れたと、われるい。






ぱしり、と乾いた音が響いた。
手塚さんの眼鏡の奥の瞳が一瞬だけ、見開かれた。
振り払われた手をもう一方の手で抑えるような仕種を見せたが
それをせずにただ俺の方を見つめてくる。
振り払った俺の手は妙に熱く、感情が上手くコントロール出来ずに震えていた。

「―――――もうッ、ほっといてくれ!」

らしくもなく、声を荒げてしまった。
でもそんなことに構っている心の余裕はない。
ここで、否定しなければ俺は負けてしまう。
居心地の良いこの場所を受け入れてしまう。
(嫌だ、そんな――)
この人の事を思うだけで胸が苦しくなるんだ。
泣きそうになるような、甘い痛みが煩わしく思えているうちに
俺はこの場所を、貴方の手を離してしまわなければ
浅ましく貴方に依存してしまうだろう。
その手を離したくないと、思うようになってしまうだろう。
(嫌だ!)
貴方の存在が、俺を弱くする。
貴方の存在が、俺の心を強く揺るがす。
こんなに心乱すほど、貴方の存在はいつの間にか俺の心に浸蝕し
俺を「今までの俺」とは違ったものに染めてしまう。
「………叩いたりして、すみません。だけど、もうこういうのやめましょう…」
「こういうの?」
手塚国光、という存在は俺にとって遠いものであるべきだ。
その距離感は、関東大会の跡部部長との試合に植え付けられた印象によるものかもしれない。
けれど、それだけじゃ無い。
おそらく、俺がどれだけテニスが上手くなってもその距離感を縮めようとは思わなかっただろう。
例え俺がこの人よりもテニスが上手くなったとしてもそれは変わらない。
テニスだけじゃ無い、この人にはこの人の確固とした「力」がある。

遠くあるべきだ、触れようと思えば触れてしまえる距離にあることが
そもそも間違っているのだ。
優しくされれば、次も期待してしまう。
自分と貴方の距離も考えず、俺は求めてしまう。




(怖い。)




「日吉。」
この声は、麻薬のようだ。
(聞くな、耳をかたむけるな、聞いてはいけない!)
そう、心の中で思うのに、それが出来ない。
もう手遅れなのかも知れない、そう思う。
「俺はお前を……苦しめるだけなのか?」
声はいつもと違って弱々しく、語尾は震えて消えそうだった。


苦しい、と言えば。
もう
会う、ことも、無いんだろうか。

肯定すれば、
貴方は、あの試合のように
心の、「痛み」で顔を歪めるんだろうか。




「――――っ。」
言葉が出なかった。
口から漏れたのは嗚咽だけで、俺は手塚さんを見返す勇気も無かった。






2007/2/13 UP



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