北朝鮮戦後史年表 朝鮮戦争以後
1953年
53年8月 南労党系幹部の粛清
8.05 朝鮮労働党中央委員会第6回総会が、5日間にわたり開かれる.経済復興3カ年計画を採択.重工業の優先的な発展を保障しながら,同時に軽工業と農業を発展させる戦後経済建設の基本路線を提示.農業集団化の方向が決定される。
8.06 6中総で許嘉誼の自殺事件に関する報告が行われ、李承燁,李康国,尹淳達、趙一鳴、林和,裵哲、朴源勝の7人を除名・追放.朴憲永ら南労党系幹部グループの「陰謀」に対する粛清が始まる。
8月 北朝鮮の特別軍事法廷,南労党系幹部12名を「アメリカのスパイ」として裁判にかける.除名された7人に超一明、李源朝らを加え10人が死刑判決を受け次々に抹殺される.朴憲永は分離され別の裁判にかけられる.
8.30 国連軍クラーク司令官,米韓軍の艦艇および航空機が哨戒活動する際の北限線(NLL;Northern Limited Line)を規定.“北進統一”を掲げる李承晩政権を制御するためのものとされる.
53年9月
9.19 モロトフ・金日成会談.経済復興3カ年計画に対し約7億5千万ルーブル(2.5億ドル)の援助および借款支払延期を決めた共同声明を発表.
9.23 国連軍,帰国を拒否する2万人あまりの北朝鮮捕虜の管轄を,中立国帰還委員会および非武装地帯のインド軍監視部隊に移す.
53年11月 経済復興3カ年計画
11.03 国連総会,国連軍勢力に対して細菌戦に関する北朝鮮側の訴えを公正に調査するよう勧告.
11.10 金日成を団長とする政府代表団が訪中。経済復興3カ年計画について援助を求める。
11.20 北朝鮮最高人民会議が三年ぶりに開催される.経済復興3カ年計画を承認.生産設備のほとんどが壊滅した北朝鮮は,人民経済のすべての部門で戦前の水準を回復することを基本的課題する.
11.23 中国とのあいだに経済・文化協力協定が締結される.中国は朝鮮戦争中に援助した物資と費用を,すべて無償で供与する.さらに3年間で3.6億ドル相当の援助物資を無償提供することも約束.また東独は興南市再建を無償で請け負い,1億ドル相当の物資・支援を提供.
12.03 国連総会は,国連軍捕虜に対し北朝鮮,中国によって残虐行為が加えられたと非難する決議.
1954年
8.30 北朝鮮の南日(ナムイル)外相,「日本政府にたいして,在日朝鮮人の公民としての正当な権利を認めるよう要求する」との政府声明を発表.このあと在日朝鮮人運動は日本共産党を離れ、北朝鮮政府・党の構成部分としての再編成がはじまる.
9.06 中国人民志願軍司令部、北朝鮮からの7個師団撤退を発表する。
10月 中国紅十字会の代表団が来日.李徳全代表は,「在日朝鮮人の共産主義者が日本共産党に籍をおき,日本革命推進のために活動するなどとは内政干渉の最たるものである」と批判.(この発言自体も内政干渉とも受け取られるが)
10.28 北朝鮮第8回最高人民会議,韓国各界に平和統一を呼びかけ.
11.03 北朝鮮労動党中央委員会,「農業共同化」計画を決定.
1955年
1月 鳩山首相,年頭の記者会見で「中国およびソ連との国交回復のための会談」を提起。さらに「北朝鮮との経済関係改善」の用意があることを明らかにする.
2.25 北朝鮮の南日(ナムイル)外相,日本との国交樹立を呼びかける提案.「異なる社会体制の平和共存の原則に立ち,あらゆる国と友好関係を築く用意がある.日本との国交正常化は,両国民の切実な利益に合致し,極東の平和と国際情勢の緩和に寄与するだろう」と述べる.
3月 日本共産党,在日朝鮮人は日本の革命闘争に直接参加してはならないと決定.この決定に従い,在日朝鮮人党員はすべて日本共産党から離脱.
4.01 朝鮮労働党党中央委員会4月全員会議が開かれる。「すべての力を祖国の統一・独立と共和国北半分における社会主義建設のために: 我が革命の性格と課題に関するテーゼ」を発表。「南朝鮮の民族解放と反帝半封建の民主主義革命遂行のために、北における民主基地建設を推進させる」というプログラムがそのまま残される。(この路線では、南の解放を指導する党は北朝鮮労働党ということになる)
4.01 金日成は中央委員会への報告で、ソ連派、延安派の分派主義を公然と批判しつつ、党の思想教育活動の強化を訴える。
4.20 中国人民志願軍6個師団撤退。
5.25 民戦第六回大会,解散を決議し,あらたに「祖防委」と合併し,在日朝鮮人総聯合会(総連)を結成.日本共産党民族対策部の責任者だった朴恩哲はピョンヤンに召喚され,後に行方不明となる.
8.07 普天堡戦跡地に金日成銅像が建設される。個人崇拝のハシり。
10.20 日本国会議員団が平壤訪問し金日成と会談.民間貿易協定に調印.
12.15 元朝鮮共産党書記長で元北朝鮮政府副首相の朴憲永,「アメリカ帝国主義の雇われスパイ」として処刑される,
12月 金日成、「思想事業において教条主義と形式主義を退治し、主体を確立することについて」と題する演説。スターリン批判に転じたソ連への追随を拒否する。「主体」の用語が初めて用いられる。
金日成首相は朝鮮の労働運動史、民族解放闘争史に対する従来の研究を痛烈に批判。「労働運動と民族解放闘争の経験(要はオレの経験)を強調すべきである」と述べる。このあと、近代史の記述において金日成のパルチザン活動を誇張する傾向が強まり、共産主義者による朝鮮内の活動や、中国内の独立運動を軽視するようになる。
1956年
2.25 ソ連共産党第20回大会.フルシチョフがスターリン批判の秘密報告.スターリン批判を契機に,延安派が金日成への個人崇拝を批判.これに朴昌玉らソ連派が同調.
56年4月 朝鮮労働党,第三回大会
4.23 第3回朝鮮労働党大会を開催.金日成独裁体制の成立。
金日成の手口: 金日成は党員大拡大運動を展開し、党員数116万人まで拡大。大会の主導権を握った。南労党系幹部を粛清した後、白南雲、朴文奎、洪命熹など南労党系の残された幹部がいっせいに解任された。許成沢は存続したが後に粛清される。監禁されていた朴甲東は釈放される。南労党の排除に成功した金日成と抗日パルチザン派は、国内派(甲山派)の排除に乗り出した。
4.26 金日成書記長、党大会において経済五カ年計画の基本方針を発表.南北会議を提唱する.金科奉,崔昌益副首相らの延安派は,「五ヶ年計画は重工業偏重で国民生活軽視だ」と批判.
6月 党内抗争からいったん保留になった経済五カ年計画が決定される.「社会主義の経済的基礎を固め,農業集産主義を完成させ,国民の衣食住問題を解決し,文化的生活水準を高める」ことを柱とし,一定の修正を加える.
6月 金日成が1ヶ月以上にわたりソ連と東欧諸国を訪問。この間に延安派とソ連派が共同し、金日成の追い出しを図る。
8.29 金日成が帰国。報告のための全党員会議(八月全員会議)が開かれる。会議の席上、ソ連派の朴昌玉と延安派の崔昌益が公然と金日成を非難、その場で逮捕される。延安派の尹公欽商業相、徐輝職業総同盟委員長はその日のうちに中国に脱走。「8月宗派事件」と言われる。
8.30 北朝鮮労働党中央委員会臨時総会が開かれる.党員多数を握る金日成が主導権を握る。「集中事業」と呼ばれる大規模な粛清が起こる。崔昌益と朴昌玉は党を除名される。
八月宗派闘争において対象となったのは、日頃へつらうことをせず自分の主張を述べる学者や、成分のよくない人、古いインテリたちだった。彼らに対する罪名や批判の種は、反政府陰謀となんらのかかわりも見出せなかった(成意瑛)
9月 ソ連はミコヤン第一副首相,中国は彭徳懐国防部長を派遣し,両派の和解を勧告する。
9.23 全党員会議、崔昌益、朴昌玉、尹公欽、徐輝羅に対する紀律問題決議の再検討。「上述の同志が間違いを犯したのは深刻」だとしつつ、崔昌益と朴昌玉の中央委員への復帰を決議。
10月16日 中国人民志願軍、北朝鮮からの全面撤退完了。司令部は、施設・機材等を北朝鮮に無償供与する。
10月 5カ年計画の早期・超過達成を目指す千里馬(チョンリマ)運動が提起される.中国・ソ連との関係悪化の中,金日成は主体(チュチェ)思想を強調.
11月 党中央委員会総会を前に、党員証交換事業を開始。反金日成派の排除を図る。
12月 金日成,党中央委員会総会で「増産し節約して五カ年計画を期限前に超過完遂しよう!」と提案.チョンリマ運動がはじまる.このあと数年にわたり,工業生産が年平均36.3%の高い成長率を記録.
12月 東京都教育委員会,都立朝鮮人学校に対し「イデオロギー教育」・集団陳情の禁止,民族教育科目の課外化などを通達.
1957年
2月 金日成、集中指導制を実施。ソ連派、延安派、旧南労党系の活動家を一斉排除。パルチザン・グループが党の全権を掌握。
4.08 北朝鮮から朝鮮学校へ第一次教育援助費及び奨学金送付.
6.21 米軍,北朝鮮が休戦条約を無視したとして,最新式ジェット戦闘機,核兵器を韓国に持ち込む.板門店休戦会談の席上,一方的に北朝鮮側に通告.
8月 北朝鮮で農村と個人商工業の「協同化」完成。
9月 日朝貿易会,日朝協会,日本国際貿易促進協会の三団体が,北朝鮮との間に日朝貿易協定を締結,
11月 北朝鮮,食料の完全配給制に移行.穀物生産高が朝鮮戦争前の水準を突破.(矛盾しているようだが)
12.05 労働党中央委員会が開催される.金日成が演説の中で「日本との国交正常化」に触れる.
1958年
3月 北朝鮮労働党、第一次党代表者会議を開催.延安派(金科奉,崔昌益ら)に対する粛清を総括・承認.党の強化に乗り出した金日成は、弟の金英柱を組織指導部長に、甲山派の金道満を宣伝扇動部長に任命する。
3月 49年版『朝鮮民族解放闘争史』に多くの修正を加えた新版が発行される。金日成に対する個人崇拝が開始され、朝鮮共産党の活動は「分派の害毒」として切り捨てられる。
闘争史の一節: 崔昌益らの反党分派分子らは、けがらわしい分派的目的により多くの歪曲と害毒をもたらした。金日成同志の抗日武装闘争を通じて形成された真の革命伝統を過少評価し、抹殺しようとした
4.15 第4次日韓会談が4年半ぶりに再開.
4.29 金日成,「敵対階層との無慈悲な闘争」を促す演説.
8月 北朝鮮,都市手工業と資本主義的商工業の社会主義的改造が完了したと宣言.「都市と農村における社会主義的産業関係の全一的支配」が確立.金日成は、第一次五ヵ年について「自主・自立の経済を建設し、自給自足できるようにすることが目標」と話す。
9.08 金日成,北朝鮮創建10周年記念慶祝大会で演説.「在日同胞は,最近朝鮮民主主義人民共和国に帰国する希望を表明してきました.朝鮮人民はかれらの念願を熱烈に歓迎します.共和国政府は,在日同胞が祖国に帰り,新しい生活をいとなめるよう保障するでしょう.われわれはこれを民族的義務と考えています」
10.16 北朝鮮外務省,帰国に要する旅費と船舶をすべて負担すると声明.
10.24 中国人民義勇軍の北朝鮮撤退が完了.
11.01 北朝鮮で全般的中等義務教育制が実施される.
12.08 北朝鮮・中国が共同声明.米軍の南朝鮮からの撤退を要求.
1959年
1月 北朝鮮の全国農業協同組合,土地の共同所有宣言を採択.土地・役畜・農機具など一切の生産手段が組合所有となる.(粗野な共産主義の完成)
2.13 日本政府閣議,北朝鮮帰還問題について,「基本的人権に基づく居住地選択の自由という国際通念に基づいて処理する」ことを決定.具体化を赤十字国際委員会に依頼する.韓国政府は「北送阻止」を閣議決定.
2.16 北朝鮮赤十字,朝鮮人帰還問題で赤十字会談を提起.岸内閣は「人徳主義の立場から帰還を許可する」と閣議了承.
3.08 千里馬作業班運動の開始.
7.15 北朝鮮労働党拡大中央委員会,第一次五カ年計画の予定を2年繰り上げて6月に達したと発表.このため五カ年計画を終了し,60年を調整年とすることを決定.(あまりにも合理性を欠いた結論。第一次五カ年計画の「成功」は、富農層を中心に蓄えられていた農村ストックを暴力的に吐き出させただけなのではないか?)
8.13 日本・北朝鮮両赤十字代表,カルカッタで,「日本在住朝鮮人の北朝鮮帰国に関する協定」に調印.乗船までの費用を日本政府が負担し,帰国船の配船と帰国後の生活を北朝鮮政府が保障することとなる.
9.30 毛沢東・フルシチョフ会談が決裂.中ソ対立が本格化.
12.14 北朝鮮への第1次帰国船が新潟を出港.67年までに約9万人が北朝鮮に帰還.
1960年
2月 金日成、青山里方式を提起。農村において党委員会が人民委員会と農業協同組合を指導下におく農村体制が定着する。
4.27 李承晩,正式に国会に辞表を提出.許政外務長官による過渡政権が成立.
8.14 金日成首相,61年度から始まる「国民経済発展7カ年計画」の骨子を発表.「確立した社会主義体制に依拠し,全面的な技術改造と文化革命を遂行し,人民生活を画期的に向上させる」ことを基本的課題とする.目標については「工業生産を2.5倍,穀物収穫高を1.5倍とする」よう呼びかける.
8.15 金日成首相,光復節の演説の中で「南北朝鮮連邦制」を提唱.運営主体として、南北朝鮮同数代表からなる「最高民族委員会」を提案.また連邦制度実現までの過渡的措置として、「経済委員会」による南北の経済文化交流を提案する。
金日成提案の柱: ①自主的な自由総選挙による統一を前提としつつ,②南北双方の主権と制度を維持した上での「南北朝鮮連邦制」,③連邦制度実現までの過渡的措置として「経済委員会」による南北の経済文化交流,④南北朝鮮同数代表からなる「最高民族委員会」の実現,⑤当面の措置として南北双方が兵力を10万人以下に減らす。
10.27 日本・北朝鮮両赤十字代表,新潟で在日朝鮮人帰還問題をめぐり会談.現行協定1年延期の合意書に調印.
11.19 平壤で最高人民会議第二期第8次会議.崔庸健委員長が金日成提案をさらに具体化した統一促進案を提示.
崔庸健提案: 「国土の両断が民族経済の発展に厳しい障害をもたらし,とりわけ南朝鮮の経済を深刻な破局に追い込んだ」と指摘.「われわれは北半部の経済発展を計画的に調節し,南朝鮮の復興発展に最大限の支援を与えることができる」と述べる.具体的には南の失業者の受け入れ,10万世帯の多層住宅供給などを提案.
1961年
5.16 朴正熙少将らによる軍事クーデター発生.
5月 興南市に石炭を原料とする独自開発の合成繊維「ビナロン」工場を建設.
7.06 ソ連と北朝鮮,朴政権の成立と日米安保の強化に呼応し「友好協調および相互援助に関する条約」を締結.「締約国の一方がどのような国家,または国家連合からでも武力侵攻を受け,戦争状態に入った場合,他方はただちにその保有するすべての手段を持って軍事的援助を与える」とする.同時に、「相互の主権の尊重、内政不干渉、平等互恵の友好精神」をうたう。
7.11 中国と北朝鮮,「友好協調および相互援助に関する条約」を締結.「人民日報」は,「アメリカ帝国主義は南朝鮮で帝国主義戦争を準備している」と攻撃.
9.11 朝鮮労働党第4回大会が開かれる.金日成は,「党内分派を根こそぎ清算し、朝鮮共産主義運動の完全な統一を実現するという歴史的な大業を達成できた」と述べる。前大会選出中央委員71名のうち、再選されたものは28名にとどまる。
9.11 南朝鮮の学生革命の経験を踏まえ「地域革命論」を展開。「朝鮮革命のひとつの構成部分ではあるが、地域革命としての相対的な独自性を持っている」とする。
9.11 第4回大会で、あらたに「経済建設7カ年計画」が採択される.金日成は、「わが国の経済建設でもっとも困難な問題だった食糧問題は,すでに基本的に解決された」と報告.灌漑・肥料・機械化によって目標が達せられたと報告する.
経済建設7カ年計画の骨子
千里馬運動の成果の上に立って,「全面的な技術的改造と文化革命を遂行し,人民生活を画期的に向上させる」ことを基本課題とし,「軽工業と農業を同時に発展させる」としながらも「重工業の優先的な発展を保障する」ものと位置付けられる.11.12 朴正煕,ケネディの正式招請を受け訪米。途上で日本に立ち寄り,池田勇人首相と会談,日韓会談の早期妥結で合意.日米の支援を得た朴正煕は、民主勢力の弾圧を強化。北との対決姿勢を強める。
1962年
6.21 北朝鮮最高人民会議,「全人民の武装化,全国土要塞化,全軍幹部化,全軍現代化」よりなる4大軍事方針を決定.南での軍事政権成立と,中ソの矛盾激化に対応して,自力での国防力増強を急ぐ.一方で,南に対し不可侵条約と協商会議を呼びかける.
10月 中朝は平壌の会談により中朝辺界条約を締結。この条約により鴨緑江、豆満江が中朝国境として確定し長白山(白頭山)天池に国境が引かれる。
10月 キューバ・ミサイル危機が発生。ソ連の全面屈服に終わる。
12月 朝鮮労働党第4期第五次全員会議が開かれる。キューバ危機後の情勢を念頭において、①全国民武装化 ②全国要塞化 ③全軍幹部化 ④全軍近代化の「国防・経済建設併進政策」が提起される。この軍事負担急増は、その後の経済に悪影響を及ぼす.
1963年
5.11 石川県で寺越武志さんと叔父の2人が船で漁に出て行方不明になる.翌朝,無人の漁船が漂流しているところを発見される。
5月 南北のオリンピック委員会代表が香港で会談。東京五輪への統一チーム参加について検討するが、物別れに終わる。
6.28 北朝鮮政府,韓国の絶糧民に白米10万石の無償提供を申入れる.韓国政府は断固拒否.これに代わり日本政府の米・小麦4万トン贈与提案を受諾.
10.09 「朝鮮民主主義人民共和国国籍法に関する政令」発布.
10.28 労動新聞,「社会主義を擁護しよう」との社説を掲載.ケネディ=フルシチョフ路線を修正主義と批判.
11.22 ケネディが暗殺される。
1964年
2.25 労働党中央委員会第4期第8次全員会議。「祖国統一偉業と南朝鮮革命を発展させる戦略的方針と闘争課題」を決議。北と南、国際の三つの革命的力量が必要とする「三大革命力量」論を展開。この決定に基づき、南での統一革命党設立が打ち出される。
2.25 労働党8中総、「わが国における社会主義農村問題に関するテーゼ」を採択。農村活動における三つの基本原則を提示。第一に、思想・技術・文化の三大革命。第二に、農民に対する労働者階級の指導性の貫徹。第三に、共同的所有の全人民的所有への接近。後に三大革命論、とくに思想革命が強調されるようになる。
3月 韓国内で金鐘泰を中心に統一革命党創党準備委員会が結成される。
8.02 トンキン湾事件発生。アメリカがベトナム北爆開始。
10.14 ソ連政変。フルシチョフが追われ、ブレジネフが権力を握る。翌日には中国が核実験に成功。
10月 東京五輪に参加した北朝鮮の辛今丹選手が、韓国の離散家族と涙の会見。
10月 朴政権と南ベトナム軍との間で、韓国軍を南ベトナムに派遣する協定を締結。
64年 平壌北方の寧辺に原子力研究所が設立され,ソ連型の研究用原子炉が稼働.
64年 金日成、「わが国における社会主義、農村問題に関するテーゼ」を発表。思想革命・文化革命・技術革命の「三大革命」を、「共産主義が実現されるまで堅持しなければならない継続革命の中心課題」と規定。その実践を呼びかける。この提起が「主体思想」のさきがけとなる。
1965年
1月 北朝鮮政府、北ベトナム政府に無償援助を提供する経済協定を締結する。
4.14 金日成、「朝鮮民主主義人民共和国における社会主義建設と南朝鮮革命について」と題する講演。「思想における主体、政治における自主、経済における自立、国防における自衛」が主体思想であると宣言。
4月 北朝鮮のMiGジェット戦闘機2機が、日本海上空で米RB-47偵察機を攻撃。
6.22 東京で「日韓基本条約及び諸協定」調印.国連総会決議195号Ⅲにもとづき,韓国政府を「朝鮮にある唯一の合法的な政府」と認める.
6.23 北朝鮮,「米国の侵略政策に加担し,便乗する日本の軍国主義者たちが,大東亜共栄圏復活のため,韓国に侵入しようとしている」と非難.「売国的」日韓条約を承認せず.賠償請求権を保持すると声明.
1966年
1.02 在日朝鮮人2名,初めて北朝鮮への往来実現.
3月 日本共産党代表団が訪中・訪朝.ベトナム支援国際統一戦線をめぐり毛沢東との交渉が決裂.金日成は,同様の環境に置かれた小国として,ベトナム解放闘争を全面的に支持する立場を明らかにする.
6月 金日成,「政治的な問題では日本の支配層を相手にしない」と演説.
7.18 金日成、ホーチミンに電報を送り、「ベトナム人民が終局的勝利を達成するまで、あらゆる形態の支援を送り続ける」と表明。
8.12 「労働新聞」に「自主性を擁護しよう」との無署名論文が掲載される。帝国主義論を展開。「帝国主義の侵略的本性は死ぬまで変わらない。帝国主義がある限り戦争の危険は続く」とし、ソ連を批判。いっぽうで、「帝国主義者の戦争・侵略戦争は強力な国際世論によって防ぐことができる。我々の防衛を鉄壁のように固めれば攻撃を防ぐことができる」と述べ、毛沢東の戦争不可避論との違いを明らかにする。
10.05 金日成、労動党第二次代表会議で「現情勢と我が党の課業」について演説.国際共産主義運動における大国主義的干渉を許さないと明言。また南での闘争に触れ、暴力闘争と非暴力闘争、合法闘争と非合法闘争などを組み合わせ、革命運動を発展させること、いつでも解放戦争を始める覚悟を持つことを強調。
10.05 金一副首相、第二次代表会議で経済報告。第一次7カ年計画を三年間延長せざるを得ないことを認める。
10月末 ジョンソン米大統領が韓国を訪問。これに前後し、北からの武力挑発が急増。
10月 中国で文化大革命が始まる.金日成,中国共産党の内政干渉を批判する談話.このあと朝中関係が緊張.
10月 延辺で文化大革命が開始。江青と毛遠新(毛沢東の甥)の呼びかけで、「打倒朱徳海・解放全延辺。日本特務を一掃せよ」の紅衛兵運動が巻き起こる。延辺自治州政府主席の朱徳海は、「民族主義的利益を追求し、革命と労働階級の利益をないがしろにした」と批判される。
10月 労働党の第二次代表者会議。国防力強化を理由に経済七カ年計画実施の三カ年延長が決定される。また農民とインテリの「労働者階級化」、そのための思想闘争の必要性を強調。
12.16 第4期第1次最高人民会議.金日成はソ連・中国と距離を置く自主独立路線を提示.そのために自主防衛力の強化と,ベトナム型武力解放モデルの提起,自らの神格化を柱とする「主体思想」路線を打ち出す.
国際路線: 反ソ反中国,親ベトナムの自主独立路線.金昌満福首相ら「中国派」幹部の更迭・粛清.
軍事路線: 経済建設と国防建設の並進路線を提起.5個機械化軍団,2個砲兵軍団を新たに組織.国家予算の30~40%に該当する約30~40億ドルを軍事費にあて,飛行機,潜水艦,ミサイル生産体制を整備.
7ヵ年計画: 達成予定を3年間延長.金一副首相の実績報告によれば,ここまでの年平均成長率は,目標18.0%に対して実績12.8%.
金日成神格化: 「唯一思想体系」として金日成と家族の神聖化キャンペーンが始まる.
1967年
2.04 紅衛兵が金日成を「億万長者,貴族,大ブルジョア」と非難する壁新聞.
2月 全国農業活動家大会。金日成は農村における思想革命の立ち遅れを指摘し、農民の革命化と「労働者階級化」の必要を強調。このあと朴金喆、李孝淳
3月 ソ連・北朝鮮経済技術協定が締結される.文化大革命を嫌う金日成は,ソ連への傾斜を強める.
4月 最高人民会議の第三期第七回会議。国防費は予算の30%を超える。
5月 北朝鮮労働党,「甲山派」幹部を粛清。「地方の党・行政機関の中堅幹部職の3分の2が空席になる」ほどの規模となる.これに代わって党内の軍人勢力が台頭する。
甲山派: パルチザン・グループのうち日帝支配下の朝鮮に潜入し地下工作を行ったグループ。咸鏡北道で甲山工作委員会に結集して抗日運動を展開した。労働党結成後はパルチザン・グループと行動をともにしてきた。朴金喆書記(党内序列第4位)のほか李孝淳常任政治局員(党内序列第5位)、許錫宣党科学教育部長ら。
5.04 朝鮮労働党中央委員会、非公開で第4期第15回全員会議を開催.「外交における自主,国防における自衛,経済における自力更正,思想における主体」を4大スローガンとする.金日成を「首領」として神格化する「唯一思想」体系が確立.
5.04 軍幹部で党内序列25位の呉振宇が,「唯一思想体系確立を怠り、チョンリマ運動を妨害し、修正主義思想を広げた」として,党内序列第4位で甲山派トップの朴金喆常任政治局員を名指しで批判.朴金喆はその場で抗議の自殺を図るが未遂に終わる.
5.27 金日成、思想活動部門活動家会議で「過渡期問題とプロレタリア独裁」に関する講演。「過渡期」が長期にわたること、その間プロレタリア独裁が継続されると述べる。そしてその主要な手段は労働者階級の思想を徹底させる思想闘争であるとする。労働者階級の思想とは「個人の利益を捨て、党と革命のため、大衆のため、人民のために水火を厭わず献身的に闘う強い意志」であるとされる。
6.28 第4期第16回全員会議、すべての党員と労働者が「唯一思想体系」を身につけるよう呼びかける。
狂気の「唯一思想体系」: すべての党員が金日成同志の革命思想と意思どおりに思考し、行動し、金日成同志を首班とする党中央委員会を命がけで守り、金日成同志の周囲に鉄石のように団結し、その方の領導を受け入れ、朝鮮革命の勝利のために最後まで確固として闘うこと。
7.08 KCIA,「ドイツ,ベルリンを拠点とする対南工作団事件」発表.北朝鮮内部に「ベトナム戦争型」解放路線への動き.
7.31 「労働新聞」に金日成の母親である康磐石をたたえる記事が掲載される。その後彼女を「朝鮮の母」と賛美する歌が発表される。
8.12 北朝鮮,「自主路線」を宣言.中国を「教条主義」と批判するいっぽう,北ベトナムと軍事協定を締結.61年から始まった7ヵ年経済計画はこれにより挫折.鎖国的封鎖経済体制は,輸入代替工業化となるため,狭隘な国内市場において経済は縮小均衡.
10.28 北朝鮮への第154次帰国船最終船が出航.約8年間で8万8611人が北朝鮮に帰国.
11.25 第四期の最高人民会議代議員の選挙。457の選挙区で投票率100%、信任票100%を達成。
12.16 発狂した最高人民会議、「祖国と民族の運命を一身に担われ、朝鮮革命の明日の勝利を御開拓遊ばされつつ、朝鮮人民を常に勝利と栄光、幸福と繁栄の道に導いて下さる、我々の偉大な首領金日成同志に、朝鮮民主主義人民共和国の新内閣組織案を提出することを委任する」決定。
12.16 第四次金日成内閣、十大政綱を発表。①韓国の反米救国闘争を支援して、われらの世代に南北統一を実現する。②日韓条約は米韓日三国による新たな軍事同盟である。③日本政府は在日朝鮮人を弾圧し、北朝鮮帰還協定を延長しなかったと強く非難する。
12月 総聯系の同和信用組合の本店と上野支店に対し,「国税庁の査察」を装った税務弾圧.総聯は闘いを続けた結果,国税庁との間で税金問題解決に関する『五項目の合意』が交わされた。
1.21 北朝鮮政治保衛部直属の武装工作員30人が38度線を越えソウルに潜入.韓国軍兵士や民間人を装い、青瓦台の大統領官邸に接近。近くで警官の不審尋問にあい,いきなり機関銃を乱射.警官はその場で即死し,民間人五人が射殺される.武装ゲリラは通行中の市内バスに手榴弾を投げて逃走.数日間にわたる追跡劇が展開される.韓国軍が武装ゲリラの殆どを射殺し,一人を逮捕した.逮捕された北朝鮮工作員は「朴大統領を暗殺するために侵入した」と自供.
1.23 元山沖に侵入した米情報収集艦プエブロ号,領海侵犯を理由に北朝鮮警備艇に捕獲される.乗組員1人が死亡,82名が抑留される.北朝鮮は米側の謝罪と再発防止措置を要求.
1.23 横須賀の第七艦隊の主力部隊が朝鮮海域に派遣。空母エンタープライズ・レインジャー・ヨークタウンを中心とした米軍艦艇が大挙集結。水爆搭載可能のB52戦略爆撃機・F4・F105戦闘機が数百機、韓国の空軍基地に飛来。
2.16 「労働新聞」、金正日製作の映画「万景台」を「4千万朝鮮人民の心の故郷」と題して大々的に紹介。金日成の両親を賛美したもの。
3.01 三一運動記念日に「全国烈士家族および栄誉軍人家族大会」が開かれる。金日成は遺族の子弟が「革命の代」を受け継ぎ、国家の根幹になることをもとめる演説。
4.17 美濃部東京都知事,朝鮮大学校を各種学校として認可
5.24 「外国人学校法案」廃案.
8.02 KCIA,「統一革命党地下間諜団事件」で,統一革命党ソウル市委員会金鐘泰委員長ら158人を逮捕.
8.25 日本共産党の宮本顕治書記長ら,朝鮮労働党代表団と平壌で会談.宮本書記長は,青瓦台襲撃事件を批判.この後両党関係は急速に冷却.
9月 金日成首相、建国20周年記念大会で演説。「南朝鮮人民は政権を奪取する段階では暴力闘争によらなければならない」と強調。
10月 北朝鮮,武装ゲリラ約130名を韓国東海岸のウルチンとサンチョクに投入するが、「人民」の密告に会いほとんど全滅.110人が死亡、7人が逮捕され、13人が逃亡に成功。
11.04 武装侵入事件の責任をとる形で軍幹部が粛清される.金昌鳳民族保衛相(国防相)、許鳳学人民軍総政治局長、崔光人民軍総参謀長の軍事トップスリーが一挙に更迭される。ブルジョア軍事路線に固執したことが理由とされる。
12.23 プエブロ号乗組員82名が解放される.アメリカはスパイ活動を認め,再発防止を約束.
68年 韓国当局の発表によれば、これまでの2年間で、743人の北朝鮮武装工作員が侵入したとされる。北朝鮮側は、彼らを「韓国の革命武装ゲリラ」と呼ぶ。
1969年
1月 金正日、党中央委員会組織指導部と人民軍総政治局の活動家を集め演説。金昌鳳民族保衛相らの粛清後、軍に対する党組織指導部の統制強化を指示。
3月 北朝鮮の武装工作員6人が東海岸江原道チュムジンの近くに上陸。警戒中の警官6人を殺害。
4.15 北朝鮮のミグ戦闘機,米EC-121偵察機を日本海上空で撃墜.乗員31人が死亡。空母エンタープライズ・タイコンデロガ・レインジャー・ホーネット・戦艦ニュージャージーが朝鮮海峡に急派される。
5月 金日成、対外部門活動家会議で演説。「海外に好戦的な印象を与えるようなことがあってはならない」と戒告。武力解放路線の失敗を事実上認める。
7.10 統一革命党事件の首謀者,金鐘泰が韓国で処刑される.
7月 平壤放送、統一革命党が地下で設立されたと公式に発表。韓国現政権を打倒し「民主体制」に置き換えることを目的とする。
8.06 西海岸のフクサン島に北朝鮮工作員が浸入。15人が射殺される。
9.19 非武装地帯の南で、米兵4人が北朝鮮侵入者の待ち伏せ攻撃を受け殺害される。
12月 大韓航空機がハイジャックされ,平壌に強制着陸する.北朝鮮工作員による犯行といわれる.乗客・乗務員51名のうち39人が板門店を通じて送還されるが,12名が未帰還.
69年 北朝鮮人民軍内部で大規模な粛清.人民軍党第4期第4次全員会議で,金正日後継体制を批判した金昌鳳民族保衛相,許鳳学らが任を外れ,金日成直属の呉振宇,李乙雪,全文燮らが軍中枢を掌握.この後,軍に対する労働党の統制が強化.
1970年
3.05 核拡散防止条約(NPT)が発効.核保有国に核の不拡散の義務を,非核保有国に核の軍事利用を禁じるという不合理なものだが,次善の策として有効性を保持.
3.31 日本赤軍派9名が,JAL旅客機「よど号」を乗っ取る.乗務員7名乗客99名が拉致される.金浦空港に非常着陸したあと人質を解放.山村運輸次官を身代わりとし平壤に向かう.
4.05 周恩来首相,北朝鮮を訪問.文化大革命を契機に冷却された関係を回復.「米日帝国主義は共同の敵」とし,日本軍国主義の復活を批判する共同声明を発表.
4.16 金日成,`プラウダ`にレーニン生誕100周年記念論説を寄稿.
4月 京畿道クムチョンの軍事境界線付近で、北朝鮮からの工作員3人が射殺される。
6月 韓国の海賊放送船、西海岸で北朝鮮巡視艇に拿捕される。乗員20人が拘束される。
8.15 朴正煕,北朝鮮政府の存在を認めたうえで、「善意の競争」を提案.北朝鮮が挑発と武力による共産化の野望を捨てることを条件に,軍事的優劣ではなく態勢間の実績競争を行うべきだとする.
11.02 朝鮮労働党第5回大会が9年ぶりに開催.金日成は「社会主義基礎建設における歴史的勝利」を総括.南朝鮮革命を朝鮮革命の構成部分であると強調。①軍事独裁政権打倒後、初めて祖国の統一が可能となる。②南朝鮮革命に「平和的移行」はありえず、たんなる大衆運動だけでは革命は勝利できない、③革命を成功に導くためには統一革命党の強化が不可欠である、とする。
11.02 党大会で、「唯一思想体系」の確立を原則とする規約改正。「首領を政治思想的に、命をかけて擁護・保衛し、首領の教示と党政策を貫徹するために、水火も辞せず闘争すること」を党員の義務とする。さらに「マルクス・レーニン主義およびマルクス・レーニン主義をわが国の現実に創造的に適用した金日成同志の偉大な主体思想を活動の指導的指針とする」ことも定められる。
11.02 党大会で、パルチザン時代以来の幹部、金光侠(常任政治委員秘書)と李英鎬(政治委員権最高人民会議副委員長)ら幹部数人が失脚。これに代わり呉克烈、姜成山、黄長燁、延亨黙らが新たに幹部に名を連ねる。
11月 国連総会で中国招請、国府追放決議案が採択される。
1971年
5.12 北朝鮮への帰国事業再開.万景峰号,新潟港に入港.
3月 ニクソン・ドクトリン発表.中国との対話を呼びかけつつ,北東アジアの同盟諸国に役割の分担を求める.これにともない米軍兵力2万が韓国から撤収.
4.27 大統領選挙実施.朴正熙が金大中に百万票の差をつけ勝利.実際には金大中の圧勝だったといわれる。国会議員選挙でも野党新民党が89議席を獲得し躍進.
7月 ニクソン,訪中計画を発表.北朝鮮は安保・外交路線の根本的転換を迫られる。
8.06 金日成首相,「自主・平和・民族大団結」の三原則を提示。「与党をふくむ韓国のすべての政党,すべての社会団体や個人といつでも接触する用意がある」と述べ,南北対話を呼びかける.
8.12 韓国,南北離散家族再会を協議するため,南北朝鮮赤十字会談を提案.北朝鮮もこれを受諾.
8.20 南北赤十字連絡委,板門店で初の対面.わずか4分間という象徴的なもの。
9.08 中国と北朝鮮,無償軍事援助協定に調印.北朝鮮は文革賛美を開始.
9.20 赤十字会談の予備会議が開始される.
9.25 金日成首相,朝日新聞と会見.「日本との外交関係が樹立される前でも,公益・自由往来・文化交流・マスコミ交流・国会議員交流は可能である」と述べ,関係改善に積極的な姿勢に転じる.
12.14 金正日党中央宣伝扇動部副部長が創作した、革命歌劇「党の真の娘」が発表される。金日成は、この作品を、「人民軍看護婦が革命集団のために自らを犠牲にする気高い精神」を描いたものとして、公式の場で賞賛する。
71年 6ヶ年計画が発足.「工業化の成果を強化発展させ,技術革命を新たな高い段階に前進させて,社会主義の物質的・技術的土台をいっそう強固にし,人民経済のすべての部門で,勤労者を骨の折れる仕事から解放する」ことを基本課題にし,「重労働と軽労働,工業労働と農業労働の差異をなくし,婦人を家事から解放する『三大技術革命』を遂行する」ことを内容とする.
1972年
1.10 金日成首相,読売新聞と会見.「日朝正常化のために,日韓条約を破棄すべきだとは,必ずしも考えない」と述べる.
1.16 日本から,初の超党派北朝鮮訪問議員団が平壤を訪問.国交回復をめざす共同声明.
1月 金正日,最初の党内要職として,宣伝・扇動部長に就任.
2月 ニクソン大統領が中国を訪問.毛沢東と「歴史的会見」.
4.15 金日成の還暦祝賀行事が盛大に行われる。金日成への個人崇拝強要はさらに強まる。
4.20 韓国陸軍保安司令部,「在日僑胞学生学園浸透間諜団事件」を発表.日本から留学していた在日韓国人学生の徐勝,徐俊植兄弟ら4人を含む,北朝鮮のスパイと関係者50人を一斉逮捕したことを明らかにする.徐兄弟の潜入工作には朝鮮総連大阪府本部が関係したとされる.
4.24 朝鮮人民革命軍創建40周年記念祭。万寿台に巨大な金日成の銅像が建てられる。人民軍総政治局長が演説し、軍内で「党の唯一思想体系」を確立することを誓う。
5.02 李厚洛KCIA部長,極秘にピョンヤン訪問.金日成首相・金英柱労働党組織指導部長(金日成の弟)らと会談.金日成の提起した「自主・平和・民族大団結」の三原則の受け入れを表明.
5.06 金日成,よど号グループと謁見.ハイジャック犯人たちは日本人記者団との会見で「チュチェ思想」を賛美.
5.29 北朝鮮第2副首相朴成哲,極秘にソウル訪問.朴正煕大統領・李KCIA部長らと会談.南北首脳会談を提案したが,韓国側はこれを拒否.
6.16 南北赤十字予備会談、離散家族問題に絞ることで合意。
7.04 韓国政府と北朝鮮政府,南北平和統一に関する共同声明発表.金日成の提起した「自主・平和・民族的大団結」の3大原則を共同精神としてうたう.また祖国統一問題を解決するために、李厚洛と金英柱を共同委員長とする「南北調節委員会」を創設することでも合意。
7.04 アメリカ政府が共同声明を論評,「自主」が駐韓米軍の撤収論議に発展してはならず,「民族大同団結」が北の連邦制統一案受容に進んではならないと批判.
7.13 韓国,北朝鮮スパイの罪で死刑判決の金圭南前議員の死刑執行.
8.30 南北赤十字第1回本会談,平壌で開催.
9.01 北朝鮮で全般的10年制高中義務教育実施.
9.08 朴成哲副首相,「日韓条約を破棄しなくても日朝国交樹立は可能である」とし,事実上「二つの朝鮮」を容認する発言.
10.12 板門店で第一回の南北調節委員会・共同委員長会議。会議そのものは儀礼的なもの。
10.17 韓国で十月維新.全土に非常戒厳令.
10月 金日成、党員証の再発行を指示。盲従分子以外の党員を系統的に排除。
11.02 平壤で第2回の南北調節委員会・共同委員長会議。祖国統一原則に基づき、国の自主的平和統一を実現することを改めて確認。多面的交流、軍事緊張の緩和、共同の対外活動推進、を当面の課題とする。
11.30 南北調節委員会の第1回本会議,ソウルで開催。
12.25 北朝鮮の最高人民会議,それまでの「人民民主主義憲法」(48年憲法)に代わる「社会主義憲法」を採択.金日成首相を国家主席に推挙.主体思想を明文化し、「革命伝統の継承」を定める。直後の労働党第5期第6回全員会議で,金日成は長男の金正日(30歳)を後継者に指名したとされる.
1973年
2.02 金日成主席,東京新聞と会見.「今さら過去への償いを日本にもとめようとは思わない.過去は過去だ.将来が問題だ」と述べる.
2月 金正日は「三大革命小組」を組織.小組委員を各要所に配置し,「大検閲事業」を開始する.6ヵ年計画は,「三大革命小組」が金日成の神格化を強要し、ノルマの厳しい督促を行うという,全体主義的な異常性を帯びてくる.
革命小組: 共青団員と大学卒業生などインテリ層で構成され、20ないし30人で一つの組を作る。これらは全国の工場、企業、行政機関に派遣され、幹部に対して古い思想の打破と三大革命の重要性を指導する。実態としては、これまでの党を通じての指導との競合となる。
6.10 平壌で南北赤十字会談の第7回本会議が開かれる。離散家族捜しの話し合いが中断。
6.23 朴正煕,「平和統一外交政策」を発表。韓国と北朝鮮の国連同時加盟を提案.平和的統一を至上課題としつつ、相互の不侵攻・不干渉を訴える。また中国・ソ連など「非敵対共産圏」への門戸開放を呼びかける。
6.23 金日成は朴正煕とほぼ同時に,「祖国統一の5大方針」発表.新たな朝鮮統一構想として「高麗連邦共和国」案を提案.ひとつの国家として国連に加盟するよう提唱.「すべての外国軍の撤退」をハードルとして課す。(高麗はコレアの語源となっているが、基本的には半東北部を基盤とした王朝であり、新羅を初の統一王朝と考える人々にとっては、受け入れがたいと思われます。むしろ分裂固定を助長する意図が含まれている可能性もあります)
6.25 金日成、労働党中央委員会拡大会議で朴構想を「反民族的主張」と批判。「わが民族を永遠に分裂させ、南朝鮮をアメリカ帝国主義の植民地奴隷として残す」狙いとする。
8.08 東京で金大中拉致事件が発生。
8.28 金英柱共同委員長、金大中事件の責任者KCIAの李厚洛部長とは同席できず、と宣言。南北調節委員会は暗礁に乗り上げる。
8月 金正日、党中央委員会組織指導部責任活動家協議会で、「2日および週、党生活総括制度」を指示。党員は2日および週に一度、唯一思想体系の立場から党生活を総括し、批判を受けることとなる。(気分は浅間山荘です。吐き気がしてきます)
9.04 朝鮮労動党第5期第8回全員会議(中央委総会),「三大革命」の遂行を決議.三大革命小組に実権を与えることで、金正日を金日成の後継者とすることを承認.金正日は党書記・政治局員候補に選出される.
10.25 KCIA,欧州を舞台とするスパイ事件を「摘発」,在欧韓国人354人を北朝鮮スパイとして検挙.
9月 党中央委員会第五期第7回総会。金正日が中央委員会書記に選出される。金正日は三大革命小組を用い、対南工作担当部などを自分の指導下に置こうとしたといわれる。
1974年
1.18 朴正煕、大統領の年頭記者会見で、「南北相互不可侵協定案」を提示。相互の「独立国」としての主権尊重、現行休戦協定の維持・尊重を求める。北朝鮮はこれを拒否。
2.11 朝鮮労働党第5期第8回全員会議,金正日が政治局員に昇進する.この会議は,金正日を金日成の後継者として正式承認したとされる.
2.11 金正日は「全社会を金日成主義化するための思想事業のいくつかの課題について」と題し,就任演説.「すべての社会の構成員を首領に忠実な金日成主義者に作り変え、金日成主義の要求の通りに社会を改造すること」をもとめる。
2.15 北朝鮮の巡視船、黄海海上で韓国の「漁船」二隻を攻撃。船を沈没させ乗員30人を拘留。
2.19 労働党第5期第8回全員会議が閉幕。金日成の革命思想を「金日成主義」として定式化.また税金制度完全廃止を決定.
3.01 工業商品(織物,メリヤス,はき物,日用品など)の価格を平均30%引下げる。経済6カ年計画を成功させるため国民の奮起を促す目的とされる。(それにしても無茶です)
3.04 金日成、南朝鮮で軍事力の統帥権を握っているのは米軍であり、米軍抜きに南朝鮮と不可侵条約を結ぶ意味はない。南北朝鮮が締結すべきは平和協定であると強調。
3.04 金日成、「南朝鮮の革命を支援することは内政干渉ではなく、民族の内部問題である。我々はそれを自己の当然の義務とみなす」と語る。
3.24 北朝鮮最高人民会議,米議会に「平和協定締結と米朝交渉を呼びかける」公開書簡を採択.米国務省は,南北が自ら解決すべき問題であるとつっぱねる。
北朝鮮の思惑: 一説によれば、これを機に北朝鮮は韓国を相手とせず、米国を協定の締結対象として位置づけるようになる。「韓国と1対1で張り合えば、パフォーマンスは圧倒的に不利」との認識があるといわれる。
4.01 税金制度を完全廃止する。これまで国家歳入の1.9%を占めていた。
4月 金正日,「全党と全社会に唯一思想体系をしっかりと打ち立てよう」と題する談話を発表.「唯一思想体系確立の十大原則」を提起する.
5.03 北朝鮮、米軍ヘリコプターに銃撃を加える。
6.28 韓国警備艇が北朝鮮により撃沈される。上空では双方の戦闘機が至近距離において行動。
7.31 金日成、全国党組織活動家講習会に書簡を送り、「鋼鉄の規律」を求める。
8.15 朴正煕、光復節記念演説で「平和統一三大基本原則」を打ち出す。「土着人口比例による総選挙」を打ち出し、平和統一のハードルをむしろ高くする。73年6月の「平和統一外交政策」、1月の「南北相互不可侵協定案」と並び、対北外交の柱となる。
9.16 原発建設を目指す北朝鮮,国際原子力機構(IAEA)に加盟.
8.15 ソウルで朴正煕暗殺未遂事件,在日韓国人文世光(ムンセガン)が朴大統領を狙ったが果たせず。陸夫人が流れ弾で射殺された.国会で木村外務大臣は「北朝鮮の脅威はない」と答弁し,日韓関係悪化,韓国の日本大使館に大がかりなデモ.
11.15 北朝鮮による,非武装地帯のトンネル事件.南北国境地帯で,北から南に抜ける地下トンネルが発見される.75年3月,78年10月にも別のトンネルが発見される.北朝鮮はこれを韓国の「自作自演」と逆宣伝.
11月 最高人民会議。穀物生産が6ヶ年計画の目標を繰り上げて達成したと報告される。いっぽう工業分野では労働力不足,設備の老朽化,技術の立ち遅れ,各産業間の不整合性などが障害となっている。
12.26 労働者,技術者,事務員に1カ月分の年末特別償金を支給する。
74年 金正日の管轄の下に「39号室」が設立され,直属の大聖銀行に資金が集中するようになる.この結果,政務院(政府)の資金は枯渇し,6ヵ年計画の遂行はますます困難となる.
74年 オーストラリア,ラオス,ネパール,オーストリア,スイスなどと国交を樹立。これらの国はいずれもすでに韓国と国交を結んでいる。さらに国際原子力機関(IAEA),万国郵便連合(UPU),ユネスコにも加盟。
1975年
75年4月
4.14 金正日,金日成主義を実践するための10大原則について演説.
4.18 金日成主席,中国を訪問し毛沢東主席と会談.朝鮮の自主平和統一を支持する共同声明を発表.同行した呉振宇国防相は,戦術弾道ミサイルの購入を希望.しかし当時の中国には戦術弾道ミサイルの技術なし.
4月 サイゴン陥落,ベトナム戦争終了.
5.30 金日成、「革命は輸出できない。南における革命は南朝鮮人民自身が行うのであり、我々が代わって起こすものではない」と述べる。
6.20 シュレジンジャ米国防長官,記者会見で韓国への核配備を確認.北朝鮮から侵略あれば使用の可能性ありと表明.
7.20 初の自民党北朝鮮訪問議員団が金日成主席と会談.
75年8月
8.04 日本赤軍によるクアラルンプール事件 奥平純三,和光晴生ら5人がクアラルンプールの米国大使館等を占拠.領事と交換に,勾留中の日本赤軍メンバー,「共産同赤軍派」の松田久,「連合赤軍」の坂東國男,「東アジア反日武装戦線」の佐々木規夫の五人を釈放させる.
8.25 ペルーのリマで第5回非同盟外相会議.北朝鮮・北ベトナム・パナマ・PLOの加盟を承認,韓国の加盟申請は却下.
8月 6ヶ年計画が「1年4ヶ月繰り上げ完遂」されたと報告.工業総生産額の年平均成長率は16.3%という驚異的数字.実体は水増しに過ぎず,かえって体制の異常さが浮き彫りにされる.
75年9月
9.02 佐賀県のフグ漁船松生丸,黄海で北朝鮮警備艇により拿捕.銃撃で2名が死亡.日本政府は「銃撃は公海上であり国際法違反」と非難.
9月 チョルラ北道で二人の北朝鮮工作員が発見され,射殺される。この遭遇戦で、韓国兵二人が死亡し、二人が負傷。
10月 国連政治委員会で、南北朝鮮の国連加盟をめぐる討議。韓国側は①朝鮮戦争の当事者である南北朝鮮と、米・中の4カ国で、休戦協定を再確認する。②この確認に基づき国連軍を解体する。③休戦協定に代わる恒久的な平和確保について、ソ連・日本を加えた6カ国で協議する。との案を提示。これに対し北朝鮮は①休戦協定に代えて、調印国である北朝鮮と米国が平和協定を締結する。②米軍のプレゼンスが消失した時点で南北が自主的平和的統一を話し合う。
12.01 金正日のイニシアチブで、「三大革命赤旗獲得運動」が全国展開される.
75年 この時期から投資で対外門戸を行い,西側諸国から新鋭設備や資材を導入したが代金を払えなくなり,対外債務に苦しむようになる.
1976年
6月 北朝鮮工作員3名が非武装地帯の東部に侵入。韓国兵との交戦で全員が死亡。韓国側にも死者6人、負傷者6人。
8.18 板門店の共同警備区域でポプラの木の伐採をめぐる乱闘.米軍作業班を北朝鮮兵士が斧や棍棒で襲撃.米兵二人が死亡.これらの行動は金正日の直接指示「英雄朝鮮の名誉をかけて模範的に闘い,奴らが永遠に蘇生できないように撃滅せよ」によるとされる.アメリカはB52爆撃機を緊急配備.空母ミッドウェイを派遣.
あるホームページに面白い記事がありました。 …北朝鮮の警備兵4名は素手で突入。驚いた米軍将校が斧を投げ付けると、北朝鮮兵士はこれを素手で受けて投げ返し、米軍将校は落命。多くの米兵も格闘術の餌食となる。北朝鮮側は米軍の面子を立てて「我が軍にも負傷者二名」として痛み分けを演出。
8.21 アメリカ軍,完全武装の兵士を送りポプラの剪定作業を強行.北朝鮮軍はこれを黙視.のちに金日成は事件を遺憾とするメッセージを米軍側に送付.
76年 北朝鮮,スカッドBミサイル二基をエジプトから購入する契約.ソ連に拒否されたミサイル技術供与を補って自主開発。実際に搬入されたのは5年後の81年と見られる.
1977年
1.12 朴大統領、「不可侵協定が正式に締結されれば、(その実効性が証明された後)米軍が撤退することに反対しない」と述べる。
1.25 諸政党・大衆団体連席会議、4項目からなる「救国方案」を採択。朴政権の頭越しに韓国民衆に協商を呼びかけたもので、「韓国政権を相手にせず」の立場をさらに明確化。
4.14 米国,韓国から核ミサイル撤去を開始と発表.
5.19 カーター大統領,公約である在韓国米軍の撤退政策に反対表明した在韓米軍参謀長を召還・解任.
7.01 北朝鮮,経済水域200カイリを設定.日本海側50海里,黄海では200海里を軍事境界線とする.
7月 北朝鮮,ソ連が求めた原子炉への国際原子力機関(IAEA)の査察受け入れを受諾.同時に独自開発の原子炉の開発に着手.
7月 北朝鮮工作員、ベオグラード(ユーゴスラヴィア)で韓国人カップルを誘拐しようとするが失敗。
9.05 朝日政府のあいだで,漁業暫定合意書が調印される.
9月 久米裕さんが石川県で拉致される.11月には横田めぐみさんが拉致される.
12月 ポプラ事件の責任を問われ(?)、金東奎国家副主席らが失脚。これに代わり朴成哲が副主席に就任。金正日への権力集中が強まる。金東奎はのちに政治犯となり収容所に送られる。亡命者によれば、金正日が人事を独断・専行し、老幹部を老衰と決め付けたという。
77年 北朝鮮と中国,非核・単段戦術ミサイルの共同開発に着手.
77年 北朝鮮、国家の公式理念をマルクス・レーニン主義から「主体(チュチェ)思想」に変更。
77年 朝鮮労働党内に「統一戦線部」が創設される.非合法活動も含め,党の立場からの対外活動を展開.
1978年
1月 韓国人女優の崔銀姫(チェウニ),香港で北朝鮮工作員に拉致される.7月には同じく香港で申相玉(シンサンオク)映画監督が拉致される. 申相玉は崔銀姫の夫。
3.07 米韓軍,「チーム・スピリット78」軍事演習.
4.28 全羅南道の巨文島付近で北朝鮮の武装スパイ船が、韓国艇との1時間の銃撃戦の後、撃沈される。海軍は乗員4人の遺体を収容。北朝鮮は「でっち上げ」とし遺体の引取りを拒否。
5.14 巨文島のスパイ船が引き揚げられる。エンジン3個を積み最大時速41ノットの性能があった。
5.19 東海岸の巨津沖で、韓国艇が北朝鮮の「漁船」を追尾。銃撃戦の末、船を撃沈し乗員8人を逮捕。北朝鮮は「機関故障で漂流中だった漁船を攻撃した」と抗議。謝罪と送還を求める。
5月 田口八重子さん,蓮池薫さん,奥土祐木子さん,8月には市川修一さん,増元るみ子さん,曽我ひとみさんなどがあいついで拉致される.
6.13 韓国に拿捕され抑留されていた「漁船員」8人が送還される。彼らは板門店の境界線をまたぐと衣服をすべて投げ捨て、パンツ1枚で「偉大な指導者金日成同志万歳」とシュプレヒコール。
6.27 北朝鮮の「漁船」が黄海の白翎島付近で韓国艇と銃撃戦。漁船長が死亡、5人が拘留される。
7.04 白翎島事件の乗員4人が、パンツ1枚となり板門店より帰国。呉副船長は韓国に残留し、「北朝鮮が全力で戦争を準備している」と記者会見。
8月 北朝鮮によるレバノン女性4人拉致事件.平壌とレバノンの赤軍派による共同作戦とされる.
10.27 国連軍司令部、「板門店の南約4キロで、北朝鮮の掘ったトンネルを発見」と発表。深さは地下73メートル、高さ・幅とも2メートルとされる。74年、75年に続く3つ目のトンネルとなる。北朝鮮は「でっち上げ」と反論。
10月 鄧小平が来日。「朝鮮半島に緊張はない」と語り、中国側に障害はないことを強調する。
11.11 北朝鮮武装工作員3名が忠清南道に侵入。韓国市民4人を殺害。
78年 「韓米連合軍司令部」が,韓国防衛の中枢となることで合意.韓国軍は実質的に米軍の指揮系統に編入される.
78年 第2次7ヶ年計画が発足.「人民経済の主体化,現代化,科学化を促進し,社会主義経済土台をさらに強化し,人民生活を一段と向上させる」ことを基本課題とする.
1979年
1.19 朴大統領、「いつ、どこで、どんなレベルでも、平和統一のための全分野の問題を論議する」とし、ふたたび交渉に積極的な姿勢を示す。
1.23 祖国統一民主主義戦線中央委員会、全民族大会の開催を含む4項目の逆提案。
6月 韓国人教師のコ・サンモーン、オランダで拉致される。
7.10 米韓両政府が北朝鮮に三者会談の開催を提案.北朝鮮はこれを拒否.
7月 北朝鮮工作員、フランスで韓国貿易振興局のハン・ヨンギルを拉致しようとして失敗。
8.28 日・朝貿易代金未払い問題が解決.両政府が延払いの合意書に仮調印.
8月 北朝鮮に拉致されていたレバノン女性二人がクウェート大使館に逃げ込む.レバノン政府の強い抗議を受け,北朝鮮は残る2人をレバノンに返還.
10.26 金載圭KCIA部長,朴正煕大統領を射殺する.
10月 北朝鮮工作員3人が非武装地帯を越え侵入。1人が射殺される。
1980年
1.11 金日成,韓国の政府・軍・政党指導者に対話を呼びかける書簡.金一首相は首相級の会談を提案.そのご実務級の接触が始まる.(この時点ですでに金日成は首相ではなく主席となっていた)
2.06 板門店で南北実務代表が,首相会談実現のための第1回会談.
5.18 韓国で全国非常戒厳令公布.すべての政治活動が禁止される.光州事件が始まる.
6月 北朝鮮工作員の辛光洙,原敕晁さんを宮崎県で拉致.後に辛光珠は原さん名義の旅券で韓国に入国.逮捕され死刑判決を受ける(86年).
6月 金正日書記,朝鮮労働党第6回大会を目指し「100日戦闘」を指令.さらにノルマの上乗せ.
8.27 韓国軍事政府,全斗煥を第11代大統領に選出.光州事件を背後で操縦したとして,金大中に死刑を判決.
9.24 南北実務級会談,何の成果もないまま打ち切りとなる.
10.06 10年ぶりに朝鮮労働党第6次大会.金日成は「一民族・一国家・二制度・二政府」を柱とする高麗民主連邦共和国構想を提唱.
金日成報告の要旨: 「第2次7ヶ年計画」の進行とは無関係に,電力1,000億kW,鉄鋼1,500万tなど,「80年代の10大展望目標」を提案する.南朝鮮革命論、三大革命力量論、民主基地論、地域革命論の言葉は姿を消す。また韓国情勢の激変を受け、南についての方針はほとんどふれず。
10.06 労働党大会。「社会政治的生命体」論を定式化。最高脳髄としての首領が党を神経・血管として使い、人民をひとつの有機体として領導する、というもの。
10.06 金正日(38歳)は政治局常務委員・組織担当書記局員・中央軍事委員に選出され,金日成の後継者として権限委譲が開始される.
11月 3人の北朝鮮工作員が全羅南道に侵入。全員が射殺される。韓国民間人1人が死亡、6人が負傷。12月には慶尚南道の海岸で3人の工作員が射殺される。韓国軍兵士も2人の死亡者を出す。
12.23 「南朝鮮民族解放戦線事件」に判決,2人死刑など.
1981年
3.12 社会党北朝鮮訪問団,朝鮮労働党と東北アジアの非核化宣言.
3月 北朝鮮工作員3人が、江原道クンファに侵入。うち一人が射殺される。
6月 北朝鮮のスパイ船が、忠清南道ソサンの沖合いで撃沈される。9人が射殺され1人が捕らえられる。
7月 北朝鮮工作員3人が臨津江上流を渡ろうとして射殺される。
8.21 北朝鮮とエジプト,技術協力・交換協定に調印.弾道ミサイルの発展に関して協力することに同意する。エジプトは,ソビエト製のスカッドBミサイル(MAZ543)の移動式発射機(TEL)を北朝鮮へ移出.
10月 労働党,中央委全員会議を開催.6回大会で決定された「4大自然改造課題」の「目標」に基づいて,南浦閘門建設や大規模干拓地造成,順川ビナロン連合企業所建設などの建設を決定.
1982年
2月 金正日,最高人民会議第7期代議員選挙に初当選.自らの基盤である三大革命小組出身者182名が同時に当選.このとき正一から正日に改名.報道は「偉大なる領導者」の冠称つきで報じるようになる.
3.31 金正日,全国主体思想討論会で論文「主体思想について」を発表.「金日成主義」・「唯一思想」などの提起を集大成.イデオロギーの解釈権を掌握.
4月 胡耀邦と鄧小平が北朝鮮を秘密訪問。文革以降に事実上断絶していた両国の関係修復に乗り出す。
5月 北朝鮮から2人が東海岸に侵入。1人が射殺される。
6月 金正日が中国を非公式訪問。鄧小平と会見し深センを視察する。
8月 カナダ警察、在留の北朝鮮関係者に全斗煥暗殺計画の疑いがあると発表。発表によれば、カナダ訪問予定の全斗煥大統領を現地で暗殺しようとするもの。
9.25 金日成,中国を訪問.中国との関係が全面修復される.北京駅には中国の最高指導者がほとんど全員そろい金日成を歓迎した。チマチョゴリを着た朝鮮族も多数立ち会う。歓迎宴で胡耀邦が金日成の提唱していた高麗民主連邦共和国構想を支持する。
10月 金正日,論文「朝鮮労働党は栄えある“打倒帝国主義同盟”の伝統を継承した主体型の革命的党である」を発表.金日成思想に基づいた党組織のあり方を論じる.
1983年
5.05 中国民航ハイジャック事件が発生。中国民航は韓国の米軍基地に緊急着陸。この事件に関する交渉を契機として中国は「南朝鮮」の呼称を「韓国」に改める。
4.05 エジプトのムバラク大統領,平壤を訪問.1981の技術的交換合意を更新する平壌協定に署名.
6月 金正日,中国を十日間にわたり非公式訪問.鄧小平、胡耀邦らと会談。
8.26 イランのムサヴィ首相とサリミ国防相,北朝鮮を訪問.北朝鮮のScud-B開発計画の資金を援助すると同時に,生産されたミサイルを買い付けることで合意.
83年10月 ラングーン事件
10.09 ラングーンでアウンサン廟爆破事件.ビルマ訪問中の全斗煥一行に対し,北朝鮮人民軍偵察局の秘密工作員が爆弾を仕掛ける.到着予定時間が遅れたため全斗煥は難を逃れたが,徐副総理をふくめ随行員17人,ビルマ人4人が死亡.
10.11 ビルマ政府,朝鮮人1人を射殺・2名を逮捕と発表.
10.11 北朝鮮は「我々は本質的にテロや暗殺とは無縁である」と述べ関与を否定。「事件は全斗煥がある恐ろしい目的のためにたくらんだもの」とする.同時にビルマ政府を「国際法と慣習を無視して、我が共和国の尊厳を侵害する道理に合わない行為」と非難する。
10.12 レーガン政権の高官、「韓国政権に自制を求め、力による報復を行わないよう」もとめる。
10.13 ビルマ警察当局、北朝鮮のジン・モ陸軍少佐とカン・ミンチョル大尉を逮捕。カン大尉は暗殺計画の概要を自供。
10月 日本政府,ラングーン事件に抗議し,北朝鮮への制裁措置を発動.
83年11月 富士山丸事件
11.03 冷凍船第18富士山丸,北朝鮮から蛤を積んで出港.船内に亡命を図る北朝鮮兵士が隠れていた.
11.04 ビルマ政府はアウンサン廟爆破事件を北朝鮮の犯行と断定.北朝鮮との外交関係を断絶,国家承認も取消す.
11.15 北朝鮮,再入国した第18富士山丸を南浦港で拿捕,脱走兵士を手助けしたとし,紅粉勇船長ら5人をスパイ容疑で抑留.
12月 北朝鮮武装工作員2人がタダエポで逮捕される。
1984年
84年1月
1.10 北朝鮮,朝鮮問題の平和解決のための米韓両国との3者会談を提案.これに対しレーガンは,中国を加えた4者会談を提案.韓国は南北最高責任者会談を提案.
1.25 北朝鮮,米・韓逆提案を拒否.
1月 李鐘玉首相,経済失敗の責任を問われ更迭.姜成山が新首相に就任.
2月 カナダ人2人が捕らえられ、北朝鮮工作員に60万ドルで雇われたことを自供。彼らは1982年7月に全斗煥がフィリピン訪問した際に、現地で暗殺を実行するようもとめられていたとされる。
84年4月
4月 中国,レーガン訪問を受け容れ.中朝間の関係が冷却.
4月 北朝鮮,ノドン試爆場で改良型スカッドBミサイルの最初の発射実験に成功.その後生産体制に入る。
84年5月
5.14 金日成,チェルネンコ書記長の就任を機に,23年ぶりにソ連を訪問.ソ連はミグ25戦闘機60機をはじめ地対空ミサイル,スカッド・ミサイルの供与に応じる.
5月 胡耀邦総書記が北朝鮮を訪問し、金日成と会談。金日成は「朝鮮半島の情勢緩和と長期安定を望んでおり、南進の意図はない」と言明。
八千代丸事件
7.28 石川県のイカ釣り漁船「第36八千代丸」、北朝鮮が設定した「海上軍事境界線」を越え操業。北朝鮮警備艇が豆満江南東100キロの洋上で銃撃を加え船長を殺害、八千代丸を拿捕・連行する。
8.03 日本共産党は立木国際部長名で「人道も国際法上も無視する不法行為」と断じる見解を明らかにする。
8.06 労動新聞,「日本共産党の立場は,北朝鮮に対する日本当局の敵視政策の免罪論」であり、「内政に対する干渉行為」と非難。
8.16 日本共産党は無署名論文で労働新聞に再批判。①海上軍事境界線は国際法違反である。②規制措置としても不法で過剰な非人道的行為である。③日本共産党を日米反動と同列におく批判は「言いがかり」である。これを機に両党の関係は決定的に分裂。
84年9月
9.08 北朝鮮最高人民会議,合営法(合弁法)を制定.国内企業との合弁を前提として外資の導入を促すなど,穏健な改革路線を打ち出す.金正日は,中間財供給のボトルネックのために,150カ所の中小工場の60%が操業停止状態にあると報告.
9.27 日本共産党、「労働新聞の乱暴な覇権主義の論法」を発表。ラングーン事件から日本漁船銃撃事件にいたる問題について論及。
9.29 韓国で集中豪雨.板門店で北朝鮮から韓国へ水害救援物資引渡し.
9月 大邱で北朝鮮情報員が摘発される。彼は住民2人を殺害するなどして抵抗した後自殺。北朝鮮は彼が自発的に北に逃れようとした「離反者」であると主張。
10月 イランのビジネスマン2人が,ニューヨークでミサイル誘導の必要部品を北朝鮮に密輸しようとして逮捕される.
84年11月
11.15 南北経済会談開催.
11.23 板門店で,ソ連観光客が亡命.この間30分にわたり南北両軍が銃撃戦.兵士4人が死亡.
12月 北朝鮮、ソ連空軍機に自国領空の通過権を認める。TU16・バジャー爆撃機二機が沿海州から北朝鮮上空をまたぎ黄海へ抜ける偵察飛行が恒常化する。これにより米国の有事海峡封鎖を主体とする「シーレーン構想」が無力化。
1985年
2.16 金正日書記誕生日にあわせ「第2次7ヶ年計画」完遂との報道.しかしその後の2年間,次期計画は策定されず.
5.23 ソウルで、三民闘の学生約70人が,ソウルのアメリカ文化センターに乱入.政府は三民闘を「反国家団体」に指定。
5.28 南北朝鮮赤十字会談,12年ぶりにソウルで再開.
6月 金日成、「世界」誌の質問にこたえる。「我々には南進の意図もなく能力もない。我々は南進しないばかりか、南朝鮮を赤化しようとする意図もない」とする。
85年7月
7.27 「統一革命党」(未だあった!)が韓国民族民主戦線に改称される。反米自主化と反ファッショ民主化を目的とする新たな綱領を採択。
7月 北朝鮮、板門店地域から重火器と防御施設を撤去し、双方の警備兵の数を減らすよう提案。
7月 口号木(クホナム)キャンペーンが大々的に開始される.白頭山近辺で,抗日パルチザンがスローガンを彫ったといわれる樹木が,大量に発見されたというもの.文章はほとんどが金日成を賛美したもの.
7月 中国、朝ソ間の過度の軍事協力は朝鮮半島の緊張緩和に好ましくない影響を与えるとし、憂慮の意を表明。
8.22 南北朝鮮赤十字会談,離散家族と芸術公演団の相互訪問で合意.
85年9月
9.05 北朝鮮の許タン副首相がひそかにソウルを訪問.全斗煥と会見.首脳会談の開催と南北不可侵宣言を提案.全斗煥が要求したラングーン事件への謝罪を拒否したため,提案は拒否される.
9.21 赤十字会談の合意にもとづき,南北離散家族と芸術団の南北相互訪問が実現.
10月 韓国海軍、釜山沖で北朝鮮スパイ船を撃沈したと発表。
11月 日本共産党第17回大会、「自分たちの立場に同調しないということで、わが党に不当な攻撃をくわえてきた朝鮮労働党の態度は、覇権主義の一つの野蛮な典型である」と非難。
85年12月 本格的原子力開発の開始
12.06 ソ連と北朝鮮,軽水炉型原発建設のための経済技術協力協定に調印.軍事目的に使用しないこと,NPTに加盟することを条件とする.
12.12 北朝鮮がNPTに加盟.ただし国際原子力機構(IAEA)の安全合意の完全実施には至らず.韓国からの米軍核兵器の撤退とのリンクを主張.韓国は75年加盟.
12.26 北朝鮮のNPT加盟を受け,ソ連とのあいだに原子力平和利用協定が調印される.
1986年
86年1月
1月 北朝鮮が「独自開発」した黒鉛減速型原子炉2基が稼動開始.実際にはソ連から供与を受けた研究用小型原子炉.
1月 北朝鮮、大規模軍事演習を中止すると声明。チームスピリット演習の中止を求める。
2月 チーム・スピリット86演習が開始。米本土の第7師団、ハワイの第25師団、沖縄の第9海兵旅団、在日米軍が参加。北朝鮮はこれに抗議して南北対話を完全中断。
5.31 金正日,「朝鮮労働党建設の歴史的経験」と題して演説.「革命偉業の継承問題が満足に解決された」とし,権力世襲を自画自賛.
86年6月
6.17 北朝鮮人民武力相,韓国とアメリカに三国国防相会談を提案.
6.23 北朝鮮政府,朝鮮半島の非核・平和地帯創設を訴える声明を発表.このなかで核兵器の実験・生産・貯蔵をせず,外国の核兵器の領土内通過を認めないことを宣言.
6.29 日本共産党、「野蛮な覇権主義の典型の新たな証明ー朝鮮労働党の「国際生活」誌論文が示すもの」という無署名の長大論文を発表。朝鮮労働党の路線を徹底的に批判。
86年7月
7.06 朝ソ相互援助条約締結25周年。これに前後してソ連はミグ23戦闘機約40機を供与。また空母ミンスクを旗艦とする太平洋艦隊が、元山港を公式訪問。
7.28 ゴルバチョフ、ウラジオストックで演説。ソ連をアジア・太平洋国家であるとし、アジア重視政策を打ち出す。
86年夏 呉振宇国防相が交通事故で入院。前総参謀長呉克烈(オ・グクヨル)大将を中心とする人民軍総参謀部は,呉振宇が交通事故で入院した期間を利用し,軍機構の改革に乗り出す.その後2年間の呉克烈時代に冒険主義的行動があいつぐ.
呉克烈による軍改革
総局型式の機構を編成,人民軍総政治局を縮小・整理.外貨稼ぎを専担する25総局を作り,副総参謀長を兼任させる.金正日はこの改革を支持.
軍近代化のためソ連から軍事援助と協力を受ける.ソ連国防省は支配権確保の思惑から,最先端の武器・戦闘技術機材の販売を許容.9.06 平壤で「朝鮮半島の非核・平和のための国際会議」が開かれる。朝鮮半島を非核地帯化する平壤宣言を採択。
9月 ソウルの金浦国際空港で爆弾事件。30名以上が負傷。韓国国家警察は北朝鮮工作員による犯行の可能性が強いと発表。(ただしこの事件は、北朝鮮にそこまでの実行能力があるとは思えず、全斗煥による陰謀との疑いが強い)
86年10月
10.01 日本政府,北朝鮮の未払い代金300億円に対し輸出保険を適用.これにより北朝鮮に対する信用取引が事実上ストップ.
10.20 金日成主席,「第3次7ヶ年計画」を実施すると表明.「経済の主体化,現代化,科学化を引き続き力強く促進し,社会主義完全勝利の物質的,技術的土台をうち固めること」を目標とする.具体的な数値目標としては「工業総生産額を1.9倍(年率10%),社会総生産額を1.8倍に,国民所得を1.7倍に引き上げる」とする.
10.22 金日成,ソ連を訪問しゴルバチョフと会談.アジア重視政策の具体化、米日韓同盟の強化への対応を協議したといわれる。金日成は「南朝鮮では社会主義に有利に事態は展開している.民族戦線を形成する事業が発展している.南朝鮮国会の三分の一は北を支持している.いまや学生や多くの人民が反米行動に立ち上がっている」と述べる.金日成は五輪不参加を呼びかけたが,ゴルバチョフはこれを拒否したという.
10月 平壤とモスクワを結ぶ直通の旅客列車が運行を開始。
86年11月
11.06 李国防相、北朝鮮が建設する予定の金剛山ダムは、ソウルを水攻めにするための秘密兵器だと攻撃。「工事を強行すれば、自衛措置をとる。すべての結果は北側が負わなくてはならない」と警告。
11.17 韓国国防省スポークスマン、金日成が死亡との情報を発表。李国防相は国会で「北の異変」について報告。韓国軍は準戦争準備体制に入る。在韓米軍は「死亡について確認できない」と声明。翌日には外国要人を迎える金日成の写真が発表される。
86年12月
12.06 北朝鮮で非核平和委員会が結成され,非核・平和地帯創設を訴えるキャンペーンを展開.
12.07 イラン国会,北朝鮮の石油購入代未払い分1億7千万ドルを繰り延べ・転換する決議.このとき平壤近くに年産50基のスカッド・ミサイルを生産する工場が完成したといわれる.
12.29 第8期最高人民会議の第1回会議。「第3次7ヶ年計画」の遂行が課題となる。姜成山首相が辞任し、李根模政治局員が新首相に指名される。
1987年
1.28 韓国国防当局,北朝鮮が元山で長射程誘導ミサイル「スカッド-C」のプロトタイプを生産し,秘密のテストを行ったと発表.スカッドBの射程300キロに対し,スカッドCの射程は600キロとされる.
1月 韓国漁船が北朝鮮に拿捕され、乗員12人が抑留される。
4月 非政府間協定としてミサイル関連技術輸出規制(MTCR)が締結される.アメリカの呼びかけで,サミット7カ国が署名.射程距離300キロ以上,有効搭載量500キロ以上の大量破壊兵器運搬システムと,その生産設備などの国際移転を規制することを目的とする.
4月 第3次7ヶ年計画が政府決定される.再び首相が更迭され,姜成山首相に代わり李根模が就任.
5.12 モスクワ放送、ソ連が北朝鮮初の原子力発電所建設を援助すると報道。
5月 金日成が中国訪問。中国は最大級の歓迎体制。金日成も最大級のリップサービス。実態としては中国の市場開放や対韓接近、北朝鮮の対ソ接近などに対する腹の探りあいだったと見られる。
87年6月 ミサイル輸出の開始
6月 レーガン政権,中国がイランにHY-2「シルクワーム」ミサイルを販売したと抗議.中国は販売の事実を否定.ミサイルが北朝鮮製であることを示唆する.
6月 イランと北朝鮮,相互軍事援助協定を発表.北朝鮮はスカッド・ミサイル100基,12の発射装置,HY-2「シルクワーム」ミサイル90基を5億ドルで売却.
7月 第3次7ヶ年計画を,1年半以上繰り上げて金日成80歳誕生日に達成しようとのキャンペーンが始まる.
8月 MITに学ぶ韓国学生リ・チェワンが、オーストリアで拉致される。
87年11月 大韓航空機爆破事件
11.03 中国の趙紫陽首相、韓国の単独開催でもソウルオリンピックに参加すると言明。
11.29 大韓航空機爆破事件が発生.バグダッド発ソウル行きのジェット機が,インド洋洋上で爆破・墜落する.乗員・乗客115人が死亡.
12.02 韓国当局,大韓航空機爆破事件の容疑者の金賢姫をバーレインで逮捕.盧泰愚陣営は「容共派の金大中に任せれば大変」と反共攻撃.北朝鮮は一切の関与を否定し,「軍政延長のためのファッショ徒党の陰謀」だと逆非難.
12月 富士山丸の紅粉船長らに強化労動刑15年の判決.
1988年
88年1月
1.15 韓国,大韓航空機事件を北朝鮮の爆弾テロ事件と断定.金賢姫は犯行を認める記者会見.北朝鮮は捏造と非難.
1.24 宮本共産党議長,大韓航空機事件は北朝鮮の犯行と表明.元「赤旗」平壤特派員の萩原遼が,金賢姫は北朝鮮のエリート候補だったと証言.
1.24 鄭周永(チョンジュヨン)現代グループ名誉会長が北朝鮮を訪問.
1.26 日本政府,大韓航空機事件は北朝鮮の組織的テロと断定.北朝鮮政府公務員の入国禁止,航空機の乗り入れ禁止など制裁措置を決定.
1月 米国務長官、「北朝鮮は国際テロリズムに繰り返し支援を提供している」と非難。
1月 イラン,スカッド-Bミサイル40基を北朝鮮から購入.2月には実戦使用.のべ数百発のミサイルをイラクに発射したとされる。
2 党政治局,建国40周年に向けて生産・建設を促進するべく「200日戦闘」を呼びかけ.ノルマ強制に拍車がかかる.
6月 北朝鮮商社の責任者が亡命。「北朝鮮政府は、あらゆる外交努力によりソウル・オリンピックへの参加国を減らせ」と指示していると暴露。
8月 白頭山密営が一般公開される.
88年9月
9月9日 北朝鮮建国40周年のクレムリン発祝電.従来の「国際主義」に代えて「利益のバランス」を強調.
9.12 ソウル・オリンピックが開会(~10.2).
9.16 ゴルバチョフがシベリアのクラシノヤルスクで演説.極東地域の軍事的対立を緩和するため,「多国間ベースでの討議」が提唱される.
88年10月
10.04 盧泰愚,南北首脳会談の平壤開催と南北不可侵宣言討議の受け入れを表明.北朝鮮もこれを歓迎し,政治・軍事実権者同士の会談開催を求め,板門店での高位級会談開催を提案.
10.18 盧泰愚,南北朝鮮と米・日・ソ・中の6者和平会談を提唱.南北首脳会談の実現,社会主義国との関係改善を訴える.
11.16 金永南外相,米朝平和条約と南北不可侵宣言を提案.南北朝鮮と米国による三者会談を提起.
88年12月
12.06 北京の米朝大使館の間で参事官クラスの接触が始まる.
12.22 ソ連のシュワルナゼ外相が訪朝.対韓関係の変化について理解を求める.
12月 IAEA,NPTの実効性の担保として,核関連施設査察を定めた「保障措置協定」の調印・実行を迫る.北朝鮮はこれを拒否.すでにこの時期にはプルトニウム生産のための核再処理工場の建設を開始していたとされる.
88年 呉克烈派に対する巻き返し.呉振宇の指示を受けた総政治局組織担当副局長の李奉遠,「呉克烈の罪行」を列挙.金日成は呉振宇の意見を容れ,呉克烈派を更迭.
李奉遠批判の柱
第1 呉克烈派は軍に対する労働党の指導性を弱体化させようとした.第2 呉克烈派は北朝鮮軍の作戦指揮権をソ連軍に譲り,祖国をソ連に売り渡そうとした. 李奉遠は97年に粛清される.
1989年
89年1月
1.16 北朝鮮,南北高官級の会談に向けて準備会談を提案.
1.23 現代グループ総帥の鄭周永名誉会長(通川出身),北朝鮮を友好訪問.
1月 アメリカの軍事衛星,寧辺での核兵器開発の動きを捕捉.
2.08 板門店で高位級会談の予備会談が開催される.
89年3月
3.25 文益煥牧師が訪朝.
3.30 竹下首相,北朝鮮に対し初めて正式国名を使い,「北朝鮮のすべての人々に対し,そのような(過去の)関係についての深い反省と遺憾の意を表したい」と国会答弁.直接対話と前提条件なしの関係改善への決意を表明.
89年5月
5月 米政府,日韓両国に核問題専門家を派遣.北朝鮮の核開発疑惑を伝える.この内容はソウル筋からリークされる.
5月 北朝鮮は,スカッドBからスカッドCに生産を切り替え.さらにノドン中距離弾道ミサイル(IRBM)の開発を開始.
89年6月
6月 中国で天安門事件発生.北朝鮮は群による民主化鎮圧に支持を与える.
6月 金賢姫,李恩恵(リウネ)と呼ばれる日本人に日本語を習ったことを明らかにする.
7.01 ソウル・オリンピックに対抗する行事として第十三回世界青年学生祭典を開催.首都平壌に47億ドルもの物資や労働力を投入.韓国の全大協代表林秀卿が参加.
9.01 盧泰愚大統領の側近である朴哲彦補佐官がひそかに平壌入り.南北首脳会談の可能性を探る.
10月 国会で「パチンコ疑惑」の集中審議.社会党の山口書記長,パチンコ業界からの政治献金について釈明.朝鮮総連も献金疑惑を否定.
11.09 ベルリンの壁が崩壊.北朝鮮は孤立感を深める.
89年 足利銀行が北朝鮮向けコルレス契約の一括窓口になる.送金額はピーク時には100億円単位に達したといわれる.
1990年
1.01 金日成,新年の辞で国民に「自力更生,刻苦奮闘」を呼びかける.
3.14 中国共産党の江沢民総書記が訪朝.韓国との関係改善について理解を求める.
3月 非武装地帯の第4秘密トンネルが、第3トンネル発見から15年後に、新たに発見される。韓国当局は最大17本程度の地下トンネルが存在する可能性があると発表。
90年5月
5.24 最高人民会議,金正日を国防委員会第一副委員長に選出する.国家機関における最初の要職就任となる.
5.28 朝鮮戦争時の米軍将兵5人の遺骸,板門店から送還される.
5.31 北朝鮮中央人民委員会.最高人民会議.政務院連合会議の連名で,`朝鮮半島平和のための軍縮提案`が発表される.
90年6月 韓国とソ連の国交樹立
6.01 「出入国管理及び難民認定法」改正法施行.
6.04 ゴルバチョフと韓国の盧泰愚がサンフランシスコで首脳会談.国交樹立で合意.
7.01 韓国の祖国平和統一委員会,南北間往来のための基本三原則発表.
90年9月 「二つの朝鮮」受け入れ
9.02 ソ連シェワルナゼ外相が平壌訪問.韓国との国交樹立について了解を求める.金親子は会見を拒否.
9.05 ソウルで第1回南北高位級(総理)会談.会談に出席した延享黙首相が盧泰愚大統領を表敬訪問.「二つの朝鮮」受け容れの意志表示.
9.26 自民党,社会党からなる金丸訪朝団,平壤を訪問.「過去の歴史に対する贖罪と償い」を約した自民党総裁親書を手渡す.植民地時代の補償金問題について意見交換.金日成は金丸元副総理との会談で,「核を持つ能力も意思もない」と表明.国交正常化交渉を提案.
9.28 金丸訪朝団と朝鮮労働党とが3党共同宣言を結ぶ.「戦後45年間朝鮮人民が受けた損失に対し公式に謝罪し,十分に償うべき」の一節が後に大問題となる.
9.30 韓国とソ連が国交を樹立。
90年10月
10.02 金丸元副総理,ソウルを訪問し盧泰愚と会談.盧泰愚は日朝交渉に対する要請として,日韓事前協議・南北対話の尊重・核開発への歯止め・軍事力強化の防止・国際社会への参加促進をもとめる.この時点で北朝鮮は,15年間で3億5千万ドル(約600億円)の対日累積未払い.
10月 自民党の小沢一郎幹事長と社会党の土井たか子委員長を中心とする訪朝団,スパイ容疑で抑留されていた第18富士山丸の紅粉船長らを伴い帰国.
10月 中国と韓国、貿易事務所の相互設置に合意する。
11.02 モスクワでのソ連・北朝鮮通商代表交渉.対韓問題で北朝鮮の非難を受けたソ連は,従来型の「援助貿易」をストップし,「両国の貿易は国際価格でハード・カレンシーを用いて決済する」と通告.さらに石油供給価格の割引を廃止する。91年にはソ連との貿易が,32.2億ドルから3.6億ドルに激減.北朝鮮工業は稼働率約40%に落ち込む.原油輸入激減によるエネルギー問題が深刻化.
1991年
1.01 金日成、新年の辞で統一問題に言及。ひとつの民族国家内に二つの体制と二つの政府が共存しうると述べ、一方が他方を併合するというドイツ方式を拒否。
1.30 平壤で第一回日朝交渉が始まる.北朝鮮側は公式謝罪の明記と,併合条約の無効宣言を要求.日本側は北朝鮮側の要求のほとんどを拒否し,NPT条約の完全履行とIAEAの核査察受け入れを迫る.さらに拉致問題にも言及.
3.21 ベーカー国務長官,日朝交渉の中で核査察問題を取り上げるよう要請.事実上の交渉つぶし介入.
3月 軍事休戦委員会(板門店)の国連軍側主席代表に韓国軍将軍が就任.北朝鮮は激しく反発し,軍事休戦委員会への出席を拒否.「休戦協定は紙切れになった」と声明.
4.29 幕張で第41回世界卓球選手権大会.南北朝鮮が統一チームをくむ.女子団体戦で優勝.
91年5月 日朝交渉決裂
5.03 李鵬首相が訪朝。 中朝間における貿易を、ハードカレンシー決済にすることを北朝鮮に通告する。 また、韓国が国連に加盟申請した場合には反対しないことを、北朝鮮側に伝える。これを聞いた金日成は、政策を変更、国連への同時加盟を決断したといわれる。
5.20 北京で第三回日朝交渉.日本側は核査察の受け入れを「国交正常化の前提条件」とする.また埼玉県警が発表した「李恩恵」問題について調査を求める.北朝鮮側がこれを拒否したため会談は事実上決裂.
5.16 警察庁,「李恩恵」が埼玉出身の田口八重子さんであると発表.横田めぐみさんら7件12人についても,北朝鮮に拉致された疑いがあることを明らかにする.北朝鮮は「月を見て吠える狂犬の声」と非難.「日本から中学生を拉致するいかなる必要も利害関係もない」と反論.
6月 労働党機関紙「労働新聞」、韓国青年・学生・民衆に対し、「盧泰愚ファシスト体制を打倒し、真に民主的な政治を確立せよ」と呼びかける。
7.30 北朝鮮外務省,「朝鮮半島の非核地帯化のための南北共同宣言案」を発表.
8.15 平壌で「汎民族大会」開催.
8月 北朝鮮の柔道選手李昌寿が韓国亡命.
91年9月 IAEAの査察申し入れ
9.12 国際原子力機関(IAEA),NPT条約に基づき北朝鮮の核査察協定調印を求める決議案を採択。北朝鮮は韓国に配備されている核兵器を撤去しなければ査察に応じることはできないとし,協定調印を拒否.
9.17 南北朝鮮が,国連に同時加盟.
9.27 ブッシュ大統領,海外に配置された海上および地上戦術核兵器の一方的全面撤退を発表.この時点で韓国内には約100基の核兵器が配備されていた.さらにブッシュは、76年から毎年実施していた核攻撃想定軍事演習「チーム・スピリット」も中止すると発表。
9月 IAEA,疑惑のある施設に積極的に「特別査察」を要求していくとの決議を採択.米政府は偵察衛星の「証拠写真」を適宜提供していくと発表.
91年11月
11.08 盧泰愚大統領,ブッシュ宣言を受け朝鮮半島非核化構想を発表.核兵器の生産・所有・貯蔵・配備・使用の禁止を宣言.さらに核再処理やウラン濃縮などの施設を持つことも禁止.北朝鮮のIAEA査察受け入れに向け圧力となる.
11.25 北朝鮮外務部,「アメリカが核兵器を撤去すれば,北朝鮮はIAEAの査察に応じる」と声明.
91年12月 朝鮮半島非核化宣言
12.06 共産主義を神の敵とし、金日成をサタンの代表と呼んで来た統一教会の文鮮明が興南を電撃訪問し、金日成と会談。35億ドルの支援を約束する。金日成は離散家族問題の前進、核査察の受け入れ、各国からの投資の受け入れ、南北サミットの実現などを約束。
12.11 ソウルで,鄭元植韓国首相と北朝鮮の延亭黙総理による南北首相会談が開かれる.韓国は,南北同時核査察を含む「韓(朝鮮)半島の非核化に関する共同宣言」を提案.
12.13 南北首相会談,「和解と不可侵,協力・交流に関する合意書」(南北基本合意書)に署名.
12.18 盧泰愚,いまや韓国内には一発の核兵器も存在しないとの声明を発表.ブッシュは「盧大統領の発言に異論を唱えるつもりはない」と保障.
12.22 北朝鮮,IAEAの保障措置協定に調印することを承諾.
12.24 労働党第6期第19回全員会議が開かれる.金正日は北朝鮮軍最高司令官に就任.「軍民一致」と「党の革命武力化」を掲げ,軍に対する本格的な整備事業に着手.
12.28 北朝鮮は羅津・先鋒地区に621平方キロに及ぶ自由経済貿易地帯(Free Economic and Trade Zone)を設置することを発表。
12.31 「朝鮮半島非核化に関する南北共同宣言」が仮調印される.「核エネルギーを平和的にのみ利用し,核再処理施設とウラン濃縮施設を保有しない」ことで合意.相互の検証査察についても合意.査察対象は「双方が合意した」施設に限られるなど,実効性の面で問題を残す.
91年 ソ連は国際価格での取引やハードカレンシーの決済を要求。ソ連貿易は北朝鮮貿易の53%を占めていた。これに代わり中朝貿易が34%まで伸びる。
1992年
92年1月 南北基本合意とチーム・スピリットの中止
1.20 南北両首相,「南北基本合意書」に署名.第1条で,「南と北は互いに相手の体制を認め尊重する」と宣言.さらに「朝鮮半島の非核化に関する共同宣言」も正式調印される(2月より発効).その後金日成は延亭黙総理を更迭.慈江道党責任秘書に左遷(金正日体制になって復活).南北合意は宙に浮く.
1.22 ニューヨークの米国連代表部で,米朝の初めての公式交渉として,カンター国務次官と金容淳労働党対南担当書記兼アジア太平洋平和委員会委員長による「次官級会談」が開催される.アメリカはIAEA査察の実施を強く求める.北朝鮮は,在韓米軍が統一後も朝鮮半島へ駐留することを「とりあえず容認する」と発言.
1.30 北朝鮮,IAEAとの保障措置(核査察)協定に調印.通常査察受け入れに合意し核査察対象リストを提出.これには寧辺の二つの核関連施設は含まれず.
1月末 米政府,米韓合同軍事演習「チーム・スピリット92」の中止を発表.
1月 中国=北朝鮮が新貿易協定を締結.ロシアに引き続き,中国も対北朝鮮貿易をハード・カレンシーで行う方式を採用.「友好価格」と双方の通貨による決済から,国際市場価格による決済に移行.中国からの北朝鮮への穀物輸出は急増.この見返りとして北朝鮮からの鉄鋼輸出も急増.輸出総額中の70%を占めるに至る.
92年2月 朝鮮半島非核化共同宣言
2.18 朝鮮半島の非核化に関する共同宣言が発効.これにともないチームスピリット訓練が中止される,その後金日成は延亭黙総理を更迭.慈江道党責任秘書に左遷.南北合意は宙に浮く.
3.06 アメリカ,ミサイル生産関連施設として北朝鮮三企業に制裁.
4月 金正日,人民軍創建60周年のパレードに出席。元帥の称号を受けたことが明らかになる.
4月 楊尚昆国家主席が訪朝。中国が韓国との国交樹立を考慮していることを金日成に伝える。金日成は再考するよう要請。
92年5月
5.04 北朝鮮,核物質に関する最初の報告書をIAEAに提出.7ヶ所の核施設と90グラムのプルトニウムを保持していることを明らかにする.
5.13 北朝鮮,朝鮮戦争時の米兵遺骨15柱を返還.
5.25 ブリクス事務局長を団長とするIAEA調査団,北朝鮮に対する第1回査察を実施.再処理施設「放射化学研究所」を中心に立ち入り調査.以後9ヶ月間に6回の特定査察を実施.
5月 江原道チョルヲンで、韓国軍の軍服を着た北朝鮮工作員が射殺される。
92年6月
6月 金日成,スエーデン労働党幹部との会見で,「東欧社会主義諸国の崩壊の原因は,事大主義と官僚主義にあった.決して社会主義制度そのものに問題があったのではない」と述べる.
7月 アメリカ,韓国を含め海外に配置された戦術核兵器2400基の撤収を完了したと宣言.
8.24 韓国と中国のあいだに国交が樹立される.北朝鮮は一時中国人観光客、朝鮮族の親戚訪問規制を行い抗議の意を表明。
92年9月
9月 IAEA,北朝鮮の初回報告について検討.再処理プルトニウム量などに疑問を呈する.
9月 韓国国家安全企画部,北から潜入した李善美労働党政治局員候補が,地下組織を作ったとし,一斉摘発に乗り出す.62人が逮捕され,300人が指名手配される.李善美はすでに逃走.
92年10月
10.08 米韓両政府,「核相互査察問題で意味ある進展が見られない」とし,チームスピリット再開を検討開始.
10.20 北朝鮮政府,「外国人投資法」「合作法」「外国企業法」を発表する.
10月 韓国の国家安全企画部、400人からなる北朝鮮スパイ網が摘発されたと発表。この組織は労働党のリ・ソンシルが指導していたとされる。
11.05 第八次日朝会談.最終的に会談は決裂.北朝鮮は日本政府側に対し,「自らの尊厳と原則を捨ててまで日本と関係改善をしない」と言明.
12 最高人民会議常設会議開催.「外国投資企業および外国人税金法」「外貨管理法」「自由経済貿易地帯法」を採択する。政務院総理,延亨黙から姜成山に再び代わる.国家予算報告では第3次7ヶ年計画について何の報告もなし.
1993年
1.26 韓国,政権交代を前に米軍とのチームスピリット再開を発表.北朝鮮はチームスピリット再開決定を非難.
93年2月 北朝鮮「核疑惑」の浮上
2.09 IAEA,6回目の特定査察.平安北道寧辺の二つの核廃棄物の貯蔵施設について疑問が残るとし,北朝鮮政府に対し特別査察を要求.10日以内の回答を求める.北朝鮮は要請を拒否.
2.25 アメリカの軍事衛星が,寧辺の核施設(放射能化学研究所)を察知.35カ国からなるIAEA理事会は,7ヶ所の核施設について,3月25日を回答期限として現地「特別査察」を求める決議を採択.中国は決議を棄権.
2月 クルーゼ・ロシア外務次官は旧ソ連時代からの北朝鮮のロシアに対する累積債務は33億ルーブルに達すると明らかにする。
93年3月 米韓のチームスピリット再開
3.01 米韓合同軍事演習「チームスピリット」が二年ぶりに再開される.
3.08 金正日最高司令官は全国・全民・全軍に準戦時状態を命じる.準戦時体制の発動は83年以来10年ぶり.
3.09 金日成,IAEAがアメリカ情報当局の指揮下にあるとし,特別査察を拒否.
3.12 北朝鮮,NPTからの脱退を宣言する.
3.24 南アのデクラーク政権,過去に原爆6発を所有していたことを認めるとともに,これらがすでに解体されたと発表.
3月 北朝鮮政府、羅津・先鋒自由経済貿易区開発計画を発表。(先鋒の旧称は雄基)
93年4月
4.01 IAEA理事会,北朝鮮が協定を遵守せず,核物質が非平和的目的に使用される可能性を否定できないと言明.
4.06 IAEA,北朝鮮核疑惑問題を国連安保理に委ねる.安保理議長はこの問題の解決に責任を持つとの議長声明.
4.07 金正日、書記・国軍最高司令官に加え,軍統帥権を持つ国防委員会委員長に選出される.10名からなる国防委員会が北朝鮮政府の最高首脳部となる.金正日は人民武力部機構体系改編を断行.呉克烈派として左遷されていた金英春を総参謀長にすえる.
4.14 北朝鮮からの要請を受けた米国務省,米朝会談の開催に応じると発表.
4.19 ロシア連邦大統領,85年協定の前提が崩れたとして,北朝鮮の原子力発電に関する一切の協力を停止.
93年5月
5.11 国連安保理,「北朝鮮に対しNPT脱退を再考し査察協定を履行するよう求める決議案」を採択.すべての国連加盟国に対して問題解決のための努力を求める.反対は0,中国とパキスタンが棄権.
5.29 北朝鮮,日本海へ向け射程1000キロのノドン・ミサイルの発射実験.“多段式ミサイル三発の試射に成功。一発は能登半島沖、二発は3000キロ離れたハワイ沖とグアム沖に着弾”、と発表。
93年6月 米朝高官協議が開始
6.02 ニューヨークの米国連代表部で,米朝高官協議が開始される.国連安保理決議を受けてのもの.米国側はガルーチ国務次官補,北朝鮮側は姜錫柱(カンソクチュ)第一外務次官を首席代表とする.
6.11 ニューヨーク会談がいったん終了.「核兵器の使用・威嚇を行わず,朝鮮半島の非核化・平和と安全を保障し,朝鮮の平和統一を支持する」ことで合意.米国は北朝鮮の内政に干渉せずと言明.北朝鮮はNPTからの脱退を保留.交渉継続に合意.
6.29 武藤外相がソウル訪問.北朝鮮に対し,核不拡散条約(NPT)脱退の「完全な」撤回と,国際原子力機関(IAEA)による査察受け入れなどを強く求めていく立場で一致.
6月下旬 クリントン,韓国を訪問.非武装地帯視察後,「もし北が核兵器を使えば,それは北朝鮮の終焉を意味する」と声明.
93年7月
7.19 米=北朝鮮第二回会談.IAEAの査察全面受け入れ,軽水炉原発への移行を柱とする共同声明を発表.軽水炉二基をアメリカが供与する方向で交渉継続を確認.
8.13 IAEA査察団,北朝鮮の協力体制が依然として不十分と発表.
9.24 北朝鮮、羅津・先鋒自由経済貿易区開発計画にもとづき、羅津市と先鋒市を合併させ中央政府の直轄市である羅津・先鋒市を置く。また恩特郡の元汀里(圏河税関の対岸にあたる)など三つの里がこれに編入される。総面積は746平方キロメートル。
93年10月
10.01 IAEA年次総会,ブリクスは北朝鮮の核施設が平和利用以外の方向に転用される懸念が強まっていると報告.
10.14 アムネスティ・インタナショナル,北朝鮮が過去30年間にわたって政治犯ら数千人を虐待・処刑し,元在日朝鮮人を含む数万人を環境劣悪な収容所に拘束したとする報告書を発表.
10.29 北朝鮮,「核査察問題はアメリカとの直接対話によってのみ解決できる」とし,IAEAの査察を認めないと通告.
93年11月 核査察を求める国連決議
11.01 国連総会,北朝鮮に核査察の完全履行を求める決議を採択.賛成140,反対は北朝鮮一国のみ.
11.02 米国のアスピン国防長官,北朝鮮の核開発疑惑について強い懸念を表明.「米朝協議が最も重要な交渉窓口であり,当面は話し合い解決を追求する」との基本姿勢を示す.CIAとDIAは北朝鮮がすでに約12キロのプルトニウムを保有していると報告.これは数発の核兵器を作るのに十分な量とされる.
11.05 ワシントンポストのコラム,「北朝鮮への語りかけをやめ,経済封鎖に乗り出せ」と主張.
93年11月 金日成の復活
12.08 朝鮮労働党中央委員会第6期21回総会.金日成が,病身を押してふたたび陣頭指揮に立つ.金正日に排斥されていた金英柱(金日成の実弟),金炳植が副主席として復活,いっぽうで金正日側近の金容淳,金達玄らが左遷される.
12.29 北朝鮮,申告ずみ核施設への通常査察再開を認める.
12月 朝鮮労働党中央委員会に引き続き,最高人民会議が開催される.姜成山総理は「第3次7ヶ年計画遂行総括と当面の経済建設方向について」報告.計画の未達成を認める.失敗理由として,社会主義圏崩壊による輸出市場の消滅と,国防費負担増をあげる.会議は「農業第1主義,軽工業第1主義,貿易第1主義」を唱え,第3次7ヶ年計画遂行後の3年間を緩衝期とする決議.これは計画の3年延長を意味する.
12月 北朝鮮のチョウ・カン参謀総長、「軍は90年代に必ず祖国を武力統一するという、重大かつ名誉ある任務を担っている」と演説する。
1994年
1月 米政府は,北朝鮮が核開発を中止しなければ核施設を爆撃すると発言.軍事筋は,北朝鮮への先制攻撃計画「作戦計画50-27」など相次いで侵攻計画をマスコミにリーク.
作戦計画50-27
在韓米軍と韓国軍の共同作戦計画.偵察衛星などありとあらゆる情報網を駆使し,圧倒的空軍力を背景に短期間で制空権を確保.北朝鮮が動く前に機先を制して平壌を先制的に大規模空爆.その後米韓両軍が突入.平壌制圧と政権転覆を目標とする.
2.15 北朝鮮,7ヶ所の核施設についてIAEAの査察に合意.IAEAは国連安保理への再提訴を保留.
2.18 ニューヨークの実務協議,①チーム・スピリットの実施見合わせ,②北朝鮮・IAEAの2.15合意遵守で合意.
94年3月 「ソウルは火の海になる」
3.01 IAEA査察官が北朝鮮査察に入る.
3.03 北朝鮮当局,寧辺(ニヨンピョン)のプルトニウム再処理施設への立ち入りとサンプル採取を拒否.IAEA理事会は,「合意に基づきただちに全面査察を受け入れるよう」北朝鮮に要求.
3.15 IAEA,北朝鮮からの査察官引き上げを決定.「北による核物質軍事転用の有無を検証できなかった」と声明.
3.16 板門店での南北定期協議,北朝鮮の朴英朱首席代表は,「ソウルはここから遠くない。もし戦争になればソウルは火の海になる.あなた方は生き残れないだろう」と宣言.そのまま席を立つ.韓国政府はチームスピリット94の中止決定を撤回すると発表.
3.21 IAEA特別理事会の付託を受け,国連安保理が北朝鮮非難決議.中国は拒否権を行使せず,棄権に回る.
3.21 クリントン,パトリオット迎撃ミサイルの韓国配備とチームスピリット演習の年内実施を発表.
94年4月 アメリカの戦闘準備開始
4.04 アメリカは米朝高官協議を中止.ペリー国防長官,「われわれは朝鮮半島において,この問題に関しても他のいかなる問題に関しても,戦争を望まないし,戦争を引き起こすこともしない.しかし国連による制裁が,北朝鮮を開戦に向わせるなら,われわれはリスクをとるだろう」と発言.
4.16 金日成,平壤市内で記者会見.「将来にわたって,われわれが核兵器を持つことは決してない.われわれは朝鮮の同族に対し核兵器は使えない」と述べる.
4.18 金日成,NHKの質問に答え「アメリカがトップ級会談に応じれば,問題は解決できる」と述べる.
4月中旬 米韓合同軍事演習「チーム・スピリット」を再開.パトリオット・ミサイルが釜山に揚陸される.アパッチ攻撃ヘリ,重戦車・高性能レーダー装置などが投入され,兵員は枠ぎりぎりの3万7千人にまで増員される.さらに米第七艦隊が海上に待機する.
4月 米政府と米軍,1900項目にのぼる支援要請のリストを作成.日本政府に対し後方支援を要求する.
4月 足利銀行,北朝鮮向けドル建て送金の取り次ぎを停止.円建て送金は引き続き可能.足利銀行は北朝鮮とコルレス契約のある邦銀約20行の内,事実上唯一利用されてきた銀行.
4月 北朝鮮の民主化を求める大阪の市民集会,朝鮮総連活動家に襲撃される.警察は総連大阪府本部の21人を,威力業務妨害の疑いで書類送検.
94年5月 燃料棒抜き取り
5.01 北朝鮮,燃料棒8千本の抜き取り作業を実施すると通告.IAEAは作業への査察官の立会いと,サンプルの引渡しを要求.北朝鮮がサンプル引渡しを拒否したため,査察官の派遣を取りやめる.
5.02 ガルーチ北朝鮮担当無任所大使,「IAEAの立会いなしに燃料棒抜き取りを行えば,一切の交渉努力は不可能になるだろう」と警告.
5.04 在韓米軍総司令官ゲーリー・ラック大将,北朝鮮軍兵力を分析.「北朝鮮は国境地帯に8400の大砲と2400の多連装ロケット発射台をすえており,ソウルに向けて最初の12時間に5千発の砲弾を浴びせる能力がある.もし再び戦争となれば,半年がかりとなり,米軍に10万人の犠牲者が出るだろう」とのべる.
5.08 北朝鮮,警告を無視して燃料棒抜き取り作業を開始.
5.18 ペリー国防長官とシャリカシュビリ統合参謀本部議長,ゲイリー・ラック在韓米軍総司令官が「第二次朝鮮戦争」発生時の被害予想を検討.最初の三ヶ月で,米軍兵士8万ないし10万人と韓国軍50万人が死傷するとの結論.全面戦争が発生すれば死者は100万人,損害総額は1兆ドル,戦費は610億ドル以上,最大に見積もって1兆ドルに達するとされる.
5.19 IAEA,北朝鮮が5メガワットの核実験炉から,国際監視なしで使用済み燃料棒8000本の抜き取りを開始したことを確認.これに含まれるプルトニウムは,5個か6個の原爆を製造できる量に相当する.CIA長官,「核爆弾1発を開発した可能性がある」と発表.
5.25 サム・ナン上院軍事委員長とルーガー上院外交委員長を特使とする使節団,直前になって北朝鮮側に入国を拒否される.
5月 姜成山前首相の娘婿にあたる康明道が韓国亡命.
94年6月 カーター・金日成の瀬戸際合意
6.02 IAEAのブリクス委員長,国連安保理に対し報告.「もはや北朝鮮による核物質軍事転用の有無を検証する手立てがなくなった」と述べる.
6.03 ワシントン・ポストのクラウトハマー,「われわれは戦争を始めるつもりはない.だが金日成はやるかもしれない.われわれはその行為の帰結を明らかにしておかなければならない.すなわち北の壊滅である.停戦はない,38度線もない,板門店に戻ることもない」と戦争をあおる.
6.03 クリントン,北朝鮮との協議を打ち切り,国連安保理における制裁決議実現に全力をあげると宣言.北朝鮮は「制裁は戦争を意味する.戦争に情け容赦はない」と声明.
6.05 米下院,北朝鮮への経済制裁を求める決議を415対1で採択.
6.09 北朝鮮,「日本が経済制裁に合流するなら,宣戦布告とみなす」と声明.
6.09 カーター前大統領,個人の資格で平壤を訪問すると発表.金大中の強い要請を受けたといわれる.
6.10 国際原子力機関(IAEA),北朝鮮が条約義務の不履行を拡大し続けているとし,年間25万ドルの原子力関連の技術協力を停止するとの制裁決議を採択.反対はリビアのみ,中国は棄権,キューバは欠席.
6.11 北朝鮮,IAEA本部からの代表を引き上げ.IAEAの査察には協力しないと発表.NPT脱退については保留.
6.13 北朝鮮,「国連による制裁はただちに宣戦布告を意味するというわれわれの立場を強く再確認する」と声明.
6.15 共和党政権時代の北朝鮮問題担当者,スコウクロフトとカンター,ワシントン・ポストに投稿.「その場しのぎが許される時期は終わった.北朝鮮がIAEAの査察を受け入れないのなら,われわれが北の再処理能力を除去しなければならない」と述べる.
6.15 オルブライト米国連大使,安保理での制裁決議採択に向け動き出す.
6.15 タイム・CNNが米国民の世論調査.47%が北朝鮮の核施設に対する国連の軍事行動に賛成.
6.15 カーター前大統領が平壤に入る.クリステンソン国務省朝鮮課長代理が同行.クリントンからは親書は与えられず.
6.16 クリストファー国防長官,ラック報告に基づきホワイトハウスでブリーフィング.米兵1万人を追加投入する計画を説明.
6.16 ラック在韓米軍司令官とレイニー駐韓大使が秘密会談.本国からの指令を待たず,「在韓米国人8万人の避難計画」を進めることで合意.
『サンデー毎日』2002.2.10号
金泳三大統領は,韓国政府の了解なしに在韓米国人全員の国外避難をさせようとしたことに「激怒」,「誤った決定で,もし韓半島で戦争が勃発したら,私は国軍の最高司令官として韓国軍人を誰一人として参戦させない」と「捨て台詞」を残してクリントン大統領との電話会談を打ち切る.(本人談話)6.17 金日成がカーター斡旋を受け入れ.寧辺における再処理の全面凍結と査察官常駐,対米交渉の再開に応じる.カーターは独断でCNNの生中継をセットし米朝合意を確認.
6.17 米政府,カーター・金日成合意を受け入れ.制裁決議推進活動を停止し,米朝高官協議を再開すると発表.
94年7月
7.06 金日成,経済部門責任者会議で演説.第三次七カ年計画の挫折を受け,緩衝期戦略を提起.農業・軽工業・貿易の振興を訴える.
7.08 金日成主席,心臓発作で死去.7月25日に予定された金泳三との首脳会談は流産に終わる.(ウィキペディアによれば、会議で興奮し、止めていたタバコをすった後心臓発作を起こしたとされる。いかにもありそうな噂話の典型ではあるが…)
7.30 国際アムネスティ,ソウル市内で記者会見.平壌から約七十キロのスンホ政治犯収容所に,韓国出身者11人,在日朝鮮人26人,日本人女性ら約六百人が収容されていると報告.
94年8月
8.01 金泳三大統領,アムネスティの報告を受け,政治犯収容所に拘禁されている韓国人の釈放と送還を求める交渉を行うと声明.
8.05 ジュネーヴで米朝高官協議が再開される.北朝鮮は2千メガワットの軽水炉提供を要求.鉱物資源による返済を求める.特別査察については合意に至らず.
8.12 ジュネーヴの米朝協議,「枠組み」で合意.
9.12 ベルリンで専門家会議が開かれる.韓国型軽水炉の導入で合意.ただし韓国型の名称を用いることは北が拒否.
94年10月 枠組み合意
10.22 ジュネーヴの米朝高官協議,「米朝間で合意された枠組み」文書に調印.
「枠組み合意」(Agreed Framework)
三段階で北朝鮮の核開発計画を破棄するもの.①北朝鮮が黒鉛減速炉を凍結する.②この見返りに,軽水炉型原発の開発援助を約束.2003年までに「国際コンソーシアム」が韓国型軽水炉2基を建設し,200万キロワットの電力を供給すること.③軽水炉完成までは,アメリカが毎年50万トンの重油を供給し,経済制裁を解除するというもの.
IAEAは寧辺の原子炉に封印を施し,燃料棒をコンクリート製の保管施設に格納.北朝鮮国内で監視活動を続けることとなる.米国・北朝鮮の経済・外交関係の正常化も合意される.アメリカは北朝鮮に対し核兵器による威嚇を行わないことを保障.11.28 IAEA,Nyongbyonと Taochonの核施設建設が凍結されたことを確認.
94年12月
12.10 韓国統一院,「北韓の第3次7ヶ年計画総合評価書」を発表.計画年度における経済成長率実績は平均-1.7%と推測.
12.17 北朝鮮領空内に侵入した米軍ヘリが北の対空砲火により撃墜される。“独自開発した携帯地対空ミサイル「火昇(ファスン)」が一発で撃墜”したと発表される.乗員一人が死亡,もう一人の乗員ボビー・ホールは暴行を受け拘束される.
12.18 アメリカはハバード国務次官補代理を平壤に送り,二週後にホールは解放される.
12月 韓国軍の統帥権,韓国側に返還される.有事の統帥権は引き続き駐韓米軍司令官が掌握.
1995年
1.20 米議会,北朝鮮に対する経済制裁の緩和を承認.共和党の抵抗により緩和幅はわずかなものとなる.
1月 議会の抵抗を恐れるクリントンは,第一回目の重油供給に行政府臨時費を充当.
1月 韓国の三星グループの調査団が羅津・先鋒を訪問。電子製品工場を建設することで北朝鮮と合意。
95年3月 KEDO設立
3.08 米上院,枠組み合意関連の経費を議会の承認を得ずに支出する法案を可決.北朝鮮への重油供給が困難となる.
3.15 枠組み合意に基づき,「朝鮮半島エネルギー開発機構」(KEDO)が設立される.日米韓のほか,ニュージーランド,オーストラリア,カナダが原加盟国となる.事業資金の7割を韓国が支出,日本が25%,米国を含む残りの国が5%を拠出することとなる.
3.30 自社さの連立三与党代表団(団長:渡辺美智雄)が北朝鮮を訪問.朝鮮労働党との間で会談再開の合意書に調印.「対話再開と国交正常化のための会談には,いかなる前提条件をもつけない」ことで合意.
5.25 北朝鮮は日本に対して米援助を要請。有償15万トン、無償15万トンで合意。
5月 北朝鮮の巡視艇が韓国漁船を銃撃し捕獲。乗組員3人を射殺する。
6.13 米朝「枠組み合意」が進行.マレーシアでの米朝準高官級会談で,韓国型軽水炉の導入が実質的合意に達する.
6.21 北京で南北コメ支援協議が合意。韓国が15万トンを無償援助することとなる。
6月 韓国から人道支援物資を積んだ船が北朝鮮に入る。北朝鮮兵は、支援船に対し北朝鮮国旗を掲揚することを強要したという。
7.09 北朝鮮の国家安全保衛部は延吉で韓国人の安承運牧師(純福音教会)を拉致する。中国は北朝鮮によって拉致されたと断定。この事件で北朝鮮人3人と朝鮮族3名を逮捕。2年の懲役刑の上、北朝鮮に追放。
7月 朝鮮中央通信は「安承運牧師は自発的に北朝鮮に亡命した」と報道。のち安牧師は北朝鮮のプロパガンダに利用される。 (この頃から、延辺地区への韓国人の浸透が活発化する)
95年8月 北朝鮮の水害と飢餓
8月 西部工業地帯(平安北・南道)中心に100年来の大洪水.国土の75%が被害を受ける.被災者520万人,被害額は150億ドルに達する.
8.23 朝鮮中央通信、「黄海南道・北道で、ヒョウのため耕地17万ヘクタールが被害.120万トンの食糧が損失した」と報道.さらに「7月31日から8月18日の豪雨で多大な被害を被った」との洪水被害対策委員会の報告を詳細に報道。初めて食糧危機を公表し世界に救援を訴える.
8月 北朝鮮当局、入港中の韓国の人道支援船を拿捕し乗員を逮捕。乗員が船上から写真を撮ったことが理由とされる。
95年9月
9.12 国連人道援助局,各国に対北朝鮮緊急食糧援助を要請.呼びかけに応じ,日本,韓国,中国,タイなどから100万トン(7億7千万ドル相当)の食糧が渡される.
北朝鮮の経済成長率
1990年 1991年 1992年 1993年 1994年 1995年 1996年
+3.7% -5.2% -7.6% -4.3% -1.7% -4.5% -3.7%10月 アメリカのスタントン・グループが、羅津・先鋒自由経済貿易地帯を訪問・視察する。
10月 北朝鮮の武装工作員が臨津江を渡ろうとして発見される。1人は射殺され,もう一人は逃亡。同じ月、工作員二人が扶余で発見される。1人は射殺されもうひとりは捕らえられる。
11.20 ジョセフ・ナイ国防次官補,「北東アジア10万(うち日本に5万)の米兵力は,北朝鮮の軍事的脅威に対応するため」との見解を明らかにする.また「北朝鮮の現状は悪化しており,冒険主義に走る可能性もある」と強い懸念を表明.極東米軍プレゼンスの根拠を北朝鮮に求める.
95年12月
12.15 軽水炉建設事業の大枠を定めたKEDO=北朝鮮間の協定が締結される.韓国が資金の7割・30億ドルあまりを負担,日本が10億ドルを負担.アメリカは資金提出せず,建設中の重油供給を受け持つ.
12月 韓国国防省,95年度国防白書を発表.朝鮮人民軍を初めて“主敵”と規定.
1996年
96年1月 「苦難の行軍」
1.01 「労働新聞」,「朝鮮人民軍」,「労働青年」の三紙が共同社説.「苦難の行軍精神」を強調.
1月 北朝鮮,アメリカの要求するミサイル輸出問題での二国間会議に原則合意.交換条件として経済制裁の緩和を要求.
1月 クリントン政権,国連の緊急アピールに応え,北朝鮮に対し200万ドルの資金を提供すると発表.
2.22 外交部スポークスマン,「新たな平和保障体系樹立」を提案.
96年3月 人民軍のクーデタ事件?
3.19 ロード東アジア・太平洋問題担当国務次官補,下院国際問題小委員会で証言.ミサイル輸出問題で進展があれば,経済制裁の緩和を検討と述べる.
3.29 人民軍第6軍団でクーデタ事件が発生.北朝鮮政府は「休戦条約の無効化」を宣言し,国内引き締めに当たる.人民武力部の金光鎮第一部長,「朝鮮半島の休戦状態は限界点に達している.今や問題は,朝鮮半島で戦争が起きるか否かではなく,その時点がいつかということにある」と危機感をあおる.
3月 貿易当局者が台北を訪問.コメ10万トンの支援を要請.台湾当局は2万トンの援助方針を決定.
96年4月
4.10 北朝鮮政府が国連に覚書を送付.94年危機の際,「もし国連が朝鮮民主主義人民共和国に対して一方的に『制裁』を加え,歴史を繰り返すという道を選んでいたら,第二次朝鮮戦争が勃発していた」と明言.
4.11 米国防総省,北朝鮮の化学兵器や長距離ミサイルの開発が,米国と地域の同盟国の安全に「深刻な脅威となっている」と警告.
4.16 クリントンと金泳三が済州島で首脳会談.南北朝鮮に米国・中国を加えた四者会談の開催を提案.北朝鮮外交部スポークスマンは「4者会談について検討する」とこたえる.中国関係者は「休戦協定に代わる新しい枠組みが必要であり,米,韓国,北朝鮮の三者で十分話し合うことを期待する」とエールを送る.
4.17 日米安保「共同宣言」発表.
4.21 北朝鮮と米国のベルリン会談.米国は北朝鮮にミサイル技術規制計画(MTCR)への加入を促す.
96年5月 「一坪の土地でも穀物を!」
5.21 北朝鮮「労働新聞」,「一坪の土地でもさらに探し出して穀物を植えよう」との論説を掲載.「田と畑の必要のない畔をなくし,山地にやぎを飼い,草を肉に変えよう」と呼びかける.
北朝鮮の農業崩壊の理由
①地力の低下(←コメの密植,トウモロコシの連作,肥料・農薬など投入物の不足),②電力不足や農機具の燃料不足,③水害の発生の頻繁化(←段々畑からの土砂の流失),④農民の労働意欲の減退(←共同農場方式),⑤農業労働力不足と高齢化及び女性化.5.24 アメリカ,北朝鮮からイランへのミサイル技術移転に抗議し,経済制裁を強化.
5月 洪成南副首相が訪中。中国は,北朝鮮との関係を修復し,金正日体制を全面支援する意向を表明.毎年穀物50万トン,石油120万トン,石炭150万トンを提供することで合意.
5月 西海岸で北朝鮮巡視艇5隻が境界線を越えて侵入。4時間にわたり韓国側とにらみ合いを続けた末、撤退する。6月にも同様のエピソード。
96年6月 「飢饉と経済状態は深刻」
6.25 李成禄対外経済委員会副委員長,台北を訪問.事前の報告を受けた中国政府は,「北朝鮮は“1つの中国”の立場を守るだろうと信ずる」と述べる.
6月 中国赤十字,「北朝鮮の飢饉と経済状態は深刻で,病院は栄養失調の子どもと老人であふれている.工場の9割は操業を中止し,ほとんどの商店は閉鎖している」と言及.
6月 世銀の要請を受けたイギリスの情報分析会社,「金泳三政権の北朝鮮政策は一貫性に欠けており,その対北強硬姿勢はアメリカを困惑させている」と報告.
6月 日本政府,対北1.5万トンの米の無償支援を決定.
7月 「モハメッド・カンス」事件が発生。北朝鮮スパイのチャン・スイル(62歳)はフィリピン人モハメッド・カンスを名乗り、12年間大学教授として務めていた。チャンは「おそらく数百の北朝鮮スパイが南側で活動しているだろう」と自供。
96年8月
8.16 韓国の金泳三大統領,4者会談を提示.あわせて南北経済協力計画も提案.
8月 穀倉地帯(黄海北・南道,江原道)を中心に大洪水.鴨緑江の堤防が8ヶ所にわたり決壊。死者116人を含め被災者327万人,被害総額は17億3280万ドルにおよぶ.
8月 モスクワの現代国際問題研究センター,「北朝鮮経済は現体制のもとでは再び回復できないほど疲弊している.もはや国家経済機能までが完全に麻痺した」と報告.
96年9月 武装スパイ潜入事件
9.18 北朝鮮「武装スパイ潜入事件」おこる.韓国東海岸の江陵で北朝鮮の潜水艇が座礁.武装工作員24名が上陸し,数日間にわたり銃撃戦を展開.韓国側は15人が死亡.遺棄された潜水艇からは,アメリカの民間団体が送った支援食料の缶詰が発見される.(一説では上陸したもの26名、うち11名は内部で処理され、13人が抵抗を続けたあと射殺される。一人が捕らえられ、もう一人は逃亡に成功)
10.16 アメリカ,中距離ミサイルのノドン発射実験に対抗し,偵察船と偵察機を日本に派遣.
10.20 ウラジオストック駐在の韓国外交官チョ・ドクケンが暗殺される。事件の前に「潜水艇事件の報復」をにおわせる脅迫状が届いたという。
11.08 国務省,ノドン発射実験が延期されたと発表.
96年9月
12.29 外交部スポークスマン,平壌放送と朝鮮中央通信を通じ,潜水艦座礁事件に「深い遺憾の意を表し,事件の再発防止のために努力する」とする論評を流す.これを機に,韓国は軽水炉建設事業の再開に動く.
12.30 北朝鮮,4者会談への参加の意思を表明.
1997年
97年1月
1.01 『労働新聞』(党機関紙),『朝鮮人民軍』(軍機関紙),『青年前衛』(青年組織機関紙)の3紙共同社説.「苦難の行軍」をしている旨を認める.
1月 北朝鮮政府,台湾の原子力発電所の核廃棄物の貯蔵を引きうけることとなったと発表.
97年2月 黄長燁の亡命
2.03 政府の水害対策委員会,「96年度の穀物生産量は250万トンにすぎず,年間穀物必要量784万トンを大幅に下回った」ことを明らかにする.
北朝鮮における1人1日あたり配給量の変化
1995年水害以前 1995年末(水害後) 1996年半ば 1997年はじめ
600g 458g 250~300g 100~150g(350~525kcal)2.05 北朝鮮,ニューヨークでの四者会談に関する説明会への出席に応ずる見かえりとして,食糧支援の追加を要求.
2.12 北朝鮮の最高幹部の一人で,「主体思想」の提唱者といわれる黄長燁労働党国際担当書記が,北京の韓国大使館に亡命.「主体思想は自分が立案したものとは大きくかけ離れてしまった」と述べる.中国政府は北朝鮮政府の同意を得て,黄をフィリッピンに移送.
2.19 中国の鄧小平が死亡.
2.21 北朝鮮、韓国の「チュンアン」日報に対し何らかの「報復」をほのめかす。「チュンアン」日報は、「金日成は金正日との激しい口論の末発作を起こし死亡した」と報道する。
2月 ソウルで李ハンヨンが二人の殺し屋により射殺される。黄長燁亡命に対する報復と見られる。李は金正日の元妻ソン・ヒェリンの甥で、92年に韓国に亡命していた。
2月 羅津・先鋒で香港のエンペラー・グループが投資するカジノ付きホテル「エンペラー・ホテル」の建設着工。
3月 亡命工作員のアン・ミョンチン、横田めぐみさん(当時13歳)が新潟市で誘拐され、北朝鮮の学校でスパイ・トレーニングのために働いていると証言。
97年4月 軍部の抵抗
4.15 故金日成の誕生日を国民祝日「太陽節」に決定.この年をチュチェ元年とする.
4月 ハンギョレ新聞,北朝鮮の飢饉に対する人道支援のキャンペーンを開始.
4月末 北朝鮮の咸鏡北道穏城郡で大規模な森林火災が発生し豆満江周辺は火の海となる。また火の粉が中国側にも燃え移り大規模な火災が発生した。
4月末 北からの脱北者が増加。翌年まで続く。
5.15 北朝鮮の韓成烈国連大使,「軍部は四者会談を武装解除のための罠ではないかと考えている.軍部に了解させるためには,無条件の食糧支援が必要だ」と語る.
5月 日本政府,行方不明事件のうち「7件10人」を,北朝鮮に拉致されたものと認定.共産党を排除した「北朝鮮拉致日本人救援議員連盟」が結成される.
97年6月
6.11 ニューヨークで二回目の米朝会談.アメリカ側はノドンの発射実験の中止とスカッド・ミサイルの販売停止を求めるが,ものわかれに終わる.
6.21 金正日,論文「革命と建設において主体性および民族性を固守することについて」を発表.現在の困難について「決して帝国主義者の対処法などを期待してはならない.彼らの援助は,一つを与えては10や100を盗っていくための略奪および隷属の罠である」と指摘.
6.24 韓国の「朝鮮日報」紙、「新しい改革を指向する[北朝鮮の]グループに賛成して権力を放棄するよう」、金正日にもとめる。金正日はこの社説を「我々に対する最も刺激的な宣戦布告」と非難。「朝鮮日報が消滅するその日まで、報復する権利を留保する」と脅迫。
6月 「労働新聞」、「民主勢力の独立、民主主義、再統一のための愛国的反ファシズム闘争にとって、金泳三政権を打倒することが緊急の任務となっている」と述べる。
6月 西海岸で北朝鮮の巡視艇三隻が境界線を越えて侵入。韓国巡視艇と銃撃戦を展開。
97年7月 「喪明け」
7.08 金日成逝去三周忌大会.金正日は「喪明け」を表明.金日成誕生の1912年を元年とする「主体年号」を制定.さらに金日成の誕生日(4月15日)を「太陽説」と命名し国家記念日とする.
7.21 朝鮮中央放送,金正日の文明子(親北派の在米韓国人ジャーナリスト)に送った書簡を発表.この中で食糧危機と経済的苦境を認める.
7月 北朝鮮で米軍兵士の遺骨発掘のための共同調査が始まる.4か月にわたり3回の調査が行われ,アメリカは7体を受領.
7月 北朝鮮兵士14人が軍事境界線を越えて約70メートル侵入。23分にわたり韓国軍との間に銃撃戦。
97年8月 原発の建設開始
8.04 金正日書記論文が発表される.「米国を百年の宿敵とは見ていない」と述べる.また対日関係については,「過去を心から反省し,敵視政策を捨て,朝鮮の統一を妨害しなければ,日本と友好的に対処し朝・日関係を改善できる」と指摘.
8.05 ニューヨークで米中・南北朝鮮が第一次予備会談.
8.06 アメリカ,ミサイル増産活動に抗議し,さらに制裁を強化.
8.19 東海岸咸鏡北道の新浦(咸鏡南道の琴湖?)で,韓国電力公社が軽水炉型原発の建設を開始.KEDOのステファン・ボスワース事務局長,「軽水炉の着工は,関係改善の新たなスタート」と声明.ボスワースはその後駐韓米大使となる.
夏 恵山で大規模な列車事故が発生。止めてあった客車のブレーキが外れひとりでに走り出した。徐々に加速度がつき10の駅を通りすぎ100キロ以上も走り抜け、恵山駅には2両が突入、大きな爆発音とともに駅は廃墟と化した。客車内にいた老人や子供、女性は全員死亡。(5年後に「朝鮮日報」が報道するまで明らかにされなかったということがもっと恐ろしい)
97年9月
9.30 軽水炉建設現場で,金正日の写真入「労働新聞」が破り捨てられていたのが発見.北朝鮮はこれに抗議し労動者30人を引き揚げる.KEDO側の謝罪で1週間後に工事再開.
9月 日朝赤十字連絡協議会,日本人配偶者の里帰りで合意.
9月 労働党農業部門の最高責任者である徐寛熙書記が,黄長燁との関係を問われ,平壌市内で公開処刑される.金日成社会主義青年同盟幹部3人も,ともに処刑される.アムネスティーは「北朝鮮は70年以降,少なくとも23人を公開処刑している」と告発.
10.08 金正日,党中央委員会および党中央軍事委員会の推戴により労働党総書記に就任.
97年11月
11.21 クリントン大統領,対北朝鮮政策を「関与政策」に転換すると発表.
11.23 韓国当局、6人からなる「北朝鮮スパイ団」を摘発したと発表。その筆頭としてソウル大学名誉教授コ・ヨンポクが逮捕される。コ・ヨンポクは73年以来北のスパイとして活動。国内では「社会学の創設者」として認められ、「保守的な」立場から韓国政府の顧問を務めてきた。
11月 北朝鮮、韓国国営放送KBSテレビが放映したシリーズ「北朝鮮社会における抑圧と腐敗」に対して激怒。KBSを「ファシズム独裁者の口金」と非難、「破壊」の可能性を示唆。
11月 自社さ3党訪朝団(森喜朗団長)が平壌訪問.北朝鮮側は拉致事件を「行方不明者として調査」することを約束.
97年12月 「崩壊の危機」を自認
12.09 米中と南北朝鮮との「四者会談」第1回会談が開始される.
12.12 ドイツのテレビ放送,「閉ざされた未知の国,北朝鮮」を放映.インタビューを受けた金永南常任委員長が「北朝鮮は崩壊の危機に置かれている」と認める.
12.19 韓国大統領選挙で,金大中が当選.
12.30 労動新聞,「内外的な試練にもかかわらず社会主義を守り通した」と,97年を締めくくる評価.
12月 赤十字協議会.日本側が安否調査リスト(7件10人+有本さん)を手交.
1998年
1.28 金大中が韓国大統領に就任.対北「太陽政策」を推進.
2.25 金大中大統領,①北の武力挑発には断固対処,②北を攻撃せず,吸収計画を持たない,③可能な分野から南北和解・協力推進の「対北三原則」(いわゆる太陽政策)を掲げる.
2月 国連人道局,救援食糧が転用されているとして抗議.北朝鮮側は文書で謝罪.
3.03 金大中政権,初代統一部長官にタカ派の康仁徳極東問題研究所長を任命.康仁徳は朴政権時代に中央情報部の北韓局長を勤めた人物.
3.16 ジュネーヴで第二次4カ国会談本会議が開かれる.北朝鮮から供与されたミサイルのコピーとされる。
4.06 パキスタンが射程1500キロの中距離弾道ミサイル「ガウリ」発射実験に成功。北朝鮮は、「イラン・エジプト・シリア・リビアなどに、合計一千発以上のミサイルを輸出した」とされる。
4.17 アメリカ,北朝鮮がパキスタンにミサイル技術を移転したとして,経済制裁を強化.
この年,北朝鮮とパキスタンは,ミサイル製品とウラン濃縮技術の交換に関する秘密合意を締結.北朝鮮は1000台の遠心分離器を入手.原爆を毎年1個から2個のペースで製造できる能力を獲得したとされる.
98年5月 300万人が餓死? 住民は家で静かに死を待っている?
5.10 北への支援を続ける「韓民族相互助け合い仏教運動本部」の法輪執行委員長,飢饉で300万人が死んだという推計結果を発表.
5月 大阪朝銀が経営破たん.大阪朝銀の受け皿となった朝銀近畿に3100億円の公的資金が投入される.
98年6月 ミサイル輸出を認める
6.16 朝鮮中央通信,金融封鎖が解除されない限り,ミサイル技術の輸出を止めることはできないと報道.ミサイル輸出の事実を初めて認める.
6.16 鄭周永現代名誉会長,牛500頭を乗せたトラック50台を引き連れ,板門店から北朝鮮入り.
6.23 91年以来中断されていた在韓国連軍と北朝鮮軍の将官級会談が再開される.
6.22 北朝鮮の小さい潜水艦が、ソクチョ沖合いで魚網に引っかかる。3日後に引き揚げられたとき、9人の集団自殺した遺体が発見される。
6.24 北朝鮮、米国の軍事的脅威に対する抵抗の表示として、ミサイルをテストし配備し続けると通告。
6.27 北朝鮮、潜水艦事件で沈黙を破り南側を非難。潜水艦と遺体の即時返還を要求。金大中大統領は、潜水艦の侵入が休戦協定および92年の和解・交流・協力協定を侵害していると非難。北朝鮮に「責任を認め合理的措置をとる」よう要求。
6月 北朝鮮赤十字,「日本人行方不明者は存在しない」と通告.
98年7月
7.03 潜水艇侵入事件の北朝鮮兵士の遺体9柱が板門店を通じて送還される.
7.15 超党派のラムズフェルド調査団,長距離ミサイルが開発されない限り,北朝鮮やイランのごとき「ならず者国家」は直接の脅威とはならないと報告.ただし本格的に開発に着手すれば5年以内にミサイルを完成させる能力をもつ国もあると警告.
7.22 イラン、北朝鮮の技術供与を受け、中距離ミサイル「シェハブ3」の発射実験に成功。
7.26 8年ぶりに,第10期最高人民会議の選挙が実施される.
98年8月 テポドン打ち上げ
8.17 ニューヨーク・タイムス,「北朝鮮,核兵器の製造工場建設」と題し,金倉里(クムチャンニ)の地下施設について報道.原子炉および再処理施設の疑いがあるとする.「第二の核疑惑」が発生.ロバート・ガルーチ国務次官補は,「もし秘密核施設であれば,枠組み合意は崩壊する」と述べる.
8.31 北朝鮮,テポドン・ロケットを打ち上げ.日本を越え太平洋にまで到達.北朝鮮は多段式運搬ロケット「白頭山1号」による人工衛星「光明星1号」の打ち上げに成功したと発表.「ロシアと米国は実験成功を確認」したそうです。
テポドンは三段式のロケットで,射程1,500-2,000キロ.三段目に固体燃料を使用した技術が,アメリカ情報筋の脅威となる.(その後の正式発表では,射程1300キロのノドンを一段目,スカッドを二段目に利用した,二段式液体燃料方式の弾道ミサイルとされる)
8月 米情報筋、「北朝鮮に巨大に地下複合施設が発見された。これは凍結された核兵器開発計画を復活させる中核となるもの」と報告。北朝鮮は「民間人の経済施設である」と反論。
8月 中国の延辺科学技術大学総長金鎮慶,スパイの疑いで拘留され,国外追放となる.金鎮慶は羅津に科学技術大学を設立するため北朝鮮を訪問中であった。北朝鮮側の発表によれば、金鎮慶は粛清された金正宇対外経済協力推進委員長と関係があったとされる.延辺は旧満州(北朝鮮と国境を接する)地方で,元は間島と呼ばれ,朝鮮系住民が多く住む.金鎮慶も朝鮮系中国人.
8月 国境なき医師団は中朝国境地帯における難民聞き取り調査の結果をまとめ出版。北朝鮮の悲惨な飢餓の様子が書かれていた。
98年9月 趙明禄がナンバーツーに
9.01 オルブライト国務長官,「北朝鮮のミサイル発射はまことに深刻な事態」と声明.日本政府はミサイル発射に抗議し,枠組み合意に対する財政負担への署名を3ヶ月間凍結.国交正常化交渉を凍結し,食糧の人道支援も中断.
9.04 北朝鮮外交部,打ち上げたミサイルは「人工衛星」だとし,「我々が人工衛星保有国になるのは,当然なる自主権の行使だ」と声明.
9.04 額賀防衛庁長官,「北朝鮮のミサイル基地を予防攻撃することも法理的には可能」と突出発言.
9.05 北朝鮮で4年ぶりに最高人民会議(国会)第10期第一次会議開催.72年の社会主義憲法を改正,「金日成憲法」と改称.憲法前文は,金日成を「社会主義朝鮮の始祖・北朝鮮の永遠なる主席」とする.国家主席制度・中央人民委員会を廃止し,国防委員会委員長を国家最高のポストに格上げ.
9.05 新設の最高人民会議常任委員会委員長(形式的な国家元首)には金永南.新首相には洪成南が就任.金永南は,「国防委員長が一切の武力を指揮統率し,政治・経済全般を指導する国家最高の職位である」ことを明らかにしたうえで,金正日総書記を国防委員長に推挙.金正日の子守役を務めた趙明禄人民軍総政治局長が国防委員会第一副委員長に就任,事実上のナンバーツーの地位を占める.
9.07 労動新聞,「人工衛星“光明星1号”は社会主義の強盛大国を建設するための里程標として,北朝鮮の科学・技術者が金正日同志に捧げたものである」
9.09 韓国国防部,「北朝鮮が打ち上げたと主張している人工衛星は,宇宙軌道からは見つけられなかった」と発表.安企部は,「人工衛星をあげたようだが,宇宙軌道への進入には失敗したようだ」と述べる.
9.14 米国務省,「我々は,北朝鮮が非常に小さい衛星の打ち上げにチャレンジしたが,失敗したものと考えている」ことを明らかにする.2日後に韓国政府も同様の公式評価を確認.
9.30 国連開発計画(UNDP)の支援で羅津・先鋒企業学校が開設される.外国進出企業の業務を担当する幹部の育成が目的.金正日,「企業の管理は社会主義原則で,貿易は資本主義国を相手に」と発言.
98年10月
10.01 ニューヨークで第三回の米朝ミサイル協議.アメリカは経済制裁の解除と引き換えにミサイル開発計画の放棄を迫る.北朝鮮は,制裁解除は「枠組み合意」の内容であり,ミサイルと関係なく実施されるべきと主張.
10.03 平壌放送,太陽政策は「我々に統一政策やブルジョア多党制,市場経済などを受け入れさせ,資本主義に引き込もうとする妄想」と非難.
10.16 日本,アメリカからの強い圧力でKEDO関連予算の凍結を解除.
10.19 米議会,北朝鮮への重油供給予算を承認.この条件として,新たに第三者的アドバザーによる対北朝鮮政策見直しと核・ミサイル疑惑の早期解消を,政府に義務付ける.
10月 金正日,平壌を訪れた鄭周永現代グループ名誉会長と会談.南北経済協力に賛意を示す.鄭周永の金剛山観光プロジェクトについても賛同.
10月 北朝鮮労働党の対外連絡部工作員の「元鎮宇」,韓国に潜入.河永沃,沈載春などを抱き込み,民族民主革命党を再建.
98年11月 ハンギョレ新聞の北朝鮮批判
11.09 北朝鮮外務省,金倉里を口実とする米議会の重油供給遅退を非難.「金倉里が核施設でないと判明したときは補償せよ」と要求.
11.16 平壤で,金倉里問題に関する米朝高官協議.カートマン朝鮮半島平和担当特使,「金倉里の核疑惑には証拠がある」と表明.
11.12 クリントン大統領,ペリー前国防長官を北朝鮮政策調整官(Policy Cordinator)に任命.ペリーはただちに各省の北朝鮮政策見直しに着手.日本・韓国との政策すり合わせも進める.
11.18 現代グループによる韓国人の金剛山観光開始.鄭名誉会長も同行.
11月 ハンギョレ新聞,北朝鮮特集を連載.「人民の食糧問題も解決できず,体制を保つために自らの孤立をもたらした自主路線に固執しようとする北朝鮮政権の非道徳性に対し,怒りを覚える」と結ぶ.
11月 北朝鮮の青年、学生が平壤で集会。「ワシントンを火の海にし、ソウルと東京を破壊する」ことを誓う。
98年12月
12.04 ニューヨークで,金倉里の地下核施設疑惑をめぐり第二次米朝協議.北朝鮮は米国の査察要求を原則的に受け入れるが,「適当な補償」の内容で難航.
12.18 全南道の麗水海岸で北朝鮮の潜水艇が発見,撃沈される.捜査の結果,潜入したスパイ「元鎮宇」を帰国させる途中だったことが判明.
12月末 北朝鮮政府,02年までの経済再建計画を公表.既存の基幹産業とインフラを整備し,ついで消費部門の生産を活性化させ,食糧問題を解決するというもの.羅津・先鋒の自由経済貿易区域も再確認される.
1999年
99年1月
1.01 労動新聞の「年頭の辞」,この1年で「全党・全軍・全民が強盛大国建設の大きな飛躍を成し遂げた」と評価.「金正日同志はすなわちわが党であり,わが国,わが人民である」とし,すべての分野で金正日の思想を実現するよう呼びかける.
1.08 韓国政府,KEDO軽水炉建設費の調達に電気料金の3%賦課金を充当すると発表.
1.18 ジュネーヴで4者会談第五次本会議が開催される.会議の前後に,金倉里問題に関する第三次米朝高官協議.
1月 寧辺の核施設で、使用済み燃料棒の封印完了。
99年2月 まず事実報道を
2.02 テネットCIA長官,上院軍事委員会で証言.一定の改良が加えられればテポドン1号はアラスカとハワイまで射程に入れることが可能であり,伝えられるテポドン2号はアメリカ全土を射程に入れることになるだろうと述べる.ただし精度はまったく期待できないとする.
2.03 イギリスのタイムス紙,「北朝鮮の飢餓の状況はエチオピアやカンボジアとほぼ同じであり,住民は家で静かに死を待っている」と報道.これは自然災害ではなく「スターリン主義」による人災だと非難.
2.10 韓国の林東源外交安保首席秘書官,北朝鮮体制は失敗したが,早期崩壊はない.さまざまな変化が見られるが,南に対する革命戦略に固執している.これに対しては封鎖政策も不介入政策も適当ではなく,北朝鮮の漸進的・段階的変化を促す「包容政策」を選択する以外にない.
2.16 世銀のウォルフェンソン総裁,「北朝鮮高官を対象にした市場経済に関する教育を行っている」と明らかにする.
2.27 金倉里問題に関する第4次米朝協議.半月にわたるマラソン協議となる.北朝鮮は査察受け入れの見返りとして100万トンの穀物供与を要求.
2.27 アメリカきっての朝鮮通とされるキノネスが,太陽政策を「北朝鮮を変えるための最も合理的かつ現実的な政策であり,韓国の国際的地位と信用を高めた」と評価.同時に金泳三の政策を「北朝鮮の崩壊を前提としており,結局のところ中国軍部の北朝鮮支援を強化し,平壌の軍部をより強硬にしただけ」と批判.
2月 オルブライト国務長官,韓国を訪問.4カ国会談については否定的な見解を示す.
2月 雑誌「マル」,ハンギョレ新聞の北朝鮮批判に対し,「論評よりまず事実報道を優先すべきだ」と批判.
99年3月 ミサイル輸出停止の「見返り要求」
3月 欧米諸国の抗議を受け,外国人登録法改正,指紋押捺制度が全面的に廃止される.
3.16 第4次米朝会談が合意に達する.北朝鮮は金倉里への米専門家視察団の受け入れで同意,アメリカは「世界食糧計画」を通じて食糧50万トンを,さらにNGOを通じて食糧10万トンを援助.政治・経済関係は改善へ.
3.20 林凍源首席補佐官,「米朝合意により核疑惑が完全解消されたわけではない」と述べ,「北朝鮮が核開発をやらなくても自立してゆけるような環境作り」の必要性を強調する.
3.29 平壤で第4回ミサイル協議.北朝鮮はミサイル輸出停止の見返りとして年間10億ドルの補償金を要求.対話は“serious and intensive”なものとなるが,辛うじて議論を続行することのみで合意.
3月 韓国情報局、北朝鮮に拘留されている454人の韓国人の名前を明らかにする。また朝鮮戦争中の捕虜407人が、現在もなお獄中にあると発表。
3月 洪水被害対策委員会,「人口300万人減少は韓国情報機関のデッチアゲ」と反論.
3月 現代グループ,金剛山観光と北朝鮮事業を統括する企業として,「現代牙山」を設立.金潤奎を社長に任命.
3月 北朝鮮スパイ船が能登半島沖で発見される。スパイ船は日本のトロール船に偽装し、領海に侵入。海上保安部や空自の追跡を振り切り清津港に逃げ込む。
99年4月 在韓米軍を容認
4.01 林凍源外交・安保首席秘書官,「アメリカは統一以降も駐屯し,朝鮮半島の安定を担う必要がある.北朝鮮も在韓米軍の撤退を望んでいない」と述べる.
4.06 金大中大統領,「北朝鮮は,在韓米軍が平和軍であれば駐屯してもよいという立場を明らかにした」と述べる.
4.16 康仁徳統一部長官,「支援食料が軍用米に転化される危険を冒しても,なお支援するのが正しい.韓国の同胞が食料を支援していることは民衆の間でも知られている.北朝鮮の民衆が南に対する憎しみを減らせば,北朝鮮の戦闘力はそれだけ落ちる」と語る.
4.23 平壌放送,金正日の弾道ミサイル発射に関する発言を報道.「人工衛星の打ち上げには数億ドルを費やした.人民たちがろくに食べることも出来なくても,国や民族の尊厳を守り,強盛大国に備えるためのやむをえない選択だった」と述べる.韓国当局によれば,打ち上げ費用は北朝鮮全国民の食料費1年分に相当するという.
4.25 米日韓三国,対北朝鮮政策の調整で合意.三国強調・監視グループの結成で合意.
4月 最高人民会議第10期第二次会議が開かれる.「経済の分野におけるいかなる分権化も自由化も認めず,国の中央執権の指導原則を一貫して固守する」とする「人民経済計画法」を制定.
4月 韓国情報筋の報道によれば,95年以来の自然災害で,総人口2392万人(1995)のうち1割を越す250~300万人が餓死や病死,国外流出などにより減少.各国際団体もほぼ同様の推計.
99年5月 南北海軍艦艇の銃撃戦
5.20 アメリカの査察団,北朝鮮に入り金倉里(クムチャンリ)の地下核施設を視察.国務省によれば,枠組み合意に違反するような核開発の証拠は発見されず.ルービン国務省報道官,「金倉里は大規模なトンネルだ」と結論.
5.25 ペリー特使が平壤を訪問.クリントンの金正日あて書簡を手交.経済制裁の解除,国交正常化,何らかの安全保障手段を提示.核とミサイル問題での前進を促す.
6.15 西海五島北側の軍事境界線上で,南北海軍艦艇が銃撃戦.朝鮮戦争以来もっとも大規模な海上衝突となる。北は韓国艦船の近代装備の前に完敗。水雷艇一隻が沈没し、他の5隻も激しく損壊する。
6月 北朝鮮は西海五島の南側に海上境界線を設定し,その北側を海上軍事統制水域にすると宣言.韓国がわが領海内に侵入するならば、さらなる流血は必至である、と述べる。
7.26 ジョンズ・ホプキンズ大学公共衛生学部の調査報告の内容が報道される。北朝鮮から延辺に逃げ込んだ越境者440人から聞き取った内容をまとめたもので、咸鏡北道で1997年までの3年間に人口の10%以上に当たる二十五万人が死亡したとの報告。
7.30 「ハンギョレ21」,国軍情報司令部の関係者の話として,「朝鮮戦争以後に北朝鮮当局に捕まったり行方不明・死亡した北派工作員は,確認されただけで7726名」だと明らかにする.
7月 EU理事会,朝鮮半島に関する決議を採択.北朝鮮との関係正常化に向けた方針で合意.
99年9月 長距離ミサイルの実験を停止
9.12 ベルリンで米朝協議.北朝鮮は協議中は長距離ミサイルの実験を停止すると表明.米国は見返りとして制裁の一部解除に応じる.
9.15 ペリー北朝鮮政策調整官,下院に「見直し報告」を提出.北朝鮮が崩壊する可能性はなく,自殺戦争に踏み出す可能性もないと判断.核・ミサイル問題と制裁解除・国交樹立問題を並行して進める「新たな包括的・統合的アプローチ」を提唱.具体的には「北朝鮮のミサイル全基の買い取り」を提起したといわれる.共和党は「ならず者国家」をつけ上がらせるものと批判.
9.21 アメリカ,「94年枠組み合意」にもとづき,北朝鮮に対する経済制裁を一部解除する.
9.25 白南淳外相が国連総会で演説.「米国を永遠の敵とは見なさない」と述べ,ミサイル発射を当面凍結する方針を示す.
9月 北朝鮮,軽水炉の建設現場で働く北朝鮮労働者の5倍にのぼる賃上げを要求.韓国側がこれを拒否したことから工事は遅延.
99年10月
10.12 ペリー報告書が公表される.
11.19 ベルリン協議,国交樹立に向け北朝鮮高官級の訪米につき調整を図る.
99年12月 村山訪朝団
12.01 超党派国会議員団(村山富市団長)が訪朝.正常化交渉再開で合意.
12.15 KEDO,枠組み合意成立から5年目で,Kumhoの軽水炉型原発建設に関して朝鮮電力会社と契約.
12.28 労動新聞,太陽政策は「北朝鮮を改革・開放へ誘導してどうにかしようとする狡猾な手法」だと非難.
2000年
00年1月 イタリアと国交樹立
1.04 北朝鮮とイタリアが国交を樹立.G7国家では初めての国交正常化となる.
1.11 ベルリンで,三週間にわたりアメリカと北朝鮮との高位級会談.
2.09 北朝鮮とロシアが友好善隣協力条約に調印.
00年3月 北京の南北会談
3.04 ニューヨークで米朝会談.
3.09 金大中大統領,ベルリン自由大学で講演.「われわれには北韓を抱きかかえる能力はない.北韓住民は自由に関するいかなる経験もなく,外部の世界をまったく知らない.最も現実的で合理的な政策は,ただちに統一を追求するのではなく,相互脅威を解消し,共存・共栄を追及することである」
3.17 北京で南北が特使級の非公開接触.南北頂上会談で合意.「7.4南北共同声明」の祖国統一3大原則(自主・平和・民族大団結)を出発点とすることを確認.
00年4月
4.06 米国,北朝鮮のChanggwangSinyong社に対し「MTCRの第一カテゴリーに相当するミサイルをイランに販売した」として制裁.第一カテゴリーとは,射程300キロ以上,弾頭500キロ以上のミサイルを指す.
4月 日朝会談が再開される.
4月 金正日総書記の訪中。南北首脳会談の説明を目的とする。江沢民は南北首脳会談を高く評価する。
00年5月 アセアン地域安全保障フォーラムへの加盟
5.08 北朝鮮と豪の外交関係再開.
5.25 アメリカ,金倉里の核施設に対し第二回目の核査察.一年前の第一回査察時に比し変化がないと報告.
5.27 北朝鮮,アセアン地域安全保障フォーラム(ARF)に加入(23番目加盟国)
5.29 金正日,南北会談を前に中国を訪問.江沢民主席は「南北朝鮮の自主的平和統一を支持する」と表明.
00年6月 南北共同宣言
6.13 平壤で初の南北首脳会談.南北共同宣言を発表.核・ミサイル・非武装地帯問題については言及なし.
6.19 米国はローマ会談での合意に基づいて,北朝鮮に対する経済制裁を緩和する措置を発動.
6.20 北朝鮮と米国とのベルリン会談.北朝鮮は「ミサイル打ち上げ実験の凍結」を再確認することで応える.
6.27 平壤で第1次南北赤十字会談.離散家族100名ずつがソウルとピョンヤンを交換訪問すること,韓国に捕らえられている非転向将兵の送還について合議.
6.28 現代グループの鄭名誉会長が訪北.金正日国防委員長と面談.
00年7月 米朝外相会議
7.12 クアラルンプールで第五回米朝協議.ミサイル問題について意見を交換.北朝鮮はミサイル販売停止の見返りに年間10億ドルの補償を求める.アメリカはこの提案を拒否するとともに,「経済関係の正常化」を提案する.
7.12 マニラで,北朝鮮とフィリピンとの外交関係設定に関する共同コミュニケ発表.
7.14 南北連絡事務所が業務を再開.
7.19 プーチンが平壤訪問.金正日はミサイル販売計画の廃棄と引き換えに,「本来の目標である」人工衛星打ち上げへの援助を求める.
7.27 コックス共和党下院議員ら,「北朝鮮へのクリントン・ゴア援助が金正日の百万軍隊を支えている」とする報告書を発表.
7.28 バンコクでアセアン総会.オルブライト国務長官と白外相が“substantively modest”な会談を持つ.
7.31 南北閣僚級会談で共同報道文発表
7月 平壤放送、「朝鮮戦争が北朝鮮の侵攻によって始まった」とする朝鮮日報の報道に抗議。「わが国に対する侮辱を続けるなら本社を爆発させる」と脅迫。
00年8月
8.05 韓国の報道機関の社長46人が北朝鮮を訪問.
8.10 南北会談,板門店の南北連絡事務所を再開することで合意.
8.13 金正日,平壤で韓国メディア代表団と会見.「人工衛星打ち上げに対する援助要請は冗談」と述べる.
8.15 南北の離散家族,平壌とソウルで再会
8.18 朝鮮国立交響楽団,直航路利用してソウル訪問.
8.22 平安北道一帯で米軍将兵の遺骸発掘作業がはじまる.
8.27 在日韓国人の洪昌守(徳山昌守),プロボクシングWBC世界スーパーフライ級王者となる.
8.30 金大中,ワシントンポストとの会見で,「金正日が在韓米軍の継続駐留に同意した」と発言.
00年9月 非転向長期囚の送還
9.02 韓国政府,朝鮮戦争以来50年にわたり拘留されてきた非転向将校,スパイ罪などに問われ,政治的転向を拒んできた「非転向長期囚」など63人を北朝鮮に送還.
9.08 米国務省,金正日の人工衛星提案を「きわめてまじめに考慮している」と述べる.
9.11 特使資格をもつ,労働党中央委員会秘書の一行が訪韓.
9.12 北朝鮮在住の日本人配偶者の一時帰国第3陣が成田空港到着.
9.15 シドニー・オリンピック開会式で南北の合同入場行進
9.18 韓国で鉄道・京義線の連結,復旧に向けた工事の起工式
9.18 IAEA総会,北朝鮮に対する特別査察をただちに開始するよう求める報告.北朝鮮は「共和国の主権に対する重大な挑戦であり,枠組み合意を破壊しようとするもの」と非難.決議を無視する姿勢.
9.22 韓国の白頭山観光団が訪北.
9.22 朝鮮総連,初の韓国への「故郷訪問団」を組織.
9.25 済州島で初の南北国防相会談,ソウルで南北経済実務者協議が開始される.国防相会談では,北側が韓米合同軍事演習や“北朝鮮主敵”規定を批判.「軍事的な信頼構築の措置として,一日も早く休戦協定を平和協定に」と主張.
9.27 ニューヨークで米朝会談.テロリズムに反対する共同声明を発表.国務省は北朝鮮をテロリスト国家のリストからはずす方向で検討開始.
00年10月 趙明禄の訪米とオルブライトの訪朝
10.10 北朝鮮ナンバー2とされる趙明禄国防委員会第1副委員長が,特別代表としてアメリカを訪問.クリントン米大統領,国務長官,国防長官と相次いで懇談.北朝鮮をテロ支援国家のリストから除外するための具体的措置について討議.
趙明禄: 最高人民会議常任委員会委員長である金永南が政治上のナンバー2であるのに対し、趙明禄は軍事上のナンバー2とされる。金日成の抗日パルチザン部隊に少年兵として参加した革命第一世代で、金正日の生母である金正淑に近かったこともあって金正日に信頼され、後見人として大いに発言権を増した。軍事パレードの時には、いつも金正日総書記の右隣にいるそうだ。
10.12 趙明禄とオルブライト,米朝間の敵対関係を終わらせるとする共同コミュニケを発表.敵対・敵視政策を清算して,「相互尊重の原則の下に,両国の関係を根本的に改善させ発展させる」ことに合意.
合意の具体的内容
北朝鮮は,500km以上のミサイル開発の中断,ミサイル合意に関する検証手段の保障など,ミサイル問題を前進的に解決する決意を表明.
米国は,ミサイル政策変更の見返りとして,食糧・エネルギーの安定供給,オルブライトが平壤を訪れることを約束する.オルブライトは,近い将来にクリントンの訪朝と米朝関係の正常化なども視野に入れていることを明らかにする.10.24 オルブライト国務長官,北朝鮮を訪問.金正日は「射程500km以上のミサイル(テポドン1号)の発射実験を停止.さらにミサイル合意に関する検証手段も保障する」と提案.見返りとして食糧とエネルギーの安定的な供給をもとめる.クリントン訪朝,国交正常化の道筋についても話合い.
00年11月
11.01 クアラルンプールで第7回米朝協議.ミサイル問題の最終敵な詰めが行われるが,合意に達せず.クリントンの任期内の訪朝は不可能となる.
11.30 南北離散家族の第2回相互訪問が実施される.
00年12月 金大中がノーベル賞
12.04 韓国『2000年国防白書』が発表される.国防相会議での議論にもかかわらず,“主敵規定”がそのまま存続.
12.10 金大中大統領,ノーベル平和賞受賞.
12.12 北朝鮮とイギリスが国交を樹立.
12.12 第4次南北経済実務者会談が,平壤で開かれる.経済協力関連4分野で,合意書を締結.
2001年
1.23 ベルギーと北朝鮮が国交樹立.ベルギー政府は,「金大中大統領からの依頼もあって,朝鮮半島の安定につながるよう国交樹立を決めた」と経緯を説明.
01年3月 ブッシュ・金大中会談
3.06 パウエル新国務長官,議会の聴聞会で証言.クリントン政権の対北朝鮮政策を見直すと声明.
3.07 ブッシュ・金大中首脳会談.ブッシュ大統領は"北朝鮮は信用できない"と発言."厳格な相互主義と徹底した検証"を要求.
3.15 北朝鮮政府,ブッシュ新政権の一連の言動に抗議し,米国との閣僚級会議を無期限に延期.朝鮮中央通信は,「南北対話をかき回そうとする米国のよこしまな政策には,三千倍の復讐が待っている.われわれは対話にも戦争にも十分な備えができている」と強い非難.
4.19 北朝鮮赤十字,大韓赤十字社に尿素肥料20万トンを支援するよう公式要請.韓国政府はこれに応じる構え.
01年5月
5.01 ブッシュ大統領,ミサイル防衛網(MD)計画の推進を宣言.
5.03 金正日,EU代表団と会見.2003年まで引き続きミサイル発射実験を停止すると述べる.一方,「ミサイル技術の輸出は貿易であり,買い手があれば販売する」ことを明らかにする.
5.05 オルブライト前国務長官,『ニューヨーク・タイムズ』へ寄稿.「ブッシュ政権がヨーロッパ同盟国のMD構想支持を願うのなら,まず北朝鮮と合理的な対話を開始する必要がある」と主張.
5.09 アーミテージ国務副長官が訪韓."核とミサイルの脅威には軍事的手段による対抗措置も辞さない"と表明.
5.26 国際原子力機関(IAEA),寧辺(ヨンビョン)の5メガワット原子炉,再処理廃棄物の保存所とされる偽装公園施設(いわゆる500号建物)などに対する査察を要求.
5.27 ケリー国務次官補,韓米日の対北政策調整会議で,"クリントン政権の対北ミサイル交渉は不充分である"と発言.00年10月の「朝米共同コミュニケ」の見直しを示唆.
01年6月 ブッシュの北朝鮮ドクトリン
6.04 『労働新聞』の論評,「ブッシュ政権が査察・検証・通常武器の削減など条件をつけるのは,対話を拒否する立場に他ならない」と批判.平壌放送は「強硬には超強硬で対応する」と絶叫.
6.06 ブッシュ米大統領,①ミサイル開発と輸出の禁止,②軍事境界線付近の通常戦力削減,③核査察受け入れ,④人道支援物資の公正な配布,を条件として,北朝鮮との対話を再開すると発表.「包括的なアプローチの枠組みから議論を進めていく.北朝鮮が前向きに対処すれば,米国は制裁を緩和し,北朝鮮住民を助ける努力を拡大する」と述べる.
6.11 韓国外交通商部長官,「朝鮮半島が統一されたとしても,米軍は地域内の安定を維持するため引き続き駐屯するべきである.アメリカは侵略への抑止力であり,北東アジアの平和と安定の守護神である」と講演.
6.13 ニューヨークでプリチャード朝鮮半島担当大使が北朝鮮国連大使と会談.米朝会議の再開へ向け調整開始.
6.18 北朝鮮外務省スポークスマン,アメリカを一方的・敵対的と非難するいっぽう,「軽水炉の提供遅延に伴う損失補償が緊急問題である」と提案.
6.21 ラムズフェルド国防長官と金東信韓国国防長官が会談.米軍が韓国に引き続き駐屯することで合意.
01年7月 国連人権委員会の勧告
7.06 アーミテージ国務次官,北朝鮮がロケット・エンジンの噴射実験を再開したと発表.
7.12 ケリー東アジア・太平洋問題担当国務次官補,下院で証言.IAEAの特別査察受け入れと,使用済み燃料の国外搬出の具体化が,「枠組み合意」再開の前提となると述べる.
7.19 国防総省,本土ミサイル防衛(NMD)と戦域ミサイル防衛(TMD)の区分を廃止し,一体化された弾道ミサイル防衛(BMD)構想として開発を進めると発表.
7.27 パウエル米国務長官が訪韓.対北交渉においては核・ミサイル査察が交渉の前提となると強調.
7.27 国連人権委員会,北朝鮮の人権が依然として劣悪であるという結論に達し,20項目にわたる具体的人権状況の改善を勧告.主要な内容としては,司法の独立と公正,公開処刑の禁止,刑務所に対する国内外からの査察,強制労働の廃止,旅行証明書発給制度の廃止など.
01年8月
8.04 金正日,ロシアを訪問しプーチンと会談.8項目のモスクワ共同宣言に合意.96年に失効した旧ソ連時代からの友好協力相互援助条約に代わる友好善隣協力条約に署名.
8.08 北朝鮮外務省スポークスマン,「ミサイル問題を前提とする米国の態度が変わらない限り,対話のテーブルにはつかない」と述べる.
01年9月
9.02 江沢民主席が北朝鮮を訪問.92年の中韓国交樹立によって途絶えた中朝間の首脳の相互訪問が、10年ぶりに回復する.中国側は南北の関係改善,日米などとの関係改善を「支持」する姿勢を打ち出す.
9.11 ニューヨークで同時多発テロ.米韓連合軍司令部は,スチュワート司令官名で米韓連合軍に非常警戒令を発動.金大中大統領は,翌日になって韓国軍及び警察に「非常警戒措置」を指示.
9.13 北朝鮮外相,9.11テロを「非常に痛ましい悲劇」と呼び,あらゆる形のテロに反対すると言明.
9.15 ソウルで第5回南北閣僚級会談が開催.南北離散家族の相互訪問,第2回経済協力推進委員会,次回閣僚級会談の開催などが合意される.
9.17 小泉首相が平壤を訪問し、金正日と会談。日朝共同声明を発表。金正日は拉致事件の存在を認め謝罪。4人の生存を認める。
9.17 IAEAのエルパラダイ事務局長,北朝鮮の査察がまったく進んでいない状況に関して警告.北朝鮮は「荒唐無稽で強引な主張であり,言いがかりだ」と反論.
01年10月 ブッシュ、金正日を罵倒
10.08 米のアフガン侵攻.韓国国防部と米韓合同参謀本部が北朝鮮軍の動向を協議.金大中大統領は国家安全保障会議で「非常警戒態勢」の強化を指示.
10.09 「ブルッキングス研究所」のジョエル・ウィット研究員,「北朝鮮の体制を完全に変化させようとする政策は好ましい結果をもたらさない。北朝鮮がノーマルな国家として国際社会に参与できるよう手助けする姿勢が望ましい」と述べる.
10.11 F15E戦闘機を主体とする飛行大隊が,米本土から在韓米軍基地に派遣.
10.12 北朝鮮,「南が非常警戒態勢を強化している状況では,離散家族の相互訪問は不可能」として延期を通告.南は北の一方的な延期通告に抗議し,「非常警戒措置は対テロ戦争の一環として発令されたもので,北を対象としたものではない」ことを強調.
10.16 APEC首脳会議に出席したブッシュ大統領,記者会見で「金正日にメッセージがある.自分の側の約束を実行せよ.会おうといった以上会え.なぜ彼は話し合おうとしないのか.合意の実行すら拒否するこの男はいったい何なのか」と叫ぶ.
10.18 閣僚級会談北側団長名義の韓国政府あて書簡が発表される.「アメリカ本土から空軍戦力を新たに引き入れたのは,明らかに我が方を刺激する敵対行為」と非難.
10.18 アジア太平洋司令部を指揮するブレア提督,『東亜日報』の質問に答え,「アメリカにとっての3大地域はヨーロッパ,西南アジア,東アジアの順だったが,今は東アジアがもっとも優先され,西南アジア(中東と中央アジア),ヨーロッパの順に変わった」と発言.
10.19 上海のAPEC総会で,金大中とブッシュが二度目の首脳会談.金大統領は,「太陽政策は北朝鮮を改革と開放に導くための政策であるから,アメリカ政府も積極的に協力してほしい」と要請.北朝鮮政府は,「金大中発言は南北の体制を相互に尊重することを前提にした6・15共同宣言の精神を著しく損なうもの」と非難.
10.23 「労働新聞」の論評.「…自主権の尊重はテロを防止する最善の道である。地球上で発生するすべての軍事的衝突と戦争はその性格と形態がいかなるものであれ,結局は他の国や民族の自主権と利益を侵害し蹂躙したことが根源となっている。すべての国と民族の自主権を尊重する原則が徹底して遵守されてこそ健全な国家関係と国際秩序が樹立され,すべてのテロと軍事衝突もなくすことができる」
01年11月 ブッシュ、イラクと北朝鮮を名指し非難
11.06 プリチャード朝鮮半島特使,上院外交委員会で証言.「クリントン政権による対北交渉の結果は,すべて無効になったわけではない」と述べる.
11.08 米議会調査局の朝鮮問題専門家,「ブッシュ政権は互恵的な措置をとる用意があることを北朝鮮に示唆すべきである。…通常武器の削減を要求しながら,それに見合うどのような措置を取るかについて明らかにしてこなかったのは失策である」と述べる.
11.14 金剛山で第6回南北閣僚級会談.離散家族再会問題をめぐり完全に決裂.次回日程を決めないまま決裂.南北の政府間折衝がすべて中断.ハンナラ党は「国民の自尊心と国家の利益を度外視した亡国的な対北朝鮮政策を原点から見直すべきだ」と批判.
11.19 生物兵器禁止条約に関する第5回評価会議(ジュネーヴ)が開かれる.ボルトン米国務次官は「イラクと北朝鮮は,生物兵器禁止条約に違反しており,軍事的目的に使用できる十分な量の生物・細菌武器を生産できる」と発言.国際調査を要求したアメリカの提案は採択されず.なお,事務局提案の「生物兵器の開発・生産・保有の実態を確認するための検証議定書」は,アメリカの抵抗によって流産となる.
11.26 ブッシュ大統領が記者会見.イラクと北朝鮮が大量破壊兵器(weapons of mass destruction)に関する査察を受け入れるよう要求.「もし他国をテロの恐怖に陥れるため大量破壊兵器を開発するなら,応分の責任をとらせる」と述べる.
11.28 韓・米・日の対北政策調整グループ(TCOG)会議,北朝鮮に対して「大量破壊兵器の開発を中断し,テロに反対する追加的な措置を取るよう」に要求.
11月 朝銀に2898億円の公的資金が投入される.
01年12月
12.13 ブッシュ政権,ABM条約からの離脱をロシアに通告.
12.22 日本の海上保安庁艦艇,北朝鮮の「不審船」を東シナ海で追跡.不審船は交戦のあと自沈する.
12月 韓国,射程300キロのミサイル110発をロッキード・マーチン社から購入.これを機にミサイル関連技術輸出規制(MTCR)に加盟.
12月 北朝鮮赤十字会,「日本人行方不明者」の調査を中止すると発表.
12月 中朝貿易は7億3900万ドルに急増。99年実績の2倍となる。
2002年
02年1月 悪の枢軸
1.08 国防総省,連邦議会へ8年ぶりの「核戦略体制見直し報告」(NPR)を送付.核戦略の目的を,冷戦時の“抑止力”から,テロリストや「ごろつき国家」との戦争で“実際に使用する攻撃力”へと転換することをうたう.
添付機密文書
報告には機密文書が添付されており,ロサンゼルス・タイムス,ニューヨーク・タイムスなどによって暴露される.北朝鮮・イラク,イラン,リビア,シリアのほかロシア,中国まで含め,少なくとも7か国を対象とした核攻撃のシナリオを策定,限定的な核攻撃を想定した小型戦術用核兵器の開発を軍に指示.1.29 ブッシュ大統領,一般教書演説(State of the Union address)で北朝鮮,イラン,イラクを「悪の枢軸」(axis of evil)だと名指し.
各界の批判
クリントン前大統領 「北朝鮮はイランやイラクとは異なるアプローチが可能な国だ。2000年12月には米朝関係が急進展した.そして北朝鮮との間でミサイル開発計画の放棄に関する合意が取り交わされようとしていた。…私自身は北朝鮮問題に関する限り,後任者に大きな外交的勝利を残したと自負している」
アナン国連事務総長 「世界を善の国と悪の国に分ける二分法的な観点は非現実的である。国連安全保障理事会は,アフガニスタン以外の国を対象とした軍事行動に関して,いかなる決定も下していない」
ドイツのフィッシャー外相 「アメリカが無分別に軍備を拡張すれば,世界はますます不確実で危険なものになる。アメリカの軍事的冒険主義は,同盟国の支持を得られないだろう。我々は同盟国であって,衛星国ではない」
ニューヨーク・タイムズ 「ブッシュ大統領はイラン・イラク・北朝鮮を‘悪の枢軸’と規定した.しかしヨーロッパの人たちは,逆に,ラムスフェルド国防長官・チェイニー副大統領・ライス大統領安保補佐官を悪の枢軸と見なしている」1.31 ハバード駐韓大使,「われわれはストレートに話す.北朝鮮の顔を立てる形で交渉に入るのはアメリカのやり方ではない」と述べる.
1月 金正日、二回目の中国訪問。上海を訪れ中国の経済発展を賞賛。
02年2月 We are ready!
2.05 パウエル,上院外交委員会で証言.北朝鮮との対話窓口は無条件で開かれていると述べる.また「平壤は依然ミサイル開発を凍結しており,枠組み合意も守っている」ことを明らかにする.
2.09 ロサンゼルス・タイムスの報道によれば、ブッシュ政権はイラク、北朝鮮など7ヵ国を対象に、非常時の核兵器使用計画策定とピンポイント用の小型核兵器開発を命じた。
2.19 ブッシュ,日本・韓国・中国を歴訪.金大中大統領との会談後,「金正日に対する見方を変えるつもりはない」としつつ,「北朝鮮に対する軍事攻撃の意思はなく,対話による解決を望む」と発言.金大統領は「ブッシュが対北包容政策への積極的な支持と,無条件での対北対話の意志を表明した」と評価.
2.20 北朝鮮,「われわれの最高首脳部を露骨に中傷したブッシュのようなやからは相手にしない」と声明.
2.20 ブッシュ,非武装地帯から100メートルの最前線を視察.「We are ready!」(かかってこい)と演説.
2.21 ブッシュ,烏山の米空軍基地で演説.「朝鮮半島の平和は,確固たる軍事力によって築かれている。我々は朝鮮半島に引き続き米軍を駐屯させるだろう」
2.27 北朝鮮の金剛山で「2002年迎春南北共同のつどい」,韓国政府が「統一連帯」代表の参加を承認しなかったことから流会となる.
02年3月 合同軍事訓練の再開
3.10 米国防総省,「核戦力体制見直し報告」(NPR)を議会に提出.北朝鮮,中国,ロシア,イラン,イラク,リビア,シリアの7カ国を潜在的な核攻撃対象に指定.非核攻撃で破壊しきれない目標物,核・生物・化学兵器攻撃に対する報復,不測の軍事事態では核兵器を使用できるとしている.
3.10 新千年民主党と野党ハンナラ党のスポークスマン,「朝鮮半島だけでなく,いずれの国に対する核兵器使用にも反対する」などと批判する声明.
3.13 ブッシュ米大統領,「イラクのような国家が大量破壊兵器を開発し,我々の将来を脅かす事態を断じて許さない。あらゆる選択肢が用意されている」と言明.非核保有国に対しても核攻撃を排除せずとの立場を明らかにする.さらに核兵器の小型化,高性能化を進め,いつでも使用できるようにすると言明.
3.14 朝鮮中央通信,米国が北朝鮮に対する核使用の可能性について言及したのを受け,「94年のジュネーブ合意など北朝鮮-米国間合意を全面的に見直しせざるを得ない」と声明.同時に,国連本部で北朝鮮特使が米国のプリチャード代表と,対話の再開に向けて二回の会談.
3.19 ブッシュ政権,北朝鮮に対する「米朝枠組み合意」遵守の認証を拒否(北朝鮮が合意を遵守していないとの認識).ただし「アメリカ側の枠組み合意に対する誠意を示すため,特例規定により重油供給は続ける」とする.重油供給の予算執行が不可能となる.
3.21 94年以降縮小され中断されていた米韓連合訓練が再開される.50万人の大規模演習となる.兵力・装備を前方まで展開させる戦時増員訓練,北朝鮮軍の特殊部隊の大規模浸透に備える「イーグル演習」が並行して進められる.
3月 八尾恵(よど号犯人の妻),北朝鮮政府の指示の下に有本恵子さんを拉致したと証言.北朝鮮赤十字会は日本人行方不明者の調査再開を表明.
02年4月
4.03 金大中大統領の特使として林東源(イム・ドンゥオン)大統領府外交安保統一特別補佐官がピョンヤンを訪問.
4.03 北朝鮮外相,プリチャードとの会談を確認.KEDO再開について米国の主張を受け入れる用意があると表明.
4.05 林補佐官,金正日と会見し金大中大統領の親書を伝逹.①6.15共同宣言を再確認し緊張事態の発生防止に努力する.②経済協力推進委員会や離散家族の相互訪問など,南北間の対話と協力事業を積極的に推進,③南北軍事当局間の会談を再開することで合意.
4.18 崔成泓外相,「北朝鮮を対話の場に引き出すには大きなムチが有効であり,ブッシュ政権の断固たる処置が北の態度を変化させた」と述べる.北はこの発言を受け態度を硬化.
4.28 “金剛山ダムの崩壊説”がテレビでいっせいに報道される.米の軍事衛星の写真をもとに「北の金剛山ダムは不実工事のために崩壊する恐れがあり,その影響で南に大規模な水害が発生する」というもの.
4月 日朝赤十字会談と外務省局長級協議が開催され,小泉首相訪朝が決定.
5.08 瀋陽の日本大使館に北朝鮮人5人が駆け込み。
5.21 国務省、北朝鮮をテロ支援国家に指定。
02年6月 黄海上の軍事衝突
6.01 ブッシュ大統領,ウエストポイント陸軍士官学校の卒業式で演説.「テロとの戦争は,守勢に回っては勝てない.われわれは敵の陣内で戦闘を行い,計画を打ち砕き,最悪の脅威が現実化する前に勝負に出なければならない」と先制攻撃論を主張.
6.11 米下院本会議,「中国政府に北朝鮮難民の強制送還中止を求め,国連高等難民弁務官の活動を認めるよう要望する決議」を全会一致で採択.19日には上院も全会一致で採択.
6.25 ブッシュ政権,「米側の懸案事項を提示し,対北政策を説明するため」北朝鮮に特使を派遣するとの案を提示.特使候補にはケリー東アジア・太平洋問題担当国務次官補を指名.
6.29 99年に続く黄海上の軍事衝突事件.北方限界線を越えて南進した北朝鮮警備艇二隻が,韓国軍警備艇に無警告で発砲.韓国軍は死者5人,負傷者19人を出す.北朝鮮側も警備艇一隻が炎上.
6.30 北朝鮮海軍司令部,NLLは「米軍が勝手に引いた幽霊線で,我々は一度も認定していない」と反駁.
6月 CIAの秘密報告.「97年から北朝鮮とパキスタンの往来が頻繁になった。ミサイルの代金を支払えないパキスタンは,見返りとして核開発技術の提供を北朝鮮にもちかけた」とする.
02年7月 白南淳・パウエル非公式会談
7.01 北朝鮮外務省スポークスマン,銃撃戦は韓国の挑発行為であり,北方限界線は恣意的なものであり無効と声明.
7.01 北朝鮮、経済改善措置を実施。公定価格の設定、対ドルレートを70分の1に切り下げ、企業独立採算性などが行われ、市場経済化への移行を目指す。
7.25 北朝鮮政府,韓国政府あてに「黄海上で偶発的に発生した武力衝突事件を遺憾とする」との書簡を送る.さらに金剛山会談の再開を提案.「第7次南北閣僚級会談では,鉄道連結問題,離散家族の再会問題など」を議題とするよう促す.
7.26 ブルネイのASEAN地域フォーラムでは白南淳外相がパウエル国務長官と非公式会談,「ケリー特使の訪朝を歓迎する」と表明.
7月 北朝鮮外務省スポークスマン談話,アメリカの特使を受け入れる用意があるとの意向を表明.
7月 北朝鮮がウラン濃縮施設の建設を始める.
7月 日朝外相会談,拉致問題や過去の清算などを包括的に協議することで合意.
7月 北朝鮮で経済改革が実行される。食料の自由販売が認められ、コメ1キロが900ウォンに高騰する(一般事務職の給与は約2000 ウォン)。
02年8月
8.07 北朝鮮のKEDO合意に基づく軽水炉の起工式.プリチャード国務省特別代表が列席する.プリチャードはIAEA査察の即時・無条件受け入れを促すが,北朝鮮は少なくとも3年間の猶予を求める.
8.16 米国,イエーメンにミサイルを輸出したとして,北朝鮮に新たな制裁.フライシャー報道官は,この制裁により交渉の窓口を閉ざすわけではないと述べる.
8.31 ジョン・ボルトン軍縮・国際安全保障担当国務次官補,平壤のミサイル・核・生物兵器問題を非難しつつも対話の可能性を示唆.北朝鮮は,「ボールは米国側のコートにある」とする声明.
02年9月 日朝首脳会談
9.16 ラムズフェルド米国防長官「北朝鮮は核兵器を保有している」と述べる.
9.17 小泉首相と金正日が会談.平壤宣言を発表.北朝鮮は無期限のミサイル発射実験凍結を発表.また核開発に関し「すべての国際合意を順守する」とし、朝鮮半島における核問題の包括的解決と,国際合意の完全な尊重をうたう.席上,金正日は拉致事件を認め謝罪.
金正日「謝罪」の全文: 70年代,80年代初めまで特殊機関の一部に妄動主義者がいて,英雄主義に走って,こういうことを行って来たと考える。二つの理由があると思う。一つは特殊機関で日本語の学習が出来るようにするため,一つは日本人の身分を利用して南(韓国)に入るためだ。
私が承知するに至り,責任ある人々は処罰された。これからは絶対ない。この場で,遺憾であったことを素直にお詫びしたい。二度と許すことはない.9.18 韓国と北朝鮮を結ぶ鉄道と道路を連結させる工事が同時に着工式。
9.19 非武装地帯内の地雷除去作業が開始される。
9.20 米政府高官,「当面、北朝鮮を先制攻撃の対象.国としては想定していない」との見解を明らかにする.
9.28 拉致被害者調査で,政府が調査団を派遣.
02年10月 ケリー訪朝と核保持宣言
10.02 日本政府調査団が拉致被害者の調査結果を公表.生存5人は本人と断定.死者8人は特定できず.
10.03 ケリー東アジア・太平洋問題担当国務次官補を団長とする8人の代表団が北朝鮮を訪問.「大量破壊兵器,ミサイル開発プログラム,ミサイル輸出,脅迫的な通常戦力配置,人権抑圧,悲惨な人道的状況」などに言及.これらの問題を包括的に解決するよう要求.「ウラン高度濃縮装置の開発を進めている」証拠を提示する。
10.04 姜錫柱(カン・ソクチュ)第一外務次官、ケリーの提示した証拠を前に,ウラン濃縮計画の存在を認める.さらに「生物兵器も保有している」と表明.北朝鮮側はこれまでウラン濃縮計画を一貫して否定.「米国はないものをあると強弁している」と非難した。
10.07 北朝鮮外務省スポークスマン声明。「ケリーの言動は一方的な要求を押し付けようとする高圧的で傲慢な態度である.…我々は主権を守るために高濃縮ウラン(HEU)計画を推進する権利がありる。さらに核兵器だけではなく,より強力な他の兵器も所有する資格がある」と反論.(枠組み協定はウラン濃縮を禁止してはいない)
10.11 世界食料機構,支援用穀物の不足のため,東海岸諸道への食糧配給を段階的に停止すると発表.5月から援助が停止されている中学生25万のほかに,小学生100万人への1日200グラム,高齢者・障害者など14万人への1日500グラムの穀物配給が停止.11月からは小学生未満の児童100万と,妊婦への食糧援助も打ち切りの予定.
10.15 拉致事件被害者5人が一時帰国.
10.16 ケリー米国務次官補,姜錫柱発言を元に「北朝鮮が核兵器開発のためウラン濃縮計画を推進している」と発表.事実上「枠組み協定」の死文化を宣言.訪朝が不調に終わったのを受けてのもの.
10.17 米国務省はこれを根拠に、世界に向け「北朝鮮がHEU計画を認めた」と宣言した。北朝鮮はそのような事実はないと反論するが、国連代表部筋は、「米国務省の声明は大筋で事実だと認識している」と述べる。
10.16 IAEAのエルバラダイ事務局長,「北朝鮮はIAEAを脱退しているが,NPTには加盟しており,核施設についてIAEAへの報告義務がある」と述べる.
10.18 朝鮮日報,北朝鮮が核開発のためパキスタンから濃縮ウラン製造用の遠心分離器など関連装置を購入し,秘密施設で数年間にわたり濃縮実験を行ったと報道.
10.19 ケリー米国務次官補,北朝鮮が核開発放棄の条件として,①米朝平和条約の締結 ②北朝鮮を先制攻撃の対象としない ③北朝鮮の経済システムの是認,の三つをあげたことを明らかにする.
10.19 韓国と北朝鮮が第8回南北閣僚級会談を開催。「核問題を対話で解決」することで合意。
10.20 パウエル米国務長官,94年の米朝枠組み合意は事実上無効化したと言明.いっぽう,「合意に盛り込まれている経済援助を停止するかどうかは検討中」と述べる.ニューヨークタイムズは「ブッシュ政権が米朝枠組み合意を破棄することを決定した」と報道.
10.23 南北閣僚級会談,北朝鮮の核開発問題は「対話を通じて問題を解決する」ことで合意.韓国側が求めた核開発の断念は盛り込まれず.
10.24 政府,一時帰国した5人を返さず,さらに家族の帰国を求める方針を発表.
10.25 北朝鮮外務省スポークスマン声明,「われわれは米側からの核脅迫に対し,自主権と生存権を守るために,核兵器はもちろん,それ以上のものも持つことになっていると明確にした」と発表.さらに朝鮮半島非核化に関する南北共同宣言は,アメリカが核先制攻撃戦略を採用したことにより死文化したと宣言.
10.26 メキシコのロスカボスで開かれたAPEC首脳会議に出席した日米韓の三首脳,「核問題を含む安全保障上の問題と拉致事件の解決なくして交渉はありえない」と声明.核兵器の検証可能な撤廃をもとめる。
10.28 朝鮮通信が声明を発表。米国特使は「なんの根拠資料もなしに、われわれが核兵器製造を目的に濃縮ウラン計画を推進し、朝米基本合意文を違反していると言いがかりをつけている」との非難声明。
10.29 クアラルンプールで日朝国交正常化交渉.拉致問題がネックとなり進展なし。
02年11月
11.05 北朝鮮,日朝正常化交渉が進展しなければミサイル発射実験の凍結を解除すると発言.
11.09 KEDO日米韓調整グループ,12月以降の北朝鮮への重油提供を停止すると決定.
11.14 KEDO,北朝鮮が高濃縮ウラン計画を廃棄するまで,重油供給を停止すると発表.
11.17 平壤放送、「米朝枠組み合意に違反したのは米国の側である。米帝国主義が核脅威を増大させるなら、それに対抗しわれわれの自主権、生存権を守るためには、核兵器をふくむ強力な軍事的対抗手段を保持しなければならない」と述べる。
11.24 日朝両政府,大連で非公式折衝.北朝鮮側は「平壤宣言はしっかり守っていきたい」と言明.
11.21 CIA、北朝鮮が「プルトニウム爆弾を1、2個保有し、原爆数個分のプルトニウムを保有している」との推定を明らかにする。
11.26 パウエル国務長官、パキスタンのムシヤラフ大統領と会談。北朝鮮との接触は重大な結果を招くと警告。
11.29 IAEA理事会,「北朝鮮はウラン濃縮計画の問題を明らかにしなければならない」と決議.寧辺(Yongbyon)の核施設の特別査察をもとめる。北朝鮮はIAEAは米国の回し者として,決議の受け入れを拒否.
11月 米議会の調査機関,「北朝鮮の原子炉は毎年少なくとも一個分の核兵器を作るだけのプルトニウムを生産できる」と報告.
02年12月 イエーメンにミサイル輸出
12.02 中ロ首脳会談。朝鮮半島非核化と大量破壊兵器不拡散、米朝枠組み合意に基づく米朝関係の正常化支持、南北対話などをうながす共同宣言を発表。北朝鮮を突き放す。
12.04 北朝鮮の白南淳外相、IAEA事務局長に「理事会決議は受け入れられない」との書簡を送る。
12.09 アメリカとスペインの艦船,イエーメンに北朝鮮のセメントを運ぶ北朝鮮船「ソ・サン号」に対し停船命令.威嚇射撃の上特殊部隊員による臨検.セメント袋の下からスカッド・ミサイルとロケット燃料が発見される.フライシャー報道官は,この船がミサイル部品を積んでおり,その最終目的地はイラクだと主張.
12.10 イエメンのサーレハ大統領,ミサイル購入の事実を認めた上,ソサン号の引渡しを要求.アメリカ側の説得に応じず.アメリカはミサイルごとソサン号を解放.
12.11 ブッシュ政権、「大量破壊兵器に対する国家戦略」を発表する。
12.12 北朝鮮政府,核凍結解除を宣言する。枠組み合意で凍結された寧辺の核施設を再稼働させると表明.IAEAあての書簡で「年間50万トンの重油供給を前提にして講じた核凍結を解除し,電力生産に必要な核施設の稼動と建設を即時再開する」と通告.IAEAが設置した封印と監視設備を撤去するよう求める.
12.18 朝鮮日報、北朝鮮が核兵器開発に必要な高性能爆薬を使った起爆実験を続けていると報道。実験の回数は1993年までに70回、94年の枠組み合意以降も、70回以上実施しているとされる。
12.19 太陽政策の継続を掲げる盧武鉉が韓国大統領に当選.
12.21 北朝鮮,核凍結の解除措置を開始。寧辺の原子炉施設に設置されたIAEAの監視カメラを無力化.使用済み核燃料棒,約8000本の収められた核燃料棒製造工場・再処理施設の封印を取り去る.
12.24 北朝鮮,寧辺の施設に新たな燃料棒を運び込む.使用済み燃料棒の貯蔵庫を開けることは保留.
12.26 IAEA,寧辺の原子炉施設(5000キロワット)に約400本の燃料棒が搬入されたことを確認.エルパラダイ事務局長,「北朝鮮が各施設を再稼動させ,プルトニウムを生産する方向で動き出すのは,核の瀬戸際政策に他ならない」と警告.
12.27 IAEA,寧辺の原子炉施設にさらに1000本の燃料棒が搬入され,合計で約2000本の搬入が完了したことを確認.
12.29 北朝鮮政府,IAEAはワシントンの手先にすぎないと非難し,再び査察官を国外追放.
12.30 ニューヨーク・タイムス、北朝鮮の核開発で米が武力行使の可能性を当面排除しているのは北朝鮮の報復から韓国と日本を防衛する有効な手段がないからと報道。
12.31 ブッシュ米大統領、北朝鮮核問題を外交的方法で平和的に解決すると明言。
2003年
03年1月 NPTからの脱退
1.07 日米韓が政策調整会(局長級)協議.北アメリカが不可侵の確約を文書化する案を拒否したことで暗礁に乗り上げる。朝鮮が核開発を放棄すれば対話に応じる用意があると声明.
1.10 北朝鮮,核拡散防止条約とIAEAの保障措置(査察)協定からの離脱を発表.パウエル国務長官は,北朝鮮の核問題を安保理に提示する意向を表明.
1.11 北京駐在の崔鎮洙北朝鮮大使,NPT離脱に関して記者会見を開催。長距離ミサイル実験の凍結解除と核兵器の開発を示唆する.
1.11 IAEA担当北朝鮮大使、米国が指摘したウラン濃縮開発計画について「そのような計画はない」と述べる。
1.13 ブッシュ政権,核兵器開発計画の解体を前提として,北朝鮮との「話し合い」に応ずる用意があると声明.書簡の形で北朝鮮へ不可侵を確約すると提案。
1.18 崔鎮洙駐北京大使,アメリカが北朝鮮の自決権を認め、不可侵を確約すれば、核問題は対話で解決するだろうと語る。
1.19 アーミーテージ米国務副長官、北朝鮮への包括提案を検討中と話す。プルトニウム、化学兵器などの大量破壊兵器を放棄する見返りに、不可侵を文書化し、経済支援をおこなうというもの。
1.19 アナン国連事務総長の特使として北朝鮮を訪問したストロング特別顧問,「(米朝)双方の意思の疎通がない.現在の認識がエスカレートすると深刻な状況になる」と懸念を示す.また「北朝鮮は,国の安全のためなら戦争に突入する決意をしている」と強調.
1.20 パウエル国務長官,北朝鮮危機を国際的協力の下で解決する用意があると発言.
1.21 第9回南北閣僚級会談が開催される。北朝鮮代表は「核兵器製造の意思はない」と表明。
1.25 北朝鮮政府,「核問題は朝米の2国間問題であり,いかなる形態の多国間協議にも参加しない」と表明.
1.27 韓国政府の林東源特別補佐官が核問題解決で訪朝、朝鮮最高人民会議の金朴南常任委員長と会談。
1.28 ブッシュ,一般教書演説.北朝鮮問題の「平和的解決を図る」ことを明らかにする.同時に「北朝鮮は核計画によって人々をおののかせ,譲歩を勝ち得ようとしている.しかしアメリカと世界は恐喝には屈しない」と述べる.
1.31 ニューヨーク・タイムズ紙,貯蔵庫からの燃料棒の搬出と見られる動きをアメリカ政府がつかんだと報道.
03年2月 米国、核施設先制攻撃を示唆
2.03 盧武鉉の顧問団が訪米.米政府関係者は,「アメリカが北朝鮮の核施設爆撃を行った時はどうするか?」と質問.顧問団は「両国同盟の終わりを意味する行為だ」と強く反発したという.
2.05 平壤放送、「電力生産のため核施設の稼働を再開した」と報じる。
2.07 ブッシュ米大統領、北朝鮮に対し「あらゆる選択肢がある」と発言。軍事手段もあり得ると警告。
2.07 北朝鮮平和統一委員会「侵略軍隊を増強する米国の動きにストップをかけなければ、朝鮮半島は灰になり、朝鮮人たちは恐ろしい核の災厄をまぬがれないだろう」
2.12 IAEA特別理事会,北朝鮮の核査察拒否問題を国連安保理に付託する決議を採択.中国は決議賛成に回る.ロシアとキューバが棄権.反対はゼロ.
2.13 ラムズフェルド米国防長官、在韓米軍の削減方針を提示する。
2.16 在日米軍にF15戦闘機、U2偵察機などが増派される。北朝鮮有事に備えてのものとされる。
2.18 石破防衛庁長官、北朝鮮が核兵器を保有しても日本は非核三原則を順守し、核兵器を保有しないと言明。
2.19 北朝鮮のジェット戦闘機が、黄海海上で境界線を7マイル越えて侵入。韓国軍は6機の戦闘機を送り、地対空ミサイルを警戒態勢に置く。
2.25 盧武鉉が大統領に就任.「北東アジアの時代が到来している」と強調.「太陽政策」を継承する「平和と繁栄政策」を掲げる.韓国の経済発展は朝鮮半島の「平和定着」にかかっているとし,「四原則」を提示.①対話による解決,②信頼と互恵,③当事者である南北重視の国際協力,④国民の参与と与野党の協力.
2.25 盧武鉉の就任式にあわせ、北朝鮮は短距離対艦ミサイルを海上に向け試射。5年ぶりのミサイル発射となる。
2.26 盧武鉉大統領の就任式に出席したパウエル国務長官は,「全てのシナリオは検討に値する」との立場を表明.
2.27 寧辺の実験用5メガワット原子炉が再稼働を開始.計算上は1年で、核爆弾のための十分な材料を生産することが可能となる。しかしプルトニウムを生産するための再処理施設は稼動せず。
03年3月 イラク戦争開始
3.01 アメリカと韓国,合同で対北軍事演習チームスピリットを実施.
3.02 北朝鮮のジェット戦闘機4機が日本海海上で米偵察機の飛行を妨害。
3.07 朝鮮中央放送,核施設再稼働を認める報道.「切迫した電力の問題を解決するため」とする。
3.10 韓国で「スパイ団事件」が発生。386世代の元学生運動家チャン・ミンホ容疑者(44)は、17年間にわたりスパイ活動を続けたことを明らかにする。
3.12 ケリー米国務次官補,米上院外交委員会の公聴会で証言.「北朝鮮が化学兵器を保有していることを確信する.また濃縮ウラン問題は数年後ではなく,多分数ヶ月後の問題」と言明.具体的な根拠には触れず.
3.20 米・英連合軍のイラク侵攻が始まる.盧大統領は,「大量破壊兵器を速やかに除去するための処置」であると,アメリカへの支持を表明.
3.21 「枠組み合意」の米側首席代表ロバート・ガルーチが東京で講演. 「双方の首都に連絡事務所を開設する約束は実現せず,軽水炉建設も遅れた.北朝鮮側は枠組み合意によって外交的・政治的な利益を得ることができなかった.濃縮ウランによる核開発計画は,米国が北朝鮮の生存を保証しないという事態に備えて,北朝鮮が掛けた保険」であると示唆.
3.29 「週刊ハンギョレ21」が「アメリカの北朝鮮核施設に対する先制攻撃」の是非を問う世論調査.「反対する」が77%に達する.さらに,「もし対北先制攻撃が決定され場合,それを阻止するために‘人間の盾’として参加する意志があるか」との質問に,40%が肯定的な反応を示す.
03年4月 We have nukes!
4.02 韓国議会,イラク派兵決議案可決.盧大統領は,「韓米関係を強固にすることが,北朝鮮の核問題を平和裏に解決する道である。…国民の安全を守り戦争を防止する責任者として,派兵を決心した」と演説.
4.09 朝鮮中央通信,日本の閣僚や政治家の「北朝鮮脅威論」が相次ぐことを批判.「日本はわれわれの攻撃圏内にあることを認知すべきだ」と”警告”
4.11 「USAツデー」とCNNが朝鮮問題について米国民世論調査.「アメリカは北朝鮮との戦争に突入すべきか」との質問に,反対67%,賛成28%.
4.12 北朝鮮外務省,「アメリカ政府が核問題解決において対朝鮮政策を大胆に転換する用意があるのなら,対話の形式にはこだわらない」と見解を表明.米朝直接協議以外の選択肢も提示.
4.13 ブッシュ大統領,記者会見で「北朝鮮問題に進展が見られる」との肯定的な評価を与える.
4.17 ラムズフェルド国防長官,「北朝鮮に核放棄の代償を提供すべきではない」と三ヵ国協議を批判.「アメリカよりも,北朝鮮と経済的な関係の深い韓国・日本・中国などが交渉のカギを握っている。日韓両国が今後の協議に参加することは,北朝鮮を動かすためにも肝要である」と述べる.
4.18 北朝鮮外務省,ラムズフェルド発言に不快感を表明.「使用済み燃料棒の再処理」を示唆する発言.
4.23 北京で,中国を仲介役とする米朝中の3カ国協議が開催される.冒頭,北朝鮮は「We have nukes」と発言.核兵器保有を認める.使用済み核燃料棒の再処理に入ったことも明らかに.さらに米側の対応次第では核実験に踏み切る可能性を示唆.
4.24 北朝鮮発言を受けた米政府内の強硬派は,国際的な制裁措置の必要性や北朝鮮の武器輸出阻止を提案.
4.25 北朝鮮外務省,米朝中協議後に談話を発表.「朝米双方の憂慮を同時に解消できる新しい寛大な解決方途を打ち出した」と表明.弾道ミサイル発射実験の凍結とミサイル輸出の中止にも応じる方針を示す.
提案の骨子
米政府筋によれば,北朝鮮側は以下の三点を条件提示. ①米国が敵視政策をやめる,米朝と日朝の国交正常化の即時実現,②核開発計画は放棄・廃棄するが,製造済みの核爆弾は引き続き保有.③核関連施設がある寧辺に限定して核査察官を受け入れる.4.29 バウチャー国務省報道官,北朝鮮が核兵器保有と核再処理開始の事実を認めたうえで,「条件が満たされれば核計画放棄とミサイル輸出の中止に応じる」と表明したことを明らかにする.条件としては,食糧・エネルギー分野における本格的な経済支援.米国だけでなく,日本からの大規模な資金と援助物資の提供を想定.
4.30 韓国と北朝鮮の第10回南北閣僚級会談が平壌で開催される.北朝鮮の核問題を「対話を通じて平和的に解決するために引き続き協力していく」などとした6項目の合意.
03年5月
5.23 日米首脳会談.日米韓の三国が多国間協議を継続し,連携を強めることで合意.
5.31 日中首脳会談.核問題の平和的解決を目指し,米中朝協議を継続させることで合意.
6.07 盧大統領と小泉首相が共同声明.「北朝鮮の核問題は北東アジアの深刻な脅威であり,平和的・外交的に解決されなければならない」とし,日韓両国が参加する多国間対話への期待を表明する.
6.17 川口外相,ASEAN地域フォーラム(ARF)閣僚会議の非公式夕食会で北朝鮮の許鍾大使と接触.
7.31 北朝鮮政府,6ヶ国協議受け入れを韓国政府に通知.対北朝鮮敵視政策の撤回の公約と,核凍結に伴う米国自身の保障措置を求める.
03年8月 第1回6カ国協議
8.01 韓国、核開発計画をめぐる6か国協議の開催に北朝鮮が合意したと発表。
8.27 北京の釣魚台迎賓館で第一回6カ国協議が開催される.米国は「完全かつ検証可能で不可逆的な廃棄」(CVID:Complete, Verifiable, and Irreversible Dismantlement)を主張.「核放棄まで北朝鮮と取引しない」立場をつらぬく.北朝鮮外務省報道官は「このような百害あって一利なしの会談にこれ以上いかなる興味や期待も持てなくなった」とし,核抑止力を引き続き強化すると威嚇.
8.29 3日間に及ぶ第一回協議は米朝の見解の相違を浮き彫りにしただけで終わる。協議の有用性は確認された。
9月 金正日、国防委員長に再選。
10.02 北朝鮮、約8000本の使用済み核燃料棒の「再処理を終了した」と発表。
11.21 KEDO、対北朝鮮軽水炉事業を12月1日から1年間中断すると決定。
12.09 北朝鮮、米国が敵視政策を放棄すれば核開発計画を「凍結する」と発言。核廃棄の第一段階について同時一括妥結案を提起。同時に、米国がこれに合意しない場合は次回の6か国協議をボイコットすると表明。
2004年
04年1月
1.06 米国の核問題専門家5人が訪朝。北朝鮮は寧辺で「プルトニウム」を提示する。
04年2月
2.25 北京で第2回6ヶ国協議.北朝鮮は「会談が続けられても,問題が解決されるという期待を持つのは難しい.我々は必要な措置(核開発)を引き続きいっそう速やかに講じていく」と声明.
4.07 韓米日3カ国協議、北朝鮮における「完全かつ検証可能で、不可逆的な核の廃絶(CVID)」をもとめることを再確認する。
4.19 金正日が中国を三日間にわたり訪問.温家宝との会談で、「中国企業は北朝鮮と多様な形式で協力し、中国政府はそうした企業投資を積極奨励する」ことで合意。
5.12 6カ国協議の作業部会.北朝鮮はカーン告白を引き合いとする米国の核兵器情報に対し,虚偽の情報と断定.
5.22 小泉首相が平壤訪問.金正日と二度目の首脳会談.日朝平壌宣言を再確認する。拉致被害者の家族5人が帰国。
04年6月 第三回6ヶ国協議
6.09 中国の周外務次官,「米国は北朝鮮のウラン濃縮計画について納得いく証拠を提示していない.確たる証拠がないのなら,米国は主張を取り下げるべきだ」と語る.
6.14 バウチャー報道官,「カーン博士の告白などからも,北朝鮮がウラン高濃縮計画を進めているのは明らか」と述べる.しかし北朝鮮に,核兵器を製造できるだけの大量の遠心分離機が存在する証拠を提示できず.
6.23 北京で第三回6ヶ国協議が開かれる.米国は「核放棄まで北朝鮮と取引しない」立場を変え,CVID原則を持ち出さず,初めて北朝鮮核問題の解決に向けた提案.「北朝鮮が非核化措置を取れば、米国をはじめ6カ国協議当事国らが見返り措置を提供する」という「一括妥結」案をめぐり、駆け引き。
6.28 北朝鮮,第三回6ヶ国協議に関する外務省報道官の談話を発表.「米提案は我々を武装解除するための要求事項を段階的に列挙したもの」でしかないとしつつ,「このような提案を示したこと自体は留意すべきことである」と評価.会談が「さまざまな提案と方途を示し…,進展をもたらすことができる一部の共通した要素も見出すことができた」と評価.
6月 ソウルで安全保障フォーラム開催.中国国際問題研究所の郭震遠は,「北朝鮮の核問題は東北アジアの安保問題の核心となっている.この問題が平和的に解決されるなら,北東アジアの安保情勢を根本的に変えることができる」と発言.
04年7月
7.15 ケリー東アジア・太平洋担当国務次官補,上院外交委員会で証言.北朝鮮は寧辺の原子炉を含む国内の施設のほとんどが軍事目的であることを認め,平和利用の核計画の維持を希望したと述べる.また,各国とも6カ国協議の結末には重大な関心を抱いている.現在は核問題に焦点をあてているが,将来はそれが拡大される可能性があると発言.
7.24 北朝鮮、米国が提案したリビア方式の「先核放棄」案は「論議の価値なし」と拒否。
7月 ジャカルタのARF総会会場で,米国と北朝鮮が二年ぶりの外相会談.パウエル国務長官は北朝鮮の「同時行動原則」に理解を示し,「核放棄先決」論を変えたことを確認する.白南淳外相は「対話による平和解決を目指す立場を,米国と共有した」と述べる.
8.18 ブッシュ、金正日を「暴君」と呼ぶ。北朝鮮はブッシュを「ヒトラーをしのぐ暴君で政治的未熟児」と反撃。
9.28 北朝鮮、使用済み核燃料棒8000本の再処理を完了したと発表。
10.04 米上下両院、北朝鮮人権法案を可決する。
12月 北朝鮮貿易に占める中国シェアは44%を越える。
2005年
05年1月
1.01 北朝鮮3紙が共同社説、「主攻戦線は農業戦線である」とし、「すべてのことを農業に服従させ、農業部門に必要な労働力と設備、物資を最優先的かつ無条件で供給すべきだ」と訴える。同時に、「国防工業に必要なすべてのものを優先的に供給すべきである」と強調する。
1.18 ライス次期国務長官、北朝鮮はイランやキューバと並ぶ「圧制国家」だと批判。
1.20 ブッシュ、二期目の大統領就任演説。北朝鮮における圧制に終止符を打つのが最終目標と発言。
1月 公共配給所での穀物供給量が1日300グラムから250グラムに減少。
05年2月
2.10 北朝鮮外務省、すでに「自衛のための核兵器」を保有していると公式に宣言。米国が敵視政策を放棄しない場合は6ヶ国協議を無期限にボイコットすると声明。
2.19 中国共産党対外連絡部の王家瑞部長が平壤訪問。金正日は「条件が整えば、6カ国協議に出席の用意がある」と発言。
3.02 北朝鮮外務省、アメリカに対し、敵対政策を平和共存政策に転換するよう要求。
3月 中朝政府が「中朝投資保証協定」を締結した。中国企業の投資環境が強化される。
5.11 北朝鮮、核兵器開発計画の一環として、寧辺の5千キロ原子炉から使用済み燃料棒8000本を抜き取る作業を完了したと発表。
5.31 ブッシュ大統領、演説の中で金正日に「ミスター」の敬称をつける。
05年6月
6.06 ニューヨークで米朝高官の実務接触が行われる。
6.17 金正日、韓国の統一相と会談。米国が北朝鮮を尊重すれば、7月中にも協議の再開に応じることができると述べる。
6.22 米国、北朝鮮向け食糧支援を再開。
6.23 南北閣僚級会談。北朝鮮側は、雰囲気が整えば、6カ国協議に向けた実質的の措置をとると述べる。
05年7月
7.01 ニューヨークで6カ国の非公式会合。
7.09 米朝が、6カ国協議を再開することで合意。
7.12 韓国、核を完全放棄すれば北朝鮮に直接電力を提供すると発表。
7.26 6カ国協議が13ヶ月ぶりに再開。第4回協議が北京で始まる。
8.07 6カ国協議が無期限休会。協議の枠組みそのものが崩壊の危機に陥る。
9.13 第4回6カ国協議の第二次会合が続開される。ロードマップの細部の詰めが行われる。
9.15 米国財務省、マカオの「バンコ・デルタ・アジア」(BDA)を北朝鮮の資金洗浄金融機関に指定。処分の動きを示す。
9.19 6カ国協議、「北朝鮮のすべての核兵器と現存する核開発計画の放棄」など、今後の非核化へ向かう旅程を盛り込んだ6項目の共同声明を採択。北朝鮮は「軽水炉提供」後に核計画を放棄すると言明する。
共同声明: 朝鮮半島の検証可能な非核化を平和的な方法で達成することで合意。これに向け、北朝鮮はすべての核兵器と現存する核開発計画を放棄し、早期に核拡散防止条約(NPT)と国際原子力機関(IAEA)の安全措置に復帰することを公約。米国は核兵器または在来兵器で北朝鮮を攻撃・侵攻する意思がないことを確認。対北朝鮮エネルギー支援の用意を表明する。
これは「行動対行動」原則と呼ばれ、北朝鮮の進める非核化の水準に合わせ、その見返りを提供するという基本概念が確立された。9.28 マカオ当局、バンコ・デルタ・アジアに北朝鮮が保有する資金を凍結。6カ国協議は凍結される。
9月 北朝鮮、国連人道支援の年内打ち切りをもとめる。背景に国連・NGO職員の「情報収集活動」への警戒。
10.21 国連世界食糧計画(WFP)が北朝鮮の食糧事情に関して報告。配給されている1人1日穀物量は、250グラムから倍増され最大500グラムに達したとする。
10月 胡錦涛主席が平壤を訪問。20億ドルの長期投資プランを発表する。9億ドルの茂山鉄鉱投資が中心となる。
11.09 第5回6カ国協議、「公約対公約」と「行動対行動」の原則にもとづいて共同声明を履行するようもとめる議長声明を採択。
11.09 米国際開発庁(USAID)、北朝鮮に対する食糧支援を停止すると発表。
11.22 ニューヨークでKEDO理事会。軽水炉建設事業を廃止することで合意する。北朝鮮、「ブッシュ政権はわが国に対する軽水炉提供を放棄した」と米国を非難。
12.09 バーシバウ駐韓米国大使、北朝鮮の偽ドル札の製造、資金洗浄問題をとりあげ、北朝鮮を「犯罪政権」と批判する。
12.17 米国務省、北朝鮮のドル洗浄の窓口であるバンコ・デルタ・アジア(マカオ)の対北朝鮮口座を凍結させる。バンコ・デルタ・アジアは取り付け騒ぎを起こし、倒産に至る。
12.20 北朝鮮、「わが国は5万キロワットと20万キロワットの黒鉛減速炉と関連施設により、独自の原子力工業を積極的に発展させる」とし、年間に核兵器50発分のPuを生産できる大型黒鉛炉の建設再開によって、自衛力強化を図る意向を表明。
12.23 米国、世界の金融機関に北朝鮮と取引をしないよう呼びかける。
12月 中朝貿易総額は15億8123万ドルを記録し、前年比14.2%の伸び。北朝鮮の対中依存度がさらに増大。北朝鮮の対世界貿易の63%は中韓両国との貿易が占める。
12月 北朝鮮の穀物生産量が454万トンに達し、89年以来の豊作となる。
2006年
06年1月
1.18 米・中・北朝鮮の核問題担当者が北京で会談。6か国協議の再開について一致するが、日程については合意に至らず。
2月5日 北京で日朝協議。拉致問題など懸案事項に関する協議、国交正常化交渉、核問題・ミサイル問題等の安全保障に関する協議の3協議が並行して行われた。
6.01 北朝鮮外務省が米国首席代表の訪朝を招請、米国はこの提案を拒否。
7.05 北朝鮮、長距離ミサイル「テポドン2号」など7発のミサイルを発射。
7.16 国連安保理、北朝鮮を非難する決議1695号を満場一致で採択。北朝鮮側は決議の受け入れを拒否。
9.09 中国をふくむ24カ国の金融機関が北朝鮮との取引を中断する。
06年10月
10.03 北朝鮮、米国が「国家転覆を図っている」と非難。米国が制裁に踏み切れば「核実験を行うことになる」と声明。
10.06 安保理、北朝鮮の核実験声明を非難する議長声明を全会一致で採択する。中・韓は北朝鮮に対し6か国協議への復帰を要請。
10.07 北朝鮮軍兵士5人が軍事境界線を越えて約30メートル南側に侵入。韓国軍は60発の警告射撃を実施する。
10.09 北朝鮮、「4キロトンの放射能漏洩のない核実験」を強行する。各国の計測によれば核爆発の規模は0.8キロトンだった。
10.15 国連安全保障理事会は、国連安保理憲章第7条に基き北朝鮮を制裁する決議第1718号を採択。
10.19 唐家セン中国特使が平壤を訪問。金正日総書記と会談し、胡錦濤国家主席のメッセージを伝達する。
10月 米国は北朝鮮武力制裁決議を安保理に提出。中国・ロシアの反対で可決されず。国防総省は巡航ミサイルで寧辺の再処理施設を破壊する案をブッシュに提出。
12.18 中断されていた第5回6カ国協議の第二次会合が、北京で再開される。
12.20 米国が北朝鮮に核廃棄と相応措置の修正案を提示、北朝鮮はBDA先決原則を固守。
12.22 第5回6カ国協議第2次会合、次回日程未定のまま終了。
2007年
07年1月
1.16 金桂寛外務次官とヒル次官補、ベルリンで米朝首席代表会談。米朝は6カ国協議発足後初めて事実上の2者会談を行う。BDA解決策と第1次非核化措置の輪郭が形作られた。
1月 ペリー元国防長官が下院外交委員会で証言。「不測の事態も覚悟したうえで、大型原子炉を空爆破壊することも検討すべき」と述べる。国防総省は在韓米空軍基地と嘉手納にステルス爆撃機を配備する。
2.08 第5回6カ国協議の第3次会合が北京で開催される。2者会談での合意を受け、ロードマップの調整。
2.13 第5回6カ国協議、「共同声明の実施のための初期段階の措置」について合意。北朝鮮は非核化第2段階に該当する寧辺核施設の無能力化を実施する。これに対しアメリカ側は、エネルギー支援(重油に換算し100万トン)と、テロ支援国指定の解除など安保措置を提供する。
2月 北朝鮮、第6回6カ国協議の首席代表会議に不参加の意向を表明。BDA資金凍結を問題視したもの。
3.13 IAEAのエルバラダイ事務総長が平壤を訪問。
3.19 第6回6カ国協議第一次会合が開かれる。ヒル国務次官補と金桂冠外務次官、黒鉛炉の段階的無力化と95万トンの重油供与の交換で合意。金融制裁を解除の方向に向ける。
6.21 アメリカ、BDA資金2500万ドル全額の凍結解除を決断。BDA問題は解決。ヒル次官補が訪朝し説明。(一説では3月19日の会談ですでに合意していたとされる)
6.25 北朝鮮外務省、BDA凍結資金の北朝鮮口座送金を確認。
6.26 IAEA実務団が訪朝、2月の合意に基づく北朝鮮核施設の閉鎖と検証問題など協議。これを受け、北朝鮮は核施設閉鎖に着手する。
7.15 北朝鮮外務省、重油5万トンの到着を確認し、寧辺核施設稼動中断を発表する。
9.01 米朝関係正常化に向けた作業部会の第2回会議がジュネーブで開催。ヒル次官補と金外務次官が会談し、核施設の年内無能力化と核計画全面申告に合意。
9.11 米中ロの北朝鮮核無能力化技術チームが訪朝。
9.18 北朝鮮外務省、シリアとの核協力疑惑を否定。
9.27 第6回6カ国協議第二次会合が開かれる。「共同声明の実施のための第二段階の措置」について合意。
10月 平壌で韓国の盧i武鉱(ノ・ムヒョン)大統領と第2回南北首脳会談。南北平和繁栄宣言を発表。
11.05 寧辺で「無能力化」作業が開始される。
12月 年内に核の無能力化と核計画の申告を行うとした北朝鮮の約束は果たされず。
10.03 第6回6カ国協議の第2次会合。非核化第2段階の施工図面の履行措置に合意。共同声明を発表する。
11.01 米国の北朝鮮核無能力化チームが訪朝、無能力化措置に着手。
11.19 米朝金融実務者会議をニューヨークで開催。
11.27 6カ国協議当局者らの北朝鮮核無能力化実査団が寧辺を訪問。
12.03 ヒル次官補が訪朝。
12.13 電気出力5000キロワットの実験炉で、燃料棒の抜き取りが開始される。
2008年
08年1月
1.04 北朝鮮外務省、米国の輸入アルミニウム管利用した軍事施設の視察を認め、核開発計画の申告書を昨年11月に提供したと発表。
2.19 ヒル次官補と金桂寛外務次官が北京で会談、核開発計画の申告を論議。
3.13 ヒル次官補と金桂寛外務次官がジュネーブで会談。ヒル次官補は「同時全面申告」を要求する。同時に、申告形式には柔軟対処の方針を示す。
4.08 ヒル次官補と金桂寛外務次官がシンガポールで会談。米国は第二段階履行に関する技術的困難を認め、ウラン濃縮および核開発とプルトニウム問題を分離することで妥協。
5.08 北朝鮮、訪朝した米国務省のソン・キム朝鮮部長に寧辺原子炉の1万8000ページにおよぶ稼動日誌を伝達。
6.26 北朝鮮は、過去のプルトニウム生産量など記した核開発計画申告書を中国に提出。これまで延べ38.5キロのプルトニウムを生産し、31キロを抽出。このうち2キロを核実験に、26キロを核兵器に使用と説明する。申告書の内容を確認する検証問題が今後の課題となる。
6.27 北朝鮮、寧辺原子炉冷却塔を爆破。米国は対北朝鮮テロ支援国指定解除の手順に着手。
7.10 北京で第6回6カ国首席代表会談。核の無能力化とエネルギー支援を10月末までに完了することで合意。北朝鮮が約束した無能力化措置は全11項目のうち8項目が完了し、廃燃料棒の抜き取り、未使用燃料棒の処理、原子炉制御棒駆動装置の除去の3項目が残るのみとなる。
7.23 6カ国外相の非公式会談がシンガポールで開催される。
9月 金正日、建国60周年記念の労農赤衛隊閲兵式を欠席、重病説広がる
10.11 米国、非核化の検証措置について北朝鮮と合意に達したと発表。北朝鮮に対するテロ支援国家の指定を解除する。
12.08 第6回六ヶ国協議首席代表者会談、非核化の検証方法について合意できず、次回会合日程未定のまま閉会。
2009年
4月 北朝鮮が弾道ミサイル発射
5月 北朝鮮が2度目の核実験
8月 訪朝したクリントン元米大統領と会談
11月 北朝鮮、デノミを実施するも失敗
2010年
3月 黄海で韓国哨戒艦沈没事件
5月 金正日が訪中し、胡錦清国家主席、温蒙宝首相と会談
8月 金正日、再び訪中し、胡主席と会談
9月 労働党代表者会。三男正恩氏が後継者に決定
11月 米専門家にウラン濃縮施設を公開。
11月 北朝鮮、韓国の延坪島を砲撃
2011年
5月 金正日が訪中。湖錦湯主席、温家宝首相と会談
11月 金正日が訪ロ。イルクーツクでメドページェフ大統領と会談。
2012年