第三セクター論の展開

立命館大学産業社会学部 松田博教授 著
「イタリア左翼における第三セクター論」の要旨紹介


「非営利・協同」の主張はイタリアの第三セクター論が下敷きになっているようです.立命館の松田先生がイタリアの生協運動を紹介した文章がありますので,その要約を紹介します.この文章は90年に大月書店から発行された「自立と協同の経済システム」という本の補章として掲載されているものです.

なおこの本,「療養権」の本を書くとき,参考になるかと思って買ったのですが,相当議論の対象となる問題提起をふくんでおり,とりあえずまったく参考にならないと思って買って,そのままにしてあった本です.
たすきのキャッチコピーを紹介しただけでもその雰囲気が分かってもらえると思います.

政府や財界が描く大企業本位の「21世紀ビジョン」に代わり,国民サイドからの「代案」を提起する.現代日本の経済・社会構造の検討を通じて,「自由人の協同」をベースとした社会変革と新しい社会主義像を提示する.

というものです.(ただし松田先生の論文そのものは,極めてまともで説得力のあるものですが…)

いささかしんどい作業ですが,これはこれで,しっかり批判的に読む必要があります.

1.伝統的協同組合観の刷新

 イタリアの生協運動は,第二次大戦後の混乱期,共産党が主流となって形成されています.もちろん戦前から労働者の購買組合のようなものはあったのですが,共産党は生協を労働運動に不可欠なものとして位置づけ,その発展のために大いに努力しました.その結果イタリアの生協は,ほかの商業資本と肩を並べるほどの価格決定力や,消費者運動に対する影響力を獲得したのです.

 これほどの組織に成長したのは,なんと言っても労働運動の主流を総同盟が握り続けたこと,国民の3割近い支持を共産党が維持したことが大きな理由です.

 しかし,協同組合を労働運動の兵タン部とみなす「政治主義的協同組合観」も強調される傾向がありました.

 この認識は,協同組合運動内に根強く存在する「改良主義的」潮流への批判,という側面では正しかったのですが,生協運動の独自の意義や,社会的・経済的機能,統一戦線の一翼としての役割を過小評価する誤りを内包していました.

 生協組織が大きくなるにつれこの矛盾も拡大し,60年代初頭には根本的な見直しがおこなわれることになります.これがいわゆる構造改革論です.

 トリアッティらが掲げた構造改革戦略との関係で,協同組合観も大きな変貌を遂げることになりました.協同組合は労働者中心主義,前衛主義の束縛を逃れ,統一戦線の一翼として「反独占闘争において広範な中間層を統合していく要素」として位置づけられるようになりました.

1962年に開かれた協同組合連盟(LEGA)の大会では,

(1)「協同組合は労働運動に対する単純な副次的役割から脱却し,反独占統一戦線の一翼として第一線の役割と責任とを引き受けなければならない」
(2)「協同組合は,独占資本が食い残した経済空間の中で発展することはあり得ない.協同組合は自らの力で第一線の自主的地位を獲得しなければならない」

 構造改革論そのものの是非は別として,この決議の内容はきわめて妥当なものと思われます.かつての民医連でも同じような「転換」を経験しています.

2.第三セクター論の背景

 真の意味でのイタリア生協運動の「転換」は,70年代後半にやってきます.第三セクターの提起もこの時期におこなわれています.従って少なくともイタリアの第三セクターを語る際は,この時の政治・経済・社会情勢がどのようなものであり,イタリアの民主勢力がどうやってその情況を打開しようとしたか,をしっかり分析しておく必要があります.

 イタリアの経済はオイル・ショックの後出口の見えない不況にありました.政権与党であるキリ民党は腐敗の極にあり,政権担当能力を失いつつありました.しかし共産党にはこれに代わって政権を担当するだけの力はなく,また強力な反共勢力との関係が険悪化していました.ファシズムがふたたび台頭する危険も十分に考えられました.

 このような状況の下で当時の共産党書記長ベルリンゲルは「歴史的和解」という戦略を打ち出したのです.中間政党との統一ではなく,それらを飛び越えて直接支配階級の政党キリ民党と和解しようという路線です.

 率直に言って,この路線の是非,功罪は私たちの判断できるところではありません.その瞬間でのイタリアの政局を分析した上での,その国の政党の判断は尊重されなければなりません.

 ただ,第三セクター理論が,歴史的和解という重大な選択と時期を同じくして,それと連動する形で打ち出された方針だということは,留意しておく必要があります.

 もっとはっきり言えば,第三セクター論は構造改革論をさらに大胆にダイナミックに展開した理論,革命に向けた「イタリアの道」に位置づけられた理論と考えられます.

3.「第三グループ」論の提起

 第三セクター論が初めて公式に提示されたのは,78年の協同組合連盟大会でした.

そこでは

(1)イタリアが迎えた空前の危機を打開するためには,公・私両セクターに対抗しうる「第三グループ」の形成が必要である.
(2)その中核的要素として協同組合セクターが建設されなければならない.

といった内容が議論されます.

 「第三グループ」という考えには当然多くの批判が出されました.執行部側は,「改革の過程における協同組合運動の役割を過小評価することは,資本主義体制内での民主主義的改革の可能性を過小評価することと同じである」と反発します.この論争を見る限り,60年代の「構造改革論争」とまったく違いはありません.

 

4.「第三セクター」理論の確立

 78年に提起された「第三グループ」論は10年間の討議と実践を経て,87年の協同組合連盟大会で第三セクター論にまとめあげられました.大会は第三セクターに関して次のように規定しています.

(1)第三セクターの性格:第三セクターとは「事業体」を意味する.第三セクターは勤労者,「企業家」,消費者によって組織され,市民の要求に基づいて事業をおこなう.
(2)第三セクターの形態:第三セクターの組織形態は多様である.それは協同組合だけではなく,共同事業体,連合形態など多様な法人形態を通じて組織される.
(3)事業の目的:第三セクターは個人や集団の経済的権利を守り発展させ,社会的参加と経済民主主義の展望を切り開く.
(4)運動としての課題:第三セクターは協同組合運動のみに関わる考え方ではない.それは広範な勢力を包合するという目的に沿った運動である.

 ここにいたり,イタリア協同組合運動は重大な転換を完成させます.スローガンはもはや組合員の生活向上や,消費者運動の統一とかではなくなりました.第三セクターを拡大(すなわち,協同組合事業を拡大)し,経済界における第三勢力となることを目指す「陣地戦」が,国の民主的変革につながる戦略課題として位置づけられることになります.

 イタリアの協同組合運動をレビューした松田教授は,

従来ともすれば,「事業(経営)と運動」という二元論にとらえられた両モメントが,「新しい企業システムとしての協同組合」という提起によって,より発展的統合されたといえよう

 とコメントしています.

 まさに協同組合運動の発展それ自体を自己目的化することによって,運動と経営との矛盾は,理論的には解消します.

 

5.第三セクターは可能か?

 第三セクター理論が成り立つためには,実体的な根拠が必要です.たしかにイタリアにはそれなりの協同組合運動の裏付けがあるようです.

 松田教授は87年に現地調査をおこなった京都・山形生協の訪問団の報告書を引用しています.

 これによると,協同組合セクターは経済激変のただ中でどのような経営戦略を採るかが迫られているといいます.その対応の中で打ち出されたのが路線としての「非営利・協同」,経営スタイルとしての「参加型運営」の考えです.

 路線としての「非営利・協同」とは

(1)財務・サービスにおける協同の推進と中央集中化
(2)リストラではなく積極経営,雇用の拡大による経営構造の改革
(3)新たな経済活動領域の開拓.これは利潤追求至上主義の私企業に取り組めない社会保障の拡充,新しい食品の開発,環境問題,安全性,老人問題といった領域

 を意味するようです.

 「参加型運営」とは,協同組合に働く労働者が,たんに生産面にとどまらず,組織そのものの運営への参加もおこなうというもので,民医連にとっては取り立てて目新しいものではありません.むしろ「民主主義の先進国イタリアがこんなことを議論しているのか?」という感じもします.

 報告者は次のように結論しています.

市場の論理のまっただ中に身をおいて,企業的性格を持ちながらも,なおかつ参加が成り立つ自主的・民主的組織を作ることは大事な目標である.あるいはそうした社会を目指すことが大事である.
そのような組織として第三セクターが前進することには大きな意義がある.ただし協同組合運動の意義を度外れに強調すれば間違いになる.

第三セクターの前進には第三セクター自身の自主的活動が基本となる.それは間違いない.しかし,それだけでは不可能であって,やはり国家政策との絡みを外すことは出来ない.

肝腎の第三セクター論は,定義としてはまだ仕上がっていないと見るべきである.しかしその可能性という点から見れば,さしあたり三つの側面から説明されるだろう.

(1)いまのところ経済社会で大きな比重を占めているわけではないが,統合化,中央集中化により第三のセクターを形成しうる可能性がある.
(2)市場の論理が通用しない分野,例えば環境,安全,福祉などの領域では積極的な役割を果たす可能性がある.
(3)公,私いずれの企業とも異なる企業体としての性格.所有の面での協同組合的性格,自主管理,直接参加型の形態である.直接参加を求める人々の声を結集できれば,発展する可能性がある.

 この報告には大いに共感するものがあります.もちろんこれは,もう12年も前の調査報告です.いまではもっと異なった可能性が広がっているのかも知れません.