成人保健学: 貧困と不幸への理論的アプローチ

目次

 

 もう20年も前に、看護学校で「成人保健」の講義をしたときのノートが出てきました。受験にはまったく役に立たない自己満足の講義です。講義を受けた学生さんはもうすでに40歳です。いまやアラフォーと呼ばれている世代です。当時私は「不幸の先生」と呼ばれ、不思議がられていたようです。「マッチ売りの少女」の講義をしたときは非難ごうごうでした。
 全部で12講まであったのですが、後ろが切れてしまいました。残っているレジメのうち、講義の導入部などを少し切り落として載せておきます。

 

第1講 社会の仕組と保健

T 健康と生活

@健康とは

健康という言葉はきわめて多義的でそのとき、その人の思いによってニュアンスが随分変わって来ます。

最大公約数で言えば、健康とは「不健康」でないという意味の形容詞です.「正常」とか「健常」と読み変えることも出来ます。

「健康診断書」を書くときにいつも困るのですが、一通りの問診や診察、若干の検査結果を見て、「健康である」と診断するのは躊躇します。診断書では「健康である」とはせず「異常を認めない」と記載するのですが、世間では「それを健康である」と書いてほしいといってくるのです。「それで良いじゃん」ということです。「無病息災」ということですね。

これが健康に対する日本人の通念ですが、英語のヘルスというのはかなりニュアンスが違っていて、ヘルスというのはかなり意識的に作り出すものという感覚があります。風土の違いがあるのでしょうか、人間というのは放っとけば不健康になってしまうので、絶えず健康でいられるように努力しなければならないという考えがあるようです。

戦後教育の一環として「保健・体育」という教科がアメリカから持ち込まれました。体育の先生といえば暴力団風の感じのいかついおっさんで、それが週1回、教室にやってきて、いかにも窮屈そうに「からだの仕組み」とかの授業をやるのですが、まじめに聞いている生徒などあまりいませんでした。

でも高校入試のときは受験科目の一つなので、それなりに参考書に赤線を引いた記憶があります。昨今はどうなっているのでしょうか?

日本では人間は放っとけば健康なのであって、それを不健康な生活をして壊してしまうから不健康になってしまうという風に考えます。これは水に対する考えと似ていて、日本では「水は天からもらい水」なのに、他の多くの国では「水は苦労の末に獲得すべき貴重な資源」なのです。

A健康な身体と生活

日本語で健康という場合、体が健康であるということである。それは体の状態を表す形容詞であり、否定形の形容詞である。五体満足でなくとも良い。体のどこにも不調がないということ、もっと言えば病気でないことである。

「健康な」ということばで形容されるものには,ほかに精神,生活,社会などがある.精神,生活,社会の状況を形容するときに、似たような用いかたをする形容詞として「ゆたかな」とか「幸せな」などがある.

形容詞には大きい、小さいとか長い、短いとかいろいろあるが、健康なとか、幸せなとかいう形容詞は、それ自身が価値判断を示している点で特殊な形容詞である。そして形容すべき対象を人間と社会の事象に限定された、特殊な形容詞である。

したがってこれらの形容詞を使用するときには、使用する人の価値観が込められている。誰かが「健康だ」といったとしても、それを鵜呑みには出来ない、危険な形容詞でもある。自分なりに健康の定義をしっかり持って、「その通りです」とか「お言葉ですが…」などと判断していかなければならないのである。

一言で言って、「健康」とはなかなかの曲者である。

B人間の価値観の体系

生きがい=目的のある人生

ゆたかでしあわせな暮らし

健康な生活   充分な収入

健康な身体   まともな労働

 健康と「豊かさ」は幸せな生活のための条件となっている.金があって、ヒマがあって、体が丈夫なら申し分なく幸せではある。

 しかし、「ゆたかで幸せな生活」は,必ずしも一人一人にとっての人生の最終目的ではない。

 たしかに社会的な目標としては、「ゆたかで幸福な生活」がひとつの目安となるが,個人にとってはかならずしもそうではない.生きがいのある生活が豊かで幸福な生活とは限らない.

   人が生きていく目的は下の図のように積み上げられていると考えられる。しかも最高位の「生きがい」というのは、必ずしも下段の積み上げを必要とはしない。むしろ下段を打ち壊していくことさえしていく。

「生きがいのある仕事」に熱中すれば、時間は無尽蔵につぎ込まれる。「ヒマ」は完全になくなる。本来の仕事にまでそれが侵入してくれば、給料にも影響が及ぶ。まして立身出世は思いもよらなくなる。体だって壊しかねない。

これは極端な話だが、私たちが保健活動を行う場合、一つの論理として頭に置いておかなければならないことである。

保健活動は「ゆたかで幸せな生活」の土台作りの一環を担っている。それは土台の中でももっとも下段に位置する土台であるから、ことの良し悪しについての善悪が問われることはあまりない。 

しかし条件整備のみを念頭に置いていたのでは不足である。保健活動の活動内容が、対象とする個々人の人生の目的に、どのように、どのくらい適応しているかが、ときに問い返されなければならない.せっかく助けた患者さんが病院の屋上から身投げした、などという話しはあまり聞きたくないものである。

 

U 生活と社会

A 暮しの2大要素

@労働と生活

食うことと働くことは暮らしの2大要素です.寝ることも入れれば三つになります。

これを硬く言えば、労働と生活です。社会的観点からみると、労働は生産であり、生活は消費です。

好むと好まざるとにかかわらず,食うために働き,働くために食うのが,普通の人間の基本的な生活パターンです.人はパンのみにて生きるわけではないが,パンがなければ生きていけないこともまた事実です.

A労働が生活を規定する

「パンがなければ生きていけない」ということは、人間にさまざまな規制をもたらします。労働は公的生活であり,私的な生活に優先し私的な生活を規定することになります.

まず給料が物質的生活水準を規定します。月給が20万円の人はそれなりの暮らししか出来ません。選択の余地はほとんどありません。雨が降ってきて傘がない、タクシーに乗れば昼飯はコッペパンに牛乳ということになります。今日は仕事に行くのをやめた、などということになると身の破滅になりかねません。

労働時間が生活時間を規定します。人間には生活していくための最低必要時間というものがありますから、長時間労働になれば余暇は最低限に縮められます。余暇というのがその人にとって「人間としての時間」ですから、余暇が減るということは、その人が家畜並みになっていることを意味します。

さらに人間どうしようもなくなると、睡眠時間を減らすことになります。こうなると健康であるための最大の拠り所が失われていくことになります。肥満傾向の人は睡眠不足による疲労を食べることで補おうとするので、過食傾向がさらに進行します。

労働形態が生活形態を規定します.生活形態の違いは子供の違いにもっとも顕著に現れます。これは教育の話なので後で例示して行きたいと思います。

B余暇

生活に必要な時間が一定であれば,余暇は労働時間に直接規定されます.ゼロサムの世界です。余暇は狭い意味での社会的生活から見れば無駄で無意味な時間ですが,個々人にとっては大げさに言えば「生きがい」です.「これが楽しみで生きてるみたいなものだわサ」

むかし、お母さんは働きづめでした。主婦の労働といったら限りなくありました。おさんどんにお洗濯にお掃除、これだけでも起きている時間のほとんどが費やされるほどでした。夜は繕い物からアイロンがけ、明日のお弁当の支度まで休む暇もありません。

つい声を荒げて、「宿題やりなさい、勉強しなさい、早く寝なさい」と小言が口をつきます。本当は酒を飲みながらテレビを見て馬鹿笑いしているお父さんに一言言いたいんです。労働している立場からすれば、余暇を過ごすということは無価値で無意味に思えるのです。

 

B 社会が歪むと生活もゆがみ,ついには壊れる

個々人がどう働き、どう生活するかは、その時々の社会によって決められています.個々人は働くことにより社会人として認められ,自立した生活を営むことになります.だから働くこと、手に職を持つということは、それ自体が人間にとっての誇りであり、生きがいでもあるのです。

@社会がもたらす仕事のゆがみ

学歴社会,コネ社会,女性差別→失業,

A社会のもたらす生活の歪み

土地高騰,長時間通勤,環境汚染→ローン地獄,病気

B社会(マスコミ)のもたらす意識の歪み

利己主義,快楽主義,物質主義→非行

 

 

 

第2講 貧しさとはなにか?

前回のまとめ

保健活動は生活の問題点を見つけ出し,なくしていく活動.対象となるのは問題のある生活スタイルであり,そのような生活スタイルをもたらす生活のありかたである.

不健康のみなもと

「問題ある生活」とは何よりもまず,「貧しい生活」である.本講と次講では貧困について考察する.

T わかりにくい「貧しさ」

A 貧しさを表わすさまざまな言葉

貧しさの同義語: 貧困,貧乏,窮乏,極貧,清貧,マルビ,
貧しい生活: 耐乏生活,その日ぐらし,侘びずまい,つましい生活,爪にひともす生活,明日(三度)の飯にもこと欠く生活,赤貧洗うがごとき生活,火の車,
貧しい人: 貧困者,生活困窮者,ビンボウ人,低所得者,貧民,社会の底辺,下層社会,ニコヨン,恵まれない人達,細民,貧者,スカンピン,ルンペン,浮浪者,ものもらい,スラム,一文なし,

「客観的」表現,侮蔑的表現,婉曲な表現,卑下した表現など,それぞれに独特のニュアンスがあり,「貧しさ」を分りにくくしている

B 貧しさと幸せや,善悪などを組合せた複雑な表現もたくさんある

狭いながらも楽しい我が家(はにゅうの宿もわが宿)
スプーン1杯の幸せ,片隅の幸せ
貧しくとも心豊かな生活〜金はあるが心の貧しい人
食事だけはぜいたくしています
清貧にあまんずる,名もなく貧しく美しく
武士はくわねど高楊枝,渇しても盗泉の水は飲まず
根岸の里の侘び住まい

結局,貧しさを「合理化」しようとする感情が働いた表現

貧しいが幸せな生活というものが本当にあるのだろうか?

 「愛と死をみつめて」より(1964):
ミカン箱のちゃぶ台にゆのみが二つ
低い天井に暗い電球が一つ
こんなおへやに場ちがいのステレオが
美しい夢を運んでくる
肩を寄せ合って黙って聞いている二人
こんな日が一日だけでもほしい  

お金はあるが不幸せな生活?                                                                  

  石井久「自伝」(1964): 子供の頃,貧乏な生活を送った筆者が,戦後のドサクサにまぎれ成功,証券会社の社長となる.……

「若くして社長の地位についた私は,人一倍の強い個性のあるためかいろんな非難や陰口を耳にする.そんなとき私はフッと淋しくなる……」
「青春時代の楽しみというものはなに一つ経験していない.親友にめぐまれず,恋人をもたず,喫茶店も知らなければ,映画をみたこともない.ただ会社と下宿の間を往復してガムシャラに勉強するばかりの青春を送った……」
「個人的には,自分はあわれな人間だと思うことがある……」  

     

U 貧困の三つの考え方

@絶対的貧困:人間が健康を保つためには,それなりのコストがかかる.人間としての最低の生活費が必要である.これが満たされない状態を「貧困」という.

A相対的貧困:「貧しさ」にはもうひとつの意味もある.金持にくらべて貧乏,社会のなかでくらべて貧乏という意味の貧しさである.

B新しい貧困:さらに精神的なふくらみを持たせて「ゆとり」とか「豊かさ」の対極にある言葉としても用いられる.ここでは,@を対象としてあつかう.しかしABもよく考えると実は前者であることが多い.

 

V 考える糸口として〜「解放の神学」

世の中をいろいろ解釈する見方からは,「貧しさ」もいろいろに解釈できる.

私たちが「貧しいひとびと」と向かい合い,この人たちを救おうとする場合,「貧しさ」はどう考えられるべきだろうか?(みなさんのまわりでもきっと起きているはずです.たとえば修学旅行に行けないクラスメートなど…)

「解放の神学」は,それを考える糸口をあたえてくれます.

 「解放の神学」とは?

中南米などを中心とするいわゆる第3世界のカトリック教の新しい神学と運動のこと.大土地所有者や軍部と結託した保守的教会に対して,先住民や貧困層の地域で草の根の宣教活動をおこなう「キリスト教基礎共同体」の運動を基盤に,貧困と搾取,独裁と抑圧からの人民の解放のたたかいと結びついてこそ,教会は予言者的役割を果たせるとしている.(社会科学辞典)

代表的理論家のひとりグティエレスによれば,その基本はつぎの点にある.

@ キリスト教の原点にたちかえり,キリストがあゆんだ道をキリストと同じように貧しい人々とあゆもうと主張

A 貧しい人々の生活を守るためには,社会の仕組を根本的に代えるしかない〜社会主義の承認

B 社会が貧しい人々を虐げるための暴力的構造を持っている以上,その構造そのものに立向かわなくてはならない〜革命と革命的暴力の承認

 

A グティエレスの考える「貧しさ」

@いやなもの,憎むべきものとしての貧しさ

まずは、グティエレス自身の言葉から聞きましょう。

「貧しさ」という言葉は,第一に「物質的貧しさ」を表わす.すなわち人間的生活の名にふさわしい生活に必要な,経済的財産の欠如である.この意味で,貧しさは現代人の意識からは,品位を傷つけるものと考えられ嫌われる。

グティエレスはまず身に降りかかる災難として貧しさを「感じる」ことから始めます.そして「貧乏はいやなものだ」という素直な気持を表現することから出発します.彼の直感は、貧しい人々の中で実践し、貧しい人々と向き合うなかで研ぎ澄まされていきます。

彼は,なぜ「いやなもの」と嫌うのかを,自分に対して執ように問い返していきます.そしてついに彼は,貧しさが人間的生活の否定つまり人間性の否定と結びついているから,「いやなもの」として嫌われるのだ、ということに気づくのです.

細かいようですが、大事なことは、貧しさが人間性を否定するものだというのではなく、人間的生活の否定と結びつく傾向を強く持っているということです。そして、人間的生活の否定はそのまま人間性の否定へと結びついているということです。

「世間」が貧しい人々に押し付けるのは「貧しさ」であって、直接に貧しい人々の品位を傷つけたり人間性を否定しているわけではありません。貧しい人々は貧しさの結果として、貧しさによって人間性を否定されるのです。

だから貧しい人々の人間性が否定されたとしても、その姿は「世間」にとっては「いやなもの」でしかなく、自分の成したことの結果だという認識をもてないのです。

グティエレスはこの偽りの「三角関係」に気づいたのです。それは「世間」の欺瞞的態度により隠されていた関係だったのです。

彼は,貧しさはまず何よりも,人間の品位を傷つけるものであるからこそ,あってはならないものだととらえる.そして「いやな感じ」を憎しみの感情に高めていくところに,きびしい倫理性を求める.

A可哀そうではすまされないこととしての貧しさ

貧しさとは疎外された人々,「貧しい人々」の生活状況の一端として,キリスト者が考えその目で見てきたものである.そのような人々はわれわれにとって哀れみの対象であった.しかし状況はすでに変った.

「貧しさ」と「貧しい人々」とは違う.それは蜂と蜂に刺された人との違いに似ている.蜂は恐怖と憎しみの対象であり,蜂に刺された人は同情すべき人である.

グティエレスは「貧しいひとびとはかわいそうだ」という素直な気持から出発する.それは「貧しい人々」のイメージとしてわたしの中に固着したものである.それは,わたしにとっての哀しみと慈しみの合体した感情である.それは人間として当然の感情である.

しかし蜂を蜂に刺された人とは別のものと認識するように,「貧しさ」を「貧しい人々」から抽象してとらえたとき,状況は変わる.貧しさは人間としての尊厳の否定として,「憎むべきもの」としてとらえられるようになる.哀しみは憤りの感情へと転化する.

B不公正,不正義としての貧しさ

具体的には,貧しいということは飢え死にすること,文盲であること,他者から搾取されていること,搾取されているのを知らないこと,自分が一個の人格であるのを知らないことである.

貧しいひとびとのそばにたち,その人たちの生活を見つめていけば,「貧しさ」への嫌悪感も,「貧しいひとびと」への同情も具体的になる.そこでは貧しいひとびとへの心からの同情と,貧しさへのにくしみが統一されて理解される.それは貧しさをうみだしている「不正義」への怒りとして発展していく.

C恥づべきもの,断罪すべきものとしての貧しさ

聖書の中では,貧しさは人間の尊厳にさからう,従って神の意思に反する恥ずべき状況とされる…….つきつめれば貧しさの存在は,人間同士の連帯と神との交わりの両者がともに引裂かれていることを示している.貧しさは罪(すなわち愛の否定)の表現である.従ってそれは神の国,愛と正義に満ちた王国の到来とは相いれないものである.

こうして「貧しさ」は「わたし」に反省を迫る.それは「わたし」にとっても恥ずべき状況,わたし自身の罪すなわちわたし自身による「愛の否定」とかんがえられる.神との交流を望む「わたし」にとって,社会変革への参加は神への義務とみなされる.

 

B 貧しさを克服するための二つの契機

@拒絶すべきものとしての貧しさ

以上のようにグティエレスは貧しさを,いやなものであり,かわいそうなものであり,不正義であり,許せないものであり,自らのありようが問われているものであると考えをすすめていく.

それではどう行動することにより,自らの存在の「証し」がたてられるのか?

聖書から,社会実践家としてのキリストの行動を列挙したあと,グティエレスはこう書いている.

……こうして「困窮した」「弱い」「身をかがめた」「哀れな」という言葉は,おとしめられた人間の生活状況を如実に反映している.こうした言葉のうちには,すでに反抗の意思がほのめかされている.これらの言葉はたんなる描写にとどまらず,一つの立場を示している.この立場は貧しさに対する力強い拒絶において明確にされる.貧しさの描写にただよう雰囲気は一種の義憤である.そして貧しさの根源,すなわち抑圧者による不正を指摘する時同様,義憤に義憤をもたらすのである.

そして神の教えのなかに,「貧しいひとびと」への愛と貧しさへの拒絶,抑圧者の不正に対する激しい怒りと反抗の意志として統一されているのを見る.

そのおこないは,反省した「わたし」の進むべき道を示すものとして理解される.

A顕在化し,組織化された貧しさ

貧しさに苦しむ者同士の間に連帯の絆をはぐくみ,かれらのおかれている状況と,その状況から利益を受けている人々とに対するたたかいのうちに,かれらを組織化へと導く.

以上から「貧しいひとびと」のたたかいを断固として支持すること,かれらのあいだに連帯のきずなをはぐくむことが,キリスト者の義務として提起されていく.

 

C キリスト教独特の「貧しさ」理論

ルカ書「貧しいあなたたちは幸せである.神の国はあなたのものであるから」

グティエレスは,この一節を次のように解釈する.

 キリストは貧しい人々の中にはいり,そこで実践し,犠牲となった.かってキリストがともに存在した貧しい人々とともに,救い主はおられる.

キリスト者実践としては,貧しきひとびとと共にあることが神とともにあることである.

それは傍観者として,いま罪人であるわれわれが,信仰者となって「救い」を得る道であり,生きがいである.

以上グティエレスの言わんとするところをまとめれば次のようになる.

@ 貧しさを認識するということは,不公正への怒りを発することである.それは貧しい人への愛によって裏付けられている

A 正義の行ないとは,貧しい人々の立場にたって不正とたたかうことである

B イエスはそうなされた.わたしたちがイエスに倣いたたかうことは,救い主とともにあることであり幸いなことである

 

D 貧しさを見ている「私の眼」

もう一度私達の言葉で,グティエレスの言葉を考えてみよう.

@いま貧しさを見つめている私の気持ち

  貧しさへの恐怖←→貧しさへの嫌悪感

  貧しい人々への同情←→悲しみ(かわいそう)と慈しみ

A私のとる態度

  慈悲心:救済のための行動…ほおっておかない

  嫌悪感:逃避,無視,無関心

特殊な反応:横浜の少年による浮浪者殺害…嫌悪感のあまり,畜生のような生活を送っている人を畜生と間違える.ところで彼らの貧しさに対する憎しみは正当である.間違いはその怒りが直接貧しい人に向けられたことである.われわれが,もし貧しさに対する傍観者に過ぎないとすれば,貧しさに対する憎しみを直接行動で示した彼らを,非難できるだろうか.

B私の中の差別意識の否定

貧しいということは,差別され孤立していることである.

それは人間の絆が切断されているということである.

従ってそれは自らの「愛」が否定されているということであり,人間としての罪である.

 

E グティエレスの「限界」

@ グティエレスは貧しさの問題を認識論として,実践論として,倫理として提起している

A しかし彼にとっては,貧しさは最初から最後まで,あくまで外的なものである.そして実践の契機としては主観的心情(嫌悪感,恐怖感,同情,悲しみ,憤り)が出発点となっている……主観的観念論

B 「貧しいひとびと」はあくまでもはたらきかけを受ける人であり,受動的存在でしかない.これは歴史的事実にも反する.

C 「貧しいひとびと」はつねに抑圧され,うちひしがれているだけではないし,絶望的な抑圧者への反抗を繰り返しているばかりでもない.生産を発展させ,生活をゆたかにし,希望をもって生き抜こうとしている.支配者に対する怒りは,その希望を打ち砕かれようとするとき生まれて来る.

 

 

第三講 貧しさとはなにか

 ……わたしたちの貧困論

 

T.金持から見た貧乏の発見:「金魂巻」(1984) の発想

これはいまから20年以上も前、「一億総中流時代」といわれた頃の話です。見かけは同じでも金持ちと庶民とは根本的に違うんだぞということを徹底して明らかにした本です。金持ちの立場から書かれているので、読んで気持ちのいい本ではありませんが、なるほどとうなづけてしまえます。

「まえがき」から: 

皆さんの周りには,外から見ただけで明らかにお金持ちの人とビンボー の人がいることと思います. ……
 マルキンの強みは,お金が余って幸福なので,いつもニコニコしていることです.その結果,彼は善人に見えるので他人から好かれ,他の多くのマルキン仲間が合体して,よりいっそうマルキンの地位を固めていきます.一方マルビの弱味は,マルビもマルキンになりたいと願ってしまうことです.日焼けサロン.原宿竹下通りで家内製手工業で制作されたコム・デ・ギャルソンのようなもの.にせブランド商品など,マルビの憧れを逆手にとったグッズは,世の中にあふれています.その結果,マルビはやりくりが苦しくなって,ますますマルビへの道を盲進してしまうのです.
  さて,やっかいなのは,一度歩み始めたマルキンとマルビのコースは,なかなか変更できないことです.かつてのマルビは,健気な庶民としてやりくりをつけ,清く正しく生きていたものを,現代では見栄のマルビがノーマルになり,自覚がなくなってしまったからです. ……
 でも,ほら,カタイ話は抜きにして,思う存分笑ってみてください.きっとあなたの中にしっかりしたマルキンとマルビの境界線が芽生えてくるはずです.

マルキンのお父さんとマルビのお父さん

僕のマルキンのお父さん
 お父さんは昭和22年にいま僕が住んでいる世田谷で生まれましたね.(都会生まれ)
 そのころ電気部品の工場が空襲で焼けてしまって空き地になったところに,おじいちゃんはバラックを建てて住んでいたそうです.だんだん景気も良くなりトタン屋根の工場でおじいちゃんは夜遅くまで働いたそうです.その頃おじいちゃんの工場には働いている人が10人 いたそうです.(家の商売)
  おじいちゃんの会社は順調に発展し,昭和30年代終わりには働いている人は60人にもなりました.お父さんはその頃僕と同じ学校に通っていて,ときどきおじいちゃんのシボレーで連れてってもらいましたね.そのころのアメリカ車はすごく大きかったそうですが,いまお父さんが持っているベンツ500SELもすてきです.(クルマ)
  この車は前持っていたベンツ280SELが,ゴルフの帰りに関越でソアラにブチ抜かれて頭にきたお父さんが衝動買いしたものですね. ママは「パパ子供みたい」とあきれましたがこの気持ちは女にはわかりません.
  お父さんは大学を卒業すると,すぐおじいちゃんの会社の取締役になりましたね.(会社での地位)
  おばあちゃんは3〜4年よその会社で働いたほうがいいと言ったけど,せっかちなおじいちゃんはそうしませんでした.いまの会社ではおじいちゃんは会長でお父さんが社長で,働いている人が120人もいます.
  お父さん,夏休みには南軽井沢にある別荘で僕にカブト虫をとってくれましたね.(住居)
  ロスにあるディズニーランドにも連れていってくれましたね.スペース マウンテンは身長が足りなくて乗れなかったけど,本場のは,やはり違うよね.帰りにはハワイにも行って椰子の実の中にアイスクリームの入ったのも食べたし.(余暇)
  父親参観日には仕事があって10分しかいてくれなかったけど,学校の駐車場でベンツは5台来ていて500SELはうちのだけだったよお父さん.僕の誕生日にはホテルオオクラに連れていってくれたね.ママは北京ダックを大喜びで食べたけど,僕はああゆう油クサイものよりカニ玉とチャーハンが好きだよ.(食べ物)
  お父さんは,いつも「パパは,早くからウチの仕事をしたけど,キミは自分が好きなことをやっていいんだよ」と言います.(将来) 

 

ぼくのマルビのお父さん
 お父さんは昭和22年に山口県の瀬戸内海の大島という島で生まれましたね.(田舎の生まれ)
おじいちゃんは今でも大島に住んでいて,冬になると裏山でつくるおいしいミカンを送ってくれますね.ママはこのミカンを近所の人に5個づつ配るのが好きですね.(近所づきあい)一度ビニール袋に10個づつ入れて配ったら家で食べる分が足りなくなって,夜8時過ぎてから大島のおじいちゃんに電話をしてまた送ってもらいました.
 お父さんは5人兄弟の3番目で学校の勉強はよくできたんだよね.(次男,三男) お父さんは東京の大学に進学すると下落合というところに下宿したね.新宿には,フーテンと呼ばれる人たちもそろそろ姿を見せ始めていたけど, お父さんはそんなことはしなかったよね.いつの時代でもそうだけど目立つ人はほんの一部の人で,大部分の人はそうじゃないってゆうのはお父さんの意見だよね.
大学を卒業すると今勤めている缶詰会社に就職して,すぐに大阪の支店に行かされたね.3年ほど大阪にいて東京に帰ってくると大学の後輩で  八王子生まれのお母さんと結婚したね.
はじめ二人は新丸子の木造アパートに住んでいたけど,お兄ちゃんが生まれたときに近所の軽量鉄骨のアパートに移ったね.それから僕が小学校に入る年に,今の千葉の八千代台に建て売り住宅を買ったね.(住居)
 お父さんは運転免許も持っていて津田沼のおじさんから借りたホンダシティーで,ディズニーランドに連れていってくれたね.スペースマウンテンは身長が足りなくて乗れなかったけど,カリブの海賊はすごくよかった.(余暇) 父親参観日にはいちばん早く来ていちばん最後までいてくれたね.(教育熱心) 僕の誕生日には「デニーズ」に連れてってくれてステーキ食べたね.あのステーキはナイフで切ると柔らかくなっておいしかったよ.(食事)
お父さんはプラモデルを作るのが上手で工作もトクイだね.(趣味) 以前駅前の金物屋で組み立て材料込みで売っていたスチール物置を自分で組み立てて5千円トクしたね.
 お父さんはいつも「何をしても,人に迷惑をかけるようなことはしてはいけない」ていうのが口癖だね.(生活信条)

 

「金魂巻」の背景:著者紹介

渡辺和博(わたなべ・かずひろ)
 昭和25年広島市生まれ.裕福な自営業の家で何不自由なく幼少年時代を過ごす.カメラマンをめざしニューヨークへ遊学,B.ウェーバーに師事するが,突然ロンドンのアートスクールへ.アルジェリア1年滞在後帰国,イラストレーターでデビュー.(最近はお昼のニュースショーにコメンテーターとして出演しています。病院の食堂で昼飯を食っているといつも、蝶ネクタイ姿にお目にかかります)

 

A.マルキン,マルビの意味するもの:「金魂巻」の思想

@中流幻想の粉砕

 これまではマスコミの宣伝もあって,世の中では特殊な層として上流階級と貧困層があり,その他の国民の大部分は中流階級といわれてきた.「金魂巻」は世の中の人間を徹底的にマルキンとマルビに分けていく.マルビ族の「中流幻想」は徹底的に打ち砕かれる.

A金持ちと貧乏人を分ける指標

 生まれ,仕事,社会的地位,クルマ,住居,食べ物,余暇の過ごしかた…などを指標にしながら,マルビを排除していく.この作業によって世の中の人間のほとんどは,マルビのレッテルを貼られていく.「あんたら,所詮マルビなんだよ!」

B越えられない「壁」の確認

 結局,マルキン,マルビという「相対評価」は,所詮マルビ族でしかない人間にとっては意味がないという逆説的な結果になる.それは著者のようなマルキン族にとっては物笑いの種でしかない.

 

B.「金魂巻」のアザケリをどう受け止めるか?:貧しさの「相対評価」から「絶対評価」へ

@相対評価の無意味さでは一致

 マルキン,マルビという「相対評価」はマルビ族にとっては無意味である.中流幻想は,まさに幻想でしかない.

Aゆたかさや貧しさは具体的である

 欲しいもの(家,車,別荘)がどれだけ手に入るか,やりたいこと(旅 行,教育,趣味)がどれだけやれるか,それだけのお金と暇があるか,それが豊かさや貧しさの「絶対評価」である.

B必要と充足のバランス

裏返して言えば,必要なものがどれだけ手に入るか,やらなければならないことがどれだけやれるか,それだけのお金と暇があるか,それが豊かさや貧しさの「絶対評価」である.

C我慢する生活,無理する生活:貧しさの絶対評価

 さらに言えば,必要なものを手に入れ,やらなければならないことをやるために,どれだけ借金をし,時間を犠牲にし,自分をしばりつけているか,これが貧しさの「絶対評価」である.

 

C.マルビにあってマルキンにないもの: まごころ、まじめ、誠実

交際:しばりつけられたものでなく自然で積極的な付き合い

家族:跡継ぎではなく無償のいつくしみ

趣味:ただの遊びではない趣味

生活信条:一般道徳ではなく,自分の生きかたと結びついた信条

 

U.わたしたち自身の貧乏の発見

「極貧家庭を支える妻の会」

田口和子(赤旗の「ひろば」欄への投稿)

 「極貧家庭を支える妻の会」なるものを職場で結成した.入会資格は,退職後までも支払いに追われる大借金があること,月々貯金など無理な家計であること,財産をもつ親などあてに出来る係累をもたないこと,不動産などもたないこと,家計のたしになるようなサイドビジネスをもたないこと.
つまりどっちを向いても,真っ暗やみの家庭を,「極貧」と自称するのである.ちなみに,借金なし,貯金可能な家はマルキン,借金はあっても,わずかでも貯金可能はマルビという.要するに貧乏主婦のグチの吐き出し場であり,物品の交換,節税の工夫や制度の有効な利用法など,知恵や情報を交換しあうことを主たる活動(?)としている.
 七五三の時には着物を貸しあう,奨学金制度を教えあう,おいしくて安上がりな料理を伝授しあう,田舎からおくられた品をわけあう,本は回し読みーというぐあい.今日の集まりは,最後に夫の批判に発展した.「夫がもう少し収入をふやしてくれたら」…「でもね」とA子がいう.「やっぱり好きで一緒になったのだもの.まあ,元気でいっしょにくらせるだけまだいいのかもよ」一同深くうなずく.さて,今夜も愛する夫と「極貧なべ」をつつくとしましょうか.

 

A この投稿に示された,四つの認識内容

(1)貧困の自覚

第一に,マルビという軽い認識から,貧困を正面からとらえる認識への発展.

@気づくこと,見つめること

それは自らの生活を具体的にふりかえる作業として始まる.ゆたかさ=貧しさのいくつかの指標を設定し,自らの生活を吟味することである.

A相対的評価から絶対的評価へ

そして貧しさが「あたしが一番,あなたが二番」という性格のものではなく,人間の生活に必要なものがどれだけ満たされているか,あるいは欠乏しているかということで決まるものという結論に達する.貧しさについての認識が,相対的な認識から絶対的な認識へと発展していく過程である.

B「中流」意識を捨てる

それは「中流」という言葉の無意味さを実感させる.「中流」であろうとするために,生活に無理が来る.

第二に,自らの貧しさを見つめ直す過程

@貧しさの自覚

主婦たちにとっては,グティエレスとは違って貧しさは外的なものではない.したがって道義的な問題ではない.自分をどれだけ突き放して,客観的に見つめるかという問題である.

A貧しさの受入れと開き直り

それはつらい作業ではあるが,「よそごと」としての貧しさから「うちなる貧しさ」への認識の発展であり,「貧しさの発見」である.「背伸びしてもしかたないんだ,無理する必要はないんだ」という「開き直り」と「貧しさの受容」である.

第三に,見栄を捨てみずからをさらけだす過程

@「人並み」意識との決別

人と「貧しさ」(あるいは「豊かさ」)を競いあうことの無意味さを反省し,「貧しさ」に対する発想を転換する.

A「恥」の意識との決別

素直に「貧しさ」を認め,「うちは貧乏なのよ」と,ひとこと言えなかった辛い経験,人に言えなかった恥をさらけだすことの解放感(カタルシス)を実感する.

(2)これまでの生き方からの解放

@孤独からの解放

いまではもはや,貧乏は恥ずかしいことでもないし隠し立てすべきことでもない.いまや貧しさを恥ずかしく思う心が産み出す「孤独感」から自由となった.

A差別意識と相互不信からの解放

お互いの小さな相違を見るのでなく,共通点を発見し認めあっていく認識.それをバネにして,おたがいの「わだかまり」や「こだわり」を解き,「おなじ貧乏仲間」という意識を育くむ.

(3)「仲間」の形成

@見栄を捨てた「仲間」

これまでの過程は仲間なしには実現出来ない.「お付き合い」から「仲間付き合い」への転化.

A共同行動

「仲間」意識のなかで,貸し借り,回し読みなど具体的な共同行動がひろがり,さらに「仲間」としての信頼が生まれる.

B共同意識の形成

共通の貧困を分かちあい,手をとりあっていく前向きの姿勢を共同で作り上げる.それは貧しさへのあきらめを捨て,貧しさとたちむかう積極的な姿勢を産み出す.

(4)貧しさが行動のバネになる

@貧しさは絶望だけではない

ところで「仲間」が形成されると,貧しさは絶望的ではなくなる.かつて「自分は貧しい」という気持ちは,自分の欲求が満たされない時感じる感情であった.

A貧しさは欲求にたいする欠乏感の表現

集団の中で欲求が実現可能になれば,「貧しさ」そのものが積極的な要求に転化する.心のゆたかさは,ゆたかな欲求をもたらす.欲求があるからこそますます欠乏感が生まれる.

B欲求の豊かさが「貧しさ」意識を増す

貧しさは,自分たちの生活をゆたかに向上させたいからこそ,いっそう強く実感される.つまり(現実の)貧しさは(理想の)ゆたかさの反映でもあるのである.

(5)共同行動の中での「まごころ」の形成,人格感情の高まり

@仲間以外の人への視線

「仲間」の形成はまた,同じ貧しさに苦しむ人への無関心と「見て見ぬふり」を捨てさせ,連帯心を形成する.意識が変わると,周りの見方も変わる.亭主の見方がまず変わる.「敵」が「味方」になる.

A隣人愛もしくはまごころ

他人の弱点もみながら,それを自分と同じ悩みから出発しているものと見る見方.心からの同情.排他的で利己的な愛から,「包み込む愛」への変化.「やさしさ」と「隣人愛」,「同志愛」の感情の発生.

 

蛇足ながら,レーニンはこの過程をある本の中で次のように表現している.

                                                                 

               プロレタリアートが集まり,相互に結集することによ

               り,プロレタリアートの欲望水準が増進する.……そ

               れはプロレタリアートの自覚と人格感情を高め,そし

               て資本主義の掠奪的傾向とたたかうことを可能にする.

                                                                 

 

V.三つの考えの比較

 

  自らの立場  貧困に対する考え  貧困者に対する考え

 

  グティエレス   金持ち    恐怖        かわいそう

  渡辺   金持ち    嫌悪        あざけり

  田口   貧乏     ありのままの受容  仲間

 

 

  貧困に対するとりくみ  とりくみの心情

 

現場実践        無私の奉仕

逃避          差別の固定化

団結          隣人愛

 

@結論だけとりだすと,「金魂巻」の思想は田口さんの考えとも一致する.それは,マルキン・マルビであらわされる「相対評価」の考えを無意味なものと考え,「中流意識」を根本から否定している.

Aしかしその貧しさをどう見るかということになると,当然のことながら立場は正反対となる.一方は,ときには同情しながらも貧しさをあざけり笑う.一方はせいぜい泣き笑いの表情を示すことはあっても,根本的にはこういう状況を許せない.

Bそれではこの貧乏にどう立ち向かうかということになると,両者の方針はまったく逆となる.渡辺は自らの心情を冗談でおおい隠している.しかし次の文章を読めば,マルキンがこの貧乏をどうしようかと考えているかは,はっきりする.

B.マルビへの軽べつ

松下幸之助さんはもうなくなりましたが,松下電器を作った大金持ちです.その松下さんが「一日本人としてのわたしの願い」という本のなかで次のようにいっています.

 

                                                                 

 日本は「福祉国家」の水準に達しています.なぜなら貧

  困家庭や生活力を失った家庭は,生活保護があるからコ  

 ジキをしなくてもすむし,栄養失調になることもないか

 らです.

  …生産は富を産み出します.生産が盛んにおこなわれる

  ほど富も多く産み出されます.そしてその富が福祉のた  

 めに分配されるのです.これが福祉国家といわれるもの  

 です.  

  …けれども,そこにはおのずから限界があるとわたしは  

 思うのです.なにもしなくても十分に給付されるという  

 ようになりますと,こんどは,もう働かなくてもいいで  

 はないか,普通に食べていくのであれば,あえて働かな  

 くてもよいではないかということになるかもしれないと  

 思うのです.そこにはやはり福祉というものの限界があ  

 る.  

                                                                 

@「給付」を「給料」におきかえたら

「貧困」を「マルビ」に,「給付」を「給料」におきかえて読んでみましょう.

今の日本では,しっかり働けば食えるようになりしあわせなことである.しかしあまり給料を上げれば,あえて働かなくてもいいことになる.やはり給料というものは上げすぎてもだめなんだ.

ここから松下さんは,「まじめに働かせるには,マルビのままで置かなくてはいけない」という驚くべき結論を引きだすのです.この結論は,世の中の常識とはまったく違います.給料の高いほど怠けものなどということになれば,松下さんこそ日本一のなまけものということになってしまいます.

A福祉の限界線

たしかに,どんなに頑張っても,その国のその時々の財政力で福祉には当然限界が生まれます.それはたとえばGNPの何%などという形で決まるものでしょう.

しかし松下さんの考える福祉の限界は,それとはまったく違います.「これ以上貧乏人に金をやれば,飢えの恐怖がなくなり働かなくなる.そこが福祉の限界線だ」と考えているのです.これは徳川家康が「百姓は生かさず,殺さず」と言ったときの考えと結局おなじです.

B「金魂巻」の考えもおなじ:貧しい人々は金持ちの踏み台

「マルビほどまじめ」という考えは,金魂巻のなかでも何回も出されます.まえがきでも「かつてのマルビは,健気な庶民としてやりくりをつけ,清く正しく生きていた」ともち上げる一方,「現代では見栄のマルビがノーマルに」なってしまったと嘆いて見せます.「カタイ話は抜きにして…」と軽く逃げていますが,これが「金魂巻」氏の本音であることは明らかです.

「ダサイ」とか「ネクラ」とかいうのも,「マジメ」の代名詞として使われることがあります.

つまりマルキン族はマルビ族を自分にとって都合のよい踏み台として期待しているのです.だから「ちかごろマルビ族がマルキン族の真似をしてマルビ族本来のよさを失なってしまった」と嘆いては古きよき昔を懐かしむのです.

 

  健気なマルビ =貧乏な生活+隣人愛

 

  見栄のマルビ=貧乏な生活+相互不信

 

 

W.私たちの対象を見る視点

@私たちの立つ場は,貧しいひとびとと同じ水準にある.

田口さんと同じような「目の高さ」からの「仲間としてのはたらきかけ」が主要なアプローチの方法である.「わたし」をふくめてみんながもっと良い暮らしをしたいという希望と願いを,「わたし」なりに具体的に表現するための行動である.

A技術者としての私たちは,グティエレスのみずからへの「厳しさ」に学ばなくてはならない.

保健活動の対象となるひとびとは,一緒に暮らしていく場面では,「わたし」の「貧乏仲間」である.しかし保健活動の対象として見れば,かれらはまさしく暮らしの不健康を内包する「貧しく,しいたげられたひとびと」であり世の中の不正義の犠牲者である.「わたし」の良心を賭けた,真剣なアプローチが求められる.

Bわたしたちの実践は結局,たたかいぬきには語れない

貧しさをごまかし,言葉で飾りながら本音では軽べつし,貧しさを企業の発展のためのテコとして利用し,金もうけをたくらむマルキン族との「よりよく生きる権利」をかけたたたかいである.

 

マルクスは,貧しさを感じることこそが人間の全面的発達のための根本的なバネとなっているという(経済学・哲学手稿より).

 

 

  いまのお金がすべての世の中では,一方にゆたかさが集中

  し,他方に悲惨な生活が集中する.しかし将来の世界では

  それがゆたかな人間と,「ゆたかな人間」への要求とにと

  ってかわる.将来の人間は,ゆたかな人間として自分を成

  長させることが自分自身の内的必然性となる.ここでいう

  「ゆたかな人間」となるためには,生活のあらゆる面で人

  間的なあり方をとることが不可欠である.ゆたかな人間は,

  その生活上の要求もゆたかなのである.つまり,ゆたかな

  要求を自分自身のなかに内包することができる人間こそが

  「ゆたかな人間」なのである.

  いまの社会の富だけでなく,人間の貧乏も,人間らしさへ

  の要求を内包しているという意味においては,おなじよう

  に将来の社会の前提となっている.つまり人間の貧乏と欠

  乏感は,将来の社会へ移っていくために必要なバネとして,

  人間的な意味においても,したがって社会的な意味におい

  ても意義を持っているわけである.

  この貧乏と欠乏感は,現実の人間にとっては,あたかも自

  然や社会のオキテとして定められた宿命のように感じられ

  る.このように他者によって自分がしばりつけられるのを,

  ゆたかな人間になりたいというわたしの本質的要求が我慢

  できるはずはない.わたしの本質的要求は,これらの支配

  者に対して激しくぶつかっていく.それは「情熱」として

  表現される.私の現実の生活はたたかいの生活となる.

 

第四講 不幸とは何か ,その1

 :暮らしの質をかんがえる

 

T.貧しさと不幸との関係

@貧しさは隠されたり修飾されたりしている.自覚さえされていない場合がある.

A貧しさが表面化する場合,不幸というかたちをとる.不幸の背景には貧しさがあることが多い.

B「不幸」はなんらかの援助(なぐさめ,相談,援助)を求めている.私達も不幸をきっかけにケースへのアプローチを開始する場合がおおい.

U.貧しさよりももっと分かりにくい,幸せ・不幸せ

「幸せ」への手探り:歌の文句でも「幸せなら手をたたこう」「今は幸せかい?」など,幸せに自信がもてない気持ちが表現されていることが多い.

自分の感情としての幸せ・不幸せ

他人からみた,あるいは一般的にかんがえられる幸せ・不幸せの条件

 

   他人からみて幸せそう 他人からみて不幸せそう

 

 自分は幸せだと思う     幸せ           @          

                   

 自分は不幸だと思う     A           不幸せ        

 

 

@,Aの場合はどうだろうか?

@自分は幸せとかんがえているが,客観的にみてやはり不幸せそうでかわいそうな場合

A自分は不幸だと思っているが,他人からは幸せそうにしか見えない場合.これには二つの小場面がある.

a.よく事情を聞いてみると,外面からは分からなかった不幸せな状況がある.

b.よくきいてみても,了解可能な不幸の条件がない.

aは,結局右下の欄に移行する.bはビョーキの世界.

 

V.不幸であると感ずること……不幸の類型

見田宗介というひとが63年に発表した少し古い論文ですが,「不幸」ということの中身を驚異的な分析力で解き明かした名著があります.「現代における不幸の諸形態と,その社会的基盤の分析」という論文です.以下,論文の内容を紹介します.

(1)身の上相談に見る不幸

悩みの内容

                                                             

           男女関係  家族関係  労働関係  子育て問題  病気の問題

           31  22  19   19   9  

                                                                 

                      単位:パーセント

悩みの形態は次のようにまとめられる

@人とのあらそい,対人関係のトラブル

A生活の困窮,生活崩壊の不安

B病気の辛さ,病気によるハンディ

 昔は一般紙の家庭欄にはかならず身の上相談のかこみ記事がありました.有名人や,身の上問題「専門家」のような人が,読者の悩みに対して毒にもくすりにもならない回答をするのです.そんな記事を読者が「愛読」するのは,回答よりも質問の方に共感できるところがたくさんあったからでしょう.上の表は,見田先生が1962年の読売新聞の掲載事例をまとめ,訴えの種類ごとに分類したものです.

 ここでは載せませんでしたが,訴え主の圧倒的多数を占めるのは主婦でした.内容も夫の浮気,夫の酒乱,賭け事,怠惰や,姑との関係など主婦が一方的に被害者となっている事例が多くを占めています.

それから30年を経て,男女間の力関係は大きく変化しています.それが,身の上相談が読まれなくなり紙面から消えていった理由かもしれません.

 いずれにしても,上にあげた五つが,現代人の不幸の源泉である状況はいまも同じでしょう.

 これから「身の上相談」の具体的な事例について検討します.皆さんも回答者になったつもりで相談にのってみてください.なお分析は,見田氏のものを一部改変してあります.

 

(2)典型的事例についての分析

@欠乏と不安の事例

                                                                 

       新潟にすむ妹一家のことでご相談いたします.妹には中学2年,

       小学6年と,今年新入学の3人の子がいるのに,先日夫が36

       才の若さで急死.妹の夫はある問屋の運転手でしたが,退職金

       もなく香典2万円もらっただけでした.妹はいままでも人夫な

       どをして貧しい暮らしをやりくりしてきたのに,これからさき

       どうしたらよいのかと手紙で泣いてきます.いなかのこととて

       葬儀などやかましく,力にもならぬ親類がたくさん集まって,

       一生の別れだといって酒ばかり飲んでいるそうです.生活保護

       の申請はしたそうですが,テレビの月賦が2万円も残っており,

       子供のことを思うとすぐ売る気にもなれず,それに新入学の子

       が新しいランドセルや洋服など楽しみにしていたのを思い切ら

       せるのがつらいといいます.このような母子家庭に,子供が働

       けるようになるまでお金を貸してくれる機関はないものか,と

       つくづく思います.離れて住む妹のためによいおチエを貸して

       ください.(秋田・一主婦)  

                                                                 

A)不幸の内容

a.夫の死:夫をわずか39才の若さで失ったこと.

b.過大な責任:その結果母一人の肩に3人の子供の養育責任がかかってしまったこと.

c.無収入:収入の道なく,出費多く,蓄えなく「生活していけない」こと

B)不幸の基盤

d.低補償:収入が少ない理由は,夫の死にたいし退職金なくわずかな香典のみしか払われなかったこと,妻にもよい働き口がないことである.

e.高生活費:支出が大きい理由は,せめて子供に新しい洋服やランドセルをという消費要求(広義の教育費),テレビなどいまはぜい沢とはいえない出費(広義の文化費),「親類づきあい」など地縁・血縁社会のなかで強いられた出費(広義の交際費)などである.

f.低賃金:蓄えない理由は,もともと夫が田畑などの財産をもたない低賃金の労働者であるから.

C)不幸の背景

g.中小企業の劣悪な労働条件:夫に急死させるほどの苛酷な労働を強い,それに対し死んだあとたちまち家族が路頭に迷うほどの低賃金しか支払わず,死んでも退職金なしでほおかむりする冷酷さ.

i.母子家庭への社会的差別:後家の中年女性に特技,ライセンスなければ働き口なし.

k.社会的消費水準との乖離:衣食住など絶対必要なものでなくても,世間一般の水準から引き下ろされると苦痛も増大する.

l.伝統社会としての田舎の風習の強制.「人並に」という社会的圧力.「親類づきあい」をおこたれば「村八分」に

D)時代的背景としての日本資本主義の矛盾

m.大企業中心社会:その支配の下での,中小企業の貧困.その労働者へのしわよせ.労働者の無権利状態.

n.社会的過剰人口:年配者,女性などハンディを持った労働者に対する雇用市場が狭いこと

o.政府の政策が大企業優位にきめられ,社会保障など国民本意に使われていないこと

 

  cf.家計の構造 

                                     

             

          労働……→  社会保障      

                           

                                      

          収入……→ たくわえ   → 支出    

 

 

    収入の源

     補償(労災,年金,失業保険,傷病手当など)

     生命保険

貯金の取り崩し

家,土地,田畑など不動産の売却     

あらたな労働(子どものアルバイトなど)

実家などの援助

社会福祉(生活保護,児童福祉,母子福祉など)

 

A孤独と反目の事例                                                          

 39才の妻.中学生の長女をかしらに3人の子がいます.14    

 年前,兄まかせの見合い結婚をしたのですが,結婚後半年もた

 たないうちに夫はバクチをはじめ,わたしの着物も全部売り,

 近所中借金だらけとなりました.別れたいと思いましたが,実

   家に帰って兄嫁と暮らすのがいやさにぐずぐずしているうち,

 子供ができてしまったのです.勤めには月のうち半分もいかず  

 かやからゆかたまで質に入れて酒を飲んではバクチにふけるの

 です.親にもらった家を処分して,東京の姉の家をたよりに上

 京しましたが,家の代金も半分はバクチに持っていかれてしま

 いました.東京に来てからは競輪にこり始め,わたしが病院で

 次女を出産して家に帰ると,タンスも内職用のミシンも全部な

 くなっていました.裁ち板,ハサミまでお金にかえて遊びにい

 ってしまうのです.働いてくれとたのむと,うるさいとなぐら

 れるので,いまはわたしと子供が働いてどうやら暮らしていま

 す.子供はわたしが引き取って別れたいと思いますが…….

 (東京・一主婦)

     

A)不幸の内容:二つの「不幸」の複合体

a.憎しみと不幸:夫がバクチにふけり,家庭生活を崩壊させてしまったことへの怒りと不信感

b.情けなさと不幸:そんな男と結婚してしまったこと.「崩壊した結婚生活」が不本意なまま継続していること.毎日離婚を考えながらそこまで踏み切れない無力さと情けなさ.

B)不幸の基盤:主体性の欠如

c.主体的愛情の欠如:夫婦間の愛情の不在,兄任せで結婚相手を決めた主体性のなさ.社会的に見れば,愛情を結婚の前提としない考え.「いっしょに暮らして行くうちに情がうつる」

d.主体的責任の欠如:夫まかせの幸福の期待,不幸になればそれもすべて夫のせいにして合理化する弱さ.社会的に見れば,主体性を育てない社会制度・育児教育・価値観,女は従うものという考え

C)不幸の背景

e.封建的な「家」の考え:兄嫁とうまく行かず,家にも戻りづらい.「家は長男のもの」.離婚しても行く所がない.

f.女性差別:もし離婚すれば最初の事例とおなじ状況となる.母子家庭への社会的な保障の不備.女性労働者の労働市場の狭さ,生活基盤の脆弱さ.

g.(夫の問題として)生来のバクチ好きに競輪などの誘因.

 

B虚脱と倦怠の事例

                                                               

       35才の主婦.中学1年と5つの男児がいます.結婚15年に

       なりますが,夫は模範的な人で何ひとつ欠点はなく,月給もき

       ちんと持って帰り,口数少なく近所づきあいもよく,ほんとう

       によくできた人です.しかしわたしがしみじみ幸福だと感じた

       のは15年のあいだにただ一度だけ.それは長男が生まれたと

       き,勤めから帰った夫がわたしの床のそばにきて,その日ので

       きごとを十分ほど何かと話してくれたときです.それほど夫は

       用事以外の口はめったにきかない人で,夕方帰ればわたしの好

       き嫌いにかまわず,自分の好きなテレビを見てひとりで楽しん

       でいます.いつまでたっても何のおもしろみもなく,無味乾燥

       な生活で,わたしは心のなかに大きな穴のあいているようなも

       のたりなさを感じ続けていました.こんなひととでも夫婦にな

       った以上,我慢して暮らさなければならないのでしょうか.貧

       しくても語り合って,笑って暮らせたらどんなに幸せかと思う

       のは,わたしのわがままでしょうか.(岩手・一主婦)  

                                                                 

A)不幸の内容

a.直接的には「夫の無口への不満」

b.もう少し広くとらえれば,生活に対する新鮮な興味の喪失.「自分の生活には意味がないのでは」という倦怠感と空虚感.根本的には生活を作り上げる主体性の欠如.ビョーキに近い世界.

 

                           関与

     主  生きがいに関する主体性    影響  文化システム

     体            

     性                           決断

     の  人生における主体性     責任  社会システム

     構

     造                           労働

 日常生活における主体性    収入  経済システム

 

 

B)不幸の基盤

c.生活のマンネリ化.生活の一定の安定,未来はもう決まっている,毎日の行動様式も決まり切っている.

d.主婦としての生活圏の閉塞性.家庭への関心閉塞,そこから来る孤独感と情緒枯渇.

e.妻の「家庭の幸福」への欲求昂進.テレビなどでの「家庭の幸福」像の展開,古い濃密な家族生活への郷愁などが増幅.

C)不幸の背景

f.夫の自発性の消失.職場でのさまざまな要因がそれをもたらした?

g.家族内における主婦の歴史的地位.家庭のなかに閉じこもり,夫を唯一の相談相手として行くことを強いる伝統.

 

 cf.高石ともや「主婦のブルース」  

  おお,人生は悩みよ,楽しくはないわ

  恋なんかしないうちに老けちゃった  

  これが人生というものかしら        

  ほんとうに私は生きたのかしら      

 

W.まとめ:不幸の要因=「なぜ?」の連関

A)自覚的に「不幸な感じ」をもたらす四つの病的精神状況

@欲求不満:客観的には必要に対する欠乏もしくは欲望の肥大.主観的には,物質的な「ゆたかさ」への関心閉塞によってもたらされる

A不信感:客観的には他者からの排除・差別,もしくは他者ないし「社会」への不信・嫌悪感.主観的には自己および身辺への関心閉塞

B無力感:自己の人生の「運命」にたいするあきらめ

C虚無感:生活に対する新鮮な興味と積極性の喪失

 

 

   客観的不幸(必要>>充足) 主観的不幸(欲求>>充足)

 

 欲求不満    物質的欠乏        物質的欲望の病的肥大  

 疎外感    孤独(愛情の欠乏)    反目,不信感

 無力感    不安,恐怖感       焦燥感,怒りの感情

 虚無感    失望,目標喪失      挫折感,退廃

 

 

不幸の引き金となる喪失体験

精神病理としての「不幸」は感覚的表象であり,それ単独では社会的アプローチの対象とはならず精神医学の対象となるだけである.引き金因子との統一において視野に入るとき,それは他者の同情と共感をよぶ.したがって引き金因子となる喪失体験,精神外傷体験を分析することが「不幸」の全体像をとらえる上で重要である.

@物質の喪失:破産,失業,天災,事故,詐欺,泥棒,その他

A愛情の喪失:離別,隔離,不和,訴訟,三角関係,

B安定の喪失:病気,借金,

C目標の喪失:

B)不幸の基盤となる生活状況:三つの疎外

@労働の疎外

 長時間・過重労働など仕事のみじめさ,労働における主体性の喪失.いっぽうにおいて低賃金.ケガや病気,失業の恐怖.

A社会の疎外

 諸個人の利害の分化・対立.しょせん自分の周りはすべて他人か競争相手,金以外に頼れるものはなし

B主体の疎外

 生活・行動様式の規格化,いきいきと関われる生活圏がせまい.主体的に創造すべき未来の不在.

C)基盤となる社会構造

@不平等と不公正

 下層階級が一生懸命稼げば稼ぐほど,上層階級は繁栄し,貧富の差はますますひろがる.

Aモノ社会,大量消費社会の拡大

 諸機構の拡大,とくに世論形成・操作機構(マスコミ)の影響の増大.

B管理社会

社会があたかもひとつの人格のようにふるまい,自分に対してよそよそしく立ちはだかる.人間は社会機構によってますます全面的に管理され,個人は機構の部分品となる.人間同士の横の連帯はますます制限されるようになる.

C停滞社会

 前近代的社会慣習が温存され,社会構造が停滞.貧富の差が身分化される.貧困のワナ,貧乏人の子供は貧乏人.

D抑圧社会

これらの社会矛盾を打破しようとするものは異端者扱いされ,権力により抑圧されたり差別,隔離される.

 

 

第五講 不幸とは何か,その2

 :「マッチ売りの少女」の分析

T.もっとも分かりやすい不幸の事例

A.場面設定の「不幸せ」

@クリスマスというのに,家族といっしょに団欒することもできない(ひとりぼっち).

Aこごえる寒さのなかに立ち続けなければならない.

B手袋,靴下もなく,寒さに対し防ぐすべを持たないこと.唯一の手段としてマッチがあるが,それは使ってはいけない.

C売れそうもないし,売れたとしてもほとんど儲けになりそうもない商品.したがって,苦労の割に見返りが少ない,みじめな労働.

D売れるまでは帰ることはできない.果てしなくいまの苦しみを受け続けなければならないかもしれないという絶望的な見通し.

B.他の人たちとの対比でより鮮明となる「不幸せ」

@街にはこんなにおおぜいの人たちがいるというのに,その人込みのなかで自分だけは孤独である.群衆の中の孤独

Aクリスマスで他のみんなは幸せであるのに,自分だけは不幸せである.他の人たちにはそれぞれ「モノ」があるのに,自分だけは何も持っていない.豊かさの中の貧しさ

C.本人が感ずる精神的・肉体的・道義的苦痛により,さらに深刻となる「不幸せ」

@寒さ,空腹,倦怠,いたみ,からだのマヒ,虚脱にいたる肉体的苦痛の経過.

A迫り来る死への恐怖.それに対してどうにもできない無力感.ひとりぼっちで死んでいく孤独感.

B売物のマッチを使ってしまった.生きていく上で必要なルールを破ってしまった.もう生活していけないという絶望感.破滅の道を選んでしまった後悔と,それでも次のマッチにまた手をつけていく自己破滅.

C生きていく意欲の消失.肉体的死の前に,心の崩壊が.

D.死んだあとさらに増す「不幸せ」

@幻覚の中にも,母も兄弟も出て来ず,もう死んでしまっている祖母しか現われない.徹底した疎外状況.

A家族・知人が誰もむかえに来なかった.彼女を野たれ死にさせた家庭環境の冷たさ.

B「街」が彼女を見殺しにしたこと.彼女に死を強制した社会の仕組みの冷たさ.

C市民はどう反応したのだろうか?「かわいそうね」だけですましたのだろうか? 市民の一人だったかもしれない私達に突きつけられる冷たさ.

E.読み終ったあとから分かって来る「不幸せ」:「それにしても…」

@彼女は状況に対して怒りも持たず,自分が不幸せだったという感情すらも自覚できなかった.

A一番不幸せなのは,彼女がその状況を打破する,あるいはそこから脱出する方法を知らなかったこと.

 

U.マッチ売りの少女をどう見るか,マッチ売りの少女はなぜかわいそうなのか?……レポートを読む

わたしの講義に対する感想を,学生にレポート提出してもらいました.実におもしろい感想が返ってきましたのでご紹介したいと思います.

A.どこがかわいそうなのか?

 この点については,私の考えと大きな違いはありませんでした.なかには,私の文章をまるうつしした人もいました.これはルール違反です.

 多くの人は彼女の孤独さにもっとも強く感情を動かされていました.細川さんの文章がもっとも的確に本質をついた表現をしています.「寒さや飢えを我慢するのと,ひとりぼっちの淋しさと,どちらが少女にとって辛かったろう?」

 私もそう思います.寒さや飢えには耐えられても,淋しさには耐えられないでしょう.

 さらに橋本さんは重要な示唆をしています.

「孤独でなければ,彼女はしあわせだったかもしれない」

たとえ寒さにふるえ,ひもじさに耐えても,仲間がいれば「しあわせ」でありうる,これは重大なポイントでしょう.かわいそうであることと,不幸であることは違う.その微妙なところを解き明かすキーワードかも知れません.彼女はまぼろしのなかで「しあわせ」になりましたが,それは暖かい暖炉のためでもなくおいしい食べ物のためでもなく,おばあちゃんと一緒にいることで孤独でなくなったためでしょう.

B.死をどうみるか?

 私はうっかり気がつきませんでしたが,かなり多くの人たちが「まだこれからいろいろな楽しみや大恋愛を味わえる年なのにかわいそう」といった受けとめかたをしています.

 木下さんは「未来をうしなったかわいそうさ」とぴったり表現しています.どんなに辛くてももう少し頑張っていたら,よいこともたくさんあったろうに.こういう見方ができなかった私は,やはり年をとったのだとあらためて思いました.

 死を,ただかわいそうなものとしてはみていない人もいます.そこには怒りと告発の姿勢があります.

 黒田さんは「少女には名がなかった」と表現しています.映画の題名になりそうな鋭い感覚です.品川さんはずばりいいます.「少女は見せ物のように死んだ」これは詩の世界です.

 宗万さんは,もう私の考えをはるかに越えすばらしい結論をみちびいています.

 「死後も,少女のことを本当にかなしむひとは誰もいず,他人事のようにみているだけです.少女の死をかなしむひとが誰もいないということは,少女はこの世に存在してもしなくてもいいような石ころのような存在だったのではないか.この少女はいったい誰のために,なんのために生きたのか?」

 同時に,周囲に対する眼のあたたかさを感じさせる文章もありました.鈴木さんは「大人だって自分のことで精一杯だったのではないか?」と述べています.もはやアンデルセンを越えた視点のひろがりを感じます.

C.彼女はしあわせだったか?

 レポートを見てびっくりしました.相当数のひとが彼女はしあわせだったと見ています.しあわせだと彼女が思って死んだから,しあわせだったということでしょうか?

 しかし読返してみると,けっしてそういう突き放したような冷たい感情ではないことがわかりました.多くのひとが彼女に感情移入しているのです.多くのひとが,彼女とともに傷つき,そして救われ,やすらかな死を迎える体験をともにしているのです.

 それをわからなかったので,いったいどうなっているんだろうと考えこんでしまいました.「いいじゃないの,しあわせならば」という歌がむかしありましたが,こんなにかわいそうな少女を,歌の文句のようにやり過ごしてしまう気楽さなら困るなと思っていたのです.

 古谷さんはこういいます.「少女はけっして不幸だったとは思いません.先生にそう解釈されるのが,少女には一番不幸だと思います」

 実はこの言葉がわからなくて2時間も考えこんでしまったのです.もちろん私のように少女を不幸と考えた人もおおぜいいます.つまり古谷さんは,マッチ売りの少女を不幸だと考える人たちを,「いいじゃないのしあわせならば」と考える人たち以上に鋭く告発しているのです.これはみずからマッチ売りの少女になり切った時はじめて発せられる言葉です.ものすごい感受性です.私に入りこむ余地はなさそうです.

 たしかに少女のような体験というのはあるようで,キリスト教では至福といいます.いっさいの論理を超越した至上の幸福です.

D.まぼろしの幸福

 いっぽう,多くの人はやはり少女をかわいそうでふしあわせとみています.前回の講義でも述べたようにかわいそうなことと,本人がふしあわせと思っているかは違うことなのですが,現実にはやはり混同してしまいます.

 そこをはっきりと指摘しているのが二川原さんです.「ごちそうも,おばあさんもすべてまぼろしであって,現実には起こっていないのである」あたりまえのことですが,的確な指摘です.

 さらに吉沢さんは「しあわせ」の本質をすばらしい表現で切裂いています.「まだおさない少女にとってのしあわせが,死でしかなかったことは,ほんとうにかわいそう」まさにそのとおりだと思います.

E.問題設定の不自然さ

 いま考えてみると,この問題設定は無理がありました.それは二重のフィクションを前提にしています.まず,アンデルセンの時代にはありふれた事件のひとつだった一人の少女の死を,悲しくも美しい物語に仕立上げたアンデルセンのフィクション,そしてこれを,あたかも現実の事件のように取扱おうとした私のフィクションです.

 とくにおさないときにこの話を聞いて感動し,ひとつの強固なイメージを作り上げている人には,結果的に相当意地悪な質問となってしまいました.

 イメージのなかで理想化された少女を,ありふれた薄汚い少女に現実化してしまうプロセスは,いささか残酷だったようです.

 黒田さんはこういっています.「この不幸を自分にあてはめて,主人公になりきり,自分がかわいそうで泣いたこともあった.こういう心境を経験したのは私だけではないと思う」

 宮田さんも「このように少女を分析したくなかった.童話のイメージを傷つけられる」と述べています.男の私にはわからない世界なのかも知れません.

 それにしても「患者の立場にたつ」ということはとても難しいことなのだなと,あらためて実感しました.勉強になりました.

V.「マッチ売りの少女」に表われた不幸の条件

A.労働に関する不幸

長時間労働,夜間労働,不規則労働,児童労働,強制労働,労働者の権利無視,劣悪な作業環境,労働衛生の無視,低賃金,出来高払い賃金,労働内容の愚劣さ,などの複合体としての「マッチ売り」労働.

そうしなければ食べていけない,それに対して抗議もできない零細な家内経営.

B.孤独であることによる不幸

無人島での孤独ではなく,@都会の雑踏のなかでの孤独.A社会の仕組みがもたらした孤独,B差別と一体となった孤独である.これを「疎外」という.

C.苦痛(肉体的,内面的)がもたらす不幸

飢えと寒さ,病気,精神的ストレスと苦悩,アパシー,幻覚,死.

苦痛は不幸と感ずるための条件ではあるが,不幸そのものではない.

スポーツなどで,勝利の美酒をあじわうためのはげしい訓練は,苦痛をともなうが不幸をもたらすわけではない.

逆に不幸と感ずる人が,まわりから「かわいそう」と同情されるためには,本人の味わっている苦痛がまわりから了解される必要がある.

不幸と感じる人がいた場合,その主な原因となっている内面的苦痛が何なのかを知ることにより,客観的に見てかわいそうかどうかを判断するための手がかりとなる.

D.社会的環境にかかわる不幸

家族ぐるみの低賃金,家庭としてのきずなの喪失.

社会保障制度,教育保障制度の欠如.

労働立法,児童保護法の欠如.

市民の隣人愛的結びつきの欠如.

E.社会的認識,実践にかかわる不幸

無知であること.悲惨な状況から抜け出すため試みるべき方法を持たない.

人とのまじわりを持てない.労働組合など社会的に組織されていないこと.

悲しみはあっても怒りを持たない.あきらめはあっても希望は持てない.声をあげて泣くことすらできない.自然の感情が無意識に抑制されていること

 

W.貧困=不幸複合体

 身の上相談の分析,「マッチ売りの少女」の分析を通じて貧困=不幸複合体の構造が見えてきた.そしてこれに対して如何に働きかけるかも見えてきた.それは第一章で述べた「医療=保健活動」の構造と照応する.

 

 貧困  不幸  疾病

 

  不幸へのアプローチ

  =カウンセリング

  @孤独への働きかけ

  A慰さめと同情

  B援助受入れの姿勢作り

 

  福祉的援助                     医学的援助

       =ケースワーク                   =診療

 

  社会背景へのアプローチ            社会背景へのアプローチ

  =ソーシャルワーク              =社会医学,保健活動

第六講貧困層と生活崩壊のあり方その1

最貧困層(生保所帯,ボーダーライン層)

 

 

各論を始めるにあたって

ケースを不幸=貧困複合体としてとらえる

@時系列分析:それぞれのケースについてどこが不幸なのかを分析する

A要因分析:どのような貧困が背景にあるのかを考える

Bパターン分類:どのような不幸なのかを定義分類する

C対処法:どうしてあげると不幸でなくなるかを考える

 

T.時系列分析

@医療における問診にあたるもの

A不幸のそもそもの由来,きっかけと経過を時間の順を追って記載

B経歴のうえで決定的なポイント

a,家族:家族の歴史,家族の社会的地位,家庭内の地位

b,学歴

c,職業:職歴,職場内での地位,収入

d,健康状態

e,対人関係:家族構成,親類・友人関係,貸借関係

f,資産:不動産,貯蓄,家族内労働力,年金資格

U.要因分析

A)不幸の症状     B)不幸の構造     C)不幸の背景

 

  身体的苦痛  不健康    医療問題

  孤独感   孤立    家族問題

  恐怖・不安  喪失・剥奪    労働問題

  精神的苦痛  欠乏    福祉問題

  劣等感   差別    差別問題

  不信感   人間関係のこじれ   法律問題

  無力感  無展望    教育問題

                                 など

 

V.対処法

A)をB)に,B)をC)に結びつける作業がもとめられている

A)に対してはカウンセリングの技術,B)に対してはケースワーク,C)に対してはソーシャルワーク

*不幸は社会的事象として起きることもあり社会病理現象と呼ばれる

自殺,犯罪,非行,薬物中毒,離婚,いじめ,精神・神経症,売買春,過労死,新興宗教

*不幸の社会的背景は一括して社会問題といわれる

@労働問題

低賃金,労働強化,危険な労働,劣悪な作業環境,職場民主主義の不在,倒産・首切り・失業,

A社会保障制度の不備

劣悪な医療保険,年金制度の貧困,老人いじめの医療制度,生保打ち切り攻撃,労災打ち切り攻撃,

B社会的差別

女性差別,障害者差別,部落問題,少数民族問題,外国人労働者

C地域格差

過密・過疎,住宅問題,長時間通勤,出稼ぎ,減反・減船・閉山

D環境破壊

大気汚染,水質汚濁,食品公害,騒音・振動公害,リゾート開発,森林破壊と砂漠化

 

事例

中病で経験したケース

 

  昭和34年,秋田から札幌に移住した米森新一さん(48才)

  は,58年暮れ屋根の雪下ろしをしていて転落し,腰を打って

  働くことが困難になり,蓄えも尽きたので,59年4月に生活

  保護を申請しましたが受理されず,その後も申請を続け,9月

  にやっと受理されました.

  しかしその返答は「電話やテレビを売って旅費を作り,秋田の

  兄のもとに帰れ」というもの.結局申請を辞退せざるをえない

  状態に追い込まれました.米森さんが秋田の兄さんに窮状を訴

  えたところ,わずかな米と味噌が送られ,それに「家は息子の

  代になっているので,お前の帰るところはない.福祉にお願い

  して生活できるようにしなさい」という内容の手紙が添えられ

  ていました.弟の要望に応えられない肉親の嘆きが,セツセツ

  と伝わる手紙です.

  福祉事務所のケースワーカーはこの手紙を読んでも「秋田へ帰

  れ」といって頑張り,頑として保護申請を受け付けません.

  今年1月,米森さんの甥がたずねていくと,栄養失調などで重

  病の米森さんが寒々とした姿で寝ていました.勤医協中央病院

  に運び込まれた米森さんに,「退院したら秋田へ帰る」ことを

  条件にした保護申請が受理されたのはその時です.

  「札幌市民としてきちんと税金も払っていたのに,働けなくな

  れば秋田へ帰れとは,余りに無情だ.甥に発見されなければ死

  んでいるところだ」と(私たち職員は)抗議しました.

 

 

貧しい秋田の農家の生まれ……欠乏

次男,三男は余計もの……差別……劣等感

故郷に働き口なし……欠乏……精神的苦痛

24才で札幌での一人暮らし開始……孤立……孤独感

結婚生活送れず,48才で単身……孤立……孤独感

屋根から落ちて負傷,長期化……不健康……身体的苦痛

傷病手当や生命保険なし……欠乏……精神的苦痛

わずか数ケ月で,24年間の蓄えすべて喪失……剥奪……不安

生保の申請と拒否……欠乏……精神的苦痛

故郷への嫌がらせと屈辱感の増幅……人間関係のこじれ……不信感

生きる意欲の消失……無展望……無力感

 

自殺を招いた福祉のいじめ

  これは昨年の例ですが,首切り合理化で職を失ったAさん(5

  5才)は,仕事を探しましたが職はなく,さまざまな事情で一

  時妻が精神病院に入院しました.この時から妻には生活保護が

  適用されましたが,Aさんの保護申請は認められず,「仕事を

  見つけろ」といわれるだけ.

   何度も福祉事務所を訪れ,6ヶ月後にやっと「仕事を見つけ

  ること」を条件に受給がきまりました.しかし就労指導は厳し

  く,Aさんは「日雇いでも何でもするから…」と毎日のように

  職業安定所に通っていました.そうした努力を知っているにも

  かかわらず,通常月1回の求職活動報告を月3回に義務化し,

  さらに就職訪問先から「来所証明書」をもらって来いというの

  です.就職訪問先もないのにこの指示はまったくの無理難題で

  す.

   さらに保護打ち切りの「おどかし」があり,Aさんは心身と

  もに疲れきり,「もう福祉事務所には行きたくない」ともらし

  はじめ,その冬にベランダで首吊り自殺をしました.

 

夫婦のみ家庭,低賃金・不安定労働……欠乏

首切り,合理化……剥奪

高齢失業者の発生……欠乏

乏しい退職金,年金なし……欠乏

再就職せざるをえないが,就職口なし……欠乏

妻が精神病となる……不健康

他に身寄りなし,家庭の崩壊……孤立

生保受給……欠乏

就労指導といういじめ,徐々に強化……差別

打ち切りのおどし……差別

生きる意欲の消失……無展望

 

 

B.病気・ケガと迫りくる死の恐怖

 

  入院患者の野村光枝さん(当時57才)に出会ったのは,準夜

  勤の看護婦について病室を回っていた時だった.

   個室の野村さんは小さくやせて,こめかみも頬も落ち込んで

  いる.

  「ガンではないか.それも末期の…」

   とっさにそう感じさせるやせかたである.

   私が「赤旗」の記者だというと,思いがけず野村さんが問い

  かけてきた.

  「傷病手当があと3,4ヶ月で切れるんじゃないかと思うんで

  す.それしか収入がないんです.退院してもすぐには働けない

  し,生活保護を受けることは出来るんでしょうか」

   ささやくような声である.

  「いままでのよう(に健保本人が無料)なら安心して入院でき

  たんですけどねえ.今月から,点滴してもらうにも,アー,い

  くらかかるのかなあと,つい考えてしまうんですよ」

   光枝さんは健保本人.夫に先立たれ,印刷会社に勤めて15

  年になる.娘二人を女手ひとつで育て上げた.その娘たちもそ

  れぞれに家庭を持ち,幼い子供がいる.おんぶは出来ない…ぽ

  つりぽつり,歯の隙間から押しだすように話す.

   40才を過ぎて勤めはじめた女の給料なんて,いくらでもあ

  るまい.扶養家族がいないときの傷病手当は,入院すれば給料

  の4割しかない.税金や各種保険料を差し引かれて,家賃を払

  って,その上医療費も払うとなったら…….

  病みつかれて,気弱くなった胸のうちで,どんなに不安がいっ

  たり来たりしていたことか.

  「いままでがんばって来たんですけどねえ」

   かなしげな眼が胸にこたえる.

   翌日,ケースワーカーの古谷美幸さん(26才)と病室をた

  ずねた.

   体力が衰えて耳も遠くなっている光枝さんは,古谷さんのく

  ちもとを食い入るようにみつめて聞く.

  「傷病手当は,来年の4月までは大丈夫よ.そのあとは生活保

  護を受けられるから,心配しないで.いつでも相談ののります

  からね」

   ホォッと,安心したように眼を閉じて,光枝さんは,胸元の

  タオルを眼にあてた.

   容態が悪化したのはその晩からである.

  ……

  「母はお金のことばかり心配して…」

   姉娘の千枝子さん(33才)はそういって声を詰まらせた.

  8ヶ月の身重の身で,1時間半以上かけて千葉から見まいに来

  ている.

   光枝さんはやはり子宮ガンだった.昨年9月,大学病院に入

  院したが,すでに手後れで手術も出来なかったそうだ.この1

  0月に自宅で吐血し,救急車で小豆沢病院に入院した.胃にも

  転移していたのだ.

  「大学病院で,どうしてこんなになるまでほおっておいたんだ  

  五十代の体じゃない,っていわれました」と千枝子さん.

   あと1年で定年だから,と頑張り続けた母.

  「我慢しすぎたんですよねえ….仕事も残業残業で.印刷物を

  しばったり運んだりの力仕事で,もっと要領よくやらないと体

  をこわすよって,よくいったんですけど.でも残業しないと食

  べて行けなかったんですよね」

   せめて職場で,ガン健診など受けられていたら,という.

  「お金のことは心配するなっていったってだめなんです.律儀

  に生きてきた人だから.苦しむのは弱いものばかりですね」

   妹の節子さん(31才)もそういって涙ぐんだ.

  ……

  11月27日.野村光枝さんがなくなった.58才の誕生日を

  迎えて2日目だった.

   朝早く容態が急変.知らせを受けて千枝子さんがかけつける

  のを,待ちかねたようにして息をひきとった.

   千枝子さんは1月に二人目の子が生まれる予定だ.

  「男でも女でもいいから,元気な子を産んでちょうだい」

  光枝さんはそう言っていた.

   子供のものは,みんな手作りで用意してくれる母だった.服

  も,遠足のお弁当も.ベッドの枕元には,起きられるようにな

  ったら作りたいと,何冊もの料理の本があった.

   つつましく精一杯に生きてきた母.定年まであと1年,とい

  う時に病に倒れた.たださえ不安で心細い胸に,「1割負担」

  はどんなに重たかったろう.

   これからさらに,保険でみてもらえない治療が増えてしまっ

  たら….

  「医療がこんなに大変になっていたなんて」

   千枝子さんの驚きは深い.

  「わたしもなにかしなくてはて」

   母の苦しみを繰り返さないためにも.

  そして生まれてくる子のためにも……千枝子さんはそっと,大

  きなおなかに手を当てた.

 

 

@夫の死

40才の高齢→就職難

母子家庭→高い生活コスト

手に職を持たず→婦人労働者に対する差別

A印刷会社への就職

苛酷な労働→残業に次ぐ残業

劣悪な社会保障→健診も受けられない

家庭を支える責任→家事労働の重圧

Bガン発症

体力の衰え→「50才の体でなく」なってしまった

蓄えのなさ→失業即生保への転落

頼るべき身寄りなし→自分だけで医療費の心配もしなければならない

 

C.老いと喪失体験の連続

「喪失」体験をまとめると以下のようになる.

@職業の喪失(定年)

1 一定の安定した現金収入の喪失(安い年金)

2 生産的労働を通じての社会との接触の喪失(無為な生活)

3 労働を通じて獲得してきた社会的地位の喪失(ただの人)

4 労働を通じて確認してきた社会的役割,使命感の喪失(社会的に不要な人)

A家庭内の地位の喪失

1 一家の柱としての地位,役割,責任の喪失,あるいは子供への実権の移動.その妻としての権威(家政権)の喪失

2 子供たちの離散,夫婦以外の家族の喪失

B夫(あるいは妻)の死

1 家族としての最後の構成単位の崩壊

2 健康,体力,気力の喪失.残るのは思い出だけ

3 金銭上,家事などでの自律性の剥奪.あるいは子供たちへの従属

 

以下に挙げる事例は,老齢化と貧困が相乗された場合.貧困がどのように老化過程を苛酷にしているかを示している.

 

 

もみじ台のケース

 

  78才,女性

  高血圧で治療しているおばあちゃんだが,一ケ月以上クスリを

  取りに来ていないので心配して電話をしたら「4百円払えない

  ので」ということだった.

   ばあちゃんは息子夫婦,孫と市営住宅に住んでいるが,老人

  専用室がなく孫のベッドの下で寝ている.高校生の孫が夜おそ

  くまでステレオをジャカスカ鳴らしている部屋で体を縮めて寝

  ている.

   戦死した息子の遺族年金があるため,福祉年金は貰えない.

  遺族年金は銀行振込で,全部いまの息子のものにされて生活費

  に使われている.

   孫娘に「ばあちゃん,くすりなくなったから,母さんから4

  百円もらってくれないか」と頼んで通院している.

   「戦死した息子が一番の親孝行だった」というおばあちゃん

  である.

 

不幸の流れ

 

息子の一人を戦争で失う

生きている息子には”かいしょう”が無い

遺族年金は息子に取られる

自分の部屋も与えられない

孫は祖母の事を配慮せず(配慮しようにも配慮しようがない)

嫁は小遣い程度の金もわたさず(わたせず?)

嫁がこわくて直接金をもらえないという家庭環境

病気もちなのに,病院にかかりたくてもかかれない

そこに老人医療費の有料化が追いうち

 

 

この事例にみられる喪失体験

 

1 家族としての愛情と思いやりの喪失(家庭内村八分)

2 居住空間の喪失

3 年金など生活費の剥奪

4 肉体的苦痛(騒音)をともなう生活,安楽さの喪失

5 最愛の息子を戦争で失う

 

一人暮らし老人の残酷

 

  私は現在72才になり,失対人夫として昭和24年からいまも

  働き続けています.後家になって24年,一人暮らしになって

  15年もたっています.

   いま住んでいるところは,古い大きな家の二階八畳を6千円

  で借りています.この部屋は道路に面して窓が一つあるだけで,

  三方壁になっていて,入口のフスマを開けないと風は吹き抜け

  ません.間仕切りはベニヤです.炊事場と便所は共同で,1階

  にあります.煮炊きは自分の部屋でしています.煮炊きをする

  とどうしてもちょっと洗い忘れたり,水をくんでこなければな

  らなかったりで,狭くて急な12段ある階段を,最低2,3回

  は上り下りしなければなりません.仕事から疲れて帰った体に

  はとてもこたえます.この階段がどんなに危ないかということ

  は,いまから6,7年前,隣の部屋を借りていた同じ組合の仲

  間が滑り落ち,背骨を骨折して廃人同様になりました.私の部

  屋にたずねてくる人は,いまでも靴下を脱いで滑らないように

  してきます.

   わたしは,いまの私の生活環境と,わたしの過ごしかたを振

  返ってみて,あまりのお粗末さに悲しくなります.わたしは失

  対事業とはいえ,福岡市の仕事を27年間も勤めても労働者と

  してまっとうにあつかわれず,差別され,収入が少ないから悪

  い部屋しか借りられず,市営住宅に申込んでも,「一人暮らし」

  ということで入れず,差別されています.

  (藤田ハル,一人暮らし裁判原告団「一人暮らし裁判:原告は

  訴える」1978年8月より)

 

 

不幸の流れ図

(恐らくなんらかの戦争被害により,無一物となる)

49年(昭和24年),45才でニコヨン生活となる.

54年(昭和29年),50才で夫を失う.

63年(昭和38年),59才で子供とも別れる(詳細不明だが,子供に親を養う能力なし?)

低賃金,日雇い労働者ということで差別.市のためにはたらいてきたのに評価されないくやしさ.

「一人暮らし」のため市営住宅にも入れず

そまつで危険な民間アパートから出られない.しかもいつかはいられなくなるという恐怖.

D.未来の喪失

次にあげる文章は,北海道の離農の実態を研究した天間先生の「離農:そして彼らはどうなったか」という本からの抜粋です.

 

  わたしが離農取材のために浦幌町農協を訪ねたとき,長らく農

  民の相談業務をしていた川口満営農部長は,「先生がくるとい

  うので資料を探していたら,こんなものが出てきました.昨夜

  これを読んでいたら思わず涙が出てきました」といって,一冊

  の記念誌を渡してくれた.それは「戦後開拓史」と題され,浦

  幌町開拓農協の解散記念誌であった.その中で彼が示したのは

  「かわいそうな弟の死」という一文であった.

  かわいそうな弟の死

  私には一つ年下の義弟がいた.小さい時から体が弱く,学校も

 

 

  中学に入ってから休みがちになった.体の具合が悪くて,学校

  を休んでも,入植当時としては,病院へ行くことも,栄養にな

  るものも食べれない貧しさだった(弟の病気は一番栄養をとら

  なければならない肺結核だったのに).

  弟は,新聞などに,自分の病気に効く薬の広告が出ると,切り

  取っては,「俺,大きくなってすこしでもはたらけるようにな

  ったらこの薬買って飲むんだ.そしたらきっと俺の病気も治る

  んだ」といって広告を大事にしていた.

  昭和28年の秋に,土地改良の暗渠廃水をすることになり,業

  者の人が「子供でも土管を道路ぶちから畑に運んでくれると,

  運んだだけで大人と同じ賃金を払うから運ばないか」といわれ

  て,弟二人と私で,学校から帰ってからや日曜日に運ぶことに

  した.

  最初のうちは一人一人で土管を運んでいたのですが,下の弟は

  まだ小学生で,体力もないので,私と共同で運ぶことにしたの

  ですが,体の弱い弟にも「三人共同でしないか」といっても,

  「三人だと分け前が少なくなるので,俺は一人でする」と言っ

  て,弟は一生懸命土管運びをしていた.

  土管運びも終わり,11月に入ると,体の悪い弟は毎日のよう

  に学校を休むようになった.力仕事をしたのが悪かったのだと

  思う.

  14日にはいつもよりさらに具合が悪くなって,病院へ連れて

  行くことにした.

  もちろん車もなく,私より4つ年下の弟と二人で学校を休む,

  リヤカーに弟を乗せて新吉野駅まで行き,浦幌駅から病院まで

  (当時浦幌町立病院は丸太座の近くにあった)ゆっくり歩かせ

  て連れて行った.

  病院ではレントゲンをとり,注射をし,飲みぐすりも何日分か

  もらってきた.

  帰りもまた,新吉野駅からリヤカーに乗せてきましたが,本道

  路は砂利が入っていたのですが,開拓地の道路は(いまの森松

  さんの所の橋から新川のふちを当時は歩いていた)やち坊主を

  切って地ならしをしただけの道だったので,帰りの時刻には雪

  が溶けて,道はネロネロでリヤカーが大変重かった.

  翌15日に弟は他界してしまった.

  人一倍意思の強い弟は,浦幌駅から病院まで往復するのにもき

  っと全力を出したのだと思う.死亡の知らせを聞いた病院の先

  生も,「今日亡くなるとは思わなかった」と驚いたそうです.

  翌29年には国の結核予防法ができ,お金のないひとでも入院

  して療養が出来るようになった.

  もうすこし早くそのような制度ができていたなら,弟も入院し

  て治療したなら,死なずに治っていたかもしれないと,ときど

  き思います.

  中学2年でも小学校4年くらいしかない体だった,当時の弟の

  姿が,いまもはっきりと私の胸に残っています.

  (浦幌町開拓農業協同組合編「戦後開拓史」昭和48年6月)

 

この弟がもし生きていたらいまは52才,ちょうどみなさんのお父さんくらいの年でしょう.

E.差別といじめ

アイヌの青年の例

この文章は,63年(昭和38年)の第二回学術集談会に発表された報告の抜粋です.厚賀診療所の看護婦さんが発表しています.

 

  19才,一般,店員

  病名:肺結核

  家は1反そこそこの土地を持ち,父は他人の畑仕事や山林仕事

  をしていた.母も同じようにして生活をつないできたのです.

   家族が9人と多く,自分は長男に生まれ,3年前中学を卒業

  するとすぐ,山林労働者としてはたらいて家計を助けてきた.

   15才の時にツベルクリン反応が陽性になったが,陽転の意

  味もよく知らずにその後一度も結核検査を受けずはたらいてい

  た.自覚症状もまったくなかったためか,健康管理はなされな

  かった.

   今年の8月20日より町内の電気器具店につとめた.仕事の

  内容は修理,販売セールス,帳簿,車の運転といっさいをやっ

  ていた.朝は7時から夜は12〜3時頃まで(なることも)頻

  繁だった.日曜日も休まずはたらくし,食事は食ったり食わな

  かったり不規則,こんなことが繰り返し,1ヶ月の間に非常に

  やせ衰え,顔色は悪く,食欲もだんだんなくなり,悪化してき

  た.それでもその時はたいして負担にもならず,若さで労働強

  化を乗り切ってきたが,10月頃右胸部が痛くなって,倦怠感,

  頭痛等があって受診.結果肺結核と診断され入院する.

  この患者は旧土人で,小さい時から差別を受け,中学校は卒業

  したが,学校はけっして楽しいものではなかったようです.そ

  れに生活は苦しく,電気業につとめても,劣悪な労働条件の中

  から生じた結果と思うが,主人も従業員を重労働させなければ

  生活が安定されない状態であろう.

   以上,私たちは目の前の入院患者をとりあげて調べてみまし

  た.

   私たちの日常の診療活動の中で,ただなんとなく今ある病気

  を見て,その人間の生活の断面を知るだけでは,私たちの綱領

  にある健康と生活を守る戦いとしては,底が浅いように思いま

  した.

   その人間をとりまく社会的な背景を,その将来を貫く歴史的

  な背景としてとらえてみたとき,仕事は大きく,私たちの力は

  あまりにも小さく,何をなさなければならないかということが

  分ってきました.

   私たちはこういった患者に日々とりかこまれて,こういう人

  達と手を組んで,病気を起こす背景となっている社会的要員を

  取り除くために,現在の仕事とあわせて努力することが,民医

  連にはたらく看護婦の偉大な任務であることが分りました.

   人民の看護婦とはこういうことだと思います.

 

このアイヌの青年も,もしいまも生きていたなら47才で,あなたがたのお父さんとおなじくらいの年です.

いずれにしても当時勤医協の准看学校をでたての若い看護婦さんの,あなたがたとおなじ年のひとりの女性の,真摯な思いが伝わってくる文章ではありませんか.

 

第七講 最貧困層その2

 「母親餓死事件」の解析

 

A)もう一度,「貧困」論のおさらい                      T.「貧しさ」をどうみるか

@客観的な貧しさ

貧しいということは,それを見る他者(わたしたち)の心象(イメージ)ではない.それは,そのひとたちや,あるいはわたしたちがどう思おうと,客観的に実在する事実である.それは抽象的な「宙に浮いた」ような概念ではない.貧困な人々がいて,貧困な生活を送っていて,その生活の特徴を一まとめにしたもの

A認識された貧しさ

それが貧しさとして認識されるとき,その認識は同情の心や不正義への怒りをともなう.

B恐怖としての貧しさ

貧困は,すべてのものが商品化している世界に住む現代人にとって,日々の生活に襲いかかる最大の恐怖である.

C宿命としての貧しさ

まっとうな,あるいはよりましな生活を望む人にとっては,絶望的なまでに越え難い障壁である.

D乗り越えるべきものとしての貧しさ

高まる欲望や要求が貧しさを感じさせる場合もある.それは時代の進歩のなせるわざであり,人間が努力していくためのバネとなる.

E諸刃の刃としての貧しさ

貧しさは,人々を分裂させ孤立化させる武器でもあるが,人々を団結させ金持ちに立ち向かわせる契機ともなる.

 

U.貧困とは「貧困な生活」のさまざまな特徴を総括したもの

(1)極貧層(生保世帯・ボーダーライン層)

@飢えとのたたかい,餓死は隣り合わせ

A病気と迫りくる死

B老いと喪失体験の連続

C家庭崩壊と徹底的孤立化

D差別といじめ,嫌がらせ,足の引っ張りあい

E劣悪な住環境,「家」の喪失

F人間性の否定,家畜化

(2)下層労働者(日雇い,住込み,雑役)

@生活不安とのたたかい(失業,倒産,借金)

A長時間,不規則,苛酷で危険な労働

B牛馬の代用,消耗品としての労働商品

Cケガと病気は自分もち(社会保障の貧困)

D職場内での差別,人間以下のあつかい

E「便宜」結婚と「疑似」家庭.子供は作れない,育てられない.

F木造二階建てアパートがついの住み家

(3)マルビ層(わたしたち)

@生活の無目的化,労働のために生活するような生活

A生活の無内容化,群衆のなかの孤立

B労働密度の高度化,息の詰まる感じ

C管理の強化.「会社人間」化と「マイホーム人間」化.それ以外の生きかたをゆるさない

D家庭の空洞化と無意味化,家は共同宿泊所

E「家」がますます高く,遠く,狭くなる.周辺に社会設備欠如

Fローン地獄.「自分の城は砂の城」

 

V.貧困には程度がある:貧困層を分けるライン

@「マルキン=マルビ」の境界線

あらゆる生活における両者の行動パターンを詳細に描きだすなかで「あなたが中流だなんてウソッパチだ.あなたがどう思おうとあなたは貧乏だ!」と説得している.そこでは「マルビ」の行動パターンが,小型の国産車を持っていること,バーゲンのチラシが好きだということ,お気に入りのテレビのトレンディー.ドラマがあること,日曜の夜は家族そろってファミリー・レストランに行くことなどとしてあげられている.これらはまさしく「貧乏人の証」なのである.

A生活保護の基準ライン

これは貧困線というより「極貧」線である.「生かさず殺さず」

最低生活費をもとに計算されるが,計算法はその考えによって大きく変わってくる(朝日訴訟)

B究極的貧困線:餓死線

母親餓死事件,ろうそく焼死事件など社会的殺人とよぶべきもの

C世界的規模での貧困線

アフリカの飢餓,アジアの出稼ぎ労働者との賃金格差

サラ金国家,破産国家など先進国により収奪され,思いのママにされる構造

 

W.「貧困」が客観的に存在するのと同様,貧困となる「原因」も客観的に存在する

@一般市民を襲う生活破壊の波

物価値上げ,インフレ,バブルとその崩壊,不景気,労働強化,失業,合理化,倒産,政治的抑圧,環境破壊,健康破壊……これらの危険を放置すれば生活崩壊を防ぐことはできない.

A生活崩壊は積み木崩し:生活を支える構成要素がひとつひとつ脱落していく

出稼ぎの常態化,離農,鉄道の廃止,小学校の統廃合……→地域の崩壊

単身赴任の父親の長期不在,長時間パートの母親の不在と家事手抜き,子供の夜間の塾がよい……→家庭の崩壊

交代労働で余暇の消失,昔からの対人関係の消失,生活の規則性の消失……→「わたし」という人格の消失(アノミー化)

 

B)「不幸」の分析:貧困の個人レベルでの表出形としての理解

T.パターン分類

@身体的苦痛

飢えとのたたかい,餓死は隣り合わせ(貧しさ=ひもじさ)

A孤独感

B恐怖・不安

C欲求不満

便利さ,快適さ,楽しさというものを知りながらあじわえない

D劣等感

E無気力

絶えざるストレスと人間性の崩壊(貧しさ=なげやり)

F堕落・人間性の鈍麻

U.不幸=貧困複合体としての分類

@欠乏・不満(物質の喪失体験)

A孤独・反目(愛情の喪失体験)

B不安・焦燥(安定の喪失体験)

C失望・虚脱(目標の喪失体験)

V.時系列分析

W.構造分析

(1)生活構造の崩壊A:物質的欠乏を基盤として

@不健康

病気,けがと迫りくる死の恐怖(貧しさ=恐ろしさ)

A喪失

老いと喪失体験の連続(貧しさ=はぎ取られ)

(2)生活構造の崩壊B:社会的環境を基盤として

@孤立

家族関係の崩壊と決定的孤立化(貧しさ=淋しさ)

A無展望

抜け道のないアリ地獄,貧困のワナ(未来の喪失)

B差別

差別と偏見,いじめ,いやがらせ(貧しさ=みじめさ)

C無規律

生活の不規則性の喪失とタブーの消失(貧しさ=だらしなさ)

 

(3)意識構造の崩壊:その個々人への影響として

(4)社会病理現象:生活・意識構造の崩壊の社会的表現として

自殺,犯罪,非行,薬物中毒,離婚,いじめ,精神・神経症,

 

(5)社会構造の歪み(社会問題):生活構造の崩壊をもたらすもの

@労働問題

低賃金,労働強化,危険な労働,劣悪な作業環境,職場民主主義の不在,倒産・首切り・失業,離農・減反・減船・閉山

A地域格差

過密・過疎,地域賃金格差,住宅問題,長時間通勤,出稼ぎ,集団就職

B環境破壊

大気汚染,水質汚濁,食品公害,騒音・振動公害,リゾート開発,森林破壊と砂漠化

C社会的差別

部落問題,小数民族問題,外国人労働者

D社会保障制度の不備

劣悪な医療保険,年金制度の貧困,老人いじめの医療制度,生保打ち切り攻撃,労災打ち切り攻撃,公害医療の否定

 

 

 

第八講下層労働者における生活崩壊の実態

 

把握すべきポイント

1,極貧層における生活崩壊との共通性

2,マルビ層=私たちの生活との相違性

3,どこに問題解決の鍵があるのか?……団結と連帯

極貧層と下層労働者の相違をあげるのは比較的かんたんです.

1,自活している.生活の自己再生産が可能である.

2,自立している.他人に依存したり従属したりしなくてすむ.

3,自由である.予算と欲望に応じて選択の幅がある.そして自分でそれを決定できる.

4,たくわえがある.労働によって,過去の労働によって.

4,孤立していない.地域・家庭のほかに職場での人間関係がある.

5,不合理な差別はない.社会的な差別はあるが,経済的・金銭的な差別である.

6,誇りと自負がある.人格,あるいは人格の社会的表現である労働をしているからである.

7,夢と希望がある.いまは苦しくても,頑張れば現在の生活の延長線上によりよい生活がくる可能性がある.

ただし,これらの文の最初には「それなりに」という言葉をつけるべきでしょう.そして,文の最後には(実はそこが問題なのだが…)という言葉を添えるべきでしょう.

おなじように下層労働者とわたしたちマルビ族の共通点をあげるのもかんたんです.上にあげた7つの項目がそのまま下層労働者とわたしたちの共通点となっているからです.

しかし現実の生活では,下層労働者の生活はわたしたちとの距離より極貧層との距離の方がずっと近いのです.というより今日の下層労働者は明日の極貧層というくらい,近しい親戚づきあいなのです.

この矛盾をどう説明したらよいのでしょう.生活の場でいくら考えても,その答えは出てきません.その秘密は労働現場にあります.

下層労働者と極貧層を決定的に分けているもの,そして下層労働者とわたしたちマルビ族をあたかも同一の階層のように見せかけているもの,それは「働いている」ことです.

しかし,わたしたちマルビ族と下層労働者を決定的に分け,下層労働者と極貧層を大差ないものにしているのが「どのように働いているか」ということです.マルクス主義は本質的にエリート革命論であり,資本主義を打倒し社会主義を用意するのは大企業の労働者であると規定しています.しかしここにマルクス主義の弁証法があります.相対的エリート階層たる大企業労働者は,その質的同一性により,下層労働者と連帯せざるをえない,そのことによって下層労働者との現実的な差を揚棄しなければならない,運動=闘争の論理を内包しています.このことによって最終的には階級の存在を揚棄しなければならない歴史的使命を負わされる…こういう歴史の弁証法があるからこそ,マルクスは「労働者階級」を資本主義の墓堀人であるだけでなく,階級社会そのものの墓堀人たる使命をあたえたのだと思います.

 

 

労働の現場

T,下請工

 

U,労務者,作業員

a 専業労務員

b 出稼ぎ労働者

c 日雇い労働者

V,パート労働者

a 婦人パート労働

b 内職労働

c アルバイト労働

W,外国人労働者

a 「研修」労働者

b ジャパゆきさん

c 現地における労働者の実態

 

生活の現場

T,住居

U,家族

V,健康

W,地域

 

A.下請労働者

(1)劣悪な労働環境

 

六人一緒になってから,焼結鉱の篩いの下に入った.ここではガラガラ音を立ててコークスがこぼれおち,つもるほど粉鉱が舞い落ち,間欠的に血の色をした湯がベルトを逆流してきた.作業衣の襟くびからポケット,パンツの中まで鉄粉が入り込み,長靴の中に落ち込んだのが,やぶれた穴から浸透してきた湯によってアンコのようにこねあわされた.ベルトの下にたまった分の一部はベルトに投げ返す.しかし,それでは間にあわないので,下請会社の本工が運転する小型トラックの荷台にすくい投げる.水をふくんだ鉄粉は重く,わたしの腰はたちまちつっぱってしまった.耳の悪い森山さんはそれを見かねて,わたしをどかして手真似でコツを教える.足を固定させ,腰を支点にして回転した力を利用してほおりこむと,たしかにいくぶん楽にはなる.

「じきにおぼえるよ」.ブルートに似た大高さんはそばによってきてなぐさめ,スコップをプーリー(滑車)にはさまぬよう何度も注意する.

「製鉄所でケガいうのはないよ.ほとんど死ぬからね」.この作業のあとは,高炉前の暗渠にもぐりこむ.足下では水が流れ,はなさきには粉塵がただよって先が見えない.線路に詰った原料をほじくりだすのは重労働だが,両側をコンクリートの壁でかこまれているので,もし原料配合の貨車がまちがって突進してくれば,逃げ場がない.手がとどくような天井には,動力用の高圧線が走っている.死は隣り合わせである.

下請死亡者22名の中には,下請の下請,つまり孫請けが10人ふくまれている.その勤続年数は1日目というものから,13日目,20日目というのが多く,その労働についてまもなく無残な死をむかえたことを示している.不慣れで,訓練もされず,教育も受けない労働者がいかに危険な労働に従事させられていることか,そしてそれは半面,不慣れな労働者が簡単に死ぬような「安全管理」がいかに多いかも物語っている.

 

サンキ労働…「きつい,きたない,きけん」

単純労働者は使い捨てという思想が横行している

 

(2)前近代的な労使関係

 

北原組長の北原誠(50)=恐喝容疑で17日逮捕=は,合田組の”北九州支部長格”だったが,その北原組の幹部亀田勝次(46)=同職安法違反=の自宅は,小倉区富野の住宅街,長塀の家がたちならぶ中にある.その中に労務者をとじ込めるタコ部屋があった.一階の八畳間と二階の六畳間.組員がいる部屋を通らないで外に出られない造り.警官が踏込んだとき,この二た部屋には23人の労務者がいた.

調べによると,朝食のあと,組員の手配師は荷揚げ,運送などの作業に労務者を送り込むが,各人にタバコ一箱だけ与えていた.作業は朝7時頃から夕方6時まで,人のやりくりのつかないときは交代なしで24時間ぶっ通しもしばしばあったという.夜,作業から帰ってきた労務者はステテコ,シャツ姿にさせ,金はまったくもたせない.荷物は組員にあずけたままで,たとえ逃げ出したとしても遠出できないようにしていた.

7月下旬,小倉駅前で手配師に誘われた労務者の場合,「一日千5,6百円になる」という約束だった.ところがこれまで千円づつ二回もらっただけで,残りの給料は「やめるときに支払ってやる」の一点張り.賃金だけではなく,時計や指輪まで奪われていた.

17日,タコ部屋で見つかった労務者は半数が未成年.出身地も県内の他鹿児島,長崎,愛知,北海道……

この飯場は,今年三月にも職安法,労基法,児童福祉法違反の疑いで豊前署に摘発されたが,その後もタコ部屋を続けていたことが明らかになった.

 

 

全面的支配,暴力的支配,非合法の支配(詐欺,恐喝,強奪,暴行,監禁,誘拐)……それらを黙認し利用する大企業の論理

 

(3)下請側の論理

 

新日鐵の運輸業務をあつかう二次下請会社の課長にコネをつけたから来ないか」という連絡を受けて,また東京駅へかけつける.絶対に名は出さないでくれ,飯のくいあげになるからと念をおして,話し始めた.

「わたしらの会社でも,近在の農漁村から労務者を雇っている.去年(73年)はものすごい増産体制で,とくに11月はこれまで最高の73万トン(月産)を達成したってんで,わたしら下請まで報償金が出たくらいだった.その頃はいくら人手があってもたんなくて,川崎や東京の山野のドヤ街からどんどん連れてきた.三日間くらいの単位で連れてきては,三段ベッドの飯場に寝かせて,飯つき,送り迎えつき,12時間労働で日当5千円くらい払う.時にはイレズミの兄さんも来る.マルS(新日鐵のこと)が花札禁止のお触れだしても,車のナンバーでバクチやるし,あげくは飲んでマルSの工長を刺しちまったりね.大企業といっても,最底辺はそんなもんよ.あたしらのとこは製品を港から出荷する仕事なんだが,風速15メートル以上になると,クレーンが揺れるし,とくに輸出用の製品だと傷がつく恐れがあるんで中止になる.元請けの方じゃ”風がおさまったらまたやるから待機させとけ”というんだが,待機のまんまやらないで終わっても,こっちは労働者の日当はらわなきゃならない.それをかってに待機させとかなかったりすると”下請はいくらだってあるんだぞ”って脅かされちまう.元請けは孫請けを,孫請けはひまご請けをと,下へ下へいじめる仕組みでね.それにマルSも安全第一なんていってんけど,わたしらにいわせりゃ美辞麗句だね.なにしろ計画上回る量をこなせってんだから,どうしたって下請は無理するから,労働者にケガ人が出る.あたしらの会社じゃないけど,左手挫傷だっていうのに休業災害にもしないような下請がちょいちょいある.わたしら下請も,休業災害を出すと,報告書を50部作って提出させられるし,”賃金出してでも安全教育や訓練を徹底しろ”とうるさくいってこられるんで大変なんですよ.それでついケガ人が出てもヤミからヤミへ,といことになる……

 

 

三つの下請いじめ

@増産の強制→人手不足→不良労働者をかき集め→ダーティーな仕事の下請へのおしつけ

A不払い労働の強制→下請へのリスクと経費のおしつけ→下請も消耗品

B「安全」の強制→増産体制との矛盾→労災隠しをせざるをえない環境作り

 

*つまり,労働力確保,生産経費,労務対策に関するリスクはいっさい下請におしつける

*下請もそれを嘆きはするが,変更するつもりはない.そのお陰で飯を食っているからであり,矛盾は労働者にしわよせすれば済むから.

*したがって,いざとなればこの体制を守るために弾圧の側に回る.

 

(4)労働者の抵抗と弾圧

佐野安分会の高浜忠一さんが戦後入社したのは構内の製材所であり,彼の父も製材所ではたらいていた.それはやがて廃止されて外注されるようになり,木工部門はしだいに下請化された.内装や家具製作は別にしても,外業の盤木,鉄木などは重労働で,ドックの底と船底との一メートルちょっとの間を中腰になって,百五十キロほどの重い盤木を組み立てたり移動させたりする.だからほとんどの労働者は腰痛となり,はたらけなくなるとそのままポイと捨てられた.人海戦術の一兵卒でもある下請工たちには,健康保険も失業保険も退職金もなかった.構内には,在日朝鮮人,非差別部落民,それに沖縄出身者が多かった.日本の差別構造はそのまま労働現場での差別構造として凝縮しているのである.腰痛でくびになった朝鮮人が,貯金もなく一家心中をはかった例も三宅さんは身近に知っていた.組合を作った時まっさきに入ってきたが,親方から脅かされてまっさきに脱落させられたのも彼らだった.朝鮮人は強制送還されるぞと脅かされ,部落の人たちは「よそでは使ってくれんのにこれで首にされたらどないするんや」と脅かされたのである.

 三宅さんは,この造船所で十年ほどはたらいた間に,十数件の死亡災害事故を目撃している.そのほとんどが下請労働者だった.足場から転落したもの,船倉ではたらいていて上から落ちてきたガスボンベの下敷になったもの,造船所の危険性はたいがい下請工の死でカバーされてきた.それでいて涙金ほどの補償金さえ,賃金同様親方にピンハネされる.労働者が死んでさえ親方が儲ける仕組なのである.

 組合結成の話がひそかに流れてきたとき,彼は率先して参加した.分会が分裂させられ,暴力ガードマンたちと対決している本工労働者の姿を見て,あないしてたたかわなぁあかん,下請も組合つくらなぁあかん,と考えていたのだった.一緒に宮崎木工ではたらくようになっていた父の政次郎さんも,64才の高齢になっていたのにもかかわらず,赤腕章を腕にまいた.

 76年3月17日,下請工だけの労働組合が結成された.親方たちは組合にたいする誹謗と中傷のビラを配った.構内での脅迫と暴力行為が激しくなった.

 「お前,もうまともに帰れんぞ.ヤクザを50人ほど雇ったからな」

 三宅さんは社長に脅かされた.妹たちの結婚も潰したるぞ,ともいわれた.自転車で帰る途中,覆面をしたオートバイに追回されて必死に逃げた.アパートには夜中の一時,二時に電話がかかってきた.呼出し電話だったから,たちまち追い出されてしまった.会社の風呂に入ると,洗い場で足をかけられ,石鹸水を頭から浴びせられた.その一年半ほど前,大阪の運送会社の副分会長が暴力団に刺殺された事件があった.彼は組合活動がこれほど恐ろしいものだと考えたこともなかった.恐ろしいけどやめられん.これで負けたら,下請工は一生浮かばれん,そんな気持ちだけが支えであった.「いじめられたらよけいがんばらなぁ」.子供の頃,いっしょに遊んだ朝鮮人のともだちの父親に,「ひとつ殴られたら三つ殴りかえせ」と教えられたのを思いだした.組合員が脱落させられたら,その倍にすればいいのだ.それでも130人になっていた組合員は,毎日のように減っていった.執行部でも買収されて脱落するのがでた.彼らの仕事は単純労働で誰とでも取りかえが効くし,外には失業者の大軍がいる.それに身分保障のない下請労働者の生活は,一銭でも賃金のいいところを渡り歩く歴史でもあった.目の前に積まれた金には弱かった.三宅さんも,二百満田す,いえも一見突ける,そやからやめろ,とさそわれている.父の政次郎さんは,社長にいわれた.

 「お前の息子の面倒をみてきたつもりやったが,組合の委員なんかになってわしに敵対している.そのうえお前まで組合に入りくさって,その赤腕章をはずさんか」

 三宅政次郎さんは決然としてこたえた.

 「組合の要求は正しいことや.当然なことや.有給休暇や残業割増金など,当然の要求や.わしは絶対やめん」

 彼はそのあと仕事量の激減を理由に解雇された.

 

・より危険で,より苛酷な労働

・健保,失保,退職金,有給休暇,残業手当などいっさいなし

・前近代的な親方,子方の労使関係

・労組結成

・誹謗,中傷の宣伝

・脅迫,嫌がらせ,暴力行為(暴力団を雇って)

・買収,懐柔

・応じなければ解雇

 

労働者(下請)にとって健康を守ることは,これらの攻撃とたたかうこと,医療従事者にとって労働者の健康を守るということはたたかいを支援し連帯することだ.

  

B)作業員,労務者

1.出稼ぎ労働者

Aいわれのない差別

現場の中で,出稼ぎ労働者たちは,年若い本工労働者たちから軽べつされている.あたえられる仕事が本工やその下請工の嫌がる,危険な汚れ作業や重労働であったとしても,また自動車工場のコンベア労働のように,本工と肩をならべる仕事であったとしても,出稼ぎ労働者たちは,さげすみといくぶんかの憐びんの情をふくんだ目によって眺められていることは,間違いない.ひが目半分にしても,わたし自身のいくつかの体験から考えてみれば,そういうことになってしまう.

 おなじ出稼ぎ労働者の中でさえ,より辺鄙なところから来た人や,より年とった人たちは,彼よりは相対的に,すこし都会に近いところから来た人や,より年若い人たちから,その人たちが本工から受けたような軽べつと憐ビンの情のいくらかを,彼の方に横流しされていることもまた,間違いないことなのだ.

 たとえば,九州のある小都市から来ていた二十そこそこの出稼ぎ仲間と,寮のこたつに入って雑談していたときに,話題がある老人のことに及んだことがある.その老人は,いつも寮から出勤するのに,汚れた作業服,作業帽,それに工場の中ではくしか用のないような安全靴をつけていくのだった.だから人目につきやすいので,話題にのぼったのでもあるが,相棒はこういった.

 「あんなのがいるから,出稼ぎは本工に馬鹿にされるんだよ」

 彼にしてみれば,そんな田舎の親父といっしょにされるのはたまらない,といったような気持ちなのであろう.

 

B引き裂かれた生活

 

雪に埋もれた孤島

村の店にはもう

みかんは売り切れた

おれたちのはじめての出産

三ケ月目の妻はみかんを欲しがった

母は正月用の残りのみかん一個を妻にやって

つばを飲みこみながら

みかんを食べる嫁を見つめていた

 

吹雪く孤島

つわりにおびえる妻を残して

おれはいま

出稼ぎの夜汽車に乗った

のどがからからだ

ひと袋五十円のみかんを買った

十個もある

いまわたしはそれを一人で食べようとしている

あんなにみかんを欲しがっていた妻

 

みかんは十個もある

おれはいまそれを一人で食べようとしている

みかんは十個もある!

(出稼ぎ詩集から「みかん」)

2.専業労務者

3.日雇い労務者