「室町君って、冷たいよねー」
いつもの屈託の無い笑顔で、千石さんが言ったので
言われた言葉の意味を理解するのに多少の時間を必要とした。
試合形式の練習の合間で、コートの方ではボールが跳ねる音が聞こえる。
今まで打ち合っていた千石さんと、
一緒のタイミングで水飲み場にいるのはおそらく必然ではあったのだろう。
「…は?」
どう反応して良いのかもわからない。
いつも、衝動的で突拍子も無いこの先輩はさっきから笑顔を崩さずに俺の方を見ていた。
「何て言うか…人との間に壁、作ってるよね。」
そう言いながら、蛇口の下に頭を持っていく。
ざば、と冷たい水をかぶって嬉しそうに声をあげる様を
ただ呆然と見返すことしか出来ない俺を、誰が責められようか。
「―――ケンカ、売ってるんですか?」
「えぇー?室町くんには勝てそうに無いから、売らないよーオレ。」
博愛主義だし、オレ―――とも、付け加えて
犬のような仕種で頭の水滴を跳ね飛ばした。
その水が、俺の方にも少しかかったけれど取り立てて苦情を言う事でもない。
肩にかけているタオルを使えばいいのに、とは思ったけれど言うだけ無駄なのだと、思っている。
掴み所の無いこの先輩は、苦情を言った所で頭の片隅にも留め置かないだろう。
顔だけは、タオルで拭いて髪は濡れたまま放って置くつもりらしい。
「今の、南だったら…怒られてるけどねー」
「……わかっててやってるんですか、貴方は」
えへへ、と笑って顔に残った水滴をタオルで拭う。
「何で室町くんは、思った事を言ってくれないんだろうね。」
タオルに覆われた顔は、俺からは見えず
通常より少しトーンの下がった声からはその感情を量ることが出来ない。
そのまま黙ってしまったので、俺が何かを言うのを待っているようにも思えた。
(―――言える筈が無いのだ。)
ぽたりぽたりと、オレンジ色の髪の毛から落ちる水滴が
ユニフォームの色を明るい緑を深い緑色に変えていく。
俺をこの感情と向き合う事も出来ない臆病者だと、罵ってくれてもいい。
これ以上惹かれることのないように、これ以上想うことのないように。
ただひたすらに強く願って、きつく目を瞑った。
(下手な期待はしたくない。望みの無い夢も、見たくない。)
もうこれ以上考えないようにと、思考を強制終了する。
「―――俺、室町君とケンカがしてみたいよ。」
突然の聞こえてきた言葉に、慌てて顔をあげる。
千石さんが、どういう風にその言葉を導いたのか。
その思考回路なんて、わかるはずも無い。
先程は『ケンカはうっていない』と、意思表示し
博愛主義だと笑った、同じ人間の言うセリフじゃ無いだろう―――と思う。
少し顔をあげた千石さんと視線が絡み合った。
まるで、親に叱られて泣きつかれた子供が布団から少しのぞかせる顔のような。
いつもの余裕のある表情ではなく、少しバツが悪い
………居心地の悪いような表情をしていた。
「……何、言ってるんですか…。」
「今のままじゃ、ケンカにすらならないからね。―――――あぁ、」
続く言葉で俺が口を開く前に、会話を遮断される。
後ろを振り向き、もう一度俺の方を見た千石さんは
今度はいつもと同じように、へらりと笑った。
「南が呼んでるみたいだ……、コート………戻らないとね。」
(この人は、強いから笑うんだろうか。それとも、弱いから笑うんだろうか。)
前者でいて欲しいとも思うし、後者の方がマシだと、思いもする。
少なくとも、自分のように卑怯者ではないことは確かだ。
「は、い…。」
ぎり、と奥歯を噛み締めて続く言葉を飲み込んだ。
このまま心を閉ざして、感情を閉じ込めて。
やり過ごしてしまうのが、多分お互いにとって一番いいことだと思う。
関わりあう事で、これ以上傷付く事もなくそのまま良き先輩と後輩の関係で。
(―――…。)
心が痛いのは、千石さんの言葉の真意を考えないからだろうか。
心が重いのは、秘めてしまったその感情が強いからだろうか。
千石さんが、コートに向かい歩き出したので自分もその後ろに並ぶ。
足元が―――地面がひどく不安定な気がした。
「千石さん…」
自分の耳にすら届かないよう、貴方の名前を呼ぶ。
聞き取られて無いように、小さく。
―――小さく。
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