韓国戦後史年表

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休戦発効以前は朝鮮年表として一括。年表1,2,3を参考のこと

 

  1953年

53年8月

8.05 1ヶ月にわたる南北の捕虜交換が開始される.中朝兵75,799名,国連・韓国軍兵士12,760名が送還される.

8.08 ダレス国務長官,ソウルを訪問.アメリカと韓国の相互防衛条約が仮調印される(本調印は10月).戦後も米軍常駐体制が無期限に維持されることとなる.李承晩は「北進政策」を唱え続け,男子の6%にあたる60万人に兵役を課す.

8.17 朝鮮戦争の最終和平合意に向けた国連特別総会が始まる.

8.28 国連特別総会,すべての交戦国が参加するジュネーヴ和平会議の設置を決議.

8月 月刊総合教養誌『思想界』が創刊される。編集長は平安北道出身の張俊河。

53年9月

9.07 韓国軍艦,李ラインを侵犯したとして日本漁船三隻を拿捕.この後、65年の日韓漁業協定締結までの間に、328隻の船舶が拿捕され、3,929人が抑留され、死傷者は44人を数えた。

9.13 中国,国連総会決議に肯定的な反応.中立5カ国の平和会談への参加を提案する.

9.15 第8回国連総会が始まる.国連軍に参加した16カ国は,和平会談に向け協調戦略をとる.

9.23 国連軍,帰国を拒否する北朝鮮捕虜2万人余りの管轄を,中立国帰還委員会および非武装地帯のインド軍監視部隊に移す.

9月 李承晩,ライバルとして勢力を伸ばした李範せき将軍を追放.子飼いの暴力団「民族青年団」を解散させる.

53年10月

10.01 ワシントンで米韓相互援助条約が本調印される.米軍の無期限駐留、国連軍の韓国軍に対する指揮権を承認。その後の3年間で17億ドル(一説には3年間で30億ドル、このほか国連からも援助)が投入される.

10.06 第3次日韓会談.日本代表の久保田貫一郎,日本の朝鮮統治は朝鮮人に恩恵を与えたと発言したことから議論が紛糾.決裂に終わる.韓国は漁船の拿捕と漁師の抑留措置を強化,大村収容所の不法入国者の引取りを拒否.

10.26 板門店で最初の平和会議のための最初の準備会談.前進は見られず.

53年11月

11.03 国連総会,国連軍勢力に対して細菌戦に関する北朝鮮側の訴えを公正に調査するよう勧告

11.17 アメリカと韓国,米韓相互援助条約に基づき,軍事経済援助に関する協定を締結.この時点で韓国軍は70万人に膨れ上がり,軍事費は国庫支出の6割に達する.

11月 李承晩,自由党を創設.自ら総裁に納まる.

11月 民戦が大会を開催.日本共産党のかかげる反米・反吉田・反再軍備の「三反闘争」に,反李承晩を加えた「反四闘争」を決定.この新路線をめぐり日本共産党との間に矛盾が拡大.

53年12月

12.03 国連総会は,国連軍捕虜に対し北朝鮮,中国によって加えられた残虐行為を非難.

 

1954年

54年1月

1.18 韓国,日本海の竹島〔独島〕に民間守備隊を派遣し領土標識を設置.日本は国際司法裁での調停を提案するが,韓国は拒否.

1.22 平和会議のための板門店予備交渉が終わる.中立国帰還委員会による帰国拒否捕虜の管理期間は終了.残った捕虜は,国連軍によって解放される.

1.25 ベルリンで4大国外相会議が開かれる.3週間にわたる交渉の末,朝鮮・インドシナ問題を解決するためのジュネーブ平和会議を開催することで合意.

54年4月

4.26 ジュネーブで朝鮮半島およびインドシナの将来問題を協議する政治会議が開始される.交渉は3ヶ月に及ぶが,朝鮮問題では成果ないまま決裂.

4月 李承晩,総選挙を前に治安局長以下の全国警察首脳を総入れ替え.「容共・反政府分子の一掃」を命じる.これにより民主国民党は大弾圧を蒙る.

4月 韓国政府,対日貿易を停止.

54年5月

5.20 第三回総選挙実施.李承晩与党の自由党が131議席を獲得し圧勝.民主国民党は議席を半減.警官が棍棒を使って投票に駆り出したことから,「棍棒選挙」と呼ばれる.

5月 北朝鮮生まれの文鮮明,世界基督教統一神霊協会(略称統一協会)を結成.

6.15 国連軍参加の欧州諸国,ジュネーブ会議が失敗に終わったと発表.

6.28 周恩来とネール首相,平和五原則を謳った共同声明を発表.

7.21 インドシナ休戦協定が成立.

9.08 マニラで東南アジア条約機構(SEATO)が成立.米・英・仏・豪・ニュージーランド・フィリピン・タイ・パキスタンの8カ国が加盟.

9.21 済州島全島で禁足地域が解除される.

9.25 日本政府,竹島問題を国際司法裁判所に提訴.韓国政府に申し入れ.韓国政府はただちに拒否.

54年11月 四捨五入改憲

11.07 李承晩、「初代大統領に限り、三選制限条項を適用しない」という憲法改正案を提出。「終身大統領制」に道を開くものとされる.韓国国会で7項目の改憲案が採決されるが,改憲に必要な136票に1票足りず,いったん不成立に終わる.

11.08 李承晩政府,否決取り消しを発表.在籍203名の3分の2は135.3333…名であり、小数点以下は四捨五入で切り捨てられるので、2/3に足りているとする理屈。

11.17 李承晩政権,韓国軍の作戦指揮権を国連軍(米軍)に譲渡する「合意議事録」に調印.アイクは7億ドルにのぼる対韓軍事・経済援助協定に署名.

11.27 議会,改憲案を再度採決に付す.野党議員は採決をボイコット.与党議員125人の賛成で採択される.

11.30 韓国民主党の流れを汲む民主国民党に張勉らキリスト教活動家が合流.これを中心に野党が結集し、護憲同志会を結成。

12.01 アメリカと台湾の国民政府とのあいだに米台相互防衛条約が締結される.

1955年

1.17 軍事費は歳出の30%以上となる.物価は開戦時の200倍に達する.アメリカと韓国,軍事援助議定書に調印.

8.17 韓国政府,日本との経済関係を全面断絶すると発表.韓国人の対日往来も禁止される.

9.18 護憲同志会に結集した野党各派が民主党を結成.臨時政府以来の政治家で,国会議長を勤めた申翼熙が党首に就任.申翼熙を大統領候補に、キリスト教系の張勉を副大統領候補に決定。「もうだめだ.代えてみよう」をスローガンに李承晩の自由党を急追.

10.26 中国軍6個師団が撤収を完了。

11.17 李承晩,李ライン侵犯の日本漁船は撃沈も辞さないと警告.

55年 「経済再建と財政安定に関する米韓合同経済委員会」設立.韓国経済はアメリカの統制下に入る.アメリカの余剰農産物を中心とする援助物資は割高に販売され「対充資金」として積み立てられる.実体としては,ほとんどが軍事費に充当される.莫大な援助資金に支えられ,三星財閥(第一製糖),現代財閥(現代建設)などが急成長.いっぽう,剰余農産物の輸入により韓国農業は壊滅的打撃を受ける.

55年 アメリカ空軍,メヒャン里一帯の土地29万坪を軍用地として一方的に取り上げ.海上と陸地をふくむ機銃射撃場を作り,クニー射撃場と名づける.また沖合いのノン島には爆撃訓練場を設置.ノン島の面積は1/3に減少.誤爆や不発弾によって13名の住民が死亡し,22名が重傷を負う.

 

1956年

1.02 与党非主流派が民政党を結成。共同議長に李範錫と張宅相。

1月 曹奉岩を中心とする野党内左派は、民主党とは別に進歩党の創党準備委員会を結成.南北協商,南北朝鮮の平和的統一を公然と唱える.曹奉岩は初代の農林部長官で、国会副議長の座についたこともある。解放以前は共産党に加入していた。

1.23 駐日韓国代表部,対日貿易を再開すると発表する.

2.03 米韓原子力協定が調印される.

3.13 アメリカと韓国,余剰農産物供与協定を締結.アメリカは年間9500万ドルの余剰農産物を供与することとなる.これにより米価は低く抑えられ,綿花・大豆などの栽培はほぼ壊滅.

3月 ダレス国務長官が日韓両国を訪問.日韓会談の再開を調停.

56年5月

5.05 民主党、第三回大統領選挙を前に、裡里の演説会に30万人を動員.その直後に申翼熙が脳溢血で急死.

5.15 大統領選挙で自由党の李承晩が500万票を獲得し当選.申翼熙が急死したため,曹奉岩が急遽立起し216万票を獲得.申翼熙への追悼票も180万に達する.副大統領には野党民主党候補の張勉が自由党の李起鵬を破り当選.

9.28 民主党全国大会。申翼熙にかわる議長に趙炳玉を選出。反李承晩の立場を明確にする。

9.28 張勉副大統領暗殺未遂事件.民主党全国大会の会場で退役軍人の金相鵬が張勉を狙撃。張勉は軽傷を負う.警察の関与が明らかになるが,それ以上の捜査はストップ.

11.11 進歩党の結成大会.委員長に曹奉岩、幹事長に尹吉重を選出。中道左翼を中心に韓民党系,旧金九派など,複雑な人的構成.平和統一を前面に立てた統一政策を除けば,当時の保守政党と政策の上での差はなかった.

 

1957年

4月 済州島ゲリラの最後の生き残りと言われた呉元権が逮捕される。

6.21 米軍,北朝鮮が休戦条約を無視したとして,最新式ジェット戦闘機,核兵器を韓国に持ち込む.板門店休戦会談の席上,一方的に北朝鮮側に通告.

6月 アメリカの会計監査院,対韓援助資金にかかわる疑惑調査のため,現地調査団を送る.

7.01 米極東軍,編成を変更.東京の国連軍司令部が韓国に移動.事実上駐韓米軍に吸収される.

8.16 「国際タイムス」が遠藤柳作(元総督府政務総監)とインタビュー。遠藤は「最初に宋鎮禹氏と相談したが宋氏が拒否したので呂運亨氏を選んだ」という説はウソであって、「交渉の相手にしたのは呂運亨氏だけであった」と述べる。

12.31 藤山外相と金駐日公使による日韓会談,抑留者と不法入国者の相互釈放・送還で合意.日本政府は久保田発言を全面的に取り消し,対韓資産の請求権を放棄すると発表.

57年 この年、経済成長率は8.7%に達する。三白産業(原糖、原綿、原麦の加工業)と呼ばれる援助物資の加工産業が活気を呈する。しかしその後経済成長は急速に減速。一人当たり国民所得も80ドル前後にとどまる。

 

1958年

1.13 韓国で「進歩党事件」.曹奉岩党首ら7人がスパイ容疑で逮捕.曹奉岩は解放以前に共産党員だったため,スパイとの容疑を受けた.この後進歩党は瓦解.
 

後の当事者証言によれば、李承晩は「あらゆる手段を用いて」曹奉岩を逮捕するよう指令。これを受けたソウル市警察局は、進歩党の綱領と政策などを社会主義理論や北韓労働党の綱領などと結びつけ、「国家犯罪」をでっち上げたという。
一説によれば韓国軍防諜隊(HID)の梁明山が支持者を装い
曹奉岩に接近、金を渡したあと「北傀から金をもらった」と宣伝したという。

1.29 駐韓米軍,原子爆弾を発射する長距離砲が韓国内に配備されていることを明らかにする.

2.22 韓国国会,国連軍参加16カ国へ,朝鮮休戦協定破棄勧告を決議.

2月 釜山から京城に向かった韓国の大型旅客機が乗っ取られ、平壤に飛ぶ。その後米国人パイロットを含む乗客は無事に解放される

4.15 第4次日韓会談が4年半ぶりに再開.

5.02 韓国民議院第4回選挙.李承晩は副大統領の自動継承権の削除と大統領選の間接選挙化のため憲法改正を目指し,このため議会の2/3確保を狙う.しかし結果的には民主党が躍進し、単独で1/3の護憲線を確保,自由党は辛うじて過半数を確保.ソウル市では16議席中自由党はわずか1議席と惨敗.

5.17 釜山抑留の日本人漁師の送還が終わる.

7.30 藤山外相,在韓日本財産を放棄することを国会で明らかにする.

8月 野党の進出に危機感を抱く李承晩,改正国家保安法を議会に提出.民主党・言論界・法曹界は「新保安法反対闘争委員会」を組織し,国民的規模の反対運動を展開.

8月 自由党、民主党との妥協を目差す「穏健派」と、李承晩の政権維持にこだわる「強硬派」に分裂。

11月 いったん国家保安法改正案を取り下げた李承晩政権,ふたたび一部改正した新国家保安法を上程.上程と同時に集会・デモ禁止令を発する.

12.24 李起鵬議長,警官300名を議会に導入.80名の野党議員を軟禁状態に置く.自由党議員のみの出席で改正国家保安法が成立.野党の反対は警察力で阻止される.同時に市町村長をすべて任命制とする「改正地方自治法」も成立.

58年 米国の対東アジア政策が転換。北朝鮮からの防衛から日本の発展へと重点が移される。これにより年間10億ドルに上った対韓援助は激減。

 

1959年

1.05 保安法に反対するデモが全国に拡大。

1月 韓国,第4回日韓会談の無期限延期を決定.

59年2月

2.12 藤山外相,日本在住朝鮮人希望者の北朝鮮帰還を認めると通告.韓国公使は強く抗議する.

2.14 ソウルで在日朝鮮人が北送反対を訴えるデモ.

2.27 ソウル地裁は、曹奉岩にたいする公訴事実のうちスパイ容疑の部分を棄却し懲役五年を宣告。検察の控訴を受けた韓国大法院は,拷問で引き出した陳述を唯一の証拠として、国家保安法違反で死刑宣告.

59年4月

4.30 李承晩を批判した「京郷新聞」(民主党系)が,弾圧により廃刊に追い込まれる.

6.15 韓国政府,北送問題に抗議して対日貿易の断絶を発表.

6.24 李承晩,南北武力統一と北送武力阻止を強調.

7.31 曹奉岩,内外からの助命嘆願運動にもかかわらず処刑される.米国マスコミなどからも強い批判.上院の委嘱を受けたコンロン報告は,「アメリカの援助は,韓国人のあいだにおびただしい数の百万長者を作り,汚職を横行させている」と批判.

8月 李承晩大統領,「日本は人道主義の名の下に北朝鮮カイライ政権の共産主義建設を助けようとしている」と非難.日韓会談の中止を指示.

12.14 在日韓国人の北送第1陣 975人が新潟を出発し清津に到着。韓国政府、国際司法裁判所に日本を提訴すると発表。

12月 抱州の米軍基地内で慰安婦を裸にし丸坊主にしたあげく,ペンキを振り掛けて叩き出す事件が発生.

59年 米国による対韓援助の激減に伴い、経済成長率は7.0%から2.1%に減少。不景気が襲い、失業者は急増。

 

1960年

60年1月 

1.13米国防総省,韓国へ核弾頭ミサイルのナイキ・ハーキュリーズを配備すると発表.

60年2月 

2.25 大統領選挙で野党統一候補となった民主党の趙炳玉,アメリカの病気治療先(ウォルター・リード陸軍病院)で急死.

2.28 民主党の張勉副大統領候補、大邱に遊説。当局は学生の演説会への参加を禁止したため、高校生たちが抗議の街頭デモを行なう。

2月 倭館で米軍が捨てた食料品缶詰を拾っていた韓国人7名が,米兵に暴行される事件が発生.

60年3月 大統領選挙への抗議行動

3.01 大邱に続き馬山でも高校生の抗議運動。

3.05 大邱での高校生の抗議行動を受け、ソウルでも学生のデモ。抗議の波は大田、清州、水原などに拡大。

3.15 韓国で正・副大統領選挙.投票率は97%という異例の高さ.李承晩は有効投票963万票の92%を獲得し当選.一部地域では得票数が有権者の数を上回る.野党に対する妨害・脅迫・暗殺,買収などの事前運動,4割にのぼる選挙前投票,票のすり替えや投票箱の強奪などが横行.

3.15 馬山で、投票所から民主党の立会人が強制退去される。民主党支部は不正選挙に対する抗議を呼びかけ。高校生ら1万人がデモに参加.当局の弾圧で死者4名,負傷者43名を出す.その後抗議運動は全国に波及.李承晩は「デモは共産党主義者の扇動」と決め付ける。

馬山の闘争については、文献により経過の異同があります。正確な記述を目指します。

3.15 馬山のデモに参加した高校生の金朱烈君が当局に連行された後行方不明となる。武装警察官の催涙弾に当たって死亡したものと見られる.

3.27  金朱烈の遺棄死体が、馬山市役所の裏手、中央埠頭付近の海上に死体となって浮かんでいるところが発見される。警察が死体を遺棄したもの。

60年4月 4月学生革命

4.06 民主党・公明選挙委員会など三団体の共催で「3・15不正選挙」糾弾デモ。

4.08 金朱烈虐殺に抗議し、馬山でふたたび暴動.死者8名,負傷者数十名を出す.

4.11 市民のデモがさらに激化.馬山警察署・李承晩派の「ソウル新聞」支局などを焼き討ち.

4.18 ソウルで不正選挙を糾弾する高麗大学の学生4000名が国会前で座り込み.自由党系の暴力団の襲撃により学生一人が死亡、多数の負傷者を出す.
 
b_t_silenceさん によると、 ソウル→東大   延世→慶応   高麗→早稲田   西江→上智   成均館→明治   漢陽→法政   梨花女→(お茶大+津田塾+ポン女)÷3  中央→中央
という感じだそうです。

4.19 高麗大学学生への攻撃に学生の憤激。ソウル大学はじめソウル市内27大学のほとんどの学生が総決起.このデモに市民・高校生も合流,2万(10万?)の学生・市民が光化門前の広場を埋め尽くす。

4.19 「血の火曜日」事件。学生は「ソウル新聞」や警察署,反共青年団本部などに放火,景武台の大統領官邸に押し寄せる.警備隊は学生に向け一斉射撃。この現場だけで83人の死者、620人を越える負傷者を出す。

4.19 ソウルの事態はたちまち全国に広がり、各地で抗議のデモが展開される。この日だけで全国あわせ186人の死者,6200人の負傷者を出す.

4.19 政府はソウル・釜山・公州・光州・大田に戒厳令を公布して弾圧に乗り出す.首都戒厳司令官には宋尭讃陸軍参謀総長を任命.歩兵一個師団と戦車一個中隊を首都に出動させる.宋中将は学生の要求を容認.李承晩に対し学生側の立場から勧告する一方,部下の銃口を学生・市民に向けさせなかったといわれる.

4.19 ハーター国務長官,韓国大使を呼び「韓国はその誕生から存立まで米国に負っている」ことを強調.不正選挙のやり直しを促す警告.

4.20 マカナギー米大使,景武台を訪れ李承晩と会見.「民衆の正当な不満に応えないのなら,アイクの訪問を中止し,対韓経済援助を再考する」とし,最後通牒を突きつける.米軍の強力な指示を受けた軍部は厳正中立を表明.

4.21 韓国議会が緊急会議を開催.警官隊の学生虐殺を弁護する国防長官は,民主党議員によりマイクを取り上げられる.民主党の張勉党首は逮捕学生の全員釈放と三月選挙のやり直しを含む10か条の要求を提出.

4.21 内閣の全閣僚が総辞職。

4.23 張勉副大統領が辞任。李起鵬国会議長, すべての公職を辞退すると発表。

4.24 李承晩,「政党政治と絶縁し,政府機関の長として大統領の地位にとどまる」と声明.自由党総裁を辞任するが大統領職にはなおとどまるとの意向を明らかにする.許政外務長官(元国務総理)に管理内閣の組閣を命じる.

4.25 全国27大学の教授団が呼びかけた「李承晩退陣」を要求する抗議デモ,ソウル市民3万人が立ち上がる.韓国全土に一気に李承晩退陣の声が広がる.

4.26 教授団と学生を中核とする抗議デモがソウル市民50万人を結集.パゴダ公園の李承晩銅像を引き倒し,汚職・腐敗の中心人物である李起鵬副大統領の邸宅を襲撃.

4.26 国会,大統領の即時辞任を要求する決議を満場一致で採択.これを受けた李承晩は「国民が望むなら,大統領を辞任する」と声明.

4.27 李承晩,正式に国会に辞表を提出.許政(ホジョン)外務長官による過渡政権が成立.議会に憲法改正委員会が組織される.大法院の趙容淳院長も、議会あてに辞表を提出。

4,27 この間のたたかいで学生・市民ら183人が死亡,6259名が負傷.

4.28 副大統領候補だった李起鵬の一家4人がピストル自殺.李起鵬邸はのちに「学生革命遺族の家」となる.

60年5月

5.01 許政過渡内閣,3・15選挙の無効を確認.警察の中立化,国家制度の改変を掲げる.反共青年団と秘密警察か解散させられる.

5.12 韓国政府,対日輸入制限の撤廃を発表.

5.20 李承晩政権時代に腐敗に関与した軍高級幹部の追放を要求する若手将校の陰謀が発覚.宋陸軍参謀総長が引責辞職.

5.21 議会の憲法改正委員会,内閣責任制を柱とする改憲案を公示する。さらに国家保安法・地方自治法の改正に着手.

5.23 国会、居昌事件など朝鮮戦争時の「良民虐殺事件」についての調査団の設置を決定。居昌、山清、済州島に調査団を送ることとなる。

5.29 梨花荘の私邸に逼塞していた李承晩とフランチェスカ夫妻,チャーター機で金浦空港を出発.ハワイに亡命.

5月 民団は「第三宣言」を発表。在日同胞の権益を守ることを最優先し、本国政府の政策に対しては是々非々で望むことを決定。

60年6月 第二共和制の成立

6.15 「大統領は元首として儀礼的・形式的な存在」とし,「国務委員は総理が任命し,大統領には拒否権なし」とする内閣責任制,立法権限を強化された両院制,副大統領職の廃止などを定めた憲法改正案が議会で成立,即日公布.「第2共和制」が成立する。

6.17 郭尚勳 国会議長、新憲法に基づき大統領権限を代行。

6.19 アイク,沖縄から韓国を訪問,日米安保条約自然成立.

6月 デモ隊に発砲を命じた崔仁圭内務長官,郭大統領警護室長ら李政権の要人9名,暴力団幹部らが処刑される.

6月 選挙を前に結成された進歩党の流れを汲む社会大衆党、結党大会において「国土の自主統一実現のため、南北の交流拡大」を決議。

60年7月

7.29 参議院,民議院の両院総選挙が実施される.投票率は80%を越す。ニューズウィークは「朝鮮の歴史上もっとも自由な選挙」と報道.

7.30 議会選挙の結果が判明.民議では保守派の民主党が233議席の7割強を独占して圧勝.自由党は2議席しかとれず,事実上消滅.左派の社会大衆党も4議席を獲得.このほか韓国社会党,社会革新党,統一社会党などの左派政党が立起するが,影響力を発揮できず.

7月 前閣僚・自由党幹部ら不正選挙元凶に対する公判が始まる.また李承晩,李起鵬らの隠匿財産に対する調査も開始される.

7月 大邱の教員労組を中心として韓国教員労働組合総連合が結成される。

60年8月

8.12 韓国国会が開催される.民主党旧派の代表である尹ボ善が大統領に選出されるが、議員の多くは新派が占める.「第二共和制」が発足.

8.15 金日成首相,光復節の演説の中で「南北朝鮮連邦制」を提唱.運営主体として、南北朝鮮同数代表からなる「最高民族委員会」を提案.また連邦制度実現までの過渡的措置として、「経済委員会」による南北の経済文化交流を提案する。

8.19 韓国議会で首相選挙.尹大統領の指名した民主党旧派の金度演は3票差で否決される.これに代わり指名された新派の張勉代表最高委員が国務総理に指名される.張勉はカトリック名門出身の外交官で、国連で韓国が承認されるのに大きな功績を挙げ、その後初代の米国大使を務めた。米国からの信任厚く、次期大統領と目されていた。

8.23 張勉総理,組閣を完了.民主党旧派は協力を拒否.新派のみによる新内閣が成立.

60年9月

9.07 小坂外相が訪韓.日韓会談の再開で合意.

9.30 張勉が施政方針演説.経済再建第一主義を強調.軍隊の10万人削減,国連外交の強化,国連監視下の南北統一選挙,日本との国交正常化促進などを訴える.旧派の抵抗を警戒し「旧秩序と新秩序が交錯する過程では,ある程度の混乱は免れない」と警告.

9月 民主党内紛.張勉を指導者とする新派は内閣を改造し,旧派から5閣僚を迎えるが,尹ふ善を指導者とする旧派は対決姿勢を解かず.

9月 軍内に「下剋上事件」発生.佐官級将校16名が,崔栄喜参謀総長に辞職と粛軍の実行を迫る.金鍾泌が指導したといわれる.以後粛軍運動は地下に潜行し,クーデター計画を練るようになる.

9月 ソウル大学で「既成世代と学生間の統一問題シンポジウム」が開催される。革新系の元老政治家である金昌淑、徐相一がトップとなり、組織の結成へと動く。各大学には民族統一連盟が組織される。

9月 大邱や釜山の革新勢力を中心に民族自主統一中央協議会(民自統)が結成される。「反外勢、反買弁、反封建、反独裁」をスローガンに掲げる。

60年10月

10.09 在日韓国青年同盟(韓青)が結成される。李承晩政権の御用団体である大韓青年団が、「権力にこびない、金力に誘惑されない、暴力に屈しない、真理と正義に生きる青年運動」というスローガンを掲げ再編成される。

10.11 4月事件での弾圧者に対する判決.量刑が軽すぎると抗議する2000のデモ隊が国会を包囲.負傷学生50人を先頭に国会に乱入.「反革命分子の処罰と政争の即時中止」を求める.

10.22 マンスフィールド上院議員,韓国問題について上院外交委員会に報告.「アメリカは相互に受け入れられるような日韓問題の解決を促すため努力するべきである.さらに朝鮮を,オーストリア型の中立化により統一する可能性を考慮すべきである」

10月 張勉内閣,学生乱入事件をきっかけに憲法改正に踏み切る.不正選挙関係者の処罰・不正蓄財処罰・自由党関係者の追放・「犯民主行為者公民権制限法」などを実行.

10月 高麗大学で,学生らが統一問題に関する大討論会を開催.ソウル大学では民族解放統一連盟が結成され,学生260名が参加.「板門店で会おう」のスローガンを掲げ,「民族統一全国学生連盟」に発展する.

10月 第五次日韓会談。米国の援助減少が見込まれることから、韓国政府はこれまでと変わり交渉成立に積極的姿勢を示す。

60年11月

11.01 国会,「南北朝鮮統一要求決議案」を否決.

11.19 張勉政権は,国内の統一促進論に警官を強める。国民に対し「朝鮮戦争を引き起こした金日成を断罪」するよう求め,国連の決定と大韓民国の主権への服従を要求する声明.

11.29 韓国,改正憲法を公布.

11月 民主党旧派,党を完全離脱し,新民党を結成.財界人のほとんどが不正蓄財法違反の対象者とされたことから経済活動が停滞.円切り下げと公共料金引き上げ,物価の騰貴により労働運動が激化.

11月 韓国日報の世論調査.張勉支持は3%,支持しないものが34%を占める.

11月 御用組合の連合体である韓国労働総同盟,韓国労働総連盟として再編される.

11月 朴正熙作戦部長を中心とする少壮将校,クーデターの謀議を始める.
 

朴正熙: 1917年慶尚北道の田舎で貧困家庭に生まれる。師範学校卒業、教師生活を送ったあと1940年に満州軍官学校を経て日本の陸士を卒業(高木正雄名)。
戦後は国防警備隊に入り、南労党軍内細胞の指導者となる。兄は大邱暴動(46.10)で死亡。48年の麗水・順天事件に連座して死刑を宣告されるが、嘱託として軍務に復帰。朝鮮戦争開始と同時に現役復帰し、以後出世の階段を登り始める

11月 ソウル大学民族解放統一連盟、「すべての政党が、南北総選挙に備える」よう訴える。

12.31 反民主行為者の公民権制限法,不正選挙関連者処罰法が公布される.

  

1961年

61年1月

1.01 韓国政府,対米ドル為替レートを切り下げ.

1.04 新民党幹部の金度演,「第一段階で言論機関の交流を,次いで文化人,書信交換をするのは良いであろう」と語る.

1.06 自主統一運動の高揚に神経を尖らせる張勉首相,「政府は一貫して南北交流と中立論に反対する」と声明.デモ規正法と反共産主義特別法の制定に動く.

1.09 韓国で祖国統一民族戦線結成.「三一独立精神に立脚し、民族自主統一を」と呼びかける。

1.25 趙鏞寿、民族日報を創設し社長となる。趙鏞寿は在日韓国居留民団中央総本部次長を務めていたが、4月政変のあと帰国。社会大衆党に入党し国会議員に立起するも敗北。

1月 韓国各紙,慶尚北道と全羅南道を中心に約30万戸の絶糧農家が発生しつつあると報道.3ヵ月後には救済を必要とする農家が前農家の4割・90万戸に達する.完全失業者は政府発表で130万人,USOM発表では300万人に達する.

61年2月

2.01 韓国政府,対ドルレートを崔切り下げ.1ドルが1300ホアンとなる.

2.03 韓国議会,対日復交4原則を満場一致で決議.「日本との正式国交は,日帝支配の苦痛が清算されたあとに成立する」ことを含む。

2.08 韓米経済および技術援助協定調印.「援助資金の使用に当たり米側がその使用状況を不断に観察し検討する」とし,状況によっては米側の一方的判断で援助を打ち切ることを盛り込む.アメリカが韓国の自主性を無視したことから,保守層も含め国民の憤激を呼び,米大使館には連日抗議デモが押し寄せる.張勉内閣は危機に追い詰められる.

2.11 初の革新系新聞「民族日報」(社長趙ヨン寿)が発刊される.南北朝鮮の統一促進と南北交流を主張.

2.20 民主党内で少数派に転落した旧派、党を離脱し新民党を結成.

2.22 ソウルで学生・革新政党・労組などの大規模なデモ.張勉内閣の退陣を要求.軍内では、若手将校を中心に、李承晩時代の腐敗軍人を処罰せよとの声が高まる。

2.25 進歩的団体が結集し,「民族自主統一中央協議会」を設立.統一宣言書・南北交流促進決議文を採択.

61年3月

3.22 ソウル市庁舎前で革新政党,学生青年団体,労組,教員団体など約1万5千名が集会.反共法とデモ規正法の制定反対,張勉内閣の即時退陣を要求.集会後のたいまつデモは,張勉首相の官邸となっていた半島ホテル前と国会に押し寄せる.警官との衝突で双方に80名の負傷者.デモ参加者のうち124名が逮捕される.

3.23 釜山,全州,公州,大邱にも両法反対・内閣退陣を求めるデモが拡大.

3月末 張勉内閣,両法案を撤回,国家保安法の一部補強により弾圧姿勢を強める.政局をめぐる張勉と尹ふ善の対立が決定的になる.

4.12 米代表が国連政治委員会で,北朝鮮の出席を条件付で承認.

5.05 ソウル大学で、民自統と19大学の学生による「民族統一全国連盟発起人会」が開かれる。「我々はこれ以上、自らの運命が外国勢力とその追随者によってもてあそばれるのを許せない」とし、南北学生による板門店会談の5月20日開催を決議.「行こう、北へ!、来たれ、南へ!」のスローガンが掲げられる。南北和解の動きにアメリカ大使館は危機感を募らせる.

5月16日 朴正熙のクーデター

5.16 午前3時 朴正熙少将らによる軍事クーデター発生.空挺団と海兵第一旅団,第五砲兵団の4千人が,漢江大橋を越え陸軍本部と放送局を制圧.張都暎陸軍参謀総長は鎮圧に動かず,事態を静観.張勉はカルメル修道院に身を隠す.
 

朴正熙の略歴: 慶尚北道 亀尾出身。大邱 師範学校卒業、教師をした後、満州・新京軍官学校を首席で卒業。さらに44年に高木正雄名で日本の陸軍士官学校を卒業し、終戦時は満州国 陸軍中尉。大韓民国の独立後は韓国軍に入隊するが、南朝鮮労働党 に加入していた前歴を問われ北朝鮮側のスパイ として拘束される。いったん軍籍を剥奪されるも、南朝鮮労働党の内部情報を提供したことが認められ、朝鮮戦争 勃発とともに軍役に復帰。戦闘情報課長から作戦部次長へと昇進した。クーデター当時の階級・職位は少将、第2野戦軍副司令官であった。

5.16 昼 朴正熙,大統領官邸に入り尹ふ善と会見.尹ふ善に忠誠を誓い,張勉の解任を迫る.

5.16 午後 駐韓米軍司令官・国連軍司令官マグルーダ将軍,「米国は憲法に基づく民主政府を支持する」とラジオ放送,張勉政権支持を表明.駐韓大使と第8軍司令官が尹大統領に面会し,鎮圧命令発動を迫る.尹大統領は「国軍同士が戦えば,ソウルは火の海になり,その間に北朝鮮が侵攻する」として,勧告を拒否する.

5.16 午後 尹ふ善大統領,クーデター部隊が要求した戒厳令布告を承認.各軍団司令官に対し,「クーデターにかかわることなく,前線の防備に集中するよう」指示.

5.16 「軍事革命委員会」が組織され,議長にはクーデターを支持した張都暎参謀総長が就任.朴正熙は副議長に回る。「われわれは腐敗,無能な政治家をもはや進退することはできないゆえに,国家と民族の危機を救うため決起した.われわれは共産主義に反対し米国との連携を強化する」と宣言.

5.16 クーデター部隊,「民族日報」社を襲撃.編集責任者13名を逮捕し,新聞を廃刊に追い込む.

5.17 尹ふ善大統領,「軍事革命委員会が政府機能を代行する」との声明を発表.朴正熙支持の立場を公式に表明.

5.18 張勉,政府庁舎に姿を現し,内閣総辞職を発表.

5.18 午後 全斗煥を指導者とする陸軍仕官学校生徒が,クーデター支持を叫びソウル市内をデモ.

5.19 張勉の辞任声明を受けたマグルーダー司令官、早期の民政移管を求める声明を発表。事実上クーデターを承認。

5.19 軍事革命委員会,「国家再建最高会議」に改組.三軍の将軍を網羅した32人の委員から構成される.議長には張都暎が就任.

5.20 国家再建最高会議を基盤とする軍事政権が成立.張都暎が首班となる.①反共,②米国など自由諸国との連携強化,③腐敗一掃,④国家経済の自律と生活困難の打開,⑤国土統一を目指す国力増強,⑥任務達成後は本来の任務に復帰,の革命六公約を明らかにする.

5.20 朴正熙,米軍司令官マグルーダと会見.アメリカは朴のクーデターを最終的に承認.米軍は「韓国防衛にのみその作戦指揮権を行使する」と宣言。韓国軍のうち首都警備二個師団についての指揮権を韓国側にゆだねる。

5.22 米国務省,新政権の「反共親米」の基本政権を歓迎すると声明.

5.22 軍事政権,全政党・韓国労連など社会団体にたいし解散命令.

5.25 農漁村高利債整理令を発布.

5.28 軍事政権,新聞・通信社の閉鎖.暴力団の取り締まり,不正蓄財者の逮捕など一斉行動に出る.

5.29 軍事政権,憲法を停止.

5月 民団執行部はクーデター支持声明を発表。暴力団を動員して韓青中央本部を襲撃し、郭東儀委員長に対して停権処分。

61年6月

6.06 国家再建非常措置法を公布.主食への雑穀混入,公務員の弁当持参,コーヒーや外来商品の使用禁止などを打ち出す.

6.09 国家再建最高会議,常任委員長に朴正熙を任命.

6.10 国家再建最高会議法,再建運動国民法が同時に公布される.同時に「特殊犯罪処罰にかんする特別法」が公布され、容共思想の取り締まりが強化される。

6.10 韓国中央情報部(KCIA)発足.秘密諜報機関として国民弾圧の先頭に立つ。朴正熙の右腕と目される金鍾泌が初代部長に就任.スタッフ37万人を抱える超国家組織となる。

6.17 「ニューズウィーク」誌,「軍事政権の支配が固まれば,多くの国連加盟国は,北との戦いが始まっても韓国支援を拒むかもしれない.しかし軍事政権に対し制裁を加えれば,その結果は北朝鮮が攻撃する必要がないほどの混乱となるだろう」と報道.

6.19 訪米した池田首相、ケネディー大統領と会談。「韓国の反共体制の維持に日本は重大な関心を抱かざるをえない」とし、軍事クーデターを強く支持する発言。岸=池田らは「満州軍」上がりの朴(日本名は高木正雄)に日韓関係改善の期待をかける。

6.20 米国,クーデター評価で混乱をもたらしたマグルーダ大将を予備役に編入.グリーン大使は香港総領事に格下げ.同時に朴政権に早期の民政復帰を迫る.

6月 ハーバード大学のエドワード・ワグナー教授,「フォーリン・アフェアーズ」誌に論文「朝鮮における失敗」を寄稿.①占領時代のずさんで投げやりな政策,②反共を最高の基準とし,無能で反動的な政治家を重用した誤り,③朝鮮に対する驚くほどの無知,が失敗をもたらしたと糾弾.

61年7月

7.03 張都暎,最高会議議長と総理を辞任.後任の議長には朴正熙が自ら就く.総理には宋堯讃国防部長官が就任.

7.04 軍事政権,「反共法」公布.「革命裁判所・検察部組織法」,「特別刑法」とともに学生・教授らに対する弾圧の手段となる.また反共主義者としての朴正煕の姿勢を鮮明にする。

7.09 朴正熙,張都暎ら44名を反革命容疑で逮捕.張都暎は軍法会議で死刑判決を受けるが,一年後に釈放され,アメリカに亡命.

7.17 ニューヨーク・タイムズ,「軍事政権は表現の自由を極度に圧迫している.彼らの掲げる反共産主義は,国民を団結させるよりむしろ分裂させている」と批判する報道.

7.18 軍事政権,「経済緊急施策」を発表.実質的には張勉内閣の経済開発五カ年計画を引き継ぐもの.躍進を続ける北朝鮮を意識しつつ、強力な国家主導の下に、①基礎的生産財の生産を優先し、②中小企業資金,営農資金を制定.③公共土木事業や開墾による帰農事業・失業者対策に着手.対外的には対ドルレートの固定による外資導入の促進を図る.

7.22 軍事政権,「経済緊急施策」の実施主体として、省庁を越える権限を持つ経済企画院を新設.

7.29 「民族日報」編集者13名に対する裁判が始まる.軍は民族日報を裁くため「特殊犯罪処罰に関する特別法」を発布.「北朝鮮スパイから資金提供を受け,偽装平和南北統一案を宣伝するなど韓国の国是を無視した」と論告.

7.29 アメリカ政府は公式声明を通して朴政権に対する支持を表明する。ラスク国務長官は,「新政権が腐敗を一掃し,国家再建の新たな空気を作り,民主主義に堅い経済的基礎を与えようとして実施した,力強く敏速な措置を歓迎する」と表明.上院外交委員会ではラスク声明をめぐり紛糾.フルブライト委員長らがマコノギー国務次官補(元駐韓大使)を詰問.マコノギーは「韓国を共産主義者の支配下に置くまいとしたら,われわれに選択の余地はない」と応える.

61年8月

8.12 アメリカの強い圧力を受けた朴議長,「8・12声明」を発表。新憲法を施行し,二年後に民政復帰を実現すると公約.

8.28 「民族日報事件」の第一審判決.趙ヨンスら三被告に死刑判決.五被告に懲役5から15年の判決.国際ペンクラブと日本ペンクラブ,国際新聞編集者協会など多くの団体がアピール,抗議電,要請書などを出す.

8.30 右翼系労組を結集した「韓国労働組合総連盟」(KCTU)発足.

9.30 民族統一学生連盟の被告9名に5から15年の懲役刑が宣告される.

9月 朴政権,政府米価を10%引き上げ.

10.20 第6次日韓会談が開始される.日本側首席代表の杉道助は、日本独占資本の進出意欲を背景に、積極的な姿勢を打ち出す.

10月 軍政権の「不正蓄財調査委員会」,みずから収賄事件を引き起こす.

61年11月

11.05 ラスク国務長官,日本と韓国を訪問.朴議長に対してケネディ大統領の正式な招請状を発行.

11.12 韓国最高会議議長朴正煕,訪米途上で日本に立ち寄り,池田勇人首相と会談,日韓会談の早期妥結で合意.

11.14 朴正煕、訪米しケネディと会談。日韓会談の推進を約束すると同時に、韓国軍のベトナム派兵を提案。

11月 尹ふ善大統領,国家再建最高会議の要請を受け辞任.

12.21 民族日報社主の趙ヨン寿,社会党組織部長の崔百根があいついで死刑に処せられる.

 

1962年

1.13 経済企画院,経済再建第一次五カ年計画を発表.GNPを5年間平均7%,合計で4割拡大することを目指す.自由経済をとりながらも,重要産業に対しては政府が積極的に関与し,全体の均衡が取れた発展を目指すこととする.その基盤は,原資の3割を外資にたのむ脆弱なもの.

1月 朴議長,「最高会議委員の中にも情実人事を行うものがある」と強い調子で警告.

1月 38度線の臨津江河岸で薪とりをしていた村民40名に対し,米兵が無警告で狙撃.2人が射殺される.

1月 米軍の大型ジープに乗ろうとした韓国軍兵士が,車上の米兵から銃撃され重傷を負う.

2.21 韓国最高会議中央情報部の金鍾泌部長,訪日し池田首相と会談.日韓国交正常化の早期実現で合意.

2月 経済再建五カ年計画の中核事業となる蔚山工業地帯の起工式.朴議長は「古代新羅の繁栄,西独のルールの夢をもう一度」と訴える.

62年3月

3.16 軍事政権,政治活動浄化法を制定.クーデター以前からの政治家のほとんどが,6年間にわたり政治活動を禁止される.

3.22 尹大統領は新法に抗議し辞任.朴正煕が大統領権限を代行することとなる.

3.23 池田内閣,「大統領辞任にもかかわらず,朴軍事政権の法的継続性には変化なし」と,支持するコメントを発表.

3.30 政治活動浄化法の対象者リストが発表される.

3月 「三陽洞事件」発生.軍警察が,ソウルのスラム街における一老人の餓死を報じた東亜日報記者を「北朝鮮を利する利敵行為であり,虚偽である」として逮捕.

6.01 軍事政権,反軍クーデター計画に関係したとして,旧民主党系の指導者30名を逮捕.

6.06 利川の米軍基地で,米兵が基地内に入った韓国人を射殺.ソウルでは数千の学生が抗議デモ.

6.10 軍事政権,抜き打ちで通貨改革を実施.圜(ホアン)を円(ウォン)に変更.この措置で商取引・信用が完全に停止,経済は大混乱に陥る.政府はいったん凍結して預金を全面解除するが物価騰貴に歯止めかからず.

6.06 宋尭讃総理,通貨混乱の責任をとり辞任.

7.10 宋尭讃に代わり金顕哲が総理に就任.

7月 軍事政権,「国家再建非常措置法」に代わる憲法改正案の審議を開始.

7月 米会計検査院,対韓援助の無駄遣いについて57年に続き二度目の警告.

8.20 大平外相,「請求権を新方式で解決する」と国会答弁.

8.28 社会党河上委員長が「南北統一後の国交正常化」を提起.政府は「日韓交渉の延期は現実を無視するもの」と反論.

8月 「軍政権に憲法改正の権限なし」と批判した高在旭東亜日報副社長・論説主筆が逮捕される.

9.14 朴正熙議長,「国民の非難を覚悟しても日韓妥結を重視する」と発言(聞慶談話).

10月 韓国の米が未曾有の凶作に見舞われる。また外貨不足が原因となって経済活動は停滞し、インフレが高進するなど種々の困難が生じる。

11.12 金鍾泌が訪日し,大平正芳外相と会談。請求権につき「無償3億ドル・有償2億ドルの経済援助」で歩み寄る.さらに商業借款1億ドル(正式に締結する際は2億追加)を日本が提供するという秘密合意を結ぶ。日本政府は反共国家育成への協力を要請する米国の圧力により,漁業権問題とのリンケージをはずす.

11月 第5次憲法改正草案が発表される。大統領への権力集中が図られる。

62年12月

12.05 警備戒厳令が,20ヶ月ぶりに解除される.

12.17 大統領に独裁的権限を持たせる改憲案に対する国民投票.8割近い賛成で成立.

12.26 第3共和国憲法が公布される.さらに政治浄化法の改廃を禁止する付則をつける.

12.26 日韓予備折衝で財産請求権問題が事実上解決する.

12.27 朴正熙,革命主体勢力が将来の民政に参加するとし、「民政参与」の意向を表明. 新憲法に基づく民政委譲の手続きを発表。

12.31 政党法,集会・示威行動規制法が公布される.日韓条約に対する抗議に備えたもの.

12月 「韓国日報」紙,「軍事政権が西欧型社会民主主義政党を許可する」と報道.軍事政権は張基栄社長を逮捕,三日間の「自発的停刊」に追い込む.

 

1963年 第三共和制の発足

1.01 軍事政権,アメリカの圧力を受け,政治活動を自由化.10月に大統領選挙を実施すると公約.民政党,政治浄化法のため,ほとんどの野党政治家は運動ができないままに終わる.

1.21 軍事政権内部で日韓交渉の責任者である金鍾泌への批判が高まる.宋尭讃元総理の批判に応じ,最高会議国防・外交委員長の金東河が抗議の辞任するなど内部の分裂が表面化する.

1.27 尹ふ善ら旧新民党系の政治家、民政移行に備え民政党を結成.旧民主党系の民主党,新政党、自由党などの野党が相次いで結成・再結成される.

2.18 朴正熙国家再建最高会議議長,民政復帰後は原隊に戻り政治に参加しないと宣言.金鍾泌は軍事政権の創設した「民主共和党」の結党準備委員長など一切の公職からの引退を表明.全斗煥、盧泰愚、孫永吉ら陸士11期の若手将校が民政復帰に反対する行動を起こす。朴正煕の暗黙の支持を受けたこの動きは、一心会形成へとつながる。

2.26 「民政復帰」に備え,朴正熙ら軍事政権の幹部が「民主共和党」を結成.

2.27 朴正熙,軍政の失敗を自己批判し大統領選挙に出馬しないと宣言.同時に「軍政権への政治的報復を行わない」よう各政党に誓約を求める.

63年3月 「クーデター未遂」事件

3.15 金東河,朴林恒建設部長官(元第一軍司令官)らによるクーデター計画が発覚.30名が逮捕される.(実体は朴正煕によるミニクーデターで、でっち上げの可能性が強い)

3.16 朴正熙,「国家の危機を救うため」民政移管の公約を撤回.軍政をさらに4年間延長するため,国民投票を実施すると声明.「非常事態収拾臨時措置法」を公布.一切の政治活動,集会・デモを禁止し,新聞の政治報道も全面禁止.

3.16 アメリカはバーガー駐韓大使を通じ軍政延長に対し強力に抗議.

3.20 尹元大統領は「極限闘争」を宣言.軍政権の禁止令を犯し,自ら民政党デモ隊の先頭に立つ.

3.22 ケネディ大統領,記者会見で韓国の民政復帰を要望.

3.25 米国務省、「軍政延長は韓国政情の安定にとって脅威となりうるものであり、軍事政権と民間政治家が全国民に受け入れられるような民政移管の準備を進めることが望ましい」との声明を発表.

3.29 ソウル大学で軍政延長反対の学生集会が開かれる.

3.30 事態打開のため朴正熙,尹ふ善,許政の三者会談が開かれる.

4.03 ケネディ,あらためて韓国の民政復帰を要請する声明.

4.08 軍事政権,軍政延長に関する国民投票を9月末まで延長すると声明.同時に「非常事態措置法」を解除.政治活動の再開・言論機関の政治報道の自由を認める.

4月 軍事政権,軍政延長を断念.10月に大統領選挙を行うと発表.また「国民投票を実施するか、大統領および国会議員選挙を行なうかは各政党代表と話し合って決める」こととする。

5.14 元民主党旧派を中心とする野党勢力は,「韓国民政党」結成.尹?善を大統領候補に擁立.尹ふ善に反発する新派は,許政を擁立.

6.28 北朝鮮政府,韓国の絶糧民に白米10万石の無償提供を申入れる.韓国政府は断固拒否.これに代わり日本政府の米・小麦4万トン贈与提案を受諾.

7.27 朴正煕国家評議会議長, 民政委譲にむけた日程を発表。

7.30 韓国外務部長官金溶植,大平外相と二回にわたり会談.漁業問題の早期解決で合意.(早期解決の困難さの認識で一致したということでしょう)

7月 金炯旭がKCIA部長に就任。

8.30 朴正熙,陸軍を退役.民主共和党に入党するとともに、同党からの大統領候補の指名を受諾する

10.15 大統領選挙.朴正熙がアメリカの支援を受けた尹ボ善を,15万票の僅差で破る.許政は選挙直前に立候補を取り下げたが、呉在泳(秋風会)、卞栄泰(正民会)、張利錫(新興党)は最後まで戦い続け、合計83万票を集めた.彼らの票が集中していれば、野党の勝利だったといわれる。

11.26 国会議員選挙施行.朴正熙の民主共和党が175議席中110議席を占め圧勝.尹ボ善の民政党が野党第一党となる.

11月 米政府、韓国の要望に応え1千万ドルを追加援助。

12.17 朴正煕が第5代韓国大統領に就任.首相には崔斗善が指名される。第6代国会が開院。以後を第三共和制と呼ぶ.

12月 朴政権、経済開発計画に大幅な修正。内包的工業化戦略を放棄し、輸出主導型の工業へと重心を転換。国家の主要機能を通貨価値の安定におき、通貨管理を通じて産業管理を貫徹し、管理の経済開発計画は経済官僚にゆだねる。さらに、あいついで平価切下げ政策を実施し、輸出型産業への構造転換を図るとともに、韓国を支配してきた輸入型産業=自由党の構造の破壊を目指す。

 

1964年

1.18 済州島における非常事態が解除される。

2月 朝鮮労働党中央委員会が第4期第8次全員会議。「祖国統一偉業と南朝鮮革命を発展させる戦略的方針と闘争課題」を決議。北と南、国際の三つの革命的力量が必要とする「三大革命力量」論を展開。この決定に基づき、南での統一革命党設立が打ち出される。

3.09 野党政治家と各界代表,対日屈辱外交反対汎国民闘争委員会を結成.

3.10 元容ソク農林部長官と赤城農林大臣の漁業問題会談が始まる。1ヶ月のあいだに12回の会談が持たれる。韓国内には「四月妥結、五月調印」説が伝えられる。

3.15 韓国内で金鍾泰を中心に統一革命党創党準備委員会が結成される(北朝鮮の発表による)。

3.24 全国主要都市で,日韓会談の即時中止をもとめる学生のデモ.「対日屈辱外交に反対する汎国民闘争委員会」が主催。

3.25 バーガー米駐韓大使、国務省あての報告で「学生たちのデモが止まらなければ、政府は武力行使や、究極的には戒厳令を宣布することになる」と延べる。

3.26 朴大統領が特別談話を発表。「学生諸君の国家の将来を憂うる気持を肝に銘じて会談に臨む」と訴える。

3.27 反対闘争の高揚に直面した朴正熙,滞日中の民主共和党議長金鍾泌に帰国命令.

4.06 日韓漁業交渉がいったん中断。元容ソク農林部長官は本国政府と打ち合せのため帰国。

4.19 「学生革命」の記念日。ソウル市内各大学生により連日デモが行なわれる。政府は方針を改めてデモに対し強硬な態度で臨む。

5.02 民主・自民・国民党の三党が、朴政権に対抗するため統合を宣言。

5.09 崔斗善内閣にかわって、丁一権内閣が成立。日韓国交正常化を積極的に推進するとの方針を明らかにする。

5.20 ソウルでまたまた学生デモが発生。朴政権の打倒を標榜する。

6.03 「6.3事態」が発生。ソウル市内で学生1万人が日韓条約反対のデモ。市民の一部も参加してソウルの中心部をうずめる。デモ隊は警察側のバリケ-ドを次々に突破して中央庁に乱入した。市内の警察派出所は学生や市民に占拠され、大統領官邸に向う学生は軍隊により阻止される。

6.03 20:00 政府は非常戒厳令を公布し1200名を逮捕。

6.05 日韓会談の推進者,金鍾泌が民主共和党議長を退陣.

7.28 韓国国会,与野党共同提案のソウル非常戒厳令解除案を可決.

8.02 議会、言論および学生の政治運動の規制を内容とする「言論・倫理委員会」の設置を定めた法案を可決。同時に提出された「学園保護法」は廃案となる。

8.14 韓国で第一次人民革命党事件.「屈辱的な日韓会談」反対を叫ぶ学生を当局が逮捕。その後、中央情報部が「6・3事態を背後操縦した人民革命党を摘発した」と発表。後に担当検察官が、拷問によるデッチアゲであることを暴露し、起訴を拒んで辞表を提出。「司法波動」と呼ばれる。13名だけが3年刑の処罰を受けた。

8.18 日本政府,韓国に2千万ドルの原材料・機械部品の延払い輸出を決定.

9.10 政府は「言論倫理委員会法」の施行を無期延期すると発表。これにより野党の反対運動は抑えられる。

9.17 民主党と国民党が合党。新党名を民主党とする。

9月末 韓国政府、南ベトナムに移動軍事医療団を派遣。

10.31 朴政権と南ベトナム軍との間で、韓国軍を南ベトナムに派遣する協定を締結。

11.25 民政党と自由民主党が合党して党名を民政党とする。

12.03 第7次日韓会談が再開され、日韓条約の大筋で妥結に達する。韓国の経済困難克復のため2千万ドルの民間信用供与を行なうことで合意。

 

 

日韓条約締結

1965年

1.08 韓国政府,「ハト部隊」(工兵隊)2千人を南ベトナムに派兵すると発表.3月下旬より現地での活動を開始。

1.26 議会、ベトナム派兵案を承認.韓国軍非戦闘支援部隊約2千名の派遣を決定し、二月下旬に第一陣として五〇〇名が派遣される。その後戦争終結までに延べ5万人の兵力が投入される.

1月 第7次日韓会談で日本側首席代表をつとめた高杉晋一(後に海外協力資金総裁)が、外務省で記者会見。「たしかに日本は朝鮮を植民地化したが、それは朝鮮を良くするためだった。もし日本がもう20年朝鮮をもっていたら、今の韓国はもう少しましな国になっていただろう」と述べる。

2.17 椎名外務大臣は李東元外務部長官の招請を受けて韓国を公式訪問。三回にわたり外相会談が開かれる。共同コミュニケのなかで、「両国間の長い歴史の中に不幸な期間のあったことは遺憾であり深く反省する」と表明。

2.19 野党と対日屈辱外交反対汎国民闘争委員会、日韓会談の早期妥結に強い反対の態度を表明。尹ボ善民政党総裁は、「日韓会談批准同意案が国会に提出されれば、民政党議員は総辞職する」と言明。

3.01 忠清北道に出されていた夜間外出禁止令が解除される。

4.03 両国の外相、農相によるマラソン交渉の後,漁業・請求権・在日韓国人の法的地位・文化協力の合意事項に仮調印.

4.17 ソウル市内の孝昌公園で、日韓条約に反対する市民決起大会。

5.03 民政・民主両党が合同し, 民衆党を創党する。これにより野党の一本化が実現。

6.21 ソウルを中心に学生の抗議デモが拡大.韓国政府は全国警察に非常警戒令.

6.22 東京の首相官邸で「日韓基本条約及び諸協定」調印.国連総会決議195号Ⅲにもとづき,韓国政府を「朝鮮にある唯一の合法的な政府」と認める.条約上、北朝鮮は存在そのものを無視される。

7.02 韓国政府,戦闘部隊1個師団の南ベトナム派遣法案を議会に提出.

7.17 李承晩、亡命先のハワイで死亡。

7.29 日韓条約批准のための国会が始まる。野党は日韓条約反対の立場から批准阻止に動く。

8.13 与党,戦闘部隊のベトナム派遣案を単独で可決.

8.14 韓国国会,日韓条約を与党単独で批准.

8.20 ソウルで日韓条約批准に抗議する学生のデモ.

8.26 ソウル地区に衛戍令が敷かれる.このあと反対運動は急速に勢力を失う。

9.25 衛戍令が解除される.

9月 陸軍二個連隊、海兵隊一個連隊および後方支援部隊より編成された一個戦闘師団、約1万5千名が派遣される。

12.18 ソウルで批准書交換.日韓条約が発効.韓国は3億ドルの無償援助,2億ドルの有償援助を受け取る.

 

1966年

2.23 南ベトナム政府から公式の派兵要請が出される。朴正煕大統領は米副大統領ハンフリーと会談.韓国軍2万人増派を約束する.これにともなう韓米合意事項で、兵力減少を補うための装備近代化について、米国が援助供与することが確認される。

3.30 新民党が創設される。

7.09 韓米行政協定が締結される.SOFA行政協定の原型となる.

7.29 国務会議, 第2次経済開発5ヶ年計画を公表。日本からの賠償金と、ベトナム参戦に伴う米国からの見返り融資を原資とする。

9.05 戦闘部隊である「白馬部隊」の第1陣が南ベトナムに到着し活動を開始。73年の南ベトナム陥落までのあいだに延べ30万人以上におよぶ実戦部隊を派遣する。

10.31 ジョンソン米大統領、韓国を訪問。韓国軍のベトナム参戦に感謝の意を表し、さらなる増派をうながすもの。

66年 この年初めて経済成長率が10%を上回り12.7%(一説に13.4%)に達する。輸出主導型産業への重点投資により輸出にドライブがかかるが、加工・組み立て型産業構造のため、輸入がそれを上回るスピードで増加。資金が確保できた背景にベトナム派兵による特需と日韓条約締結による資金流入。

ベトナム特需: 米国は65年から73年までのあいだ、韓国が導入した外資の半分にあたる20億ドルを直接負担。その他の外資についても斡旋・誘導などの働きかけ。派遣要員からの送金、軍関係の施設建設・物品納入などの貿易外特需が7億ドル強、さらに5年間で17億ドルに達する軍事援助などを行なう。

 

1967年

5月 バイオリニストの鄭京和,国際音楽コンクールで優勝.

3.22 北朝鮮中央通信副社長李スグン, 板門店で南に亡命。後に偽装亡命であったことが明らかになる。

5.03 大統領選挙.「特需景気」による空前の経済成長を背景に,朴正熙が尹ボ善に110万票の差をつけ圧勝.翌月の国会議員選挙でも与党が勝利。

6.08 国会議員選挙。民主共和党は175議席中、130を占める大勝利。新民党は、「再選挙の実施、不正選挙関連者の処罰、不正選挙防止の制度的保障」を要求。

7.08 KCIA,「ドイツ,ベルリンを拠点とする対南工作団事件」発表.ドイツ在留の作曲家尹伊桑ら17人を「朴大統領の招待」とだましてソウルに拉致する。さらに国内も含め104名を拉致・逮捕する.そして東ベルリンを拠点とする北朝鮮の工作隊の指揮を受けているとして、死刑を含む厳罰を科す。西独政府は国交断絶を辞さない姿勢で抗議。このため尹伊桑は釈放されドイツにもどる。

9月 定例国会が始まる。野党は不正選挙を糾弾し、議会をボイコット。民主共和党は与党議員13人を「除名」し、無所属の会派を結成させ、国会審議を開始する。

12月 KCIAによる「ナイロンバッグ偽装輸出事件」が発覚。ナイロンバッグの輸出を口実にナイロンを輸入し横流しした事件。ごみをつめた包みをナイロン製品と称して税関を通した上、海上投棄したといわれる。朴鍾圭警護室長が朴正煕に情報を上げ、これを受けた朴正煕が尹必鏞に調査させたとされる。

67年 IMFや世銀の経済政策を取り入れた第二次経済開発計画が開始される。市場メカニズムに任せて政府の介入をできるだけ避け、安定・均衡を重視する。その後の五年間で平均経済成長率は9.6%を維持する。

67年 この年、北朝鮮の国境侵犯件数は前年の10倍に激増する。

 

 

1968年

68年1月 青瓦台突入事件

1.21 金日成、青瓦台の大統領官邸襲撃と朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の暗殺を指示。北朝鮮政治保衛部直属の人民軍第124部隊に所属する武装工作員30人が、38度線を越え侵入する。人民軍第124部隊は現在は第8特殊軍団と称する。韓国当局は目撃情報を得て警戒態勢をとる。

1.21 コマンド部隊、ソウルへの潜入に成功するが、青瓦台の近くで警官の不審尋問にあい,いきなり機関銃を乱射.警官はその場で即死し,民間人五人が射殺される.部隊は通行中の市内バスに手榴弾を投げて逃走.

1.21 銃撃戦の後、コマンドの一部は青瓦台から数百メートルの距離にある北漢山まで侵入。他は市内各所に潜伏。数日間にわたる追跡劇が展開される.韓国軍が武装ゲリラのうち29名を射殺(自爆を含め),一人を逮捕した.逮捕された金新朝(キム・シンジョ、27歳)は、「朴大統領を暗殺するために侵入した」と自供する.

詳細はいまだに不明の部分があり、侵入者は34名あるいは27名という説もある。死亡者29名のうち数名は射殺ではなく自爆死したと言われる。また、捕えられた1名のほか、2名は逃亡に成功したという説もある。韓国側犠牲者は死者36人、負傷者68人。

1.23 元山沖に侵入した米情報収集艦プエブロ号,北朝鮮警備艇に捕獲される.北朝鮮は米側の謝罪と再発防止措置を要求.

1.26 国連安保理事会でプエブロ号事件の討議が始まる。

1月末 朴正煕大統領は、青瓦台襲撃事件を北朝鮮が謝罪しない場合は、報復攻撃を行うべきとの書簡をアメリカのリンドン・B・ジョンソン大統領に送っていた。ジョンソン大統領はこれに対し慎重な姿勢を示したため、攻撃は行われなかったとされる。

68年2月

2.01 板門店の軍事休戦委員会での米国と北朝鮮の非公式会談が始まる。韓国側は米・北朝鮮間の会談に関与できないことに強い不満。

2.08 ジョンソン大統領、米議会に一億ドルの対韓軍事援助の承認を要請。韓国側の不満緩和につとめる。

2.12 米政府、バンス前国防次官を韓国に派遣。北からの侵略行為に対してとるべき措置、米韓の国防長官による年次会議の開催などについて合意。

2.20 金嬉老,静岡県清水市内でライフル銃で2人を射殺し逃走.寸又峡温泉で泊り客らを人質に籠城.朝鮮人として差別された体験を強調.

2.27 朴正熙政権,国防・経済建設促進策を発表。「戦いながら建設しよう」との標語を掲げ、北との闘争を強調する。北朝鮮の侵入に備え「郷土予備軍設置施行令」発表.兵役の6カ月延長、在郷軍人250万の組織化と武装に着手し、武器生産工場の建設を決定する。

3.16 韓国で18歳以上の国民の指紋登録開始。

4.01 在郷軍人300万人からなる郷土予備軍が発足。北朝鮮側からのゲリラ工作に備える。

4月 ホノルルにおいてジョンソン・朴会談。米国の韓国防衛の意思が改めて確認され、在韓米軍および韓国軍の強化について合意。

4月 朴政権、北朝鮮主席宮爆破と金日成の暗殺を計画。専属の特殊部隊である空軍2325戦隊209派遣隊(通称684部隊)を創設。31名の隊員からなる部隊は、仁川(インチョン)近くの実尾島(シルミド)で訓練を重ねる。その後、情勢の変化を受け計画は撤回され、部隊の存在は隠される。

5月 禁止された三選に意欲を燃やす朴正熙,後継者と見られた金鍾泌を党議長・国会議員の辞職に追い込む.これに代わり陸士同期の金炯旭がKCIA部長に抜擢される.

7月 米国議会、対韓国追加軍事援助1億ドルおよび在韓米軍強化費2億3000万ドルを可決。

8.02 KCIA,「統一革命党ソウル市委員会」の金鍾泰委員長ら158人を逮捕. 「北朝鮮労働党の指令を受けた大規模スパイ事件」と発表。これにより韓国国内の統一革命党組織は実体的には消失。

10月 南部地方で2年つづきの干害。農業生産の減少をもたらす。

10月 北朝鮮の特殊部隊が東海岸の蔚珍・三捗に上陸。武装ゲリラ作戦を展開。

68年 国民総生産は13.1%の伸び。

1969年

1.25 韓国で統一革命党全羅南道委員長崔永道を処刑.

4月 北朝鮮,米偵察機を撃墜.

5.14 KCIA,スパイ事件で金圭南議員(共和党)ら16人逮捕.

6.17 三選を可能とする憲法改正案に対し、学生らの反対デモ。

7.10 統一革命党事件の首謀者,金鍾泰が処刑される.

8.26 第3回日韓閣僚会議,浦項の韓国国営製鉄所への援助で合意.

8月 北朝鮮の報道によれば、この日、統一革命党は綱領を決定。指導理念を「マルクス・レーニン主義的主体思想」とする宣言を発表。金日成は翌年の党大会で、南朝鮮の解放における統一革命党の重要性を強調。

9.07 新民党、朴大統領の弾劾訴追決議案を国会に提出。

9.14 朴政権、「大統領は一期のみ重任可」とする改憲案を提出。与党民主共和党は、野党を排除し国会別館で本会議を開催。単独採決し可決.これにより朴正煕三選への道が開かれる。野党は採決無効を主張.

10.17 改憲案,国民投票により成立.この改憲は「ひったくり選挙」とよばれ汚名を残す。

10月 憲法改正後、大規模な政府人事。金炯旭KCIA部長が更迭され李厚洛秘書室長が部長に昇格する。

12月 大韓航空機がハイジャックされ,平壌に強制着陸する.北朝鮮工作員による犯行といわれる.乗務員の一部が板門店を通じて送還されるが,乗員乗客51名中12名が未帰還.

 69年末 累積対外債務が24億ドルに達する。歳入13億ドルに対し2倍近くとなる。

 

1970年

1月1日 韓国で「馬山輸出自由地域設置法」公布.

2月 ポーター駐韓大使が上院で証言。「朴正熙に対し早急に南北対話の道を模索するようにもとめている」と述べる。

3.31 日本赤軍派9名が,JAL旅客機「よど号」を乗っ取る.乗務員7名乗客99名が拉致される.金浦空港に非常着陸したあと人質を解放.山村運輸次官を身代わりとし平壤に向かう.

4月、韓国、北朝鮮砲艦を撃沈。

4月 朴正煕大統領指示にもとづき農村部で「セマウル運動」が始まる。自助・自立・協同をスロ-ガンとする。

5月 張俊河の発行する月刊誌『思想界』、金芝河(キム・ジハ)の長編詩(譚詩)『五賊』を掲載。この詩は政権内の特権階層の不正・腐敗を激しい皮肉で描いたもの。政府は『思想界』を廃刊に追い込む。

6.02 金芝河と,『思想界』の張俊河編集長ら3人が,反共法違反の疑いで逮捕される.

6.17 関釜フェリー開通.

7.05 米国,在韓米軍6万人のうち2万人を1年以内に削減すると通告.これと同時に、無償あるいは借款のかたちで提供してきた経済援助も完全に停止される。

7.07 ソウルと釜山を結ぶ京釜高速道路が開通する。全国が一日生活圏になる。8月にはソウル南山第1号トンネルが開通、12月には湖南高速道路が開通するなど、全土で建設ラッシュが始まる.

8.15 朴正煕,「八・一五平和統一構想」を発表。北朝鮮に対し「善意の競争」を提案.軍事的優劣ではなく態勢間の実績競争を行うべきだとする.北朝鮮が挑発と武力による共産化の野望を捨てることを条件に,話し合いに応じるとともに、人的往来・文化交流など非政治問題の解決を先行させる

10.31 朴政権下の国土総合開発審議会, 「10ヶ年計画」を確定。

11.02 ソウルの青年労働者の全泰壱(チョン・テイル)が、劣悪な労働条件の改善を訴えて抗議の焼身自殺.彼の生と死を描いた本がベストセラーとなり,民主化を望む青年層に大きな影響を与える.
 

全泰壱(チョン・テイル): ソウルの平和市場内の小さな被服工場で働いていた。死亡当時は23歳。遺書には「私は機械ではない!勤労基準法を守れ!私の死を忘れるな!」と書かれていた。全の死後、母親が意思を引き継ぎ「韓国労働運動の母」となる。

12月 李厚洛駐日大使、金桂元に代わりKCIA部長に就任。

70年 『フルシチョフ回顧録』が公表される。「朝鮮戦争」に関しては北朝鮮がイニシアティブを発揮したと記述。

70年 日本人男性の団体客による「キ-セン観光」(韓国での買春旅行)が、このころから盛んとなり、社会問題となる。

 

1971年

71年1月

1月 野党新民党の党大会.第一回投票で一位だった金泳三に対し,二三位連合が逆転.金大中が候補となる.金大中は①郷土予備軍の廃止、②南北交流の開始、③4大国の保障による南北関係の改善、④内需優先の大衆経済建設を訴え、大きく支持を伸ばす。 これらの政策はニクソン政権による暗黙の支持を受けたものといわれる。

71年2月

2.09 第3次経済開発五ヵ年計画が発表される.インフレ圧力の増大、借款企業を中心とした財務構造の悪化、対外債務の急増など、輸出指向型経済の矛盾がさらに悪化することへの懸念が広がる。

71年3月

3月 ニクソン・ドクトリン発表.中国との対話を呼びかけつつ,北東アジアの同盟諸国に役割の分担を求める.

71年4月

4.18 ソウル市内の奨忠壇公園で、金大中の演説会。大統領三選廃止・郷軍制度廃止・南北交流・韓国問題解決を呼びかける。史上最大といわれる30万人(一説に80万人)を結集する。危機感を抱いた朴政権は、この選挙に国家予算の13%にあたる700億ウォンをつぎ込む。資金はガルフ石油、カルテックス石油、三菱などが負担。

4.27 大統領選挙実施.選管最終結果では朴正熙が百万票の差をつけ勝利.実際には金大中の圧勝だったといわれる。ソウルでの金大中の得票は58%で、朴正煕を圧倒。

4月 韓国陸軍保安司令部、「学園スパイ事件」を発表。

71年5月

5.25 国会議員選挙.野党新民党が改選前の44から89議席に躍進.民共党の議席は改憲ラインの3分の2を割る。

5月 大統領選直後、大型トラックが金大中の車に突っ込み、3人が死亡。金大中は、と股関節の障害を負った。金大中は身の危険を感じ出国を決意する。後に韓国政府はKCIAが行った交通事故を装った暗殺工作であったことを認める。

71年7月

7.08 忠南道の公州で、百済の武寧王の陵墓が発掘される。

7月 ニクソン,訪中計画を発表.

71年8月

8.06 北朝鮮の金日成首相,南北対話を呼びかける.

8.12 韓国,一千万人といわれる南北離散家族再会を協議するため,南北朝鮮赤十字会談を提案.北朝鮮もこれを受諾.

8.20 南北赤十字連絡委,板門店で初の対面.

8.23 実尾島(シルミド)事件発生。朴正煕により編制された金日成暗殺部隊の684部隊が、実尾島の秘密基地で反乱。警備兵14名を射殺した後、大統領との直談判の為に青瓦台へ向かう。途中ソウル市内帯方洞で戦闘となり、多くの隊員が手榴弾で自爆。生き残りの4人も軍法会議で死刑判決を受け、1972年に死刑が執行された。

映画「シルミド」: 特殊部隊の存在とその反乱は民主化以降明らかになった。これを題材にし03年に映画が作られた。しかし隊員が死刑囚や無期懲役囚などの犯罪者上がりとして描かれていたことが問題になり、隊員の遺族が名誉を傷つけるものとして上映の差し止めを求めた。

8月 当局は武装共産ゲリラの浸透と発表。これに対し新民党の李世圭議員が記者会見で「特殊部隊の反乱」であることを暴露する。李世圭は陸士7期として師団長を勤めた後、金大中を支持して新民党議員となる。維新クーに際して捕らえられ、もっとも過酷な拷問を受けた。

71年9月

9.20 「南北赤十字会談予備会談」(第1回赤十字会談)が板門店で始まる。

71年10月

10.02 「抗命波動」事件。国会で新民党が提出した閣僚解任案に、共和党議員30人が賛成し可決される。中心者の金成坤議員らは捕らえられ、情報部で拷問を受ける。

10.15 韓国政府,ソウル市に衛戍令発動.また「学園秩序に関する大統領特別命令」により8つの大学に休校を命じ,学生デモを徹底的に取締る.この頃からKCIAを中心に維新体制の計画作成が始まったと言われる。

10月末 新民党の金漢洙議員、共和党造反派議員に対する拷問の様子を、国会演説で暴露。

10月 駐韓米軍6万3千人のうち、第7師団2万が韓国から撤収.

71年12月

12.06 朴政権,「北朝鮮の脅威」を理由に国家非常事態を宣言.「国家保衛に関する特別措置法」を公布.第5条で、大統領が国家動員令を発することができると定められる。

12.25 ソウルで21階建ての大然閣ホテルが火事,死者163人(うち日本人10人)

12.27 韓国国会,「国家保衛特別措置法」を与党単独で強行可決.大統領に非常大権が与えられる。

 

 

1972年

2月 ニクソンが、電撃的な訪中。

72年4月

4月 政府当局,「セマウル運動」計画を発表.カトリック教会はこれに呼応してカトリック農民会を設立。農業共同組合の民主化、低農産物価格政策の反対、水税過剰納付の拒否、農地税の納付方法の改善などをもとめ運動を開始する。

4.12 KCIA,風刺詩「蜚語」を発表した詩人金芝河を連行.三ヵ月後に釈放.

4.20 韓国陸軍保安司令部,「在日僑胞学生学園浸透間諜団事件」を発表.日本から留学していた在日韓国人学生の徐勝,徐俊植兄弟ら4人を含む,北朝鮮のスパイと関係者50人を一斉逮捕したことを明らかにする.徐兄弟の潜入工作には朝鮮総連大阪府本部が関係したとされる.

4月 第二次「統一革命党」事件。韓国内務省は党の再建を図ったとして9グル-プ32名を逮捕。

72年5月

5.02 李厚洛KCIA部長,極秘にピョンヤン訪問.金日成首相の実弟の金英柱(朝鮮労働党の組織指導部長)と秘密会談。李は「自主・平和・民族大団結」の三原則の受け入れを表明.

5.29 北朝鮮の朴成哲第2副首相,極秘にソウル訪問し李厚洛と会談.

72年7月 南北共同声明

7.04 韓国政府と北朝鮮政府,「平和・自主・大同団結」をふくむ7原則とする「南北平和統一に関する共同声明」を発表.「南北調節委員会」を設置し李厚洛と金英柱が共同委員長となる。

7.13 韓国,北朝鮮スパイの罪で死刑判決の金圭南前議員の死刑執行.

7.28 新民党の崔議員、政府の改憲策動を暴露する演説。

7月 「南北共同声明」を支持し、朝青と韓青が祖国統一をめざす共同大会を全国各地で開催。民団執行部は、韓青の傘下団体認定を取り消す処分。

72年8月

8.03 朴正煕大統領、獲得したばかりの「非常大権」を発動し、「経済安定と成長に関する緊急命令」を公布。街の私債に縛られている企業を生き返らせるため、企業が抱える3億ドルあまりの民間債務(企業社債)を凍結する。表面化した私債総額は銀行貸出総額の46%に上る。さらに銀行金利を大幅に引き下げ、物価上昇を抑制。これら一連の指示は「8.3措置」と呼ばれる。

8.30 平壤で南北赤十字会談の第一回本会談が開かれる。翌年までソウルと平壌で計7回開催される。

72年10月 十月維新

10.06 大統領府、朴正煕の日本訪問を発表。11月の中旬に国賓として訪日し田中首相との会談、天皇晩餐会などが行なわれるとする。実際は十月維新に対するカモフラージュであった。

10.17 韓国全土に非常戒厳令第一号を宣布。大学は一時閉鎖され,新聞などへの検閲制が実施される.

10.17 朴大統領が特別宣言。1.憲法の停止。2.国会解散、3.憲法の改正の三方針を示す。国会は解散され,国会機能を代行する非常国務会議が設置される。政党活動は全面禁止.

10.24 朴政権,非常国務会議に対し「維新憲法」草案を提出.大統領の直接選挙制度は廃止され、国会に代わる「統一主体国民会議」が,任期6年の大統領を選出することとなる.大統領の再選禁止規定は削除される.

10.25 野党新民党の幹部議員12人(崔炯佑、李世圭、金相賢、李鍾南、金禄永、趙尹衡、金漢水ら)がいっせいに逮捕される。逮捕者リストは朴正煕自ら作成。捕えられた議員はいずれも厳しい拷問(水拷問と鶏の丸焼き)にかけられる。

10月 病気治療のため東京滞在中の金大中、そのまま亡命生活に入る。

72年11月

11.22 維新憲法に対する国民投票実施.91.5%の高率で成立.

72年12月

12.05 維新憲法に基づき,「統一主体国民会議法」が発せられる.国民会議の代議員の1/3は大統領が指名する。

12.14 非常戒厳令解除.

12.15 第1回統一主体国民会議の代議員選挙。

12.23 国民会議,朴正熙を維新大統領に選出.終身任期とほぼ無制限の権限を与える.

12.27 「維新憲法」公布.第4共和制(維新体制)が発足.

72年 「第三次経済開発五カ年計画」が始まる。経済成長率は年10.8%、輸出の伸び率は年平均40%に達する。アメリカの直接投資が1250万ドルに止まったのに対し、日本からの直接投資は2億9270万ドルに達する。

 

1973年

73年1月

1.12 朴正煕、「重化学工業化開発政策宣言」を発表。「81年までに輸出100億ドル、一人当たり国民所得1000ドル」を達成する。このため、鉄鋼・化学・非鉄金属・機械・造船・電子などの開発に重点をおくとする。重化学工業化宣言にもとづき「産業基地開発促進法」が制定される。

1月 金大中,日本の雑誌「世界」に「憤りをもって韓国の現状を訴える」を発表.

73年4月

4.10 ユーゴのサラエボで開かれた世界卓球選手権で、韓国女子チームが優勝。

4.11 グリーン国務次官補、「朝鮮半島は世界でもっとも危険な地域」と発言。駐韓米軍の追加撤退は行わないと言明する。

4.19 ロジャーズ国務長官、韓国への軍事・経済援助を続けると声明。

4月 尹必鏞事件が発生。李厚洛と接近し朴大統領追い落としを図ったとされる。首都警備司令部司令官の尹必鏞少将が主犯とされる。尹はベトナム派遣部隊「猛虎部隊」の隊長を勤めた朴正煕の側近トップ。「青瓦台門外の大統領」との異名をとるほどの権勢を誇った。

4.28 尹必鏞事件に関する普通軍法会議。尹必鏞、孫永吉(首都警備司令部参謀長)ら三人の将軍、10人の将校が軍法会議により懲役刑に処せられる。このあとさらに将校31人が退役処分、KCIAの30名あまりが退職。

一心会: 事件の捜査を通じて陸士11期生を中心とする「一心会」の存在が明らかになる。尹は一心会のパトロン的存在だった。陸士11期は最初の4年制のコース(正規陸士1期)で、強烈なエリート意識を持ち、朴正煕の忠実な部下だった。主なメンバーは全斗煥、盧泰愚、孫永吉、金復東など。

73年5月

5月 日本の雑誌「世界」,T・K生による「韓国からの通信」連載を開始.88年まで15年にわたり,仮名のまま掲載される.

73年6月

6.23 朴正煕,「平和統一外交に関する大統領特別声明」を発表。「6.23平和統一宣言」と呼ばれる。韓国と北朝鮮のクロス承認と国連同時加盟、開放・善隣外交を提案.社会主義諸国への「門戸開放政策」をとる。

73年7月

7.03 浦項製鉄所が完成.ほかに大韓造船公社、現代造船所、蔚山石油化学コンビナートが次々に建設される。

7.10 金大中、自民党グループの招待を受け、法務大臣の上陸特別許可で日本に入国。在日の右翼が襲撃する危険を感じ、2、3日ごとにホテルを変え、日本人の偽名を使った。

7月 金日成は朴声明に対抗し,「祖国統一の5大方針」発表.「高麗民主連邦共和国」を結成し,ひとつの国家として国連に加盟するよう提唱.

73年8月 金大中拉致事件(経過については左右双方より異論あり)

8.08 午前11時 金大中、療養目的で訪日中の梁一東(韓国民主統一党党首)に招かれ、飯田橋のホテル・グランドパレスの2212号室で会談。

13時19分 会談後、部屋を出た金大中をKCIA工作員6,7人が拉致。空室だった2210号室に連れ込む。このフロアのほとんどは山口組東声会会長の町井久之(鄭建永)が借り切っていた。

8日午後 クロロホルムをしみこませたハンカチを鼻にあて、意識不明とした後、エレベーターからホテルの地下駐車場に移動。待機していた車に運び込む。この車は横浜の領事館の副領事名義のものだった。

8日夕方 車は高速道路を通って大阪に向い、いったん大阪の韓国総領事館の宿舎に入る。そのあと神戸のアジトに連行。

8.09朝8時45分、金大中を乗せた龍金(ヨングム)号が神戸港を出港。金大中は鼻をのぞく顔全体にテープを貼られ、ロープで縛られ、黒いビニール袋に入れられた。

8.09夜 日本政府、CIAを通じて、金大中が拉致され、朝鮮海峡で投下の予定との情報を入手。夜明けを待って自衛隊機が龍金号を追跡する。

8.10朝9時54分 龍金号は、関門海峡を通過。朝鮮海峡で、金大中の足にオモリを付け、甲板まで引き出す。この時自衛隊機が上空に到達し、照明弾を投下して威嚇。龍金号は投棄を断念する。(このくだりは相当眉唾)

8.11深夜 龍金号が釜山港に入港。金大中は救急車でソウルのCIAアジトに移送される。

8.13夜 工作員は、金大中を目隠ししたまま自宅付近のガソリンスタンドに置き去りにして、逃走する。

李厚洛と拉致事件: 尹必鏞事件に巻き込まれた李厚洛が汚名挽回のために仕組んだとされる。李厚洛は日本大使を務めていたため、東京には土地勘があった。作戦が失敗に終わったため、李厚洛は政治生命を絶たれる。

8.14 金大中が自宅前で記者会見。「犯人たちは非常に訓練されて規律正しい組織だった」と証言。その後自宅軟禁処分を受け外界との接触を絶たれる。

8.14 法眼外務事務次官,李駐日大使を通じ,日本政府による捜査の実施,韓国側捜査の通報,金大中・梁一東(誘拐目撃者)の再来日を要請.韓国政府は「原状回復」を全面拒否.

8.15 韓国民主回復統一促進国民会議(韓民統)日本本部結成.金大中を議長に選出.

8.23 韓国政府,読売新聞の「韓国政府機関介入」記事の取消しを要求.同社は拒否.韓国政府は,読売ソウル支局を閉鎖,特派員を国外追放.

8.23 田中伊三次法相,参議院法務委員会で答弁.金大中事件は某国秘密警察の犯行であると示唆.

8.28 金英柱共同委員長、金大中拉致事件に抗議し南北調節会議を中断すると表明。

9.05 警視庁,韓国大使館一等書記官金東雲(変名で本名は金炳賛)の出頭を要請.現場に金東雲の指紋が残されていたことから、金大中誘拐に関与の容疑がもたれた。韓国政府は外交特権をたてにして、これを拒否.捜査当局からの調査依頼も一切拒否する。

9.05 二階堂進官房長官、「韓国政府機関が事件に関与していたことを事実として認めざるを得ない」と発表する。

9.07 大平正芳外相、「今回の事件が主権侵害となるかどうか、現在ただちに断を下せない」とし、二階堂発言を否定する。

73年10月

10.02 ソウル大学学生300人が,金大中事件の真相解明とKCIAの即時解体を要求しデモ.そのまま学内座り込みに入る.百数十人が逮捕される.以後,各地の大学にデモ波及.

10.04 東亜日報,報道統制に抵抗して白紙の新聞発行

10.25 KCIA,欧州を舞台とする「スパイ事件」で354人検挙.

10.26 金大中、自宅軟禁を解かれる。

10.27 後宮大使,金溶植韓国外相と会談.金大中事件につき折衝再開.

73年11月

11.01 金溶植外務部長官、①金東雲を免職する、②これまでの金大中の言動については責任を問わない、③金鍾泌首相が訪日し事情説明すると発表。

11.01 二階堂官房長官、①韓国政府が金東雲の容疑濃厚と認めたことは、わが国の捜査結果とも合致するものと評価する、②金大中が自由を回復したことは喜ばしい、③金鍾泌首相の訪日を歓迎する、との談話を発表。これ以上の事件究明は行わないことを確認する。

第一次決着の内容: ①事件は金東雲書記官の個人的犯行であるとする,②金大中を日本に戻す「原状回復」はしないが、今後の身の安全を保証する.③金大中の海外での言動は不問に付す,ことで合意.実際の決着は75年7月の宮沢訪韓まで持ち越し.

11.02 金鍾泌首相,金大中事件陳謝のため来日.田中角栄首相に朴正煕の親書を提出.日韓定期閣僚会議の年内開催で合意.のちに米国務省のレイナード韓国課長は,「朴正熙が大韓航空株主の小佐野賢治を通じ,田中角栄に三億円を献金した」と証言.

11.08 民主化運動の諸勢力が共同で「民主回復時局宣言文」を発表。

11.24 キリスト教教会連合会,朴正煕政権を非難する人権宣言を発表.

11.29 全国23の大学で抗議デモ.闘いのスローガンは「維新体制」そのものの撤廃へと向かう。運動の中から民青学連結成の動き。

11.30 韓国記者協会,中央日報などに報道の自由を要求する決議文を掲載.

73年12月

12.1 報道人が朴政権に反対しストに入る.反朴政権運動が激化する.

12.03 金鍾泌内閣が総辞職.李厚洛KCIA部長を解任するための儀式とされる.その後李厚洛は自宅謹慎を続ける。

12.10 閣僚入替えで再組閣.

12.19 梨花女子大生,金浦空港で「妓生観光」反対デモ.
 

先日、古本屋で72年10月初版の「ポケットガイド・韓国」という本を見つけました。定価は380円、表紙の写真はキーサン・ガールズがルーレット台に球を投げ込むショットです。目次を見ると第一章がカジノの旅、第二章が美女探訪の旅、第三章がソウル夜の旅。
一節を紹介しましょう。「もし料理を取ろうとすると、すぐキーセンが料理を取りあなたの口に入れてくれるだろう。キムチが辛いといえば、彼女は湯ですすいであなたの口に入れてくれるだろう。足が痛いといえば足をマッサージしてくれるだろう。トイレに行きたいといえば、オシボリを持ってついてきて来てくれるだろう…」

12.24 在野民主団体を中心に「憲法改正運動本部」が創立される。共同議長に張俊河と白基玩が就任。「憲法改正をめざす百万人署名運動」が提起される.運動の中心となった張俊河は、9回にわたり投獄される。

12月 ソウルの主要大学が結集して「全国民主青年学生総連盟」(民青学連)を結成。維新体制の撤廃などを求める「民衆・民族・民主宣言」などのビラをいっせいに配布する。

73年 韓国の経済成長率は16%に上る。いっぽうで、国家財政に占める軍事費の割合が30%台に達する。

73年 「重化学工業計画」にもとづく浦項製鉄所(国営浦項総合製鉄)の第一期工事完成し、粗綱生産百万トン規模の鉄鋼一貫生産体制を確立。翌年には現代造船が蔚山造船所に百万トン・ドックを完成させる。

 

1974年

1.08 朴正熙,「大統領緊急措置第1号および第2号」を発令.第一号で改憲署名運動とその報道を一切禁止.第二号で、違反者を処罰するための非常軍法会議の設置を決定。

1.14 朴正熙,「大統領緊急措置第3号」を発令.国民生活安定のための緊急措置を発表。

1.15 政府,大統領緊急措置違反として,改憲運動の指導者,張俊河と白基玩を逮捕.懲役15年の判決を下す.

3月15日 KCIA,「欝陵島間諜団事件」をでっち上げ,47人を検挙.

74年4月

4.01 朴正熙,「大統領緊急措置第4号」を発令.民青学連を犯罪団体と規定する。

4.03 ソウル市内の大学で「全国民主青年学生総連盟」の名の下に反政府集会が開かれる。(本当に開かれたのかどうかは不明)

4.03 政府、大統領緊急措置第4号を公布。「民青学連」に関連する一切の活動を非合法化する

4.03 国家保安部、「民青学連事件」をでっち上げ。関係者200人を検挙.被疑者1024人のうち253人を連行し180人を起訴.このうち金芝河、李哲ら7人に死刑判決が下される.

民青学連事件: 「自生的共産主義者が政府転覆による労農政権の樹立」をたくらんだとする。その背後に「北朝鮮の指令を受けて、共産革命を引起そうとする背後勢力」があるとし、それを64年人民革命党事件の被告らが再建した人民革命党と断定。

4.24 韓国政府,日本人青年の早川嘉春さん(ソウル大学大学院学生)と太刀川正樹さん(フリー・ジャーナリスト)をスパイ容疑で逮捕.

74年5月

5.07 韓国でキリスト教関係者を中心に日本の日立製品不買運動.

6.04 ソウル地裁,金大中への召喚状を発行.日本政府,日韓外交的決着に抵触すると遺憾の意を表明.

6.05 金溶植外相,日本政府の見解は重大な内政干渉と反論.

74年7月

7.11 韓国非常軍法会議,「民青学連事件」で金芝河、李哲ら14人に死刑判決.早川嘉春・太刀川正樹に懲役20年の判決.被告に陳述の機会は与えられず。

7.29 日本ペンクラブ理事の藤島泰輔がソウル訪問。記者会見で「金芝河の有罪は文学活動ではなく、政治活動によるものであり、言論弾圧とはいえない」と語る。多くの会員がこれに抗議してペンクラブを脱退。藤島は皇太子の「御学友」の一人で、三島由紀夫とも近い超タカ派の大金持ち。妻はジャニーズ事務所のオーナー。

7.30 米外交委員会、「韓国における人権問題」に関する公聴会を開催。ライシャワーなどが朴政権の人権抑圧を非難。

74年8月

8.12 非常軍法会議、内乱扇動の罪で池学淳司教、金東吉教授に懲役15年、尹?善前大統領に懲役3年執行猶予5年の判決。

8.14 韓国政府,日本大使を招き金大中事件の報告書を手交。金東雲一等書記官をシロと断定,捜査打切りを通告.

8.14 木村外相、報告書を受け「満足せず、遺憾」との態度を表明。

8.15 朴正熙大統領暗殺未遂事件.独立記念式典出席中の朴正熙が狙撃される.流れ弾に当たった陸英修大統領夫人が死亡.在日韓国人の文世光が逮捕される.在日韓国人と日本人の出国禁止措置が発令される.
 

文世光(日本名・南条世光): 朝鮮総聯大阪府生野区西支部の金浩竜政治部長の指示のもとに韓国に潜入したとされる。凶器のピストルは大阪の交番で盗まれたものだった。大阪府警は文世光の旅券入手に協力した吉井美喜子を逮捕。

8.15 ソウルの地下鉄(ソウル駅~清涼里駅)が開通する.

8.18 日本外務省首脳、暗殺未遂事件に関して「日本政府に法律的・道義的責任はない」とする見解を表明。

8.19 陸英修大統領夫人の葬儀デモに200万人が参加.田中角栄も葬儀に参列.葬儀後,朴大統領と会談.

8.20 朴鍾圭大統領警護室長が更迭され、最強硬派の車智徹が後任に。

8.20 金鍾泌首相、日本に道義的責任はあると主張。

8.21 韓国光復会の200人が日本大使館に押しかけ、謝罪を要求。このあと反日デモ(やらせ)が燃え上がる.

8.22 山田外務政務次官、外務省首脳の発言は不適当であり統一見解ではないと述べる。

8.23 韓国政府,朴大統領夫人の逝去に対する多数の国民の哀悼の意を多とし,「国民総和」が達成されたとして,緊急措置第1号、4号を解除.

8.23 新民党全党大会。金泳三を総裁に選出。「維新反対」を呼号する金泳三派が党の主流を握る。

8.29 木村外相,「韓国に北からの軍事的脅威は客観的にない」と答弁.

8.30 朴大統領、後宮大使を招き、「日本を基地とした韓国に対する破壊活動」について警告。韓国外務省は「木村発言は驚くべき認識不足」と反論.

74年9月

9.02 韓国外相金東祚,朴正煕大統領狙撃事件で朝鮮総連の名をあげ,「反韓国的分子の制圧」を要求.

9.04 金芝河を弁護した姜信玉弁護士、非常軍法会議で懲役15年の判決を受ける。

9.05 木村外相、衆院で「韓国政府が朝鮮半島全体における唯一・合法な政府との認識は持っていない」と答弁。

9.06 ソウルの反日デモ隊が日本大使館に乱入.「木村妄言」を非難し、国旗を引下ろし自動車を燃やす.

9.09 韓国外務省、狙撃事件に対する日本側の陳謝表明と「朝鮮総連の規制」を強くもとめる。

9.19 椎名特使が謝罪のため訪韓.韓国側の要求を丸呑みする。金鍾泌首相は「椎名訪韓で事態は一段落した」と発表。韓国の全国民協は反日運動の「中断」を声明.

9.23 梨花女子大学生4千人が祈祷集会を開催。服役中の学生・教授の釈放を求める署名運動を開始。

9.26 民青学連関係者の釈放・憲法改正・民主秩序回復・言論の自由等を要求する野党,学生,宗教家,言論人による政府批判が再開される。カトリック教徒2千人が維新憲法の撤回などを掲げ集会後デモ。警官隊と衝突する。

9月 早川、太刀川両氏が軍法会議で懲役20年,資格停止15年の判決。

74年10月

10.07 定期国会が開会される。金泳三は維新体制を厳しく批判する代表演説。

10.10 高麗大学学生2千人が集会を開き、「救国宣言」を採択。機動隊と衝突した後講堂に篭城。

10.11 高麗大学の学生がふたたび警官隊と衝突。学生総会で「良心宣言」を発表。この後各大学にデモ・集会が波及する。

10.14 文世光に死刑が求刑される.文世光は「民族の近代史に立つとき,歴史は私に無罪を宣言するだろう」と述べる.

10.24 東亜日報,学生デモを報道したことから,KCIAの弾圧を受ける.一線記者200人が「自由言論実践宣言」を採択し、会社に宣言の報道を要求.

74年11月

11.11 韓国カトリック教会、全国14の教区でいっせいに「人権回復のための祈祷会」を開催。金大中夫妻も参加。

11.12 東亜日報の記者、カトリック教会の一斉集会を一面トップで掲載するよう要求してストライキに入る。

11.13 東亜日報、祈祷集会を社会面で大きく報道。一面にこの間の経過を報告する社告を掲載。

11.13 文世光の控訴審.「朴大統領への謝罪」の意を明らかにする.

11.14 東亜日報、維新憲法を公然と批判し、改憲討議を呼びかける社説を掲載。

11.14 新民党、憲法改正大綱を発表。全国民的規模で闘争を展開すると宣言。

11.15 国連軍司令部が,、非武装地帯で境界線南方1キロにまで達する大規模な地下トンネルを発見したと発表。北朝鮮が南への侵入を図るため建設したもの.

11.19 梨花女子大生4千人が集会を開き、拘束者の釈放・現行憲法の撤廃・民主主義回復を求める決議。カトリック教徒700人が街頭デモ。プロテスタント長老派800人がろうそくデモ。機動隊が催涙ガスを打ち込む。

11.22 フォード米大統領が韓国を訪問。駐韓米軍の戦力維持と米韓同盟関係を再確認する。シュレジンジャー国防長官は戦術核兵器の先制使用も辞さないとの決意を表明。

11.27 野党・宗教界・学者文化人・言論界の代表など71人が、「民主回復国民会議」の結成を呼びかける。金大中もこれに参加する。

74年12月

12.05 新民党の国会議員が本会議場に篭城。改憲と拘束者釈放を要求。

12.07 政府、ウォンの約20%の切下げを含む輸出振興・景気浮揚策を打出す。韓国経済は成長率8.2%を記録。しかしオイルショックにより輸出の伸び悩みと輸入増加が同時に到来。貿易収支の赤字は約17億ドルとなる。物価は年間で42.6%の上昇を示す。

12.10 人民革命党事件の被告家族が公開裁判を要求して大統領に嘆願書を提出。

12.14 米国人宣教師オーグル、「人革党事件」の無実を主張し国外退去処分を受ける。

12.20 文世光の死刑が執行される.

12.22 金泳三が金大中宅を訪問し会談。

12.23 東亜日報,政府の圧力により広告の取り消し,融資の拒否が相次ぐ.2ページにわたり広告欄が白紙の新聞が発行される.

12.25 ソウルで「民主回復国民会議」結成.

12.27 東亜日報、広告解約攻勢に会社ぐるみで抵抗する姿勢を明らかにする。内外の団体が激励広告を集中。

74年 韓国は北朝鮮に「相互不可侵協定」の締結を提案。

  

1975年

75年1月

1.07 東亜放送のCMが途絶える.

1.14 陸軍保安司令部,東亜日報広告局長を逮捕.社員900名が篭城作戦を開始.朝鮮日報・韓国日報・中央日報の大手三紙記者が共闘宣言.新聞編集人協会も「言論の自由を守る」との声明.

1.22 朴大統領,維新体制について「国民に信を問う」とし,国民投票の実施を発表.金大中は記者会見し、国民投票に反対の態度を明らかにする。

1.25 東亜日報,「広告一斉解約は某機関の圧力によるもの」とする記事をトップで掲載.

75年2月

2.10 朴政権、全土に非常警戒令を発令。軍は厳戒態勢に入る。

2.10 金泳三、と梁一東民主統一党委員長、記者会見を開き投票ボイコットを訴える。民主回復国民会議など14団体は、現行国民投票法の下では真の民意が反映されないとして投票拒否を呼びかける。

2.12 国民投票で維新憲法が承認される.投票率は80%近くに達する。73%が維新体制に「賛成」

2.15 緊急措置第1号、第4号による拘束者168名の刑の執行が停止される。金芝河、金東吉被告、李哲前議員が人民革命党と無関係として保釈される。早川・太刀川被告らも「日本との友好関係を考慮して」釈放される。

2.25 金芝河、東亜日報に獄中記を発表。

2.28 維新クーデターで捕らえられた野党議員12人が共同記者会見。当局に加えられた拷問の様子を語る。

両手と両足を縄で縛り上げ、その間に角棒を通し、体ごと棒の両はじを2つの机の上に乗せる。話に聞いた「鳥の丸焼き」だ。今度はタオルを顔にかぶせ、大きなヤカンから私の顔に水を注ぎ始めた。何も見えないからヤカンを避けることもできなくなり、水びたしになったタオルが口と鼻をふさいでしまう。死に物狂いになってパクパク水を飲み始め、今にも腹が破裂しそうになる。濡れねずみとなった体に、更に電気拷問が加えられた。閃光のように電気が走り皮膚を裂きちぎる。(崔炯佑議員の証言から)

2.28 東亜日報の株主総会。親政府派が経営権を握る。

75年3月

3.06 朝鮮日報記者など100人が,政府の言論弾圧や記者解雇に抗議,無期限・篭城ストに突入.

3.07 東亜日報、反政府派編集者・記者をつぎつぎに解雇する。

3.11 朝鮮日報社、篭城中の記者を実力排除。

3.12 東亜日報記者、「東亜日報は死んだ」と宣言、無期限ストに入る。

3.14 金芝河、獄中記が反共法に違反したとの疑いでKCIAにより連行される。

3.16 東亜日報の宋建鎬編集局長、会社宛てに辞表を提出。

3.17 東亜日報、篭城中の記者ら全員を強制排除。

3.19 刑法改正.「国家冒涜罪」が新設される.国外に向けて国体や政府機関を中傷・非難する行為を7年以下の懲役に処するもの.

3.19 韓国政府文教部、教授・学生の復学を求めた朴大善延世大学総長の解任を要求。

3.27 延世大学で学生4千人が緊急学生総会を開き構内デモ。

75年4月

4.03 朴大善延世大学総長が辞職。学生6千人(全学生の3/4)が学生総会で抗議。

4.04 韓国文化公報部、「私はマルクス主義者だ」とする金芝河の陳述書を発表。

4.08 大法院で民青学連事件の最終判決。関係者のうち8人は、人民革命党を再建し民青学連を背後で操ったとされ、「内乱予備陰謀および内乱扇動」の罪で死刑を宣告される。

4.08 緊急措置第7号にもとづき,高麗大学に休校命令.憲兵と陸軍部隊が同大学構内に出動.これに抗議する学生2千人が「独裁政権退陣」を叫びデモを敢行。

4.09 人民革命党事件の8人が処刑される。死刑確定からわずか20時間後の電撃的執行。ジュネーブの国際法学者協会は抗議声明を発表。「司法史上、暗黒の日」と宣言する。

死刑となった8被告: 徐道源、金鏞元、李銖秉(36歳)、禹洪善、宋相振(46歳)、呂正男、河在完(42歳)、都礼鍾(50歳)。

4.10 高麗大学の金相侠総長が辞職。

4.11 ソウル大農学部学生金相振(金相真?),朴大領に抗議し割腹(焼身?)自殺をはかる.数日後に死亡.「大統領に捧げる公開状」が公表される。

4.11 民主回復国民会議の次期事務局長の文東換牧師が逮捕される。ついでキリスト教民主化運動指導者の朴炯圭,金観錫牧師ら,難民救済基金を緊急措置法関係者の救援に利用したとし,業務上横領・背任の罪に問われ逮捕.政府の弾圧は教会関係者にも波及。

4.19 金大中、3年ぶりに講演。「維新体制の撤廃と民主主義の回復こそ真の安全保障となる」と述べる。講演会には3千人の聴衆が溢れる。

4.30 ベトナム解放軍がサイゴンを制圧.韓国は1965以来、40万人の軍をベトナムに派遣した。朴正熙はワシントンポスト紙との会見で,「安保のため核開発を含むあらゆる可能な方法を追求する」と表明.

4月 新民党は「拷問真相究明委」を党内に設置。朴大統領に「国恥的拷問の真相を究明し、関係者を厳罰に処する」ことを要求。

4月 救国女性奉仕団が創設される。朴大統領の娘が名誉総裁となり、崔太敏という正体不明の人物が総裁に就任。企業などから多額の出資金を募る。

75年5月

5.08 ベトナム解放に危機感を強めた反共連盟など民間38団体が総力安保国民協議会を結成。

5.10 総力安保国民協議会の主催する反共集会,140万人を動員.野党の金泳三も出席する。

5.12 新民党、改憲運動を当分のあいだ中止すると声明。

5.13 朴正熙,緊急措置第9号を発令.「未曾有の難局に際し、国論の分裂などの行為に終止符を打つべき」と述べる。この措置により、維新憲法に対する一切の反対行動・批判・論評を禁止.学生デモは禁止され、違反者は令状なしに逮捕されることとなる.

1号から9号までの緊急措置: 拘束者の総数は1086人。キャンパスでは学徒護国団、民間では民防衛隊が結成され、ミニスカートや男子の長髪は禁止。歌謡曲225曲が発禁となる。

5.21 ガルフ石油社長が米上院で証言。韓国政府与党に強要され、400万ドルを献金したと証言。

5.21 韓国文教部,「学徒護国団」を創設し国防力の強化を図ると発表.

5.22 焼身自殺した金相振の追悼式.ソウル大学の学生200人が「独裁打倒」を叫び学内デモ.首謀者25人が逮捕される.(一説に参加者1千人、逮捕者300人以上)

5.26 ソウル大学総長が辞職。

75年6月

6.12 朴正煕大統領、「米国が見捨てるなら、韓国は自力で核開発を行う」と述べる。

6月17日 韓国で国民を総動員した「国民防衛隊」の設置決定.17歳から50歳までの男子の加入が義務付けられる.隊員の政治活動は禁止される。

6.20 シュレジンジャー米国防長官,記者会見で韓国への核配備を確認.北朝鮮から侵略あれば使用の可能性ありと表明.

6.27 アメリカ,第30国連総会に,在韓国連軍の解体決議案を提出.日本も共同提案国に加わる.

6月 当局,「七人委員会事件あるいは明洞聖堂事件」を発表.ソウル大学院生の沈之淵ら7人が中心となり,明洞聖堂で緊急措置9号に反対するデモを企画したというもの.

6月 韓国,核拡散防止条約(NPT)に加盟.

75年7月

7.09 国会、社会安全法・民間防衛基本法・防衛税法・学徒護国団法などを一挙に採択。 戦時4法と呼ばれる。①64万人の軍、②戦闘警察隊を含む12万人の警察、③在郷軍人組織である300万人の「郷土予備軍」、④16歳から50歳までのすべての住民を対象とする405万人の民防衛隊、⑤高校生・大学生・教員の全員を含む146万の学徒護国団にすべての国民が組織される。
 

滅共呼号: ①金日成を叩き殺せ、②共産党を叩き潰せ、③北傀軍を粉砕せよ、④滅共統一を成就しよう の4大スローガン。安保関係の出版物には最初に掲示され、軍事訓練ではこのスローガンが高唱された。

7.10 日韓議員連盟がソウルで創立総会を開催。「日韓両国の安全は直結している」との声明を発表。

7.22 韓国政府,「金東雲元書記官は確証不明で不起訴,解職とする」との口上書を日本政府に提出.日本政府はこれを了承.

7.23 宮沢外相が韓国を訪問.朴正煕・金東祚外相と会談。金大中問題は決着し、日韓関係は正常化をみたとする政府見解を伝達.

7.24 宮沢外相,帰国後の記者会見で、「韓国が“口上書”により田中・金鍾泌了解を遵守すると公約したため、金大中事件は最終決着したと判断する」と表明.「第二次政治決着」と呼ばれる。

75年8月

8.17 韓国の民主統一党最高委員張俊河(56歳),京畿道抱川の薬師峰登山中に転落死.10回にわたり獄中生活を送った民主化の闘士.金九が自分の衣鉢を継ぐべきものとして熱い嘱望をかけていたという。金壽煥(キム・スファン)枢機卿は張俊河の告別ミサで、「彼の死は星が落ちたのではなく、より新しい光となってわれわれの道を照らすために、少しの間その姿を隠しているだけです」と述べる。

8.25 ペルーのリマで第5回非同盟外相会議.北朝鮮・北ベトナム・パナマ・PLOの加盟を承認,韓国の加盟申請は却下.

8月 金芝河が獄中であらわした「良心宣言」が日本で発表される.「悲しいまなざしで私を見ないで欲しい.すぐ我々はまた会うだろうから…」と述べる.

75年9月

9.01 ソウル大学の学内規則が改正.政治目的を有する社会団体への加入禁止,10人以上の集会の規制.

9.01 汝矣島に新しい国会議事堂が竣工する。(むなしい建物です)

9.12 金大中,4年前の選挙法違反を問われ,懲役5年を求刑される.

9.15 朝鮮総連系の在日韓国人 700人余りが、墓参のため韓国を訪問。

9.22 全国98大学で「護国団」の編成が始まる.週4時間の軍事教練,年10日間の兵営入りが義務付けられる.

10.08 新民党の金玉仙議員、「朴政権は国家安保を政権延命の手段としている」と批判。議会は金玉仙を懲戒除名処分とする決議を強行採択。

75年11月

11.10 「七人委員会事件」の公判が始まる.有名八大学の学生運動指導者52人が,緊急措置9号違反の罪で起訴される.出廷した沈之淵は,「非合法裁判の俳優にはならない」と審理を拒否.

11.21 「ソウル大学デモ事件」の公判が始まる.被告24人は愛国歌を合唱し,審理を拒否.

11.22 「学園浸透スパイ団事件」が発生。KCIAは徐勝・俊植兄弟ら在日留学生18名を逮捕、3名の死刑を始め全員の有罪が確定する.朝鮮総聯傘下の在日本朝鮮留学生同盟(責任者は呉清達)は、関西出身の在日学生を大量に韓国内に送り込んでいたといわれる。
 

徐勝: 公安情報によれば、1968年4月、母国留学生に偽装して韓国に潜入。ソウル大学を中心として地下組織を組織し活動を展開。1971年4月に検挙。

75年12月

12.02 ソウル地裁,7人委員会事件で最高10年の懲役刑判決.

12.08 ワシントンの外交政策研究所,IMFの資料を元に「近づく韓国経済の危機」と題する報告を発表.経済企画院は「今後輸出が15%づつ伸びれば,81年までに赤字はゼロになる」と反論.この年末に対外債務はオイルショックにより60億ドルに達する.

12.13 ソウル地裁,金大中に禁固1年の実刑判決.金大中は直ちに控訴.

12.18 朴大統領、「国会での維新体制批判は許さない」と宣言。

12.19 朴政権,内閣を改造.金鍾泌首相らを更迭.イエスマンの崔圭夏を新首相にあて、親政体制をさらに強める.

 

1976年

1.24 朴正煕、自主国防5ヶ年計画を実施すると発表。

76年2月

2.09 米国防情報センターのラロック元提督、韓国内の核兵器数は最大686個と公表。

2.10 韓国大法院、大韓民団元副団長の陳斗鉉ら8人の上告を棄却。陳斗鉉ら3人の死刑が確定する。

2.16 ロッキード疑獄が韓国にも波及.児玉誉志夫を通じて大韓航空に働きかけがあったことが明らかになる.

2.16 統一主体国民会議の選挙.与党維政会が圧勝.

2月 大学教職員の再任命制を導入.212人が再任を拒否される.私立学校でも200人が再任を拒否される.

76年3月

3.01 拘禁中の金大中,尹ふ善や咸錫憲、文益煥ら反体制派知識人12人とともに,明洞教会で行われた新旧キリスト教徒の祈祷会に出席.維新独裁体制を真っ向から批判し,朴正煕政権の退陣を要求する「民主救国宣言」を発表.

3.05 政府文化広報部、「民主救国宣言は憲法秩序を破壊しようとする非合法活動」との見解を発表。

3.08 金大中、夫人とともに連行される。尹?善も取調べを受けるが拘留はされず。

3.08 米国務省、韓国の人権問題を憂慮し、韓国政府の措置に不快感を持っていると表明。日本外務省は「内政問題」として意思表示せず。

3.10 ソウル地検,金大中ら「民主救国宣言」の11人を政府転覆を扇動した主謀者とし立件・起訴.崔圭夏首相は、「民主救国宣言」は緊急措置9号に違反していると表明。

3.17 レイナード、下院フレイザー委員会で証言。「金大中事件はKCIAの犯行」と明らかにする。

3.19 米国務省がふたたび声明。韓国の人権状況に強い不満を持つと踏み込む表明。朴東鎮外相は、「内政批判をやめよ」と反論。

3月 71年の国家保衛に関する特別措置法の「資源運営などに関する規定」が改定される。動員対象年齢を50歳に引き上げ、新聞も動員対象に含める。

4.08 下院のフレイザー委員長、上院公聴会に出席。「朝鮮半島全体が北によって統治されても、日米の安全に支障はない」と証言する。

5.18 金芝河がソウル地裁の公判で証言。「共産主義者ではない」と述べ容疑事実を否定する。

5月18日 KCIA,「第2次留学生スパイ事件」で在日韓国人留学生多数検挙.

5.25 新民党大会が開かれる。金泳三が総裁に再選されるが、反主流派はこれを受け入れず紛糾。金泳三が混乱の責任をとり辞任する。

76年6月

6.06 カーター大統領候補、韓国からの核兵器即時撤去、在韓米軍の5年以内の撤去を公約。民主党大会もこの公約を受け入れる。

6.10 北朝鮮を仮想敵とする米韓合同軍事演習「チーム・スピリット」が開始される.

6.18 経済企画院、第4次経済開発 5ヶ年計画を発表。

7.22 キッシンジャー国務長官、南北朝鮮の国連同時加盟と米中・南北朝鮮の4者会談を提唱。

76年8月 ポプラ伐採事件

8.18 板門店の共同警備区域でポプラ伐採をめぐる乱闘.国連軍が哨所の視野を妨げているポプラの樹を剪定しようとする。北朝鮮軍は「事前合意がない」と抗議するが、国連軍兵士はこれを無視して作業を強行。北朝鮮軍兵士は斧を奪って襲い掛かった。この結果、死者2人(国連軍)、負傷者8人(国連軍と韓国軍各4人)を出す。

8.18 韓国政府、「北は侵略と挑発に狂奔」と非難する声明。朴正煕は「我々の我慢にも限界がある」と警告。

8.19 米国防相、戦闘飛行2大隊の韓国への移動を公表。

8.20 沖縄の海兵隊1800人が韓国へ派遣される。

8.21 空母ミッドウエイ、横須賀を出航し韓国に向かう。

8.21 双方の軍事休戦委員会の首席代表が異例の単独会見を行い、事態の鎮静化を図る。

8.21 アメリカ軍,完全武装の兵士を送りポプラの剪定作業を強行.

8.22 北朝鮮が米国に遺憾の意を表明したとの報道が流れる。

8.25 第380回軍事休戦委員会が開かれる。米側は北朝鮮の遺憾の意の表明を肯定的措置とみなし、北朝鮮は共同警備区域の隔離を提案。

8.27 韓国政府、住民登録・兵籍登録など26種類の書類を一括し、「一国民一カード制」を実施。

8.31 軍事休戦委員会が本格的討議に入る。これにより事態は収拾に向かう。

8.28 ソウル地裁、「民主救国宣言」事件で18被告全員に有罪の判決、金大中、尹?善、文益煥、咸錫憲らに懲役8年の刑を宣告。金大中はただちに上告。

9.01 米下院外交委員会、フレイザーの提出した決議を可決。朴政権の人権抑圧を批判、金大中らの釈放を求める。

9.16 新民党大会。「体制参与」を唱える穏健派の李哲承を委員長に選出。

9.17 76年上半期の国際収支、1億ドルを越える黒字に転化。

10.15 コリアゲート疑惑が発覚する。FBIが朴東宣のロビー活動を捜査中と報道。朴東宣は73年春からKCIAとともに米政会で大規模な買収工作を行なった。

10.24 ワシントンポスト紙、朴東宣の工作は朴大統領の直接指示によるものと報道.韓国政府はこの報道を否定。

10.28 米司法省、朴東宣の献金リストにニクソンはじめ政界の大物90名の名が記載されていると公表する。

11.02 カーターが米大統領選挙で勝利。

11.05 李在鉉が証言。KCIAによる米議員買収工作は駐米大使館内での戦略会議で示され、中米大使・公使が指揮したものと述べる。

76年12月

12.04 朴大統領、中央情報部長(KCIA)など6部の長官を更迭。中央情報部長に建設部長官の金載圭を任命する。

金載圭: 慶尚北道善山出身で朴正熙とは陸軍士官学校の同期生。朴正熙の片腕として出世し、No.2の地位まで上り詰めた。一方で民主派の張俊河とも親交があったと言われる。「有言実行」がキャッチフレーズ。

12.08 ソウル大学で学生500人が維新他一斉のてっぱお、米政界への献金事件糾明などを要求する「民主救国宣言」を発表。

12.29 ソウル高裁で民主救国宣言事件控訴審判決.金大中・尹ふ善ら4人に懲役5年.被告はさらに大法院に上告。金大中は3年間の獄中生活を送る.

12.31 金芝河,反共法違反裁判で,懲役7年の判決.

 

1977年

1.15 在日韓国人団体,ロサンゼルスで「韓国民主化連合運動」開始.

2.05 李在鉉、地下鉄車両導入に関して日本の韓国ロビーにリベートが贈られたと述べる。岸信介と椎名越三郎の名前が挙げられる。

77年3月

3.09 カーター、訪米した朴東鎮外相と会談。人権問題に対する憂慮を表明。公約に掲げた在韓米軍の撤退方針を再度確認する.在韓米軍参謀長は撤退方針を公然と批判.

3.10 明洞大聖堂で労働者のための祈祷会が開かれる。会議には1千500名が参加し「労働者人権宣言」を発表。

3.22 韓国大法院(最高裁),「民主救国宣言」事件の上告を棄却,金大中らの有罪確定.金大中は懲役7年の刑が確定.

3.23 尹?善ら各界元老10人が「民主救国憲章」を発表.

3.28 ソウル大学で学生600人が集会、「民主救国宣言」を発表。

77年4月

4.11 ホルブロック国務次官補、朴大統領と会談、「韓国の防衛計画に変化はない」と語る。

4.14 米国,韓国から核ミサイル撤去を開始と発表.

4.15 民主救国宣言への署名運動推進本部が設置される。治安当局は各界リーダーを次々に捕らえるが、署名運動はそれを乗り越えて拡大。

77年5月

5.07 晋州刑務所に収監された金大中、政治犯への虐待中止を求めてハンストに入る。1週間後に弁護士の説得を受け中止。

5.19 カーター大統領,政府の撤退方針を批判したシングローブ在韓米軍参謀長を召還・解任.

5.24 ハビブ米大統領特使が韓国を訪問。朴正煕大統領と会談し、撤兵問題について協議する。

5.26 朴東鎮外相、米軍の戦術核兵器撤去の際は独自の核兵器開発を考慮すると発言。

5.27 朴大統領、新民党の利哲承と党首会談。政治犯への虐待を緩和することを受け入れる。

77年6月

6.01 文益煥、刑務所内でハンストに入る。3週間後に中止。

6.22 元KCIA部長金炯旭,米下院国際問題小委員会(フレイザー委員会)でKCIAの活動を暴露.「金大中拉致作戦は朴大統領の了承の下になされた。日本の警察庁もこれを察知し、韓国側に事前警告をしていた」ことを明らかにする。

7.04 尹ふ善,自民党政権と朴正煕政権の癒着を批判した福田首相あて書簡を公表.

7.06 韓国臨時国会、政治犯への寛大な措置を求める建議を与野党一致して採択。

7.14 休戦ラインを超え領空侵犯した米軍ヘリが撃墜される。2人が死亡、1人が捕虜となる。米軍側は遺憾の意を表明。

7.16 北朝鮮、米国の要請にもとづき捕虜と遺体を返還。

7.17 韓国政府、第一次の政治犯釈放。「改悛の意を示したもの」に限定される。金大中は「政府が今のままでは、釈放されても何の意味もない」と批判。

77年8月

8.17 良心犯家族協議会、民主人士の無条件釈放を求める。「いっそ、我々を監獄に入れよ」との声明を発表。

8.20 古里原発の第一号機が試験稼働.送電を開始する.

8.26 米連邦大陪審、贈賄など36の罪状で朴東宣を起訴。米司法省の発表によれば,韓国実業家の朴はKCIAの指示のもとに米政界に贈賄工作をしたとされる.朴東宣は韓国に帰国したまま米国の協力要請を拒否。

77年9月

9.06 米司法省,韓国政府に朴東宣の身柄引き渡しをもとめる.

9.21 最高裁判所裁判官会議,在日韓国人も司法研修生採用と決定.

12.17 田部文一郎三菱商事社長,ソウル地下鉄プロジェクトで韓国財界人の指定口座へ250万ドルのリベートを送金したことを認める.

12.19 晋州刑務所に収監中の金大中の病状が悪化。韓国政府は金大中の身柄をソウル大学付属病院に移管。

77年 この年、輸出が初めて100億ドルを突破する。国際収支もはじめて黒字となる。

 

1978年

2.21 仁川市の東一紡績で労働組合の代議員選挙。会社の妨害に抗議して女性労働者が篭城ストライキ.暴力集団が女性労働者に汚物を振り撒く、いわゆる「人糞事件」が発生.

78年3月

3.01 咸錫憲ら反体制派60人,朴正煕政権を批判する「3.1民主宣言」を発表.第二救国宣言と呼ばれる。

3.07 米韓軍,「チーム・スピリット78」軍事演習.

3月 金大中、恩赦を受け出獄。その後も当局の監視体制下に置かれる。

78年4月

4.03 朴東宣が米下院公聴会で証言.

4.21 大韓航空 B707旅客機、ソ連領空を侵犯したとして銃撃され、ソ連ムルマンスク南側 200マイル地点に強制着陸。

78年5月

5.18 第2期統一主体国民会議の代議員選挙。学生の抗議デモが散発的に発生。

5.27 徐俊植、7年の刑期を満了。政府は社会安全法を適用し収監を続ける。

7.06 第2期統一主体国民会議の代議員集会、朴正煕候補を第9代大統領に選出。

9.06 金大中、獄房での非人間的な取り扱いに抗議しハンストに入る。1週間後に中止。

78年10月

10.04 政府の圧力を受けた国会、新民党の金泳三総裁を除名処分とする。

10.13 在野勢力とキリスト教関係者など300人,朴正煕政権の退陣と民主的憲法制定を求める「国民宣言」を発表.

78年11月

11.01 米下院フレーザー委員会、「韓国の対米関係についての調査」最終報告書を公表。

11.07 米軍・国連軍司令部に代わり、「韓米連合軍司令部」が韓国防衛の中枢となることで合意.韓国軍は米軍の統帥下から形式的に独立。実質的には米軍の指揮系統に編入されたまま.

78年12月

12.12 第10代国会議員選挙.野党の新民党が得票率で共和党を上回る.

12.13 在韓米地上部隊の撤退が開始される。

12.22 朴正煕が第9代大統領に就任。これに合わせ特赦が施行される。金大中が刑の執行を停止され、緊急措置違反の106人が釈放される。

12.27 金大中、今後も民主化運動を続けると決意表明。あわせて拉致事件についての日本政府の責任を追及。

78年 光州の全南大学で、11人の教授が「我々の教育指標」を発表。非民主的な教育現場を告発し、教育者としての姿勢の確立を訴える。当局は全員を捕え、解職処分とする。これに抗議した学生24人も無期停学・除籍などの処分。

78年 済州島における弾圧を、小説「順伊おばさん」で描いた玄基榮、1ヶ月にわたり拘留され拷問を受ける。

78年 OECD、韓国を新興工業国(NICs)の一員として位置づける。

 

1979年 

2.10 カーター米大統領、在韓米軍の撤退を中止すると発表。

2.17 板門店で南北朝鮮の対話再開。

3月 宗教界、言論界、政界など在野の有力者と13の団体が総結集し、「民主主義と民族統一のための国民連合」を結成。

3月 ブルッキングス研究所、「在韓米軍は約650発の戦術核弾頭を保有している」と報告。

3月 第一師団の全斗煥師団長、朴正熙の抜擢により韓国軍保安司令部(KCIC)長官に就任。

5.01 尹譜善、咸錫憲、金大中の三氏がカーター訪韓を歓迎せずと声明。

5.30 新民党が全党大会を開催。体制順応の李哲承体制に対し金泳三が挑戦。金大中もこれを支援する。車警護室長は李哲承現総裁のために資金を大量にばら撒いたという。大会は朴政権の妨害を蹴り金泳三を新総裁に選出.「鮮明野党」を旗印とし、朴政権との対決姿勢を強める.

6.29 カーター米大統領が韓国を訪問。経済発展に見合った人権尊重を朴政権にもとめる。

79年7月

7.10 米韓両政府が北朝鮮に三者会談の開催を提案.北朝鮮はこれを拒否.

7.20 カーター大統領、在韓地上軍の撤退を凍結すると発表。

7.23 金泳三新民党総裁,国会本会議の代表質問で朴正煕体制を批判.大統領緊急措置の撤廃を要求.

7.25 山下防衛庁長官、現職として初の訪韓。

79年8月

8.06 YH貿易、経営難を理由に廃業を決定。YH貿易は、当時韓国最大のかつら輸出会社だった。

8.09 YH貿易の従業員宿舎が閉鎖される。宿舎を追い出された女子労働者170人あまりが、新民党本部ビルの4階講堂で篭城。会社の経営正常化や生存権保障を要求する。

8.11 警察は千名を動員して新民党庁舎に乱入。篭城する女子労働者80名や新民党議員を力ずくで排除。この衝突で金景淑が4階から飛び降りて自殺。新民党議員全員が、警察の弾圧に抗議して党本部で篭城を開始する。

8.20 明洞大聖堂でカトリック正義平和委員会主催の特別祈祷会。5千人が結集し、金景淑の死を追悼する。

79年9月

9.08 ソウル民事地裁、新民党議員の一部から出された仮処分申請を受理。金泳三の総裁職務を停止する仮処分を決定。申し立て理由は大会代議員の中に無資格者がいたというもの。

9.11 ソウル大学構内で、禁を破り抗議集会が開かれる。集会は数日のうちに各大学に波及。

9.16 訪米中の金泳三,NYタイムス紙とインタビュー.「アメリカはイランのパーレビのような轍を踏んではならない。朴政権は米国の公開的かつ直接的な圧力を通じてしか制御できない。カーターは朴政権容認につながる訪韓を中止すべき」と発言.

9.22 与党共和党議員160名が金泳三発言を「事大主義的言動」と非難。懲戒決議案を提出。朴浚圭議長はニューヨークタイムズのインタビューに答え、「金泳三は朝目覚めるごとに革命主義者になりつつある」と述べる。

79年10月 釜馬事態

10.03 両院議長と金載圭KCIA部長、金桂元秘書室長が除名決議回避の方向で動くが、朴正煕と車警護室長は決議強行策をとる。

10.04 議会与党の共和党・維政会、米国での発言を理由に懲戒決議を可決、金泳三の議員資格を剥奪する.米政府は金泳三の議員除名に憂慮,駐韓国大使を召還する.

10.04 金泳三、除名決議を非難。政権打倒を呼びかける。

10.07 アメリカ亡命中の金ケイ旭元KCIA部長がパリで失踪。パリ近郊の養鶏所でミンチされ鶏の餌になったという。

10.09 韓国内務省、「建国後最大規模の暴力革命組織である“南朝鮮民族解放戦線準備委員会”が摘発され、20人が逮捕された」と発表。

10.13 新民党,金泳三の議員資格剥奪に抗議し,議員総辞職運動に出る.国会議員66人全員が辞表を提出.民主統一党もこれに同調する。

10.16 釜山市庁舎前広場で学生・市民三千人が集会.維新憲法撤廃、野党弾圧中止を叫ぶ。集会後のデモは5千人に膨れ上がり、一時暴動状態になる.これを引き金に「釜馬事態」と呼ばれる民衆運動が発生。

10.18 馬山で金泳三を支持する学生のデモ.派出所・共和党庁舎・放送局などがデモ隊に襲撃される。

10.18 朴大統領、「断固たる初動鎮圧方針」を指示。政府は釜山一帯に非常戒厳令をしき、軍の出動を命令。

10.19 空輸特戦団の3個旅団が南部に出動。釜山市街には戦車を配置して市民を威圧。

空輸特戦団の鎮圧作戦は、光州事件の予告編だといわれる。彼らはかかわりのない通行人まで無差別に殴打した。負傷者の7割は頭への傷だった。(月刊朝鮮・趙記者)

10.20 政府、馬山・昌原にも衛戊令を布告し、軍を出動させる.

79年10月26日 朴大統領暗殺

10.26 事件の数時間前、金泳三とグライスティーン大使がソウル市内で長時間の協議。

10.26 朴大統領、側近の金戴圭KCIA部長により暗殺される。(米CIAが、極秘裏に核兵器開発計画を進めていた朴正煕を暗殺するよう指示したとの説もある)

暗殺事件の概要: ソウル市宮井洞の中央情報部所属の秘密宴会場で、朴正煕、車智澈、金載圭が晩餐をともにした。この際、釜山暴動への対応をめぐり大統領が金載圭の責任を追求し、さらに車智澈室長が批判を加えた。
晩餐会場から出た金載圭は、直属部下の朴興柱・朴善浩に「酒席で銃声がすれば控え室の警護員を射殺せよ」と指示した。晩餐会場に戻ると、金載圭は車智澈警護室長を射殺。さらに同席していた朴正煕大統領も射殺した.銃声を聞いた朴善浩らは大統領府警護員ら4人を射殺した。晩餐会場には大統領府秘書室長金桂元や女性ホステスもいたが、無事だった。ホステスの一人は大学生でモデルの申才順、もう一人は有名歌手の沈守峰。
間もなく金載圭らは現場を脱出し、陸軍本部で
鄭昇和陸軍参謀総長に戒厳令の布告を迫る

10.27 0:40am 金桂元秘書室長の証言によって金載圭の犯行が明らかになる。緊急国務会議は逮捕令を発し、陸軍保安司令官全斗煥少将に金載圭逮捕を命令。

緊急国務会議、憲法の規定により崔圭夏総理を大統領代行に指名.鄭昇和陸軍参謀総長を戒厳司令官に任命。

10.26 アメリカは中国、ソ連に自制を促すとともに、第7艦隊の空母機動部隊を釜山に緊急派遣。

10.27 4AM 済州道を除く全土に非常戒厳令を公布.保安司令部部隊はKCIA本部を急襲し,武装解除.

10.27 7:20AM 第一回目の公式発表。KCIA食堂で会食中、車と金が口論となり、金の発射した銃弾が誤って大統領に命中したとされる。

10.28 二回目の公式発表。解任を恐れた金載圭が部下と図った計画的犯行とされる。この後、11月6日まで追加発表なく、様々な憶測を呼ぶ。

10.28 毎日新聞のワシントン特派員、米政府関係者の話として、「事件は暗殺である。朴大統領の死の原因を作った人物の責任追及はもう問題とならない」と報道。

10.29 NYタイムズによれば、鄭昇和陸軍参謀総長(戒厳司令官)の主催で2日間にわたり韓国軍首脳50人による秘密会議が開かれた。会議は維新憲法の廃棄で合意したとされる。全斗煥を中心とする中堅将校はこれに強く反発。

金大中の証言(「世界」のインタビュー): 陸軍参謀本部で参謀総長の主催のもとに25名の将官が集まって秘密投票をした。圧倒的多数(22対3)が維新体制の終局をもとめた。

10.31 バンス国務長官、「後継者選出について相談があれば見解はある」と述べる。

10.31 ソウル発共同電、金載圭の発言を報道。金載圭は射殺直後の閣議を主催し、「私が大統領を殺した。“米国の支持を得ている。皆私に従うように”と訴えたが、誰も応じなかった。まもなく策略にかけられて逮捕された

10.31 NHKテレビのニュース、金は逮捕された時「だまされた」と叫び、壁に何度も頭を打ち付けた。(萩原によれば金載圭は閣議で「俺は臨時大統領だ」と大見得を切ったそうだ)

11.03 朴正熙の国葬。列席したバンス国務長官が後継政府について発言。

憲法の手続きに従い、かつ民間当局によって新政府が樹立されれば、韓国国民と全世界から幅広い支持を受け、前進することができるだろう。韓国の国軍はこれを支持するだろう。

11.04 ニューヨークタイムズが事件の経過を報道。盧載絃国防相が直後の事態収拾に当たり、「複数のアメリカの友人」のアドバイスを受け、金載圭逮捕に踏み切ったと伝える。

11.06 全斗煥,テレビに出演し大統領殺害事件の概要を報告.

金載圭は朴正熙に代わって政権を取り、軍事革命委員会を作ろうとしていた。金載圭は犯行後に閣議を主催し、「すぐ戒厳令を公布せよ」と迫った。
事件は
個人的動機による犯行であり、軍も外部勢力も関与していない。

11.10 崔圭夏大統領代行が特別談話を発表。1.次期大統領は従来の維新憲法に則り統一主体国民会議により選出する。2.個人的見解として、84年までに改憲と大統領選挙を行いたいとする。

11.10 政府報道官の発表。「最大統領代行の談話とバンス長官の声明は一致しており、米韓両国の共通した方針である」とする。

11.24 民主勢力各団体がソウルのYWCAで「統一主体国民会議による大統領選出阻止国民大会」を開催。咸錫憲を大会議長に選出。崔代行の退陣などを要求。

79年12月 

12.04 朴大統領射殺事件の軍法会議が開始される。

12.06 統一主体国民会議が開かれる。在籍代議員2,560人のうち2,549人(欠席11人)が出席する。軍部の支持のもと大統領選挙を強行.賛成2,465票・無効84票で、崔圭夏を第10代大統領に選出.

12.08 崔圭夏大統領,緊急措置第9号を解除.9号措置違反関係の政治犯68人を釈放,金大中の自宅軟禁も解かれる.

12.12 全斗煥など一心会(ハナフェ)の中堅将校が実力行動に出る.全斗煥は首都軍団、特戦団(空挺部隊)の6千人を動員。鄭昇和戒厳司令官の公邸を襲い、首都警備司令部の部隊と銃撃戦の末制圧。

12.12 国境警備に当たる第9師団の盧泰愚師団長は,ウィッカム連合軍司令官の暗黙の了解の下に、ソウル近郊に駐屯する第90連隊を市内に進出させ,陸軍本部を制圧.

12.12 「粛軍クーデター」が成立.大統領の裁可なしに鄭昇和を逮捕.ほかに軍首脳10数人をふくむ40数人を逮捕する。

粛軍クーデター: 当時軍内では全斗煥排除の動きが強まっていた。クーデターはこの動きに対する先制攻撃だといわれる.鄭将軍は金載圭の共犯とされ、拷問を受けるが,確証はなし.全斗煥はこのクーデターを「ソウルの春」と称する。

12.13 米国務省、韓国の変化に対し憂慮の念を表明。ただしそれ以上の行動は示さず。

12.14 崔圭夏大統領,申鉉鎬を首班とする内閣を組閣。

12.17 金大中が須之部駐韓大使と会談。拉致事件の真相究明と原状回復を要請。

12.21 大統領就任式が強行される。野党は憲法改正と直接選挙を求める.

12.28 ウィッカムが記者会見。「政府が国民に追う最大の責務は国家安保である。その主導的役割は軍にあるから、国家安保の維持に不安があってはならない」と述べ、全斗煥のクーデターを全面支援。

 

1980年 

80年1月

1.12 韓国政府、ウォンの20%切り下げを発表。

1.12 金日成,韓国の政府・軍・政党指導者に南北対話を呼びかける書簡.

1.23 各大学が、朴政権時代の緊急措置違反で除籍した学生の復学方針を決定。

1.24 韓国政府、北朝鮮書簡に返書。実務者レベルでの予備折衝を提案。

1.30 北朝鮮、韓国の提案を受諾。

80年2月

2.01 板門店で南北朝鮮の予備交渉が開始される。

2.18 崔圭夏大統領, 各界元老・重鎭 23人で国政諮問会議を結成。

2.25 金大中が東亜日報会長主催のパーティーに出席。金泳三・金鍾泌と歓談。

2.29 金大中,尹ふ善など野党政治家684人の公民権が回復される.金大中は金泳三が在野活動家の入党を認めないことから,独自の組織作りを目指し「時局懇談会」を創設.

80年3月

3.01 軍の実権を握った全斗煥、自らを中将に昇進させる。

3.01 金大中が記者会見。「報復なき政治のため、拉致事件について本日より不問にしたい」と表明。

3.13 戒厳普通軍法会議、鄭昇和前戒厳司令官に懲役10年の判決。2週間後に7年に減刑され確定。

3.30 韓国編集人協会、事前検閲の早期廃止をもとめる声明。

80年4月

4.14 全斗煥,保安司令官のままKCIA部長代理に就任.兼任禁止のため代理となったが、事実上の部長となる。記者会見では「いずれ朴大統領の偉業を追慕する時が来る」と発言。

4.21 江原道舎北の東原炭鉱で大規模な労働争議が発生.

4.23 東原炭鉱の争議が暴力化。4千人の労働者が会社に侵入し火薬庫を占拠,警察と衝突する.これに続き釜山の東国製鋼もストに入る。

4月 全斗煥,軍内上級幹部を次々に退役に追い込む.鄭昇和に連座して、李建永第三軍司令官、張泰玩首都警備司令官、文洪球合同参謀本部議長・鄭炳宙特戦団司令官などが失脚する。

80年5月 全斗煥のクーデターと光州事件

5.01 太田市の忠南大学で、学生が当局の制止を押し切り街頭に進出。ソウルでも成均館大学の学生が街頭デモを敢行する。

5.02 ソウル大学で戒厳令解除要求の1万人大集会.光州では全羅大学の学生が街頭で警官隊と衝突する。

5.03 高麗大学で学生3千人が集会。その後街頭デモに移る。その後延世大学、梨花女子大、釜山大学でも反政府集会が開催される。

5.07 金大中・尹ふ善ら,民主主義と民族統一のための国民連合を結成。「民主化促進国民宣言」を発表.戒厳令即時解除と全斗煥の即時退陣を要求する。

5.09 金泳三、国会の早期召集、戒厳令即時解除を要求する記者会見。

5.09 差し迫るクーデターの動きに対して学生は動員を強化。ソウル大学1千人、延世大学1千人、梨花女子大3千人が集会とデモ。

5.10 崔圭夏大統領、中東訪問に出発。

5.10 戒厳司令部、ソウル近郊に空挺部隊二個師団を集結させる。マスコミを通じ、民主化運動が「暴力と社会の混乱をもたらしている」と非難。

5.10 「言論の自由」要求運動、東亜日報その他に拡大。

5.12 韓国政府の臨時閣議、軍の投入を決定。全斗煥は全軍に警戒態勢を指示。各公共機関や報道機関などに戒厳部隊が配置される。

5.12 ソウル大学など26大学の学生会会長が連名で声明。「我々は非暴力的・平和的に行動する」と訴える。

5.13 金大中が記者会見。時局を巡り、李禧性戒厳軍司令官、崔圭夏大統領、金鍾泌、金泳三の5者による緊急会議を提唱する。

5.13 延世大学2千人が戒厳令違反を犯して街頭デモ。ソウル大学、梨花女子大、高麗大学では学内集会。

5.14 ソウル市内の主要大学21校、5万人の学生が朴正熙のクーデター19周年に抗議し、戒厳令の解除と早期改憲をもとめ街頭行動。一部は機動隊と衝突し、投石・火炎瓶で対抗。ソウル市内中心部は騒乱状態となる.政府はこれを受け首都警備司令部に出動を命令。

5月14日

5.14 地方でも10都市で11の大学が街頭デモ。光州では全南大学学生7千人が街頭デモ。

5.14 崔圭夏大統領、外遊先のアレーシアで「学生側の要求に妥協してでも事態を収拾しなければならない」との指示を発する。

5月15日

5.15 ソウル駅前に10万の学生が結集。総学生会の会長団は、軍隊がソウル駅に向け移動をはじめたとの情報からデモを中止する。のちに「ソウル駅回軍」と呼ばれる。

5.15 金大中、戒厳令解除を要求するとともに、学生に自粛を促す談話を発表。

5月16日

5.16 学生が正常講義に戻る。

5.16 金大中・金泳三が戒厳令解除など6項目を要求する共同声明。

5.16 全羅南道庁前広場で「民族民主化聖会」集会が開かれる。大学教授と学生たちが太極旗を先頭にたいまつを掲げデモ行進。市民もふくめ5万人が結集。警察は学生たちの平和的デモを保障する。

5.16夕 サウジ外遊中の崔圭夏大統領が急遽帰国.全斗煥は崔圭夏を取り囲み非常閣議を開催。戒厳令の拡大と徹底弾圧による中央突破作戦を認めさせる。会議は5分で終了したといわれる。

5.16夜 全斗煥グループが全軍主要指揮官会議を招集.鄭鎬溶空輸特戦司令官が発議し、「反政府デモの激化で生じた政治的混乱を除去し、国家安保の支柱を確固としたものにするための不可避的措置」として、国会解散,国家保衛非常機構の設置,非常戒厳令の全国拡大を求める.

5.16 夜10時 金大中ほかを戒厳令布告違反で逮捕。

5月17日 全斗煥の全権掌握

5.17 0時を期して、非常戒厳令が全土に拡大、一切の政治活動の禁止、国会の封鎖が命じられる。

5.17 早朝 戦車が市街に出動,活動家の検挙が始まる.

5.17 梨花女子大で、全国56大学の学生代表が集会を開催。戒厳司令部の部隊が踏み込み、指導者25人を連行する。

5.17夜 戒厳司令部、騒擾の背後操縦や不正蓄財の嫌疑で26人に逮捕状。さらに金鍾泌(共和党総裁),李厚洛(元KCIA部長)、朴鍾圭(元大統領警護室長),呉源哲(元首席秘書官)、李世鎬(元陸軍参謀総長)らを「権力と地位を利用した不正蓄財」の容疑で逮捕する。

5月18日

5.18午前0時 これまで済州島を除いていた非常戒厳令が全国に拡大される.これに加え戒厳司令官名で「布告第10号」が公布される。国会は閉鎖、すべての政治活動が禁止され,言論・出版・放送などの事前検閲制が敷かれる。大学は無期限休校となる.

5.18 「社会混乱、学生・労組の騒乱の背後操縦」の嫌疑で数百人を拘束。金緑永(民主統一党総裁代行)、文益煥牧師(国民連合議長),金東吉(延世大学副総長)などが逮捕される.金泳三も軟禁される.

5.20 申内閣が光州事件の責任を問われ総辞職。

5.21 朴忠勲内閣が発足。

5.21 日本の前田特使がソウル訪問。全斗煥派の支援に当たる。

5.21 大法院、金載圭の上告を棄却。軍法会議の死刑判決が確定。

5.22 戒厳司令部,金大中が学生デモを扇動し,国家転覆を陰謀しているとの「中間捜査結果」を発表.

5.24 金載圭KCIA部長ら6人の死刑執行.

 


光州事件と弾圧

5.18午前0時 これまで済州島を除いていた非常戒厳令が全国に拡大される.

5.18早朝 光州市の全南大学と朝鮮大学に陸軍第七空挺旅団の33大隊と35大隊が配備される。隊員は銃剣で武装し、大学を封鎖する。

軍の配置は報告によりまちまちだが、基本は第31郷土師団、第3予備師団が戦闘警察のバックアップとして配置されていた。おそらくは光州の特殊性に鑑み、戒厳司令部が空挺部隊を特派したものと思われる。ところが、33,35大隊は北朝鮮との非正規戦遂行のために訓練を受けたコマンド部隊で、人民弾圧ではなく人民抹殺作戦を展開してしまった、というのが発端のようだ。

5.18早朝 光州の全南国立大学学生は、金大中逮捕と大学休校令に対し正門前で抗議行動を行うが、着剣した兵士により学内進入を拒否される.

5.18昼 全南大学生600名が光州駅前に結集。隊列を整え市内中心部の錦南(クムナム)路を道庁に向かう。道庁を守る機動隊と衝突。

5.18午後4時 鄭鎬溶空輸特戦司令官の命により「共匪討伐作戦」が開始。空挺部隊が市内各所に展開し、学生400人を下着一枚にしてトラックに押し込み連行。これに抵抗した学生80人が負傷。

5月19日

5.19 学生に市民も加わり抗議のデモが展開。デモ隊は2万人に膨れ上がる。軍の弾圧に抗議する市民は角材・鉄パイプ・火炎瓶などでわたり合う。

5.19午後 治安当局は第七空挺旅団に加え、あらたに第3、第11空挺旅団1200名を派遣。市内の主要道路を封鎖。市街に通じる通信連絡、交通、報道はすべて遮断される。(一説に第2空挺旅団とあるが、真偽は不明)

5.19 鄭雄郷土師団(第31師団)司令官の証言では、この日、5個大隊2250名の空輸部隊が「共匪討伐作戦」に出動したとされる。郷土師団は動かず。

5月20日

正午 郷土師団司令官の証言では、鄭鎬溶が郷土師団の空輸部隊作戦統制権を郷土師団司令官から取り上げ、以後、空輸部隊の直接指揮に当たる。ただし国防部は蘇俊烈(戦闘兵科教育司令官)がその後の指揮を執ったとしている。

午後2時: 学生・市民が錦南路に結集。デモ隊は事件を歪曲して報道する光州文化放送局( MBC )を焼き討ち。光州市庁舎にも攻撃、交番を襲撃しバスやタクシーを倒してバリケードを築き、市街戦に入る。 空挺部隊は無差別の実弾攻撃を開始、非武装のデモ隊に火炎放射器を浴びせるなど残虐行為を働いたといわれる.

(ハン・ケオクはおぞましい市民虐殺の様子を延々と書き連ねているが、後の検証から見て明らかに誇張されている。困ったことだが、「朝鮮人民」の書いた文章は往々にして情緒的で、叙述の客観性に関して弱点を持っている、と言わざるを得ない)

夕方 運輸労働者の車両デモが始まる.数万名のデモ隊が夜を撤して空輸旅団と対峙.

5月21日 

午後1時: 30万の光州の学生・市民が全南道庁を包囲.道庁内の空挺部隊は、市民に対する無差別射撃を開始.

午後3時: 市民・学生が全羅南道警察の武器庫を襲撃し武器を奪う.さらに亜細亜自動車や軍需関係工場も襲い、装甲車などの車両や銃器やTNT爆薬などを獲得。羅州、木浦の予備軍武器庫も市民に奪われる。

午後 民衆が全羅南道庁舎の確保に成功。道庁が一目で見下ろせる全南大学医学部の12階屋上に,2門のLMG(重機関銃)を設置.光州刑務所の確保には失敗。

夕方 道庁内に立てこもっていた空挺部隊がヘリで撤退.いったん市外に退く.市民・学生が全市を占拠.

夜 光州市と外部の鉄道、道路及び通信回線が遮断される。メディア全国ネットは光州市民を暴徒と非難するキャンペーン。

5月22日 

5.22早朝 市民が自発的に錦南路の清掃と食糧管理に乗り出す。道庁に遺体が収容され、身元確認の作業が始まる。市民軍と学生は治安維持活動、銃器・車両の統制、医療班活動を展開。

5.22 光州市と全羅南道当局などからなる「光州事態収拾対策委員会」が結成され、光州の管理にあたることとなる。学生は独自に収拾対策委員会を組織するが、斗争維持派と投降派に分裂したまま機能せず。

光州事態収拾対策委員会: 光州YMCA・YWCAの各総務・前光州市長・光州青年商工会議所会頭・カトリック光州教区大司教・赤十字光州支社長・教師・官僚・弁護士などの15名から成る。下記の6項目を収拾条件として提示し、和解の道を探る。
①これ以上、軍を投入しない。②18日以降の軍の介入が過剰であったことを認める。③連行された学生・市民を釈放せよ。④死傷者に対して政府が補償せよ。⑤事態収拾後、軍は報復するな。⑥この要求を放送などで全国民に伝達せよ。

5.22 韓米連合軍のジョン・ウィッカム司令官は、グライスティーン米大使との合意の下に、韓国軍第20師団の兵力を光州に移動させるよう指示。韓国軍の作戦統制権を持っていた米政府も、秩序維持を理由にこれを黙認した。グライスティーン大使は「我々は光州民衆抗争を注視しているが、我々にできることは何もない」と述べ、虐殺回避のための介入を拒否。

5.22 第20師団の4個連隊を中核とする全羅南道戒厳軍が光州市の包囲を完了。第20師団は首都軍団とも呼ばれ、戦車、重砲を備えた1万名からなる基幹部隊。アメリカは機動艦隊を朝鮮周辺に配置し、北朝鮮の抑え込みを図る。

5.22 朴忠勲国務総理が光州作戦の状況を視察。同行した鄭鎬溶司令官は「この機会に光州にひと泡吹かせてやる」「一人も残さず、すっかり掃討しなければならない」と発言した。(当時の郷土師団司令官の証言)

5月23日 

5.23 戒厳軍と光州事態収拾対策委員会との交渉が行われる。軍は武器・弾薬の引渡しに応じない限り交渉の道はないと主張。対策委員会はこれを受け、無条件の武器返却を決議.青年・学生内の強硬派は全斗煥の退陣と金大中の釈放まで武器の回収に応じないと主張。学生たちとの溝が広がる。

5.23 道庁前広場で市民決起集会。市民5万人が結集。

5月24日 

5.24 一方的武装解除の方針をめぐり、事態収拾対策委員会は空中分解。全羅南道副知事を委員長とし、収拾対策委員15名に新たに15名を加え、全道民収拾対策委員会が組織される。新メンバーの中心は道知事・光州市長など旧権力・官僚系であり、蜂起そのものを認めない立場。

5月25日 

5.25 権力側の代表からなる全道民収拾対策委員会が立ち上げられる。

5.25 徹底抗戦派は,10人からなる「光州民主民衆抗争指導部」を結成.金大中の釈放と戒厳令撤廃を要求し、最後まで戦うことを決議。 朴ナムソンと尹ウォンサンを指導者とする。指導部は学生、会社員、運転手、教師、信用組合職員などからなり、年齢は20代から30代初め。

5.25 鄭鎬溶、ソウルで全斗煥、盧泰愚と会見。鎮圧作戦決行の指示を受け光州に戻る(本人の証言)

5月26日

朝 戒厳軍のヘリコプターが道庁の上空を旋回しながら,「軍はまもなく掃討作戦に突入する」とのビラをまく.

昼 道庁前でおこなわれた第5次民主守護汎市民決起大会.抗争指導部は,「光州および犠牲者の名誉回復と民主化の要求が受け入れられないなら,最後まで闘争する」との立場を公表.

夜 道庁内に500余名(文によれば、女性10人を含む250人、他にYWCAビルに30人)が立てこもる.収拾対策委員会が、道庁内で最後の会議.「武器を返却して市民軍を解散する」決議が採択される.「抗争指導部」は決議に従うことを拒否.
 
尹ウォンサンの手紙
このまま道庁を明け渡せば,これまでの闘いは何も残さずに消えてしまいます.犠牲となった多くの英霊たちと歴史の前に,私たちは罪人となってしまうでしょう.たとえ奴らの銃弾に倒れることがあっても,それが私たちにとって永遠に生きる道なのです.私たちすべてが,不正と不義に対抗して最後まで闘ったという誇らしい記録を残しましょう.

5.26午後 ソウルから光州飛行場に戻った鄭鎬溶司令官、朴俊柄第20師団長と三個空輸旅団長に対し27日の鎮圧作戦決行命令を発する。このとき郷土師団は作戦から外される。

5.26 「民主主義と民族統一のための国民連合」、アメリカを非難する声明を発表。「なぜアメリカは全斗煥らを支援し、罪のない市民を虐殺させるのか」と訴える。

5月27日 私たちのことを,どうか忘れないで下さい

3:30am 三個空挺旅団の増援を受けた戒厳軍が光州市内に進攻.篭城部隊は「光州市民のみなさん,私たちは最後まで闘うでしょう.私たちのことを,どうか忘れないで下さい」と放送で最後の訴え.

午前4時 戒厳軍、立てこもり部隊に対し降伏を呼びかけ。その直後、空輸第3特攻隊が庁舎内に突入.機関銃を乱射しながら手榴弾を無数に投げつけ,市民部隊隊員を虐殺.投降して道庁前広場に出た市民軍8人もその場で射殺される。

5時10分 戒厳軍部隊が道庁舎を制圧.庁舎に立てこもった市民少なくとも200人が死亡,負傷者は2千人に達する.軍にも23人の死者を出す.YWCAビルでも2人が死亡、29人が捕らえられる。
 

韓国政府調査によれば、光州虐殺に動員された兵力は6172人。光州周辺での作戦も含めると2万人を越える。死者の数は民間人168人、軍人23人、警察4人。行方不明者は406人。負傷者は4782人とされる。しかし光州の墓地に立つ墓標の数はずっと多かった。ハン・ケオクの著書では死者2千人+負傷者1万人、一説ではその2倍、と記載されている。

 


5.28 前田特派大使、全斗煥保安司令官と会談。世界に先駆けて全斗煥に対する事実上の信任を与える。

5.31 国家保衛非常対策委員会が発足.議長に崔圭夏、常任委員長に全斗煥が就任.国保委は国会を解散し,三権を掌握.

5.31 戒厳司令部、「金大中が広州騒乱の黒幕」との声明を発表。

80年6月

6.02 韓国政府、民主派寄りの報道を続けた共同通信支局の閉鎖を命じる。

6.12 崔大統領、10月に憲法改正の国民投票を実施するとの談話を発表。

6.17 戒厳司令部、学生デモと光州事件に関連して329人に対する公開指名手配を発表。

6.18 戒厳司令部、金鍾泌ら「不正蓄財容疑者」9人に関する捜査結果を発表。「不正蓄財の総額は853億ウォンに上る」とする。同時に金鍾泌、李厚洛、朴鍾圭らについて「前非を悔いあらため、不正蓄財した財産を国家に献納し、一切の公職から退く」ことを条件に刑事責任を問わないとする。

6.20 韓国政府、KCIA幹部300人を解任したと発表。以後、各界で大量の「粛正」が始まる。

6.25 金鍾泌、政界引退を発表。

80年7月

7.03 韓国政府、共同通信に続き朝日新聞・時事通信の支局の閉鎖を命令。

7.04 戒厳司令部、金大中ら24人を「光州事件の黒幕」として軍法会議に告発。

7.09 日本政府、官民合同の貿易使節団を派遣。120人の大使節団が訪問する。

7.10 韓国経済企画院、80年上半期のGNPがマイナス1.9%に止まると発表。

7.31 金大中ら37人、内乱陰謀疑いで起訴される。

80年8月

8.01 戒厳司令部、金大中らを内乱陰謀容疑で起訴。

8.13 金泳三新民党総裁が辞任。政界引退を表明。

8.14 金大中ら24人を裁く陸軍戒厳普通軍法会議の初公判が開かれる。

8.16 崔圭夏,大統領を辞任.「新しい指導者に道を開くため」と表明する。

8.27 統一主体国民会議が招集され,全斗煥国保委常任委員長を第11代大統領に選出.

8月 韓米連合軍のジョン・ウィッカム司令官、「韓国民の国民性は野ねずみのようなもので、だれが指導者になろうとも従うはずである」と侮辱発言。

9.09 慶煕大学の学生が反軍政デモを展開。その後韓国神学大、高麗大、国民大、成均館大、延世大、淑明女子大と反政府デモが相次ぐ。

9.16 韓国の普通軍法会議,光州事件を背後で操縦したとして,金大中に死刑,文益煥ら23人に2年から20年の懲役刑を判決.「金大中氏を救え」との国際世論が高まる。

10.22 全斗煥の提案した第五共和国憲法、国民投票で成立する。

10.27 全斗煥、戒厳令下で憲法を公布。

80年11月

11.10 淑明女子大で反政府デモ。集会宣言は全斗煥を光州市民数千名を虐殺した「殺人魔」と非難。キリスト教学生は「公道をニガヨモギに代え、正義を地に投げ捨てる者」(アモス書)と非難し「十字架の聖戦」を宣言する。

11.21 鈴木首相,崔韓国大使と会見.「日韓親善からみて,金大中の身柄に重大な関心と憂慮の意を抱かざるを得ない」と表明,全斗煥大統領に伝達を要請.

11.25 韓国紙,鈴木発言に対し内政干渉と反発.

12.01 旧新民党員らにより「民主韓国党」が結成される.

12.08 労働運動の指導者80人が一斉逮捕され「醇化教育」という名の拷問を受ける。(クーデター直後には200人が追放処分を受けている)

12.23 「南朝鮮民族解放戦線事件」に判決,2人死刑など.

12.31 労働組合法改悪。勤労者30人以上の賛同がなければならないとされる。しかし当局により集会は禁止されていたため、事実法の組合結成禁止となる。

12月 言論基本法が公布される。報道統制を管轄するため文化広報省内に広報政策室が設立される。

12月 セマウル運動組織育成法が成立。これに基づきセマウル運動中央本部が発足。全斗煥が会長、全斗煥の実弟である全敬煥が事務総長に就任、セマウル運動指導者を推進力とする「自発的運動」が奨励される。後に全斗煥一族の腐敗の最大の温床となる。

 

 

1981年

81年1月

1.15 レーガン,大統領に就任.

1.15 全斗換を総裁とする民主正義党が結成される。

1.23 韓国大法院,金大中ら12被告の上告を棄却.金大中の死刑が確定.

1.23 大法院判決の直後の閣議で、被告全員の減刑が決定され,金大中は無期懲役になる.鈴木首相は死刑回避措置を評価,日韓首脳会談開催など対韓関係修復の意欲を表明.

1.24 非常戒厳令が解除される。

1.28 全斗煥,アメリカ訪問.レーガンの最初の元首会見に全斗煥が選ばれる.レーガンは在韓国米軍の不撤退を保証し人権問題に関しても不問に付す.

2.25 全斗煥、大統領選挙人団5278人の間接選挙による大統領選挙で大統領に選出される。

81年3月

3.02 伊東外相,大統領就任式に出席のため韓国訪問.日韓修復を確認.

3.03 全斗煥,改正憲法の下に7年単任制の大統領に就任.第五共和制(五共)の時代に入る.

4.20 国政諮問会議が発足。崔圭夏が議長に就任。

4月 鈴木善幸首相が訪米しレーガンと会談。「アジアの平和と安定に対する相互の関心を確認し、日本を含む東アジアの平和と安定にとって重要であるものとして、朝鮮半島における平和の維持を促進すること」で合意する共同声明。韓国の経済に対する更なる援助を要請されたという。

9.30 88年のオリンピック開催地がソウルに決定.

1981年 韓国経済、1960年以来のマイナス成長となる。ウォンの切り下げにより、物価上昇率は44%、国際収支の累積赤字は55億ドル、失業率の増加により名目賃金上昇率もマイナス1%を記録。全斗煥は「韓国の防衛努力は日本を含むアジアのためでもあり、日本も運命共同体としての認識に立つ経済協力を求める」と主張。5年間で100億ドルの経済援助を要請する。

 

 

1982年

82年1月

1.01 文教部、中高生の制服、髪型を自由化すると発表。

1.06 一部地域を除いて夜間外出禁止令が全面解除される.独立以来34年ぶり.

82年3月

3.18 釜山のアメリカ文化センターが文富シクらにより放火される。光州大虐殺にゴーサインを出した米国の責任を追及。

3.27 韓国プロ野球が開始される.

3月 情報機関がひそかに「意識化活動家」の取り締まり方針を打ち出す。「サークル、修練会、夜学、教会の学生部などで左傾書籍を輪読し、討論会を通じて問題意識を拡散する」ことを「意識化」と定義する。(李泰昊による)

4.21 三菱自動車工業と三菱商事,現代自動車に資本参加.株式の10%を取得.

9.24 ソウルで国際貿易博覧会が開幕する。

10月 元豊毛紡で女子職工のストライキ.当局の弾圧により瓦解.

82年12月

12.04 アメリカ政府当局者、「韓国が兵器購入資金を工面できるように、日本が韓国に経済援助を与えることを望んでいる」と発言(東京新聞)

12.16 清州教導所で服役中の金大中,刑執行を停止され病院に移送.

12.23 金大中,病気のため刑の執行を停止される。韓国居住を許されず.「病気治療のため」アメリカに亡命.ハーバード大学国際問題研究所客員となる.

82年 第五次経済社会発展計画が開始される。経済成長のみでなく、福祉社会建設をうたい社会開発にも重点をおく。

 

1983年

83年1月

1.11 中曾根首相が現職首相としてはじめて韓国を訪問。全斗煥大統領との会談で、対韓経済協力40億ドルで合意.

2月 チームスピリット演習の規模が飛躍的に拡大される。米軍は空母二隻を投入。沖縄、横田、佐世保、厚木、岩国などの基地は、2ヶ月間にわたり臨戦状態となる。

5.05 中国民航ハイジャック事件が発生。中国民航機は韓国の米軍基地に緊急着陸。乗客と機体の返還をめぐり、両国政府が直接交渉。この事件に関する交渉を契機として中国は「南朝鮮」の呼称を「韓国」に改める。

5月 自宅軟禁中の金泳三,光州事件三周年を期し,23日間にわたる断食闘争.①不法な政治活動規制の撤廃、②追放された学生や教授などの民主的人士の釈放,③言論の自由の保障、④大統領の直接選挙制、などを求める

6.01 旧新民党と旧民主統一党の有力者60人が,民主化のための連合戦線結成を決議.

8.21 中国民航機乗っ取られ韓国に着陸.中国人犯人は台湾亡命を求めて投降.ソウル地裁は犯人6人に最高懲役6年の判決.

8.21 アメリカの亡命仲間アキノ議員が政府の拒否を無視して帰国.マニラ空港で軍により射殺される.

83年9月

9.01 大韓航空機,サハリン沖でソ連機により撃墜される.

9.30 民主化運動青年連合(民青連)が結成される。「闘争性の回復」を訴え自己犠牲的、殉教者的な姿勢で闘いに立ち上がる。除籍学生が労働運動に身分を隠して飛び込み、基層運動(貧困者の闘い)との連帯を図る。のちに民族民主主義革命論(NDR)の牙城となる。

83年10月

10.09 ラングーンでアウンサン廟爆破事件.ビルマ訪問中の全斗煥一行に対し,北朝鮮人民軍偵察局の秘密工作員が爆弾を仕掛ける.到着予定時間が遅れたため全斗煥は難を逃れたが,徐副総理をふくめ随行員17人,ビルマ人4人が死亡.

10.11 ビルマ政府,朝鮮人1人を射殺・2名を逮捕と発表.北朝鮮は関与を否定する.

83年11月

11.04 ビルマ政府はアウンサン廟爆破事件を北朝鮮工作員の犯行と断定.北朝鮮との外交関係を断絶,国家承認も取消す.

11.12 レーガンが韓国を訪問.全政権に全面的支持を与える.共同声明では,①米軍駐留の継続と戦力強化、②韓国軍の戦力増強のための兵器体系と技術の供与がうたわれる。

12月 学園自立化措置が発せられる。民主化闘争で解雇、除籍された教授、学生が大学に復帰。当局の弾圧により解雇された大学教授らは、解職教授協議会を結成。その後韓国民族芸術人総連合、解職言論人協議会、自由実践文人協会などが相次いで結成される。

12月 夜学連事件。労働者の教育運動に携わっていた学生20名が逮捕される。

 

1984年

84年1月

1.10 北朝鮮,朝鮮問題の平和解決のための米韓両国との3者会談を提案.米国との「停戦協定」を「平和協定」に,韓国に対しては「南北不可侵協定」の締結を呼びかける.これに対しレーガンは,中国を加えた4者会談を提案.韓国は南北最高責任者会談を提案.

1.19 懲役15年の判決を受けた文益煥が保釈される。ただちに「民主労働運動家ブラックリスト問題対策委員会」を組織し、労働運動家の救援に動き出す。

3.10 ソウル市内のカトリック教会で韓国労働者福祉協議会(韓国労協)が結成され戦闘的労働組合のナショナルセンターを目指す。理事長に池学淳司教が就任。「民主労働」誌を発行

3.23 中国は離散家族再会のための韓国人の訪中を認める。

84年4月

4.02 安全企画部、78年に香港で失踪した有名女優の崔銀喜, 映画監督の申相玉が北朝鮮に拉致されたとの事実を公表。

4.08 クーデター以前、最強の労組とうたわれた清渓被服労組が4年ぶりに再建される。

4.11 ソウル大学の学園自律化推進委員会が学園と社会の“総体的民主化”を呼びかける「闘争宣言」を発表。

84年5月

5.03 ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が来韓する。

5.18 光州事件4周年に当たり、学生らが各地で抗議行動。「改悛の情」を示して復学した学生が横の連絡を取りながら運動構築に当たる。

5月 政治活動を禁止されていた旧野党政治家ら、金泳三を中心に民主化推進協議会を結成.亡命中の金大中を共同議長に迎える.野党政治家と在野の民主勢力をつなぐパイプ役を果たし、後に新民党結成の母体となる。

6.29 民衆民主運動協議会が結成される。韓国労協とカトリック正義具現全国司祭団、民主化運動青年連合を柱とし、民主団体の連絡協議を行う組織として発足する。

7月27日 石川県のイカ釣り漁船・第36八千代丸が、北朝鮮「軍事境界線」内に侵入したとし て、北朝鮮海軍の警備艇によって銃撃を受ける。行泊貢船長が死亡、乗組員4人と船体が拿捕(だほ)され、北朝鮮の清津港に連行、抑留される。

7月 「統一原理教会」の文鮮明,脱税で実刑判決を受け,1年余りの米国内刑務所暮らしを送る.

8.22 中曾根首相,在東京韓国記者団に対し,朝鮮統治の過去の惨害に〈反省〉を表明.

84年9月

9.06 全斗煥大統領、韓国元首としてはじめて日本を公式訪問.昭和天皇が歓迎晩さん会で,不幸な過去に「遺憾」を表明.

9.20 高麗大学で総学生会が復活。全学生の55%が投票に参加する。9月中に延世大学、ソウル大学で学生会の復活に成功。

9.29 ソウル大学当局、発足直後の学生会の幹部4人を除籍処分とする。

9.29 韓国で集中豪雨.板門店で北朝鮮から韓国へ水害救援物資引渡し.

84年10月

10.05 ソウル大学で「学園守護非常総会」が開かれ5千人が参加する。

10.10 ソウル大学で「暴力政権退陣学生総会」が開かれ7千人が参加。授業放棄を決定。

10.16 ソウル大学で中間試験ボイコット行動に80%の学生が参加。

10.26 個人参加の民主統一国民会議が結成される。

10.24 全斗煥政権、ソウル大学に200台の車両、6500人の警官を突入させ学生を威圧。これに抗議する学生は90%に達する。

10.25 警察が学生のボイコット行動を鎮圧できないままソウル大学から撤収。

84年11月

11.03 全国42大学を結集し民主化闘争学生連合(民闘連)が結成される。「現在の欺瞞的融和局面を主体的に打開する」と宣言。

11.15 板門店で第1回南北経済会議が開かれる。

11.23 板門店で,ソ連観光客が亡命.この間30分にわたり南北両軍が銃撃戦.兵士4人が死亡.

11.30 政治活動規制対象者99人中84人の規制が解除される。解除された人々は、ただちに新党結成の準備に取り掛かる。

11.30 ソウルのタクシー運転手朴鍾万、不当な待遇に抗議して焼身自殺。

11月 全国55大学からなる全国学生総連盟(全学連)が結成される。

12.20 民推協、旧新民党右派の李哲承グループと独裁政権打倒の1点で合意。中間派の李敏雨が結党準備委員長となる。

 

1985年

85年1月

1.07 大宇自動車、溶接工の組合役員二人を解雇。この二人はいずれもソウル大学工学部出身の超エリート。二人を守る正常化推進委員会が立ちあげられ、洪永杓ら学生出身労働者が指導。

1.18 民主化推進協議会を母体とする新韓国民主党(新民党)が結成される.「民主化の熱望と民主的力量を総結集し、民族の主体勢力としてあらゆる反民主的勢力と要素を断固として除去する戦闘に立つ」との宣言を採択。総裁には結党準備委員長の李敏雨が就任.

1.18 金大中帰国日程を発表。「たとえ投獄されても、韓国内に自分がいることが必要。苦難をなめている国民と共に闘う」と述べる。

1月 学生運動指導部は総選挙ボイコットの方針を転換し、「与党への投票拒否」を呼びかけ。実質的に新民党支持に回る。

1月 全斗煥政権、学生の闘いの中で有名無実化した「学徒援護団」の廃止を発表。

1月 韓国日報がイタイイタイ病に似た「怪病」の存在を報道。慶尚南道の温山工業団地周辺で女性を中心に7百人から千人の患者が発生。「温山病」と呼ばれる。工場群の排出した重金属による複合汚染とみられる。

85年2月

2.07 金大中,政府の反対を押し切り帰国の途につく.帰国に際しては,アキノ事件の再現を憂慮する米下院議員2人,国務省の前人権担当次官補,元海軍提督など20人が同行.帰国途中立ち寄った成田空港では,自らの拉致事件が未解決のままであることにつき,遺憾の意を表明.

2.08 金大中,ソウルに到着.韓国政府は自宅軟禁を通告.政治活動を全面禁止.米政府は,事前の了解に反すると抗議.

2.12 国会議員選挙.結成されたばかりの新民党が29%の得票で躍進.都市部では与党民正党を上回る。民正党は35%にとどまるが、「全国区は第一党が3分の2を獲得する」という選挙法のからくりによって、国会の過半数をかろうじて掌握。 盧泰愚を党首にすえ再建を図る。

2.28 韓国労総の全国代議員大会。下部組織から執行部への批判が相次ぐ。

2月 辛光沫、組織の点検のため韓国に潜入し検挙される。

85年3月

3.02 国営大韓石炭公社で役選をめぐり山猫ストが発生。労働者1千人が坑口にピケを張る。メディアも労働者を支持、4日後に労働者の全面勝利に終わる。

3.18 政府、韓国経営者総連合に対し「低賃金の改善」に協力するよう要請する。

3.29 民主化運動左派の推進母体として、民主統一民衆運動連合(民統連)が結成される.個人参加の民主化統一国民会議と団体参加の民衆民主運動協議会が統合されたもの。24団体、個人会員3万人を擁する運動となる。文益咸牧師が議長に就任。

3月 金泳三の政治活動が全面解禁となる.民推協議長に就任。金大中も民推協を支持する立場を明らかにする。

85年4月

4.16 富平の大宇自動車工場で2千人の労働者が技術研究所を占拠、9日間にわたるストライキに入る。金宇中会長の決断で17%の賃上げを実現する。基幹となる重工業の部門でも労働運動が活発化する。指導者は大学中退者の李永杓だった。この後政府は中退学生を厳しく取り締まるようになる。

4月 全斗煥が訪米。レーガンは「88年の政権交代を歓迎する」と発言し、政権居座りを拒否。

4.17 全国学生総連盟が発展改組され、「4月革命と光州民衆闘争の伝統」を受け継ぐ全国学生総連合(略称は同じく全学連)が10年ぶりに再建される。全国62の大学を結集。

85年5月

5.14 憂国の詩人、尹東柱の墓が40年ぶりに確認される。

5.17 光州事件5周年を記念して「軍事統治決死反対」闘争を展開。29大学から1万人を結集し「光州事件の真相究明および責任者処断」を求める。この集会で急進派学生により「民衆の解放・民主の争取・民族の統一」という「三民理念」が提起される。(一説に80大学 3万 8000人)

5.23 「三民闘」(民族統一,民主争奪,民衆解放闘争委員会)学生約70人が,ソウルのアメリカ文化センターに乱入.光州事件の謝罪を要求して占拠.4日後に自主退去.この後,三民闘内部での主思派の影響が強まる.

5.31 新民党、憲法改正特別委員会の設置を求める決議案を提出。野党第2党の国民党もこれに同調。全斗煥と与党・民主正義党(民正党)はこの提案を拒否。

5月 尹国防相、国家国防委員会で光州事件の死者は198人だったと報告。民衆の間に流布する2千人死亡説を強く否定。

85年6月

6.17 金泳三と金大中が会談。民主化を要求する共同声明を発表。

6.24 ソウルの九老工業団地で、大宇アパレルを中心とする同盟ストライキが発生。学生活動家とそのOBは、労学連帯を唱え労働現場へ進出。元学生のシム・サンジョン、九老輸出産業工業団地でストライキを組織した後逃亡。首に懸賞金500万ウォンがかけられる。

6月 政府当局、学生運動の動向を発表。1年間で大学内での行動が3800回、参加学生は延べ98万人、検挙者は9千人と発表。

7月 学生の農村奉仕活動に2600人が動員される。

85年8月

8.11 政府、学生運動の「予防」と活動家学生の「善導」を柱とする「学園安定法」を作成。議会への提出を図る。民統連の反対運動を受け、1週後に国会上程を断念。

8.19 政府労働部、大学出身の労働者をすぐさま解雇できるよう就業規則を改正するよう通達。

8.21 朝鮮日報、「学生運動出身の労働運動家は3月の50人から急激に増加。7月末には230人、8月に入って400名に達した」との公安情報を報道する。

8.22 南北朝鮮赤十字会談,離散家族と芸術公演団の相互訪問で合意.

8月 解雇された労働運動家などを中心にソウル労働運動連合(ソ労連)が結成される。大宇自動車のあるインチョンにも仁川労連が結成されるなど、労働運動が活発化。

8月 ソウル大民主化推進委員会事件が発生.当局は全学連指導部に集中的な取締り。指導者の金永煥(当時ソウル大法科4年)は地下に潜行.

85年9月

9.05 北朝鮮の許タン副首相がひそかにソウルを訪問.全斗煥と会見.

9.20 南北離散家族のソウルー平壌相互訪問が実現。故郷訪問団などがソウル、平壌を相互訪問。

10月 三民闘、「軍部打倒、民衆、民主、民族統一憲法闘争委員会」と改称し、憲法改正を前面に掲げるようになる。

11月 アメリカの対韓市場開放圧力に抗議する学生が、ソウルの米商工会議所を占拠。

85年12月

12.02 急進派市民運動の「民主統一民衆運動連合」(民統連)が中心となり、「民主憲法戦取委員会」を結成。労農運動と結合した改憲運動を提起。

12月 新民党議員12人が政府・与党の切り崩しに会い離党。あらたに民衆民主党を結成。

85年 韓国経済,プラザ合意後の円高ドル安が追い風となり三低好況(低金利・低原油価格・ドル安)に入る.企業別売り上げでは重厚長大産業中心の現代に代わり、ハイテク企業中心の三星が首位に立つ。

  

1986年

86年1月

1月 北朝鮮の強い反対を押し切り、米韓合同演習「チームスピリット」を強行。この後1年にわたり南北交流は途絶える。

1月 キム・ヨンファン,「米帝スパイ朴憲永から私たちは何を学ぶだろうか」を,「鋼鉄」のペンネームで発表.「鋼鉄書信」シリーズの第一号となる.その後「首領論」,「品性論」などを発表し,学生のあいだに人生論的色彩の濃い独特の「主体思想」を持ち込む.

主体思想派(IT=identityの略)の実態
短波ラジオで北朝鮮「救国の声」を聞く「音楽感想」が日常活動の柱.金日成を「将軍様」と呼び,「品性論」が重視され,「総和時間」には自我批判と称し,つまらない恋愛談まで打ち明けることが流行.
「首領論」が重視され,全大協・韓総連議長は数多くの射手隊が保護.射手隊が“議長様いらっしゃいます”といえば,連帯会議に参加した第一,第二世代のベテラン運動家なども,身動きもせず立ち上がらなければならなかったという.

86年2月 改憲要求署名

2.04 全学連大会。改憲要求署名運動推進本部を設置する。

2.04 大宇自動車社と日産自動車,商用車の生産で技術供与の契約.

2.12 フィリピン革命に刺激された野党第一党の新韓民主党(新民党)と大衆組織「民主化推進協議会」(民推協)、大統領の直接選挙を柱とする「改憲要求一千万人署名」運動を開始。運動母体として憲法改正推進委員会が各地に支部を結成し全国運動を展開する。

2.13 警察当局が新民党本部と民推協事務所を強制捜索。金泳三は「独裁政権のドミノ倒しが始まった」と訴える。全斗煥政権は1千万人署名運動に対抗して「第五共和国体制の死守」を呼号する。

2.14 警察当局、民推協議長金泳三を自宅軟禁処分に処す。

2.16 各地方に署名運動の支部が次々と結成される。

2.17 警察当局、崔新民党副総裁ら民推協の幹部70人を強制連行する。

2.20 新民党が中央常任委員会の後、憲法改正推進委員会総本部の発足式の挙行を図る。警察は新民党本部を封鎖し、李敏雨総裁など幹部275人を軟禁.ニューヨークタイムスは「国民の直接選挙要求の声が弾圧されてはならない」と批判。

2.24 全斗煥、新民党と韓国国民党の党首を官邸に招き会談。「現憲法絶対死守」の方針を捨て、「国民が望むなら89年に改憲が可能」と提案。また警察による改憲署名への防害を今後是正すると述べる。

2.24 ソウル地検、マルクスレーニン主義党を設立しようとしたとして、学生・労働者27人を逮捕、74人を指名手配。逮捕された学生たちは、身分を隠して労働現場に入り、「地域労働者連盟」の組織化に動いていた。

2.25 フィリピンでマルコス政権が崩壊.政府はマスコミでの報道に強い圧力。金大中は外国紙のインタビューで「フィリピンで起きたことが韓国で起こりうるかどうか尋ねられる。問題は“かどうか”ではない。問題は“いつ”か、そして“どのように”かである」と語る。

86年3月

3.01 与野党党首会談。全斗煥は改憲を認めたものの、ソウル五輪後まで議論を凍結するよう主張。

3.07 新民党と民推協、「難局打開のための民主化日程」を発表。全斗煥の89年改憲提案を拒否し、①86年秋までの改憲、②87年秋までに大統領選挙を要求。③「新政府の下でのソウル五輪」を訴える。

3.10 日本人留学生稲葉裕さん,北朝鮮スパイ容疑で逮捕される.韓国ソウル地裁は国家保安法違反で懲役7年の実刑判決.

3.11 改憲推進委員会の地方支部がソウルで結成される。そのご釜山、光州、大邱、大田、清州などでの結成が相次ぐ。「結成大会」を名目とする大衆集会が開かれ数万の市民が結集する。

3.13 北朝鮮に拉致されていた崔銀喜と申相玉、ウィーンで脱走に成功。アメリカ大使館に駆け込む。

3.17 李敏雨、金泳三、金大中が民統連(文益煥議長)、韓国キリスト教会協議会、カトリック正義平和委員会と会談。一政党4団体で「民主化のための国民連絡機構(民国連)を設置することを決める。

3.28 高麗大学で教授28人が改憲署名。その後全国29大学783人が改憲要求に署名する。

署名といっても容易いものではなく、当局の監視と密告を避けながら密かに連絡をとって抜き打ち的に発表するのである。発表後はさまざまな弾圧や迫害を受け、辺境に追いやられたり、国際会議への出国不許可、研究費のカットなどの不当な懲戒が今なお続いている。(萩原遼)

3.30 民国連の地方支部結成大会が各地で成功。光州では30万の市民が大会後のデモに参加し、光州事件以来最大規模のデモとなる。釜山、大邱、仁川、馬山でも住民が集会場に当てられた市の中心部を埋め尽くす。

3.31 全大統領、ふたたび三党首会談を呼びかけ。「国会で与野党が合意し提議すれば、任期中にも改憲する用意がある」と発言。野党の切り崩しを狙う。

3月 NL派がフロント組織として「反米自主化・反ファッショ民主化闘争委員会」(自民闘)を結成。これに対しPD派は「民民闘」(反米反ファッショ民族民主闘争委員会)を結成し対抗。

NL派はこれまでの民族民主主義革命(NDR)の路線を批判。反帝・民族解放の課題の意義を強調。新民党と協力して大統領制直接選挙の実現を目指す。機関誌「解放宣言」を通して全国へ影響を拡大。文によれば、韓国の反封建性の強調、北朝鮮民主基地論など北朝鮮の路線を受容。さらに主体思想を組織・思想統一の基礎とするよう主張。
これに対し反NL派は「新植民地国家/独占資本主議論」を唱え、
軍事独裁政権、およびそれと結託している独占資本を打倒することが先決であると主張。実践的には直接選挙制改憲よりも新たな制憲議会(Constitutional Assembly)の召集を求めたため、CA派(後にPD派)と呼ばれる。

3月 李基百国防相主催のパーティーで若手の現役将軍たちが与党議員を殴打。乱闘に発展する。権力内で張世東安企部長ら全斗煥直系グループ、盧泰愚を中心とする民正党グループ、軍部の若手実権派グループに対立が露呈。

3月 国務省のシグール東アジア担当次官補(前大統領特別補佐官)などが相次ぎ訪韓。与野党指導者と会見し、民主化運動が反米運動に発展しないよう調整を図る。シグール次官補は、「米国はアジアの友邦国が国民のもとめる政府を樹立し、民主改革を行なう問題に少なからぬ関心を抱いている」と語る。

86年4月

4.02 ワインバーガー国防長官、米韓安保協議会のため訪韓。全斗煥政権に圧力をかける。

4.05 大邱で学生の民主化要求デモ。学生の一部は「買弁政権と米帝国主義に結託したオポチュニスト集団」と新民党を非難。

4.16 米下院アジア・太平洋小委員会が「韓国の政治発展と人権」に関する公聴会を開催。「国民の対政府請願権は基本的人権であり、力による抑圧は政治の不安定を招く」との結論。

4.19 学生革命記念日の統一行動。高麗大、延世大、ソウル大などで「前線入営反対」闘争。前線部隊での強制軍事訓練に反対する学生が「米国の傭兵化拒否」を叫び機動隊と衝突。

4.28 ソウル大の学生金世鎮が「入営訓練決死反対」を叫び、ガソリンをかぶって焼身自殺する。これに続き李載虎が焼身自殺をはかり重傷。学生は「米軍の雇い兵になる軍事訓練反対」を掲げて闘争を展開。

4.29 民国連代表の金大中、「学生の闘争は支持するが、反米・反核・解放論理など一部の左傾化激理論に立脚した闘争は支持できない」と述べる。在野民主勢力は一斉に反発。

4.30 全斗煥、ふたたび三党党首を招いて会談。「与野党が国会で憲法改正案と改憲日程で合意し、その旨提案すれば反対しない」と述べ、任期満了以前の憲法改正に応じる可能性を示唆する。新民党の李敏雨総裁が「合意改憲」路線を受け入れる立場を表明したことから、民主化勢力との間に亀裂を生む。メディアは「保守大連合」や「大妥協」などのキャンペーンを一斉に開始する。

4月 ウォーカー駐韓大使、初めて金泳三民推協議長と会見。

4月下旬 全大統領が西欧諸国を歴訪。西独政府は人権抑圧に対する懸念を表明。

4月 ソウル大学で総学生会の選挙。「反米自主化・反ファッショ民主化闘争委員会」(自民闘)系候補がチームスピリットの中止と米核基地の撤去を訴える。当局は学生二人を国家保安法違反の容疑で全国に指名手配。いっぽうで、「反帝・反軍部・反ファッショ・民族民主闘争委員会」(民民闘)が結成され、民族解放・民衆民主主義革命(NLPDR)を唱える。

86年5月

5.01 文益煥牧師ら民統連と傘下23団体、新民党と金大中の態度に不満を示し、民国連からの脱退を決定。

5.03 仁川民衆闘争(仁川事態)が発生.新民党の改憲推進京仁支部結成大会を前に、学生が機動隊が衝突。火炎瓶と催涙ガスの応酬となる。学生に青年労働者も合流し、道路にバリケードを築き市街戦となる。スローガンには社会主義を支持する内容も含まれていたという.新民党は当局による「やらせ騒乱」と非難。

仁川事態には諸説ある。萩原遼氏(世界政治)によれば、主催は新民党ではなく民統連。集会は10万人を結集したが、その中に挑発分子数千人が紛れ込み、市街戦を展開した。全斗煥政権は極左・容共の民統連が背後操縦したとして文益煥議長ら幹部7人を逮捕し11人を指名手配した。この後半年間に逮捕者総数は63人に上った。

5.03 サッチャー首相が韓国を訪問。全大統領との会談後、韓国の民主化に大きな関心を持っていると語る。

5.06 カトリック正義具現全国司祭団、「民主化、人間化の福音を宣布する」との宣言を発表。仏教僧侶152人も「民主化は浄土の具現である」との声明を発表。

5.08 シュルツ国務長官が韓国を訪問。平和的政権交代の構想を支持。「改憲問題は国会での自由な討議と妥協を通じて収拾されることを望む」と発言。これに対し金泳三、金大中ら新民党指導者は与野党大妥協構想を拒否。「韓国の民主化は我々の力で成し遂げる。米国は独裁政権への支援をやめるべきだ」と反発。

5.09 韓国仏教界最大宗派の曹渓宗で、指導者152人が、民主化実現と人権尊重をもとめる時局宣言を発表。また学生運動に対しても「容共」と決め付けて弾圧するのは正しくないと批判。

5.15 新民党、仁川事態は「2千人の学生を装った当局側の怪漢による工作の疑いが強い」との調査報告を発表。その後活動の舞台を街頭から議会内へと移す。大衆運動は一旦終息。

5.15 民政党の盧泰愚代表、「大妥協」工作を開始。新民党に対し国会内での話し合いを呼びかける。

5.23 ソウル大学「三民闘」(民族・民衆・民主争取闘争委員会)の学生72人が、アメリカ文化センターを占拠。二階図書室に籠城。①光州事件の責任を認め謝罪せよ、②全斗煥政権支持をやめよ、と訴える。新民党首脳部は「治安当局に弾圧の口実を与えかねない」とし不支持を表明。

5.27 金泳三、金大中の合意を得たとして憲法改正特別委員会に参加する意向を表明。

6.03 全斗煥と李敏雨が青瓦台で会見。全斗煥は「与野党が妥協して合意できるなら、憲法改正は早ければ早いほどよい」と発言。

7.30 与野党の合意のもと、国会内に憲法改正特別委員会が設置される。新民党は「合意改憲」にスタンスを移す。

7月 富川署の刑事が元ソウル大学学生の権仁淑さんに性的拷問を加えたことが明らかになる。民統連を中心に糾弾闘争が展開される。

86年8月

8.02 全斗煥の意向を体した新・国立中央博物館、旧総督府を改造して開館。

8.04 新民党、大統領直接選挙制を骨子とする改憲案を発表。

8.15 光復41周年記念集会。全斗煥は、「36年にわたる亡国の歴史を考えるとき、今も過去の日本帝国主義の野蛮な侵略に対する憤怒を拭い去ることができない。異民族の圧制は、わが同胞にこれ以上ない苦痛と恥辱をもたらしただけでなく、結局は民族分断の根源になっている。祖国統一は未完の光復を真の光復として完成するための民族の悲願である」と語る。

8.19 与党民正党、「議院内閣制改憲案」を発表。大統領制からの移行により長期政権を狙う。新民党は態度を硬化。李敏雨は全斗煥が延命を狙うなら、「私ならびに我が党の運命をかけた重大な決定を下す」と批判。

8.30 新民党が釜山の洛東江河川敷で民主改憲推進大会を開催。5万人の市民が参加し大統領直接選挙制を要求する。演説した金泳三は「9月末までに合意改憲が成立しなければ、新民党は与党との対話を放棄して国民と共に民主化闘争を始める」と宣言。

86年9月

9.02 両金が合意改憲路線と事実上決別し、直接選挙制を再び主張。在野勢力との会談を行う。

9.05 藤尾文相,『文芸春秋』で「日韓併合については韓国側にも若干の責任がある」と述べる.朝鮮日報は「強盗にあったのは被害者が戸締りをしなかったからという犯人の強弁と同じ」と非難。中曾根首相は辞任を拒否した藤尾文相を罷免.

9.06 民主言論運動協議会の宋建ホ議長、機関紙マル誌上で文化広報省による報道管制の存在を暴露。

9.14 金浦空港爆弾事件が発生。5人が死亡、19人が負傷する。政府安本当局は「ラングーンと同じく北傀の犯行」と発表。実際には反政府勢力への弾圧を狙った軍内強硬派による謀略だったといわれる。

9.15 たまたま現場に居合わせた北海道新聞の武田特派員が事件をスクープ。事件後の一連の経過は軍のやらせであったことを示唆する。

9.16 金浦空港爆破事件との関連で111大学に一斉捜査。火炎ビン15本、ビラ多数を押収。ソウル市警は学生の技術水準では製造困難と発表。

9.20 ソウルで第10回アジア競技大会が開催される。中国からも代表団が参加。開会式には光州事件の虐殺者集団である特戦団がパラシュート降下のパフォーマンス。

9.22 北朝鮮、漢江上流に国内最大規模の金剛山発電所を建設すると発表。韓国軍部は、このダムが決壊すればソウルは水浸しとなると反発。

9.29 新民党の李敏雨総裁と金大中・金泳三が会談。新民党の改憲案固持の線で合意。李敏雨は憲法改正特別委員会の活動を中断すると声明。

9月 韓国中央大学で意識調査。回答者の70.4%が韓国の核基地化に反対。

86年10月 全斗煥による弾圧の嵐

10.02 李敏雨と両金、民統連幹部と会談。全斗煥の永久執権陰謀を阻止することで合意。

10.06 アジア大会が終了。当局はこれを機に「容共左傾派」に対する摘発作戦を開始。

10.10 ソウル大学に「民主朝鮮」紙のコピーが張り出される(民主朝鮮は北朝鮮の政府機関紙)。これを契機に安企部と治安当局が学生組織内の「容共左傾派」に対する一斉摘発を始める。

10.13 ソウルで金剛山ダム決死阻止を叫ぶ10万人集会。政府機関が全国に総動員をかける。

10.13 新民党の金弦圭議員、「現政権はこれ以上存続する価値と資格なのない政権」と演説。これに反発した与党議員が一斉退場。

10.14 新民党の喩成咸、議会で「韓国の国是は反共ではなく統一であるべきだ」と演説。公安はこれを「容共発言」であり国家保安法違反とし逮捕。新民党がこれに抗議しなかったことから、学生の憤激を呼ぶ。

10.18 全国労連推進委員会に対する弾圧。

10.20 政府、30団体1万人を容共左傾分子として調査中と発表する。民統連などに対し一斉弾圧。指導者が検束される。

10.28 建国大事件が発生.ソウルの建国大学を会場に、民族解放(NL)系の主導する「全国反外勢・反独裁愛国闘争連盟」の結成大会。警察はこれを「共産暴力分子」と決め付け、機動隊8千人を動員して弾圧。学生2千人は4日間にわたり屋上で座り込みを続ける.

10.30 朴ヒョン圭牧師、祈祷会で建国大学事件に触れ、現政権を「サタンの集まり」と呼んだとして逮捕される。韓国キリスト教会宣教委員会は、治安当局の捏造と非難する声明。

10.31 首都警備政令部直属の兵士3万をふくむ数万の戦闘警察が、建国大学に突入。火炎弾を使用しヘリコプターまで使い学生を虐殺。この事件で学生1500名が連行され、1287人が国家安保法違反の容疑で拘束される.

86年11月 

11.06 李国防相、北朝鮮が建設する予定の金剛山ダムは、ソウルを水攻めにするための秘密兵器だと攻撃。「工事を強行すれば、自衛措置をとる。すべての結果は北側が負わなくてはならない」と警告。 

11.07 ソウル労働運動連合など14の労働者組織に対し解散命令。仁川事態の責任を問う。

11.08 民統連に解散命令。そのほか全国40の民主団体に即時解散命令が出される。

11.12 ソウル市警が民統連本部に立ち入り。封鎖処分を強行。

11.14 新たな米大使としてCIA幹部のジェームス・リリーが着任。新民党切り崩しに精力を注ぐ。

11.16 韓国メディアに「金日成が銃撃され死亡」との説がいっせいに流される。軍事境界線上で北側の拡声器が伝えたとされるが、証拠テープ等はなし。日本のマスコミもこれに追随。

11.17 韓国国防省スポークスマン、金日成が死亡との情報を発表。李国防相は国会で「北の異変」について報告。政府は甲号軍事非常警戒令を発し、韓国軍は準戦争準備体制に入る。在韓米軍は「死亡について確認できない」と声明。翌日には外国要人を迎える金日成の写真が発表される。

11.29 ソウルで開催予定だった改憲大集会は当局の手で流会となる。

11月 金永煥,「民族解放労働者党」事件で逮捕される.国家保安法違反罪により懲役3年6月の判決.

86年12月

12.24 新民党の李敏雨委員長、「①言論の自由、集会・結社の自由、②政府・公務員の中立、③地方自治の実施、④公正選挙の保証など7項目の民主化要求を全斗煥政権が受け入れるなら、内閣責任制による改憲を検討しても良い」と述べる。米国務省筋の働きかけを受けたもの。。金大中と金泳三は事前の相談を受けていなかった。

「新東亜」誌は、「李敏雨の息子がソウル近郊で養鶏場を経営していたが、3億ウォンの不渡りを出した。そして拘留されている。…(李敏雨が)息子の事件と結びつけて政府与党と野合するのではないかと見る人もなくはない、と解説している。

12.24 金大中と金泳三は緊急に会談を開き、李敏雨発言を真っ向から否定する談話を発表。新民党は議会内闘争に戻ろうとする李敏雨委員長派と、大衆抗議を続けようと主張する金泳三=金大中派に事実上の分裂.メディアは「李敏雨構想」を「先民主化論」としてともてはやす

12月 民主言論運動協議会の金泰弘事務局長らが国家保安法違反で逮捕される。

86年 韓国経済が空前の好況。壇君景気と呼ばれる。プラザ合意後の「三低」(ドル安、原油安、国際金利安)に支えられ、GDP成長率は12.2%、貿易収支はかつてない40億ドルの黒字。日本製品のシェアを食う形で対米輸出を増大。しかし対米黒字74億ドルに対し、対日貿易は54億ドルの赤字となり、対米黒字を日本に吸い上げられる形となる。また民間主導の経済成長であったことから、国家の介入や統制への懐疑が拡がる。

 

1987年

87年1月 ソウル大学学生虐殺事件

1.14 デモに参加したソウル大学学生朴鍾哲,新林洞の下宿屋の前で警察(南営洞大公分室)に連行され取調べを受ける。拷問により死亡。

朴鍾哲(パクジョンチョル): 当時22歳。釜山生まれ、ソウル大学言語学科の3回生。ソウル大「民主化推進委員会」事件で逃亡中の先輩(朴鍾雲)の所在を尋ねられたが、返答を拒否。水拷問や電気拷問を受けて死亡。尋問にあたったのは治安本部の対共産活動捜査局とされる。
当初、
治安本部長は「机をパンと叩いたら、“あっ”と叫んで死んだ」と発表。単純なショック死としてモミケシを図る。しかし,まもなく検死医の証言で真相が明るみに出る.さらにカトリック正義具現司祭団の調査によって、政府が虚偽の発表をした事実が明らかになる。

1月 新聞各紙は警察による拷問・虐殺とモミケシ事件を大々的に報道.抗議運動が広範に拡大.民主化運動のさきがけとなる.オリンピックを控えた政府は強硬手段をとれず.

1.15 金泳三が李敏雨と会談。李敏雨構想の白紙化で合意。リリー大使は遺憾の意を表明。

1.20 全斗煥、学生虐殺事件に関連して内相と治安本部長を更迭。鄭鎬溶陸軍参謀総長を内相に起用。鄭は全斗煥、盧泰愚と並びクーデターの三羽烏といわれる実力者。光州事件では特戦隊の司令官として民衆虐殺を直接指揮した。

1.28 韓国国防当局,北朝鮮が「スカッド-C」の秘密のテストを行ったと発表.

1月 米上下両院合同経済委員会、「韓国経済の成長の原因と問題点」を発表。①労働権や職場の安全などが保障されていない。②防衛費がGNPの6%に達する、③対外債務が膨大で、GNPの50%に達するなどの問題点を指摘。また「米貿易界や企業有力者にはソウルに対する報復を叫ぶ声が満ち満ちている」と述べる。

1月 北朝鮮、「チームスピリット87」が実施中であるにもかかわらず、1年ぶりの交渉再開を提案。とくに軍事問題に焦点をあわせた「南北高級政治軍事会談」を提案する。全政権は事実上提案を無視。

87年2月

2.06 シグール米国務次官補、米韓協会で講演。李敏雨取り込みを念頭において「合意を通じた改憲」を主張する。これにより李敏雨構想が再び浮上。

2.07 朴鍾哲の国民追悼大会。民統連と民主化運動青年連合(民青連)が主催。デモは戦闘警察により封じ込められる。

2月 韓国の進歩女性団体が結集し、韓国女性団体連合を創設。

87年3月

3.03 民統連の主催で平和大行進が行われる。朴鍾哲の虐殺糾弾を掲げるが、一般市民の参加には至らず。

3.06 シュルツ米国務長官、中国訪問の後韓国に立ち寄り、李敏雨構想を高く評価する発現。また対北関係については「北側提案を慎重に検討し、対話を再開するよう」促す。これを受けた韓国政府は赤十字・経済会談を再開するよう提案。

3.06 シュルツ発言を受けた李敏雨、自らの構想は白紙化されていないと発言。これに対し新民党総裁団会議は大統領直選制は党論であることを改めて確認。

3.12 金泳三と金大中、李敏雨退陣と金泳三擁立を求める署名運動を開始する。議員90人のうち70人がこれを支持。

3.13 金泳三による李敏雨説得が不調に終わる。金泳三は「直選制と民主化を分けるのは誤りであり、独裁制の免罪につながる」としてこれを批判。

3.31 両金と李敏雨の三者会談。李敏雨構想の撤回と李哲承・李宅煕ら与党派幹部の懲戒処分で合意。

87年4月

4.04 新民党内の与党派は暴力分子数百人を動員し、懲戒反対を叫んで新民党本部を占拠する。

4.08 金大中と金泳三、分裂工作に内応する新民党幹部と決別し、新野党を結成すると宣言。

4.09 新党結成準備委員会、①大統領直選制を含む改憲、②非暴力の民主化闘争、③南北平和の実現、④勤労者と中産階級が支持できる健全な政党、などを柱とする政策を発表。党名を「統一民主党」とする。新民党議員90人のうち74人が新党参加の意思を表明。

4.09 民政党の盧泰愚代表、「野党の分裂により、これまで模索してきた合意改憲は不能となった」と述べ、議院内閣制を拒否するだけでなく、改憲交渉そのものを打ち切る態度を明らかにする。これにより、次期大統領選挙は現行憲法にのっとって大統領間接選挙人団による間接選挙で行われることとなる。

4.10 在野民主団体代表、「鮮明な民主化の旗を掲げた新党の創設」に全面的な支持を表明する。

4.13 全斗煥が特別談話を発表。「88年2月までの大統領任期内の改憲は不可能である」と断言しオリンピック後まで改憲論議を凍結する。理由として「野党が大統領直接選挙制だけに固執し一切譲歩しないため」と開き直る。さらにいかなる改憲論議とデモ、篭城などの集団行為も禁止する「護憲措置」を発表する.

4.13 新民党離党組73人の議員を中心に「統一民主党」の発起人大会開催。金泳三を委員長に選出。

4.15 全国経済人連合会・大韓商工会議所・韓国貿易協会・韓国経営者総協会・中小企業協会組合中央会などが相次いで、「4.13護憲宣言」を支持する宣言を発表。

4月 アメリカ政府、「全斗煥が大統領就任時に“任期7年の1期のみ”という公約を掲げ、平和的な政権交代を確約したことを高く評価する」と声明。その公約を実現するように圧力をかける。また北緯38度線は在韓米軍が監視していることを再び確認させ、北朝鮮の侵攻を政治的に利用しないように注意。さらに韓国軍は政治に介入するのではなく、国を守るのが任務であるということも再確認させた。

87年5月

5.01 統一民主党の結成大会。新民党議員66人をふくむ700人の代議員を結集。金泳三が党首に就任.「民族統一」を党是に掲げる。合法活動を許されない金大中も,金泳三の新党に結集.

5.18 光州事件7周年を記念する民主化闘争が各地で盛り上がる。ソウルの学生集会には全国62大学が結集。

5.18 カトリック正義具現全国司祭団、朴鍾哲殺害の犯人は捕らえれれた二人の警官だけでなく、さらに3人いること、警察・検察当局は事件の隠蔽工作を行っていると発表。

5.18 富平で「仁川地域民主労働者連盟」が結成される。魯会燦(ノ・フェチャン)の指導の下に「ネクタイ部隊」も組織される。

5.18 夕刻6時30分 ソウル明洞聖堂で、光州抗争7周年犠牲者らを追悼するミサ。カトリック正義具現全国司祭団代表のキム・スンフンが、朴鍾哲の虐殺事件の「真相」を公表。衝撃の事実の前に国民的な怒りが巻き起こる。

5.26 全斗煥、大幅な内閣改造を実施。政局乗り切りを図る。盧信永内閣が総辞職し、民正党後援会長の李漢基が後継首相となる。同時に権力を支えてきた張世東安企部長、鄭内相も辞任。大幅改革を唱えてきた盧泰愚の主張を受け入れたもの。

5.27 統一民主党など野党勢力,在野の民主化勢力と連帯し「民主憲法奪取国民運動本部」(国本)を設置.6月10日の民正党大会にぶつけ、全国22都市で「拷問・殺人・隠蔽糾弾、護憲撤廃、汎国民大会」を開催すると発表。
 

民主憲法奪取国民運動本部: 民主化推進協議会308人を中核として、宗教者、教育者、ジャーナリスト、民主統一民主運動連合、民主化実践家族協議会などの代表2200名が発起人となる。顧問には金泳三、金大中、のほか金寿煥枢機卿、咸錫憲師、文益煥の5人。大都市だけでなく市、郡、区まで地域支部が置かれ運動を指揮する。

5.27 全斗煥、「6.10抗議運動」は6万の戦闘警察で鎮圧すると述べる。

87年6月 6月民衆抗争

集会・デモの参加数は文献により相当の食い違いがある。主催者側も相当水増しをしており、ここでは併記するしかない。またかなり疑わしい数字については(?)を付けた。

 

6.08 汎国民大会を前に、催涙弾と棍棒で重武装した戦闘警察がソウル市内の要所を埋め尽くす。

6.09 延世大経営学科二回生の李韓烈(光州出身20歳)、”汎延世人総決起大会”に参加して校門前まで進出。戦闘警察が放つSY44催涙弾に後頭を撃たれ意識不明の重体。7月5日に死亡。

6月10日 第一波行動

6.10午前 戦闘警察、国本の汎国民大会の会場とされた市庁前聖公会聖堂を封鎖。聖堂の外に数万の人波が集まり始める。

6.10 蚕室体育館で民正党大会が開かれる。全斗煥が盧泰愚を後継大統領候補に指名.しかし直接選挙については拒否.

正午 明洞聖堂で、42年の独裁打倒を祈願する鍾が42回鳴らされる。

午後5時 ソウル市内各大学の学生が会場に向かう。市外で機動隊と衝突しながら前進を続ける。

午後6時 国民運動本部が組織した「ソウル大学生拷問死糾弾/4.13措置撤回」の大集会、市内中心部太平の大韓聖公会ソウル大教区で開催。5万人(?)が結集。全斗煥は会場を封鎖して集会押さえ込みを狙ったが、参加者数の多さに手出しできず。

午後6時55分 会賢洞の地下鉄4号線会賢駅付近で街路を占拠したデモ隊2千名は、投石戦の後で警察の阻止線を突破。ソウル駅方面に向け行進を開始。戦闘警察40余名が示威隊に取り囲まれて武装解除される。

午後7時30分 新世界百貨店の前に集まった学生2千人を戦闘警察が阻止、激突となる.周囲は催涙ガスが立ち込める。

深夜 学生の多くが明洞聖堂に集結。道路をバリケードで封鎖し機動隊と対峙。そのまま明洞聖堂に籠城する。

6.10 国本の集計では、示威参加者は全国22都市、104ケ所で、24万名(警察発表4万名)を超える。内訳はソウル5万人、馬山3万、光州2万、大田2万など。警察は4100名(同3381名)を逮捕・連行する。

 

6.11朝 明洞聖堂前の広場に数千人が集まる。一帯は解放区の様相を呈する。

6.11 反軍政の市民行動が各地に拡大.民政党の直接選挙拒否決定と,朴鍾哲虐殺糾弾集会への弾圧に抗議する.33の都市でデモ.参加者は70万人(?),連行されたもの1万数千人に及ぶ.

6.12 ソウル教区庁所属の聖職者が緊急会議。「学生たちの民主化闘争を積極的に支持し、ともに参加し、最後まで保護する」との方針を決める。

6.15 韓国カトリック教会のトップである金寿煥枢機卿、「もし聖堂突撃をあえて行うならば、聖職者たちは警察の前に身をなげうつ用意がある」と声明。

6.15 59の大学が参加し、全国統一行動。大田、釜山、大邱で最大規模の集会となる。

6.17 政府、甲号非常警戒令を無期限延長すると発表。

6月18日 第二波行動

6.18 国本、李韓烈の負傷に抗議し催涙弾追放大会を開催。20万人を結集。「中央日報」は「大学生を中心とするデモ事態は全域的に拡散し、事態はまさに4.19前夜をほうふつとさせている」と報道。

6.18 学生たちは「催涙弾追放の日」と銘打って全国統一行動。全国99大学のうち56大学が行動。4万6千人の学生が参加する。14の都市で激しいデモが展開される。

6.18 釜山のデモは10万人(?)規模となり、釜山駅付近の幹線道路は約4キロにわたり学生に占拠され、6時間のあいだ通行不能となる。警察は火炎瓶攻撃の前に一時鎮圧を放棄。大田でも大規模な学生行動。

6.18 米議会、全斗煥を非難。憲法改正について政府と野党の対話を要請する決議。ケネディ上院議員らは、対韓経済制裁を求める決議案を議会に提出。

ソウル中心部の高層アパートの人々は一斉に消灯してデモ支援の意思を表明。数100台のタクシーやバスが一斉にクラクションを鳴らし支持表明。教会やお寺の鍾が一斉に鳴り、街頭を行く人々が拍手を送り、ハンケチを振った。ネクタイ姿のサラリーマンが昼休みにデモに参加し、時間になると会社に飛んで帰った。(ハンケオク「韓国反共軍政と民主化」より)

6.19 李漢基総理、「非常措置も辞さず」との声明を発表。軍の出動やクーデターのうわさが流れる。

6.19 レーガン大統領、ジェームズ・リーリ駐韓大使を通じて全斗煥に親書を送る。ニューヨークタイムスによれば、レーガン政権は街頭デモに過剰反応しないよう韓国政府にもとめたとされる。

6.20 ダーウィンスキー国務次官がソウル入りし、各界幹部と対談。

6.20 国民運動本部、4・13護憲措置の撤廃を要求する声明を発表。「軍による弾圧には屈しない」と述べる。

6.20 米オリンピック委員会のミラー理事長、「危険地帯への選手の派遣は考えられない」と述べ、ボイコットを示唆する。

6.20 光州で夜間のデモ。20万人(?)がデモに参加し、80年5月の「光州事態」が再現される。

6.23 治安本部、10日以来の全国の騒乱状況を報告。デモ参加者は延べ70万人。派出所など建物の放火・破損が189箇所、負傷警官5493人、警察車両焼き討ち・破壊が78台。当局は1万2千人を連行、三百数十人を逮捕。

6.23 ガストン・シグール国務次官補が、米政府特使としてふたたびソウル入り。全斗煥との直接交渉で、戒厳令の発動や軍部介入に対して反対の意向を明確にする.これを受け、全斗煥は金大中の自宅軟禁の解除と拘束者の釈放を決定。

ガストン・シグール: 前国家安全保障会議のスタッフで、フィリピンの民主化の際にマルコス大統領の脱出作戦を指揮したといわれる。今回の訪韓時は民主化宣言から12月大統領選挙までを含む収拾のシナリオを携えてきたとされる。

6.24 国防相の主宰で全軍重要指揮官会議を開催。非常時の対応を協議。

6.24 全斗煥、金泳三民主党総裁を青瓦台に招き、事態収拾のための会談。全斗煥は改憲論議の再開を提起。金は議論の前提として、「4.13護憲措置」の撤回を求めるが、全が拒否したため会談は決裂。

6.24 全斗煥、金泳三との会談後に記者会見。戒厳令を含む非常措置の発動を示唆する。

6.25 全斗煥、特別談話を発表。昨日の金泳三との会談で拒否した「4.13護憲措置」の撤回を認める。

6.25 国本、4月20日以来の時局宣言署名が、48大学の1510人の教授、34団体4336人の賛同を得たと発表。

6月26日 第3波行動

6.26 国本の呼びかけで「民主憲法争取国民平和大行進」が決行される.全土33都市、888か所(当局発表は269か所)で30万人(同5万8500名)が参加、最大の盛り上がりとなる。主催者発表で、ソウル3万、光州6.5万、釜山3万、晋州1.2万など。済州島では48年以来のデモとなる。

6.26 全政権は全土に戦闘警察5万8千(内ソウルに2万5千人)を動員し3460名を連行。

6.26 金大中は当日朝より自宅軟禁され、デモに参加できず。金泳三は行進スタートと同時に連行される。

6.26 ソウルでは学生・市民が繁華街やソウル駅で戦警隊と衝突。市内中心部は麻痺状態に陥る。光州では2万人が道路を占拠し、警察のバスを焼き討ち。全国の派出所29ヶ所、警察署2ヶ所、民正党の建物4ヶ所が放火される。戦闘警察はデモに手出しできない状況に追い込まれる。

6.26 全国36大学70人あまりの教授が民主化のための全国協議会を結成。

6.27 昨日に引き続き全土37か所でデモが行われ、18万人が参加する。

6.27 全斗煥,集会・デモの高揚に対し戒厳令施行で応えるよう主張.円満解決を求める軍の大勢から孤立.アメリカも軍事独裁の強化を認めず.在韓米軍関係者が、韓国軍内の将校と接触し、武力介入を行わないないよう説得にあたる。

6.28 全斗煥と盧泰愚が協議。時局収拾と民主化に向けて、8項目からなる「6.29民主化宣言」を発表することで合意。

6.29 盧泰愚大統領候補,「国民大和合と偉大なる国家への前進のための特別宣言」を発表.「6.29民主化宣言」と呼ばれる.
 

民主化宣言: ①大統領直接選挙制、②選挙管理の公明化、③金大中のほか政治囚の赦免・復権、④国民の基本的人権の拡充、⑤言論基本法の改正と言論の自由の改善、⑥地方自治制の実施、⑦政党の健全な活動の保証、⑧社会の浄化、の8項目からなる提案。

6.30 盧泰愚大統領候補が全斗煥大統領と会談。全斗煥は事態収拾の方向について盧泰愚の進言を受け入れる。

6.30 シグール次官補、下院外交委員会で証言。「盧泰愚提案を全面的に歓迎する」と発言する。

6月末 米国五輪委員会、「政情不安のため、ソウル開催の見通しは50%」と表明。ソ連国営テレビも、「ソウル開催が不可能になるかもしれない」と報道。

6月末 治安当局、この半年間で5646回のデモが行われ、延べ参加者は160万人に達したと発表。これは前年同期に比べ回数で4.2倍、人数で4.9倍だとされる。また6月10日以降だけで、全国主要都市中心街900か所、全国103大学のうち79大学でデモが行われたとされる。また警察車両164台、警察官署262か所、公共機関など35ヶ所が焼き打ちに遭った。

 

87年7月

7.01 全斗煥大統領,特別談話を発表.盧泰愚の「民主化宣言」受け入れを公式に表明。一連の「対話」の実体は、盧泰愚が全斗煥の作成した「宣言」を読み上げただけだとされる。(一説にはCIA出身のリリー米大使の作成した台本といわれる)

7.03 金大中、盧泰愚提案は「戦術的転換にすぎない。80年5月を忘れてはならない。楽観や方針は禁物だ」と述べ、警戒を呼びかける。また「挙国過渡中立内閣」の構想を呼びかける。

7.04 金泳三民主党総裁と金大中民推協共同議長が、時局対処のための6項目提案を発表。①候補は必ず一本化する。②党大会での票対決はしない。③80年春のような対立を繰り返さない。④民主化実現まで二人は協力を続ける。との「団結4原則」も提示する。

7.08 リリー駐韓大使が金大中と会談。「誰が大統領に当選しても米国は支持する」と述べる。

7.09 全政権,金大中の赦免・復権措置を発表.大統領選挙で金泳三との離間を図るのが狙いとされる.ほかに2335人が赦免・復権,357人が釈放、270人が指名手配を解除される。

7.09 延世大で李韓烈君の追悼集会。2万5千人が参加する。市内中心部に向け葬儀デモ。隊列は100万人(主催者発表)に膨れ上がる。ついで出身地の光州でも葬儀集会が開かれ、市民20万人が結集する。また釜山では2万人の追悼集会が開かれる。

7.13 盧泰愚がニューズウィークとインタビュー。盧泰愚提案は多くの人、組織と協議した結果だと述べる。

7.19 朴陸軍参謀総長、NYタイムズとのインタビューで、「金大中が大統領選に出馬すれば、不幸な事態が起きるかもしれない」と威嚇発言。

7.25 民主憲法奪取国民運動本部、機関紙で「米国の両金分裂の策動はすでに相当に進展している」と指摘する。

7.27 労働者2万4千人を抱える現代重工業でストライキが始まる。労働者1万2千人が「御用労組退陣」を叫び工場前で座り込みを開始。ストは54日間に及ぶ大闘争となる。

7月 労働者の闘争が一気に拡大(7・8月労働者大闘争).5日の現代エンジン会社の労組結成を発火点とし、2,300の労組が新たに結成され、三ヶ月の間に争議は3300件に及ぶ.政府は労働法の改革を約束.

8.01 高麗大学で第一回全国大学生地域代表者連絡会議が開催される.ソウル地域の大学を中心に95の大学総学生会が加盟する「全大協」の結成を確認.

8.05 盧泰愚が、民正党の総裁に就任。大統領選挙に向けての体制を固める。

8.14 東亜日報の報道によれば、非公式の場で高保安司令官が「金大中が大統領になるのを座視するわけにはいかない」と発言。保安隊長は「金大中が大統領になったら手榴弾を投げる」と発言する。

8.14 現代重工業の「労組改編対策委員会」が労組を結成。李享建を委員長に選出。系列の現代重電機、現代総合木材、現代精工、現代エンジンの5社に結成された民主労組が「現代グループ労働組合協議会」を結成。会社に認知を迫る。

8.17 東亜日報、労働争議の7割以上が「御用労組」を争点としていると報道。

8.18 現代グループ6社の労働者4万人が36時間統一スト。蔚山市内をデモ。

8.21 政府機関の発表によれば、男子労働者の平均時給は165円、女子は116円。労働時間は男子が10.7時間、女子が10.2時間。労働災害による死傷者は年間15万人。さらに会社幹部の妻に労働者の妻が呼びつけられて家事を手伝わされることも珍しくない。

8月 一説によれば、この3カ月で3回にわたり軍出動の計画があったが、アメリカ側の牽制によって中止されたとされる。

9.02 現代グループの労使交渉が決裂。労働者1万5千人が蔚山市内で抗議デモ。一部が市庁舎に乱入したことから警察の介入を招く。

9.04 機動隊が現代グループの労組に突入。李享建委員長ら162人を逮捕する。

9.07 韓国労働省、盧泰愚提案後の労働争議発生件数が3千件を越えたと発表。とくに労働者100人以上の企業では28%で争議が発生している。

9.10 現代グループ、地労委に対して労組の解散命令をもとめる。労組は逮捕者の釈放をもとめる署名運動で対抗。

9.11 盧泰愚提案以後、全国で1060の労組が新たに誕生する。その多くが民主労総に結集。

9.19 現代グループ、組合役選のやり直しと逮捕者の釈放で合意し操業再開される。

9.27 「民主教育の推進をめざす全国教師協議会」(全校協)が発足する。

10.27 憲法改正が国民投票で確定.「第6共和国憲法」と称される。大統領直接選挙制が認められる.任期を7年から5年に短縮,さらに重任は認めないとする.また言論・集会の自由を明文化.大統領の国会解散権,国家非常事態宣布権の廃止が定められる.軍部の政治的中立化や光州民衆抗争の究明などの課題は先送りされ、事実上、大統領選挙の選挙管理法に限定される。

10.30 金鍾秘らが新民主共和党を結成。

87年11月

11.09 民主党が臨時党大会を開き、金泳三総裁を大統領候補に推戴。

11.12 金大中,金泳三と袂を分かち平和民主党を結成.みずから大統領候補となる。

11.19 前大統領首席補佐官の許和平が香港誌に寄稿。「軍部エリートは政治圏外に退くわけにはいかない」と述べる。

11.29 大韓航空機爆破事件が発生.バグダッド発ソウル行きのジェット機が,インド洋洋上で爆破・墜落する.乗員・乗客115人が死亡.全軍が非常警戒令、全警察が甲号非常警戒態勢に入る。15万の警察官、特高隊が全土に配備され、重武装し実弾を装てんした特殊部隊が要所を固める。

11月 憲法成立に伴い、言論基本法が廃止され、とくに新聞についてはほぼ完全な自由化が実現。

12.02 韓国当局,大韓航空機爆破事件の容疑者の金賢姫を逮捕.大統領選を三週後に控えて,盧泰愚陣営は「容共派の金大中に任せれば大変」と反共攻撃.北朝鮮は一切の関与を否定し,「軍政延長のためのファッショ徒党の陰謀」だと逆非難.

12.15 投票前日に、ドバイで捕えられた蜂谷真由美こと金賢姫が、マスク姿でキンポ空港に到着。メディアの報道は「北の蛮行」非難一色となり、親北といわれた金大中に攻撃が集中する。

12.16 大統領選挙実施.野党の分裂に乗じ,盧泰愚が勝利.盧泰愚の得票率は36%、金泳三は28%、金大中は27%にとどまる。金鍾泌は8%。全・盧陣営はこの選挙で2億5千万ドルを使ったという.

12.16 光州市では金大中の得票率は94%に達する。

12.18 不正選挙糾弾デモ。全土26か所で1万8千名が参加し、650名が連行される。またソウルの九老区庁舎を占拠した学生ら1千名が逮捕される。

12.21 金大中派のスポークスマン鄭大哲議員、金大中を非難し辞任。

 

 

1988年

88年1月

1.11 ソウル大学学生会館で新年闘争決議大会が開かれる。大統領選挙の敗北をアメリカの策略によるものと判断。米国糾弾を第一課題とすることが確認される。

1.15 韓国,大韓航空機事件を北朝鮮の爆弾テロ事件と断定.金賢姫は犯行を認める記者会見.北朝鮮は捏造と非難.

1.24 現代グループ名誉会長鄭周永(チョンジュヨン)が北朝鮮を訪問.

1月 盧泰愚、光州事件は「民主化のための努力であった」と発言。謝罪と補償の意向を表明。民主和合推進委員会が発足する。

88年2月

2.25 盧泰愚が大統領に就任.3割大統領と揶揄される。政治犯の釈放、言論の自由、労働権の保障、国家保安法などについては実現されないままに終わる。

2.25 北朝鮮オリンピック委員会は単独開催の大会には参加しないと声明.

2月 漢陽大学学生らによるソウルのアメリカ文化センター占拠・籠城事件発生。「民主化」のスローガンが「反米・統一」に変化する。

88年3月

3.31 セマウル疑惑が発覚.韓国大検察庁は全斗煥の実弟の全敬煥を,業務上横領など6つの容疑で逮捕.

3月 総選挙を前に,左派勢力が大同し民衆党を創立.30の地区党組織に1千余名の党員が参加.

88年1月

4.01 韓国政府,光州事件について謝罪.遺族・負傷者に支援を決定.被害者側は真相究明と責任者処罰をもとめ反発.

4.26 国会議員選挙.投票率は76%で、大統領選より13%低下。

4.26 全斗煥を支えた大物議員のほとんどが落選.与党民正党の得票率は34%、議席獲得率は41%に激減。過半数に及ばない87議席にとどまり、「与小野大」の国会となる.金大中の平和民主党は71議席を獲得.野党第一党となる.以下金泳三の民主党が59、金鍾泌の共和党が35議席を確保。

4.26 左翼勢力の結集した民衆党は議席を獲得できず,憲法の規定により解散させられる.

4月 金大中,17年ぶりに国会に出席し第一野党党首として代表演説.光州事件の徹底解明と全政権の不正・腐敗追求を要求.「五共清算」(第五共和制の総括)を訴える.

4月 済州島の弾圧事件を描く長編詩「漢拏山」の作者李相伯、国家保安法違反で有罪となる。

88年5月

5.19 ソウルで学生500人余りがアメリカ文化センターに押しかけ、「韓半島の分断の責任はアメリカにある」と叫び、米国旗を燃やす。

5.20 ソウル地域総学生会連合傘下の愛国青年決死隊7人が米大使館構内に突入。「光州事件の主犯、アメリカを追い出せ」と叫びデモ。

5.23 光州でアメリカ文化センターに学生が火炎瓶攻撃。

5.26 ソウルの韓米銀行で学生30人が「アメリカは出て行け」と叫ぶ。

5月 軍事政権時代に解雇された言論人を中心に「ハンギョレ」新聞が創刊される。「権力と資本家らの自由」を掲げる。前後して月刊誌「マル」も創刊される。

5.27 リリー米大使、光州事件に関して発言。「空輸特戦団は連合軍司令官の同意なしに動いた。第20首都師団は連合司令部の作戦統制外で行動した」ことを示唆する。漢陽大学の李教授は、①大衆弾圧をすることが明かであったのにどうして指揮権限から外したのか、②首都師団の移動を承認したことは明らかだ、③軍の保有する武器は民間人に対して使用してはならないという協定が破られたことについての責任は免れ得ない、と反論。

6.07 米韓安保協議会、ソウル・オリンピック安全開催のための軍事協力について話し合う。

6月 野党の主導で、光州民主化闘争運動真相調査特別委員会、第五共和国非理調査特別委員会、民主発展・法律改廃特別委員会、統一政策特別委員会、二大選挙不正調査特別委員会などがあいついで設置される。とくに「五共政治権力の非理調査」を目的とする特別調査委員会には国政調査権が発動される。五共とは第五共和国の略で全斗煥体制のことを指す。

88年7月

7.07 盧泰愚大統領,「民族自尊と統一繁栄のための特別宣言」発表.北との敵対関係を清算し,中国.ソ連など社会主義国と関係正常化を進めると述べる.また日本と北朝鮮との接触・交渉を歓迎するとの一節を盛り込む.

7.19 政府、第二次大戦の前に書いたものに限定したうえで、越北作家の作品の出版を許可する措置を発表。

7月 五共政治権力の非理調査、第一次の調査対象として30件を指定、国政調査に入る。全斗煥は盧泰愚の拒否権発動により対象から外される。

7月 経済正義実践市民連合(経実連)が結成される。急進的運動と一線を画し、資本主義的な市場民主主義体制を前提にし,「公正な市場社会の構築」を目的に掲げる.公正な分配と腐敗の追放を掲げて急速に影響力を拡大するが。やがて権力側にとりこまれ消失.

8月 鄭鎬溶、雑誌のインタビューで全斗煥の追及に関連し、「これ以上問題を掘っていけば、金大中、金泳三も平穏ではおれないだろう」と恫喝する。五輪後のクーデターが噂されるようになる。

8月 高麗大学で「北朝鮮学」の講義が始まる.

9.05 ソウル地裁、全敬煥に対し「大統領の身内という身分を悪用し、巨額の不正を働いた」として懲役7年の判決。

9.17 ソウル・オリンピックが開会(~10.2).

88年10月

10.04 盧泰愚,国会で演説.南北首脳会談の平壤開催と南北不可侵宣言討議の受け入れを表明.

10.18 盧泰愚,国連で初演説,南北朝鮮と米・日・ソ・中の6者和平会談を提唱.

88年11月

11月 国会の特別調査委員会、①五共非理問題(軍事政権の腐敗関連)、②光州民主化運動、③言論問題について、各5回づつの国会聴聞会を開く。国会での証言はテレビで生中継される。

11.23 五共清算キャンペーンを受け、全斗煥の弟がセマウル疑獄で逮捕される。全斗煥は,「在任中に起きた不正・非理に対し謝罪し,全財産を国庫に献納する」と声明.江原道の山奥の寺に隠遁.

11月 韓国民族芸術人総連合(民芸総)が結成。南北作家会議を計画するなどNL派を中核に活発な活動を展開。

 

1989年

1.21 民統連が中核となり、全国民族民主運動連合(全民連)が結成される.民主化以降結成されたさまざまな運動団体を結集するが、まもなく指導部の内部対立から崩壊。

1.23 現代会長の鄭周永が初の訪朝.

89年2月

2.19 韓民統,在日韓国民主統一連合(韓統連)に改編.

2月 キムヨンファン,出所のあと全民連で祖国統一委員会委員に就任.

3.25 文益煥牧師、北京を経由して平壌に到着。金日成と会談する。盧泰愚政権はこれを機に公安合同捜査本部を設置するなど、自由主義体制の擁護を訴える反共反撃を開始。

3月 河永沃,キムヨンファンの主導により「反帝青年同盟」を結成.主体思想派が結集,「金日成主義青年革命組織」を標ぼう.

4.03 済州島で初の犠牲者追悼行事が開催される.事件発生以来41年ぶり.

4.13 文益煥牧師が北朝鮮から帰国。国家保安法違反で、ただちに公安合同捜査本部に逮捕される。

89年5月

5.01 ソウルでメーデー百年記念大会.デモは警官隊に阻止され激しい衝突となる.この事件で6千人が連行される.

5.03 釜山の東義大学構内で学生と警官が激突。警官6人死亡.盧泰愚大統領は暴力の徹底排除を指示.

5.06 「全大協」指導部,非暴力闘争を宣言.

5月 全国教職員労働組合(全教組)が結成される。「民族・民主・人間化教育実践のための真の教育運動」をスローガンに掲げ、全国10地域1万5千人を結集。文教部は「左傾意識化教育」を目指す団体として敵視。中心活動家54人を罷免、他のメンバーにも脱退を強要。

7.01 平壌で第13回世界青年学生大会開幕.韓国の全大協代表林秀卿が参加.帰国後に逮捕される。

89年8月

8.02 韓国当局,徐敬元議員の北朝鮮訪問を指示したとして,平民党総裁金大中を勾引.

8.25 韓国当局,金大中を国家保安法違反で在宅起訴.

9.01 盧泰愚大統領の側近である朴哲彦補佐官がひそかに平壌入り.南北首脳会談の可能性を探る.

9.11 盧泰愚大統領、韓民族共同体統一法案を発表する。

9月 政府、脱退勧告に応じなかった全教組活動家1512人を罷免。さらに教員42人を拘束する強硬手段。

10月 韓国スミダなど日系企業で労働争議が続発する.

11.09 ベルリンの壁が崩壊.北朝鮮は孤立感を深める.

12.31 五共非理調査特別委員会と光州問題特別委員会,全斗煥の疑惑解明に本格的に乗り出す.両委員会の合同聴聞会に証人として召喚された全斗煥は,125項目の厳しい質問にさらされる.

 

 

1990年 盧泰愚の外交攻勢

1.21 元学生シム・サンジョンが出頭し逮捕される。85年に九老工業団地のストを指導し、その後地下に潜伏していた。懲役一年六ヶ月、二年の執行猶予刑を受け釈放される。

1.22 民正(盧),民主(金泳三),共和(金鍾泌)の三党が合同し,民主自由党を結成することで合意.議員数は議会過半数の221名に達する.実体としては,金大中排除のみで野合した寄り合い所帯.

1.22 資本と対決する労働運動のセンターとして全国労働組合協議会(非合法)が結成される.ソウル、大邱、釜山など14の地域別労組協議会と、大学・病院・金融など11の業種別労組協議会が統合したもの。後に民主労総に発展。

2.09 民主自由党が結成される.

2.21 外務省, モスクワ駐在領事館の開設を発表。

4月 キムヨンファン,朝鮮労働党に入党し,韓国内の地下組織「反帝青年同盟」の委員長となる.その後91年に北朝鮮に密入国したとされる.

90年5月

5.24 盧泰愚大統領訪日.現天皇は晩餐会で「痛惜を禁じ得ない」と挨拶。

6月 金泳三の盧泰愚との合同に反発する李Ki-taekらが,民主自由党を離脱.ふたたび民主党を名乗る。

6.04 盧泰愚とゴルバチョフとがサンフランシスコで首脳会談.国交樹立と元首の相互訪問で合意.北朝鮮は「ドルで売買された外交関係」と罵倒.

7.01 祖国平和統一委員会,南北間往来のための基本三原則発表.

8月15日 板門店で汎民族大会。

90年9月

9.05 ソウルで第1回南北高位級(総理)会談.会談に出席した北朝鮮の延享黙首相が盧泰愚大統領を表敬訪問.「二つの朝鮮」受け容れの意志表示.

9.28 金丸訪朝団と朝鮮労働党とが3党共同宣言.

9.30 韓国とソ連が国交樹立.

10.02 金丸元副総理,ソウルを訪問し盧泰愚と会談.盧泰愚は日朝交渉に対する要請として,日韓事前協議・南北対話の尊重・核開発への歯止め・軍事力強化の防止・国際社会への参加促進をもとめる.

11月 地方選挙を前に民衆党が再建される.51の地区党組織に2千余名の党員が参加.

11月 安眠島(アンミョンド)の核廃棄物処理場建設に対する反対運動が高揚。環境問題をテーマとする市民運動が、民主化運動の一環として、初めて脚光を浴びる。大邱でも洛東江の汚染問題をめぐる闘いが広がる。

11月 ベルリンで南北海外の代表が集まり、統一運動を挙族的に推進する機構として祖国統一汎民族連合(汎民連)を結成。

12.13 盧泰愚大統領、国交回復を機にソ連を訪問。クレムリン宮殿で会談後 「モスクワ宣言」を発表。

 

1991年

1.10 日韓外相会談で「在日韓国人の法的地位及び処遇に関する覚書」

1.22 湾岸戦争に、多国籍軍の一部として軍の医療支援団を派遣。

1.30 日朝国交交渉が開始される。

3.26 30年ぶりに地方自治体選挙が実施される.

3月 軍事休戦委員会(板門店)の国連軍側主席代表に韓国軍将軍が就任.北朝鮮は激しく反発.

3月 洛東江フェノール汚染事件が発生。慶尚北道亀尾の斗山電子がフェノール原液を不法投棄。下流のテグ、馬山、ふざんでは水道水が異臭を放つ。

4.26 ソ連のゴルバチョフが韓国を訪問、盧泰愚と済州島で会見。

4.29 幕張で第41回世界卓球選手権大会.南北朝鮮が半島を描いた統一旗を掲げ、統一チームをくむ.女子団体戦で優勝.

4月 金大中の平和民主党,新民主連合を併合し,新民主党と改称.

9.17 南北朝鮮が,国連に同時加盟.国連総会は加盟を全会一致で承認。

9.27 ブッシュ大統領,海外に配置された海上および地上戦術核兵器の一方的全面撤退を発表.この時点で韓国内には約100基の核兵器が配備されていたといわれる.

9月 金大中の新民主党と李Ki-taekの民主党が合併.民主党の名を引き継ぐ.

11.08 盧泰愚大統領,朝鮮半島非核化構想を発表.核兵器の生産・所有・貯蔵・配備・使用の禁止を宣言.

91年12月

12.06 元従軍慰安婦35名,東京地裁に提訴。

12.18 盧泰愚大統領、韓国内に核兵器は存在しないと宣言。米政府もこれに言及しない形で間接的に承認。

12.31 ソウルで南北首脳会談.「朝鮮半島の非核化に関する南北共同宣言」が調印される.

 

 

1992年

1.06 盧泰愚大統領が訪米。ブッシュ米大統領と会談。米国と北朝鮮との直接交渉路線を排除し、「核問題を南北の当事者同士で解決する」とするこれまでの路線を確認。「北朝鮮は早期に核安全協定に署名し国際査察を受けなければならない」と強調。

1.20 平壤で南北両首相会談,「南北基本合意書」に署名.「修好、不可侵、協力交流」と朝鮮半島「非核化」で合意。

2.08 現代グループ創設者で会長の鄭周永,国民党を設立し大統領選挙に立起.

2.08 南北両国が豆満江開発に関する実務者会談。ナジン・先鋒地域開発に共同で取り組むことで合意。

2.18 「南北基本合意書」が発効。第1条で,「南と北は互いに相手の体制を認め尊重する」と宣言.

92年3月

3.16 キムヨンファンら,反帝青年同盟を主軸とし民族民主革命党を結成.「金日成主席主体思想を指導理念とする地下革命党」を称し、学園への浸透を図る.北朝鮮から電子メールを通じて指示を受け、その資金40万ドルを利用し,総選挙への出馬作戦を展開.

3.24 国会議員選挙.鄭周永の予想外の進出もあり,与党民自党は大敗.過半数を割り込む.これに対し金大中の民主党が躍進し,与党と接近.民衆党は51人が出馬,平均6.5%の得票率を記録するが,議席を獲得できず解散.その後再建の動きなし.

4.10 政府, 米を除くすべての農産物を開放する計画をGATTに提出。

92年5月

5.05 ソウルで第7次南北高位級会談が開催される。北朝鮮は総理を先頭に90人からなる大代表団を送り込む。

5月 民自党大会,「金大中に勝てる唯一の候補」として金泳三を候補に選出.これにより盧は議会への影響力を失う.

8.11 韓国、初の科学衛星「われらの星」の発射に成功。

8.24 韓国と中国が国交樹立.これにともない韓国と台湾とは断交.

9.29 盧泰愚大統領が中国を訪問。

10.06 国家安全企画部,北から潜入した労働党幹部が,地下組織を作ったとし,一斉摘発に乗り出す.

「朝鮮労働党中部地域委員会」事件: 朝鮮労働党の李善美労働党政治局員候補(党内序列第22位)が韓国に潜入。91年5月、江原道三陟の某旅館で韓国朝鮮労働党中部地域委員会を結成。91年7月には北朝鮮帰りの黄仁五を「総責任者」にすえ、ソウル、仁川など24の主要都市の46の企業と団体などに食い込み、党員300名を組織。大衆党に潜入し党内党を組織したというもの。ディテイルの生々しさがいかにも公安情報らしい。

10.08 米韓両政府,「核相互査察問題で意味ある進展が見られない」とし,チームスピリット再開を検討開始.

12.19 大統領選挙.金泳三が金大中に200万近い差をつけて勝利.敗れた金大中は政界引退の意向を表明.鄭周永国民党代表も、代表最高委員を辞退して政界から引退する意思を明らかにする。

12.22 韓国とベトナム、大使級の外交関係を樹立。

 

 

1993年

1月 金大中,ケンブリッジ大学に留学.ドイツ統一の経過を研究し,「南北三段階統一論」を発表.

2.25 金泳三が大統領に就任.就任式で「歴史の建て直し」を訴える.就任直後の支持率は87%に達する.高支持率を背景に抜本改革に着手.また「世界のどの同盟国も,民族をしのぐことは出来ない」とし,北との関係修復に前向きの姿勢.

93年3月

3.06 韓国政府,国家保安法違反(北朝鮮を訪問)で服役中の文益煥牧師を仮釈放.ほか合わせて4万人余りに対し,釈放,減刑,復権などの特赦を実施.

3.07 金泳三,陸軍司令官と保安司令官を更迭.三軍の将軍10人余りを不正・腐敗で逮捕.軍部から一心会系幹部を一掃.

3.12 北朝鮮、核拡散禁止條約(NPT)からの脱退を宣言。韓国政府は、北朝鮮がNPTに復帰するまで南北対話を中断すると発表。

93年4月

4.07 政府、ソマリアPKOに約 250人の建設工兵部隊を派遣する。

4月 全羅北道大学で全大協大会.韓総連の結成総会となる.九つの道・地域に地総連を持ち,大学総学生会の数は204校に上る.

5.06 公安当局、「作家黄皙暎が89年 3月以来 5回にわたり北朝鮮に密入国。対南工作指針によって「汎民連」結成にかかわって来た」と発表。

5.13 光州事件参加者の名誉が回復される.金泳三は「光州での流血は民主主義の礎であり、現政府はその延長線上に立つ政府である」との談話を発表。

5月 公職者倫理法を改正.主要公職者9万人の財産登録を義務付ける.財産公開で不正蓄財の疑惑が持たれた公務員3千人が,逮捕あるいは解任される.

7月 17日, 最高検察庁, 李鍾九と李相勳(いずれも元国防長官)、韓周せき前空軍参謀総長、金鉄宇前海軍参謀総長を拘束。栗谷事業非理事件にかかわった疑い。

7.27 日本政府,ソウルで韓国人元慰安婦たちの聞き取り調査を開始.

7月 金大中,ケンブリッジ留学を打ち切り帰国.政界復帰の足がかりとして「アジア太平洋平和財団」を創設.

93年8月

8.08 民主党,国会議員を中心に「金大中先生拉致真相調査委員会」を発足させる.

8.12 金泳三政権,金融実名制を断行.架空名義,第三者名義の預金を禁止.違反すれば重課税を課すとする.同時に不動産実名制も実施.

10.10 全羅北道扶安沖で黄海フェリーが転覆、死者292人を出す。

10.15 全教組、解職教師の復職問題と係わって争点になって来た「全教組脱退」の条件を受け入れる。

11月 金泳三、競争力の向上を最大目標とする国際化戦略を宣言。経済政策担当者をネオリベラル派で固める。

12.07 韓国政府、ウルグアイラウンド合意にしたがい、米をふくむ「例外なき関税化」を受け入れる。ソウル駅前で自由化に抗議する「市場開放反対汎国民大会」が開かれ、3万人が結集。

 

 

1994年

1.24 ソウル地方検察庁、張玲子を107億ウォン詐欺事件で逮捕。

3.16 南北定期協議,北朝鮮の朴英朱首席代表は,「もし戦争になればソウルは火の海になる.あなた方は生き残れないだろう」と宣言.そのまま席を立つ.韓国政府はチームスピリット94の中止決定を撤回すると発表.

4月 金泳三政権で統一・安保政策をめぐり内紛.李会昌首相が辞任.

4月中旬 米韓合同軍事演習「チーム・スピリット」を再開.米軍兵員は枠ぎりぎりの3万7千人にまで増員され,さらに米第七艦隊が海上に待機する.

94年5月

5.18 米国防総省が「第二次朝鮮戦争」発生時の被害予想を検討.最初の三ヶ月で,米軍兵士5万人と韓国軍50万人が死傷するとの結論.全面戦争が発生すれば死者は100万人に達するとされる.

94年6月

6.15 カーター前大統領が平壤に入る.クリントンからは親書は与えられず.

6.16 ラック在韓米軍司令官とレイニー駐韓大使が秘密会談.本国からの指令を待たず,「米国人の避難計画」を進めることで合意.

6.17 金日成がカーター斡旋を受け入れ.寧辺の複合施設の全面凍結と対米交渉再開に応じる.

94年7月

7.08 金日成主席死去.7月25日に予定された金泳三との首脳会談は流産に終わる.

9.10 新たな市民組織「参与連帯」が創立される.権力に吸収された経実連を批判し,権力からの独立を強く主張.

文によれば、ややラディカルな社会科学者、学士、運動圏、人権弁護士から構成され、問題別ではなく包括的に課題に取り組む「百貨店型」の市民団体。経実連と比較して「左実連」と呼ばれる。

94年10月

10.21 ソウルの漢江にかかる聖水大橋が、手抜き工事により崩壊。死者32人を出す。

10.22 米朝がジュネーブで包括的な「枠組み合意」(AgreedFramework)文書に調印.

10.25 米軍人と国際結婚した娘の家を訪ねた金グンスンさん(68歳)が,米憲兵の誰何を受け,暴行を受けて連行される.これに抗議した二人の娘も公務執行妨害罪で連行される.韓国側検事は,米軍の公務遂行を超えた犯罪と規定し,米憲兵に対する召喚状を発布.しかし米軍当局は「正当な公務遂行であり,暴行した事実はない」として出頭を拒否.

12月 韓国軍の平時統帥権,韓国側に返還される.有事の統帥権は引き続き駐韓米軍司令官が掌握.

 

 

1995年

1.17 阪神・淡路大震災.在日朝鮮人が密集する長田区に大火災が発生.

2.21 与党代表の金鍾泌,金泳三と対立し離党.新たに自由民主連合を結成.

3.15 枠組み合意に基づき,KEDOが設立される.

4.28 大邱の地下鉄工事現場でガス爆発事故、死者101人を出す。6月にはソウルの三豊デパートが倒壊.死者600人以上.

5.26 韓国政府、南北代表会談の開催を提議。北朝鮮に条件なしに穀物を提供する用意があると明らかにする。

5.31 国際サッカー連盟,2002年ワールドカップ韓日共催を決定.

5月 金永煥(キムヨンファン),月刊「マル」誌に「反米、北朝鮮そして90年代に対する私の考え」というインタビューを掲載.「北朝鮮の首領論は完全なる虚構で,巨大な詐欺劇」であったと批判.「植民地論」に立脚した反米自主化闘争ではなく、米国との平等な友好協力関係などを主張.

6.17 南北代表、北京で米支援に関する初会談を開催。

6.25 北朝鮮の飢餓を救援するための支援米が、東海港を出港。

6.29 ソウル三豊百貨店が手抜き工事により崩壊。死亡・失踪 506人、負傷 940人余り。

7.01 不動産に対しても実名制が実施される。

7月 「5・18民衆運動連合」、全斗煥ら58人を告発。検察は「成功したクーデターは処罰できない」として不起訴処分とする。

8.02 徐錫宰 総務処長官、“前職大統領の一人(盧泰愚のこと)が3億ドルの仮名口座を持っている”と明らかにする。金融実名制度により明らかになったもの。

8.18 平壌放送、「暴雨で大同江一帯に洪水が発生した」と報道。

9月 金大中,新政治国民会議(国民会議)を結成.本格的に政界復帰.

10月 野党議員、盧泰愚疑惑に関して国会質問。盧泰愚が大統領在任中に30以上の財閥企業から巨額の「秘密資金」を受け取っていたと攻撃。検察も本格捜査に乗り出す。

10.27 盧泰愚、自宅で記者会見。在任中に政治資金を作ったことを認め、国民に謝罪。

11.08 韓国、国連安全保障理事会の非常任理事国に選出される。

11.13 民主労総が結成される.

11.16 検察,全と盧が,在任中にそれぞれ5千億ウォンを越す金額を収賄したと発表.盧泰愚前大統領は収賄容疑で逮捕される。全は検察の捜査に応じることを拒否.

12.03 全斗煥が安養刑務所に身柄を拘束される.

12.05 民自党、選挙を前に党名を ‘新韓国党’に変更。旧軍事政権との関係を完全に断絶する。

12月 国会、「5・18民主化運動党に関する特別法」を可決。憲法秩序に対する破壊行為については、成功・不成功に関わりなく処罰することを明文化。また軍事反乱や内乱罪については時効の適用を排除することも定められる。これにより、全と盧の裁判について法的根拠が定められる。

12.26 北朝鮮軍に拿捕されたウソン号の船員 5人と死亡した 3人の遺骸が、板門店を通じて送還される。

12月 韓国国防省,95年度国防白書を発表.朝鮮人民軍を初めて“主敵”と規定.

 

1996年

3月 粛軍クーデターと光州事件に関する公判が開始される.

4.11 韓国総選挙.与党新韓国党が勝利.議員数は150議席となり,過半数(総定数299)に達する.

4.17 日米安保「共同宣言」発表.韓国外務省は,「日本の軍事大国化を憂慮している」と語る.

7.22 韓国安企部は、檀国大学のアラブ系フィリピン人ムハマド・カンス助教授が朝鮮労働党のスパイであると断定し送検。ムハマド・カンスこと鄭守一は、中国の吉林省で生まれた朝鮮族で、北京大学のアラビア語学科を卒業、フィリピンへ渡って国籍を取得、84年に韓国に合法的に入国しスパイ活動をしてきた。

96年8月

8.13 韓総連約5000人が,北朝鮮主導の統一関連行事の強行を図る.延世大学周辺や都心の地下鉄駅付近など数カ所で,取り締まりの機動隊と衝突.火炎瓶などで対抗.

8.14 アジア各地の元従軍慰安婦への村山首相の「おわびの手紙」が公表される.「道義的な責任」を明記し,「おわびと反省の気持ち」を表するが,「強制」については触れず.

8.26 ソウル地裁での第一審,全斗煥に死刑,盧泰愚に懲役22年6月の判決.ほか黄永時被告(元陸軍参謀総長)らに懲役10年など,朴俊炳被告(元第20師団長)は無罪.

9.18 北朝鮮「武装スパイ潜入事件」おこる.韓国東海岸の江陵で北朝鮮の潜水艇が座礁.武装工作員24名が上陸し,数日間にわたり銃撃戦を展開.

10月 韓国,OECD加盟を果たす.

12.16 ソウル控訴裁、全斗煥を無期懲役に、盧泰愚を懲役17年に減刑。

12.26 新韓国党,突如臨時国会を開催.整理解雇を認める労働関係法改正案などを単独可決.民主労総を先頭とする労働者のストが始まる.

 

 

1997年

1.24 韓宝鉄鋼が最初の不渡りを出す。

2.12 北朝鮮の最高幹部の一人で,「主体思想」の提唱者といわれる黄長燁労働党国際担当書記が,北京の韓国大使館に亡命.

2.15 82年に北朝鮮から韓国へ亡命した李一男が暗殺される。李一男は金正日の前妻の甥に当たる大物。

2月 韓国政府、竹島に接岸用施設の工事。

3月 韓宝鉄鋼が倒産.金泳三一族による巨額不正融資疑惑が浮上.次男の金賢哲が逮捕される.これを皮切りに大型倒産が続出.

3月 整理解雇関係法令の勤労基準法が成立.第31条で経営上の理由による解雇が認められる.

4月 全南大学で,韓総連の第五期代議員大会が開催される.

4.17 全・盧の裁判,大法院での最終判決.全は無期懲役,盧は懲役18年が確定する.

5.30 韓総連第5期「出帆式」が学生三万人を集め漢陽大で開かれる予定.当局は同大周辺に2万余人の警察を動員し封鎖.300人の学生を連行する.8000人の学生が弾圧に抗議し市内各地でデモ.

5.31 市内10大学で1万5000人の学生が「韓総連出帆式死守決意大会」を開催.その後、街頭に出て漢陽大を目指すが,警官隊に阻まれる.

97年6月

6.02 韓総連のデモ鎮圧に動員された警察官1人が,警察の鎮圧車両に轢かれて死亡.学生側にも500人の負傷者を出す.

6.03 韓総連,警察官の追悼式を開くため「出帆式」を延期すると発表.

6.04 韓総連学生,構内に入った「市民」を当局のスパイとの容疑で査問,リンチにかけ,死亡させる.学生らは遺体を病院前に遺棄して逃走.

6.10 当局はこの事件を機に,韓総連を国家保安法の「利敵団体」に指名するためのキャンペーン.マスコミを動員して,韓総連のせん滅にのりだす.各大学内の「韓総連」事務所を強制的に閉鎖し,学生たちを手当たり次第に連行.

6.12 韓総連,漢陽大で壁新聞声明.漢陽大で「市民」を殴り殺した人物は,学生に偽装した警察のスパイであり,事件は、当局による政治謀略だと主張.

7.15 倒産の危機に追い込まれた起亜自動車に,不渡り防止協約が適用される.

97年8月

8月 韓総連,北朝鮮に呼応して南北統一集会を企画.ソウルには全国から一万人以上の学生が結集するが,戦闘警察に集会開催をはばまれる.参加者は延世大学を占拠・ろう城.警察の導入により学生5899人が逮捕される.

8月 検察は韓総連を利敵団体と規定し国家保安法違反を適用.この後,民族解放派(NL)が人民民主主義派(PD)の中央幹部数十人を排除し,韓総連指導部を私物化.韓総連の大衆性は急激に弱まる.

9月初め どうでも良いのですが、私はこのとき初めて韓国を訪問しました。もうこの頃には不況の真っ只中でした。

9.23 起亜自動車を中核企業とする起亜グループが和議を申請。11月には別の財閥ヘテが不渡りを出す。

11.10 韓国通貨が下落。1ドル1,000ウォンに下げる。

11.21 韓国,IMFに支援を要請.IMF管理の下に入る.二年にわたる深刻なIMF不況が始まる。

10月 キムヨンファン,中国へ出国.その後ドイツ、中国などに滞留.

12.09 韓・朝・米・中の4者会談の第1回会談開始.

12.10 外国人による株式投資の限度額が50%まで許容される。

12.13 韓国通貨が暴落。1ドル2,000ウォンに下げる。これは輸出型産業を抱える各財閥企業には恵みとなる。

12.19 大統領選挙.金鍾泌と組んだ金大中が勝利.与党の分裂に助けられ,40万票足らずの差で,与党の李会昌に辛勝.民主労総を中心とする「国民勝利21」は,民主労総委員長の権永吉を大統領候補として擁立.

12月 全・盧の二人,大統領特赦で出獄.

12月 金融実名制,代替法案の成立により事実上破棄される.

 

1998年

1.15 大統領諮問機関として「労・使・政委員会」が設置され、「経済危機克服のための労・使・政間の公正な苦痛分担」で合意。整理解雇制度、派遣労働制の導入、公務員・教員労組の承認、労組の政治活動容認など10項目で合意。

1.30 ソウル銀行、第一銀行に公的資金を投入し国有化する。

2.19 東亜日報、「金大中事件に関する韓国中央情報部の内部文書」入手したと報道。KCIAの組織的犯行であることが明らかになる。金大中は、「過ぎ去ったことなので関係者の処罰は求めないが、事件の真相究明はやらなければならない」とコメント。

KT(金大中:キム・テジュンのイニシャル)工作要員・実態調査報告: 工作の総責任者は李厚洛KCIA部長、李哲煕次長補と河泰俊海外情報局長が作戦全体の統括指揮。尹鎮遠海外工作団長が現場の総指揮者、金基完駐日大使館公使と尹英老参事官が日本における活動責任者となる。
また、金大中を東京からソウルまでら致した25人のKCIA要員、金大中を大阪港から釜山まで運んだKCIAの工作船である竜金号船員21人の名簿と彼らの役割などがすべて明らかになる。ただし「朴正熙大統領の関与は不明」と結論。

2.25 金大中大統領就任.①北の武力挑発には断固対処,②北を攻撃せず,吸収計画を持たない,③可能な分野から南北和解・協力推進の「対北三原則」(いわゆる太陽政策)を掲げる.公共・金融・財閥・労働の4大改革を提示.金融構造改革のため公的資金を投入.総合金融会社の半数が整理・閉鎖される.

4月 大邱のヨンナム大で第6期韓国大学総学生会連合(韓総連)代議員総会が開かれる.延世大学など多くの大学自治会が,ゲバ闘争流し込みを嫌い,韓総連を離脱.

5.23 外国人の株式投資の限度額が廃止される。

5.23 韓総連,秘密裏に第6期韓総連議長選挙を実施.民族解放(NL)強硬派がNL穏健派を押さえ,引き続き指導権を確保.全北総連は韓総連から脱退し,「全南・全北地域大学総学生会協議会」を結成.

5月 民主労総、整理解雇の乱用に抗議し労・使・政委員会を脱退。ゼネストの構えを示す。

6.16 鄭周永、支援物資とともに板門店から北朝鮮入り。

98年8月

8.03 国会は両院会議を開き,「SOFAの全面改正を要求する国会決議案」を採択.アメリカ政府は交渉の叩き台となる素案を提示.

8月 韓総連,北朝鮮が開いた統一大祝典に女子大生・黄ソンさんたちを参加させる.また平壤訪問中の文奎鉉神父も,禁を犯し祝典に参加.いずれも帰国後に国家保安法違反の容疑で拘束.

8.31 北朝鮮,テポドン・ロケットを打ち上げ.日本を越え太平洋にまで到達.(このとき私の乗った飛行機は、札幌に向け日本海上空を飛行中でした)

9月 日韓の専管漁業水域交渉、竹島帰属問題を棚上げして解決することで基本的合意に達する。

98年10月

10.07 金大中,大統領として初来日.レセプションでは共産党の不破議長とも接触.

10.27 現代の鄭名誉会長,平壌で金正日と会見.金剛山観光プロジェクトの賛同を得る.

10月 捜査当局,民主労総の段ビョンホ民主労総委員長を,連帯スト主導の容疑で逮捕.懲役1年の実刑判決.

10月 北朝鮮労働党の対外連絡部工作員の「元鎮宇」,韓国に潜入.河永沃、沈載春などを抱き込み,民族民主革命党を再建.

11.05 キア自動車が競売にかけられる。現代グループが起亜自動車を落札する。

98年 この年、経済成長率は5.8%のマイナス。一人当たりGDPは1万ドルから6800ドルに落ち込む。

 

1999年

1.08 韓国政府,KEDO軽水炉建設費の調達に電気料金の3%賦課金を充当すると発表.

2月 男女差別禁止法が制定される。

3.17 ソウル高法,『千里馬歌団』に加入し,北朝鮮賛美の歌を歌った金さんに対し,称揚鼓舞罪だけを適用.国家保安法の利敵団体構成嫌疑に対しては無罪を宣告.

5月 金大中の側近が絡む高級服ロビー疑惑が発覚.

6.15 黄海海上の軍事境界線(NLL)で南北の警備艇による砲撃戦.

6.23 大田地方法院,「韓総連を利敵団体と見ることはできず,加入して活動したというだけでは,国家保安法違反罪を適用できない」と判決.

6.30 起亜自動車に続き、三星自動車も倒産。法定管理を申請する。法定管理は日本で言う会社更生法。

6月 キムヨンファン,右翼の「月刊朝鮮」誌に寄稿.北朝鮮政権を公開批判.

7.13 中央日報、94年危機の際にキムヨンサン大統領がクリントンに伝えたメッセージを紹介。「あなたたちは航空機で空爆すればいいが、そうしたら北朝鮮は軍事境界線から韓国の主要都市をいっせいに砲撃する」と述べたという。

7.30 「ハンギョレ21」誌,国軍情報司令部の関係者の話として,「朝鮮戦争以後に北朝鮮当局に捕まったり行方不明・死亡した北派工作員は、確認されただけで7726名」だと明らかにする.

48年ごろ,米軍指揮下にHID(ハイヤー・インテリジェンス・ディパートメント)という特殊部隊が結成された.60年代末からは国軍情報部に移籍し,AIU(アーミー・インテリジェンス・ユニット)と改称した.他に「シルミ島」部隊など,北派工作員を管理する特殊浸透部隊はさまざまな場所に存在した.また米軍の情報部隊に所属して北派工作に従事した要員も3000名に達する.
北派工作員は主に官公署や軍部隊に潜入した.高級工作任務として秘密文書の獲得,要人拉致など.一般工作任務として休戦ライン付近の撹乱などを遂行した。北派工作の指揮には軍があたるが、特に危険・重要な任務については,中央情報部〔KCIA〕が直接作戦指揮をになった.
AIUは現在も江原道にそのまま維持されている。情報司令部は「72年の南北共同声明のあと北派は中断された.しかし部隊は維持されている」と明らかにする.実際には72年以降も2千名以上が消息不明になっている.

7月 竜山の米軍基地から,約20トンに相当する大量のフォルマリンが大量に漢江へ放流される.死体防腐処理用のフォルマリンで,50リットル入りのビン480個分とされる.米軍は事実そのものは認めたが,「フォルマリンは大量の河川水によって希釈されたから人体に影響はない」と発表.

8.10 全北総協,「北朝鮮の民主化」を公然とスローガンに掲げる.ソウル大総学生会を中心とする「21世紀進歩学生連合」は,「平和21」集会を開催.ソウル大をはじめ20余の大学から800人が参加.

21世紀進歩学生連合の主張
80年代以来、学生運動が主導してきた統一運動は、統一というスローガン自体を「アカ」の代名詞としてきた風土を克服したという点で成果をあげた.
しかし南北の軍事対決の構図を打ち破ることはできなかった.なぜなら,対決構造定着の責任は米国の覇権戦略だけではなく,北朝鮮の側にもあるからだ.そしてアメリカに追従する韓国支配層が,分断状況を利用して,みずからの体制を強固にしてきたからである.「反米自主」という単線的戦略では,軍事対決の悪循環を断つことはできない.
いっぽう,北韓民主化運動は北朝鮮を直接民主化するよう主張するが,南北の対決の局面を助長する危険を指摘しないわけには行かない.社会の変革は外部から植え付けるものではなく、民衆自らがなし遂げるものだということを忘れてはならない.
平和定着のためには多層的な戦略を開発しなければならない.狭小な民族主義のワクは,平和の定着や統一に結局のところ障害となる.統一運動も,統一を促進するだけではなく統一に備えるという観点が必要だ.北の飢餓問題など現実に抱える諸問題を,日常的に解決していくべきだ.
進歩学生連合は,北韓同胞援助、「東北アジア・平和ネットワーク」の形成、国家保安法撤廃運動の三大課題を提起してる.なかでも飢餓救援の課題を重点と考えるが,これを直線的に北韓民主化運動へ結びつけることにはならない.

99年9月

9.09 国家情報院(旧安企部),主思派が「民族民主革命党」を結成し,北朝鮮のスパイ活動を行ったと発表する.金永煥,趙裕植,河永沃,沈載春の4人が、国家保安法違反で拘束される.「過去の誤りを深く悔い、北朝鮮民主化のため先頭に立つ」と述べた金永煥と趙裕植は,公訴を保留される.

9.14 全国連合、民主労総、国家保安法撤廃汎国民行動連帯、民主労働党、国家保安法撤廃のためのカトリック連帯など64団体が,『民族民主革命党事件』の疑惑と公安弾圧粉砕のための共同記者会見.

9.29 AP通信,朝鮮戦争関係のアメリカ側秘密文書をもとに「ノグンリの鉄橋」という記事を配布.記事に追随して『ニューヨーク・タイムズ』や『ワシントン・ポスト』,そしてABC,NBCなど主要な放送局が報道に乗り出す.

99年10月

10.07 韓国公安当局、北朝鮮スパイとして20名の氏名を公表。

10.16 大宇グループ金宇中会長、自社の中核企業ダエウ自動車が危機におちいたことから、これまで勤めてきた全国経済人協会会長を辞任。起亜、三星に続きダエウ自動車も倒産の危機に陥る。

10.26 金鍾泌首相,「朝鮮戦争時の米軍による住民虐殺は14ヶ所にのぼる.そのほとんどが1950年7月~8月の戦争初期に集中しており,米軍の最終防御線であった洛東江の周辺地域で発生している」と答弁.民間の調査では70~100ヶ所,死者も数千名から一万名に達する.

10.29 陸軍監察官マイケル・エッカーマン中将を団長とするノグンリ事件真相調査団が現地を訪問.虐殺現場などを見て回った後,「老斤里住民虐殺真相対策委員会」代表6人と面談.

10月 月城原発で重水漏れ事故が発生。22人が被ばくする。

11.18 北朝鮮の名所金剛山をめぐる観光ツアーが始まる。

11月 NL反主流派が中心となり,「北韓の人権と民主化のためのネット・ワーク」を結成.『時代精神』編集委員チョ・ヒョクが議長に就任.

 

 

2000年 南北共同宣言

00年1月

1.06 韓国日報,「朝鮮戦争時に,忠清南道の大田刑務所に収監されていた政治犯1800人が,韓国軍・警察によって銃殺された.浦項,清州,済州島,慶州,大邱,ソウルなどでも1万人から数千人が集団処刑された」と報道.

1.12 両国政府による「ノグンリ調査報告書」が発表される.米軍の民間人虐殺行為を公式に認める.しかし,それが意図的・組織的なものであった可能性は否定される.クリントン大統領は「老斤里で韓国の民間人が命を落としたことに深い遺憾を表明する」との声明を発表.

1.22 総選挙に向け、参与連帯を中核に約460の市民団体により「総選市民連帯」(総選連帯)が発足.問題ある候補の落選をめざす、「落選運動」で有名になる.

1.30 民主労働党,「国民勝利21」を母体として結成される.「新たな社会を建設するための,進歩的な綱領と政策を備えたイデオロギー政党」と規定」と規定.「資本主義体制を越え,すべての人間が人間らしく生きることのできる,平等と解放の新しい社会の建設」をうたう.9000人の党員が結集。民主労総元委員長の権永吉氏を代表に選出する。

00年2月

2月 金属産業連盟が,整理解雇の中断と労働時間の短縮を求めてストライキを展開.3万3千の組合員が参加.政府は労働者のストライキを“不法行為”と規定.1ヶ月の間に逮捕令状や出頭命令の出された労組活動家は60余名に達する.

2月 新選挙法が国会で成立。議員数が削減されたものの、小選挙区制は変わらず。新選挙法で壊滅的打撃をこうむった金鍾秘の自民連は、新千年民主党との連立解消を声明。

2月 『進歩評論』誌,チェ・マンス編集委員の「民主労働党綱領批判」を掲載.「綱領は,20世紀の社会主義体制に対する通俗的『批判』に便乗するものであり,資本主義を克服できる内容ではない」とする.民労党イデオローグのチャン教授がこれに反論し、論争となる。

論争の焦点
民労党綱領は国家情報院・国軍内情報部など「抑圧的国家機構を全面廃止する」とする.チェ・マンスは「一部の抑圧的な機構だけが廃止されればすむというのは,国家の階級的本質に対する歪曲だ」と主張.チャン教授は「階級支配装置としての国家を破壊すると言うとき、これは抑圧的機構の廃止を意味するもの」だと反駁.
②チェマンスは民労党綱領の「選挙を通じた権力獲得」の可能性は,「一抹といえども」ないと否定.チャン教授は「選挙を唯一の方法として考えるわけではない」が「体制安定期には選挙による権力獲得が民主主義を具現すること」だと反論.
③チェマンスは,「綱領は市場・独占大企業が存在する経済を前提としている.これは資本主義経済であり、資本主義の矛盾を克服する経済ではない」と批判.チャン教授は「市場と『資本主義の克服』は決して対立するものではない」と反論.

00年3月

3.09 金大中大統領,ベルリンで講演.「最も現実的で合理的な政策は,ただちに統一を追求するのではなく,相互脅威を解消し,共存・共栄を追及することである」と述べる.太陽政策を系統的に展開した演説として注目され、「ベルリン宣言」と呼ばれる。

3.09 北朝鮮、よど号をハイジャックした赤軍はメンバーの引渡しを拒否。

3.17 北京で南北が特使級の非公開接触.南北頂上会談で合意.

3.22 民主労働党,「進歩政治」創刊号を発行.キョンサン大経済学部のチャン・サンファン教授は,「チェ・ミンス氏の批判は『国家社会主義』の古い理念から脱することのできない時代錯誤的批判」だと反駁.

3月 ソウル地下鉄公社,職員1万余名の2割近く,2千名もの解雇方針を打ち出す.労組は97.6%の投票と86.4%の賛成という圧倒的多数の支持でストライキを決議.

3月 参与連帯など412団体が結集し,「総選挙市民連帯」を結成.「腐敗・不実」の候補を公表し落選運動を展開.公表された102名中48人が政党公認を外され,立候補した86名中59名が落選.

00年4月

4.13 国会選挙.金大中与党の民主党は,野党ハンナラ党に119対133で敗れる.自民連17議席をあわせ、かろうじてハンナラ党をしのぐ。

4.13 民主労働党の全国得票率は1.18%.しかし蔚山北部では崔勇圭候補が41.8%を獲得,ハンナラ党候補にわずか563票差で惜敗.昌原乙区では党代表の権永吉氏が38.7%を獲得し,次点につける.政党法38条により「議席を得られず、得票率2%未満の政党として登録を抹消」される.

4.18 地下鉄労組がスト入り.組合員はソウル大学に篭城.

4.19 青年進歩党,19日に臨時中央委員会を開催.党解散決議と同時に「社会党」創党発起人大会.

4.25 ソウル大学に機動隊が投入され,篭城中の地下鉄労組活動家を逮捕.地下鉄労組はまもなく敗北宣言.

4.25 民主労働党,中央委員会を開き再創党.

00年5月

5.08 メヒャン里射爆場で演習中の,米空軍のA-10戦闘爆撃機が,エンジントラブルを起こす.機体重量を減らすため,6発の500パウンド爆弾をノン島付近の海上に投下.メヒャン里一帯の700余りの農家で,窓ガラスが割れ壁にヒビが入るなどの被害.逃げ出そうとした7人の住民が怪我をする.米軍は,「爆弾投下による直接的な被害は存在しない」と発表.

5.15 ハンギョレ新聞の世論調査.米軍撤収をもとめる声が77%に達する.また国家保安法の改廃を求める声も76%に達する.

5.23 金大中新政権、自民連の李漢東(イ・ハンドン)議員を首相にすえ、組閣に成功。

00年6月 南北共同宣言

6.02 「メヒャン里対策委員会」主催の抗議集会.チョン・マンギュ委員長は,突然射撃場内に突入し,立入り禁止の目印である赤旗を引き裂く.戦闘警察は軍事保護法違反の容疑で即時拘束.

6.13 金大中大統領、平壌訪問。金正日北朝鮮国防委員長と会見.

6.15 南北共同宣言を発表.核・ミサイル・非武装地帯問題については言及なし.

6.19 メヒャン里での爆撃訓練が再開される.

6.27 韓国,日本の大衆文化の第3次開放政策発表.

6.29 ホテル・ロッテ従業員労組がストライキ.機動隊1万人が,篭城中の組合員数千名を強制排除.市内中心部は市街戦の様相を呈する.

00年7月

7.01 社会保険労組のストに対しても機動隊が導入される.

7.10 民主労総のタンビョンホ委員長,警察鎮圧に抗議したという理由で当局に強制連行される.

7.11 最高裁で韓国人元勤労挺身隊員と不二越が和解.

00年8月

8月2日 韓米地位協定(SOFA)の改定協議開始.

8.24 韓国政府、南北往来の自由化に備え京義線鉄道および道路の建設計画を発表。

8.30 金大中,ワシントンポストとの会見で,「金正日が在韓米軍の継続駐留に同意した」と発言.

00年9月

9.15 シドニー・オリンピック開会式で南北の合同入場行進 

9.18 韓国で鉄道・京義線の連結,復旧に向けた工事の起工式

9.22 韓国の白頭山観光団が訪北.

9.25 現代峨山グループの4,000億ウォンにのぼる対北支援疑惑が発覚する。

9.25 済州島で初の南北国防相会談,ソウルで南北経済実務者協議が開始される.

00年10月

10.13 金大中大統領、南北首脳会談を実現させた功績によりノーベル平和賞を受賞することが決定。

10月 万都機械労組が全国7カ所の工場で篭城スト.公安部は「労働者の集団行動は不法争議とみなされる.ストライキを主導していた労組の幹部は全員拘束する」と発表.1万7千名の警察を投入し,2432名の労働者を連行.

00年11月

11.08 大宇自動車,不渡りを出し事実上の倒産.債権者会議は総計6,884人に達する人員整理を求める.

11.16 北朝鮮のダミー「韓民戦」放送,「自主民主統一闘争委員会」幹部の個人名で,韓総連を牛耳るビソン派を批判.「少数の横暴により多数の意見が黙殺されている.非民主性と官僚化により組織は硬直化し、結局は学生運動の衰退をもたらしている」とし,「過去の分派主義的指導部の罪を歴史的に清算すべきだ」と強調.

11.20 経営危機に陥った現代建設が、自救案を発表する。

00年12月

12.10 金大中大統領,ノーベル平和賞受賞.

12.27 京畿道高陽市の国民銀行労組1万人がろう城スト.警察は戦闘ヘリを使ってろう城現場のテントを破壊した後,7千人の警官隊を突入させて強制解散させる.金大統領は「勤労条件で闘うならば別の問題だが,合併をするかしないかは経営陣と株主が決定する問題であり労働者の主張は不当だ」と発言.

 

 

2001年

1.06 ウォン安景気が到来。政府はIMF資金の先払い返済を発表。2月には現代建設の債権者にも支払いを保証すると発表。

1.19 民主労総の第3期委員長選挙.一次投票で2位だったタン・ビョンホ候補が,2次投票でカン・スンギュ候補を5票差でしりぞける.

1.30 ソウル地方法院,民主労働党代表クォンヨンギルに対し,第三者介入禁止等違反で懲役10ヶ月執行猶予2年の宣告.担当判事は「国際慣例や社会の発展程度に照らし合わせ、問題があると認められるが、実定法として存在する限り致し方ない」と述べる.

01年2月 大宇自動車争議

2.09 警察と公安機関,国家保安法廃止運動に対抗し,韓総連に対する弾圧を強化.1ヶ月に韓総連代議員10人を連行.イ・ヨンホン臨時議長(全南大学)が抗議声明を発表.

2.10 韓国民族民主戦線青年学生局,平壤放送を通じて「青年学生運動の新しい跳躍を成し遂げよう」との論説を発表.「韓総連の独善的・官僚的な運営は,学生大衆の支持と信頼を失い、団結を阻害している.指導部は刷新されなければならない」と批判.(韓国民族民主戦線は,平壤放送で使われる「組織」名で実体はない)

2.16 大宇自動車は労組との交渉を打ち切り,1750人の整理解雇対象者に解雇通知を送付.労組はただちにストに入る.

2.18 民主主義民族統一全国連合(全国連合)の第10期定期代議員大会が開かれる.北の影響の下に,「強固な民族民主戦線建設!自主的民主政府樹立!連邦統一祖国建設!」をスローガンに掲げる.

2.19 大宇自動車のプピョン(富平)工場に,35中隊約4200人の機動隊が突入.労働者650名とその家族ら約千人を強制排除.抵抗した労組員76人が当局に連行される.さらに大宇自動車労組幹部と民主労総の仁川地域本部長など34人が市内で拘束される.

2.20 「大宇自動車共同闘争委員会」所属の労働者や学生ら約1500人は,富平駅前広場で「整理解雇と強制解散の金大中政権糾弾大会」を開く.警察は解散を命じ,実力行使に出る.労働者は火炎瓶を投げるなどで対抗,警察車両が焼けるなどの騒ぎになる.

2.26 ソウル大学言語学科、朴鍾哲に名誉卒業生の称号を贈る。ソウル大学には拷問の様子を描いた彫刻が設置される。

01年3月

3.09 最高裁,梨泰院のクラブのホステスを殺害した,クリストファー・マッカーシー駐韓米軍上等兵(23)に対する有罪を確定.判決文で「被告人は被害者の首の骨が折れるほどに強く首を絞めて殺害した.殺害意図のない偶発的な事件という主張は受け入れられない」と述べる.

3.14 「民族自主・民主主義・民衆生存権戦取全国民衆連帯」(準)が発足.「資本の新自由主義攻勢に立ち向かい,闘争するための常設的な闘争組織」と位置づけられる.全国連合,全農,民主労総などが結集.

3.15 民主労総,北との統一を目指す「統一連帯」に加入.加入にあたり,「民和協との共同事業が推進される場合」は撤退するという条件をつける.

3.21 現代財閥の創業者、鄭周永が失意の中で死去。

3.29 仁川(インチョン)国際空港が開港.

3.31 保健医療産業労働組合のチョン・ウォンチョル組織部長ら9人が,南大門警察署で警察官から集団暴行を受ける.

01年4月

4.05 韓総連の第9期総会,約4000人の学生が参加するなか,ホンイク大学で開催.統一綱領を改定.「連邦制統一」を放棄し,6・15南北共同宣言にもとづく「祖国統一3大原則」に変更.汎民連議長や全国連合常任議長は,「韓総連の名前にふさわしく,民族の運命を開く6・15共同宣言の実現の最先頭に立て」と煽る.

4.10 戦闘警察,テウ自動車のプピョン工場付近の道路で,座り込んだ解雇労働者をこん棒と大盾で集団暴行.数十人の労働者が重軽傷.

4.11 ソウル地裁の「梅香里(メヒャンリ)裁判」で原告側が勝訴.国に1億3200万ウォンの賠償を命じる判決.裁判所が初めて在韓米軍の不法行為に対する損害賠償の責任を明確にする.

4.17 金大中大統領,テウ自動車労組への警察の暴行について遺憾の意を表明.イ・ハンドン首相は「徹底した真相究明の後,関連者を問責し,刑事上の責任も問う」と語る.

01年5月

5.07 民族和解協力汎国民協議会(民和協)と7宗教団体が「6・15南北共同宣言実践のための民族共同行事推進本部」の結成を提案する.「統一連帯」は,「民和協」が官製団体であることから参加をいったん保留.

5.08 韓国政府、日本に歴史教科書の修正を要求.

5.17 汎民連南側本部,「統一連帯が民和協などと共同行事機構を早急に結成して,北側に南北共同行事を提案するのを望む」という北朝鮮側の意向を明らかにする.

5.17 公安当局,ふたたび韓総連に対する弾圧を強化.西部総連議長,6期韓総連議長らを連行.

5.18 金大中大統領の三男、金弘傑(キム・ホンギョル)が斡旋収賄の容疑で逮捕される。続いて6月には、次男の金弘業(キム・ホンオプ)も斡旋収賄容疑で逮捕される。

5.21 鉄道労組が初の役員直接選挙.鉄道民営化を前提にした鉄道基本法立法の阻止を訴える,民主労総派の候補が圧勝.

5.22 統一連帯,民自統の強力な主張により,「民族共同行事推進本部」への参加を決定.北朝鮮側の意向を受けたごり押しと見られる.民主労総は「統一運動陣営が分裂し新たなものを追及することに反対する」と退場を宣言.これに引き続き,民族和解自主統一協議会(自統協),天主教正義具現全国連合も退場.

01年6月

6.01 韓総連の第9期総会成立を祝う集会が,ソウルの漢陽大学で開催.社会団体などの平和的開催要求などによって,警察は介入を控える.約2万人の学生が参加.

6.02 民主労総,ソウル駅前で1万人の集会.大宇自動車への弾圧に対する警察庁長の処罰を要求し警察庁への進入を試みる.この衝突で警察十数人が負傷し警察庁の大型ガラス3枚が割れる.また警察庁前のワールドカップ広報塔が燃やされる.一部の労組員と学生らは,経済人総連会館に10余個の火炎瓶を投げ込み,正門を燃やす.

6.03 ソウル警察庁,平和集会の保障がない限り民主労総の集会を一切許可しないと発表.12日からゼネストを予告している民主労総側との衝突に備える.

6.03 ソウル東崇洞マロニエ広場で韓総連が「6.15共同宣言の実践を促す大会」を開催.警察調べで1万人が参加.街頭デモは平穏のうちに終わる.9期韓総連のチェ・スンファン議長,「国家保安法を撤廃させ,韓総連を利敵団体とする規定を撤回させ,韓総連を合法化させることが,今年の核心課題となるだろう」と述べる.

6.05 ストライキ中の暁星(ヒョソン)蔚山工場に3600人の警察官が突入.ろう城していた約300人を強制解散.189人を連行.6人は工場の40メートル高さの塔で抗議を続ける.組合員など約1000人は,也音(ヤウム)交差点と市庁付近で,火炎瓶や投石など激しい抗議行動.

6.17 民主社会のための弁護士の会(民弁),「2000年度国家保安法報告書」を発表.国家保安法違反者数は98年688人,99年509人,昨年8月まで169人と減少.しかし逮捕と捜査の過程で行われる性的暴行と脅迫などの人権侵害は依然として改善されていないと主張.

6.21 公正取引委員会,インサイダー取引があったとして,主要全国紙10社とテレビ3社に242億ウォンを追徴すると発表.

6.21 ラムズフェルド国防長官と金東信韓国国防長官が会談.米軍が韓国に引き続き駐屯することで合意.

01年7月

7.05 全国80の事業場,8万人が参加して,「労働弾圧中断」を要求して政治ストを敢行.ソウルの宗廟(チョンミョ)・釜山駅など全国18カ所で集会を開き,段炳浩(タン・ビョンホ)委員長の検挙令解除を訴える.段委員長は「明洞聖堂から出られないが,外にいる労働者とともに最後まで闘い,民主労総を死守する」と語る.

7.22 民主労総が決起大会.朝鮮日報糾弾大会(ソウル市議会前),非正規職労働者大会(チョンミョ公園),事務金融連盟(若者通り),化学繊維連盟(チョンロ聖堂前),サービス連盟(若者通り)などがソウル市内各所で決起集会を開いた後合流.チョンミョ公園は約2万人の労働者で埋まる.

01年8月

8.21 公安当局,北朝鮮での「2001年民族統一大祝典」の参加者をキンポ空港で緊急逮捕.逮捕者は千永世民主労働党事務総長,ソウル統一連帯の金キュチョル議長,汎民連南側本部の金圭澈副議長ら.空港周辺では左右両派が動員合戦.衝突直前までいたる.

9.11 ニューヨークで同時多発テロ.米韓連合軍司令部は,スチュワート司令官名で米韓連合軍に非常警戒令を発動.金大中大統領は,翌日になって韓国軍及び警察に「非常警戒措置」を指示.

10.08 米のアフガン侵攻.金大中大統領は国家安全保障会議で「非常警戒態勢」の強化を指示.

10.25 国会議員の再選挙・補欠選挙が行われ,与党民主党が記録的な大敗北.

01年11月

11.07 民主労総,ストライキなどで拘束された労働者は,毎週5人ずつとなり,ノ・テウ政権以後10年ぶりの数に達したと発表.「この数は,労働者の抵抗の強さを示しているが,同時に政権の弾圧の過酷さも示している」とのべる.

11.09 金大中大統領,「補欠選挙での敗北で,党の国民的信認を低下させ,党員と支持者らに失望を与えた」と述べ,党総裁職を辞任.大統領府政策企画首席の朴智元の辞表を受理.

11.14 第6回南北閣僚級会談が完全に決裂.ハンナラ党は「国民の自尊心と国家の利益を度外視した亡国的な対北朝鮮政策を原点から見直すべきだ」と批判.

11.15 ワシントンで第33回韓米年次安保協議会(SCM)が開かれる.会議は全国20の米軍基地と訓練場など4千万坪を10年間で段階的に返還することを確認.竜山(ヨンサン)基地や梅香里(メヒャンリ)射撃場などは,今回の返還対象から除外.

11.19 京畿道抱川郡蒼水(チャンス)面の国道87号線で,牽引中だった米第2師団所属のC-55戦車が、対向車線に飛び出し,トラックと乗用車など3台を押しつぶす.この事故で9名が重軽傷を負う.米軍による交通事故は年間400件を超え,米軍犯罪全体の6070%に及ぶ.韓国側の裁判権行使は5%台を下回る.多くは泣き寝入りとなる.

12月 「民主主義民族統一全国連合」のパク・セギルと、「社会進歩のための民主連帯」のホン・ソンマンのあいだで、金大中政権の評価・総括をめぐり論争。パク・セギルは「広範な民族民主戦線に基づく自主的民主政府の樹立」を訴え、ホン・ソンマンは、「反米自主化路線の限界をふまえ、反新自由主義連帯戦線の形成を」訴える。また労働者・大衆の政治的前進が伴わない状況の下で、支配勢力が振りまく「南北関係の改善」に取り込まれることを警戒。

 

 2002年

02年2月

2.06 ブッシュ大統領の訪韓を前に約600の市民社会団体が合同記者会見.訪韓阻止の共同闘争計画を発表.各界人士による「700人平和宣言」、アメリカ政府が朝鮮半島政策を平和的なものへと転換するよう要求.

2.19 ブッシュ,日本・韓国・中国を歴訪.「北朝鮮に対する軍事攻撃の意思はない」と発言.金大統領は「ブッシュが対北包容政策への積極的な支持と、無条件での対北対話の意志を表明した」と評価.

2.20 「ブッシュ訪韓反対の国民大会」に600団体1万名が結集.北朝鮮に対する敵視政策の撤回を求める.一部の学生は駐韓アメリカ商工会議所に乱入し立てこもる.

2.25 公共部門3社(ガス・鉄道・発電)の労働組合の民営化阻止ストが始まる.ガス・鉄道労組は早期にストを中止するが,民主労総傘下の韓国発電産業労組は「散開・電撃スト」を続行.政府当局は,公企業労組のストを不法行為と規定.スト主導者に対しては逮捕,厳罰,損害賠償に訴えると声明.労組執行部に対する検挙に乗り出す.これに対し民主労総は,宿所提供運動、募金運動,週3-4回の大規模集会など総力で支援.

2.26 民主労総,公企体の民営化に反対する連帯ストを決行.19労組,103職場,13万80人が参加.現代・起亜・.双竜など自動車3社,全国保健医療産業労働組合,航空関連6労組など民主労総の中核組合は,発電労組を支持しゼネストの構え.

02年3月

3.05 警察当局,情報通信倫理委員会に電力労組ホームページの閉鎖を要請.電力労組ホームページをホスティングしている進歩ネットワークなど市民社会団体は,これを糾弾する内容の記者会見を開く.

3.06 民主労総,「電力労組員は賃上げを要求しているのではなく,国の基幹産業を財閥と米国に売却することに反対している.われわれは国民に民営化の不当性を宣伝し闘っていく」と述べる.

3.10 ウルサン,プンダン,ポリョン,タンジンなどの発電労組労組員1300人が,トングック大学のマンヘ広場で抜き打ち集会を開く.イ・ホドン委員長から携帯電話による激励.

3.16 民主党の大統領候補を決める選挙.盧武鉉が光州と仁川で金大中派候補の李仁済に圧勝.

3.25 警察が延世大学構内へ約6千人の兵力を投入.座り込み中の労組員を深夜に強制解散.5つの発電会社社長団は,約4千人を「例外なしに解雇する手続き」に入る.さらに「これまで273億ウォンの損失を被った」とし,労組員の財産仮差し押さえなど民事上の責任を問う.

3.26 民主労総の臨時代議員大会,4月2日の「国家基幹産業私有化阻止と労動運動弾圧粉砕のためのゼネスト計画」を満場一致で決議.

3.29 「連合土地管理計画」(LPP)協定が最終確定される.駐韓米軍基地と訓練場地4114万坪を,2011年まで段階的に返還する計画.韓国政府は代替地として154万坪を米軍側に提供するもの.米軍基地再配置に必要と推定される4億ドル米国側と韓国国防部が折半することとなる.

3月 民主労働党が定期全党大会.党員2万,地区党94ヶ所と創党時に比べて3倍近く規模を拡大したと報告.

02年4月 民主労総のゼネスト中止

4.02 民主労総本部,「中央労働委員会仲裁裁定を尊重し,発電所民営化関連交渉を議論対象から除外する」と発表.ゼネスト中止を指令.会社側は,組合員に対する懲戒と民事・刑事上の責任が適正な水準で解決されるよう努力することを約束.

4.03 イ・ホドン発電労組委員長は敗北声明を発表.民主労総と政府の合意案を受け入れて直ちに業務復帰すると声明.発電労組員らは,3日からストを解除して業務に復帰することとなる.

4.04 民主労総本部,ゼネスト中止に関する謝罪文を発表.韓国労総傘下のガス公社労組は,上級団体を民主労総に変え,鉄道労組も上級団体変更に動くなど,民主労総への結集が強まる.

4.06 仁川市の民主党予備選挙.李仁済陣営は,盧武鉉候補の義父が南朝鮮労働党員だったことを攻撃.逆に市民の反感を呼ぶ.青年層が勝手連「ノサモ」を結成.インターネットを通じて三大紙の反共キャンペーンと対抗.

4.07 慶尚北道と大邱・仁川市の民主党内候補者選出選挙で,盧武鉉が勝利.李仁済はレースからの退陣を表明.

4.08 民主労総が中央委員会を開催.執行委員会は,発電所民営化に関する「政労合意」の責任を問われ総退陣.獄中のタン・ビョンホ委員長は,任務を継続すべきとされる.

4.12 盧武鉉候補,「韓米関係は依存関係から対等な相互協力関係にならなければならない」と発言.駐韓米軍問題に対しては「撤収などは考えていない.現在もこれからも必要だ」と述べる.

4.28 “金剛山ダムの崩壊説”がテレビでいっせいに報道される.

5.27 ソウル大生280名、東京大生300名を対象に「北東アジアの安全保障にとって最大の脅威はどの国か?」との質問.東大生は、(1)北朝鮮(60%)(2)中国(20%)(3)アメリカ(16%).ソウル大生は、(1)アメリカ(59%)(2)北朝鮮(21%)(3)日本(9%)

5.31 日韓ワールドカップ開催(~6月30日)。韓国は4位に入る。

5月 韓総連第10期執行部,「韓国民主学生連合」(民学連)の結成と,韓総連の大衆化を提起.カン・ウィウォン5期議長は「綱領・規約の改正とともに、韓総連が時代の変化に応える学生の自治機構として再生することを目指す」と強調.

02年6月 女学生轢殺事件

6.13 統一地方選挙が実施される.市町村長選で2名が当選。政党名簿式比例代表制がはじめて導入され,民主労働党は全国で8.1%の支持率を獲得.11名の当選者を出す。

6.13 京畿道楊州郡広積面孝村里で,女子中学生二人(辛ヒョスンさんとシム・ミソンさん)が,米第2師団工兵隊所属の装甲車(架橋運搬用軌道車両)にひき殺される.

6.19 米軍と韓国警察の「合同調査班」が調査結果を発表.「今回の事故が故意や悪意によって起きたとするどのような証拠も発見できなかった。われわれはこの事件が悲劇的な事故だと確信する」

6.26 議政府の米第二師団前で,女子中学生虐殺抗議集会.米軍は抗議文を渡そうとして構内に入った代表に対し暴行.同行した記者二人を拘束.

6.27 遺族らと汎国民対策委,犯人の告発=裁判闘争に踏み切る.また法務部には,「裁判権を放棄するよう米軍に要請せよ」との申請書を提出.

6.29 民主的な弁護士集団が独自調査.「事故」が起こるべくして起こった「犯罪」に他ならないことを明らかにする.

6.29 99年に続く黄海上の軍事衝突事件.北方限界線(NLL)を越えて南進してきた北朝鮮警備艇二隻が,韓国軍警備艇に無警告で発砲.韓国軍は死者5人,負傷者19人を出す.北朝鮮側も警備艇一隻が炎上.

02年7月

7.09 国会議員会館で「米軍装甲車女子中学生殺人事件に関する市民社会団体・国会議員の対国民合同報告大会」が開かれる.多くの議員が超党派で参加.

7.11 金大中政権,米軍と米政府に対し初めて裁判権放棄を申し入れる.

7.11 梨花女子大総長の張裳(チャン・サン)が、首相代理に就任。国会は張裳の首相就任案を否決する。

7.11 駐韓米軍のラフォート司令官は公式会見.みずからに全面的な責任があることを認めるが,「SOFAの規定により,公務中の米軍人の事故については,米軍側に一次的裁判権がある.このため,犯人の引き渡しは困難である」と語る.

7.14 議政府市の米第二師団前で,汎国民対策委員会が主催する「米軍装甲車女子中学生殺人蛮行糾弾第四回汎国民大会」が開かれる.四千人の労働者・市民・学生らが参加し,轢殺事件抗議闘争における最初の大規模集会となる.

7.25 北朝鮮,韓国政府あてに「黄海上で偶発的に発生した武力衝突事件を遺憾とする」との書簡.南北対話の再開を提案.

7.30 ハバード駐韓米大使が「市民団体連帯会議」の李ナムジュ常任代表らと会談.「いまSOFA改正の論議は適切ではない」と表明.

7.31 ソウル市内の徳寿宮大漢門前で「四十九日追悼集会」.6千の人々が集まる.釜山,光州,大邱,全北・群山,大田,忠北・清州,馬山などでも大規模な追悼集会.

02年8月

8.01 「ブッシュ大統領の公式謝罪を要求する署名」が提起される.わずか十日間で十万人を突破,8月中に30万人,年末までには130万を突破.

8.03 学生十三人からなる決死隊が,議政府市の米第二師団前に出現.一般道路を通行中の戦車部隊前に身を投げ出す.戦車の通行は4時間にわたりストップ.

8.07 駐韓米軍が,裁判権放棄の要請に対する拒否回答.

8.15 女子中学生追悼と主権回復のための人間の鎖市民集会.労働者や市民,学生ら四千人が,警察の妨害を跳ねのけ,人間の鎖で米軍龍山基地を取り囲む.

8.15 MBC放送の「周辺国への好感度」に関する世論調査.アメリカ42%、日本31%に対し、北朝鮮は55%に達する.

8月 金大中の容共姿勢に反発する自民連,連立を離脱.金対中政権は完全にレームダック化する。

02年9月

9.12 疑問死真相糾明委委員会、「人革党事件は中央情報局が操作した事件」と報告。

9.16 京畿道坡州市の一般道路で,乗用車で走行中の朴スンジュさんが,米軍の大型トレーラーにぶつけられ,その場で死亡.

9.29 釜山で第14回アジア競技大会が開催される。

10.20 第10期議長のキム・ヒョンジュ全南大総学生会長,公判で「吸収統一にも反対するが、赤化統一にも反対する」と陳述.市民運動内部にも、韓総連を合法化せよとの意見が強まる.

02年11月

11.20 米軍による軍事裁判が評決.管制兵フェルナンド・ニノ兵長と運転兵マーク・ウォーカー兵長は,ともに無罪となる.弁護士は,「女子中学生が道路の広い左端を歩かないで,右側を歩いていた」とのべ,女子中学生に過失があると主張.

11.20 大統領選挙では,保守系ハンナラ党の李候補もふくめ,すべての候補が米軍の対応を批判.世論調査では,米軍の裁判結果について「公正でなかった」と答えた人が97.1%に達する.またSOFAを「全面または部分改正すべき」が96.2%に達する.さらに過半数を上回る回答者が米軍撤退に同意.

11月27日 ブッシュ大統領,ハバード大使を通して「間接謝罪」する.「事件に対する悲しみと遺憾の意を表し,再発防止のための協力を惜しまない」とする.

02年12月 盧武鉉の勝利と民主労働党の躍進

12.01 大統領選最終盤の世論調査.権候補の支持率が6%台まで上がる.

12月初め 女子中学生虐殺に抗議して,全国の中・高・大学生による黒いリボン運動が広がる.

12月2日 汎国民対策委の訪米団,百三十万人の署名簿を携えワシントン入り.国防総省やホワイトハウス前で抗議集会を行う.ホワイトハウスは闘争団が提出した署名簿の受け取りを拒否.警官を配備し在米同胞一人を逮捕する.

12月5日 韓米年例安保協議会議(SCM)が開かれる.会議後に韓米両国の共同記者会見.「SOFAの改正はない」と発表.韓国側が提起した「SOFA運営上の改善」策も,事実上受け入れられず.

12月7日 ソウルの米大使館前で,市民二万人が「裁判権の委譲」などを求めてローソクデモ.このほか35都市で三万人が参加する抗議行動が展開される.

12.10 人革党事件再審請求。

12.15 中央日報の世論調査.米軍の裁判結果について「公正でなかった」と答えた人が97.1%.SOFAを「全面または部分改正すべき」が96.2%.さらに駐韓米軍の即時撤退と段階的な撤退をもとめる声が,合わせて51%となる.

12.16 「全国経済人連合会」と「大韓商工会議所」など経済5団体が,国民に反米デモの自制を要請.
 

財界の言い分: 朝鮮戦争の際,自由と民主主義,そして自由市場経済を守護するため,多くの米国の若者が血を流した.彼らの死が無駄にされてはならない.韓米両国の友好関係は持続・発展されなければならない。反米デモは対米国貿易に打撃を与え,外国人投資が萎縮し,職が少なくなる。
民主労総・韓国労総は「経済成長のために米国の横暴を我慢せよという論理は,民衆にとっては耐え難い恥辱」と反論. 

12.19 大統領選挙開票.盧武鉉候補が1201万4277票(48.9%)を獲得し勝利.ハンナラ党の李会昌は1144万3297票(46.6%).盧武鉉は接戦とされていた首都圏と忠清圏で優勢に立つ.

12.19 大統領選挙.民主労働党の権永吉は95万7148票(3.9%)を獲得.鄭夢準氏(国民統合21代表)の爆弾発言で,危機意識を抱いた権候補支持者の相当数が,盧武鉉候補側に流れる.

12.20 権永吉,「今回の大統領選挙で受けた100万票は希望の種だ。いま真の政治を成し遂げる政治改革が始まった」と声明.盧武鉉は「戦争だけは何としてでも阻止しなければならない。いざ戦争が始まってしまえば、軍統帥権のない私にはどうしようもないからだ」と,繰り返し訴える.

12.21 ソウルでふたたびキャンドルデモ,アメリカ大使館を包囲.

12.24 ソウル市内で十万人のキャンドルデモ.光化門十字路を完全に埋め尽くす.ソウルのほか,釜山や大邱,光州など全国六十の都市や地域で平和デモが行われ,四十万人が参加.

12.26 NYタイムス,「女子中学生殺人事件で即発された韓国内反米機運など,同盟国などの反米感情に対処するため,国防総省が秘密宣伝活動を計画している」と報道.

12.25 「韓国キリスト教総連合」などが親米デモと署名運動.ろうそくデモを傷つける親米言論の報道が続く.

12.30 盧武鉉次期大統領,韓国軍幹部と懇談.「駐韓米軍の撤収に備えた国防戦略」の必要性を強調.

 

 

2003年

03年1月

1.09 ワシントンポスト紙,「韓国ギャラップ」の世論調査を報道.アメリカへを「嫌い」との回答が、94年の15%から03年には53%に増え,「好き」との回答は、64%から37%に減る.

1.13 ケリー国務次官補,ブッシュ大統領の特使として訪韓.盧武鉉氏と会談.さらにボルトン国務次官も訪韓.「韓米同盟の必要性」を訴える.

1.22 女子中学生汎対委,「闘争を無力化させるため,米国防省が秘密工作を行っている」と抗議する.

1.26 京畿道華城市で,在韓米軍第5偵察隊に所属するU-2偵察機が墜落.住民3名が破片で軽いケガ.

03年2月

2.18 大邱の地下鉄1号線で爆発・炎上事件が発生。192名死亡、148名負傷。

2.25 盧武鉉が大統領に就任.「北東アジアの時代が到来している」と強調.韓国の経済発展は朝鮮半島の「平和定着」にかかっているとし,「太陽政策」を継承する「平和と繁栄政策」を掲げる.

2.27 高建元首相が首相に就任。

2月末 アメリカの格付け会社,「北朝鮮核問題の危機と韓米関係の悪化」を理由に,韓国の格付けを2段階引き下げ.ムーディス社は、「3月の中旬に韓国の信用格付けを調整する会議を開催するが、見通しは極めて否定的」との情報を流す.

03年3月

3月初 韓国格付け引き下げに対処するため,大統領外交補佐官を団長に、財政経済部と国防部まで網羅した政府代表団が渡米.「韓米同盟の強化が新政権の最優先課題」という結論を得て帰国.

3.14 ワシントンポスト紙、「アメリカの政界は盧武鉉政権との最初の戦闘で得た勝利を満喫している」と報道.米政府が,石油など資源戦略と資本投資などマネー戦略で締め付けたことを明らかにし,「駐韓米軍削減が話題となるだけで、韓国の証券市場と経済に深刻な打撃を与えることを明らかにした」と解説.

3.20 米・英連合軍のイラク侵攻が始まる.盧大統領は,「大量破壊兵器を速やかに除去するための処置」であると,アメリカへの支持を表明.世論調査では,イラク戦争に「反対」が75%、「賛成」は22%.

03年4月

4.02 議会,イラク派兵決議案を賛成179、反対68、棄権9で可決.大統領は、「韓米関係を強固にすることが、北朝鮮の核問題を平和裏に解決する道である。…国民の安全を守り戦争を防止する責任者として、派兵を決心した」と演説.

4.30 盧武鉉大統領,国家情報院の人事を刷新.院長にコ・ヨング,基調室長にソ・ドンマン(サンチ大学教授)を任命.国情院第1次長(海外担当)にヨム・ドンジェ,第二次長(国内担当)にをパク・ジョンサムを任命.第3次長(対北問題)にはキム・ポヒョン次長を留任させる.ハンナラ党と国会情報委員会は,ソ教授らの就任に対し「北朝鮮シンパ」として反対.

5.11 盧武鉉大統領、米国を訪問。

6.07 盧大統領が日本を訪問。小泉首相と共同声明.「北朝鮮の核問題は北東アジアの深刻な脅威であり,平和的・外交的に解決されなければならない」とする.

7.22 朴容晟大韓商工会議所会長、「投資不振は高率の賃金上昇と不安な労使問題、各種の規制が原因である」と主張。韓国の投資環境はもともと「四高一多」、即ち高賃金、高金利、高地価、高物流費、多規制と呼ばれ投資家には不人気であった。

8.04 現代峨山から北朝鮮への秘密資金援助の疑惑が発覚。鄭夢憲会長が、社屋屋上から投身自殺。

8.21 大邱で第22回夏季ユニバーシアード大会が開催される。北朝鮮も統一旗の下で参加。「美女軍団」が話題となる。

10月 国務総理管轄の「済州4・3事件真相究明および犠牲者名誉回復委員会」が、2年あまりにわたる調査の報告書を発表。犠牲者総数は2万5千ないし3万人。これは当時の人口のほぼ1割。犠牲者の8割は軍警討伐隊による殺害だった。

11.17 ラムズフェルド米国防長官が韓国を訪問。東豆川市の米第2歩兵師団基地キャンプ・ケーシーを視察。

 

2004年

04年1月

1.01 日本の大衆文化が全面的に開放される。アニメなどは除かれる。日本のTVドラマも放映される。

1.15  尹永寛(ユン・ヨングァン)外交通商相が辞任。これにかわり潘基文(パン・キムン)大統領外交補佐官が外交通商相に就任する。

04年2月

2.23 平和再建を目的としたイラクへの軍派遣を決定。これにもとづきザイトゥーン部隊が創設される。

2月 朝鮮戦争の民間人虐殺の被害者救済に関わる法律、植民地時代の強制連行などに関わる特別法などが相次いで成立。

04年3月

3.02 植民地時代の親日派に関する究明特別法が成立。戦後、不問のままとなっていた親日派への責任追及が始まる。

3.12 韓国国会、①大統領の事前選挙運動、②側近の不正、③経済破綻を理由として、盧武鉉大統領に対する弾劾訴追案を可決。ハンナラ党が主導し、これに元与党の民主党が賛成したことにより成立。盧武鉉大統領は職務を停止され、高建首相が大統領代行に就任する。

3.13 ハンナラ党の無責任な弾劾に対する国民の抗議が広がる。ソウルの光化門前では、10万人が抗議のローソクデモ。

3.20 弾劾反対の全国統一行動。ヨイド島をセンターとし、全国で35万人がローソク・デモ。

3.23 世論の前に追い詰められたハンナラ党、朴槿恵議員を総裁に選ぶ。

3月 組合のホームページで、民主労働党支持を表明したウォン・ヨンマン全国教職員労組委員長、70人以上の警察官によって連行される。また公務員労組は、公務員法違反の容疑で委員長、書記長、副委員長ら役員9人が逮捕される。

04年4月

4.01 韓国高速鉄道(KTX)が開業。

4.08 イラクで韓国人牧師8人が拘束されるが、9時間後に解放される。

4.15 韓国第17代総選挙。盧武鉉の与党となった新党「開かれたウリ党」(わが党)が、過半数を超える152議席を確保し圧勝。議員の2/3が新人議員に変わる激変となる。与党ウリ党当選者のうち政治犯として逮捕歴のある者が1/4を占める。ハンナラ党は137議席から121議席に大幅に議席を減らす。弾劾に加担した民主党と金鍾泌の自民連は泡沫政党に転落。

4.15 民主労働党は12.9%を獲得、地域区2議席(蔚山と昌原)を含む10人を当選させ、議会第三党に躍進。党員は後援会員を含めて5万名余り。うち民主労総の組合員は党員43%の2万1000人にのぼる。

4.22 北朝鮮の平安北道竜川駅で、謎の爆発事件。死傷者3,000名以上といわれる。

04年5月

5.13 安室ナミエが、3日間にわたりソウルで公演。

5.14 韓国憲法裁判所、「弾劾に相当するほど重大な職務違反はない」とし、大統領弾劾訴追の棄却を決定。

5月中旬 政党支持率の世論調査。ウリ党が43.5%、ハンナラ党22.3%、民主労働党21.9%となる。

5.20 盧武鉉大統領、与党となったウリ党にあらためて入党。

04年6月

6.05 釜山で市長選挙。汚職容疑で拘留中に自殺した前市長の後任を選ぶ選挙。ハンナラ党の許南植(ホ・ナムシク)が当選。ウリ党は総選挙での勢いを生かせず。

6.05 ラムズフェルド米国防長官、在韓米軍の大幅な改編計画を発表。

6.23 イラクで人質となった韓国人会社員金鮮一(キム・ソニル)が殺害される。

04年7月

7.01 ジャカルタで南北朝鮮外相が4年ぶりの接触。

7.05 政府、首都行政機能の忠清南道の燕岐・公州地区への移転を発表。

7.18 ソウル警察庁、韓国史上最悪の連続殺人事件でユ・ヨンチョル(柳永哲)容疑者を逮捕。警察確認では21人が殺害された。

7.27 脱北者(北朝鮮脱出者)468名が、ベトナムを経由して集団入国。

04年8月

8.02 在韓米軍の第2歩兵師団のうち、第2旅団3,600名がイラクに派遣される。

8.25 韓国のPKO部隊ザイトゥーン部隊がイラク北部アルビルに向け出発。米英に次ぐ規模となる。

04年9月

9月22日 中国が米国を抜いて韓国の最大の貿易対象国家になる。

9.30 対日貿易赤字が200億ドルを突破。史上最高となる。

04年10月

10.06 盧武鉉にたいする支持が急降下。京郷新聞の世論調査で不支持率は70%に昇る。

11月 国家情報院に官民共同の調査委員会が設置され、金大中拉致事件を含め過去の人権抑圧に関する調査開始。

 

2005年

2.04 盧武鉉大統領、目を二重瞼に整形。このあと支持率が28%から48%まで上昇する。

3.16 島根県議会、竹島の日制定し、韓国側が猛反発。観光客が竹島(韓国名:独島)に上陸するなどのキャンペーン。

3.22 盧武鉉大統領、陸軍第三士官学校で講演。「韓国が北東アジアのバランサーになる」と語る。

3.31 韓国国連大使、日本の安保理常任理事国入りに反対の意思を表明。

5月17日 独立運動に貢献した朝鮮共産党の活動家ら左翼系の独立運動家64人に「建国勲章」などを授与することが決まる。すでに95年には、李東輝に建国勲章が授与されている。

5.26 国情院の過去史真実委員会、金炯旭元KCIA部長が79年10月にパリで殺害されたとする中間調査結果を発表。暗殺を命令したのは当時の部長金載圭とされる。

5月 「真実・和解のための過去史整理基本法」(過去史法)が成立。植民地期から軍事政権期にいたるすべての事案に適用して、真相解明や責任の追及、補償を効率的に実施できることとなる。対象は①植民地期の独立運動、②解放から朝鮮戦争にいたる時期の民間人集団虐殺、③建国後、不当な公権力の行使によって発生した疑問死、④大韓民国の正統性を否定するテロ行為など。

6.01 対馬沖で密漁していた韓国漁船が、海上保安庁巡視艇に追いかけられる。これを保護した韓国海洋警察庁の警備艦と睨み合いとなる。

12.09 

12月 経済成長率は4.0%に止まる。「四高一多」、即ち高賃金、高金利、高地価、高物流費、多規制に批判が集まる。海外投資の活発化、不動産価格と株価の上昇で富の偏在が進む。

2006年

1.02 朝鮮日報が世論調査。盧武鉉政権への支持率は22.6%と低迷。否定的評価も66.5%に達する。

2.09 李秀永韓国経営者総協会会長、「政界が労働界に偏向支援を続けるなら、企業もストライキをするだろう」と警告。

2.10 民主労働党が党大会。党員47,236人による投票で、自主派のムン・ソンヒョン候補が代表に選出される。平等派のチョ・スンス候補は46%を得たが落選。党の最高委員も、平等派は3人にとどまり、自主派の圧勝。

2.13 民労党第2期最高委員会が第1回ワーク・ショップを開く。反米・統一運動の中心性を強化し、非正規職改悪案などの闘争は第二義的イシューとされる。

5.26 東国大のカン・ジョング教授、「朝鮮戦争は北朝鮮指導部による統一戦争」と主張。「国家保安法」違反として懲役2年(執行猶予3年)の判決。ノムヒョン政権は司法に対して「学問の自由と表現の自由」を侵すものと抗議。

5.31 一斉地方選挙。民労党はさらに前進。

5月 平沢の米軍基地建設に反対するデモ。当局との衝突で520人が連行される。

6.19 民主労総が第15次中央執行委員会。チョジュノ委員長は、社会的合意主義にもとづき労使政代表者会議への参加を訴える。

4月 ウリ党の韓明淑、韓国初の女性首相となる。

韓明淑(ハン・ミョンスク): 梨花女子大卒。67年に「統一革命党事件」に連座し逮捕。13年間の獄中生活を送る。79年、いったん釈放されるが、ふたたび中央情報部に逮捕され、拷問のあと2年間投獄された。

6.19 民主労総が第15次中央執行委員会。チョジュノ委員長は、社会的合意主義にもとづき労使政代表者会議への参加を訴える。

7.26 真実究明委員会、「金大中事件はKCIAによる組織ぐるみの犯行」と断定する報告書を発表。韓国政府は、初めて政府の関与を認める。「李厚洛KCIA部長が直接犯行を指示し、20人余が役割を分担した。朴正熙大統領自身の指示については明確な証拠は見つからず、否定する根拠もない」と結論する。

10.03 韓国で「スパイ団事件」が発生。386世代の元学生運動家チャン・ミンホ容疑者(44)は、17年間にわたりスパイ活動を続けたことを明らかにする。

一心会: チャン・ミンホの自供によれば、1989年に北朝鮮労働党の対外連絡部に取り込まれ、スパイ活動を働くようになった。「金正日総書記の一心にお仕えする」という意味の「一心会」という秘密組織を結成し、北朝鮮労働党対外連絡部の指揮・操縦を受けていた。「一心会」のメンバーとして、民主労働党前中央委員のイ・ジョンフン容疑者(42)やソン・ジョンモク容疑者(42)、民主労働党事務副総長のチェ・ギヨン容疑者(40)、イ・ジンガン容疑者(42)などが逮捕される。

10.27 公安当局、「スパイ団事件」の詳報を発表。チャン・ミンホ(米国名マイケル・チャン)は89年に北朝鮮に密航。スパイ教育を受けたあと在韓米軍に入隊し、龍山基地に勤務しながら軍事情報などを流出させる。99年にイ・ジョンフン、ソン・ジョンモク、チェ・ギヨンら386世代の元活動家を糾合し、一心会を結成する。

10.31 民主労働党の代表団が北朝鮮を訪問。「韓半島では、今なお好戦的な米国と日本が策動を続けている」と声明。韓国内では、事実上北の核を容認したと非難される。さらに金日成の生家である万景台の訪問を行ったことが物議をかもす。

10月 民主労働党の自主派は、北朝鮮の核開発路線を受け、「自主的核武装論」を展開。イ・ヨンデ政策委議長の『北核自衛論』発言。大統領選挙の公約にも『米軍撤収が完了した時点で北朝鮮の核兵器の廃棄を完了させる』との方針が書き込まれる。

11.08 ソウル中央地方検察庁公安1部、「スパイ団事件」の中間発表。組職の責任者はチャン・ミンホ、「一心会」には「先軍政治同志会」、「8・25同志会」、「白頭会」など4つの下部組織が構成され、「既存政党に潜入し、統一戦線体制を構築、環境活動家らの取り込みを試み、市民団体を操ろうとした」とする。

11月 「韓米FTA阻止汎国民運動本部」(汎国本)、全国7箇所でデモ。市庁や道庁に押しかけ火炎瓶を投げつける。

12.06 国家保安法廃止国民連帯(国民連帯)がソウル市内で記者会見。「国家情報院は『一心会』事件を、正確な証拠もなく『スパイ団』事件と規定し、魔女狩り式の世論操作で真実をおおいかくしている」と厳しく批判。国家情報院長を被疑事実公表罪と国情院法違反容疑で告訴する。国民連帯は統一連帯、民衆連帯など96の社会市民団体で構成される人権団体。

 

2007年

07年3月

3.26 FTA阻止汎国本がソウル市庁広場で集会。デモ隊が車道を占拠し、交通をまひさせる。

3月 韓国ギャロップの世論調査。民主労働党の支持は5.7%に低下する。

07年4月

4.16 「一心会」事件の一審判決。チャンミンホに懲役9年、イ・ジョンホンとソン・ジョンモクに懲役6年、イ・ジンガンとチェ・ギョンにも懲役刑の判決。ただし、「一心会」の組織の実在には疑問を呈し、利敵団体構成」など重要嫌疑については無罪の判決。

4.16 民主労働党、判決を受け記者会見。「386世代が網羅されたスパイ団事件」という公安発表が虚偽であったことが明らかにされたとしつつ、有罪判決に対しては不当と抗議。

07年10月

10.24 韓国国家情報院の「過去事件真実究明を通じた発展委員会」、金大中拉致事件に関する最終報告書を発表。

10.30 柳明桓(ユ・ミョンファン)駐日大使が日本の国家主権の侵害になったことに関して「遺憾の意」を伝え、高村外相は「陳謝と再発防止の確約と受け止める」と応じた。ただ、韓国政府は正式の謝罪とは位置づけていない。

李厚洛が「KT工 作計画案」を作成、李哲熙・情報次長補らに拉致を指示、金東雲1等書記官ら24人のKCIA要員に駐日公使らを加えた計27人。「計画案には在日韓国人の暴力団幹部を使った殺害案も含まれていた」が、日本の警察の尾行や 盗聴などで殺害を断念して拉致計画に変更した。
また朴大統領が事前に犯行を指示した可能性があり、少なくとも暗黙の承認があったと判断した。

10.30 京都滞在中の金大中前大統領、「真相がまだ明らかにされていない。殺害目的で拉致したことは明らかで、指示したのは当時の大統領だ」などと強い不満を表明した。

07年11月

11.21 労働者、人権、障害者、貧民などの社会団体が「民衆生存権、労働基本権解決」のための時局宣言を発表。「2007年の輸出は3000億ドルを突破し、1人当り国民所得は2万ドルを越える。外国為替保有額は2500億ドルで世界5位となる。その反面、自殺者は、一日に36人にのぼりOECD国で1位となる。多くの民衆は貧困と死の現実に直面している」

07年12月

12.19 大統領選挙。ハンナラ党の李明博候補は48.7%を得票し、大統合民主新党の鄭東泳候補は26.2%の支持率を得た。民主労働党の権永吉は3%(5位)と大敗。

12.23 民主労働党「前進」派の臨時総会。「現在の民主労働党は、進歩政治運動を率いることができない」とし、「第二創党」を決議。平等派の議員である沈相奵(シム・サンジョン)・魯會燦(ノ・フェチャン)らは、分党には慎重な姿勢を示しつつ、「親北勢力と決別しなければ、党での活動を共にできない」と発表。これに対し自主派の指導者である金昌鉉前事務総長は、「分裂につながる行為に対しては厳重に対応する」と述べる。

12.25 インターネット言論『民衆の声』、平等派の『前進』の内部文書を入手し、『前進』は大統領選挙の前から分党を進めてきたと報道。『進歩新党を創党しよう』という文書で、「従北派と平等派の闘争は権力闘争であり、妥協できないヘゲモニー戦争だ」とし、「分党は必然だ」と主張。この論文はハン・ソクホ前執行委員長の個人名義となっており、『前進』側も文書を作成したことを認める。

12.26 進歩政治研究所長を務める趙承洙前議員、「民労党は親北勢力と決別すべきだ」と主張。権永吉の退陣を求める。

12.26 自主派の非公式な会合である『全国会議』、「比例代表選出権は非常対策委に渡せない。シム・サンジョンが非対委員長を受けないのなら、党職選挙を行う」と決定。

12.27 ムン・ソンヒョン代表、シム・サンジョン議員に非常対策委員会の委員長就任を要請。「非常対策委が非常体制としての役割を果たす権限、責任、武器が与えられなければならない」とし、総選挙比例代表の選出権を含む全面的な権限の委譲を要求。これに対し、自主派は「非常対策委に党憲・党規以上の権限をよこせというのは無理」と反駁。

12.27 朝鮮日報、チョ・スンス前議員(現進歩政治研究所所長)とのインタビューを掲載。チョ前議員は一心会事件への党の対応を批判。「党を主導するNL勢力は、北朝鮮に追従して北朝鮮式社会主義での統一を至上課題としてきた。このような親北勢力と決別すべき」と語る。この発言は規約違反の利敵活動だとして強く非難される。

12.29 民労党中央委。選挙敗北の責任を取って党最高委員会が全員辞任。覇権主義・従北主義に関しては自主派の勝利に終わる。

 

2008年

08年1月

1.07 自主派指導者の金昌鉉前事務総長、大統領選挙の敗北の責任をとって辞任。

事務総長辞任の弁: 平等派の従北主義清算論、シム・サンジョンの公認権譲渡提案には当惑している。自主派の主張が誇張され歪曲されている。①コリア連邦共和国: 北朝鮮式社会主義での統一を主張したことはない。南北相互の体制を尊重した連邦制統一を提起した。②「北核は自衛権」発言: 北核を認める意はない。大事なことは、米国の核攻撃の威嚇が北核事態の根本だという本質を指摘することだ。③一心会事件: 進歩政党に対する不当な弾圧だ。仲間が否定すれば信じなければならない。④平等派は反北朝鮮=反共主義を内包している。シム議員が従北主義清算を語る限り本質的な信頼は出来ない。

1.12 民主労働党中央委員会、非常対策委員会の創設を可決。272人のうち161人が賛成。シム・サンジョンを委員長に選出。シム・サンジョンは受諾演説で、「覇権主義、従北主義には聖域と偏見なく対処する」と述べる。

1.14 ソウル大の金世均教授が「進歩」に寄稿。

金世均論文の概要: 民主労働党は究極的な政治的目標を持たないまま、議会主義と合法主義、代理主義と官僚主義の道に堕ちた。民主労働党は、民族主義と社民主義の不幸な結婚が誕生させた政党であり、社会的関係の根本的な変革を望む多くのヒラ党員の社会主義的あるいは社会主義指向的な熱望を、民族主義的、社民主義的、議会主義的展望の中に閉じ込める政党だった。
党に未来がないだけではなく、既成の派閥のいずれにも未来はない。NL派は、民族問題を、階級問題や反帝・反戦問題などすべての問題に優先する左派民族主義勢力である。これに対しPD派は、当初は社会主義的な指向を持つ単一の勢力だったが、その後、体制内的改革を追求する社民主義勢力との寄り合い状態となり拡散した。
新しい進歩政党は民主労働党の内部革新や第二の創党運動の中にはない。「資本主義の克服を公に明言し、その克服のために闘う社会主義的労働者階級政党」が展望されなければならない。民主労働党内のすべての階級的左派勢力が、組織的な所属と路線の違いを越え、進歩政党運動の全面的な再構成のために、共に力を合わせていくべきだ。

1.15 ソウル大病院で2年間働いた非正規職285人が全員正規職になった。公共労組医療連帯ソウル地域支部ソウル大病院分会がストをふくむ闘いで勝ち取る。使用者側はストライキに対抗し、非正規職労働者を代替投入しようとしたが、非正規職労働者はこれを拒否した。これは組合が『非正規労働者の会』を組織し、非正規職代表を選出するなど努力を積み重ねてきた成果。

1.15 シム・サンジョン委員長、『第二の創党』の路線を説明。「運動圏政党を越え、大衆的な進歩政党として出発する」と述べる。民労党が「民主労総党」であり、「大企業正規職党」だという批判は、政党としての独自の労働戦略がなかったことに由来するとし、改革を強く示唆。また一心会問題では、チェ・ギヨン前事務副総長などの党除名措置などを示唆。

1.15 「新しい進歩政党運動」、非常対策委への「要望書」を発表。①一心会事件と自衛的核武装論など対北関係、②移籍入党問題や会計不正事件、③全国連合(NL)が「民主労働党の民族民主政党化」を決議した問題、④北朝鮮社会主義の破産宣言、⑤民主労総への過度な依存の問題などを指摘。

1.15 韓国社会党のオ・ジュノ代表代行、「新しい進歩政党運動」の新党結成提案に対し、「価値と感動がなければ政治工学に留まるだけで、国民に無視される」と否定。

1.16 シム・サンジョンを代表とする非常対策委員会が発足。幹事長にソウル市党のチョン・ジョングォン委員長が就任、委員のほとんどを平等派が占める。シム・サンジョン代表は「従北主義は間違いであるが、どこが何故間違っているかを明らかにしなければならない。自主派をすべて従北主義と非難するのも正しくない。客観的に、合理的に評価し国民に明らかにすることが大事だ」とする。

1.22 『21世紀進歩政党運動の再構成』を主題とする討論会が開催される。「新しい進歩政党運動」が主催し、韓国社会党、緑の党準備会などが参加。「従北」主義批判以外には独自の政策なし。イデオローグとされるチョ・ヒョニョン聖公会大教授は、「進歩の多元主義、つまり資本主義を越える新しい社会建設の道が多様だということを認める必要がある」と強調。民労党からは議会主義、市民主義の集団に過ぎないと批判される。

1.26 非常対策委のワークショップ、臨時党大会に提案する「第二の創党のための評価と革新案」を策定。『一心会』事件の関連者を除名し、『北核自衛論』発言を党綱領違反行為と規定する。代議員の3分の2にのぼる自主派は、国家保安法により除名措置を論じるのは正しくないとし、『最終否決』の線で動く。

1.26 民主労働党の分派が「新しい進歩政党運動」を発足させる。発会式には約250人が結集。南北関係を「民族的特殊性を持った国家対国家の関係」と規定。当面は「主権国家として国家対国家の関係と認識する」方針を確認。

1.26 「新しい進歩政党運動」出帆大会、共同代表にキム・ソクチュン、市民発展のパク・スンオク代表、進歩政治研究所のチョ・スンス前所長を選出。執行委員長にはペク・ヒョンジォン前九里市委員長が就任。キム・ヘギョン前民主労働党代表が指導委員となる。指導者の一人キム・ソクチュン釜山市党委員長は、「出て行って凍えて死ぬか、残って飢えて死ぬのかという岐路で、凍えて死ぬことを覚悟して出てきた」と述べる。

1.27 民主労働党非常対策委のシム・サンジョン代表、選挙時期の偽装転入、集団住所移転などの政派覇権主義問題にも反省と再発防止対策を打ち出す。

08年2月

2.03 民主労働党の臨時党大会。一心会事件と北核自衛論、党内覇権主義と財政問題が4つの争点となる。一心会関係者の除名を骨子とした改革案が提案されるが否決される。

08年3月

3.16 沈相奵と魯会燦両議員ら5人が共同代表となる「進歩新党」の創党大会。

08年4月

4.09 第18代総選挙では、民労党は5議席しか獲得できず敗北を余儀なくされた。

7.25 民労党の代表選出大会。姜基甲(カン・ギカプ)が決選投票を制して新しい代表に選出された。

 

2009年

3月 進歩新党の大会。魯会燦が全党員を対象とした直接投票で単独代表に選出される。魯代表は、就任演説で「庶民のためだと宣言をするだけの集団ではなく、庶民から本当の友と認められる党として出直す」と宣言。

 

2010年

6.02 全国同時地方選挙で民労党が党勢を回復。首長3名、県議15名、市議51名を当選させる。慶尚南道では単独で院内交渉団体を構成することが出来る5名の議員を当選させる。進歩新党は選挙協力の結果、県議3名、市議22名を当選させる。

7.15 民労党、姜基甲代表の任期満了に伴い李正姫(イ・ジョンヒ)議員を選出する。

10.15 進歩新党が臨時大会。魯会燦に代わり趙承洙が新代表に選出される。

 

2011年

1.20 民主労総の呼びかけを受け、進歩新党を含めた統合新党を推進するための協議「進歩政治大統合と進歩政党建設のための進歩陣営代表者連席会議」が始まる。

4.27 一斉補欠選挙。民労党は順天市区の国会議員補欠選挙で勝利するなど4名が当選。

6.01 新党協議が決着。9月に新しい進歩政党を結成することで最終合意。進歩新党の副代表3名は最終合意案に反対を表明、党員の間でも強い反発が上がる。(率直に言ってとても認められる内容ではない。進歩新党幹部の裏切りに等しい)

合意内容: ①北朝鮮に対して強まる米国と南韓の圧迫と、北朝鮮の核開発などによる朝鮮半島の軍事的な対決状態を克服し、恒久的な朝鮮半島および東北アジア平和体制を構築する。
②朝鮮半島非核化、従属的韓米同盟体制の解体、駐韓米軍の段階的な撤収、休戦協定の平和協定への交替、南韓の先制的軍備の凍結と南北相互の軍備削減、東北アジア多者安保体制の構築などを積極的に推進する。
③『北の権力継承問題は 国民感情として理解し難く、批判的な立場を明らかにしなければならない』という見解を尊重する。

6.27 進歩新党の臨時大会。「進歩新党組織進路に関する特別決議文」を採択し、民労党などとの新設統合の決定を8月に延期する。

8.19 民労党の李正姫代表はさらに国民参与党との統合推進を提起。進歩新党は「自由主義勢力との野合は必然的に民主労総の分化につながり労働運動自体を無力化させるだろう」と批判。

8.28 民労党と進歩新党、9月25日に統合進歩政党の創党大会を開催することで合意。

9.04 進歩新党大会。民労党との合党案への賛成票が成立に必要な3分の2に満たず否決された。

9.05 進歩新党の趙承洙代表、統合が解消された責任をとって、党代表を辞任する。キム・ウンジュが権限代行に就任。

9.08 沈相奵と魯会燦、統合進歩政党建設のための新組織立ち上げを明らかにし、「新しい進歩政党建設のための統合連帯」を旗揚げする。キム・ウンジュ代行は統合連帯の解体を要求。

9.21 民労党歴代代表の権永吉・千永世・姜基甲、参与党との統合に反対を表明。

9.23 進歩新党創党の立役者である魯会燦と沈相奵が「大衆的な統合進歩政党を建設するため」として、離党を表明。

9.25 民労党大会。李正姫代表は参与党との統合推進を訴えるが、成立に必要な3分の2に満たず統合案は否決された。

11.25 進歩新党、新たな党代表に洪世和(ホン・セファ)を選出。4290人が投票し、賛成4194、反対68、無効28で98.4%の高い賛成率を得た。洪世和は「韓米FTA強行批准など、労働者、庶民が崖っぷちに追いやられている」とし、「進歩政治のアイ デンティティを確立し、きちんとした労働者政治勢力化を実現する」と述べた。

洪世和: 72年、ソウル大学文理学部在学中に「民主守護宣言文」事件で除籍。その後復学し卒業後、「韓国民主闘争国民委員会」(民主闘委)、「南朝鮮民族解放戦線準備委員会」(南民戦)に加わる。79年10月の南民戦事件によりパリ亡命。02年1月、韓国にもどりハンギョレ新聞社企画委員。
亡命中に書いた『コレアン・ドライバーは、パリで眠らない』は、韓国で大きな反響を呼び起こした。

12.15 民労党と国民参与党、「統合連帯」との合党によって「統合進歩党」が結成される。

 

2012年