有田 光雄 「民主経営の管理と労働」から学ぶもの

 

1999.9.13
鈴木 頌  

 95年に出版された有田氏のこの本は,それまで経営側と労働組合との正しい関係を模索していた人々にとって,強い影響を及ぼしました.私も当時,この本から大きな刺激を受けたものの一人です.

今回,「非営利・協同」の路線が民医連全体に問われるようになり,いわば議論の火付け役ともなった,この本をあらためて読みなおしてみました.それまでは分からなかったいくつかの論点が,私なりにはっきりしてきたような気がします.

 非営利・協同路線をめぐる議論も念頭に置きながら,いささかの感想を書き記したいと思います.

 

1.民主経営の本質規定なし

 かなりの大部で,読むのに骨が折れるのですが,読み終わった後もやはり,すっきりしません.「なぜなのか?」と考えて,分かりました.「民主経営論」であるにも関わらず,民主経営=民主主義を目指す経営としての本質規定がどこにもないのです.

 民主経営は何を目標とする組織なのか,社会改革を目指す諸組織・諸団体のなかでどのような位置をしめるのか,国民的闘争においてどのような役割を果たすのか,これらについては,この著書ではほとんど触れられていません.

 おそらく有田氏は,民主主義の問題は分かり切ったことと考え,省略したのだろうと思います.しかし,たとえば労働組合との関係についても,「私たちの目指す民主主義とはどんなものか」という,いささかしんどい「そもそも論」を展開することなしには,相互の理解は得にくいと思います.

 私は,この本の当初の目的は「民主経営そもそも論」ではなく,「民主経営」の諸特徴を総括し,その管理・運営のありかたについて論究することにあるのだと理解しています.そのつもりで読めばそれなりの読みごたえは十分ある本です.

 それならそれでよいのですが,途中から突然,有田氏の発想は転換します.「民主経営はa,b,c…のような特徴を持っている」という命題から「a,b,c…のような特徴を持っているのは民主経営である」という結論を引き出すのです.それが,協同所有という性格こそが民主経営の本質的規定であるかのような議論になり,有田流「民主経営そもそも論」につながっていきます.

 はっきり言って,これは有田氏の勇み足でしょう.「民主経営そもそも論」を本格的に展開しようと思ったら,これでは最初のボタンが掛け違っています.

2.協同組合的所有が民主経営の分水嶺?

 最初に民主経営の目的に沿った本質規定をしない以上,民主経営論は総論なしでいきなり各論に入るしかありません.つまり形態的規定を持って,本質規定に代えるという方法です.

 有田氏は民主経営の形態を次の七つに分類します.

A  協同組合

 イ,生協 ロ,労働者協同組合 ハ,企業組合 ニ,建設協同組合

B 民医連

C 労組の自主生産

D 共同作業所,民主的保育所,老人福祉施設などの社会福祉事業

E 民主的法律事務所,会計事務所,民主的出版社,劇団など

F 民主的な塾や私学など

G 中小企業同友会

 この中から共通する諸特徴,最大公約数を選びだそうというわけです.

 わたしには,その作業は絶望的に思えます.これだけ並べたことの意義は,民主経営をその形態から規定することはできないという事実が証明されたことにつきるように思えます.

 そのことはさて置き,有田氏は所有の問題に着目し,A〜Fというカテゴリーから協同所有というキーワードを抽出します.(Gの中小企業同友会は,協同所有ではないという理由から,のちに民主“的”経営として分離される)

 はたして有田氏にとって,所有問題が民主経営を規定する最高の基準なのでしょうか.事実,多くの箇所ではそのように記述されています.しかしそれだけではダメだという記述もあって,いささか煮えきらないところがあります.

 例えば,17ページにはこんな記載があります.

 一般の資本主義企業の資本は,私的に,資本家的に所有されています.これに対して,民主経営は「みんなで資本を持ち寄り,みんなで管理し,みんなで働く」という民主的で集団的な所有です.この民主的で集団的な所有を元に活動している「企業」の内部には,自主的な剰余労働はあっても,資本家がいて「絞る・絞られる」関係はありません.

 ところが「民主」を協同所有に解消してしまうと,農協も漁協もみんな民主経営になってしまいます.

 この矛盾に気づいた有田氏は次のように修正をかけます.

* 経済的な土台が民主的であれば,「上部構造」も自動的に民主化されるなどということはありません.

* 経営の民主化は,それ自体が階級闘争の産物なのです.ここでは単純な経済決定論は通用しません.

* 民主経営は完成して動かないものではなく,いつも力関係に規定されて動いている存在だということです.

 この三つの付帯条項は,それとして正しいもので,私も賛成です.しかしこの修正は,著者の意図に反して,混乱に拍車をかける結果となります.

 「土台と上部構造」という史的唯物論の大命題を,個々の民主経営の評価の尺度に用いるのも,いささか大時代です.

 第一,民主経営がいつも力関係に規定されて動いているのでは,形態的規定など無意味ということになってしまいます.これでは有田氏の議論は根底から成り立たなくなってしまいます.「単純な経済決定論」というのが所有問題のことを指すであれば,階級闘争をガンガンやっていれば,所有の問題などどうでも良いことになってしまいかねません.

 要するに,有田氏が所有関係決定論に立つ限り,これら三つの条件は,すべてそのまま有田氏に対する反論になってしまうのです.有田氏はおそらく究極的な規定として,所有関係決定論を打ち出したのではないのでしょう.まず民主経営というものがあって,その経営原則としては民主的な所有関係が絶対に必要だということを強調したかったのだと思います.それであれば,私もほぼ全面的に賛成です.

 

3.経営民主主義と民主経営

 自分で作ってしまった理論上の隘路を乗り越えるために,有田氏は新たにいくつかの条件を提示します.そしてここからが,本格的昏迷の始まりです.

一.集団的・民主的協同所有=非営利組織

二.民主的・科学的な羅針盤

三.科学的な管理と民主的な運営

 そして,この三条件をもって民主経営の規定とするのです.マルマル症候群の診断基準と同じ要領です.

 条件一は,「非営利・協同」論の悪しき影響をモロに受けた規定です.「集団所有」というだけの規定では乗り越えられないと見た有田氏は,花電車のごとくその周りを飾り立てます.「民主」を入れて,「協同」を入れて,「非営利」も入れて,なにやらあやしげな「=」で結んであります.とりあえず,集団所有の原則と解釈しておきましょう.

 さらにこれでも足りないと見たか,他に二つの条件がつけ加えられています.条件二の羅針盤規定はその通りで,羅針盤が公に存在するかしないかという表面的事象にワイ小化しない限り,まさしくここに民主経営の本質規定が潜在しています.ここまで近づいて来たのに,気づいてくれないのが残念です.

 新たな提起が条件三です.これは企業内における民主主義のことかと思われます.ドラッカーをひもとくまでもなく,科学的な管理と民主的な運営とは,すべての現代企業に求められるべきものです.それはいわば経営民主主義とも呼ぶべきものであり,理念的にはブルジョア民主主義における企業倫理に由来するものです.

 今日の資本主義社会において,企業が社会的責任を果たすためには,それなりの民主主義的システムが必要です.株主が正当な権利を行使できること,業績や資産がガラス張りになっていること,一部経営幹部の恣意的運営を許さないことなどです.これらは一般的な経営民主主義,あるいは企業民主主義といえます.

 もちろん,企業の良心に任せて,経営民主主義が自動的に実現することはありえません.それは何よりも歴史が証明しています.私たちは憲法の精神にしたがって,必要な公的規制を加えることもふくめ,企業が経営民主主義を貫く方向で運営される日本を目指しています.

 しかし民主主義の日本を目指す経営としての民主経営と,経営民主主義を混同して論じるのは混乱のもとであり,没階級的な組織論に陥らざるを得ません.私たち民主経営においても,当然のことながら,企業民主主義は貫かなければなりません.

 以上見てきたように,相変わらず,形態的特徴をもって本質規定に代えるという枠組みは変わらないのですが,民主経営のあるべき姿を示した点では評価すべき内容を含んでいます.本書の本来の目的が,民主経営組織の経営診断ツールという点にあるとすれば,この定式は有意義なものかもしれません.

 民主経営であれば,民主的な経営が自動的に達成されるわけではありません.逆に民主経営を唱えながら,現実には民主主義の否定が横行する場合も,少なからずあります.それは悲痛な教訓です.

 

4.民主経営とは協同組合なり?

 いろいろな留保を付けながらも,有田氏は協同組合=民主経営という論理に強く傾いていきます.その際,最大の典拠としてくり返し引用しているのが資本論第三部の次の記述です.少し長いのですが,そのまま引用します.

古い形態の内部では,労働者たち自身の協同組合工場は,古い形態の最初の突破である.……これら協同組合工場の内部では,資本と労働との対立は止揚されている.……たとえ最初には,組合としての労働者たちが彼ら自身の資本家であるという,すなわち,生産手段を彼ら自身の価値増殖に止揚するという,形態に過ぎないとしても.……資本主義的生産様式から結合的生産様式への過渡形態とみなされるべき.

 これを著者はこう読みます.

 第一に,協同組合工場は資本主義を突破している新しい生産様式である(余分なことに著者は協同組合工場=民主経営と注釈をつけ加える).

 第二に,協同組合工場には,資本と労働の対立は止揚されている(なぜなら搾取の関係がないから,とまたも勝手につけ加える)

 第三に「生産手段を労働者自身の価値増殖に止揚する」という言葉を,資本家の搾取を伴わない価値増殖をおこなうことと理解する(ここではこっそり採り入れた「搾取」という言葉が平文で表現される)

 そして協同組合は所有問題を止揚することによって階級の廃止へ向けての過渡的な一歩が踏み出される.

 率直に言って,著者の引用部分を素直に呼んだだけでも,かなりに牽強付会ぶりが明らかです.つけ加えれば,搾取の関係がなくなるのは資本と労働の対立が解決されるからであり,その逆ではないでしょう.

 原文に当たってみると,さらにフェアーとはいえない引用のしかたが明らかになります.「……」で省略したところに結構問題があるのです.

 ここは第三部も最後に近いところで,信用制度から,株式会社論,そして独占資本の発生という,当時としては最先端の情勢を論じている部分です.準備稿に近い未定稿で,エンゲルスの書き込みもたくさんあります.

 ここでマルクスは,信用制度と株式会社の成立により,資本主義の枠内とはいえ,生産手段が私的所有から社会的所有に変化していくとのべ,その過程を描いています.そしてそれとの対比で,協同組合工場の特徴を述べているのです.

 ここでマルクスが言いたかったのは,生産の社会化という社会的進歩の内実から見れば,協同組合はおよそ進歩的とは言えないが,「労働者が自身の資本家だ」というただこの一点において,過渡形態を実現しているということです.

といっても,もちろん,それはどこでもその現実の組織では既存の制度のあらゆる欠陥を再生産しているし,また再生産せざるを得ないのであるが…

 そこには皮肉屋マルクスには珍しく,明らかに同情的な,同志的な感情が込められています.「負けるな一茶,ここにあり」といったところでしょうか.

 もう一つ,「……」のところででマルクスが言っているのは,協同組合工場が成立するための歴史的条件は,株式会社と同じである,ということです.すなわち信用制度です.

 まったく古い生産形態そのままの協同組合工場であっても,信用制度というあたらしいシステムが出現しなければ存在し得ない経営形態という意味では,株式会社と同様に資本主義の一定の段階に照応した新しい流れといえます.マルクスが協同組合工場を過渡形態といっているのはこの意味においてのことです.

 マルクスが言っているのはこれだけのことです.そして資本論で協同組合工場に言及しているのもここだけです.

 以上のように,マルクスの文章を正確に読めば,協同組合工場=資本主義を突破した新しい生産様式という結論はとても出て来ません.ただこれは19世紀半ばのはなしです.それから百年以上を経て状況は大きく変わっていますので,別の議論になるでしょう.いずれにせよ,マルクスの片言隻句をもって現在の民主経営を云々するのは,あまり感心したはなしではありません.

 

5.「搾取のあるなし論」について

 有田氏の文章には「搾取」という言葉が頻出します.あたかも搾取のあるなしと民主経営であるかどうかは,同一問題であるかのように受けとめられます.なぜなら,所有形態が「協同」かどうかと言うことと,搾取があるかないかということが同一視されているからです.

 しかし,これらの命題は,それぞれが相当に議論を必要とするものです.そう簡単に証明できるようなものではなさそうです.

 私は,資本の再生産過程に即していえば,搾取は現存するのであるが,史的唯物論=階級論的な文脈でいえば,搾取関係は「止揚」されていると考えています.有田氏が強く批判する・群の意見に近いかも知れません.

 この場で「搾取のあるなし」論争に踏み込むつもりはありませんが,これはある意味で言葉の定義をふくむ議論ですから,おたがい「搾取」という言葉の定義を明確にすることが大事ではないでしょうか.

 この本の46頁では次のように述べられています.

 営業資金の共同所有を元にしている民主経営には,労働者の不払い労働を一方的に取り上げる,つまり搾取の関係はありません.だからマルクスは民主経営を「結合生産様式」に向けての過渡期の形態だといっているのです.

 この文章は「マルクスが民主経営を社会主義への移行形態であるといっている」というとんでもない発言をふくんでいますが,まず搾取についての著者の定義が述べられていることに着目しましょう.

 すなわち著者は不払い労働=剰余価値の存在を承認した上で,それが一方的に取り上げられない=合意の上で取り上げられることをもって「搾取は存在しない」という規定としているのです.

 また有田氏は置塩氏の文章を肯定的に引用しています.

 労働者が剰余労働を自主的におこない,それによって生産された剰余生産物を自分たちが決めた使途にあてるのであれば,そこには搾取という人間関係は存在しない.

 すなわち「搾取」とは人間関係論的概念としてとらえられることになります.たしかに共同出資の経営であれば,搾取者と被搾取者の関係は存在しません.しかし剰余価値の生産とその資本への併合そのものを表す言葉として「搾取」を用いるのなら話は別です.「搾取という人間関係」はないが,搾取はあるとも考えられます.実はマルクスはそういう使い方もしているのです.

 マルクスは史的唯物論を完成させる過程で「搾取」という言葉を駆使しています.「共産党宣言」と「共産主義の原理」で搾取という言葉が頻用されますが,そこでは資本主義以前の生産様式と比べながら,近代的搾取の方法が展開されています.いまなら収奪というべきところにも搾取が使われたりしています.ここでの「搾取」という言葉は,人間関係論的な範疇での用語と考えられます.

 しかし一方で,G−W−G’の議論をするときに「搾取」という言葉を用いなかったかというと,そういうわけではありません.

 資本論第三部,利子生み資本を論じた文章のなかに,下記の文章が出てきます.

 現実の運動のなかでは,資本が資本として存在するのは,流通過程でのことではなく,ただ生産過程,労働力の搾取過程のなかでだけのことである.

 ほかにも同様の用例があります.困ったことに,マルクスには経済学的概念としての「搾取」概念も確固としてあったと言えるようです.この用語法にしたがえば,無慈悲な資本家による仮借なき搾取という人格的姿態をまとわなくても,価値のお化けである「資本」は搾取しているのです.「搾取は存在しない」と主張する際は,「狭義の」とか「人間関係論的な意味での」とかの文言をつけ加えるべきでしょう.

 

5.さいごに:目指すべきものとしての民主

 別に民主を目指す人でなくても協同組合は作れます.そこから民主を目指す団体もあるでしょう.それが実現すれば民主的な協同組合ができあがります.

 いっぽう,民主の実現を目指す勢力,有田氏の言葉を借りれば「民主“的”経営」のなかから,民主の証として大衆的所有の実現を目指す組織もあります.民医連ががまさにそうでした.

 戦後全国に烽火のごとく立ち上がった民医連組織ですが,なかには個人所有の経営も多く含まれていました.それが,地域の住民の立場に立ちきるためには,所有の問題を避けて通れないということで,ねばり強く大衆所有,大衆運営の組織に自己変革してきたのです.

 ただ,いずれの立場をたどったとしても,徹底して民主を目指す姿勢は共通しています.民主こそ私たちが瞳のごとく大切にしなければならないものです.

 


 この文書は,当初「民医連医療」に投稿するつもりでしたが,気が変わりました.

 理由は

(1)誰かの批判という形ではなく,きちっと自説を展開すべきであろうということ

(2)誰かの批判ということになると,なかなか「民医連医療」も載せにくいだろうということ

(3)路線論と,組織論の両方に関わるのは,相当しんどい仕事になり,それなりの準備が必要だろう.できれば集団的な作業として,正確な見解を打ち出す必要があると思われる.

 ということです.

 もちろんその場合は,この作業にそれだけの意味があるということが確認されなければなりません.

 その場合は,

(1)民医連の目標

民医連の目指す民主医療のあり方を綱領に即して明確に打ち出すこと.とくに医療民主化の課題の歴史的必然性を明らかにすること

(2)民医連の組織路線

階級闘争,市民的運動との関連を理論的にはっきりさせること.労組との関係についても原則をはっきりさせること

(3)民医連の経営理念

民医連としての経営理念についてNPO一般や協同組合との違いを明確にすること(人民への依拠と大衆路線,自主・民主・公開の三原則など企業民主主義の尊重,民主集中制)

(4)医療統一戦線(民民戦線)の展望

日本における医療統一戦線のあり方を明確にすること.おそらく社保協→「生命と暮らし,権利を守る国民共闘」のようなものになるだろう.さらに医療戦線統一の課題を明確に位置づけること.国民的統一戦線との関係で共同組織を位置づけること.

 これらの事項は民医連の組織としての根幹をなすものであり,たんに「非営利・協同」の批判に止まることなく,積極的に論議を展開する必要があります.

 以上より,勤医協における医療宣言起草委員会のようなものと結成し,協会外のメンバーも積極的に受け入れながら研究を深める必要があると思います.

 みなさんのご検討をお願いいたします.