4師団は洛東江方面へ敗走.これにより洛東バルジの第一次戦闘はほぼ終了.

南部戦線: 北朝鮮軍,35連隊第一大隊に対し大隊規模の攻勢.シーソー・ゲームとなる.

浦項戦線: 浦項の韓国軍首都防衛師団,杞渓地区への反撃を開始.

8.18 オーストラリアのメンジス首相が訪日し,マッカーサーと会談.対日占領政策について調整.「豪州の駐日部隊は9月には朝鮮で行動することになろう」と語る.

8月19日

多富洞戦線: 2am 北朝鮮軍,戦車・自走砲などを加え,第27連隊への攻撃を開始.第23歩兵連隊(第二師団)が27連隊の支援に回る.夜明けとともに,尾根を進撃していた韓国軍師団が北朝鮮軍への攻撃を開始.北朝鮮軍は後退.

8.19 コリンズ陸軍参謀総長,シャーマン海軍作戦部長が訪日.「通常の監察以上の何者でもなく,マッカーサーが両参謀総長の視察を要請した事実はない」とコメント.

8.19 外務省情報部,「朝鮮の動乱とわれらの立場」と題する外交白書を発表.「われわれを共産主義の暴力から防ぐものは民主主義国の団結の力以外にはない.中立論も戦争不介入論も日本軍事基地化反対論もすべて共産党の謀略工作である.日本の民主主義の建設と安全保障(共産党弾圧)は,国連軍への許される限りの協力だ」と結ぶ.

8.19 顧維鈞駐米国府大使,マッカーサーとの会談のあと記者会見.「対日講和の早期締結の可能性は非常に強い.日本は,再武装問題とは別に,自由愛好諸国の一員として,極東において重大な役割を演ずることになるだろう」と述べる.

8.19 アメリカB29爆撃機90機,北朝鮮清津・咸興の軍事,工業目標に対し800トンの爆弾を投下.

8月20日

8.20 米第24師団および第一海兵旅団,霊山西方の北朝鮮軍を一掃.

8.20 マッカーサー,「国連軍捕虜に加えられた北朝鮮軍による一連の残虐行為は,動かし難い証拠によって明らか」と声明.

8.20 ネール・インド首相は毛中国主席から北京公式訪問の招待を受けたと発表.

8.20 北朝鮮軍,洛東江をわたり4キロにわたり浸透.大邱北方24キロの地点で3度目の夜襲.韓国第一師団の攻撃部隊は倭館まで進出.

8.20 東部戦線の韓国軍,開戦以来最大の勝利を収め,浦項港から約26キロ前進.3個師団約3万に上る北朝鮮軍を全滅させる.北朝鮮軍は戦死3800,捕虜181の損害を受け盈徳方面に敗走.

8月21日

8.21 05:00am 9個師団(約5万ないし8万)の北朝鮮軍が,米軍陣地東方の多富洞の韓国軍陣地に進出.約3キロにわたり南方に浸透.韓国軍も反撃を開始.北朝鮮軍1個連隊を撃滅.

8.21 UP,米高官筋の発言を報道.「日本の再軍備は将来の危険を孕むことであり,極東委員会により禁止されている.もし米国が憲法修正を望むならば,不可能ではないと思う.しかし対日講和会議が開かれるまでは,極東委員会の決定を変更するのは不可能である.米政府は,第三次世界大戦以外の場合,講和以前に日本の再武装を許す考えは全くない.ただし,マッカーサーが必要と判断する場合は,20万の警察予備隊が大幅に増員されることはあり得る」

8月22日

8.22 米軍最高首脳が議会で朝鮮戦争に関して証言.

ジョンソン国防長官:朝鮮事変は,38度線まで押し返すという当初の計画に変化がなければ,来年2月までに終る.その時点で米国は,陸軍17個師団,空軍69連隊,各種空母23隻を含む艦隊を持つことになる.朝鮮から米軍を撤退する決定は政府の最上層部によるものであり.軍部の決めたものではない.
シャーマン海軍作戦部長:もし米国が極東にもっと強力な艦隊を持っていれば,これ程の困難はなかっただろう.
ブラドレー統合参謀本部議長:侵略があらかじめ慎重に計画,準備されたものであることは今や明らかである.共産主義は目的達成のためには,いつでも武力に訴える用意があることも明らかとなった.したがって米国の必要とする軍事力の計画を変更すべき必要も明らかになった.

8.22 韓国軍第13連隊は大邱北方22キロの多富洞付近の高地を占領.米第24師団第27連隊は,戦車に誘導された北朝鮮軍の攻撃を撃退.大邱から北方20キロの地点までの主要道路を確保.北朝鮮軍の一部は米陣地の後方に浸透.

8.22 北大評議員会協議会,イールズ博士講演中止の責任をとるとした伊藤誠哉北大学長の辞表を受理.学長代理には島農学部長があたることとなる.

8月23日

8.23 朝 大邱北方の第27連隊,後方切断を狙う北朝鮮軍の攻撃を,5回にわたり撃退.連隊幹部は,「今後2晩の戦闘で,米軍が大邱を失うか,または完全に北朝鮮軍を撃退するかが決するものと思われる」と語る.

8.23 北朝鮮軍第10師団,玄風の北朝鮮軍橋頭陣地を確保.大邱攻撃を狙う.

8.23 南部戦線の米第25師団,北朝鮮軍の攻撃によって失った地区を回復.

8.23 咸少佐の率いる韓国軍諜報部隊が仁川の沖合いの霊与島に上陸。上陸作戦を前に情報収集を開始。

8.23 東京のGHQ総司令部で、コリンズ陸軍参謀総長・シャーマン海軍作戦部長がマッカーサーらと会談。マッカーサーの仁川上陸作戦に対して技術的困難を理由に反対するが、最終的に作戦を受け入れる。

ワシントンの反対理由: ①二正面作戦は釜山橋頭堡を弱体化させる。②第7師団を投入すれば日本の防衛力は皆無となる。③仁川の地形的・海象的条件は、上陸作戦に極めて不適当である。

8.23 ロイターによれば,ソ連はポツダム協定に拘束されることなく,東独政府との間に単独講和条約を樹立する計画.条約締結後6カ月以内に,西欧諸国に西ベルリンからの退去を要求する予定.

8月25日

8.25 国連米代表部,リー国連事務総長に対し,「米国は安保理事会が台湾問題を検討するのに反対しない」旨通告.「米国は台湾に関し,何ら領土的野心を持っていない.米国のとった措置は,単に台湾の中立化を目指したものである.台湾の将来の地位は国際的に決定されるべきである」

8.26 米議会,米軍反攻が38度線を越えて行われるべきか否かで激論となる.

越北派の意見
1,もし北朝鮮軍が新たな攻撃力を再備するならば,38度線まで後退させるため米軍が蒙った犠牲は無になってしまう.
2,朝鮮問題の唯一の解決策は,自由な統一朝鮮政府を樹立することにある.38度線の固定は解決にはならない.
3,38度線にとどまろうと,中国国境まで進もうと,ソ連は賛成しないだろうし,反撃もしないだろう. 

8.27 東海岸の北朝鮮第五および第12師団,浦項への総攻撃を開始.韓国軍は浦項ー安康を結ぶ兄山江の線まで後退.21連隊第一大隊が支援に入る.夜間になって,北朝鮮第五師団は浦項の包囲作戦を開始.

8.27 マッカーサー,帰還軍人協会の大会に宛て「太平洋諸島の防衛線を確保すれば平和を維持できるが,もしそれを失えば戦争は不可避だ」と述べたメッセージを送る.そのあとトルーマン大統領自身の指令により,このメッセージを撤回.台湾の軍事的重要性を強調した部分が,中国との関係で問題となる.

 

8月28日

8.28 米統合参謀本部,仁川上陸作戦を最終承認.マッカーサー元帥は作戦発動を指令.マッカーサーは腹心のアーモンド参謀長を司令官とする第10軍団を編制。洛東バルジの第一海兵旅団を引き上げ、日本占領を担当する第7師団とで中核部隊とする。なお激戦が続く洛東バルジへは、第7師団の1個連隊を割いて派遣。

8.28 豪州軍を主力とする英第27旅団が,釜山に到着.ただちに慶州に配置される.

8.28 ソ連のマリク安保理事会議長,台湾問題を議題に取上げて討議すると通告.

8.28 トルーマン大統領,台湾に関する米国の立場を明らかにした7項目の声明を発表.

トルーマンの台湾声明の要旨
1.米国は中国人民に対し絶えず友情を示してきた.米国は中国領土を侵害したこともなく,また中国に対し侵略行為を行ったこともない.
2.中国政府(国民政府)は連合国の要請に基き,台湾駐在日本軍降伏の責任を引受けた.これが中国政府(国民政府)が現在,台湾にいる理由である.
3.今日の米国の台湾政策は,台湾が中国本土と戦争状態にあり,戦争の危機が拡大していた時にとられたものである.米国の基本的スタンスは,中国内の両軍に平等に適用された「公平なる中立化」と平和の維持である.これは国連憲章の精神と合致する.米国の行動は台湾問題の政治的解決を阻害するものでない.
4.台湾の法的地位は国際間の合意以外には決定できない.米国は,国連が台湾問題を考慮することを歓迎する.国連による検討こそが,この問題の平和的解決に役立つであろう. 国連総会でも,米国は中国の領土保全の決議案を真っ先に採決した.ソ連がこの決議に反対した.
5.しかし今,安保理事会は,先ず韓国に生じた情勢を審議すべきだ.朝鮮では平和の侵害が起った.そして国連軍は侵略を撃退するために戦っている.しかし台湾は現在のところ平和であり,何人が敢えて武力に訴えない限り,平和を保つであろう.

8月29日

8.29 米民主党,,ト大統領は米軍の最高司令官であり,軍規を維持する権限をもっているとし,マッカーサー発言撤回に関するトルーマンの行動を黙認.ホワイトハウス当局も事件は既に落着したものと考えると言明.

8.29 第21連隊と第73戦車大隊,浦項で反撃.北朝鮮軍を北方に押し戻す.韓国首都師団はいったん杞渓を制圧するが,夜間には引き揚げる.北朝鮮軍の先頭部隊,杞渓から南方に進出.浦項西方16キロ付近で大邱国道を数回にわたり切断.米韓軍車両に攻撃.

8月30日

8.30 北朝鮮軍,浦項西南2.5キロに進出.浦項救援のため出動した米韓軍に猛攻を加える.

8.30 第八軍情報部,馬山への大規模な攻撃の可能性があると通告.第27連隊が馬山の第25師団に配属される.

8.30 マッカーサー、国連軍司令官として、仁川上陸に関する「国連軍作戦命令」を発する

8月31日

11:30pm 北朝鮮軍第一軍団,最後の決戦となる九月攻勢を開始.第6、第7師団などが第一攻撃集団を形成。馬山正面に向かう。第2、第4、第9、第10師団などが第二次攻撃集団となる。昌寧、霊山を経て大邱南部に進出。

8.31 トルーマン大統領,朝鮮戦乱が終結すれば,米第7艦隊を台湾水域から撤退させると言明.

8月末 8月の犠牲者は米軍6千人.これに対し北朝鮮側は開戦時兵員の半数以上を失い,火力の7~8割を喪失. 

 

50年9月 

9月1日 ホリブル・セブン(恐怖の7日間)

洛東バルジ

深夜 北朝鮮第9師団、馬山に向かう鉄橋の確保を狙い南旨に大攻撃.米軍第二師団は霊山東方丘陵地帯まで撤退.第9師団の左翼の北朝鮮第二師団は昌寧に迫る。

1:30am ウォーカー、昌原に待機する第5海兵連隊に、米第二師団が守る霊山への出動を指令。

未明 北朝鮮軍第9師団が米第二師団第9連隊を撃破し洛東バルジの霊山をふたたび奪取.さらに霊山から蜜陽に通じる国道に侵入.

馬山戦線

夜半 北朝鮮軍第6師団が,咸安の米第24連隊第二大隊を撃破.その後第7師団の戦車部隊が南江を渡河し,馬山北方に進出し第35連隊の背方に回り込む.

9.01 クラーク大尉の一隊が,仁川の月尾島(霊与島)に潜入.咸少佐の情報を確認すべく偵察行動を開始.

9.01 浦項戦線の米第2,第24の両師団および韓国軍第3師団,浦項北方10キロの興海奪回を目指して作戦を開始.

9.01 釜山に避難した国会、釜山文化劇場で議事を再開。

9.01 トルーマン大統領,炉辺談話(ファイアサイド・チャット)に出演.

談話の要旨
朝鮮における共産軍の侵入はすでに峠を越した.北朝鮮が他国の軍隊を介入させなければ,「本格的な戦争」には発展しないだろう.中国が誤って国連及び米国民を敵に回して闘うことのないよう切望する.ソ連は米国の経済力を過小評価する誤りを犯してはならない.

9.01 閣議で公務員などのレッドパージの方針を決定。11月10日までに民間主要産業342社9524名と各官庁公務員1177名合わせて1万701名がパージされた。

9月2日

9.02 早朝 米軍第5海兵連隊,霊山(209高地)を奪回.白兵戦を挑んだ北朝鮮軍第9師団はこの戦闘で崩壊.昌寧でも第38連隊が北朝鮮軍の前進を阻止.北朝鮮軍は甚大な被害を残し撤退.洛東バルジのほぼ全域が米軍の支配下に入る.

9.02 南部戦線では米軍が咸安を奪回.北朝鮮第6師団は約1万の損害を出しいったん後退.(この時点で第6師団の全兵力は1万を切っていたはずだが)

9.02 倭館の第一騎兵師団,大邱に向かう北朝鮮軍主力を背面攻撃.第7騎兵連隊が多富洞に入り,Suam山(518高地)を奪取.

9.02 マッカーサー元帥,国連安全保障理事会に,「国連軍の活動に関する第3次報告書」を提出.国連軍増強の必要を強調.また「北朝鮮軍がカムフラージュのため民家や民間輸送機関を利用しており,軍事目標を識別することは著しく困難」と民間人や施設の攻撃を合理化.

9月3日

0:00pm 北朝鮮第二軍団が最後の総攻撃を開始。190キロにわたる国連軍の防衛線全面に対し,10万の兵力を投入して攻撃を再開する.12地点で洛東江をわたり,少なくとも3カ所に橋頭陣地を確保する.馬山では第27連隊第一大隊が包囲される。

洛東バルジ・馬山戦線

北朝鮮軍第9師団,209高地を奪回.馬山・晋州間でも激戦が続く.

北部戦線

北朝鮮部隊が二台の戦車を先頭に攻撃開始,第8騎兵連隊の防衛線を突破し、多富を制圧.さらに大邱を見下ろすカ山(902高地.)を制圧.急派された米軍混成部隊とのあいだで激戦となる.

東部戦線

杞渓の北朝鮮第12師団,浦項に対し猛攻.米韓軍は興海奪回作戦を中止.第21連隊は慶州北方まで撤退.第9連隊第三大隊などが延日飛行場の守備隊として残される.

昼 ジェーン台風が大阪に上陸。その後列島を縦断。大阪では市内西部が水没状態となり、死者53人、行方不明11人を出す。

9月4日

洛東バルジ

第五海兵連隊、霊山西方で反撃を開始。北朝鮮第9師団の司令部を襲撃。第9師団はT34戦車二両を放棄し壊走。

北朝鮮第二師団、昌寧で38連隊の防衛線を突破。

北部戦線

北朝鮮第13師団が架山と多富洞を制圧。第三師団は第7騎兵連隊の背後に当たる464高地を制圧。さらに倭館北側の303高地に進出。

米騎兵師団はカ山奪還を目指す.北朝鮮軍の反撃により多大な犠牲を出しながら755高地まで進出.多富では激しい戦闘が繰り広げられる.

東部戦線

北朝鮮第12師団の主力隊、韓国軍第三師団の側面をつき、浦項西900メートルの延日で,大邱―浦項公路(永川道路)を切断.米韓合同軍は安康東方の仁洞まで撤退.追撃する北朝鮮軍は西13キロの安康を攻略.

浦項攻撃に入った北朝鮮軍部隊、浦項西南方浦項停車場から西南900メートルの丘陵のうち少なくとも3つを占領.浦項はほぼ孤立状態となる.別動隊は韓国軍防衛線から16キロ侵入し、慶州・浦項間の連絡を切断.前線部隊は慶州から北方わずか6キロの地点に達する.

第15師団は永川に浸透。

1:00pm GHQのライト作戦部長、大邱を訪れウォーカーと会談。6日に海兵隊の撤収、仁川への移動開始を行なうと通告。

8:00pm ウォーカー、師団長会議を招集。戦況は急迫しているとし、戦線の縮小を提起。東海岸の蔚山、密陽、馬山東側の山地を結ぶダビッドソン・ラインの可能性を検討する。激論の末、当面は現戦線を維持してたたかうこととなる。

9.04 米海軍所属の航空機がWolmi島(現仁川国際空港)への爆撃を開始.

9.04 ソ連機とみられる爆撃機が,国連軍海軍部隊を攻撃.撃墜される.ソ連の北朝鮮「再占領」の動きに注目が集まる.

9月5日

北部戦線

北朝鮮第3師団が倭館を攻撃。第一騎兵師団は倭館西方から撤退し,新防衛線に司令部を移動.

夕方 大邱北方の第7、第8騎兵連隊,多富洞南方5キロの新陣地に後退.大邱の北わずかに15キロ.米軍は755高地確保を断念.周辺の高地はすべて北朝鮮軍第1、第13師団が確保.尚州の第一騎兵連隊が孤立の危機に.

東部戦線: 

北部から永川付近に進出した北朝鮮軍第15師団、夕方には永川に総攻撃.永川を守る韓国軍第8師団は崩壊。

第12師団主力は安康から東に向かい,一日にわたる市街戦の末,浦項を制圧.浦項西南10キロ延日の米軍飛行場への圧力を強める.飛行場の防衛にあたっていた米軍部隊は孤立する.

洛東バルジ

米軍,209高地をふたたび確保.

南部戦線

米軍が咸安を確保.

深夜 第八軍の後方司令部と韓国軍司令部,大邱を撤退し釜山北方の東来に移る.

9.05 国連軍,羅北海岸地帯の群山に集中攻撃.空軍による爆撃の後,英米コマンド部隊が威力偵察を敢行.1週間後に作戦を終了し撤退.仁川上陸作戦のための陽動作戦.

9.05 国連安保理事会が開かれる.オースチン米代表は,「中国国境地域に続々軍隊が移動しているとの報道を懸念している.ソ連は中国と米国の緊張を高めるために,あらゆる手段を講じている.米政府はあらゆる紛争を,国連を通じて平和的に解決しようとしている」と述べる.マリク・ソ連代表は「人道的見地から,米国の北朝鮮爆撃中止をもとめるソ連提案を協議すべき」と主張.

9月6日

北部戦線

北朝鮮軍第三師団,倭館を占領.倭館近郊の313高地も北朝鮮軍の手中に帰す.

北朝鮮軍第13師団,カ山からさらに南の錦岩周辺に進出.一時多富の国道を封鎖.まもなく米軍が奪回.

尚州から退却中の第7騎兵連隊が孤立。北朝鮮第一師団は第8騎兵連隊の退路を遮断。

東部戦線

永川を占領した北朝鮮軍第15師団,主力を慶州に差し向ける。米軍の空爆により後方を絶たれた北朝鮮軍は,補給線維持が困難となる.

北朝鮮第12師団、浦項―大邱公路を突破して慶州に向って進撃.慶州北方11キロまで到達.一部は蔚山に浸透.米軍は慶州に24師団第9連隊を派遣.

洛東バルジおよび馬山戦線

0:00am 第五海兵連隊、仁川上陸作戦参加のため戦場を離れ釜山に向かう。その後を第二師団第9連隊が引き継ぐ。

南江の北朝鮮第7師団が退却を開始。米35連隊は、河畔に遺棄された北朝鮮兵士の死体2千を発見。

9.06 マッカーサー、仁川上陸作戦が15日決行予定であることを各部隊に文書で通達。

9.06 韓国海兵隊,木浦沖合いの荏子島および群山沖合開也島に上陸し戦闘を開始.

9.06 ヴィシンスキー・ソ連外相,朝鮮戦線におけるソ連機撃墜事件についてカーク駐ソ米大使と協議.カーク大使は,「私の情報では,この事件は,安保理の決議に基いて行動している国連軍による防衛行動である」とし,国際連合で処理されるべき事柄であると言明.

9月7日

北部戦線

第一騎兵師団、第8騎兵連隊の守る北方に戦車隊を進出させ、尚州の騎兵師団第7連隊を救出。第7騎兵連隊は多富まで撤退.カ山への攻撃に加わる.

東部戦線

第24師団21連隊,慶州から永川方面に進出.安康里西方から出撃した北朝鮮軍第12師団の約2個連隊,小部隊に分かれ永川と慶州の中間地帯に浸透.

第24師団、浦項付近の韓国軍第7師団第5連隊を永川に向かわせ奪還。北朝鮮第15師団は永川に戻り、ふたたび永川を制圧。

南部戦線

北朝鮮軍が反撃し,P'il-bong,BattleMountain,SobukMountainを奪還.

9.07 トルーマン米大統領,ドイツ再軍備問題が米英仏外相会議と北大西洋条約理事会とで審議されることを明らかにする.

9.07 国連安保理,米国の朝鮮爆撃を非難したソ連決議案を否決.グロス米代表は中国の提訴した「米機の満州爆撃事件」に関し国際調査委員会を設置する決議案を上程.中国代表招致については拒否.

9月8日

東部戦線: Changnyongの決戦.北朝鮮第二歩兵師団が最後の吶喊攻撃.朝鮮人民軍総参謀長姜健が戦死するなど戦線壊滅.米韓軍は永川を完全制圧.永川と慶州間の道路も確保.永川南東約5キロ半に北朝鮮軍が築いた道路防壁は除去される.韓国軍は安康方面への反撃を開始.

北部戦線:第5騎兵連隊,倭館東方の新洞まで撤退し新たな防衛線.錦岩の570高地で攻防戦が展開される.

9.08 ユージン・クラーク中尉の率いる特殊部隊が,現地警察の支援を得て,仁川に通じる島々を確保.上陸作戦に備える.

9.08 リー国連事務総長,中国政府に対し,「もし国連総会で中国代表を受け入れることに決れば,代表団を迎えるための,あらゆる措置がとられるだろう」と通告.

9.08 安保理事会,米軍機の中国地区侵犯問題を討議する際,中国代表を理事会に出席させる提案を決定.

9月9日

東部戦線

安康に進出した米軍,北朝鮮軍第12師団の反撃にあい撤退.第12師団は第5師団とともに延日の飛行場に対する包囲を強める.

永川戦線

北朝鮮軍第15師団を中核とする3万,永川を3方面から包囲.先頭部隊は大邱に向け西進をはじめる.他の部隊は大邱東南方の慶州に進む.永川―慶州街道は5カ所で北朝鮮軍の砲火にさらされ,悪天候のため空軍の援護活動が困難な中,第24師団および韓国軍は防戦に追い込まれる.

多富戦線

北朝鮮軍はさらに南下.第1騎兵師団は大邱北方の高地から撤退.大邱北方を流れる琴湖江に最後の防衛線を張る.北朝鮮偵察隊は大邱北方11キロの米軍陣地後方まで侵入.大邱には3万人の難民が避難.

洛東バルジおよび馬山戦線

昌寧の北朝鮮第二師団は攻撃力を失い、守勢に回る。

北朝鮮軍、馬山を目指すための要衝戦斗山を確保するが、その後、攻撃力を失い停滞。

9.09 ワシントンの統合参謀本部、仁川上陸作戦を最終的に承認。

9.09 トルーマン大統領,アチソン=ジョンソン勧告書に基き,西欧駐在米軍の飛躍的増強を承認.

9.09 ラスク極東問題担当国務次官補,復員軍人全国大会でアジア政策目的について講演.

ラスク講演の要旨
アジア問題はアジア諸国自身が解決しなければならない.アジア国民は近代的生活条件を備える必要がある.貧困,施設の不足,技術的知識の欠如,軍事的弱体などが困難を生んでいる.
我々はアジアに対して一片の領土も1つの特権も1つの特殊の立場も求めない.アジア国民の自由で,自主的で,民主的で,国際関係を尊重する民族的熱意を支持する.
国連諸決議に基づく自由な統一朝鮮を支持する.朝鮮における侵略は阻止されなければない.国連の1加盟国として積極的に行動すべきである.
我々は台湾への経済援助を続けるべきである.将来的には台湾を中立化し,その地位を国連で解決することが重要である.この問題を武力攻撃で解決しようと試みるものがいれば,米国は台湾に軍事援助を与えるべきである.
米国は中国との伝統的な友好関係をもち続けることを望む.しかし共産党が中国本土で行っているあらゆる侵略行為は,重大問題である.

9月10日

東部戦線

韓国第3師団および戦車,大砲を持つ米第2師団,浦項飛行場を引き続き確保.その北方および西方に布陣.

慶州を攻める北朝鮮軍第13師団、攻勢を止め後退に移る。

永川戦線

ウォーカーの陣頭指揮を受けた韓国軍第11、第5連隊と第8師団,慶州から進出し永川を制圧.さらに北方に進出.北朝鮮第15師団は包囲され壊走。

北部戦線

北朝鮮軍,大邱を見下ろす八公山の奪取を目指し「万歳攻撃」を開始.第一師団第二連隊は支援火力なしに突進し、たちまち兵力の三分の二を失う。

9.10 アチソン国務長官がテレビ演説.対中強硬派を抑えるとともに,中国に自制を求める.

アチソン演説の要旨
戦争が不可避であるとの考えは,あらゆる点からみて不道徳で誤謬に満ちており,非常に悪意あるものだ.それは我々がまさに阻止せんとするものを招来せんとするものだ.戦後5年間に,ソ連がイラン,トルコ,ベルリン,および東欧で行った行動によって米国は反撃に出ざるを得なかった.これは絶対に必要で,かつ根本的問題であった.
朝鮮における国連の行動は歴史上,重大転換の1つである.すなわち自由な諸国が侵略に対し,具体的に反撃したからである.
台湾は国連軍の左翼を防衛するために中立化されたのである.台湾の将来は武力によってではなく平和的交渉によって解決されねばならない.
中国が自国の破壊を求めている理由は,明らかに朝鮮紛争を引起した共産主義運動の圧力が加わっているからである.中国が北朝鮮側に立ち,朝鮮戦乱に介入することは中国にとって全く馬鹿げたことになるであろう.

9月11日

9.11 第9連隊が慶州北方の北朝鮮軍拠点を次々に陥落.慶州正面の北朝鮮軍は一斉に敗走。大邱では錦岩の570高地に対する奪還作戦が開始される.ウォーカーは「北朝鮮の戦力は破弾界に達した。明日の様子しだいで反撃命令が出せるだろう」と述べる。

9.11 日本国内で仁川上陸部隊として、第一海兵師団,第7歩兵師団を中核とする第10軍団が編成される.司令官にはマッカーサー副官のアーモンド参謀長.これに現地で韓国軍第17連隊が加わる.第1海兵隊師団2万6千が神戸を出港.米第七師団も横浜を出港.

9.11 金日成,ラジオで演説.「朝鮮人民の自由と独立のための正義の戦いを、誰が侵略者呼ばわりするのか」と述べ,開戦が北側のイニシアチブにあったことを示唆.

9.11 安全保障理事会,ソ連代表提出の「中国領土爆撃問題に関する安全保障理事会の討議に中国代表を招請する件」を表決.賛成6,反対3,棄権2で法定得票数たる賛成7票に1票足りないため,これを否決.賛成6はソ連,ユーゴ,インド,英国,ノルウェー,仏国.反対3は国府,米国,キューバ.棄権2はエジプト,エクアドル.

9月12日

9.12 北朝鮮軍,永川―浦項道路以北の防衛線に撤退を開始.慶州方面の北朝鮮軍第5師団は敗走。

9.12 ウォーカー司令官、「断固たる相反撃」を指示。第7騎兵連隊が大邱北側の314高地を奪回。韓国軍第一師団,カ山東方の八公山への攻撃を開始.永川から北上した韓国第8師団は八公山北方まで進出.北朝鮮軍最精鋭の第二師団を殲滅.東部戦線でも韓国軍第三師団,米第24師団が浦項を制圧.北朝鮮第12師団を追い、さらに北方への進出を開始.

9.12 米第十軍団所属の米第五海兵連隊・韓国海兵連隊・韓国第十七連隊が釜山港を出港.マッカーサー、戦艦マッキンレー号に載り佐世保港を出発。

9.12夜 米英遊撃隊が郡山に上陸し威力偵察行動。仁川上陸のための陽動作戦。

9.12 ルイス・ジョンソン米国防長官・アーリー国防次官が辞任.アチソン国務長官との対決に敗れたもの.ジョンソン前国防長官は予防戦争を呼びかけたマシューズ海軍長官を非難しなかった.トルーマン大統領はジョージ・マーシャル元帥を任命.新国防長官マーシャルは,これまで蒋介石政権を強く批判してきた.

9.12 ニューヨークのウォールドーフ・アストリア・ホテルで,米英仏3国外相会議が開幕.強力な米国の援助を得て西欧の総合的防衛計画を打ち出すのが目的.アチソン米国務長官はドイツ軍約10個師団の創設を提案.

アジア問題に関しては,①東南アジアにおける共産主義勢力の拡大を阻止するため,インドシナ,朝鮮および台湾に対する援助を強化することで一致.②マッカーサー元帥の役割を明確にすることで対策の検討を認める.③ソ連が主張する中国政府の国連加盟問題については,いち早く毛沢東政権を承認した英国は,米仏の強硬姿勢が中国をソ連の手中に押しやっていると主張.米国の対日講和基本方針が提示される.占領の終止と日本の主権回復の前提として,世界の平和と安全保障が確立するまで,米軍部隊が日本に駐在すべきことを明記.日本に於ける米軍部隊の配置について,日米両国間に別個の取極めを行う.

9月13日

9.13 米第八軍,洛東江線突破のため米第一軍団を編成.米第一騎兵師団・米第二四師団・韓国第一師団などより構成される.

9.13 国連海空軍,東海岸の三陟と西海岸の平壌外港,仁川の月尾島を艦砲射撃と爆撃により威嚇.

9.13 駆逐艦など10隻からなる米海軍,仁川に通じる飛魚水道(FlyingFishChannel)に侵入.港の入り口に位置する月尾(Wolmi)島に艦砲射撃を加える.

9.13 AP電.米外交当局者によれば,「日本は国連に加盟した場合は,全世界の安全保障の責任の一端を担うため,おそらく何時か再び軍隊をもつようになるだろう.米軍の日本駐在継続に関しては,米日両政府が別個の条約について交渉を行う.講和条約に対するソ連及び中国の関係がどうなるかは明らかでない.しかしソ連が講和問題の解決を妨害するのは許されないだろう」

9月14日

9.14 北朝鮮の9月攻勢が終焉を迎える.

大邱戦線:第一騎兵師団が激戦を継続.カ山周辺の高地がすべて米韓軍の制圧下に入る.

南部戦線:Sibidang山地,BattleMountain,ソブク山地でのシーソーゲームが続く.洛東バルジ戦線は北朝鮮軍の壊滅によりほぼ消滅.

東部戦線:米軍に後方支援された韓国軍が浦項ー永川北方のラインまで進出.北出身者からなる韓国軍ゲリラ部隊,浦項の北30キロの海岸に上陸.北朝鮮軍の抵抗にあい,その日のうちに撤退.

9.14 米艦隊が2日連続の月尾島攻撃。前日とは変わり、守備隊からの反撃は消滅。

9.14 米国務省,極東委員会を構成する13カ国代表に対し個別に,対日講和条約について,「2週間以内」に非公式討議を開始したいと通告.

 

 

朝鮮戦争 年表  その2

仁川作戦から休戦まで

9月15日 クロマイト(仁川上陸)作戦

仁川上陸作戦の経過説明にはいくつかのバリエーションがあるが、中では児島の「朝鮮戦争」がもっとも説得力があるので、これを中心に記述する。

5:33pm 7カ国の兵員5万人よりなる第10軍,艦船230隻による仁川上陸作戦(クロマイト作戦)開始.艦砲射撃と空爆が始まる.旗艦マッキンレイ号にはマッカーサー元帥が座乗.

マッカーサーは第二次大戦中,この戦法を得意にしていた.敵の手薄なところへ奇襲を加え,これを分断する戦法は,ニューギニアからフィリピンを通じて日本軍に対してとった戦法であった.しかし統合参謀本部では、これを第二次大戦の古い戦術と批判する声が強かった。また43年10月のタラワ島上陸作戦で、海兵隊員千名以上が日本軍守備隊により犠牲になったことは、海兵隊のトラウマとなっていた。

6:33am 月尾島(Wolmi)北岸のGreenBeachに第五海兵連隊の第三大隊が上陸.

8:07am 米軍上陸部隊,一時間の戦闘のあと全島を制圧.北朝鮮守備隊との激しい交戦で8人が死亡,28人が負傷.北朝鮮守備隊は200名が死亡,136名が投降し壊滅.

5:30pm 仁川への上陸作戦。満潮を待って第五海兵連隊がRedBeachに,第一海兵連隊がBlueBeachに上陸.

夜 仁川市街,北朝鮮軍の反撃砲火により炎上.韓国海兵隊は市内で掃討作戦を展開.その後未明までに北朝鮮部隊は市内から撤退。

9.15 米第8軍,南部で戦闘中の全軍を二つの軍団に再編成.第一軍団は大邱に本部を置き,大邱戦線と東部戦線を担う.第一騎兵師団,24師団,英第27旅団,韓国軍第一師団よりなる.密陽(Miryang)には第二軍団が置かれ,洛東バルジと南部戦線を担う.第二師団,第25師団より編成される.この時点で在韓米軍の数は84,478人に達する.

9.15 米海兵隊,盈徳に上陸.群山にも国連軍部隊が上陸.世界最大の戦艦ミズーリ号,東海岸三陟の北朝鮮軍軍事目標に向け,16インチの巨砲を発砲.(世界最大といわれると、たかがミズーリごときが…と言いたくなってしまう我が身の愚かさよ!)

9.15 マッカーサー,「米軍は当初の作戦計画では,韓国が侵入された場合は放棄する予定であった.したがって北朝鮮軍が戦車を先頭に歩兵部隊をトラックに乗せて進めば,数日で釜山まで到達できただろう」と語る.

9.15 ワシントン政府、マッカーサーに対し38度線を超えて北朝鮮軍を撃滅する許可を与える。ただし中国の介入の兆候がないという条件の下での承認。

9月16日 スレッジ・ハンマー作戦

未明 米軍機、仁川の東方5キロで北朝鮮の迎撃部隊を発見し爆撃を加える。T34戦車三台を破壊したと報告するが、実際は一台も損傷を受けず。

7:30AM 第一海兵連隊のM26戦車部隊と北朝鮮の迎撃部隊が衝突。海兵隊部隊はT34戦車五台すべてを破壊する.仁川市内を制圧.同日深夜までに第五海兵連隊はAscom市まで進出.ソウルを見下ろす高台を確保する.

午前 第一海兵師団,仁川―京城街道を約10キロ前進.別隊は金浦飛行場約11キロに迫る.米第2師団諸部隊に対し約400の北朝鮮軍が反撃.米海兵隊の機甲部隊,仁川東南方約6.5キロで北朝鮮軍の強力な抵抗に会い停滞.

5:30pm 第一海兵師団が仁川に司令部を設置。米第10軍団の新司令官アルモンド少将,仁川に上陸.

夜 アーモンド司令官が記者会見。「仁川上陸の主要目的は,北朝鮮軍の南鮮東南部への補給路切断と,国連防衛部隊周辺に集結している北朝鮮軍を撃滅するにある.北朝鮮軍の崩壊は急激に起るだろう.南朝鮮にある北朝鮮軍が撃滅されれば,北朝鮮軍はその9割を失い,ほぼ消滅する.38度線突破はたんなる政治的問題でしかなくなる」

9:00am 第一軍団・韓国第二軍団が大邱戦線で大規模攻勢「スレッジ・ハンマー作戦」を開始.

北部戦線

米第1騎兵師団,倭館南方約7キロに進出.北朝鮮軍第3、第13、第1師団の反撃にあい停滞。韓国軍第一連隊は八公山から尾根伝いにカ山に進み、北朝鮮軍を奇襲して占拠。

東部戦線

特別訓練を受けた韓国軍対ゲリラ部隊「密陽大隊」は,国連軍艦砲援護下に,浦項北方16キロの長沙洞に奇襲上陸.北朝鮮軍の背後を衝く。その後北朝鮮軍第五師団の反撃を受け包囲され、米海軍上陸船により救助される。

洛東バルジ

米第2師団は洛東江東岸に迫る.北朝鮮軍は河を渡って撤退を開始.第25師団は洛東江と南江の合流点にあるポケット地帯の北朝鮮軍を一掃.北朝鮮軍は全線にわたり数キロ単位で後退.

スレッジ・ハンマー作戦: 第10軍団が仁川からソウルにかけてスレッジ(鉄床)を構成し、第8軍がハンマーとなって、ソウルと洛東江のあいだで北朝鮮軍を叩き潰すという目標から名づけられた。

9.16 米政府当局者,「講和条約では再軍備問題については何も触れない.我々の希望は,自由国家の一員として,日本が幸福かつ豊かな将来を作り上げることだけである.日本国民が希望すれば,米国としては再軍備を制限するつもりはない.現在の危険な情勢が続く限り,日本国民が今後その線に沿って動くことはありうるだろう」

9月17日

6:00am 北朝鮮軍、戦車六台と歩兵250人により反撃を試みる。第五海兵連隊の逆襲に会い、戦車はすべて破壊され、歩兵200人が死傷。

9:30am マッカーサーが仁川に上陸。ジープ14台に幹部を乗せ前線を視察。

正午 第五海兵連隊が仁川東方の富平市を制圧。米軍はここの武器庫をアスコム(Army Service Command)と呼んでいた。

6:00pm 第五海兵連隊,北東に向かい金浦飛行場南方に進出.米第25師団諸部隊はソウル方面に向け前進開始.第一海兵連隊は東方に進み、永登浦まで7キロの素砂まで進出。

深夜 第五海兵連隊,金浦飛行場を占領.3回にわたる北朝鮮軍の反撃を撃退.

9.17 第7歩兵師団,仁川に上陸.水原を目指し進出.

9月18日

07:30am 米空軍のL5偵察機が金浦飛行場に着陸.午後からは米軍部隊が次々と着陸.

早朝 アーモンド第10軍団長、海兵師団に対しソウルへの急進を指示。第五海兵連隊第一大隊,漢江南岸に進み基地を設営.

午前 第五海兵連隊はさらに東進し,ソウル北方11キロの地点で漢江西岸に到達.仁川―京城公路を進む第一連隊は,永登浦の郊外に5.5キロ(ソウルから13キロ)の地点で北朝鮮軍第18師団の側面からの抵抗を受ける.

倭館近郊で激戦.韓国軍第一師団は永川から前進し多富北方にいたり,北朝鮮軍を包囲.

9.18 夕方 米軍歩兵第2師団,昌寧西方にあるハムヨン(漢字不明)対岸の洛東江西岸に橋頭陣地を樹立.北部では第一騎兵師団が洛東江線を突破し、倭館に迫る.馬山戦線は依然膠着.25師団は南江を前に釘付けとなる。

9.18 マッカーサー,国連安保理事会に朝鮮戦乱に関する第4回報告書を提出.ソ連の軍事援助の証拠を列挙.また,中国軍が直接参加している確証は現在までのところないとしつつ,朝鮮系中国軍人の参戦や朝鮮人部隊への軍事訓練などを非難.

9月19日

9.19 海兵師団第一連隊、永登浦南方の安養川方面に回り込む。水原方面への進出路を確保。第7師団第32連隊が南方へ進出。

9.19 夕方 第一騎兵師団,倭館を制圧.北朝鮮軍は西に向かい敗走.馬山戦線の北朝鮮軍は,総退却を開始.BattleMountainから撤退.第25師団は4キロないし6キロ余前進.韓国軍第3師団は浦項の西南郊に突入.

9.19 北朝鮮政府,ソウル市内に戒厳令を敷く.

9月20日

9.20 払暁 米第五海兵連隊,ソウル北西部16キロの杏州渡船場(幸州?)付近で,戦車12台により漢江を渡河.京城・平壌間の鉄道を分断.ソウルから7キロの第127高地を占領し市街を目指す.第一大隊,永登浦を通過,同市と京城の中間にある京城飛行場を占領.

9.20 午後6時 第五連隊,京城郊外に達する.京城市中心街は野砲の射程距離に入る.第7師団第二連隊は海兵隊の進撃路の南方16キロに進出.

大邱戦線:24師団の全部隊が洛東鉄橋をわたり西岸に進出.北朝鮮軍は多富で抵抗を続ける.洛東バルジ:23連隊第三大隊はSinban川の合流点近くで洛東を強行渡河.西岸の北朝鮮軍大隊の本部を急襲し制圧.東部戦線:韓国軍第三師団が浦項を制圧.さらに興海に向け進撃.

9月21日 ソウル市街戦の開始

朝 海兵隊第5連隊,ソウル市内に進撃を開始.第一海兵連隊と第32連隊は永登浦を守る北朝鮮第9師団第87連隊の激しい抵抗にあう。

米第7師団は漢江南方の主要鉄道,道路網を切断.南部に敗走する北朝鮮軍に対し総追撃を開始.米第二連隊が仁川から水原に向かう.

南部戦線の北朝鮮軍,遅滞戦闘態勢に移り,組織的な撤退を開始する.韓国軍第一師団,多富ー大邱国道を制圧.カ山に立てこもる北朝鮮の三個師団は完全に孤立するが,第1騎兵師団の攻撃に頑強に抵抗.

9.21 国連総会運営委員会,アチソン米代表が提案した「国連強化案」と,ヴィシンスキー・ソ連代表の「新たな戦争の脅威を抑え,平和を強化するための声明」を議題とすることを決定.台湾問題については議題からはずし,「ソ連が日独人捕虜の引揚げを怠っていることを非難し,その運命について情報を与えるよう要求した提案」を議題に加える.マリク・ソ連代表は「日独の全捕虜はずっと以前に引揚げている」と語る.

9.21 新聞に続き,映画界でも第一次レッド・パージ.東宝13名,大映31名,松竹66名,合計111名に整理通告.最多と見られるニュース映画の日映のパージは,次回に持ち越される.

9月22日 

午前 第一海兵師団、ソウル攻略計画を発動。海兵隊第7連隊,ソウル西壁で,北朝鮮軍第25独立旅団の戦車,迫撃砲をふくむ激しい抵抗に会い停滞.最前線は,西大門刑務所を見下ろす丘の西斜面に進む.北朝鮮軍増援軍が議政府方面から鉄道と国道沿いに京城に到着.市街戦の構えを示す.海兵隊第1師団は,苦戦の末永登浦を占領.

第七師団第二連隊,ほとんど抵抗を受けることなく水原を奪還,水原飛行場を制圧.午後から飛行場に米軍部隊が到着.部隊の前線は安養iまで進出.

東部戦線:韓国首都師団が杞渓を制圧.さらに安東方面に向け進出.韓国第三師団は東海岸の興海を確保.北朝鮮第五師団は盈徳まで撤退.

朝 ウォーカー司令官、第8軍に対し総反撃を指令。「各指揮官は側方の安全を顧慮することなく、一意突進に努めよ」と命じる。第一騎兵師団第7連隊は、大田方面に向け突進隊第777支隊を先発させる。

大邱戦線:カ山の北朝鮮軍本部,韓国軍第一師団により制圧される.北朝鮮兵士は夜間脱出を図るが,洛東江渡河中にほとんどが死亡するか捕らえられる.韓国軍第1師団は山城地帯の残敵掃討作戦を続ける.

南部戦線:第24師団が約3キロ前進.洛東江西岸の橋頭陣地を拡大.米第2師団は昌寧西方において橋頭陣地を建設.

9.22 トルーマン,「米国は対日講和交渉の主導権をとる」と声明.また「米国は沖縄を含む琉球諸島を国連の信託統治下に置き,米国がその管理にあたることを希望している」と述べる.

9月23日

海兵隊第5連隊,ソウル市北西方向で北朝鮮軍守備隊の激しい抵抗に会い停滞.咸安付近で米第25師団と相対していた北朝鮮軍第9師団所属部隊がソウル防衛に入る.

南部の北朝鮮軍,全軍に後退を指令.第一騎兵師団機械化部隊は北朝鮮軍が放棄した尚州に入る.韓国第6師団は軍咸を占領,さらに北方に進出.北朝鮮軍は金泉方面で頑強に抵抗を続ける.

大邱戦線:SongjuでF-51が誤って英国第27旅団を空爆.多大な犠牲を出し,英軍は撤退.これにかわり倭館の第9連隊が進出し,Songjuを制圧.

9.23 中国、「つねに朝鮮民族の側に立ってたたかうことを明確に宣言する」と発表。この時点で満州国境には第4野戦軍の第39,50軍が配備を完了。

9月24日

9.24 第5海兵連隊はソウル駅から2キロの,梨花女子大学を見下ろす150メートルの高地を占領.プラウダのソウル特派員,「市内の情勢は非常に重大化した.労働者部隊はセメント,電車のレール,石などを使ってバリケードをつくっている.十字路や道路沿いにはトーチカや戦車拠点がつくられている」と報道.

9.24 海兵第一連隊が漢江南岸を全面制圧。第7師団第32連隊は渡河作戦に備え、西氷庫対岸の沙坪里に集結。

9.24 米第7師団は,北から烏山南方数マイルに進出.第1騎兵師団先頭部隊は大田を迂回して鳥致院に到達.さらに青洲に向かう.

9.24 米軍,陜川(Hyopch'on)を制圧.北朝鮮軍はおよそ300人の死者を出し敗走.

9月25日

6:30am 第7師団第32連隊,漢江を渡河して西氷庫から京城に突入.韓国軍第17連隊もこれに続く。

午前 プラー大佐指揮下の米第一海兵連隊,ソウル南西の汝矣島から漢江を渡河し唐人里に突入.海兵隊はしらみつぶしの接近戦を展開しながら東に進む。.

午前 ソウル西北部では第5海兵連隊と北朝鮮軍が高地の支配をめぐり激戦.北朝鮮軍は2千人の死者と無数の負傷者を出し敗退.

3:00pm 第32連隊の先鋒が南山を占領。海兵隊第一連隊,竜山停車場を見下ろす山頂に米国旗をひるがえす.

夕方 第一海兵連隊、龍山駅を制圧。ソウル駅南方に布陣。北朝鮮軍はソウルから北方に向け退却。

夜間 海兵隊の掃討活動に対し、北朝鮮軍が反撃。第五、第一海兵連隊は、戦車をともなう数百名単位の北朝鮮部隊と激突。

南部戦線:晋州が陥落.北朝鮮軍は西部方面に撤退.第38連隊は陜川から居昌方面に進出.第23連隊も晋州から居昌方面に進出.第五機動部隊はKumch'onを制圧.

第一騎兵師団に水原に向けての前進命令.韓国軍第一師団は尚州から北西方面に進出,第一騎兵師団を側面援護しつつ,咸昌-報恩の確保を目指す.

9.25 中国人民軍の聶総参謀長代理、「米国が38度線を越えるのを決して黙過しない」と言明。

9.25 マリク・ソ連国連代表,「米ソ両国間の意見の相違を調整し,完全な平和を実現する一助として,米ソ最高指導者の会談に賛成する」と語る.また核の先制不使用,全面軍縮と核の不法化,民間の思想及び情報の自由な交流に賛意を示す.

9月26日

午前 ソウル北西部・南西部で市街戦となる.米第1海兵連隊,ソウル駅から市内中心部にかけ、北朝鮮軍陣地の迫撃砲や狙撃に応戦しながらバリケードを突破し前進.徳寿宮に到達する.

米第7師団の第32連隊と韓国軍第17連隊,城内を支配する南山を占領.北朝鮮軍は北方に潰走.

午後2時 マッカーサーは連合軍がソウルを奪還と発表.しかし実際にはこのあと3日間にわたり激烈な市街戦が展開される.

第二師団(第7師団?)第31連隊,水原からさらに南部に進出し,烏山を制圧.

777機動部隊(第一騎兵師団第7連隊),急速前進し清州から天安に達する.途中での北朝鮮軍の抵抗はほとんどなし.天安では北朝鮮兵が戦わずに降伏.部隊は烏山の北まで一気に進み,31連隊と接触に成功.

南部戦線で北朝鮮軍の玉砕攻撃.394人が死亡し,174人が捕虜となる.348高地の戦闘では北朝鮮兵500人が戦死.

第24師団第9連隊,金泉と永同を確保.大田の東方15キロの沃川に迫る.38連隊と23連隊は居昌を制圧,同日中に安威も確保.

韓国第二軍は南部の拠点安東を奪還.

9月27日 米統合参謀本部、北進を承認

マッカーサーは38度線を越えて北進を主張.統合参謀本部,マッカーサーに対し「ソ連か中国の大部隊が北朝鮮に入っていない場合,参戦する意図の発表がない場合,そして朝鮮におけるわれわれの作戦が反撃される恐れのない場合」という条件付でマッカーサーの北進作戦を承認.さらに「可能であれば李承晩に全権を渡す」よう指示.

米軍,ソウル市内をほぼ制圧.

水原の31連隊,北朝鮮軍第105機甲師団の激しい抵抗にあうが,空襲の反復と圧倒的な火力で前進.大田から進出した777機動部隊は烏山を確保し,北朝鮮軍第105機甲師団を寸断する.

第一軍団第24師団,沃川を制圧.大田に迫る.

9月28日

国連軍,一週間にわたる激戦の末、ソウルを完全制圧.東海岸の韓国軍第3師団は38度線上の仁邱に進出.また首都防衛師団は春川に進出.前線は38度線から16キロのミアリ峠まで到達する.

烏山で31連隊と北朝鮮軍の戦い.第二師団は清州を陥落.この攻防戦で北朝鮮軍100人以上が死亡.170人が捕虜となる。北朝鮮軍は壊滅し東北方面へ壊走.あらたに鉄原に司令部を置き死守の構え.

4:30pm 第24師団第19連隊が大田を制圧し,さらに鳥致院へ向かう.大田のたたかいでは,確認した死体だけで北朝鮮軍1100名が戦死.

新たに投入された第九師団,咸陽・南原・全州を奪還し南部戦線を制圧.南部の北朝鮮軍の実体は消失.残党は地異山でのゲリラ戦に移行.

9月29日

未明 ソウル南東で北朝鮮軍の反撃.双方合わせ500人の死傷者を出す激戦となる.

12:00am ソウルで引き渡し式典が行なわれる。マッカーサーから李承晩に政府の座が渡される。ここまでに11万人が死亡,5万7千が行方不明となる.

米統合参謀本部,マッカーサーによる北進作戦を条件付で承認.トルーマンら米政府首脳は慎重な意見だったが,マッカーサーに押し切られる.

マッカーサーは仁川に上陸した第10軍団を第八軍に編入せず,GHQの直接指揮下に置き,東海岸に投入することとする.司令官にはマッカーサー腹心のアルマンド将軍. 

第八軍の編成
米第一軍団=米第24師団,英国第27旅団,韓国第一師団  米第九軍団=米第2師団,米第25師団,トルコ軍一個旅団  (米第十軍団)=第一海兵師団,第7師団,韓国首都師団  韓国第二軍団=韓国第6師団,第7師団,第8師団  予備部隊=第一騎兵師団

国連政治委員会,イギリスなど8カ国の共同決議案を採択.38度線突破の決定をマッカーサーに一任する.

9.29 李承晩は北進を指令。李承晩大統領,「北進統一」を主張.大統領官邸に韓国軍首脳を集め、丁一権韓国軍参謀総長に三八度線突破を指令.

9月30日 韓国軍の38度線突破

朝 韓国第一軍団第三師団は東海岸の江稜で三八度線を突破.中央回廊でも進撃を開始し38度線近くまで達する.第8軍司令官ウオーカーによる正式命令は翌日発せられる.

9.30 北朝鮮政府朴憲永外相,「米軍の朝鮮侵略を非難すること,朝鮮に対する干渉を即時中止させること」を国連に対し要請.

9.30 周恩来外交部長,政治協商会議で発言.北進の動きに対し,「もし帝国主義者がわが隣国に攻め込めば,中国人民は隣国朝鮮が帝国主義者の侵略に踏みにじられるのを拱手傍観する事はできない」と警告.

中国軍の戦争準備: 中南軍区の第13集団軍が東北部へ移動、東北国境守備軍として再編成される。第15集団軍の鄧華が司令官に着任。8月下旬には鴨緑江北岸への集結を完了していたといわれる

9.30 インドのネール首相,「国連は双方の軍隊を現在の位置にとどめたまま,北朝鮮の協力を得て解決を図るべきだ.38度線を突破すれば中国軍が参戦する危険はきわめて高い」と警告.北進計画に反対の立場を明らかにする.

9月末 児島によれば、敗戦をもたらした第一軍団長金雄、第二軍団長金武亭、第6師団長方虎山、第4師団長李権武らが、「反革命・反党分子」として粛清される。

50年10月

10月1日 マッカーサー、無条件降伏を勧告

11:45am 韓国軍第一軍団第三師団,38度線を越え襄陽市街を砲撃.

0:00pm マッカーサー,東京の放送を通じ,北朝鮮に無条件降伏を勧告.北朝鮮,マッカーサーの降伏提案を拒否.

10.01 周恩来が国慶節で演説。「帝国主義者が隣人の領土に侵入するのを傍観することはない」と述べる。

米国東部時間12:00am 米国防総省,「韓国軍が38度線から北へ4マイル前進」との東京報道に関し,「米軍にも韓国軍にも,38度線を越す命令は発せられていない.知る限り,韓国軍は38度線に南にある」と語る.事実上,マッカーサー命令を否定.

10.01 国連総会政治委員会,「国連軍に38度線を越える権限を与える」八カ国提案を採択.

10.01 北朝鮮、金日成と朴憲永の連名で毛沢東あてに出兵の要請。「現在の状況下で、敵軍が38度線以北への進攻を継続するなら、我々の力だけではこの危機を乗り切るのは難しい」

10月2日 北朝鮮、降伏提案を拒否

10.02 11:00am 韓国軍第3師団,襄陽を占領.さらに5キロ北進.北朝鮮軍の抵抗はまったくなし.

10.02 マッカーサー、「国連作戦命令第2号」を発令.38度線回復をゴールとする安保理の決議を無視し,38度線を越えての進撃を命令する.

10月3日

10.03 周恩来,アメリカが38度線を越えるなら,中国が参戦すると北京駐在インド大使パニッカーを通じて警告.児島によれば、周恩来は同時に、「韓国軍だけが北朝鮮に侵入しても介入しない」と述べたという。

10.03 「黒雪」によれば、この日「党中央」は朝鮮出兵を決定。高崗・林彪ら東北部幹部は出兵に慎重姿勢を示したが、毛沢東が反対意見を押し切ったという.

10.03 空軍が元山と安東ー平壤間の道路に対し三日間にわたる集中的爆撃を加える.空軍パイロットは150キロに及ぶ輸送隊列が満州から入ってきていると報告.

10.03 第八軍,北朝鮮進攻を命令.マッカーサー・ラインを進出限界とする。第一軍団の第一騎兵師団が開城方面に進出.第24師団と韓国軍第一師団が側面援助.これに英第27旅団も加わる。残りの第二、第35師団は第9軍団を形成し、釜山=ソウル間の輸送路警備にあたる。

10.03 北朝鮮,周恩来にあてた朴憲永外相のメッセージを発表.「中国と団結協力し,祖国解放戦争を戦い抜く」と述べる.

10.03 韓国軍第三師団,38度線の北方約105キロの高城まで進出したあと,いったん停止.韓国第6師団は中央部で38度線に到達し,進撃命令を待つ.

10.03 国際連合総会政治委員会,英豪両国による国連軍の38度線突破黙許案を提出.ソ連,ウクライナ,白ロシア,ポーランド,チェコのソ連ブロック諸国も外国軍撤兵と選挙を条件とする決議案を提出.インド代表から「統一には賛成だが,即時撤兵には反対する.38度線突破には反対する」との意見.豪代表は38度線突破は当然の軍事的必要であると反論.

ソ連側決議案の骨子
①即時停戦と外国軍の撤退.全朝鮮人民の自由な意志を基礎に,速やかな国民議会の選挙.  ③同数の南北朝鮮代表委員からなる「合同委員会」を選出し,全朝鮮国民議会の自由選挙を実施.  ③選挙監視のため,中国をふくむ国連監視委員会を設置. 

10月4日 「抗美援朝」の決定

10.04 アチソン,「国連軍は戦争の秩序が回復し,統一政府の選挙を行う平和な空気が生まれてくるまで」駐留を続けると述べる.

10.04 ニューズ・ウイーク誌,国連軍の進撃目標は平壌よりはるか北方のマッカーサー・ラインにあると報道.マ・ライン設定の意義は,国連軍と中国,ソ連国境間に一定の広さの緩衝地域を残すことにあるとされる.

10.04 北京で中国共産党拡大政治局会議。「抗美援朝」の方針を決定.朝鮮出兵を決議、西北部軍政委員会主席の彭徳懐を現役復帰させ、中国人民義勇軍司令官兼政治委員に任命。

10月5日

10.05 東海岸の韓国軍第三師団は,通川を制圧。さらに北進を続ける。

10.05 国連総会、朝鮮の和平統一に関する8カ国決議案を採択。国連軍の38度線突破を事実上承認するもの。これを受けてウォーカーは第一軍団に38度線突破の準備に入るよう指令。

10.05 東京の第八軍本部,開戦以来の北朝鮮の戦死者が20万人に達したと発表.さらに4万人が捕虜となる.

主な師団の最終状況: 
大邱および東部戦線 第三師団は1800人が鉄原方面に後退、第一・第13師団は帰還者ゼロ。第8および第15師団は各千人ほどが帰還。第12師団は残兵二千人となったが、他師団の敗残兵をあわせ3500人が帰還。
洛東バルジおよび南部戦線 第6師団、第7師団、第2師団、第4師団、第9師団、第10師団、第105機甲師団のすべてが壊滅し、帰還者はほぼゼロ。

10月6日

10.06 韓国第二軍団第6,第8師団,中部の春川付近で三八度線を突破.鉄原(TheIronTriangle)に進出.東海岸の韓国軍第三師団は,38度線から80キロ入った長箭(Changjon)まで到達.北朝鮮軍一個大隊の抵抗に遭遇.

10.06 第8軍ウォーカー司令官、ロイター記者に、「現在は38度線の前で国連の命令を待機中」と語る。(前日の記述とは時差の関係で順序が逆になる)

10.06 朝鮮前線を視察したヒュー・ベイリーUP通信社長,「米軍は北朝鮮軍の韓国侵入計画を知っていた」とのべる.

ベイリー発言の要旨  戦乱の初期に米軍が損害を受けたのは,北朝鮮軍の計画について情報が不足していたためではない.米軍は北朝鮮軍が6月に,韓国を侵入することを知っていた.
しかし米国政府は朝鮮を放棄し,もっと後方に反共防衛線を築く政策を決定していた.米軍の任務はアメリカ人を無事に撤退させることに限られていたのである.マ元帥は,ワシントンから国連に代って朝鮮を防衛するよう命令された時には全く驚いたと語った.

10月7日

10.07 韓国軍第3師団,通川を越え元山南方に到る.

10.07 マッカーサー、ソウルから東京に戻る。空港での記者会見でウォーカーの談話を否定。「すでに北進に関してペンタゴンから指令を受けている」と述べる。

10.07 日本共産党北京機関の発行する「平和と独立」,「内外評論」に,無署名論文「共産主義者と愛国者の新しい任務-力には力をもってたたかえ-」が掲載される.

10月8日

10.08 中部戦線の韓国軍第6,第7師団は北進を続ける。春川から38度線を越えた第6師団は北漢江上流の華川を占領。

10.08 国連総会,政治委員会の議決を受け,「全朝鮮にわたって安定した状態を確保する」ため国連軍の北進を追認.(おそらく5日の記述と同内容)

10.08 アチソン国務長官,「フリーダム・ハウス」賞の授与式で演説.「自由な諸国再武装の目的は戦争を避け,ソ連との平和的解決を求めることである」とかたる.

アチソン演説の要旨(なかなか良い話である.ソ連をアメリカと置き換えて読め)
民主主義諸国が再武装する目的は,戦争を続けることではない.米国民は予防戦争とか戦争不可避論に関する馬鹿げた話を中止すべきである.
自由な世界の再武装は,ソ連に侵略政策の修正を余儀なくさせ,将来ソ連との平和的調整を可能とすることにある.これこそ再武装の目的である.
民主主義諸国にとって再武装以外の途はより大きな危険,災害をもたらす.ソ連との妥協策は現在不可能である.自分の破滅に近づくような妥協策は妥協策ではないからである.自由な諸国の力にソ連指導者が気づけば,世界支配を目指す決意は幾分修正されるであろう.

10.08 毛沢東、「義勇軍」の派遣を決定。彭徳懐義勇軍司令官に朝鮮出動と参戦を命令。彭徳懐は13軍司令官鄧華を副司令官に任命し、13軍スタッフを中核とする司令部を編制。

10月9日 国連軍の38度線突破

10.09 東京で国連軍司令部会議。ウォーカー、アーモンドら幹部が招集される。マッカーサーは北進計画を提案。第8軍が開城から平壤に向かい、第10軍が元山に水陸合同上陸を実施することとなる。

10.09 司令部会議を終えたマッカーサー元帥,北朝鮮首相(金日成)に対し,降伏を要求する最後的通告を発表.

10.09 韓国軍の第6,第7師団は華川から峠を越え、金化に出る。第8師団は,ソウルから開城方面に8ないし13キロ進撃.東海岸の韓国第3師団と首都師団は元山まで約18キロの地点に達し,市街への強行偵察を敢行.

10.09 トルーマン大統領,朝鮮の復興と再建に関する6カ条の計画を発表.「アメリカは朝鮮に対しいかなる領土的・軍事的野心も持ち合わせていない」と声明.「朝鮮の農業,漁業,資源,民間企業における経済的自立を助長し,疾病と社会不安を防止しなければならない」と説明.

10月10日

7:30am 金日成,「全北朝鮮軍将兵および人民に告ぐ」特別放送.マッカーサーの最後通告を拒否.「鉄道,通信は破壊から復旧し,生産職場はより多くの武器弾薬を造り,労働者,農民はより多くの食糧,物資を補給するため,一層の奮起を望む」と訴える.

10.10 国連総会の承認を受けた国連軍各部隊が,いっせいに38度線を越える.米第8軍第一軍団(第一騎兵師団,米第24師団,韓国軍第一師団,豪州軍部隊を含む英連邦軍第27旅団),西部の開城付近で三八度線を突破.米第十軍は仁川に結集。東海岸の元山上陸に向け移動を開始.

10.10 韓国第一軍団第三師団,東海岸の元山を市街戦の末占領.監獄から政治犯530人の遺体が発見される.米第10軍団の元山強襲作戦は無意味となる。

10月11日

10.11 韓国軍の第6,第7師団、38度線の北48キロの平康の西にあるダムを占領.西部戦線に参加する韓国軍第一師団は、高浪浦里から北上を開始。

10.11 米第一軍団、開城北方20キロの金川にこもる北朝鮮軍に対し包囲戦に入る。英27旅団が東方、第一騎兵師団が西方から金川を挟撃。

10.11 夜 英27旅団が金川の北朝鮮防衛隊に対する攻撃を開始.

10.11 ソ連は中国に対し、「準備不足のため空軍支援が開始できる状況にない」と通告。中国は出動命令を一時凍結。周恩来をモスクワに急派する。

10.11 ソ連のヴィシンスキー外相,国連総会政治委員会に出席.国際平和と安全保障に関する5大国会議の開催と,安全保障理事会の統制下におく常設国際警察隊の設置を提案.

10月12日

10.12 国連,北朝鮮の占領区域でマッカーサーが暫定統治責任を引き受けるように勧める.

夕方 北朝鮮政府は新義州に向け避難開始.金日成ら幹部は、列車で平壤北方の山間部の徳川に避難。その後さらに江界に撤退。

10.12 海上保安庁の航路啓開本部に所属する掃海艇4隻が、マッカーサーの指令に基づき永興湾の機雷除去作業を開始。米掃海艇二隻が触雷・沈没したため、作業は中止される。

10月13日

10.13 戦艦ミズーリー,重巡ヘレナー,ウースター,セイロンが清津港を艦砲射撃.清津の全市街が灰燼に帰す.

10.13 中国共産党政治局会議、ソ連の航空支援を待たず朝鮮に出動することを決定。当面、米軍との直接対決を避け、韓国軍に攻撃を集中させる作戦をとることとなる。

10.13 国連米国代表ジョン・ロス,国連朝鮮委員会で演説.北朝鮮中央政府を更迭したあとで,三段階に分けて統一政府樹立計画を進めると表明.

10.14 米軍第一軍団,金川を制圧.北朝鮮は500名の戦死者を出し撤退.

10.14 北朝鮮の残党が東海岸の三陟を奪還.周辺に浸透を図る.

10月15日 トルーマン=マッカーサー会談

10.15 トルーマン,太平洋上のウェーク島でマッカーサー元帥と会談.ブラッドレー統合参謀本部議長、ペイス陸軍長官、ラドフォード太平洋艦隊司令官ラテンアメリカが随行。対日講和条約・朝鮮戦争に関して協議.講和後も日本に強力な米軍を駐留させ,「不沈空母」とすることで一致.朝鮮戦略に関してトルーマンは,「統合参謀本部は38度線北方208キロの線で防衛線を築くことに決定した」と通告.マッカーサーは,「中国義勇軍の動員は最大限5,6万に過ぎない」とし,断固北進を主張.トルーマンのウェーク島滞在はわずか5時間に過ぎず.
 

AFPによれば,トルーマンは国際外交のイニシアティブをとるため,米国指導者の見解を完全に統一させることを望んだ.このため,先の台湾問題声明のような事件で,米国に内部的不一致があるような印象を与えてはならないとマ元帥に警告した.さらにト大統領はマ元帥に,国際外交に関する米国政策の原則を,無条件に受け入れねばならないと告げた.
大統領は何よりも対中国戦争を避けることが必要と主張.台湾とインドシナに干渉しなければ,米国は中国を承認すると言明した.会談の時間が短かったのは,大統領がマ元帥に非常に断固たる態度で見解を述べたためである.

EPSによれば,会見の目的は,台湾問題の意見の違いを解消させることにあった.会談時間の4分の3以上は台湾問題であった.「台湾に対しては,あらゆる事情を考慮して大事をとらねばならない.これは至上命令である」と大統領は強調した.会談後,トルーマンもブラドレー統合参謀本部議長も,「あらゆる点についてマッカーサーと殆んど完全に意見が一致した」と話した.傍らに立っていたマ元帥は一言も言わなかった.
記者がブラドレー議長に,「マ元帥はいつ渡米するか」と尋ねた.議長は「元帥の仕事の終った時さ」といって,しばらく黙っていたが,「しかし元帥にはいつでも次々に仕事ができるようだよ」と付け加えた.

10.15 韓国部隊,元山北方の永興を制圧.韓国軍捕虜500名の遺体を発見.

10.15 西部戦線の第一軍団、平壤南方55キロの沙里院付近まで進出。第7騎兵連隊が沙里院南方の南川店で北朝鮮第19師団と衝突。40人の死傷者を出す。

10月16日

10.16 韓国軍第一師団,平壌東南65キロの遂安に進出.平壤国道を北上する米第一騎兵師団も,平壌まで78キロの瑞興に到達.第24師団は青石頭里に進出。

10.16 元山に東部戦線の司令部が設置される.ウィリアム・マッカフェリ中佐が着任.第10軍団に編入された韓国軍第一軍団は,咸興郊外に達する.

10.16 韓国軍,第五,第11師団からなる第二軍を編成.ソウル-春川-麟蹄-襄陽の線を防衛する任にあたる.第6,7,8師団からなる第二軍団とは別組織.

10月17日

10.17 第一騎兵師団と第24師団、国道沿いに平壤南方30キロの沙里院まで進出.午後4時に英第27旅団が沙里院を制圧。午後6時には第7騎兵連隊が黄州を制圧。平壤南方の北朝鮮防衛線は崩壊。夜間に入って北朝鮮軍防衛部隊2千名が集団投降。

10.17 米第一軍団所属の韓国第一師団,平壤の東南13キロの祥原河に到達.

10.17 北朝鮮軍本部,平壤を撤退.この際,曹晩植ら政治囚500人が銃殺されたという.

朴明林によれば、敗走する人民軍は、韓国軍捕虜や“反動分子”を大量に虐殺。平壤では1800人、元山では500人、咸興一帯では12700人が虐殺されたという。

10.17 韓国第一軍団,咸陽・興南を占領.韓国軍首都防衛師団,咸興を制圧.外港の興南にも攻撃を加える.(記載に矛盾あり、詳細は調査中)

10.17 永興湾の機雷除去作業が再開される。海上保安庁の掃海艇一隻が触雷し沈没。乗組員1人が死亡。他の三隻は機雷除去作業を拒否し帰国。作業は残された8隻で続行される。

10.17 マッカーサー,満州国境から100キロの線まで進出すると声明.マッカーサー・ラインと呼ばれる.マッカーサーは部下に対し,このラインは「単なる中間の決勝点」との指示.

10.17 サンフランシスコに帰着したトルーマン米大統領,ラジオを通じて全国民に呼びかけ.「ソ連が真に平和を希求しているとの具体的な証拠を示さない限り,またアジアや欧州におけるソ連の強大な兵力が世界平和を常に脅かしている限り,米国は軍事生産を増大し続けなければならない」と警告.

10.17 ソ連,国連経済社会理事会内に設けられた朝鮮問題臨時委員会への参加を拒絶.同委員会のソ連議席は,デンマークに変更される.

10月18日

朝 韓国軍第一師団は平壤の東方10キロの智洞里に攻撃開始。北朝鮮軍の頑強な抵抗にあい、終日戦闘が続く。

2:00pm 第一騎兵師団第7連隊は平壌南方8キロ以内の力浦に到達.黒橋里の陣取る北朝鮮軍は、T34戦車と榴弾砲を使用,前もって構築された地雷原と壕によって抵抗.

夕方 国連軍偵察部隊が平壤市内に突入.北朝鮮軍部隊は,なお市内で若干の抵抗.

10月19日 中国軍、鴨緑江をわたる

未明 韓国軍第一師団が市内に突入。大同江東岸に達し北東6キロの平壤飛行場を制圧.

11:15am 米第一騎兵師団,平壤総攻撃を開始.韓国軍第7平壌に向け迫る.英国軍旅団は大同江東岸沿いを制圧.

3:00pm 第一師団が市内中心部を制圧。午後5時には韓国軍第7師団,第8師団も東方から平壤北部に進出。

10.19 北朝鮮は新義州に臨時首都を設置.金日成をはじめとする幹部は江界付近の大楡洞の鉱山跡に身を潜める。フルシチョフによれば,この時点でスターリンは金日成政権を見放したという.

10.19夜 マッカーサー、国連軍の北進の限界線を鴨緑江の南60キロの平行線まで引き上げる。「新マッカーサー・ライン」と呼ばれる。

10.19夜間 彭徳懐の指揮する援朝抗米人民義勇軍が鴨緑江を渡り始める。この第一次入朝部隊は歩兵12個師団、砲兵三個師団の30万人からなる。第40軍と第39軍主力が安東から、第38軍と第42軍が集安(満浦鎮)から朝鮮入り.部隊は夜闇に紛れ数日をかけ、狼林(Pukchin)山地に展開.さらに満州の国境地帯では約60万人が第二次、第三次の参戦を待つ。(児島は渡河開始を13日としているが、「黒雪」の記載に従った)

10.19 スペンダー・オーストアリア外相,ダレス米国務長官顧問と会談.日本の軍事的将来に関するオーストラリアの5項目の覚書を提示.無制限の再武装に反対し,日本軍国主義の再興を防止するための保証を要求.フィリピンからも同趣旨の覚書.インド代表は,講和条約調印後に国連軍を残すことを主権侵害として批判.

10月20日 国連軍の平壤占領

10:00am 米第一騎兵師団が大同江を渡河し平壤に入る。師団は「平壌は20日午前10時ごろ,確保されたものと考える」と言明.

2:00pm 米第187空挺連隊の2800名,平壌北部40キロの粛川・順川に空挺作戦.マッカーサーは専用機スキャップ号に搭乗し,降下部隊数千の降下作戦を視察.記者団に対し「クリスマスまでに北朝鮮全土を解放する」と宣言.

ブラドレーの論評: この降下作戦は、すでに北朝鮮政府が北方に退避した後の無意味な行動だった。ブラドレー統合参謀本部議長は、「マッカーサーは初めて大軍を指揮したので、教科書に載っている戦術をみんなやってみたかったようだ」と評する。

10.20 大楡洞で彭徳懐と金日成が会談。山中に潜み待機戦を挑むことで合意。この時点で北朝鮮の手勢は3個師団。1個師団が徳川以北に、他は粛川と、博川に各1個師団、二個連隊が長津に残存。

10.20 マリク・ソ連代表,ダレス米国務長官顧問に対し,対日講和討議の用意があることを明らかにする.

10月21日

10.21 粛川から南下した第187空挺連隊が、永柔で北朝鮮軍第239連隊と衝突。第三大隊は包囲され夜討ちにあう。

10.21 新義州放送局、北朝鮮最高人民会議常任委員会の名前で、北朝鮮の首都が平壤から新義州に移ったと発表。

10.21 韓国軍第6師団,順川に到達.韓国軍第8師団はその背後を成川から価川に進み徳川に迫る。第7師団はその東方を前進.平壤と東海岸を結ぶ道路沿いに破邑、陽徳を掃討。他の国連軍各部隊は国境紛争を避けるため沙里院に停滞.

10.21 義勇軍総司令部会議。彭徳懐が待機戦術を捨て、流動的進攻作戦に変更するよう提案。北朝鮮もこれを受け入れる。

10月22日 鴨緑江への進撃作戦開始

10.22 英第27旅団のオーストラリア大隊が、包囲された空挺第三大隊の救出に成功。第一騎兵師団ロジャース機動部隊が、順川北方で空挺連隊の本隊との連絡に成功.北朝鮮軍は千人以上の死者を出し潰走。

10.22 マッカーサー、中国国境への進出を指令。沙里院に待機していた米第8軍と韓国第2軍が、京義線沿いに順川北方64キロの球場に向って前進を開始.鴨緑江へ進出をめざす。米第24師団は鴨緑江南岸の朔州、昌城を目標とする。韓国第一師団は雲山、北鎮から碧憧を目指す。東部戦線では第10軍と韓国第1軍が江界、恵山、豆満江方面に進出。

10.22 李承晩,国連軍が支配する北朝鮮領域における行政権を主張.国連軍最高指揮官マッカーサーは韓国政府に対し,北朝鮮の臨時行政の責任が国連にあると通告.これを定めた国連朝鮮委員会の決定に従うよう要請.ただしマッカーサー個人としては,韓国政府に朝鮮民政官を選出させる機会を狙っていたといわれる.

10月23日

10.23 第8軍第一軍団第24師団と韓国第2軍第6師団,平壌北方約77キロの清川江を渡河. 第24師団第二連隊は雲山から北西方面に進出.韓国軍第6師団は清川江をさかのぼり熙川に到達。鴨緑江南岸の楚山を目指す。韓国第ニ軍は清川江沿いに上流へと進む。

10.23 マッカーサー,新安州飛行場から新義州,江界,長津・赴戦両湖,恵山鎮まで前線を視察.第9軍団のジョン・コールター少将と会見する.コ少将が「部下将兵は鴨緑江に到着することを切望している」と述べると,マ元帥は,「鴨緑江に到着すれば米国に帰還できる」と告げるよう指示.「私は,クリスマス・ディナーは米国でという言明を是非とも実現したいと思う」と語る.

10月24日

10.24 マッカーサー、「全軍、鴨緑江に向かい突進せよ」との指令を全指揮官あてに発する。

10.24 韓国軍第6師団は煕川南方で北朝鮮軍の抵抗を撃破。先陣となる第7連隊は,温井を経て国境まで45キロの公仁洞に到達.第2連隊も第7連隊に後続する。中国第40軍はこれを攻撃せずに包囲し、第8師団の煕川入りを促す作戦を採る。

10.24 韓国軍第8師団は大同江沿いの寧遠を占領。第6師団の確保した熙川にいったん出た後、江界方面への進出を目指す。中国軍第38軍、熙川に進出した韓国軍第8師団の攻撃を命じられる。38軍は13軍系ではなく、東北部第4野戦軍の主力部隊。

10.24 中国第39軍は雲山と清川江の間に侵入し、両者を分断する一方、韓国軍第一師団への攻撃を準備。米英合同軍に対しては66軍を新たに投入して対抗する。(中国軍の動きに関しては「黒雪」の記述を基礎とする)

10.24 韓国軍首都防衛師団、清津攻撃を開始。米巡洋艦の砲火と艦載機の攻撃のあと、清津南方の漁郎江に進攻。北朝鮮軍は甚大な損害を出し北方に撤退.清津に隣接する羅南市も放棄。

10.24 李承晩夫妻が平壤入り.市民大会が開催され,李承晩は全土武力統一を訴える.

10.24 伍修権氏ら9名の中国代表団がニューヨーク飛行場に到着.「安保理事会が台湾に対する侵略について討議することは,太平洋およびアジアの平和と安全保障に役立つであろう」と挨拶.

10.24 ソ連,アメリカの対日講和7項目提案に対する,6項目の質問を発表.発表の仕方・質問の内容から見て,講和交渉ボイコットの可能性が強まる.

10月25日

10.25 マッカーサー,国連軍の北進限界線を撤廃,総追撃を指令.総司令部は,「国連部隊に国境の手前の線で停止させるよう命令は発せられていない」と語る.第一軍団の第24師団が新義州、韓国第一師団が朔州、韓国第6師団が楚山と碧潼、第8師団が満浦鎮を目指す。第24師団所属の英第27旅団は博川に進出。韓国第一師団は雲山に入る。

10.25 8:00am 韓国軍第6師団第7連隊,国境線まで直距離約30キロの古場を無血占領.さらに北方の竜上洞に達し,国境の町楚山にあと16キロと迫る.韓国第6師団第二連隊は第7連隊に後続せず、温井から北西の北鎮に向かう。第2連隊捜索中隊第三小隊のみが当初の予定通り鴨緑江を目指す。

10.25午前 温井から13キロの両水洞(雨水洞?)で待ち伏せた中国第40軍第118師団が、第二連隊先発の第三大隊を1時間で殲滅。中国軍最初の本格的戦闘となる。

10.25夜 第三大隊の救出に向かった第二大隊、中国軍の夜襲にあい潰走。

10.25 東部戦線の韓国軍首都師団の先陣部隊は清津西方郊外を通り抜け,高地に沿って北方8キロに進出.清津包囲に入る.長津湖方面に進んだ韓国軍第3師団は中国軍と小規模な接触。

10.25 国連軍スポークスマン,「米英両国軍は,満州国境から60キロ手前の線で,その進撃を停止することになった」と言明.この決定は韓国軍には適用されず,韓国軍はこの進撃停止線と国境との間の地域を占領する任務を与えられる.

10月26日 温井の韓国第6師団の壊滅

03:00am 温井(Onjong)の第二連隊第一大隊に中国軍の夜襲。第一大隊も温井から約5キロ後退したところで完全に包囲され、球場方面に向け四散する。韓国軍第八師団司令部は,熙川に着いた第6連隊を温井奪回に向け派遣.

10.26 掃海作業が終わり、米第十軍団の先陣となる第一海兵師団が元山へ上陸.その後,第十軍団の総勢5万人が上陸を開始.

10.26 韓国第一軍団は咸興から海岸線を北上.清津に迫る.海兵師団は黄草嶺山道ー柳タンー徳洞山道を経由して内陸に入り,中央高原から江界,さらに鴨緑江岸の満浦を目指す.先陣となった韓国第一軍団第26師団,上通で中国軍第42軍と遭遇戦を展開.

10.26 第24師団第21連隊と英第27旅団を中核とする米英連合軍部隊,清川江を越え,泰州と定州を結ぶ線まで進出。西海岸沿いに国境の町新義州を目指す.韓国軍第一師団は寧辺に進出し竜山洞を占領。鴨緑江沿いの昌城攻撃の準備に入る。

10.26 北朝鮮軍に偽装した韓国第6師団第2連隊捜索中隊第三小隊,楚山北方5キロで鴨緑江へ到達.北朝鮮部隊が鴨緑江にかかる浮橋を越え,中国側に入るのを確認.

クインUP特派員の報告  韓国軍第一師団長は,雲山で中国部隊の強力な抵抗を受けていると語った.韓国軍第一師団付米軍事顧問も,中国軍が鴨緑江を超えて北朝鮮に侵入したことは間違いないと語る.
しかしGHQ総司令部は,「中国軍が参戦したとの情報は殆んど信用できない.過去にも多くの情報があったが,いずれも誤報だった」と述べる.

10.26 マッカーサー総司令部、「中国軍の戦乱介入に関する数知れないうわさを完全に否定する」と発表。

10.26 トルーマン,「国連軍が中国国境まで進出した.米英豪連合軍が西部地域,韓国軍が中央部と東部を確保している」と発表.

10.26 ダレス米国務長官顧問,マリク・ソ連代表に「対日講和条約問題に関する米国政府の覚書」を手交.①朝鮮の独立を承認.琉球・小笠原諸島を米国の国連信託統治下におくことに同意.台湾・南樺太・千島列島に関して,英,ソ,華,米国の決定を承諾.②国連が実際的責任を取るような安全保障上の取り極めが出来るまで,日本の平和と安全保障を維持するため,米国などが責任分担を継続.

10.26 英労働党系紙ピープル,「アトリー首相は,多数の共和党議員がマッカーサーの強硬政策を支持しているため,動きのとれないトルーマン大統領に代わり,対ソ平和交渉申入れを作成中である」と報道.

10月27日

10.27 韓国軍第一師団、雲山小学校に師団司令部を設置。第15、第12連隊が北方に向け併進し、第11連隊が後方確保に当たる。韓国第一師団第12連隊,大量爆撃に支えられ失地を回復。

10.27 中国,朝鮮戦争への「義勇軍」参加を公式に宣言.韓国軍付属の米軍事顧問団,中国軍4万が北朝鮮に進出したとの報道を確認.米第8軍司令部は非公式に,中国軍朝鮮侵入の証拠はないと言明.

10.27 第5空軍スポークスマン,「空中探察によれば,中国軍は鴨緑江の北部屈曲部西方の少なくとも1カ所で氷結した同河を渡河して,続々北朝鮮に侵入している」と発表.

10.27 約2万の中国軍第38軍が熙川に進出.韓国第8師団は一日前に確保した熙川からの撤退を迫られる.楚山に進出した第6師団第七連隊は孤立.

10月28日 韓国軍第7連隊の壊滅

雲山: 中国軍第39軍、第2師団と第25師団の間隙に攻撃を集中し,清川江まで前進.雲山を三方から包囲。雲山方面を守備していた第一騎兵師団第8連隊および韓国第1師団第12連隊は退路を断たれ,取り残される.雲山に向け進行中のテルヴィン機動部隊は,雲山南方6キロで,中国軍の強力な防衛陣地に突入.数キロ後退し上九付近に新陣地を移設.球場東北の新興付近では米第2師団の陣地が攻撃を受ける.

10.28 温井の中国第40軍,奪還に向かった韓国軍第6師団19連隊と第8師団第10連隊を包囲.これを殲滅する。

10.28 英第27旅団、大寧江西側高地を攻略。T34戦車10台を破壊。この戦闘で中国軍とは遭遇せず。

10.28 東部戦線の韓国首都師団,興南北東105airマイルの城津(Songjin)を制圧.第一連隊は利原-恵山国道を北上.海岸と中国国境の中間点である豊山に接近.

10.28 長津湖の第26連隊。中国軍部隊と本格的な衝突。後退を余儀なくされる。

10.28 ウォーカー第八軍司令官、平壤に待機中の第一騎兵師団に、韓国軍第一師団を超越して鴨緑江に進出するよう指令。

10.28 米政府当局,GHQの報告を受け「中国軍が本格参入しているという確かな兆候はない」と発表.中国軍は米軍への攻撃を控え韓国軍に攻撃を集中したため、GHQは事態を過小評価していた。

10月29日

朝 楚山に進出した第6師団第七連隊が南方に向け撤退を開始。昼前に古場付近の忠満江を渡河しようとして、中国軍第40軍第118師団の一斉攻撃を受ける。日没とともに軍勢は総崩れとなり、四散して山中に逃げ込む。米軍事顧問4人のうち三人が戦死、残る一人も捕虜となる。

10.29午前 熙川の韓国第8師団、南方への撤退を開始。中国38軍はこれを追走し蘇民洞まで進出。

10.29  西部戦線では,第24師団第21連隊を中核とする米英連合軍部隊が,安州-新義州国道を北上し,鴨緑江まで60キロの定州に入る.

10.29  韓国第6師団の後方支援を担当する韓国第七師団,清川江上流部Kojang南20マイルまで進出し,中国軍とのあいだに激戦を展開.日中は航空機による支援で持ちこたえるが,夜間に入って戦線崩壊.

10.29  韓国首都師団に続き,米第7師団第17連隊が,元山北東280キロの利原(正確にはイウメン北方約1・6キロの地点)に上陸.第7師団長デーヴィッド・G・バー少将は,「豊山を経て満州国境まで山岳地帯を180キロ前進する」と語す.韓国第一軍団は日本海岸沿いにさらに北方に進出.

10月30日

10.30 第8軍第二軍団は軍偶里に本部を設営.軍隅里(kunuri)は安州東北方22キロの村.韓国第8師団は現在の价川近く.Yongbyonから東方Kujang-dongまでの防衛線を設定.韓国第七師団は,Kujang-dongから南方の徳州に撤退.

10.30 中国軍は雲山北方7キロまで接近.韓国軍第12連隊は雲山まで後退。第5騎兵連隊,雲山支援のため進出開始.

10.30 中国軍第42軍24師団第370・372連隊,長津貯水池南方に展開.咸興方面に進出を図る.第10軍団は咸興の第一海兵師団(スミス師団長)に対し,長津貯水池周辺に展開中の韓国第一軍団を救援するよう指示.韓国首都師団,咸興北方60マイルのPujon貯水池に進出.

10.30 米第17連隊と韓国軍首都師団,利原-恵山国道を進出し北西50マイルのCho-riに達する.

10.30 極東軍司令部,「中国軍第39軍,第40軍はいずれもいまだ国境を越えていない」との判断を示す.

10月31日

中国38軍,軍隅里の韓国第二軍防衛線に東北方面から攻撃.韓国第二軍が事実上崩壊.右翼を失った第一騎兵師団は、第8騎兵連隊の雲山撤退を要請するが,第一軍団司令部は,これを拒否.

西部戦線の米英連合軍,宣川と亀城を確保.北朝鮮臨時首都である新義州の南方40キロに迫る.北朝鮮政府は,中国軍の確保する蓋馬高原の江界に移動.

第17連隊'本部,Cho-riから豊山に移動.韓国首都師団第一連隊はさらに北方に進出.

中国,チベットの「解放」を開始.

50年11月

11月1日 中国軍の雲山攻撃

午後 清川江の南では,中国軍が韓国第七師団を撃破し院里まで進出.ウォーカー将軍,第一軍団司令部に対し,右翼の韓国軍第二軍団が崩壊し,雲山孤立の危機があると伝達.雲山孤立を防ぐため,順川の第二師団が軍隅里まで急派される.北西部の米英連合部隊も清川江への移動命令を受ける.

午後 雲山西方の第8騎兵連隊一個大隊が中国軍の奇襲を受け全滅.オーマンド大隊長は負傷,とらえられ,まもなく死亡.

17:00 中国39軍,雲山への総攻撃を開始.迫撃砲とカチューシャ・ロケットによる攻撃の後,ラッパの音とともに白兵戦を展開.雲山防衛に当たる第一騎兵師団第8連隊と韓国軍第一師団第12連隊が包囲される.

東部戦線では,第17連隊と韓国第一連隊が豊山北方2キロで北朝鮮軍と衝突.

北大西洋条約12カ国の国防相,ドイツを再軍備させ,NATO軍に編入するという基本原則で一致.

中国国内で,政府に対し「北朝鮮人民に対する軍事援助を要求する」全国的なキャンペーンが開始される.

11月2日

早朝 南方撤退中の第八騎兵連隊、雲山西南6キロの地点で中国軍に包囲され壊滅.約500名が,重火器・車輌を放棄して戦線を潜り抜け雲山に戻る.救援に向かった第5騎兵連隊も,待ち伏せ攻撃で重大な損害を受け撤退.

雲山の第一騎兵師団と韓国軍第一師団,中国軍大部隊の奇襲,白兵攻撃を受け,大損害を蒙る.師団は雲山南方Kuryong川の東南立石(Ipsok)に逃れるが,生存者の多くは負傷.この戦闘で豪州軍部隊の司令官グリーン中佐が戦死.

雲山救援に向かった第二師団,雲山西南20キロの竜城洞で,中国軍第39軍の烈しい砲撃を受け進出を阻止される.

夜 雲山での戦闘がいったん終結.中国軍は周囲の山間部に引き上げる.グレイ第一騎兵師団長は,「右翼が維持される限り,少なくとも敵軍2個師団を支えることの出来る堅固な防衛線を布くことが出来る」と語る.

北西戦線は定州と泰川を結ぶ線に後退.北西戦線の第24師団は,清川江北側の安州-博川地区に配備される.

第一海兵師団,長津貯水池西方の韓国第一軍団を支援.ただちに中国軍第14師団と交戦に入る.豊山の戦闘も継続.

日本で国家公務員に対するレッド・パージが始まる.農林270名,国鉄450名,通産50数名などが,国家公務員法第78条第3項の「官職に必要な適格性を欠く」とされ解雇.

11月3日

雲山西方24キロ泰川の第27大英連邦旅団,橋頭堡の北東端博川まで後退.中国66軍はただちに泰川を確保.第24師団第19連隊は,亀城から安州の北東方面へ.韓国第一師団は軍隅里まで後退.北東6キロの院里(Won-ni)を防衛する韓国第二軍の後方支援に当たることとなる.

長津の第七海兵連隊,第三水力発電所南方5キロで中国軍部隊と6日間の交戦に入る.

東部戦線では,韓国首都師団が吉州を制圧.清津を目指しさらに北上.一部は吉州から内陸部に進出.中国国境の恵山を目指す.豊山の第七連隊は,北朝鮮軍のゲリラ攻撃に会い,徐々に消耗する.  

11.03 米軍週報,米軍が近日中に使用予定の新兵器のリストを発表.「原子爆弾を使用することによって,地上軍を完全に援護する特殊な方法が研究されつつある」と述べる.

11.03 国連総会,米国など7カ国の提案した「平和のための統一行動」決議案を52対5,棄権2で可決.「安保理事会が拒否権によってマヒした場合,総会が侵略阻止のため適切な措置を取る」ことを決定.また加盟国軍の内部に特別国連部隊を設置することが求められる.

11月4日

韓国第一師団,清川江南方への撤退を完了.中国軍は球場、院里を抜き軍隅里に進出.軍隅里北東5キロの,清川江流域を見下ろす飛虎山(622高地)を制圧.第9連隊第一大隊は甚大な被害を残し,清川江南方へ撤退.大英連邦旅団は博川に踏みとどまる.

第七師団31連隊,利原への上陸を開始.第七連隊の側面支援に回る.

11.04 マッカーサー,ワシントン当局に答申。「目下、中国共産党が北朝鮮において干渉していることの真実性に対する有力な見通しを立てることは不可能である。全面的な状況を把握する前に、軽率な結論は出すべきではない」

11.04 毛沢東主席は義勇軍が北朝鮮を支援し戦っていると発表.

11.04 ソ連は米英仏3国に対し,朝鮮平和措置とドイツの将来に関し討議するため,新たに4大国会議を開くよう要求.

11月5日

11.05 第9連隊の防衛する123高地が,中国軍の夜襲により陥落.第335連隊が軍隅里を二波にわたり攻撃するが、米第二師団と韓国第7師団により増強された守備を撃破できず。

11.05 ウォーカーのGHQあて戦況報告。韓国軍第6師団は温井以東と楚山以南でほぼ全滅。雲山の第8連隊と韓国軍12連隊はほぼ壊滅。雲山に増派された第5連隊も撃破された。韓国軍第7、第8師団は猛攻を受け甚大な被害。亀城方面では第24師団と英第27旅団が強力な攻撃を受け後退。このため第8軍全体が清川江以南に撤退。

11.05 アーモンドのGHQあて戦況報告。第一海兵師団と韓国第1軍は、長津湖と赴戦湖の南方山岳地帯で中国軍の攻撃を受け停滞。江界経由で第8軍と合流する当初のプランは不可能となり、撤退の可能性もあるとする。

11.05 マッカーサー,極東空軍司令官ストラトメイヤー中将に、新義州の鉄橋を含む鴨緑江沿岸地帯の爆撃を指示.中国軍の入朝を阻止し、補給線切断を図る。ストラトメイヤーは、この指示が、鴨緑江岸8キロにおける戦闘を禁じた統合参謀本部指令に違反することから、統合参謀本部の判断を仰ぐとする。

11.05 人民日報、アメリカは「張子の虎」にすぎないと報道。

11月6日 マッカーサー、中国参戦を認める

11.06 マッカーサー,国連に情勢報告.「北朝鮮はすでに33万人を失い,内13万人が国連軍の捕虜となっている」としたうえで、「中国軍7個師団が戦闘に参加している.これは国際法に対する史上最悪の侵犯である」と述べる.

11.06 司令部,マッカーサー声明を発表.「新情勢」が生じた.「外国共産軍」が「特権的地域に補給源を持って」朝鮮に介入しており,「これらの予備兵力がどの程度に前進するかは国際的意義を有する」と述べる.

11.06 統合参謀本部はトルーマンと協議のうえ、鴨緑江大橋の爆撃をいったん拒否するが、マッカーサーからの強い要請に押され許可。

11月7日 第一次大攻勢の終了

11.07 清川江・雲山における中国義勇軍の第一次戦役が終了.北部方面に引き上げる.狼林山地の確保に成功.国連軍は清川江の線まで押し返される.飛虎山(622高地)の守備隊はその後も数日間にわたり抵抗。

国連朝鮮問題暫定委員会,鴨緑江と満州を戦闘地帯から排除する決議.中国軍の帰還を促す.

11月8日

11.08 中国,義勇軍が朝鮮戦争に参加していると公表.

11.08 トルーマンの禁止令解除を受け,新義州に対する空爆が開始される.B29爆撃機90機に海軍機を加えた100機の編隊が、新義州から鴨緑江南岸沿いにじゅうたん爆撃。新義州と丹東を結ぶ鴨緑江大橋を爆撃。古い方の橋は破壊される。延べ1千機の爆撃は2週間にわたり、この間に市民数十万人が命を落としたという。

第三歩兵師団所属の第31連隊,日本から元山に上陸.長津貯水池の東25キロのPujon貯水池の東岸を北上.貯水池東南方のPaek-Sanで中国軍部隊と交戦開始.数時間後に中国軍は撤退.連隊は長津貯水池の海兵隊との連絡に成功.

ジェット戦闘機同士(F-80とMiG-15)が初の空中戦を展開.

ミグ15はソ連のジェット戦闘機である.大きい角度の後退翼を持ち,高速でバタバタと米機を落として行った.B29もコテンパンにやられた.米国はこれに対しF84サンダージェットもおよばず.F86セイバーでようやくミグ15に対抗可能となる.http://www.syscom.ne.jp/home/nakasun/hiko.html
F80Cは朝鮮戦争初期に活躍.Yak-9やIl-10などレシプロ機を駆逐.しかしMiG-15が登場すると状況が一変.後は対地攻撃にのみ使われた.戦後はT33ジェット練習機に改造される.http://osaka.cool.ne.jp/matsunaga01/F80.htm

11月10日

11.10 元山に第三師団前線本部.第15連隊が元山に上陸.第七海兵連隊,長津貯水池とKot'o-ri高原を制圧.

11.10 米国,中国軍の朝鮮撤退を要求し「中国に対する平和的な意図」を示す決議案を提出.国連は中国の国境を尊重.また米第7艦隊の台湾水域派遣は,台湾の中立化を目的とするものである,と強調.

11.11 09:00am 米軍3個師団,韓国軍3個師団および英連邦旅団は,西は清川江沿岸の徳川から東は中部地区の寧遠にいたる90キロの全戦線で,一斉に進撃を開始.第1騎兵師団は中国軍主力の防衛陣地と激突.中国軍は敗走のポーズをとり奥地へとおびき寄せる作戦。

11月12日

11.12 東部戦線: Orang-ch'onに北朝鮮軍が進出.空からの支援を受けた韓国第18連隊がこれを撃退.

11.12 東部戦線: 第七師団,中国国境への進撃命令を受ける.第17連隊には甲山攻撃命令.31連隊は17連隊の左側面を支援.第32連隊にはPujon貯水池南東岸の確保の命令.

11.12 元陸軍長官ゴードン・グレイ,トルーマン大統領から委嘱を受け対外経済政策を検討.極東における卓越せる工業的地位に鑑み,対日援助増加の必要性を強調.「もし日本が輸出増加に成功しない場合には,援助を与えねばならない」と述べる.

11.14 17連隊の第二,第三大隊がUngi川の渡河作戦を開始.北朝鮮のT34戦車/85部隊がOrang-ch'on地区の韓国第18連隊を攻撃.18連隊は1日続いた激戦ののち,Orang-ch'onを放棄。南西方向に撤退.

11月15日

11.15 ソ連,国連空軍が半月間に84回にわたり中国国境を侵犯したとの中国側の抗議を伝える.

11.15 韓国首都師団,満州国境まで60キロに到達.本隊はさらに海岸部を北上し明州に向かう.

11.15 ユーゴのチトー首相,相互防衛援助法に基く緊急食糧援助の形で,ユーゴへ約2000万ドルの援助を与えようという米国案を受諾.ユーゴは相互防衛援助法に基き,同法に盛られた制作および目的を達成するため,米国及びその他関係諸国で物資,サーヴィスその他の援助を与えねばならなくなる.

11月16日

11.16 北朝鮮軍,4日間にわたる激戦の末,Orang-ch'onから撤退.韓国第18連隊がOrang-ch'onを再確保.

11.16 英国国防相,朝鮮戦争での英軍死者が51人,負傷者が158人に達したと発表.

11.16 安保理,中国軍の朝鮮撤退に関する6カ国決議案の審議を再開.マリク・ソ連代表は同案に対しては拒否権を行使すると言明.

11.16 トルーマン大統領の記者会見.米国は中国の領土保全を尊重する意向であると宣言.北京政府が中国軍の朝鮮介入を終結させるよう要望.

11.18 第31,第32連隊が豊山から甲山に進出.第17連隊の後方支援に回る.17連隊は三水から鴨緑江河畔のSin'galp'ajinへの進出を図る.恵山西方5キロで,迎撃を受け10日間にわたる激戦.

11月19日

11.19 17連隊,甲山を制圧.恵山まで35キロに迫る.激しい空襲により中国軍側に多大な犠牲者.

11.19 地異山西麓の南原を中心に北朝鮮軍残党4万人がゲリラ闘争を展開.内247人が戦死.

11.19 北京放送,トルーマン大統領の「中国に対する平和的意図の保証」に対し,「甘言と恐喝を交えた言葉」は信じないと応える.

11月20日

11.20 米第7師団は満州国境から8キロの地点に到達.北部戦線の国連軍は,国境南方80キロの線で前進を阻止される.中国軍は反攻に出ずにらみ合い.

11.20 米軍,鴨緑江岸の楚山に到達.中国軍は前線を戦略的撤退させ,包囲網に追い込む.

11月21日

11.21 米第7師団第17連隊,鴨緑江岸の恵山を制圧.Sin'galp'ajinに達する.部隊の一部は恵山鎮付近で鴨緑江に到達する.指揮官パウエル大佐は「鴨緑江対岸から中国軍が発砲するならば,こちらも応戦するであろう」と語る.

11.21 韓国軍首都防衛師団,清津南方24キロの最後の防衛線を突破.清津からソ連国境へは約77キロ.

11.21 マッカーサー,UNCURKメンバーに対し,戦争がクリスマスまでに終わるだろうと述べる.

11.21 マーシャル国防長官の主催で朝鮮情勢研究会議。リッジウエイは席上、マッカーサーの二正面作戦を「軍事的常識に欠けた見習い参謀の水準」と批判。会議を受けたマーシャルは、①中国国境に数マイルの緩衝地帯を設ける、②ソ連国境とのあいだに30キロの緩衝地帯を設け、清津以北に進攻しないこと、を提案。マッカーサーはいずれの提案も拒否。

11.21 アチソン米国務長官,記者団会見.「南北間に非武装地帯を設置することを検討している.中国軍の抵抗が弱まったが,その理由はいまだ不明である.安保理の多数が中国の国連加入に賛成投票すれば,これに拒否権を使用することはない」

11.22 中部戦線Yongbonの中国軍,米国兵捕虜のうち負傷者27人を国連軍に引き渡す.席上,「中国軍は米国軍との戦闘を望まない」と言明.

11月23日

中国軍第12軍所属の6個師団が国連軍前線の北20キロまで前進.

オランダ軍の一個大隊が朝鮮に到着.

11月24日 クリスマス攻勢

マッカーサー、清川江南の出撃基地を視察。記者の質問に答え、「クリスマス前に戦闘は終わる」と豪語。中国軍兵力を正規軍3万、義勇軍3万と見積もる。この後、単機で鴨緑江上空を視察飛行。

国連軍,中国軍は北朝鮮軍の満州への避難を助けるために介入しただけで,これ以上の戦闘は望んでいないと断定.クリスマス攻勢を開始.

クリスマス攻勢の布陣
西部戦線:第一軍団(第24師団{第21連隊,第9連隊},韓国第一師団,英連邦第27旅団).
中部戦線::第9軍団(第25師団{35連隊,第24連隊},第二師団{第9連隊,第38連隊},トルコ軍旅団).
東部戦線:韓国第二軍(第6,7,8師団).
東海岸戦線:第十軍団()
米第一騎兵師団と英第29独立歩兵旅団はリザーブに回る.さらにタイ軍が平壤の守備,韓国第12軍が韓国内のゲリラ掃討作戦に参加.

西部戦線 第24師団が定州,韓国第一師団が泰川(T'aech'on)を攻撃.中国軍は泰川の66軍が迎え撃つ。24師団の後方で院豊洞に展開する英27旅団には、新規参加の50軍が対応。

中部戦線 第9軍第25師団の35連隊がKuryong川の西側を,24連隊が東側を北上し雲山を攻撃.39軍がこれを迎える。第二師団は熙川を攻撃.これに対しては妙香山の40軍が対抗。トルコ旅団は軍隅里でリザーブに回る.

東部戦線 韓国第二軍は山間部の道路を第八軍と平行して北進.第7師団に対しては徳川の第38軍、第8師団に対しては寧遠の42軍が対応。

11月25日

第21連隊,予想に反しまったく抵抗を受けることなく定州に入る.その後方13キロで,第9連隊がNapch'oongjongに移動.韓国第一師団は泰川で中国義勇軍の激しい反撃を受ける.

第9軍第二師団は清川谷を軍隅里の北30キロまで前進.第9連隊と第38連隊が,清川からPaengnyong川に沿い東部に向かう.

第25師団は雲山奪回作戦を展開.Kujang-dongから清川江を経て雲山南方のKuryong川まで,弓形の陣形を敷く.

米軍の爆撃により毛沢東の長男・毛岸英(28歳)が死去。先に防空壕に入っていた彭徳懐司令官らは九死に一生を得る。

11月26日 中国軍の第二次攻撃

深夜 中国軍による第二次戦役が始まる.清川江北方では妙香山の第40軍20万が米第9軍団を攻撃.その後,清川江を超えて浸透.第23連隊に猛攻を加える.

早朝 中国第38軍のコマンド部隊が徳川南方の橋を破壊し、退路を遮断する。徳川に閉じ込められた韓国軍第7師団は同日午後7時降伏。

軍隅里と順川を結ぶ道路に中国軍が入り,米第9軍団の各部隊は側面攻撃の危機にさらされる.第一騎兵師団が順川に入り徳川への道路を確保.軍隅里駐屯中のトルコ旅団は徳川奪回に向かう.

東部戦線: アレン・マクリーン大佐の率いる第32連隊の機動部隊3千人が,長津湖東岸の制圧作戦を開始.西岸の柳譚では,第五海兵連隊と第7海兵連隊が,西に山越えし,第八軍右翼への支援を行うよう指示を受ける.両軍は,中国軍第9軍12万が控える根拠地に突入.このあと「朝鮮戦争でもっとも愚劣で不運な作戦」が始まる.

11月27日

深夜 42軍、寧遠と孟山を確保。韓国軍第8師団を殲滅。

西部戦線: 連合軍、壊走を開始。米第2,第24,第25師団,激しい戦闘ののち清川江の南方,安州まで撤退.とくに第二師団は兵員4千名と施設,装備のほとんどを失う.23連隊のみが無傷で西部海岸に撤退.第25連隊も雲山攻撃を断念し安州まで撤退.トルコ旅団は徳川西方にとどまる.

中国軍,平壤北東50キロのSinchang(成川?)に出現(おそらくは第42軍).第一騎兵師団と韓国第6師団が防衛に入る.

東部戦線: 長津湖東岸の第32連隊機動部隊(マクリーン部隊),中国軍の待ち伏せ攻撃により包囲され惨敗.マクリーン大佐は負傷し,中国軍に捕らえられる.これに代わりドン・フェイス中佐が指揮を執り,南部への撤退の道を探る.

11.27 安保理,朝鮮問題と台湾問題を一括して審議することに決定,直ちに伍中国代表と韓国代表を議場に招じ入れる.

11.27 国連政治委員会,米国の台湾侵略に対する中国の非難を審議.ヴィシンスキー・ソ連代表は,米国が台湾を占領することによって,カイロ,ポツダム両宣言および国連憲章に違反していると非難.ダレス米国連代表は,台湾に対する封鎖なるものは存在しない.第7艦隊を同水域に派遣したのは,(1)中国軍による侵攻から台湾を防衛し,(2)台湾が中国本土に対する軍事作戦の基地として使用されるのを防止するためであった,と釈明.

11.27 神戸市で検挙された朝鮮人の釈放を求め千人がデモ.警官隊1500人と衝突.

11月28日 マッカーサー「クリスマス…はジョーク」声明

国連軍全部隊が清川の南に撤退.第一軍団が防衛線を展開.

第9軍は軍隅里の確保を断念.第二連隊に対し4マイル北東のWawonまで撤退するよう指示.第38連隊には軍隅里南方2キロまで後退するよう指示.トルコ旅団は命令なしに,WawonからさらにSinmin-niまで撤退.

東部戦線: 柳譚から西方に進出した第一海兵師団の二個連隊が中国軍に包囲され,夜間の白兵戦となる.長津湖南端の下渇隅への血路をもとめ,5日間にわたり氷点下25度の戦闘が続く.

夜 中国軍が院里,寧辺および竜山洞を占領.国連軍は清川江両側48キロの不安定な防衛線に追い込まれる.過去3日間に国連軍前線は約80キロ縮小.

東京でマッカーサー・ウォーカー・アルマンド会談.ウォーカー第八軍司令官は,「推定20万の中国軍が攻撃し,情勢は絶望に近い.これはたんなる反撃ではなく,大攻勢の始まりである」と報告.マッカーサーは第八軍の撤退作戦を許可.

マッカーサー,特別声明を発表.「中国正規軍20万人余が大陸方面から国境線を超えて北朝鮮に侵入している.これによって我々は全く新しい戦争に直面するに至った.この事態は,遺憾ながら国連軍総司令部の権限では解決できない.国連その他の国際会議において解決の道を見出す他ない」と発表.戦闘状況しだいでは満州進撃や原爆使用も示唆.また「クリスマスまでには故郷に」との発言は,「ひとつのジョークであり,マスコミが誇張したもの」と弁護.「私はいかなる際も,軍事作戦の見通しや終わりのときを予言しようとしたことはない」と述べる.

米政府,国防に関する最高政策決定機関である国家安全保障会議を開催.マーシャル国防長官は会議後,「自由世界は非常な危機に直面している.これに対し国連は断固として立ち向かわねばならない」と語る.

安全保障理事会.オースチン米代表は中国の朝鮮介入を「明らかに侵略行為である」と非難.安保理に出席した伍修権中国代表,米国が朝鮮戦争を利用して台湾「侵略」を合理化したと非難.その一方で,「朝鮮の情勢については討議しない」と言明.

チャーチルやイーデンら政界長老の意向を受けた英国政府,満州攻撃を主張するマッカーサーの提案に対して反対の立場を明らかにする.アトリー英首相がワシントンを訪問.次の5点についてト大統領の意向を直接ただすこととなる.

アトリー質問の骨子 1,朝鮮戦況の重大性について.2,どのような場合に原子爆弾を使用するか.3,朝鮮派遣国連軍の今後の行動によって,西欧防衛が危険にさらされることはないか.4,米国の動員計画の規模について.5,ト大統領は英国が総動員に着手する気だと考えているかどうか.


 


11月29日

早朝 中国義勇軍第38軍,少なくとも5個連隊が徳川から軍隅里の方面に西進しトルコ旅団を攻撃.国連軍右翼は軍隅里以東をすべて喪失.第38軍は林彪将軍の率いていた旧満州の中国軍最精鋭部隊.南では中国42軍部隊が第八軍背後から圧力を加える.清川防衛線の確保は不可能となり順川まで後退.第一軍団は安州-順川-平壤国道へ撤退.トルコ旅団と第二師団は取り残され,白兵戦を強いられる.

ワシントン当局,中国軍の反撃に対する過小評価を認める.議会・マスコミからは中国に対し原爆を用いる要求が強まる.

第八軍司令官ウォルトン・ウォーカー中将,「11月24日作戦」は間違っていなかったと主張.「もしこの作戦がなければ,われわれは中国軍のわなに丸ごと引っかかっていただろう」と強弁.

11月30日 トルーマンの原爆使用発言

トルーマンが記者会見。「国連軍は朝鮮を放棄する考えは全くない.米国は朝鮮における軍事的情勢に対応するため,原爆を含めすべての軍事力を行使する可能性がある」と発言.また「マッカーサー元帥について主として外国筋から非難があるが,自分はマッカーサー元帥を強力に支持する.朝鮮で原子爆弾を使用するかどうかは,マッカーサー元帥の責任で判断される」と述べる.

トルーマン発言に抗議し「ストックホルム・アピール」署名運動が強まる.世界で5億の人々が署名.

第八軍の撤退にあたりしんがりを勤めた第二歩兵師団,軍隅里を撤退.二昼夜にわたり待ち伏せ攻撃を受けながら南へ撤退.戦闘能力を喪失し南朝鮮に後送される.

長津貯水池の第一海兵師団第五・第七連隊,下かつ里(Hagari)の師団本部へ向け撤退を開始.応急の飛行場から負傷者4千名を空輸.その後12月4日まで続いた撤退作戦で,さらに4,300名の犠牲者を出す.そのほとんどが凍死.

 

50年12月

12月1日

中部戦線: 中国軍,第二師団(第九・第38連隊)の退路を遮断.大英連邦旅団,順川の第二師団救援に出動するが,中国軍により阻止される.第二師団は,この日遅く大英連邦旅団と合流.この時点で兵力の1/3にあたる4,940の兵士が犠牲となる.第23連隊は東方に退路を求める.

東部戦線: 第10軍団,第三・第七師団に興南への撤退を指示.第七師団のフェイス機動部隊,第一海兵師団との連絡をもとめ長津貯水池からHegariへ後退.この時点ですでに死者100人以上,負傷者500人.

フェイス機動部隊の悲劇
Hegariに到着したフェイス部隊は期待した支援を得られず,さらに南方に撤退.移動中も絶え間なく中国軍の攻撃を受ける.さらに米軍機からも誤爆される.フェイスは榴弾砲により負傷.Hadongまで到達したときすでに本隊はHagariに撤退.この日部隊は中国軍の総攻撃を受け壊滅.フェイス司令官も他の負傷者とともに戦死.最終的に生還したのは3,200人中わずか385人だった

12.01 AFPによれば,マッカーサー元帥はトルーマン米大統領に以下のように訴えたという.

アジアから撤退すれば,必然的に欧州における戦争が引き起こされる.朝鮮での敗北は世界の自由喪失を引き起こし,西欧民主主義国の破滅を来たすかもしれない世界的な問題である.

12.01 米共和党上院議員ノーランド,「米国は中国軍の撤退を要求する最後通牒を発すべきである.中国がこれに従わない場合には,国連軍が鴨緑江北方に進出しなければならない」と演説.

12月2日

夜 平壌駐在の国連軍部隊と韓国人行政当局,南方へ撤退を開始.

12.02 マッカーサー,外国新聞記者と記者会見.

これは新しい敵による新しい戦争である.北朝鮮軍が壊滅し国連軍の使命がほぼ終った時に,新しい侵略が開始されたのである.朝鮮において中国軍と国連軍との間に宣戦布告のない戦争状態が存在している.10万ないし15万と推定される残存北朝鮮軍の再編が行なわれ,中国軍の兵力は約50万人に達している.
わが空軍は,北朝鮮に入っていない中国軍に対し攻撃を加えることが出来ないため,威力が発揮できていない現状である.戦術的な地上軍掩護活動は成果をあげているが,これをもって地上軍の劣勢を補うことは不可能である.

 12.02 アトリー,プレヴァン英仏首相がロンドンで緊急会談.マッカーサー元帥の「宣戦されざる戦争」が現実化しないよう,中国と正式交渉をはじめることで意見一致.アトリーはこの合意を元にトルーマンと交渉を行うこととなる.

おもな合意事項
①アジアの戦争は悪夢であり,西欧諸国の軍事力を消耗させてしまう.欧州とアジアのいずれかを選ばなければならないなら,欧州こそ第一だ.西欧側の体面が幾分傷ついても,対中国戦はあくまで回避されねばならない.
②対中国戦を回避する最善の方法は,満州国境から軍隊を撤退して,中国と朝鮮問題について交渉を開くことである.中国の挑発的行為があったとしても,中国との戦争は不可避だと考えるべきではない.
③マッカーサー元帥は,国連の諸指令の範囲内で行動せねばならない.原爆を使用してはならない.原爆を投下すべきだと判断した場合でも,まず参戦している各国政府の司令部と十分な協議を行なうべきである.

12月3日

12.03 国連軍,平壤放棄の方針を決定.大規模な撤退作戦が始まる.北朝鮮軍ゲリラが郊外に重迫撃砲で攻撃.東海岸でも38度線以南への撤退の可能性が強まる.

12.03 国連軍陸上部隊,興南港から撤退を開始.他の国連軍部隊も,興南南方80キロの元山港から撤退.

12.03 申性模韓国国防長官,国連に対し,できるだけ速やかに原子爆弾を使用するよう要請.「韓国民は中ソ両国の共産主義の奴隷となるよりは,むしろ原子爆弾で死ぬことを欲している.もし7月初めに原子爆弾を使用していたならば,国連軍の損害ははるかに少なくて済んだ.共産主義者は敗れ平和は回復していただろう.」とのべる.李承晩大統領は原爆使用問題について言明を避ける.

12月4日 アトリー英首相の原爆使用反対

12.04 東海岸の元山で,船舶による大規模な撤退作戦.米国兵1,800,韓国兵5,900,難民7,000人が南に向け撤退.

12.04 第八軍,平壤防衛線を設定するが,同日中に撤回.平壤放棄と南方への撤退を指示.

12.04 中国義勇軍と朝鮮人民軍の連合司令部が結成される.彭徳懐が総司令官兼政治委員として指揮をとる.北朝鮮側からは八路軍に参加した金雄が副司令官,朴一禹が副政治委員となる.

12.04 吉田首相,「国内治安確保については現在の警備力で十分」と国会で答弁.「憲法に従って,日本の再軍備も日本人の義勇軍も許さない」とする.

12.04 ホワイト・ハウスでトルーマン大統領とアトリー英首相との会談が始まる.英国のアトリー首相,「朝鮮で原爆が使用されれば,世界戦争になるだろう.そうすればヨーロッパにはソ連による原爆の雨が降ることになるだろう」と述べ,原爆使用に反対を表明.また,西欧諸国はその軍事力の大部分を中国との紛争に消耗させることはできない.米国はアジアで全面戦争を行なう意図を持たないことを,明らかにする.

12月5日

12.05 トルーマン大統領,「全世界を支配せんと努力する邪悪な共産主義勢力が史上最大の挑戦を行っている.中国指導者が故意に引き起こした全面戦争には重大な危険があり,人類は今や大きな敵と戦っている.この戦いは暴力と報復,冒涜と戦争の絶えざる循環から脱する唯一の道である」と演説.

12.05 北朝鮮ゲリラ部隊,国連軍が放棄した平壌を占拠.その後,中国軍が平壌に入る.50万に上る膨大な亡命者の群れが南を目指す.

12.05 インドなど極東及び中東13カ国,中国政府に対し「中国軍が38度線でとどまるよう要請する提案」を発表.国連の伍修権中国代表に要請文を手交.

極東及び中東13カ国
アジア諸国代表の討議に参加した13カ国の合意によるもの. イニシアティブをとったのはラウ・インド代表とされる.
インドのほか,フィリピン,ビルマ,パキスタン,エジプト,イラン,イラク,レバノン,サウジ・アラビア,シリア,イエメンの11カ国.インドネシアとアフガニスタンは,本国政府からの訓令を待ったうえで,この申入れに参加することとなる.

12月6日

12.06 米海兵隊約2万名,清津湖南岸の下渇里から,16キロ南方の古土里の第一海兵連隊本部まで移動.中国軍の包囲から脱出するため,氷で覆われた山道を死に物狂いで南下.咸興北方40キロまで達強力な空からの支援にもかかわらず,38時間の移動のあいだに600人の犠牲者.

 

 

12.06 トルーマン米大統領とアトリー英首相,第2回目の会談.「両国首脳は,血塗られた朝鮮半島からの軍隊撤退を一瞬でも考えたことはない」と述べる.同時に両者は,「欧州こそソ連共産主義との主戦場である」ことで意見の一致.急速な北大西洋防衛力の確立について合意.トルーマン大統領は欧州統一防衛軍司令官にアイゼンハワー元帥を強く推す.アトリー首相もこれに同意.

12.06 トルーマン大統領,全将校に対し「外交政策についてのいかなる言明も差し控えるべし」との特別指令を発する.

12月7日

12.07 中国軍,平壌南方で最初の攻撃を開始.国連軍司令部はソウルに戒厳令を敷く.仁川撤退作戦が始まる.1ヶ月で68,000の兵士,1,400台の車両,55,000トンの物資を運び出す.

12.07 海兵第1師団の戦車隊,咸興から北上した救援隊と接触.中国軍は国連軍の撤退港,咸興の近郊まで進出.

12.07 国連特別委員会,中国軍23万ないし40万が国連軍と戦っていると報告.

12.07 トルーマン米大統領とアトリー英首相,「13カ国提案」について,これを原則的に承認.中国と交渉に入る場合,トルーマン大統領は交渉課題を朝鮮問題だけに限定しようとしているのに対し,アトリー首相は,台湾問題も加えることを主張.

12月8日

12.08 マッカーサー,琉球諸島の民政長官に就任.北緯30度以南の琉球諸島の米国の民亊行政を統括.ロバート・ベトラー少将が民政次官兼琉球軍司令官,ロバート・グレイム大佐が琉球民政局長に就任.1952年度末までには,琉球が経済的にも財政的にも自立するように援助,将来できるだけ早い時期に中央政府を樹立する計画.

12.08 トルーマン,アトリー最終会談が終了.共同声明を発表.①米英両国は重要問題について意見が一致.②朝鮮での融和策は取らないが,中国の出方如何では交渉の余地あり.③西欧防衛軍を至急建設するため,最高司令官を近く任命する.④中国の国連加入については意見が異なるが,米英間の協議を妨げることはない.

12.08 米英仏3国,4大国会議開催に関するソ連の提案を原則的に受諾することで合意.ソ連が提起したドイツ問題のほかに,オーストリア講和問題,朝鮮問題,インドシナ問題,対日講和その他アジアの諸問題の討議を要請.

12.08 英国防省,米軍地上部隊が近く英本土に到着すると発表.

12月9日

12.09 ラウ国連インド代表,伍中国代表と会談.ラウ代表は,「中国政府が出来るだけ早く戦闘を終結させることを希望していることがわかった.会談の結果を考慮した解決策を立てたい」と語る.

12.09 カナダ訪問中のアトリー英首相,「ワシントン会談によって,戦争の危険は減少した」と語る.

12月10日

12.10 東部の米第十軍団,長津から釜山へ向け海上撤退を開始.2週間で辛うじて船舶での引き揚げに成功.

12月11日

12.11 米第八軍司令官ウォーカー准将,李承晩大統領と会談.ソウルを守り抜くと約束.第八軍の防衛線がソウル北方に敷かれる.

12.11 米国第一海兵師団,米第7師団が興南の防禦線まで撤退を完了.米第1海兵師団の主力が,興南から撤収を開始.

12.11 マッカーサー,前線視察を追え日本に戻る.記者会見では「国連軍の統制が及ばない情勢が介入したため,予定の任務を完遂することが出来なかった.しかし国連軍は依然として高い士気と優れた戦闘能力を保持している」と強調.

12月12日

12.12 第八軍,京城北方の新防衛線に後退.第10軍団幹部は咸興,興南の防衛線を維持すると強調.しかし中国軍10個師団約10万人の出方は依然不明であると述べる.

12.12 アジア・アラブ13カ国,①中国に停戦を申し入れる,②国連総会政治委員会がただちに調停に乗り出すことを提案.国連議席に対する中国の要求,台湾の地位,インドシナ問題,朝鮮の将来なども課題とするよう主張.

12月13日

12.13 国連総会政治委員会,48対5,棄権4票で停戦決議案を優先討議することに決定.ヤンガー英代表は,「戦闘を停止に導くことが出来る実際的行動」と賛成.オースチン米代表も賛意を表明.国府代表は「警官とギャングに対し,同時に停戦を要求したのに等しい」と述べ反対.アジア・アラブ13カ国,決議案実行のため「国連三人委員会」の設置を要請.

12.13 トルーマン米大統領,アチソン国務長官とマーシャル国防長官を交え,約2時間にわたり民主・共和両党の議会指導者と会談.「米国動員計画促進に関する教書」を討議.トルーマン米大統領は,軍事力増強を目的とする国内動員体制の促進が必要であることを強調し,同時に国家非常事態宣言を考慮していることを明らかにする.

12.13 ウインソン下院軍事委員長,今回の計画は,総動員計画ではなく,全面戦争の計画でもない.むしろ緊急事態に備えるための準備計画といえる.物資割当制,価格統制,賃金統制などが復活されるだろう.徴兵期間を1年9カ月から2カ年に延長し,18歳に達した全ての男子を徴集することとなる.現在の兵力の大体2倍,400万の軍隊を編成することになるだろう.

12.13 英国へのマーシャル援助が停止される.ケイッケル英蔵相は,「英国経済が改善されてきた一方,米国経済は防衛計画によって援助の余力がなくなってきたからである」と述べる.

12月14日

12.14 国連総会政治委員会,アジア・アラブ13カ国提出の朝鮮戦争停戦決議案を,賛成51,反対5(ソ連ブロック),棄権1(国府)で採択,停戦3人委員会の設置を決定.

12.14 興南港で大規模な撤退作戦が開始される.第一・第五海兵師団,第三・第七歩兵師団が撤退.

12月15日

12.15 米第1海兵師団と所属装備全部が撤去を完了.西部・中部戦線の国連軍,38度線の南に撤退を完了.

12.15 夜 米第7艦隊の重巡2隻,駆逐艦8隻,興南防衛陣地の周囲16キロの線に艦砲射撃を開始.

12.15 中国軍,38度線北方8マイルの海州を占領した後,38度線を横切り,同線南方の開城に迫る.

12.15 トルーマン米大統領,国家非常事態宣言を発表.

12.15 米陸軍,本土防衛軍の第27師団第31連隊,第18師団第47連隊を朝鮮戦争に投入する決定.

12.15 夜 トルーマン大統領,米国総動員計画実施措置を説明する全米放送.「米国は断じてミュンヘンのような融和政策をとらない」と演説.国家非常事態を宣言.陸海空軍及び軍需生産を増強すると述べる.国防活動全般にわたる調整のため「国防動員局」を新設.いっぽうで対中国,対ソ連の交渉の道を残す.

12月16日 トルーマンの国家非常事態宣言

12.16 第10軍団の残存戦力,韓国第一軍団の第三・首都師団などが興南を離れる.中国軍・北朝鮮軍12個師団が興南を攻撃するが,艦砲射撃と航空機の支援で作業が完了.

12.16 トルーマン米大統領,朝鮮戦争の継続を宣言.国家非常事態宣言に署名.全米の農家,労働者および商工業者が国家の要求に対応することを求められる.

12.16 伍修権国連中国代表,「安保理事会は極東問題の平和的解決を目的とした中国提案を拒否した.朝鮮停戦決議は「わな」である」と言明.

12.16 国会、国民防衛軍設置法を可決。

12月17日

12.17 米国政府,中国および北朝鮮の全資産を凍結,米国船の中国および北朝鮮寄港を禁止.

12.18 北大西洋防衛委員会,ベルギーの首都ブリュッセルで開催.六十個師団の創設とドイツ人部隊の西欧防衛参加案を承認.

12.19 中国軍約25万と,再訓練および再武装をうけた約15万の北朝鮮軍38度線地帯に集結.春川北方の38度線上で戦闘が開始される.

12.19 韓国政府社会部,戦闘部隊を除く全ソウル市民を退去させる計画を明らかにする.

12.20 ミグ15と匹敵する新鋭機F-86セイバーが朝鮮戦争に投入される.国連軍司令部はこれを秘匿するため,報道管制を敷く.

12.21 第七師団が釜山に向け撤退.さらに市民の避難が続くが,中国軍は興南への攻撃を中止.撤退作戦中30,000-40,000人が死亡する.

12.21 労働党、二日間にわたり第3回中央委員会総会を開催.金日成が“現在の情勢と任務”について報告。党組織部責任者の許嘉誼(ソ連派)副委員長が,金日成の意向を受け、組織問題について報告.「党および国家の規律と軍規の強化」をもとめ,延安派の武亭ら多数の将官に軍事的失敗の責任を問い、「軍閥主義」者として罷免。悪質分子は処刑される.

12.22 中朝連合軍の前線の一部は38度線をふたたび突破.

12月23日

12.23 米第8軍司令官ウオルトン・ウオーカー中将,乗用のジープで前線に赴く途中,韓国軍トラックと衝突して死去.米陸軍参謀次長室付マシュー・B・リッジウェイ中将が米第8軍新司令官に発令される.リッジウェイ中将は,第2次大戦中は欧州駐屯の第18空挺軍団長ならびに第82空挺師団長をつとめた.統合参謀本部では,マッカーサーに対して批判的な立場を堅持した.

12.23 周恩来中国首相,国連三人委員会の朝鮮停戦交渉申入れを拒否.

12.23 中国軍,金化,高浪浦,寧川,開城,春川など38度線上の各地で散発的攻撃を開始.

12.23 興南地区の中国軍,国連軍前線の一部に約1キロ浸透.

12月24日

12.24 中朝連合軍による第二次戦役終了.前線を38度線まで押し戻す.

12.24 興南の橋頭陣地にとどまっていた米第3師団の3個連隊9000名が乗船.戦艦ミズーリ号も艦砲射撃で援護.

12.24 国連軍探察部隊,臨津口付近で兵力不明の中国軍と接触.38度線南方3キロの高浪浦でも中国軍と衝突.

12.24 韓国政府、ソウル市民に避難命令を発する。

12月25日

12.25 米国防総省,東海岸興南の米第10軍団および韓国軍10万5000の計画的撤収が完了したと公表.さらに1万7500の各種車両,各種資材物資35万トンに加えて,9万1000の朝鮮住民も109隻の輸送船(延193往復)によって収容撤去.

12.26 リッジウェイ中将,羽田飛行場に到着し,ただちに第八軍司令官に着任.これを機に指揮が一元化され,米第十軍団はマッカーサーの直接指揮を離れ,第八軍に編入される.

12.27 東京の国連軍参謀本部,中国・北朝鮮軍に対する再評価を発表.

両軍の戦力評価
派遣された中国軍は276,000名以上.北朝鮮の正規軍とゲリラが合わせて167,000名.このほか満州で侍命中の中国軍兵士が650,000人,そのほかの256,000人を合わせ,130万人以上の兵力が存在すると推定.これに対し国連軍は20ないし25万人,うち15万人は,米7個師団をはじめとする朝鮮人以外の将兵.

12月28日

12.28 中国軍,38度線南方3キロの開城市を占領.

12.28 釜山の町に10万人の難民があふれる.この日までに,ソウル市民の半数が北の侵攻を恐れ南方へと避難.一日あたりの避難者数は7万人に達する

12.28 フーヴァー元大統領,「米国は欧州から手を引くべきである」と提唱.トルーマン大統領は「米国は断じて孤立主義に復帰しないであろう」と言明.

12.28 オーストラリア政府,これ以上の部隊の増派は行わないと声明.

12.28 国連軍司令部,検閲制を強化.師団以下の動静を報じることを禁止する.

12月29日

12.29 ラスク米国務次官補,ヴォイス・オブ・アメリカ放送ではじめてソ連と中国を名指し非難.「航空機を含む大量のソ連軍装備が,4月から5月にかけ北朝鮮に送り込まれた.今回朝鮮に介入した第4野戦軍部隊は, 動乱発生前に華南から北上を開始していた」と述べる.

12.29 ダレス米国務長官顧問,米国連協会で演説.「野蛮人によって文明の揺籃が破壊されるのを放置はできない.同盟国を最も危険な時に見棄てることもできない」とし,中国との戦いの継続を訴える.

12月30日

12.30 中国軍および北朝鮮軍,国連軍防衛線の左右両側で,38度線の南方16キロまで進出.西部戦線では,中国軍1個師団と北朝鮮軍2個連隊が,開城南方に進出.ソウル西北48キロの臨津江に向って移動.

12.31 中朝連合軍,第三次戦役を開始.38度線を越えて南進開始.

12月 韓国国民防衛軍事件.青少年(第2国民兵)で編成した国民防衛軍が,行軍訓練中に凍死・病死する.捜査の過程で,幹部が糧穀を着服していたことが明らかになる.
 

李承晩政権は兵力補充のため、17歳から40歳までの「第二国民軍」として前線に送ることとした。しかし訓練途中で戦況が悪化し、米韓軍とともに退却・南下した。このとき、教育・訓練にあたった軍幹部は経費209億ウォンと5万石の食糧の1/3を横領・着服した。
このため100万人と言われた防衛軍兵士は、着の身着のまま、飢えと疲労で相次いで倒れた。帰郷したものも8割は病弱で労働不能、2割はやっと生きているだけという悲惨さであった。
その後の調査で、着服した物資の大半は、軍上層部を通じて与党へ政治献金されていたことが判明した。(ハン・ケオク)

 

1951年
 

各社の決定した正月映画は次のとおりです.
<松竹>
 1週は今や人気絶頂の少女スター,美空ひばりの「初笑い とんぼ返り道中」.川田晴久,堺駿二が共演.監督に喜劇のベテラン斎藤寅次郎.2週は大仏次郎の「おぼろ駕籠」.時代劇の雄,伊藤大輔監督と坂妻のコンビに田中絹代の相手役,それに折原啓子,月形竜之介,佐田啓二が出演します.3週は船橋聖一原作の恋愛メロドラマ「女の水鏡」.高峰秀子,佐野周二,佐分利信の顔合わせ,原研吉監督.4週は長崎を背景にした活劇もの「地獄の決闘」.水島道太郎,鶴田浩二,田端義夫,野上千鶴子に監督はギャング物の得意な大曽根辰夫.5週は笠置シヅ子と堺駿二の音楽喜劇「女王さまご立腹」,大庭秀雄監督.
<東宝>
 1週にお馴染みのエノケン,笠置のコンビの爆笑扁「長屋天一坊」渡辺邦男監督.2週に宝塚の春日野八千代と新派の花柳章太郎の異色顔合わせに,竜崎一郎,折原啓子,ロッパが共演する邦枝完二の「情艶一代女」で,芸者と役者の色模様を描いた明治もの.野村浩司将監督.3週は映画芸術協会の自主第1回作品の「愛と憎しみの彼方へ」.北海道の大自然を背景に脱獄囚をめぐる愛と欲との葛藤扁.三船敏郎,池部良,志村喬,水戸光子出演.監督は「暁の脱走」の谷口千吉.お正月一番の力作でしょう.4週は村上元三の「佐々木小次郎」の第2部.大谷友右衛門,高峰秀子,山根寿子,宮城野由美子出演.
<大映>
 1週は長谷川一夫,大河内伝次郎,水戸光子,三条美紀共演.衣笠貞之助監督による時代劇「紅蝙蝠」.2週は芸術祭参加で封切る予定だったが,京マチ子の負傷で延びた吉村公三郎監督の「偽れる盛装」.京の祇園の新旧2様の女性を描く野心作.3週は川口松太郎原作のメロドラマ「宮城広場」.乙羽信子の第2回作品で,山根寿子,森雅之,三益愛子,久我美子,久松静児監督.4週は京マチ子が踊り子になる「炎の肌」.相手役は藤田進.監督小石栄一[編集注:「炎の肌」は久松静児監督,三条美紀主演で1951年10月19日封切られた].5週はスリラーもの「絢爛たる殺人」.宇佐美淳,日高澄子主演,加戸敏監督.
<新東宝>
 全部独立プロとの提携作品.1週は昭映プロ,川口松太郎の「愛染香」.宝塚スターの久慈あさみの第1回出演で,池部良,藤田進,山根寿子,月丘夢路が歓迎出演.阿部豊監督.2週は丹羽文雄原作「東京のバラ」を改題した「孔雀の園」.小暮実千代,二本柳寛の初顔合わせ,島耕二監督(児井プロ).3週は時代劇「右門捕物帖片眼狼」.十八番の寛寿郎に大河内伝次郎が共演.中川信夫監督(綜芸プロ).4週は池部良書下ろしの「夜来香」.上原謙,久慈あさみ,高杉早苗出演,市川昆監督(昭映プロ).5週はラジオでお馴染みの内村直也の「えり子とともに第2部」.角梨枝子のえり子,山村聡の父親,他に堀雄二,宇佐美淳が出演,豊田四郎監督(藤本プロ).
<東映>
 1週は子母沢寛の「千石纏」.片岡千恵蔵,市川右太衛門,花柳小菊,喜田川千鶴の顔合わせ.監督はマキノ雅弘(正博改め).2週は同じく時代劇で,スターは掛け持ちの片岡千恵蔵,市川右太衛門,月形竜之介,山田五十鈴の「豪快三人旅」.監督に松田定次.3週は米国のブレイクストン・プロと合作になる「東京ファイル212」.出演者は日米共同で,フローレンス・マリー,ロバート・ベートン,灰田勝彦,田崎潤,大谷伶子,初の日米合作映画だけに興味のもたれる1篇でしょう.4週以降は東宝系統と合併することになっております.(産経新聞より)

ここまでは,産経新聞のページにずいぶんお世話になりました.立場の違いを超え,感謝いたします.

51年1月 中国軍のソウル再占領

1.01 中国・北朝鮮合同軍,第三次攻勢を開始.50万人の軍勢が38度線を突破.右翼の韓国軍が総崩れとなる.

1.01 日本共産党の国際派が「解放戦線」第1号を発行。「新しい情勢と日本共産党の任務」が発表される。

1.02 国連の停戦交渉団,中国との交渉.中国側の拒否にあい不調に終わる.

1.03 第八軍,ソウル撤退を決定し李承晩に通告.

1.04 国連軍,ソウルを撤退.平沢-原州-三陟を結ぶ線を新たな防禦線とする.麗州に第八軍前線本部が設営される.中国・北朝鮮軍はソウルを中心とする京畿道と江原道を制圧.

1.05 居昌良民虐殺事件が発生。全羅北道居昌郡コンウム面の西山村落で,北の内通者との嫌疑をかけられた村民500人以上が,韓国軍の手により虐殺される.
 

慶尚南道居昌郡で韓国軍第11師団による武装共匪掃討作戦。部隊は成績を上げるため、村人男子136名を集団銃殺。残りの村人を裏山に引き立て全員を射殺しガソリンをかけて焼却する。
国会で問題となり調査団が送られたが、軍はゲリラに変装して調査団を襲撃し撃退する。これに同行した米人記者が現地取材をもとに報道したことから、事件が明るみに出る。軍法会議で師団長金宗元中佐ら5名に死刑の判決が出されるが、その後全員が特赦を受ける。金中佐は治安局長にまで昇進する。
李承晩政権崩壊後の再調査で、居昌の死者は1千名を超えていたことが判明。そのうち子供が50人、婦女子が304人に達していた。さらに居昌以外にも各地で同様の住民虐殺が行われ、犠牲者の総数は8500人に達していた。(ハン・ケオク)

1.08 中朝連合軍,第三次戦役を終了.ソウルを確保し37度のラインまで進出.

1.09 日本共産党民族対策部の指導の下に,「在日朝鮮統一民主戦線」(略称民戦)が結成.在日朝鮮人左翼の運動をになう.

1.10 マッカーサー,統合参謀本部あてに打電.「もしも米国の決定が現状のままなら,政治的な考慮を払うことなく,全軍が戦術的に可能なかぎり早急に半島から撤退すべきである」と述べる.中国本土攻撃の開始を強く主張.

1.11 西欧諸国を中心とする国連停戦グループ,「極東問題7カ国会議」の開催を含む休戦5原則を提案する.

1.13 トルーマン,マッカーサーあてに個人書簡.中国との全面戦争への拡大を認めることはできないと強調.

1.13 国連総会第一委員会,停戦グループの提案を50対7で採択.

1.15 合同軍,ソウルを陥落.国連軍はソウル南方80キロ,水原ーレイ州ー原州の線まで撤退.

1.15 ロートン・コリンズ陸軍参謀長,韓国を訪問.「われわれはここにとどまり,戦い続ける」と宣言.

1.17 中国政府,国連停戦グループの提案,要請を拒絶.

1.19 社会党第7回大会が開催される。左派が主導権を握り平和4原則(中立、全面講和、再軍備反対、基地反対)を決議。3月には総評第二回大会が開かれ、左派が勝利し、平和4原則を採択する。日教組が大会。「教え子を戦場に送るな」の運動方針を決定。

1.20 国連軍,北緯37度の「D-ライン」まで後退.平沢と三陟を結ぶ線を最終防衛線と定める.

1.20 忠清北道の永春面上里で,米軍によって300余名の住民と避難民が虐殺される.

1.20 吉田首相,再軍備は国民の自由と表明.社会党は再軍備反対と「平和3原則」を決議.日教組は「教え子を戦場に送るな」の運動方針を決定.

1.21 米軍のF84と中国軍のミグ15が初の空中戦.

1.21 リッジウエイ司令官,第八軍全将兵に対し通達「なぜわれわれはここにいるか?」を発表.「敵を発見せよ,敵と闘え,敵を全滅せよ!」と反攻を促す.

1.25 リッジウエイ司令官,最初の本格的反攻を指示.第一,第9軍団に,北方への威力偵察を指示.サンダーボルト作戦と呼ばれる. 最初は西部から,のちに中東部に拡大.

 

 


1.29 国連軍,水原飛行場を奪還.東海岸では韓国軍が江陵に突入.圧倒的な空軍勢力を背景に,数万の中国兵を殺害.

1月 のちに明らかになったところによれば,韓国軍最高幹部はソウル脱出にあたり,「国民防衛軍」として召集された第二国民兵の訓練給与費を数十億円着服.食料のない兵士が次々に凍死・餓死したといわれる.

51年2月 三度目の転換点ー砥平里の決戦

2.01 国連総会,朝鮮戦争に関し,「中国政府を侵略者と非難する」米提案の決議案を採択.

2.03 韓国国会,対日協力者数千人の公職追放を解除.

2.03 周恩来外相,国連による中国非難決議案は無効であると声明.

2.05 米第十軍団と新たに編成された韓国第三軍団が,中東部でラウンドアップ作戦を開始.

2.10 第一軍団,仁川を奪還.漢江の南に迫る.

2.11 中国軍,第10軍団に対し第四次攻勢(二月攻勢)を開始.右翼の韓国軍第8師団は原州(Wonju)に向け敗走.このため,米第二師団に甚大な被害.

2.11 居昌事件発生.韓国軍が居昌の農民七百名を,共産ゲリラ支持者の容疑で虐殺.

2.13 原州北西30キロで,三日間にわたる砥平里(Chipyong-ni)ツイン・トンネルの戦闘.5個師団18,000の中国義勇軍部隊の包囲・波状攻撃は,第二師団第23連隊を中心とする国連軍によって阻止される.中国軍は二千名の死者を出したあと,第一騎兵師団の機甲部隊により駆逐される.

2.16 元山港の封鎖作戦が開始.封鎖は二年半にわたり続く.

2.16 スターリン,国連の中国非難決議を非難.

2.18 中国軍,二月攻勢を終了し北方に撤退.戦果は上がらず,多くの犠牲者を出す.このあと戦線は膠着.

2.19 サンダーボルト作戦が完了.リッジウェイ米第8軍司令官,国連軍は朝鮮中部戦線で主導権を奪回したと発表.

2.20 米第9および第10軍団,キラー作戦を開始.圧倒的な火力により横城ー原州で中国兵5千人が戦死.中国軍は撤退を余儀なくされる.(リッジウエイによればコリンズ参謀総長はキラーの作戦名に難色を示したという)

2.21 世界平和評議会第1回総会がベルリンで開催される.米・英・仏・ソ連・中国の5大国による「平和協定」締結を要求する「ベルリン・アピール」を採択.

2.23 日本共産党の第4回全国協議会開催.「北京機関」の指示に基づき「軍事方針」を受け入れる.武装闘争を柱とする「当面の基本的闘争方針」(51年綱領)を決定する。

2.28 国連軍,キラー作戦により漢江南岸のボストン線まで進出.中国軍が漢江の南に作った最後の拠点が陥落する.

2月 ソ連,鴨緑江北岸の丹東にミグ15の基地を建設.北朝鮮のマークをつけたミグが,北朝鮮上空の防衛にあたる.

51年3月 米韓軍のソウル再奪還

3.05 韓国政府、小作人120万に対し農地を分配すると発表。

3.07 キラー作戦に引き続き「切り裂き魔」(リッパー)作戦を開始.米軍7個師団がすべて参加し,漢江の北側に進出する.三八度線南側の要線を結ぶアイダホ・ラインを設定し前進.(7個師団は,陸軍第一(騎兵)師団,第二,第三,第七,第24,第25師団および第一海兵師団)

3.10 総評第2回大会,「平和4原則」を決議.事務局長に高野実を選出.

3.11 米第25師団,ソウル東方の山間部で漢江の奇襲渡河に成功.

3.14 中国軍,ソウルを放棄し北方に撤退.韓国第一師団がふたたびソウルに侵入.

3.15朝 国連軍本隊がソウル入城.

3.19 中国軍の南部最大の拠点春川が陥落.中国・北朝鮮軍は38度線を越えて北に撤退.国連軍はアイダホ・ラインの確保に成功.

3.20 統合参謀本部,GHQに対し,国務省が新たな国連決議案を準備中と通告.この案は「開戦前の全般的境界線への復帰」を原則とするもの.

3.22 連合軍,議政府の制圧に成功.

3.23 「トマホーク」作戦開始.ソウル北西30キロのぶん(さんずいに文)山に第187連隊戦闘部隊とレンジャー部隊二個中隊3,437人がパラシュート降下.敗走する中国軍を挟撃.悪天候のため第一軍団機甲部隊の前進が遅れ,成果は上がらずに終わる.

3.24 マーシャル米国防長官,近く朝鮮に原子兵器などを送ると言明.

3.24 マッカーサー,国務省の声明発表の機先を制し,「中国まで攻め入る」と声明.鴨緑江北岸に数十発の原爆を落とす計画を明らかにする.ソ連の戦争介入を憂慮するイギリスは,北進路線と核使用に対し強硬に反対.

3.26 米国務省,中国本土攻撃を示唆したマッカーサーに,重要声明の事前連絡を要請.

3.29 共産党の川上貫一議員,衆議院で代表質問。日本の平和と独立は、全面講和と占領軍の即時・全面撤退によってのみ実現されると主張。議会から除名される.

51年4月 マッカーサーの解任

4.01 沖縄に「琉球臨時中央政府」設立.比嘉秀平が行政主席に就任.

4.04 「切り裂き魔」作戦が完了.国連軍はソウルを再確保し,中国・北朝鮮軍をアイダホ・ライン(38度線)まで押し戻す.

4.05 米国連邦裁判所,「原子力スパイ」のローゼンバーグ夫妻に死刑判決.

4.07 米第9および第10軍団,中部山岳地帯でラッグド(Rugged:岩だらけの,険しい)作戦を開始.38度線北側20キロの要線を結ぶカンザス・ラインの確保を目指す.作戦の中心は,ソウルに水と電気を供給する北漢江上流の華川ダムを確保し,北による洪水作戦を阻止すること.

4.08 韓国,1月以来マッカーサー・ライン越境の日本漁船30隻を捕獲,2隻を撃沈と発表.

4.09 第一軍団は臨津江沿いのカンザス・ラインに到達.北朝鮮軍,華川ダムの大量放流作戦を開始.

4.10 ラッグド作戦と並行して,ユタ・ライン確保を目指すドーントレス(Dauntless)作戦が始まる.

4.10 朝鮮に投入された占領軍の任務を引き継ぐため,米州兵2個師団の第1陣が日本に到着.

4.11 マッカーサー,国連軍最高司令官およびGHQ最高司令官を解任される.後任に第八軍司令官リッジウェイ中将を任命.直接のきっかけはマッカーサーからマーチン共和党議員にあてた書簡で,「国府軍を反共第二戦線に起用せよ」と述べたことといわれる.

4.12 40機のMiG-15編隊がB-29爆撃隊を襲う.(この後はうそみたいな話だが,「B29二機が撃墜されたが,ミグは11機が破壊された.内7機はB29の射手が撃墜した」と,原文には書かれている)

4.14 第八軍司令官にはヴァン・フリート中将が就任.リッジウエイは東京に移る.

4.14 ラッグド作戦完了.山間部に進撃した米第9および第10軍団が,カンザス・ラインの確保に成功.

4.15 北朝鮮,朝鮮問題の平和的解決を国連に要望.

4.16 第10軍団と韓国第三軍団,華川ダムの確保に成功.韓国軍第一軍団は東海岸の大浦を制圧.

4.16 マッカーサー,羽田空港からアメリカへ帰国.衆参両議院が,マッカーサーへの感謝決議を議決.

4.17 国連軍,中国軍第63軍,64軍の控える開城方面への進出計画を保留.中部山岳地帯の「鉄の三角形」地帯への進出を図る.

4.19 ドーントレス作戦完了.米第9および第10軍団,はカンサス・ラインを超えユタ・ラインに達する.「鉄の三角形」の南西に位置する鉄原を確保.国連軍はユタ・ラインの北方に新たにワイオミング・ラインを設定,さらに前進を図る.

4.22 中国・北朝鮮軍,第五次攻勢第一段階(第一次春季攻勢)を開始.韓国軍第6師団が崩壊,国連軍は38度線以南のカンザス・ラインまで押し返される.このあと「鉄の三角地帯」の攻防が焦点となる.

4.24 中国軍,Kapyongでオーストラリア旅団と対決し敗退.

4.25 リッジウエイ,ソ連の参戦と戦争の世界大戦化を防ぐことを考慮し,ワイオミング・ラインを最終進出線とするよう各司令官に指示.ワイオミング・ラインは臨津港と漢江の合流点を西端とし,鉄原・華川貯水湖・大浦を結ぶ線で,ほぼ現在の休戦ラインに一致.

4.25 米国の国連代表部,中国空軍が朝鮮で爆撃を行えば,米は中国領土を爆撃すると言明.

4.26 中国軍,ソウルと春川ー東海岸の杆城を結ぶ国道を寸断.第9軍団は洪川に撤退.

4.27 中国軍主力,臨津江を渡り南下を開始.韓国軍第一師団に攻撃を集中.韓国軍崩壊後,側面をつかれた英第29旅団は惨敗.

4.29 中国軍,ソウル包囲戦に入る.米第三師団は議政府を放棄し,ソウル北方7キロに防衛線をしく.

4.30 中国軍,ソウル攻略に失敗.両軍がソウル北方でにらみ合いとなる.

4月 スターリンの直接指示による「五一年綱領」が,日本共産党に提示される.モスクワでの会議では,「中核自衛隊」,「山村工作隊」などの武装闘争路線が押し付けられる.

51年5月

5.01 リッジウェイ中将,日本政府へ占領下法規再検討の権限を委譲すると声明.

5.03 華川ダム,米軍機の魚雷攻撃により破壊される.

5.05 マッカーサー,米上院聴聞会で「日本人の成熟度は12歳,勝者にへつらう傾向」と発言.

5.08 北朝鮮,国連軍が細菌兵器を使用したと非難.

5.09 李始栄副統領, 李承晩を糾弾して辞職。国会は副統領に金性洙を選出。

5.10 このころまでに国連軍は春川,議政府を奪還.ふたたびカンザス・ラインに迫る.

5.15 中国・北朝鮮軍,第五次攻勢第二段階(五月攻勢)を開始.中東部戦線で米第10軍団と韓国軍第三軍団に攻撃を集中.

5.17 中国・北朝鮮連合軍,韓国軍第三軍団の陣地を突破.第5,第7師団は南方に壊走.

5.18 米第二師団,8キロ南へ撤退.中国側にも三万五千の戦死者を出す.

5.18 国連総会,中国と北朝鮮への軍需品輸送の禁止,商品の禁輸および統制決議案を採択.

5.20 第25師団,ソウル東方30キロの麻石隅里の防衛に成功.中国・北朝鮮軍による第五次攻勢第二段階がとまる.

5.22 国連軍,デトネート(Detonate)作戦を開始.カンザス・ラインの再確保を目指し反撃に出る.

5.30 デトネート作戦が完了.米軍,カンザス・ラインの確保に成功.この攻撃作戦で中国軍1万7千が戦死し,1万7千が捕虜となる.韓国軍も1万1千の犠牲者を出す.

5月 ストックホルムで行われた世界平和委員会総会が原子兵器の無条件禁止を要求するアピールを採択(3月)。5月から全国で署名活動が広がる。

51年6月 マリクの休戦提案

6.01 国連軍,38度線から30キロ北側のワイオミング線を目指しパイルドライバー(Piledriver)作戦を開始する.

6.11 国連軍,38度線上の鉄原を制圧.中国軍は東南端の金化を放棄.上洞のタングステン鉱山をめぐり,「鉄の三角地帯」争奪戦が活発化する.

6.15 パイルドライバー作戦が完了.国連軍,ワイオミング・ラインを確保.これより北には進めず.中国・北朝鮮軍は二次にわたる春季攻勢で15万の戦死者を出すが,攻勢以前の線まで押し返される.

6.16 一週間にわたるすり鉢山(Punchbowl)の戦いが始まる.この山は麟蹄から北35キロに位置する火山.三角地帯東方に対する管制高地となっている.山ろくにHwach'on貯水池を抱える.

6.22 第一海兵師団が北朝鮮軍の抵抗を破り,すり鉢山とHwach'on貯水池を確保.

6.23 ソ連国連代表ヤコブ・マリク,国連安保理で朝鮮停戦交渉を提案.38度線での停戦を呼びかける.トルーマンはリッジウエイに休戦交渉開始の提案を指示.

6.23 韓国陸軍,丁一権参謀総長を更迭.後任に李鍾賛少将.

6.26 第9軍団,中国軍駐屯地に対する同時攻撃「Cat & Dog」作戦を展開.

6.30 国連軍最高司令官リッジウェイ,「もし中国が休戦の用意があるならば,休戦会談開催を支持する」と放送.

51年7月 開城停戦会談

7.01 北朝鮮軍司令官金日成と中国義勇軍司令官膨徳懐,リッジウエイの休戦会談提案を承諾

7.01 国連軍,ドーナッツ作戦を開始.Sobang山地の確保を目指す.

7.01 休戦交渉の進展で東証の株価が急落する.

7.03 北の殲滅を主張する李承晩韓国大統領,38度線停戦に対し強固に反対.

7.03 米国代表団,細菌兵器使用の抗議を否定する決議を安全保障理事会に提出.

7.10 朝鮮軍事会談第一回本会議,開城でひらく.軍事境界線の設定,監視機関の構成,捕虜交換など討議.停戦会談中、有利な停戦条件を目指し戦闘は激化.

7.10 米空軍,40日にわたる平壤爆撃作戦.述べ4千機が250回にわたり平壤空襲.

7.11 ダレス国務省顧問,講和条約と同時に日米安全保障条約を結びたいと言明.

7.12 第9軍団が272高地,487高地を攻撃.

7.26 米第10軍団第二師団,すり鉢山近くの大愚山(1179高地)を攻撃.4日間の激闘の末確保.近くの1059高地,1120高地も制圧.

51年8月

8.02 コミンフォルム機関紙『恒久平和と人民民主主義のために』,日本共産党の全党員に対し,「北京機関」と「軍事闘争」路線への服従を迫る.国際派(国際主義者団、団結派、統一協議会、統一派)はこれを機に自己批判し復党を認められる。

8.03 第9軍団,ワイオミング線に向け攻勢開始.6日間にわたりKwijon-niを攻撃.

8.15 李承晩、光復節の式典で演説。新党結成の意向を明らかにする。李範奭駐台湾大使に自由党創党をゆだねる。李範は、朝鮮民族青年団を基盤に、5団体(大韓国民会、大韓青年団、大韓労働組合総連盟、農民組合総連盟、大韓婦人会)に新党への結集を促す。

8.17 北朝鮮,国連軍が中立地帯に侵入しているとし,開城会議の席上で謝罪を要求.

8.18 国連軍,「リッジウエイ」夏季攻勢を開始.13万の大兵力と1,000余機の軍用機,多数の艦船を動員し,日に数万発にのぼる砲爆撃を加える.

8.19 日本共産党の第20回中央委員会。「新綱領」草案、改正「党規約草案」、「党の統一に関する決議」を採択し、武装闘争路線を宣言。

8.23 中国・北朝鮮軍,国連軍の開城上空侵犯を理由に交渉を中断.軍事会議は無期限の休会に入る.米国側も開城の中立性が保障されていないとし,会談継続を拒否.

8.27 第10軍団第二師団を中心とする大部隊,900高地から983高地へと連なる「血の尾根」(BloodyRidge)への波状攻撃を開始する.

8.31 米国海兵隊第一師団,東部のパンチボウル地区で攻撃を開始.

51年9月 対日講和条約と日米安保条約

9.01 サンフランシスコでANZUS条約が調印される.

9.02 中国軍,「血の尾根」を奪還.このあと半月におよぶ「血の尾根」の激闘が始まる.第15野砲大隊は24時間で1万4千発の砲弾を撃ちつくしたという.

9.04 サンフランシスコ講和会議開始,52カ国参加.

9.06 米第二師団第9連隊,「血の尾根」を攻撃.983高地を奪取.

9.06 韓国軍内に女性軍が創設される。

9.08 旧特高・思想検察関係336人の追放が解除される.

9.09 ソ連など3カ国を除く48カ国と日本の間で対日平和条約調印,日米安全保障条約が調印される.

9.09 第一軍団,二次にわたり議政府北方の支配地での掃討作戦を展開.

9.12 第二歩兵師団第72戦車大隊,「血の尾根」の主峰となる「心臓破りの丘」(Hill931)の第一次戦に勝利.

9.13 中国軍,心臓破りの丘に対する反撃を開始.

9.18 海兵隊第一師団,Punchbowlの北を流れるSoyang川に進出.

9.21 第9軍団,クリーバー作戦を展開.戦車部隊を先頭に鉄の三角地帯に突入.

9.29 第二師団,「心臓破りの丘」の確保を断念.いったん撤退(第二次戦闘)

51年10月 板門店停戦会談

10.05 国連軍,東西の全線にわたり「バン・フリート」秋季攻勢(コマンドー作戦)を開始.鉄原ーソウル間の安全を確保するジェームスタウン・ラインの確保を目指す.

10.07 「血の尾根」のたたかいでは1211高地の戦闘が焦点となる.米軍は1211高地に1日平均3万~4万発の砲爆撃を加える.

10.10 リッジウエイ,板門店での会談再開を提案.中国・北朝鮮側もこれに応じる.一説では,板門店は現地名ではノルムン里.中国軍が板門店と呼称したのが一般名となる.

10.12 コマンドー作戦に続き,ノマド&ポーラー作戦が始まる.中部の第9軍団地域で新たにイムジン川北方に突出するミズーリ・ラインの確保を目指す.

10.15 米第二師団がポールチャージ作戦開始.総攻撃の末,851高地・1220高地などハートブレイク・リッジ周辺の三つの高地を確保.

10.16 共産党第5回全国協議会開催.新綱領(51年テーゼ)を採択。革命の目標を民族解放民主革命であると規定し、武装闘争方針を具体化。火炎瓶時代が始まる。

10.18 吉田茂首相,首相として6年ぶりに靖国神社を参拝.

10.19 バン・フリート秋季攻勢が終了.米軍はジェームスタウン・ラインの確保に成功.

10.17 国会、大統領直接選挙制と両院制度を柱とする改憲案を議決。

10.20 東京で第一回日韓予備会談が開始される.在日朝鮮人の国籍問題を扱う。

10.24 社会党第8回臨時大会,講和・安保条約に対する態度をめぐり左右両派に分裂.

10.25 朝鮮休戦会談,板門店に会場を移して再開.

10.26 衆議院、講和条約と安保条約を承認。

10.30 米軍,6日間の激闘の末,199高地を制圧.

10.30 イギリス総選挙で保守党が勝利.チャーチルが首相に返り咲く.外相にはイーデンが就任.

10.31 板門店の休戦会談,軍事境界線で合意.スウェーデン,スイス,ポーランド,チェコスロヴァキアからなる中立国監視委員会が設置される.この後,捕虜交換問題で交渉難航.北軍の捕虜132,474名中83,000名が送還を望まず.

51年11月

11.05 中国軍が200高地の奪還を目指し攻撃開始.6日間の戦闘の末確保を断念.

11.12 第八軍司令官リッジウェイ,攻撃的作戦を停止し,活動的防御(active defence)に移るよう指令.

11.20 連合国軍総司令部が調停役を担い,日韓国交正常化を目的とする予備会談が始まる.皇居前の総司令部外交局で会議がもたれる.

11.22 ポークチョップ・ヒルをめぐる第一次攻防戦が4日間にわたり続く.

11.27 軍事境界線に関する協定が成立.38度線ではなく現実の接触線を休戦ラインとすることで双方が合意.

11月 国連軍の板門店誤爆により休戦会談が中断.戦闘がふたたび激化.ソ連は新鋭戦闘機ミグを投入,朝鮮戦争に大規模出撃開始.

11月 李承晩,大統領直接選挙制を内容とする改憲案を国会に提出.国会はこれを否決.

11月 労働党四中総開催.金日成,ソ連派の中心人物である許嘉誼副委員長の方針を批判.党員拡大に消極的なセクト的傾向と党再建方針に反する「極左的行動」をとったとする。許嘉誼は副委員長の職を解かれる。具体的には金日成活動家の大量入党申請に対し、組織担当責任者の許嘉誼が高い「関門」を設け、入党を許さなかったとされる。

12.01 ゲリラ掃討作戦を前に、全国に非常戒厳令が宣布される。釜山から大邱の一帯を除外。

12.02 韓国南部智異山一帯のゲリラ掃討「ネズミ捕り作戦」が開始される.白善燁の指揮する韓国軍二個師団により,2ヵ月後にゲリラはほぼ消滅.

12.17 李範を中心に自由党が結成される。国会議員の集団は、これとは別にもう一つの自由党を結成し反李承晩路線をとる。このたため、両者は院外自由党・院内自由党と呼ばれる。

12.18 板門店で,国連軍と北朝鮮軍が捕虜名簿を交換.

 

1952年

52年1月

1.01 北朝鮮軍根拠地に対し,1ヶ月にわたる砲撃および爆撃作戦が始まる.

1.02 国連軍,捕虜の非強制的帰国を提案する.

1.08 北朝鮮,捕虜の非強制的帰国の提案を拒否.一括交換を要求.

1.09 北朝鮮系の在日朝鮮人が,「民主統一戦線」(民戦)を結成.

1.18 釜山の韓国議会,李承晩の提案した第2次改憲案(大統領直接選挙制と上下両院制)を19対143票の圧倒的大差により否決.野党は張勉の総理就任を想定して内閣責任制を逆提案する.

1.19 李承晩政権,「海洋主権宣言」を発布.日本漁船の立ち入りを禁止するいわゆる「李ライン」が設定される.

1月 バン・フリート第八軍司令官,「朝鮮はひとつの祝福であった.世界のどこかで“朝鮮”がなければならなかった」と述べる.

52年2月 米軍,細菌兵器を使用?

2.10 Clam-up作戦.中国軍斥候部隊に対する待ち伏せ作戦.

2.15 第1次日韓正式会談開始,日本は韓国に対し財産請求権,李ラインの撤廃を主張.韓国側はこれを拒否.

2.18 巨済島の捕虜収容所で、北朝鮮軍兵士による暴動が発生。

2.22 北朝鮮政府,アメリカ軍が細菌兵器を使用したと発表.この作戦には石井四郎,若松次郎,北野秋蔵ら旧730部隊関係者が参加したといわれる.

2.26 チャーチル首相,英国の原爆保有を公表.

52年3月

3.04 米国政府,細菌兵器使用との北朝鮮非難を否定.

3.12 韓国軍、ゲリラ掃討作戦の完了を宣言。

3.08 GHQ,駆け込み通達で,日本での兵器製造の許可を政府に送る.

3.28 日本,外国人登録法公布.北朝鮮系活動家への取締りを強める.

3月 国際民主法律家協会の調査団,北朝鮮で現地調査.住民大虐殺事件や細菌兵器使用の事実を確認.

3月 李承晩,民族青年団などの右翼を糾合し自由党を結成.大統領の直接選挙制を狙う.

52年4月

4.17 韓国野党,内閣責任制を柱とする改憲案を国会に提出.署名議員数は2/3を超える.

4.26 日韓会談,事実上打切り.

4.28 対日講和・日米安保両条約発効.GHQなどの占領機関が廃止される.

4月 ヤコブ・E・スマート空軍准将率いる企画班が、北朝鮮の発電所を攻撃する計画を立案。リッジウェイ大将は、これらの「空から圧力を加える」攻撃を支持。

52年5月 釜山政治波動

5.01 第23回メーデー,デモ隊6000人が使用禁止の皇居前広場で警官隊5000人と衝突(血のメーデー事件).

5.06 張勉国務総理が退任。これに代わり、張宅相が総理に任命される。張勉は潜伏後,米軍病院に逃れる.

5.07 板門店の停戦交渉,捕虜の帰国問題に関して行き詰まる.国連軍側は,北朝鮮兵10万,中国兵2万の捕虜の送還を本人の自由意志に任せるよう主張.これに対し中国・北朝鮮側は,捕虜全員の無条件送還を求める.

5.08 巨済島事件発生.巨済島の収容所に収容中の北朝鮮軍捕虜が,俘虜虐待・虐殺停止,「自由意志送還」停止を要求.収容所所長ドッド准将を捕虜としたてこもる.

5.10 米軍,捕虜虐待を一部認める回答を発表.同時に巨済島に戦車を上陸させ威圧.

5.11 巨済島で北朝鮮捕虜に拘束されていたドッド所長が解放される.

5.12 リッジウェイ国連軍総司令官,NATO軍総司令官に転任.大統領選に立候補したアイゼンハワーの後任となる.後任にマーク・クラーク大将.リッジウエイは赴任先のパリで,「細菌将軍」の別名を受ける.

5.14 政府, 大統領直選制と両院制を柱とする第4次改憲案を議会に提出。

5.19 李承晩の意を受けた「白骨団」「土蜂団」などの暴力組織が,連日,国会解散要求のデモ.反対議員に対する脅迫を強める.

5.22 マーク・クラーク総司令官,巨済島収容所の管理を英連邦軍に委ねる.

5.24 マイヤー協定(正式名称:経済調整に関する協定)が締結.韓国駐留米軍に対する韓国政府の経済的支援を義務付けたもの. 

5.25 Agok攻撃作戦.第245戦車大隊と第45師団が反撃作戦.

5.25 「釜山政治波動」が発生。7月任期切れを目前に控えた李承晩,「釜山一帯にゲリラ部隊が出動した」というデマ情報を元に,釜山市内、慶南道、全北・全南に戒厳令を公布.憲法の改正と直接選挙による再選を狙う.

5.29 野党議員50名あまりが,「国際共産党」の資金を受け取ったとの容疑で憲兵隊に拉致される.キム・ソンス副統領、李承晩を弾劾して国会に辞表提出。政界は激動。

52年6月

6.06 一週間にわたるカウンター作戦.第45師団が,軍事境界上のOld Baldy地区で制圧作戦を展開.以後Old Baldy地区では,9月まで5回にわたる激戦が展開される.第180連隊は,191高地のEerie駐屯地で中国軍と激戦.

6.10 巨済島の捕虜収容所暴動が最終的に鎮圧される.150人の捕虜が死傷.

6.18 国会, 臨時議長に申翼煕, 副議長に曹奉岩を指名。

6.23 米空軍,北朝鮮の鴨緑江にかかる水豊ダムを爆撃.4隻の航空母艦から発進した海軍の急降下爆撃隊が、空軍のセイバー戦闘機の護衛の下に爆弾を投下。他にFusen,長津,Kyosenの水力発電所にも爆撃.北朝鮮全土が二週間にわたり停電.中国北東部も影響を受ける.北朝鮮の電力供給能力は九割も減少。

6.25 クラーク司令官,李承晩に対する干渉計画の準備を指示.

李承晩除去計画: 戒厳令発令を受け,米統合参謀本部は極東米軍に李承晩除去計画の発動を命じた。大邱の韓国陸軍本部は李承晩打倒のクーデターの検討に入った。この計画は、アイクの就任直後であり,朝鮮戦争が未終結という状況を勘案し、結局中止された。計画を立案した朴正熙作戦部次長は,後日のクーデターにこのときの計画を援用した.

6.25 柳時泰、李承晩大統領暗殺を図るが失敗。 

52年7月

7.04 警察・暴力団が議事堂周囲を包囲する中,大統領直接選挙制を採用することのみを定めた「抜萃憲法」が韓国議会を通過.反対派に対処するため,警官隊が議場に踏み込む.

7.17 Old Baldy地区の266高地で3週間にわたる激戦.

7.21 日本で破壊活動防止法が公布される.

7.23 韓国陸軍参謀総長李鍾賛少将更迭.白善少将就任.

52年8月

8.07 戦時下に初の韓国大統領選挙.白骨団によるテロなど反対派弾圧の下で,李承晩が再選をはたす.副統領には咸台永が当選。

8.12 西部で,1ヶ月にわたるバンカー・ヒル(Hill122)の戦闘が始まる.第一海兵師団が主力を担う.

8.13 労動基準法が国会を通過。

8.29 米空軍,平壌を大空襲.一日で延べ1,403機による空襲が繰り返され,朝鮮戦争における最大規模の空襲となる.

52年9月

9.01 三隻の空母から144機の海軍機が出撃.北朝鮮のAoji精油施設を破壊.

9.01 韓国,徴兵制を実施.

9.06 中国軍がハートブレイクの奪還を目指し攻撃.2日後に撃退される.

9.17 第65連隊のケリー駐屯地が,中国軍により包囲される.1週間後に包囲を突破.

9.30 中国軍,ケリー駐屯地の確保を断念し撤退.

9.30 張宅相総理、収賄事件の責任をとり辞任。

52年10月

10.06 中国・北朝鮮軍が中部と西部で大規模な反撃を開始.平壤大空襲に怒るソ連はミグ機を大量投入.これにより,B29の日中爆撃が不可能となる.

10.08 板門店の軍事会談,空転が続いたあと無期限の休会に入る.

10.13 中国・北朝鮮軍の大規模攻勢が終わる.

10.14 第7回国連総会が始まる.インドが任意返還希望者の第三国への一時移動案を提示.この案が総会で採択される.

10.14 「ショーダウン作戦」.鉄の三角地帯の南東端にあたる金化の「狙撃手の丘」で,第七師団と中国軍が衝突.

10.15 警察予備隊11万人が,保安庁の新設にともない保安隊に改組される.

10.16 中国軍,10日間にわたる攻勢を停止.

10.17 国会, 李允栄の総理承認案を否決。

10.18 国連総会.ソ連・ポーランドの代表がアメリカによる生物兵器使用を非難する演説.

10.24 第9軍団,598高地を奪取するショーダウン作戦を成功させる.

10.28 第9軍団,6日間の戦闘の末中国軍を撃退し,301高地を防衛.

10月 北朝鮮労働党の林和・金南天・金午星・権五稷ら,アメリカのスパイとして逮捕される

10月 元南労党幹部で朴憲永の側近李承燁 (リ・スンヨプ)国家検閲相、金剛学院(南労党系のパルチザン養成機関)が政府転覆を図ったとされ逮捕される。

52年11月

11.03 ふたたび「心臓破りの丘」(Hill 851)の戦いが始まる.中国軍が,第10軍団に激しい砲撃.第40師団160歩兵連隊がこれに応戦.

11.03 米,太平洋上のエニウェトク環礁で水爆実験に成功.

11.04 第9軍団,中国軍の攻撃を退け,Charlie and King駐屯地の確保に成功.

11.04 米大統領選挙.共和党候補のアイゼンハワー将軍が,民主党のスティブンソンを破って当選.

11月 第9軍団,戦線の膠着にともない韓国から撤退.第一軍団が代わって戦線を維持.

52年12月

12.02 アイゼンハワー次期大統領,三日間にわたり韓国を訪問.莫大な軍事・経済援助を約束.

12.03 国連総会,朝鮮戦争捕虜の解放・帰還に関するメノン提案を採択.

12.12 第三次世界大戦の危機を前に,ウィーンで諸国民平和大会が開かれる.85カ国から1880人参加.話合いによる緊張緩和,朝鮮戦争即時中止,5大国による平和条約締結を要求する決議.

12.14 韓国から帰国したアイゼンハワー,さらに強硬な新方針を発表.

12.15 朝鮮労働党第五回中央委員会総会が開催される.党組織の強化,自由主義的傾向との闘争を決議.このあと「五中総文献討議事業」という名の党内粛清が本格化.副首相・朴憲永,党秘書・李承燁ら旧南労党系幹部が失脚.金日成は自派の活動家を大量に入党させ,自らの影響力を圧倒的なものとする.

12.25 「T-ボーンの丘」の戦い.第二歩兵師団第38連隊が中国軍の攻撃を跳ね返す.

12月 巨済島南方の峰岩島捕虜収容所で暴動.死者85人,負傷者100人以上を出す.

 

1953年

53年1月

1.05 李承晩,国連軍司令官クラークの招きで来日.吉田茂首相と会談,日韓交渉再開につき意見の一致を見る.

1.20 アイゼンハワーが米大統領に就任.

1.25 「SMACK作戦」 31連隊(第七師団)がSpud Hillを制圧.

1月 済州島で,漢拏山に隠れ住む武装隊の残党狩りが行われる.

53年2月

2.02 アイク,「米国第七艦隊は,蒋介石が中国の本土を攻撃するのを止めない」と述べる.

2.04 「李ライン」内に出漁した漁船「第一大邦丸」,韓国警備艇に捕獲,この際韓国軍の銃撃により機関長が射殺される.翌年にかけ,韓国による漁船捕獲,乗組員裁判が頻発する.

2.07 北朝鮮の最高人民会議常任委員会,金日成首相に元帥称号を授与

2.11 マクスウェル・テイラー中将,ヴァン・フリートの跡を継ぎ,第八軍司令官に就任.

2.11 アイゼンハワー、国家安全保障会議で核兵器使用を主張する。これを皮切りに、停戦協定成立までに5回にわたり国家安全保障会議で核兵器使用について言及。

2.11 文部省,朝鮮人子弟の就学につき,一般外国人同様に取扱うよう通達.ただし日本法令厳守を入学条件とする.

2.15 韓国政府、緊急通貨措置を発表。円をウォンとし、対ドルレートを110対 1に引下げる。

2.22 休戦会談再開。国連軍は,完全な捕虜交換への準備として傷病兵捕虜の交換を提案する.

2月 北朝鮮,「在日朝鮮人は朝鮮民主主義人民共和国の公民である」と主張.

53年3月 スターリンの死亡

3.05 スターリンが死亡.マレンコフが後継首相に就任.

3.11 国連総会,朝鮮復興援助決議案を可決.

3.17 「小ジブラルタル」(Hill 355)の戦闘.中国軍が第9連隊(第二歩兵師団)を攻撃.

3.23 Old Baldy地区とPork Chop高地に中国軍が同時攻撃.31連隊と第32連隊(第七師団)が防衛に回る.

3.26 ネヴァダ地区のVegas-Reno(Elko?)-Carsonの三駐屯地に中国軍が攻撃.第五海兵連隊が逆襲に転じ,中国軍1個連隊を撃滅.

3.28 北朝鮮,傷病兵捕虜の交換に関する国連軍提案を承認すると発表.傷病捕虜の交換協定が調印される.

3.31 米国家安全保障会議。アイクは「もし原子兵器使用によって共産軍に対して重要な勝利を達成し、中央部の線に達することができるなら、それは代価を払うに値することだ」と述べる。備忘録によれば、「大統領と国務長官は、原始兵器使用を取り巻くタブーをなんとしても打ち破らなければならないということで、完全に一致していた」

3月 ソ連派トップで労働党副委員長の許嘉誼、朴憲永らと協調を図ったと追及され、「自殺」に追い込まれる。

3月 李承燁(司法相)、権五稷(中国大使)、金午星、孟種鎬、朴勝源(党連絡部長)、裵哲(党連絡部長)、姜文錫(党社会部長)ら旧南労党幹部10人に死刑判決。

53年4月

4.09 李承晩,休戦交渉が韓国の意向を無視しているとして米国に抗議.

4.11 二週間にわたり,国連軍将兵684人,中国・北朝鮮兵6670名の傷病捕虜が板門店で交換される.

4.16 Pork Chop高地の戦闘.第17,31連隊(第七師団)に多数の犠牲者.

4.26 朝鮮休戦会談が板門店で再開される.

4月 米政府,休戦後の対韓経済援助についてタスカを団長とする調査団を2ヶ月にわたりソウル派遣.タスカ調査団は韓国の防衛・復興のために4,5年の長期援助計画が必要と報告.この報告に基づき休戦後の4年間に17億ドルの経済・軍事援助がつぎ込まれる.

53年5月

5.07 北朝鮮,中立国帰還委員会の設立を含む8項目提案.インド提案を基礎とする.

5.13 中国・北朝鮮軍,「最終攻勢」を開始.第9軍団の韓国軍陣地を狙い撃ちするが,増強した韓国軍により跳ね返される.西方では第一軍団所属のトルコ旅団を攻撃.多大な犠牲を払い一部の確保に成功.

5.13 米空軍がToksanダムを破壊.水田用灌漑設備が破壊される.さらに道路・鉄道も数マイルにわたり破壊.

5.25 国連軍,停戦に関する最終提案.

5.30 李承晩,共産軍と国連軍が同時に朝鮮半島から撤退するよう提案.米韓相互防衛条約締結を条件とする.米国は李承晩説得を開始.

53年6月 捕虜交換合意と李承晩の反抗

6.04 北朝鮮側は,国連軍提案の大部分を受け入れる.

6.08 南北交渉,最後の難関となった捕虜交換問題で,「自発的な帰国の原則」で合意に達する.

6.09 韓国議会,「韓国提案を含まない休戦協定は認めることはできない」と決議.

6.10 中国・北朝鮮軍,鉄の三角地帯とすり鉢山の中間点,金城方面に大攻勢.第三師団のハリー駐屯地,韓国第二軍団を1週間にわたり攻撃.10キロほど南に進出.

6.17 南北交渉,最終的な休戦ラインが確定.捕虜送還協定が署名される.

6.18 休戦協定に逆らい戦闘継続を狙う李承晩,反共産主義を表明したとして北朝鮮軍捕虜2万5千人を一方的に「解放」.アメリカは相互防衛協定の締結,長期経済援助,韓国軍の増強などを条件に李承晩を説得するいっぽう,李承晩排除の計画をひそかに推進.

6.20 中国軍,韓国軍に対し最後の攻撃を指示.金城付近で一週間にわたる漢江河畔の戦闘.この戦闘で韓国第二軍団兵士7400人が死亡.中国軍も6600人の犠牲を出す.アメリカは李承晩を説得することを条件に,北側との交渉を進める.

6.30 F86ジェット戦闘機とミグ戦闘機の空中戦.米軍が16機のミグを撃墜.

53年7月 停戦協定の成立

7.06 Pork Chop高地で第4次の戦闘.第七師団は5日後にPork Chop高地の放棄と撤退を命令.

7.13 中国・北朝鮮軍,停戦協定を目前にして最終攻勢に出る.中国軍6個師団が参加する最大規模の攻勢.米第9軍の第三,第40,第45師団が応戦.金化付近では,第9軍団右翼の韓国首都師団が総崩れとなり,その東方では韓国第二軍団も撤退を迫られる.

7.16 国連軍,北に対し反撃を開始.当初の境界より10キロ南のKumsong川を境界ににらみ合いとなる.これを最後に中国軍の大攻勢はなくなる.

7.19 板門店の交渉担当者が休戦の細目について最終的な合意に達する.

7.23 第二次日韓交渉,無期休会となる.

7.24 Berlin ComplexのDale & Westview駐屯地・通称"Boulder City"で,中国軍3千名の攻撃.第一,第七海兵連隊が応戦.最後の大規模な陸戦となる.

7.27 南北間の休戦協定が,板門店で調印される.国連軍代表はウィリアム・ハリソン将軍,北朝鮮軍代表は南日将軍.

朝鮮戦争の犠牲者
南北朝鮮合わせて460万人が犠牲となる.これは当時の総人口の23%に当たる.特に北朝鮮の人口は,100万を越える人々の南への避難も加わり2/3まで減少.離散家族は1千万に達する.
戦闘員だけで230万人が死傷.義勇軍として参加した中国軍の死者は100万人.韓国軍4万2千人,米軍にも5万4千人(一説に6万3千人)の戦死者を出す.米空軍は述べ8万回出撃.18万人を殺傷.


北朝鮮側の発表(かなりのまゆつばもの)
アメリカ側は兵力156万7,128人(うち米軍将兵は40万5,000余),1万2,224機の軍用機,564隻の各種艦船,3,255両の戦車および装甲車,7,695門の各種砲,92万5,152挺の狙撃兵器を失う.


南北両国の経済被害
農業は南で6割に減少.工業生産力は南で3割,北で5割に減少.北朝鮮は工場8700ヶ所,住宅60万戸,学校5千ヶ所,病院1千ヶ所,劇場・映画館263ヶ所が破壊される.

7.28 協定に基づく休戦委員会の第一回会議が板門店で開かれる.

7.28 アイク大統領,対韓復興援助2億ドルを議会に要請.