2010年9月
北九州のいわゆる「爪剥ぎ」事件について
はじめに
いまやっておかないと、資料が消えるのでとりあえず資料を集めてみました。
あえて爪剥ぎ事件としたのは「爪切り」ではどう考えても事件にならないし、「爪を剥がす」という言葉に人々が踊らされたという、社会現象がことの本質だからです。
おそらく医学用語で「壊死・剥離組織の切離」というべきところを分かりやすく表現するために「剥がす」という言葉になって、それが拷問の一種である「生爪剥がし」とごっちゃになって、センセーショナルに報道されたのではないでしょうか。
一人のやさしいまじめな看護婦を、取り返しのつかない窮地に追いやったのには、たんなる誤解では片付けられない悪意の積み重ねがあったようです。それとともにいくつか指摘しておかなければならないことがいくつかあります。ひとつはこれがさまざまな意味で日本の医療・福祉の「過渡期」に起きてきた、ある意味では歴史的必然性を持った事件だったということです。20年前までは、医療はあっても介護はありませんでした。少なくとも介護という専門分野はありませんでした。しかし老人人口が増え、家庭の包容力が低下するなかで、介護実践の登場、医療と介護の分離は避けて通れない課題ではありました。
それがとりわけこの10年の間に、介護分野が一挙に広がるという形で進行したのです。まず実態が先行しています。国民の意識は、その急激な変化についていけていないのが実情です。私のように老人保健施設に勤める医師ですら、最近の動向にはつい遅れがちになってしまいます。
もうひとつはそれから派生する問題ですが、医療と介護の境界線が判然としなくなり、これまで医療の分野とされていたものがどんどん介護分野にシフトして行くようになっています。これには医師・看護婦不足問題も絡んでおり、医療費削減を目標とする政府の一貫した抑制策も関係していますが、最大の問題は高齢者人口の急増、要介護高齢者の激増にあると考えられます。にもかかわらず、医師法・医療法の条文は変更されないままに放置されており、現場の仕事のかなりの部分が厳密には違法行為として遂行されているのが実態です。
逆の面からいうと、これまでは家庭での介護の一環として行われてきたおしめの交換や入浴・歩行などの日常動作に対する介助が、介護のプロの手で行われるようになったことから、正確性と安全性を求められるようになったことです。爪切りや耳掃除などもこの範疇に入ってきます。であるからにはケア行為として適切であったかどうかが問われるようになります。「血が出たから不適切」ということにはならないし、逆に血が出なくても不適切な行為はいくらでもあるでしょう。
今回問題になった「爪はがし」もたんなる「爪きり」ではなく「フットケアー」という医療行為として位置づけられ、マニュアル化されているのです。(ただし診療報酬上は医療行為としては認められていません。もしこれが診療行為として評価されていれば、この技術は医療・介護の常識となっていたでしょう。このことも今回の問題のひとつの背景です)
そうだとして、「過渡期だから仕方なかった」で済まされるかどうか、これが第二の問題です。過渡期である今、同様の事件は不可避的に起きる可能性があります。たとえば、経管栄養では、ケアワーカーが経管栄養を実施したとして逮捕される事件が起きています。これは生命に直接かかわる行為だけに影響ははるかに深刻です。老人保健施設では経管栄養の方はお断りすることになっています。ところが、在宅で家族が行うなら経管栄養はおろか人工呼吸器の管理まで合法とされています。
医学的な整合性と法的な整合性はそれぞれの論理が本質的に異なっているだけに、現場の流れを踏まえた摺り合わせが必要になってきています。ある意味で「過渡期」というのはこれまでの常識が通じない世界です。これまでの常識を高飛車に振り回すのはいけません。それぞれが原点に立ち戻る柔軟性を発揮することが求められています。
その上で、一般的な常識ではないが、現場では常識となっていること、医療・介護の側にはこれについての正確な説明がもとめられています。流れは否応なしに「医療・介護の大衆化」の方向に向かっているのですから、この流れについての説明・教育の責任は医療の側にあります。かつての医療は「よらしむべし、知らしむべからず」の風潮がありました。「任せなさい」「お願いします」の世界です。これはもうだめです。もちろん臓器移植とか、再生医療などの高度な分野では今後ともこうした傾向は続かざるを得ないでしょうが、介護の分野では通用しません。
「インフォームド・コンセント」といういやな言葉があります。「あなたには拒否する権利があります。選ぶ権利があります」などといいながら、契約書にサインさせて、後は「契約したんだから」といって責任を患者に押し付ける方式は、問題の解決にはなりません。今回の事件に関して、医療側からの本音で「イヤならやらなきゃぁいいじゃん」というのがありますが、世の中にはそうはいかないこともたくさんあります。ここは患者さんを取り巻く人々をふくめてもう少し集団的に考えていかなければなりません。
というところまでが総論で、以下は事件の経過を時系列で追ったものです。そもそも事件だったのかという点で疑問が残るため、「」をつけました。
(1) 「事件」はいかにして発生したか
A それぞれの立場から見た「事件」の経過
医療という場面は密室性が高いこともあって、「真相は藪の中」みたいなところがあります。それぞれの立場で描かれた経過を一通り紹介しておきます。
①まず、6月末当時の新聞報道で、【太田誠一】名の記事による。病院職員からの聴き取りを柱としているようである。
2007年6月8日、北九州八幡東病院東6階病棟の上田里美看護課長(当時40歳)は認知症の女性患者2人の足の爪を深く切って出血させた。
この日、同僚の看護師が男性の足の爪がはがされているのを見つけた。12日にも再び同じ男性の足の爪がはがされていた。12~15日にも女性3人がそれぞれ2~4枚の足の爪をはがされていた。爪をはがされたのは男性1人、女性3人で70~90代の認知症の人たちだった。逮捕後の報道では、「別の看護婦がこの患者の足を触っている上田容疑者を目撃していた」とされる。
②次いで、第一審への告訴文。
これによれば、「上田被告は高齢女性2人(当時89歳と70歳)の親指の爪を半分以上“剥離”し、約10日間のけがを負わせた」とされます。
③それから、第一審判決。
ここでは手技が克明に説明され、少しニュアンスが異ってくる。しかし「障害を負わせる」という結論部分は変わりない。
1)脳梗塞症等で入院中の患者A(当時89歳)に対し,その右足親指の肥厚した爪を,爪切りニッパーを用いて指先よりも深く爪の4分の3ないし3分の2を除去し,爪床部分の軽度出血を生じさせる傷害を負わせた(2007年6月11日)。
2)クモ膜下出血後遺症で入院中の患者B(当時70歳)に対し,はがれかかり根元部分のみが生着していた右足中指の爪を,同爪を覆うように貼られ ていたばんそうこうごとつまんで取り去り,同指に軽度出血を生じさせるとともに,右足親指の肥厚した爪を,爪切りニッパーを用いて指先よりも深く爪の8割 方を切除し,同指の根元付近に内出血を,爪床部分に軽度出血を生じさせる傷害を負わせた(2007年6月15日)。
当初の報道とは細かい点で相違がある。8日の男性に対する爪はがしは認定されず、12日の爪はがしのみが傷害行為として認定されている。12日以降3日間の爪はがしのうち、一人の患者の二本の指のみが認定されている。しかもそのうち1本については、「はがれかかり根元部分のみが生着していた右足中指の爪を,同爪を覆うように貼られ ていたばんそうこうごとつまんで取り去」ったというもので、どこが傷害罪かをそもそも疑わせる。「取れちゃった」だけなのではないか。
平成19年6月11日午前10時15分、Uさんは患者Aさんの右親指の爪切りをし、わずかに血がにじんだ部分があったため応急処置としてアルコール綿をあてた。同年6月15日午前7時45分、Uさんは患者Bさんの右足中指の絆創膏をとったところ、爪も一緒に取れた。右足親指の爪も伸びていたので、爪切りをした。
東弁護士によれば、上田看護師は看護部長に「危ないので浮いている爪を切った」と説明し、看護部長も患者さんの状態を見て問題がないと確認した。これは上記の報道とはまったく異なる。「浮いている爪を切る」というのは、厳密に言えば「壊死し剥離した爪を切離」することであろう。もしこれが本当なら問題になるようなことは何もない。
B 「事件」の背景
この病院は北九州市地区などで9病院1施設を運営する医療法人「北九州病院」に所属する。木元克治医師が院長を務める長期療養型の医療機関で、介護保険病棟と医療保険病棟を合わせて計480の病床を有する。
上田看護師は1990年4月、同病院に就職した。17年目になるベテラン看護師で、2002年には課長職(昔で言う婦長さんです)に昇進している。病院からはポジティブな評価を受けていたと考えられる。以下看護協会の声明から引用する。
当該看護婦は課長として病棟管理の任にあることに加え、院内の業務委員長や高齢者看護に関する講義を担当するなどの活躍をしていました。また白色ワセリンを用いた効果的なじょく創予防について学会発表をするなどより良い看護を目指して取り組んでいました。
逮捕後わずか10日間に1千余名の嘆願書が弁護士に届けられたことからも分かるように、真摯に看護に取り組み優れた看護実践を行う指導者として評価を得ていました。彼女はそれまでほかの病棟で、爪の状態や清潔の保持を行うフットケアを実践していた。後に彼女が語ったところによれば、高齢患者が多い病棟で働く中で、放置されがちだった患者の足の爪などに目が行くようになったという。
07年6月、東6病棟へ移動となった上田看護師は、早速この病棟でもフットケアを実施しようとした。
C 「事件」の発覚の経過
この経過についても、立場により記述が異なっており、細部の判断は困難である。
逮捕後の一連の報道によれば、おおむね次のとおりである。
爪切り後の状態を見た看護師Aが、看護課長が爪をはいだと同僚看護師、看護部長に報告した。さらにこの看護師Aは患者の家族にも携帯電話で連絡した。
病院の内部調査に対し、複数の同僚看護師が「(女性看護師が)患者のベッドに行き、離れた後に爪がはがされていた」などと証言した。状況から女性看護師がはがした疑いが強まり、看護部長が女性看護師に注意した。しかし上田看護課長は、「自然に取れたもので、水虫の治療をするために爪を柔らかくするつもりだった」と虐待の意図を否定した。
別の報道によれば、上田看護課長は、患者の家族や上司に「なぜ爪が剥がれたかわからない」などと、“うその説明”をした。ただし【岸達也】名のこの報道はソースを明らかにしていないが、供述調書によるもののようである。別の逮捕後の報道(読売新聞)では、病院が上田容疑者に事情を聞いたところ、4人のうち3人については「水虫の処置をしていたら取れてしまった」、残る1人についても「知らない」と虐待を否定した、となっている。
東弁護士によれば、上田看護師は看護部長に「危ないので浮いている爪を切った」と説明し、看護部長も患者さんの状態を見て問題がないと確認した。しかし病棟で騒ぎになっているので看護部長はUさんを自宅謹慎とした。
これは上記の報道とはまったく異なる。「浮いている爪を切る」というのは、厳密に言えば「壊死し剥離した爪を切離」することであろう。もしこれが本当なら問題になるようなことは何もない。
言葉の問題だが、上田看護課長はいわゆる“爪切り”ではなく本格的なフット・ケアを独断で実施したことになる。しかも同僚・患者・家族への説明も不足していたことが分かる。内容はともかく、実施方法としては不適切であり、“病棟婦長”という立場から見れば道義的責任は問われるだろう。
気になる記事がひとつある。毎日新聞によれば「12日、看護部長が女性看護師に注意した。しかし、12~15日にも女性3人がそれぞれ2~4枚の足の爪をはがされていた」となっている。上田看護課長は看護部長の注意を無視して爪切りを続けたことになる。これについてはほかの報道では言及していない。
(2) 病院管理部の判断と対処
しかしそれが「事件」に発展したのは、「複数の看護師」による内部告発である。東弁護士は、病院内の誰かが新聞社に患者さんの足の写真やカルテなどを持ち込んだと述べ、上田看護課長を追い込もうとする同僚の“底意”を示唆している。とにかくカルテまで外部に持ち出しての内部告発というのがきつい。「事件」直後からのマスコミの介入という事情が、初期対応の道筋に否定的な影響を与えたことは間違いないだろう。
しかし、それで誤認逮捕に至る過程が免罪されるわけではない。あくまで基本的責任を負わなければならないのは病院管理部の判断である。
スタッフが新技術を導しようとする際、普通なら「ちょっと待ってくれ、立場もわきまえてよ。始めるんなら、足並みをそろえてやろうや」というところである。そのうえで、みずから研究もし、導入を決断したなら、それなりの手立てを考える、という経過になる。実は医者の世界ではこの手の摩擦は年中行事のようなものである。
私自身も研修帰りの頃は、新技術の導入をめぐって管理部とけんかしたものだ。飛びつきで内科科長だから管理部も相当困ったことだろう。その私も管理部になると、逆の立場で悩まされるようになる。とにかく「患者のため」というセリフだけは持ち出さないようにしようということで合意した思い出がある。
話が脱線したが、告発にいたるまでは、当然ながら種々の事情があるようである。
当時、ほかの医療機関でほんとうに「生剥ぎ」事件があった。04年に京都市内の病院で「看護師がストレスから患者の生爪を剥ぐ」という事件があり、傷害罪による実刑が確定していた。
また、病院が最高決定権を持たず、法人が強く介入すればそれに逆らうことはできないというこの病院の意思決定構造も関連していたようである。
6月25日、内部告発を受けた新聞社が病院へ取材に現れた。病院はこれに応える形で、同日午後7時に記者会見を設定した。病院は患者はいずれも爪をはがす治療をする必要はなく、医師の指示もなかったことなどから虐待の疑いが強いと判断した。いかにも拙速かつ泥縄の感が強い。
記者会見の場では「看護師が患者4人の右足親指などの爪を医療用爪切りではがした」と発表された。これは内部告発者の主張によったものであろう。さらに病院役員は記者の「詰問」に応え、「虐待があったこととして対応する」と発言した。東弁護士によれば、この発言者は病院長ではなく、病院チェーンを経営する医療法人の理事で「非医療者」であった。
この事件で決定的なことは、病院自らが上田看護課長の行為を犯罪と認定したことである。警察や検察が事件を傷害罪と認定するまでに、まず彼女が所属する病院そのものが彼女を犯罪者扱いし(たんに突き放しただけではない)、それが逮捕・長期拘留・被告の座に追い込んだのである。しかもその判断が無知にもとづく誤りであったことが、結果的には医療専門家でもない裁判官によって確認されたのである。
批判し、突き放しただけなら病院に管理責任は残る。しかしそれが犯罪であったのなら、病院もある意味では被害者みたいなもので、責任は免れる。懲戒解雇でチョンである。そこまで病院管理部や理事会が考えていたとは考えたくはないが、守るべき中堅職員を無知と誤解にもとづいて警察に突き出した責任は極めて重いものとなろう。
(3) 逮捕と長期の拘留
翌26日、病院は傷害容疑で女性看護師を福岡県警八幡東署に刑事告発した。
マスコミは「虐待」、「爪はがし」、「ストレス抱えた看護師」などとのセンセーショナルな報道を開始した。6月26日の朝日新聞は、「看護課長、お年寄り3人の足からつめはがす」との見出しで報道している(大要)。
看護課長(40)が、少なくとも3人の入院患者の足のつめをはがしていたことがわかった。病院や関係者によると、6月8日から15日にかけて入院患者4人の足のつめに異常が見つかった。脳梗塞の後遺症、認知症で足が不自由な人も含まれていた。
看護課長は病院の事情聴取に対し、男性患者の左足のつめ2枚、女性患者の両足のつめ4枚、別の女性患者の右足のつめ2枚をはがしたことを認めた。関係者によると、つめをはがされて悲鳴を上げていた患者もいたという。
病院は「看護課長が精神的に混乱」して、動機については、はっきり聞けていないとしている(この表現はあんまりだ!)。これを受けた福岡県警察は、1週間後の平成19年7月2日、上田看護課長を逮捕する。警察としては病院管理部からの告発があり、関係者の証言もあり、後に「尊厳擁護専門委員会」からも“虐待”と認定されていることから、捜査に動くのは当然といえよう。
しかし、その拘留期間は102日間と著しく長期にわたっており、犯したとされる犯罪の凶悪度に比べ不当に厳しい対処である。繰り返す拘置延長の申請を承認した司法の側も、裁量権の範囲を逸脱しており、権力濫用と人権侵害の疑いが強い。
捜査段階の供述調書で、上田看護課長は「爪を切るとき少々の出血をみて もかまわないと思った」、「爪切り自体に“楽しみ”を覚えていた」と述べた。
のちに上田看護課長は、拘留の経緯を説明している。連日長時間の調べが続いた。彼女は最後に、「刑事のいうことを聞いていれば早く出してもらえ、調べから逃げられる。家族にも会える」と思うようになって“自白”した。当時の捜査を批判。このような明らかな心理的圧迫という人権侵害状況の下での供述の信憑性は皆無に等しい。
注目されるのは捜査員が「看護師ではなく、人として話せ」と詰め寄ったという発言である。弁護人を務めてきた東敦子弁護士は「上田さんが何度ケア だと説明しても、写真を見る限り、爪を“はいだ”としか言えないなど、看護師としての発言を封じられた」と述べている。そういう人の「人としての目」で見れば、注射は金属を皮膚に突き刺しているのだし、採血は生き血を抜き取っていることになるだろう。
捜査する側が看護の現場を理解できないまま、世間の常識に強引にあわせようとした心情が見て取れる。事件の発端となったおろかな正義派の「看護婦A」も発想は同じである。反省をこめてつくづく思うが、無知こそは傲慢の母である。
(4) 抗議の世論が登場
A 「虐待」への疑問
この間に事件の周辺でもさまざまな動きが開始された。
7月、北九州市の第三者機関「尊厳擁護専門委員会」は4件の“爪剥ぎ”について調査し、「一部の病院関係者の証言」(爪ケアを考える会の文書)にもとづいて「意思表示も抵抗もできない患者に不必要な措置をした」として“虐待”と認定した。
この決定は、病院の提出した事故調査報告書に基づくものであり、事故調査報告書および委員会の議事録等は公表されていない。いずれにせよ、病院の報告書のみを根拠とした認定はただちに改め、再認定の作業を行うのが筋というものである。
9月1日、朝日新聞などは、当該看護師の行為は虐待ではないとし、「虐待するつもりでも(ストレスの)解消でもなかったという点で、捜査側・弁護側双方の見解は一致している」と報道した(看護協会声明によるが原文は不明)
このあと事件は俄然、全面対決の様相を見せることになる。地元北九州市には日本医労連を中心に「爪ケアを考える北九州の会」という支援組織が結成され、署名活動を開始した。この署名は2万筆を集めたそうである。現場看護師の強い怒りが伝わってくる。
その主張の要点を見れば分かるように、明らかに悪意の有無を争点と考えている。
①上田看護師は「悪意」を持った人物ではない: 彼女は17年間この病院に勤務してきました。ケアの研究成果などを学会報告している熱心な看護師です。爪のケアにも誇りと喜びを持って取り組んでいまし た。
②その行為はケア目的の看護行為以外ではあり得ない: 上田看護師の行為は一部誤解を受けた面がある。しかし決して「個人の楽しみを自己目的化」してはいないし「痛みや出血に配慮を欠いた」こともない。
B 日本看護協会が冤罪を主張し乗り出す
無罪判決に向けての決定的な展開は看護協会によりもたらされた。9月はじめから事件の調査に入った日本看護協会は、10月4日に「事件」に関する声明を発表した。
この声明の中で看護協会は、「療養患者に対する爪切りは、虐待でなく看護ケアである。(上田看護師の行為は)患者によりよいケアを提供したいという専門職としての責任感に基づいた積極的な行為である」と、検察側の主張と真っ向から対立する見解を示した。
この声明の中には面白い記載がある。
…しかし多くの医療施設では爪の手入れにまで十分に手が回らないのが現実です。当該病院においても事件後の本年7月から爪の処置に関する報告書を作成し提出するようにしたところ、1ヶ月間で22件の報告があり、77件が爪の脱落でした。また8月に行った全入院患者を対象とする爪に関する調査では、爪白癬、爪白癬の疑い、巻爪、陥入爪、二枚爪など65以上が何らかの処置を要する爪であることが判明しました。
ここまで実態に真摯に向き合っているのなら、どうして告発を取り下げなかったのだろう、どうして懲戒解雇処分を取り消し、謝罪しなかったのだろうか。この間も上田看護婦は102日間にわたり拘留され、厳しい尋問にさらされ続けていたのである。誤って告発したことよりも、それを正そうとしなかった責任のほうがはるかに重い。それにしても不思議な対応ではある。
(5) 第一審の開始
A 公判開始にあたっての双方の主張
07年9月2日に第一回公判前整理手続きが開かれた。上田看護師はこの時点でも依然として拘留されたままであった。
1年以上の公判前整理手続きで、争点は傷害の故意があったか、正当な看護行為だったかなどに絞られた。また尊厳擁護専門委員会の認定から、処置の必要性の有無も問われることとなった。また説明の有無、合意の有無が問われ、さらに「合意なければ医療行為ではない」とすれば、それはなんだったのか、不法行為だったのか、犯罪行為だったのかという問題も問われることになる。
福岡地裁小倉支部での裁判が開始された。検察側は「楽しみのため爪を切り詰め出血させた傷害事件」として起訴した。すでにこの時点で、公式には「爪剥ぎ」の表現はなくなっている。
上田看護課長は供述とは一転して、「適正なケアだった」として無罪を主張した。看護協会の送り込んだ被告側証人の川嶋みどり日赤看護大教授、皮膚科の大御所である西岡清氏(横浜市立みなと赤十字病院院長、東京医科歯科大学名誉教授)が処置の適切性について証言した。直属の元上司(看護部長)は、検察側証人であるにも関わらず、「爪のケアであったと思う」と証言した。
B 実刑を科した第一審判決
09年3月30日に一審の判決が出された。判決は傷害罪について有罪。懲役6月、執行猶予3年(求刑・懲役10月)というものであった。
傷害とは,「他人の身体に対する暴行により,その生活機能に傷害を与えることをいう(最決1957年4月23日)」と規定されている。傷害罪は刑法204条にもとづき、15年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処せられることとなっている。
田口直樹裁判長は、意思表示が困難な認知症の女性患者2人(当時70歳と89歳)の爪を深く切り、軽度の出血を生じさせたと事実認定した。また被告の行為を「爪はがし」ではなく、専用のニッパーを用いた「爪切り」と認定した。
傷害罪の成立要件に関しては「看護行為の一環で患者の爪のケアをする際、指先より深い個所まで切っても直ちに傷害罪の構成要件に該当しない」と判示。別報では「出血などを生じても、看護行為ならば傷害罪は成立しない」と記されている。
それを前提にしたうえで、「患者家族、上司に虚偽の説明をし た。看護行為ではない」と断じた。そして上田被告の爪切り行為について「患者の苦痛や出血を避けるなど配慮して切った看護行為ではない。多少の痛みや出血は構わないと考え、ケアであることを忘れて爪切りに熱中 した」と述べ、「故意」を認めた。さらに動機については「痛みや出血に配慮せず、楽しみとして切った」と認定した。
C 「悪意」の有無を傷害罪の根拠とする判決
判決には矛盾がある。というより論理の筋立てと結論がひっくり返っている。勘ぐると、とりあえず一審では検察の顔を立てておいて、二審でひっくり返してもらおうという魂胆も感じられる。
田口裁判長はまず保健師助産師看護師法第5条によって、看護師の正当業務を判示した。そして「看護師が行う療養上の世話の具体的な内容・方法は、看護の現場において個々の看護師が看護師としての専門的な知識・経験などに基づき、個々の事情に応じて適切なものを選択して患者に施すもの」であり、「個々の看護師の裁量にゆだねられている」と述べている。
その上で、田口裁判長は被告の行為を専用のニッパーを用いた「爪切り」と認定した。それならそれで終わりの筈である。少なくとも刑法上の犯罪としての成立基盤は、その瞬間に消失する。しかし判決は供述調書を受け入れ、「動機に問題があり看護行為とは言えない」ので有罪と判断した。
判決は言う。「自由に体を動かすことも話すこともできない患者であるのを良いことに、自らが楽しみとする爪切り行為を行い、爪床が露出するほど爪を深く切り取った」
判事は「楽しみ」を看護行為にともなう充実感の表現としてではなく、「嗜虐性」の証明と捉えたことになる。
これは自白調書の信用性を重視したものであるが、裁判長は実際に爪の処置がいかなるものかを把握していたのか、この点が大いに疑問である。白癬菌により変形・肥厚したした爪は、常人が見るなら相当におぞましい風景であり、触れるのにも躊躇するようなものである。その処置はいかなる意味においても「快楽」をともなうような行為ではない。
もうひとつ疑問があるのだが、「悪意」の有無を判断の唯一の根拠として懲役刑を科すのは、内心への介入であり、近代法の原理とは背馳しないか? しかも本人はその後の裁判では、一貫して「悪意」を否認している。
ついでに言っておきたいことがある。判決はこのような爪切り行為を「職場内では患者のためのケアとは理解されていない行為である」と述べている。まさにそれが問題であり、内部告発者の技術的無知と、病院管理部・人権擁護委員会・警察・検察・判事の串刺し的無見識を白日の下にさらしたという点で、語るに落ちた表現といえよう。
(6) 控訴審の開始と情勢の変化
A 控訴審の争点
上田看護師側はこれを不服として控訴。21年8月31日から福岡高裁で控訴審が始まった。
弁護側は上田看護課長が実際に高齢者の爪を切っている映像などを法廷で流し、痛みや出血に配慮しながら、高い技術で爪のケアができることを立証した。最終弁論では「当時の標準的手法に照らしても優れた爪ケアで、正当な業務行為だった」と主張した。控訴審で検察側証人として出廷した医師の「処置後の状態は適切なケア」などとする証言も引用し、検察側の立証を批判した。
上田看護師は、「一審で有罪になったことで、爪切りをしない病院が増えたと聞いた。患者のケアが後退していくのではないかと思い、申し訳無い気持ちだ。高裁ではきちんとした判断をし てほしい」と訴えた。これに対し検察側は、「看護行為を装い、(職場の人間関係などによる)欲求不満を解消するために、判断能力の衰えた高齢患者の爪を切り詰めるなどして出血させた」として、改めて傷害罪にあたると主張した。
当初の「爪はがし」から「爪を切り詰める」に後退し、しかも爪切りの手技そのものの不当性もすでに一審で否定されている。残る論理は「悪意」のみとなった。裁判は「悪意」の有無を問う裁判となった。しかも「悪意」の根拠は本人を100日も拘留して引き出した「自白」のみである。これでは「魔女裁判」と言われても仕方ない。
B 同意がなければ医療行為ではないという論理
東弁護士によれば、検察側は、”血が一滴でも出れば傷害罪”と、「ベニスの商人」のせりふみたいな主張をおこない、産業医科大学の医師を証人に立てた。
毎日新聞の岸達也記者の署名入り記事(下記)からは、「うその説明」という言葉が平文に二度も使われるなど、ある種の危ういニュアンスが感じられる。
…一方、検察側は他の病院医師を証人として法廷に呼んだ。医師は「行為自体は問題ない」と証言する一方、「患者の家族の同意などがなければケアとはいえない」と述べ、家族などにうその説明をした上田看護師の対応を批判。控訴棄却を求めていた…
医師が控訴棄却をもとめたような書き方だが、実際はどうなのだろうか。上田看護課長の患者・家族への対応を批判したとしても、この医師は彼女が懲役6ヶ月の実刑に相当すると考えたのだろうか。
事実、岸記者は別の記事ではこう書いている。
…公判では検察側証人の医師も、切り方に問題ないことは認め「患者の家族や病院のスタッフに説明した方がよかった」などと述べた…
もうひとつ、この医師の証言は、事件の見方にもうひとつの切り口を与えている。「家族の同意」がなければ医療行為ではない、したがって不法行為である、という論理である。これは基本的には“はぐらかしの論理”である。問われているのはそれが懲役刑に値する犯罪であったか否かであり、そこに悪意があったか否かである。
弁護側は、同意の問題については、包括的なケアの承諾を前提として入院していることから、必要 な行為を適切に行なった場合は推定的な承諾があると主張した。一般的には妥当な見解であろう。
とすれば論点をはぐらかしているのは医師ではなく、岸達也記者自身なのかもしれない。事実彼は判決後の記事で「控訴審は、上田被告の行為が看護師のケアとして標準的な爪切りで法律上も看護師の正当な業務行為として認められるか、が争点となった」と書いているから、相当のおおぼけというか変わり身の早さである。
C 看護協会が全面対決の姿勢
2010年1月、看護協会の傘下組織、日本看護管理学会は看護協会の声明を裏打ちする立場から意見書を発表した。個々では患者の爪床が露出するほど深く切り取られたことについて、デブリードマン(創傷治癒を促進するために壊死組織を除去する外科処置)の観点から、「創傷治療の原則にのっとったものと考えることができる」と指摘した。
なかなか勇ましい意見書であるが、デブリードマンという表現は、ひいきの引き倒しになりかねない危うい論理を内包している。もし外科的措置であるなら、患者・家族の同意は絶対に必要だからである。さらにフット・ケアーがケアーの枠を超えて手術手技の一環ということになれば、それを看護婦が施行することの妥当性は、医師の最終責任もふくめてもう少し慎重に検討しなければならない問題をふくんでいる。
一方で意見書は、元看護課長が働いていた職場環境に関しては、「創傷治癒に関する理解が遅れている」、「ケアーに対する方針が理解されない人間関係など職場環境の問題が容易に推測される」など、論争の性格上やむをえないにせよ、やや居丈高な表現が目立つ。
問題となった「楽しみ」表現については、「看護師が患者さんの爪をケアーするのは当然の行為であり、看護師として当然の行為をすることに喜びややりがいを感じ、それを“楽しい”と感じるのは当然だろう」と主張している。
D テレビ報道など全国に広がる反響
審理が進行中の5月18日、テレビ番組「ザ・スクープ」がこの事件を取り上げた。キャッチコピーはやや長めだがそのまま引用する。
患者や同僚からの評判も非常に良かったという被告の看護師が涙ながらに訴えた言葉…「私は患者さんが好きだったから、ずっと看護師をしてこられた。その患者さんを虐待するはずがない。絶対に虐待などしていない」
担当の弁護士は「被告は爪の専門知識があり、一生懸命、患者のためにケアーしていたため、かえって“爪はがし”として、虐待の疑いをかけられてしまった」と主張。日本看護協会も「虐待などではなく、経験知にもとづき、患者のためを思った看護ケアーだった」との見解を発表し、被告の支援を打ち出した。
被告の行為が“虐待”でなかったとしたら、いったいなぜ彼女は起訴されてしまったのか? 病院の対応や警察の捜査、さらに“虐待”と認定した行政の対応に問題はなかったのか? そして事件の背景に何があったのか?
逆のセンセーショナリズムが見え隠れしているとことは違和感を覚えるし、メディアの責任を頬っ被りしているのが気に食わないが、事件の本質の一面を衝いた報道である。映像の効果は強烈である。
続いて「スーパー・モーニング・ショー」(スパモニ)でも同じ視点から事件が扱われた。そこでは「以前いた病棟ではこまめに詰めきりをしていた。しかし移動先の病棟ではその習慣がなく、放置されていた。放置して布団等に引っかかり、出血している人までいた。だから爪切りをはじめたが、状態が悪過ぎて傷になる人もいた」などという情報が報道されたようである(詳細不明)
(7) 控訴審の逆転無罪判決
A 判決の骨子
10年9月16日 控訴審判決。陶山博生裁判長は「正当な看護行為であり、傷害罪は成立しない」として無罪を言い渡した。最大の争点となった「動機」、すなわち悪意の有無という問題については、その根拠となった自白調書全体の信用性を否定した。
判決は「捜査段階の自白は、捜査官による誘導の疑いが残る」と批判した。その根拠として「“剥離”や“剥いだ”という、被告の行為と合わない表現が多用されており、警察や検察による供述の押しつけや誘導があったと疑わざるを得ない」と指摘した。
この後の論及は、医療関係者にとってはかなり重大な内容を含む。判決は、「深く爪を切って皮膚の一部を露出させて無防備な状態にさらした行為は、傷害罪の構成要件には該当する」と判断した。しかし、シーツに引っかかって はがれるなどの危険がある爪を除去することは「必要性のある看護行為で、方法も相当と言える範囲を逸脱していない。正当業務行為にあたり違 法性は阻却される」と述べた。
新聞記事でははっきりしないが、前後関係から見て上田看護課長の実際の行為の“拙劣さ”、ないし「相当」ではあるが適切なフットケアの範囲から逸脱した“やりすぎ”、あるいはフットケアを実施するに当たっての“強引さ”を指摘していると考えられる。おそらくこれが「医事訴訟」であったら、この点がもっと厳密に追及されてしかるべきであろう。
B 無罪判決の反響
判決後、上田看護師は支援者を前に、「逮捕されてから3年2か月たったが、やっと無罪が証明されてほっとしています」と声を詰まらせた。 日本看護協会は会長談話で、「本件が刑事裁判となったことは今もって受け入れがたい。無罪判決を聞き、安堵している。(爪切りなどの)フットケア に従事する看護職には、療養生活を支える専門家として、引き続き、高齢者のQOLを高めるケアをお願いしたい」と発表した。
北九州市保健福祉局長は、「病院からの調査報告書や立ち入り検査の結果をもとに、高齢者虐待防止法に基づく虐待に該当すると判断した。今回の判決は、刑法上の傷害罪に当たるかどうかという刑事事件についての判決であり、判決についてのコメントは差し控えたい」と語った。これは結局、今もなお「高齢者虐待はあった」との見解を変更する意思はないという宣言であり、相当の問題をはらむ発言である。そもそも虐待防止法のどの虐待規定に相当するのかがはっきりしない。本来なら「無罪判決が出た以上、当初の判断についても再検討を開始したい」というべきであろう。
無罪判決を受けた西日本新聞は、社説でこう書いている。 …当初は「爪はがし事件」、その後は「爪剥ぎ」事件と報道されてきた。こうした表現は予断を生んでしまう。それには理由があるのだが、これでよかったかは私たちの反省材料である。
ちょっとこれは反省としては軽すぎないか。問題はもう少し深いのではないか。メディアに一言言いたい。この事件が日本の医療・介護の過渡期に起きてきた、ある意味では歴史的必然性を持った事件だということに思いを致し、センセーショナリズムにもお涙頂戴にも偏らず、医療と司法のあり方を見据えて報道してていただきたい。
現場の記者にも一言言いたい。報道していて喉元に引っかかるものはなかったのか。声高に正義を言い立てるのではなく、現場に即した追跡が必要な事件だと思わなかったのか。その皮膚感覚をもっと研ぎ澄ます必要があるのではないか。
(8) 残された問題 「被害者」の言葉
当日の読売新聞には患者家族の話として次のようなコメントが寄せられている。「母は足を触られることに、恐怖感を抱いていた。これでは、認知症の患者が痛がったとしても、看護師は適正な行為と言い張ることができる」 確かにそうです。このまま水に流せば、「患者いじめの隠微な喜び」が、医療の名の下に許されることにもつながりかねません。
この談話はフォローされていない。しかし実体験としては重い発言である。この家族は、その後はむしろ無茶苦茶をいうモンスターのように取り扱われている。
医療人に常識があるように、一般市民にも常識がある。しかも過渡期においては往々にして二つの常識が乖離する。その際は一般市民の常識を最大限に尊重しつつ、過渡期であることの認識をともにしつつ、医学的常識の受け入れを求めていく姿勢が必要である。もうひとつはこの措置が、現在のところ診療報酬として評価されず、無償の努力として行われていることの矛盾もしっかりと訴えるべきであろう。