「アンタがいなくても、俺は平気だよ。」







俺は、アンタにそう、言ったけど。

(……自分が言った言葉すら、責任が持てそうにない。)








胸がぽっかりと穴をあけて、その中から誰かがせせら笑っているような気がした。
自分にとって「手塚部長」は、そんなに遠い存在ではなかったのだ。
言うならば、「部長」と「後輩」という関係だけだけではない……のだが、
こんなに自分が相手に対して依存しているなんて、少しも思っていなかった。
手塚部長が傍にいないというだけで、どっかりと重苦しい空気が自分にのしかかっているような気がして盛大にため息を吐く。
それでも、何度吐き出してもすっきりとしない。
物思いに耽ってしまうのは、暑さも寒さも主張しない秋らしい気候の所為だろうか。
ボールコントロールさえ曖昧で、狙った所にうまく落とせない。
(九州ってどっちの方向にあるんだろう……)
考えてしまうのは、そんな事ばかり。
こんなにも簡単に、部長の事になると思考が乱されてしまうことに辟易した。
これで最後とばかりに、もう一度ため息を吐き出せば背後から聞き慣れた声が聞こえてきた。
「どしたの〜?オチビがため息なんてらしくないにゃー」
そう、今は部活中なのだ。
しかも引退後も定期的に訪れる先輩たちも今日は居て、いつものように自分を構ってくる。
本当の理由を言う事が悔しくて、ただぶっきらぼうに
「別に、なんでも無いっス」
と答えた。
菊丸先輩は当然のことながらそんな言葉で納得はしなかったけれど、
大石……元部長代理に呼ばれてこの場所を離れて行った。
集中しなくてはいけない、とわかっているのにそれが出来ない。
ボールだけでなく、自分の感情すらコントロールできない事を、なんだか情けなく感じた。
例えば、今この場所に手塚部長が居たら「集中しろ」とか「グラウンド十周だ」とか、俺に喝を入れるだろう。
でも、その手塚部長は今この場所に居ない。
(――――俺の、傍に、いない。)
永遠の別れじゃ無い、
次に会う時は全快の部長と戦える、
何十年も離れているわけじゃ無い、
ずっと会えないわけではない、
―――頭では理解していても、心が悲鳴をあげるように手塚部長の温もりが傍にないというだけでこんなに不安定になる。
自分自身に対する絶望や苛立ちよりも、ただただ手塚国光と言う名の存在だけをどこかで探している。

「越前、コートの中で考え事していると危ないよ?」
辺りに気を配っていないかった所為か、すぐ傍に来ていた不二先輩の気配に感づく事が出来なかった。
驚きのあまり大きく身体が震えてしまうのが自分でもわかった。
そんな失態に、抜け目のない不二先輩が気付かないはずが無い。
「あ、スミマセ……」
「意外だなぁ。」
謝ってコートから出ようとしたら、それを遮るように絶妙のタイミングで不二先輩がその言葉と共に俺に笑いかけたので、
条件反射のようにその意味する所を聞いてしまう。
「何がっスか。」
問えば、不二先輩はさらに笑みを深くするだけで何も答えをくれない。
(不二先輩……、俺の反応を楽しんでいる…)
此処で反応を返しては負けだと言い聞かせて口を引き結び、
さっきしようとしたようにコートから出ようとしたら、不二先輩に背後から抱きつかれた。
「んッ!?」
思わず出てしまった声も、辺りにはそんなに響かない。
「反論を許さない」と言わんばかりに俺の口元は、不二先輩の手で塞がれていたからだ。
そして不二先輩は、
「大石!越前の体調があまり良くないみたいなんだ、早退させていいよねー?」
少し離れていた大石元部長代理に、予想外の言葉を投げかけた。
新部長と副部長が共に掃除当番で遅れているらしく、大石元部長代理が指示を出していたので、その言葉に従う事となる。
大石先輩は、さっきから体調悪そうだったもんなぁ等と納得して、いとも簡単に承諾してしまった。




 むしろ、納得できないのは俺自身だ。
少し憂鬱だっただけで体調なんて良好そのものだし早退する気もなかったのだから、突然そんな事を言われても困る。
相変わらず不二先輩の意図は読めないままだった。
「俺、体調なんて悪くないっスよ」
何故か、部室まで一緒についてきた不二先輩にそう言う。
大石元部長代理の承諾を(不本意ながらも)得てしまった今、体調の悪いふりでもして帰宅した方が、不二先輩の―――自分の為であった。
ユニフォームを脱いでロッカーに放り出すような形で置かれていた白いシャツに手をかける。
不二先輩の方を横目で見れば、いつもの笑顔を顔に貼り付けたままだ。
不満顔である事を悟られぬよう着替えの方に意識を向けると、背後から不二先輩が突然声色を一変させて真剣な声で
「……手塚と喧嘩でもしたの?それとも知らないの?」
と、予想外の言葉を吐いた。
さっきまでずっと考えていた人間の名前が、思わぬ人間の口から発せられたので、動揺を隠し切れない。
着替えの為に忙しなく動いていた手も一瞬だけ止ってしまう。
「手塚部長……が、どうしたんすか……」
同様のあまり、声が裏返ってしまわないようにと慎重に言葉を選んで問えば、その答えはあっさりと返ってきた。
「その様子だと…知らないんだね。今日が手塚の誕生日だって。」
「――――――――――――は?誕生日?」
今まで神妙な顔だった不二先輩が、突然にやりと笑う。
「越前の事だから、手塚に怒られても学校サボってでも会いに行くと思ってたよ。」
「―――――…」
(―――前から知っていたのなら、多分行ってた。)
不二先輩の言葉に、心だけで同意する。
純粋に部長を祝いたいという気持ちが半分、一年に一回しかないこの日を会いに行く口実にしたいと言う気持ちが半分。
ここから九州までは、決して近い距離ではない。
ちょっとそこまで、と言う場所ではない事は重々承知している。
 会いに行ったら、部長はどんな顔をするだろうか。
まずいつものように難しい顔をして、腕を組んでお叱りの言葉を受けることは確実だろう。
部長に愛の言葉は似合わない。
素直に、来てくれて嬉しいとは言ってくれないことも予想が出来る。
(それでもいい。)
会いたい気持ちが、ぽつりぽつりと雪のように胸の中に降り、積もっていく。
胸の中がそれで埋め尽くされても、その欲求は止まる事を知らない。
 ただ、会いたい。
その存在を確かめるように、触れたい。
今までは当たり前であった事を、一つ一つそれが奇跡である事を確かめるように。
(―――――会いたい…)
一度その思いを強めてしまうと、もう後戻りは出来なかった。
その感情を取り消す事なんて出来ない。
「まぁ、今日はもう今から九州に行く事なんて無理だろうから、電話でもしたらいいんじゃないかな?」
いつもより早く帰れるんだからたくさん話せるじゃ無いか、と付け加えた先輩を見る。
「――――――不二先輩、何企んでるんスか…」
「何も〜?」
やはり、掴み所の無いこの先輩は先ほどと同じように笑っているだけだった。
ふ、と短くため息を吐いて自然と笑顔になってしまうこの顔を向ける。
「アリガトウゴザイマシタ。」
スポーツバックに荷物を詰め込んで、部室を飛び出した。
今週末に、会いにいこう。
本当は一分でも一秒でも早く会いに行きたいけれど、出資者(バカ親父)を説得しなければならない。
とりあえず今やるべき事は、少しでも早く家に帰って少しでも早くあの人におめでとう、と伝える事だ。
 地面を蹴る足が先ほどとは比べ物にならないほどに軽やかで、心まで軽くなったような気分がした。
有りえないことだけど、走り続けているこの道がこのまま九州まで続いていて部長のところに辿りつけてしまいそうな、そんな気さえする。
運動の為ではなく、早く家につくために走り続けているからペース配分なんて全く考えずに、ただがむしゃらに足を動かす。
息をつく時間も勿体無くて頭がクラクラしたけれど、何故だかそれも妙に嬉しかった。
秋に染まる街並みも霞んでいたし涼しいはずの気候も今の自分からしたら暑いくらいだったけれど、とても気持ちがいい。
この季節に部長が産まれたのだと思うと、秋という季節が好きになれそうだ。
 


 気持ちばかりが焦って、家の鍵を開ける事さえ難しい作業に感じてしまう。
ようやく開いたドアを慎重に閉めてから、荷物は玄関そのままに電話の前まで急ぐ。
荒いままの息を落ち着かせるために深呼吸を繰り返す。
本当はこの瞬間だって、惜しいくらいだけど。
胸が早鐘を打って、息苦しく感じる。
(「会いたい」とか、「寂しい」なんて言葉……絶対に……)
言わない、と心に誓う。
その言葉を言わない自信は無いが、気力で何とかしてみようと、思う。
部長も困るだろうし、何よりも九州に行く部長にあんな言葉を吐いてしまった手前悔しくもあった。
(言わない。絶対に言わない。)
意を決して、受話器に手をかけた時――――

TRRR……

「!」
驚いて、飛び出しそうな心臓の動きが自分でもわかった。
どくりと脈打ち、全身の血が逆流するような感覚。
普段ならば、誰もこの家に居ない時間帯だ。
性質の悪いセールスだろうか、と思いながらも受話器をとった。
「もしもし」
「何でお前が家に居るんだ、越前」
すんなりと、耳元に流れ込んできた声は他の誰でも無い。
手塚部長、その人に他ならなかった。
吃驚しすぎて心臓が口から出てきそうだ、と思った。
別れてからそこまで月日は流れていないから大きな変化などあるはずも無い。
それなのに実際に何の変化も感じられず、別れた時のままだったから―――あの瞬間の続きのようで妙に嬉しくなる。
この人が手塚国光のままでいてくれて良かったと、ひっそりと思った。
「――――――なら、まだ俺が帰宅していないはずの俺の家に何の用っスか……」
「―――――……」
もっともな質問だったと思う。
案の定、手塚部長は電話口で押し黙っているようだった。
多分部長の方は携帯電話なのだろう、外の雑音がざわざわとかすれて聞こえる。
「え、もしかして部長って親父と浮気…!?」
と、冗談めかして言えば
「……何でそこで南次郎さんが出てくるんだ、お前……」
と、げっそりとした声で返って来たので、思わず笑ってしまう。
何も変わらないやりとりに、涙腺が緩みそうになる。
 言ってしまいそうだ、と思った。
目に溜まっている涙が落ちてしまったら気が緩んで、絶対に言わないと決めた言葉達が胸から溢れ出して止まらなくなりそうな気がした。
(何で近くにいないんだろう、何で傍に居てくれないんだろう、何で触れられる距離に、何で―――)
胸が痛くて、苦しい。
どれもこれも、アンタの所為だと、罵る事さえ悔しくて出来ない。
「―――越前?」
油断すれば、弱音を吐いてしまいそうで返事をする事だって出来なかった。
ただ、痛いくらいに耳に受話器を押し当てて部長の声に集中する。
すると、

「―――――――会いたい、越前。」

穏やかな低音が、耳の中に入り込んできた。
部長が自分と同じく思っていてくれた事が驚きであり、喜びだった。
堪えていたのに、その不意打ちのような言葉をきっかけに瞳からぼろりと大粒の涙が零れ落ちる。
「――――れ…って、……ぃたいよ…っ」
胸に押し込んでしまった言葉は、苦しくてはっきりと言葉には出来なかった。
それでも、何度も言う。
「俺だって!ずっと、会いたかった…!」
一度溢れ出してしまった言葉を、留める事はできない。
こんなところで駄々をこねても仕方が無いとわかっているのに、涙も言葉も止まらない。
「―――越前……」
受話器の向こう側で、多分困っているのだろう手塚国光が脳裏に浮かんだ。
歯を食いしばって、泣き止もうと努力はしているのだが、拭っても拭っても塩辛い水は止まらない。
一通り気が済むまで泣いて、少し気分が楽になるまで部長は何も言わずに電話を繋いでくれていた。
窓から伸びる光がオレンジ色になっている。
どれくらいそうしていたのかわからなかったけれど、すっかり夕方になっていた。
「すみませ…ん…。部長…」
今更ながらに隠そうと思っていた感情を吐露してしまった自分自身を、憎いと思っていた。
少しは冷静になれた頭で、後悔したり妙な恥ずかしさを感じていた時に突然部長が、
「越前、お前に言いたい事があるのだが。」
と、改めて話を切り出してきた。
「………え、」
鼻声で、聞き返す言葉もかすれて頼りない。
無言でその先の言葉を促すと、部長は言葉が言いづらいとでも言うように口ごもってから言葉を繋いだ。
「実は今、お前の家の前に到着した―――の、だが。」
突拍子も無い言葉に、頭が理解するまでに時間がかかった。
何の冗談か、と。
「―――は、ぁ?」
これは、冗談の嫌いな部長なりの精一杯の冗談だろうか。
笑わなければいけないところだろうか。
冗談にしては、性質が悪いと思うわけですが。
どうしたらいいんですか、俺。
「―――チャイムを鳴らすべきだろうか?」
言葉を最後まで聞き終えるかどうか、そんなタイミングで自分の身体が反射的に動いた。
ごとり、とフローリングの床に受話器が落ちた音が背後で響いた。
さっき帰ってきた時のまま、玄関に置かれた荷物を踏み越えて玄関の扉を開ける。
そこには―――
「――――部長……ッ。」
一方だけに夕陽を浴びて、オレンジ色に染まる手塚国光が居た。
縋るように、その固有名詞を。
眉根を寄せて困ったように立ち尽くすその姿は、やはり最後に会った時と、そんなに変わらない。
少し髪の長さが長くなったかも知れない……そんな程度だった。
(夢だろうか。)
まるで信じられないものを見るように、ただただ凝視する。
扉を開け放ったままの姿勢で、次の一歩が踏み出せずに身体を竦ませたまま。
時が止まったかのように、二人ともしばしの間ぴくりとも動かなかった。
沈黙を破ったのは、部長のほうだった。
「―――泣かせてしまったな、すまん。」
その言葉にやっと、我に返る。
どこかに飛んでいった思考もやっと現実に引き戻せた。
「お、俺……。せっかく部長に久々に会ったのに、すっごいボロボロな…顔してる……。」
吃驚しすぎてか、嬉しすぎてか、さっきやっと落ち着いてきた涙がまた、ぽろぽろと頬を伝っている。
目をこすっていた所為か、酷く目頭が痛かった。
ゆっくりとこれが現実であるのかを疑いながらも手塚部長の前に立ち、見上げる。
「本物、だよね?」
「――――あぁ。」
小さくしゃくりあげて、手塚の腕にそっと触れた。
周りから帰ってくる事は聞いていなかったから、多分これは一時的な帰省なのだろうと思った。
またすぐ離れる事になるだろう、と心のどこかで思ったけれどすぐに打ち消した。
今は、目の前に居てくれる事がただ嬉しかったから。
「寂しかったっス。―――全然大丈夫じゃなかった。」
ふわりと抱きしめられて、耳元で
「俺もだ。」
と言われれば、その体温を直接感じて嬉しい反面妙に恥ずかしい気がした。
すぐには素直に伸ばせなかった手を大きな背中にまわす。
ぎゅう、としがみつくように密着するとさらに強く抱きしめられる。
「あ、」
唐突に思い出して、「離して」の意味をこめて背中をぱたぱたと叩けば少しだけ身体と身体の距離が離れる。
「――――どうした?」
眼鏡の奥で細められた目が、不満そうで少しおかしい。
目を覗き込むようにして、視線を絡める。
しっかりと、一つ一つの言葉を綺麗に紡いで、自分の気持ちがちゃんと伝わるように祈りながら、言う。




「誕生日、おめでとう。アンタに会えて…良かった。」
自然と笑顔になった俺に小さくキスをくれて、また抱きしめられた。





夕陽が落ちて今はもう、頼りになるのは街灯のみとなっていた。
薄灰色の闇の中に浮かぶ二人の影はしばらくの間、重なったままであった。   













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2004年の手塚誕生日記念無料配布本より。
誕生日近くにリョ受けオンリーに参加したので、塚リョになりました。
普通に考えて、夏で3年が引退だとすれば、
手塚の誕生日がきている頃には3年生が引退している事に書き終わる頃に
気付いたけれど、後の祭りでした。
無理矢理こんな事になってますが、3年生が部活に顔を出す事なんて
そんなに頻繁にはないよなぁ…って思います。
勿論、そんな頃には手塚は九州(もしくはドイツ?)から戻ってきているのだろうと…
期待しちゃってるのですが、まだ遠くにいる設定。
早く帰ってきて欲しいです。手塚カムバック!

(2004/11/20 UP)

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