【雨】







水も滴るいい男…とかいい女とか、よく言うけど。
今僕の眼の前に居る人は、まさしくそんな感じだと思った。

長く、目にまでかかる前髪は、少し濡れている所為でぺたりと張り付いていて。
さっきから止みそうにも無い雨を見上げてから、またその視線を落とした。
時間を持て余している感じの荒井先輩の眼は、どこかうつろ。
何を考えてるのか聞いてしまいたいけれど、何となくそれも躊躇われた。

ただ、雨の音に耳をすませるだけ。

「何か?」
「え?」
何の前触れもなしに、問い掛けられた言葉と視線。
あまりに急で、不覚にも身体が震えてしまった。
「僕の顔に何かついてますか?」
言われてからはじめて、不躾に先輩の顔を凝視していたのだと気付いて、慌てて謝る。
「いえ、違います…!ごめんなさい!」
「………そう、ですか?」
そう言って、口元をゆがめて笑う。
一瞬、その表情に見惚れて慌てて視線をそらす。
規則的に聞こえる雨音が、先程から少しだけ早くなっている心臓の音と重なって違う音のように聞こえた。
「坂上君は、帰らないんですか?」
そう言われて、やっと帰らなければと思った。
ピークはすぎたのか、人もまばらになった生徒玄関口にどれくらいこうしていたのだろうか。
うっかり天気予報を見忘れてきてしまった為に、傘を忘れてしまって途方にくれて
せめて最寄の駅まで、と誰か傘を持っている知り合いに頼む為に誰かが通るのを待っていたのだけど。

視界に、荒井先輩が、映って。

思わず、声をかけた。
傘を持っていない様子の、彼に。
「誰かを、待っている…とか?」
僕が、何も答えないから荒井先輩は重ねて質問をしてきた。
「あー…、似たようなもんですかね…ぇ。」
なんて言っていいのかわからなくて、言葉を濁す。
そう、最初の目的では傘を持っている知り合いを待っていた。
でも実際、荒井先輩とこうやってぼうっとしている間に、
知り合いやクラスメイト達が帰っていくのを声もかけずに見送ってしまっている。
「似たようなもの?」
「えーっと…だから…その、」
言えるわけない。
本当は、しっかりと誰かを待ってるわけじゃ無い。
荒井先輩と、離れがたくて帰るタイミングを無くしてしまっただけ。




「あ。坂上…!………と、荒井。」




どう言えばいいのか、脳内でめまぐるしく考えていたら目の前の先輩とは違う声が背後から聞こえた。
「………………。おまけみたいに言わないで下さいよ、新堂先輩。」
荒井先輩がそう言ったので、慌てて振り向くとそこには新堂先輩がいた。
「悪ィ、悪ィ。お前、影薄いからさ。」
こうもはっきり……しかも笑いながら言えるのは、新堂先輩の長所なのか短所なのか…。
荒井先輩の方も、「失礼な、」と言いつつ…さほど気にする様子もない。
「んで?お前ら帰らねぇの?」
そう言いながら鞄を脇に抱えて片手に持っていた傘のとめ金をはずした。
(あ、先輩傘持ってるんだ…)
ぼうっと、新堂先輩を見て思う。
………確か先輩も最寄の駅を使うはずだ。
傘の中に入れてもらおうか、そう思いはしたけどとうとうその言葉は新堂先輩には言えなかった。
別れの挨拶をして、その背中を見送る。
新堂先輩は、確かに怖い雰囲気は持っているけれども話してみれば面倒見のいい先輩だし
有り難いことに僕のことも気に入ってくれているみたいだった。
頼めば、傘の中にだって入れてくれたに違いない。

それでも。

荒井先輩と一緒にいた時間は、思いの外心地よくて。
別に世間話をして、談笑するわけでもなければ共通の話題があるわけでもない。
ただ、その雰囲気が僕を安心させる。
少しでも、この時間が続けばいいと思ってしまう。
雨の音と共にこの時間が永遠---とまではいかなくても、少しでも長く……と。


「………先輩は……誰か待ってるんですか?」
何気なく、聞いてみる。
荒井先輩は、少し困ったように笑う。
「誰も。」
「は?」
「あぁ、待っていたことになるのかもしれませんね………君を。」
「えぇ?」
「何となく、君に会いたいと思っていたらタイミング良く君から声をかけてきてくれた。
君が、誰かを待っているらしいのをいい事にその時間を頂きました。」
(………先輩も-----僕と同じように、心地よく思ってくれていたんだろうか。)
驚くよりも何よりも、訳のわからない嬉しさがこみ上げて胸がいっぱいになる。
校舎からは合奏部の練習なのか、楽器の不協和音が聞こえ始めた。
静かに響く雨の音と、音の通りがいいからか聞こえ始めた楽器の音と、僕の心臓の音だけが耳に届く。
「………う、嘘です。」
どうしよう、どうしよう…と気持ちだけが空回ってどうにもならない。
「……………僕の言葉、信じてもらえませんか?」
「ち、違います!…さっきの、さっきの…僕、嘘つきました。」
「嘘?」
荒井先輩が、こっちを見た。
僕は荒井先輩を見ていたから、自然と目があう。
さっきから聞こえていた音が、僕の世界から消える。
無音、だ。
まるで、僕の世界だけが先輩と僕だけを残して他の世界と切り離されたような感覚。
「僕も、誰かを待ってた訳じゃなくて…。
あ、本当は傘を持っている友人が誰か通らないかなーとは思ってましたけど…!
先輩と居たらそんなの、忘れてて…。
いや、覚えていたんですけど…そんな事はどうでもよくて…」
(あぁぁもう、何言ってんだ僕!)
支離滅裂、ってこう言う事を言うんだ。
脈略も何も、あったもんじゃ無い…。
感情の空回りで、まともな思考が働かない。
ただ、思いつく言葉を並べた言葉をそのまま先輩に伝えると後悔の念ばかりが残って居た堪れなくなる。
「あのッ、変な事言ってすみま…」
「坂上君」
とにかく謝ってしまおうと、そしてこのまま逃げてしまおうと、
鞄を強く握った時に其れを遮る荒井先輩の声が耳に入る。

「僕、実は折り畳み傘を持ってるんですけど駅まで一緒に帰りませんか?」

音が、蘇える。
雨が地面にぶつかる音が、鮮明に耳に届く。
先輩が今まで出していなかった折り畳み傘を、鞄から取り出した。
冷たい金属音と、傘の布の部分が開く音。
「どうぞ。」
そう言いながら自分の隣のスペースを空けて、先輩は屋根のある場所から一歩進み出た。
傘にぶつかる雨音。
高校生男子一人でも狭いようなその折り畳み傘に、二人入るスペースがあるわけもなく
先輩の肩が濡れてしまっていた。
「あの…でもっ、」
「坂上君、傘は口実です。………もし嫌じゃなければ、一緒に帰りませんか?」
そう言われてしまえば、断る理由など無い。
「…………はい」



傘が狭いせいか、二人の距離がいつも以上に近くて恥ずかしい。

隣に並んで歩く、二人の歩調が一緒で妙に嬉しい。







「先輩、今度…雨の日じゃなくても一緒に帰ってもらえますか?」
「勿論。」










肩は濡れてしまっていたけれど、先輩のその言葉で心は妙に温かかった。












(2003/5/6 UP)

<モドル





※過去に挑戦していた モノカキさんに30のお題「雨」です。
只今お題の配布は終了されています。

「雨」のタイトルですぐに思いついたのが、やっぱりポップンのサトリュだったのですが
あまりにイメージを固定しすぎるのも、書いてる自分がおもしろくない…と思い
あえて、違うジャンルとカップリングで挑んでみました。

唯一つ、この学怖で雨を書くのはやはり抵抗があって(雨の怖い話も数点あるので)
笛!の郭で話をすすめていたのですが、郭にしては暗く…結局荒井で…。
そして私が書くと、基本的に(殺人クラブ以外では…?)坂上がすごく乙女っぽくなる事がわかりました。
今更ですか、今更ですね。ウフフフ…。