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2000.7.12 水曜日(旅の3日目)
カイロ〜ルクソール


今日はピラミッド三昧だ!!
見学はカイロ近郊のギザ、ダハシュール、メンフィス、
サッカラをまわり、夕方、飛行機でルクソールへ飛ぶ。
昨日のカイロ市内見学でも、とにかく暑かった(40度以上はあったぞ。)が、
見学コースは日増しに南下するため、気温もそれに従い上昇する。
カイロはアレキサンドリアの近くで、エジプトの最北に位置しているのにこの暑さだ。
ドサンコの私は、かつて経験したことのない地獄の気温を味わうのだぞ〜。
気をとりなおして、いざいざ出発!!

ギザの三大ピラミッド
8:00、ホテルを出発、ピラミッド見学のためギザに向かう。沿道は椰子の木が茂り緑も多く、住宅街をぬってナイル川に架る橋を通過する。車窓からは巨大なピラミッドが見え隠れしてきた。突如、緑が消え砂漠地帯だ。15分ほどでギザに到着した。ギザの3大ピラミッドが目の前に並ぶ。教科書や雑誌でしか見たことのない本物のピラミッドが、私の網膜に映っているのだ。だ〜い感激。(写真は左から、クフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッド)それにしても、今日も暑い!! こりゃ間違いなく40度以上だぞ。

ラクダ
ピラミッド近傍まではラクダに乗って移動。もちろんラクダは初めてだ。ラクダが座っている状態で、ヨッコラショと鞍に跨る。カミさんもおっかなびっくり後ろに乗って、私の背中にしがみついている。突然ラクダがガガー!!っと吼えて長い首をうしろにむけ、私の足に噛みつこうとした。反射的に足でラクダの顔面をおもいきり蹴っとばした。ラクダはかなわぬと見たか、それ以来おとなしくなったぞ。ラクダ引きのおじさんは、商売熱心だ。テクテク、ラクダを引き歩きながら「マニーマニー」と手を出す。なにかと思ったら「マネー=チップ」をくれ〜っと言ってるのだ。ガイドさんから、ラクダ引きのおじさんには、既にチップは払ってあるので、要求されても払わないようにと聞いていたので、「ノー!」といって払わなかった。ラクダを降りて異変に気がついた。慣れないものに跨ったせいで、股関節が脱臼したみたいに痛む。以来、しばらくガニ股歩きを余儀なくされたのだ〜。

ピラミッド
ウヒャー!! でかい! ピラミッドは巨大なのは知っていたが、現実に
目の前に聳えるピラミッドをみたときは正直いって驚いた。
よくもこんなでかいものを造ったものだ。
それも4500年も前にだぞ。
ギザには3個の巨大ピラミッドがある。
一番大きいのがクフ王のピラミッド(一辺230.m・高さ140m・傾斜角51度50分)
二番目はカフラー王のピラミッド(一辺214.8m・高さ136.4m・傾斜角53度08分)
そしてメンカウラー王のピラミッド(一辺108.5.m・高さ66.5m・傾斜角51度00分)


エジプト考古学博物館蔵 エジプト考古学博物館蔵 エジプト考古学博物館蔵
                      

石の巨大建築
遠くから見るときれいな四角錐をしたピラミッドだが、近づいてみると一辺1〜2mもある巨大な石でできている。ゴツゴツとした岩山風だ。もっとも建造当時は、この石の上から全体を白い石灰石の化粧石で覆われていたので、こんなゴツゴツ状態ではなかった。カフラー王ピラミッドの頂上部にその面影が残る。(上部写真)とにかく、一段登るのもよじ登るって感じで、よくもまあこんな石を積み上げたものだとつくづく感心した。

公共事業?
ピラミッドは近年まで、「王の墓として奴隷を使用し作られた。」との説が有力だった。エリザベス・ティーラー扮する映画「クレオパトラ」でも、奴隷が鞭打たれながらピラミッドを造らされていた。しかし、最近ピラミッド建設に従事したと思われる労働者の村が周辺で発掘された。しかも家族単位で生活していた証拠物が次々を発掘されたのだ。さらに、その生活は決して悲惨なものではなく、結構幸せな生活だったようだ。がぜん、奴隷酷使説はあやしくなってきた。仮説としてピラミッド建設は現在の公共事業ではなかったかとする説が浮上している。つまり、ナイル川の氾濫期は農業はできない。失業者が増える。ピラミッド建設で仕事を与える。と、まあこんな三段論法だ。すくなくとも奴隷を酷使して建設したものじゃないらしい。本当のところはどうだったのか。今後の調査や研究結果が待たれる。

石の調達
さて、建材となる石はどうしたのか? 砂漠のなかにこんなに巨大で大量の石があるはずがない。実は材料の石はアスワンからナイル川を下り、船で運ばれた。ナイルの氾濫期の川岸はピラミッドの近くまで接近する。この季節を利用し運ばれたのだ。それを一個一個積み上げていく。なんとも気が遠くなる話だ。ごくろうさ〜ん!!

ピラミッド内部探検
メンカウラー王のピラミッド内部を見学した。危険防止のため階段に沿って手すりなども取り付けてある。40度以上の気温の外界から中にはいると、ひんやりした空気が心地よい。なんどか昇り降りし、玄室までたどりついた。ガランとした狭い部屋に蓋のない石棺がポツンとおかれていた。

4500年前に建造されたピラミッドは目の前の現存する。
なにかの必要にせまられて、こんなでかいもん建造したんだな〜。
不必要なもん造るはずないもんな〜。
古代の何千何万の人々がエッサエッサと石を引っ張っただろうな〜。
重かったろうな〜。事故で死んだ人もいたんだろうな〜。
完成したとき、バンザーイなんてやったのかな〜。
人間って途方もないもん造っちゃうんだな〜。
てなこと、いろいろ思いながらギザの
三大ピラミッドを見てしまったのだ。

スフィンクス
バスでスフインクスまで移動。顔は人間で身体はライオン。まじめな顔して東の方をジーと見ている。なに見てんの? 冗談はこれくらいにして、スフインクスは、砂に埋もれていたのを掘りだしたという。実はこの顔、カフラー王だとされている。神殿を守護する役目を担っているらしい。高さ20m、頭部5m、全長57mの巨大な想像上の石像だ。王の象徴である付け髭はイギリスに奪われ現在、大英博物館に展示されている。鼻が欠けているのはアラブ軍の砲撃演習で落ちたとか、フランス軍が小銃で撃ち落したとか諸説あるが定かでない。自然に落ちちゃたんじゃないの?

赤のピラミッド
昼食の後、ダハシュールに向かう。ダハシュールは第四王朝の始祖といわれるスネフル王(BC2610頃)が建設させたといわれる2基のピラミッドが残っている。スネフル王の北のピラミッド(赤のピラミッド)と南のピラミッド(屈折ピラミッド)と呼ばれているものだ。赤のピラミッドは底辺220m、高さ99m、傾斜角は43度40分と、ギザのピラミッドよりゆるやかで、ドッシリとした安定感がある。芯はこの地方の砂岩で築かれており、その色がやや赤みを帯びているため「赤のピラミッド」と呼ばれるようになった。それにしてもここは暑い。周りは砂漠で陽炎がゆらゆらしている。

屈折ピラミッド
赤のピラミッドの遥か遠くに、屈折ピラミッド小さくがみえる。写真は望遠レンズで撮ったものなので、やや霞がかってしまった。この、ピラミッドは底辺188.6m、高さ101.15mで途中(49.07m)から傾斜角度が変わっている。基底部の傾斜角、54度31分、上部の傾斜角、43度21分だ。どうして屈折したピラミッドになったのかな〜。諸説あるが 1、傾斜角51度31分のメイドゥムのピラミッドが崩れたので建設途中のこのピラミッドの傾斜角度を設計変更した。 2、王が病気になったので建設を急ぐため途中から傾斜角度を変更した。 3、上部の石が崩れたのでこんな形にした。 4、傾斜角度が大きく内部が壊れた、などなど。けれども、実際は、はっきりわからず謎なのだ!!

メンフィス
14:20、メンフィス到着。現在のメンフィスには古代都市としての遺跡は、プハタ神を祭った神殿、スフィンクス、ラムセス二世の像などがあるのみでほとんど残っていない。ラムセス二世像像は2階建ての建物に仰臥した状態で収蔵されている。写真は頭の部分だけだが全体は12m弱の巨大なもので、見学者のサイズと比較しても、その大きさがわかる。実際は15mぐらいあったとされるが、足の部分と頭冠が破損しており、現存は約12mだそうだ。それにしても、ラムセス二世さんは美男子だったんだな〜。本当に、こんないい男だったんだろうか。カイロのエジプト考古学博物館で見たラムセスさんのミイラは、こんなにいい男じゃなかったぞ!!

階段ピラミッド
15:00、サッカラ到着。これまたヘンテコなピラミッドがある。階段状のピラミッドだ。このピラミッドは古王国第3王朝3代目のジェセル王(BC2667〜2648ころエジプトを支配)が建設させた。正四角錐ではなく、底辺140m×118m、高さ60mのピラミッドだ。内部にも入れるようだが、残念ながら今回は行程になく、入らなかった。ピラミッドからはジェセル王の石像が出土している。また東西277m、南北545m、高さ10mの砂岩製の壁がピラミッド・コンプレックスを取り巻いている。ここも暑い。とにかくエジプトはどこへいっても暑い。涼しいのはバスの中とホテルの部屋だけ。たぶん45度以上の気温だ。アジ〜ヨ〜!! 

絨毯学校
15:30、階段ピラミッド見学を終え、途中「AKHENATON TAPESTRY SCHOOL」という絨毯学校に立ち寄った。ここでは10歳前後の女の子が絨毯織りの技術を学んでいる。よく見ていると、我々見学者に子供たちが横に座れと手招きする。女性の見学者が横に座り記念写真を撮ったりしていると子供たちは「マニー、マニー」と手をだす。要するに写真を撮らせてあげたのでマネー(チップ)をちょうだい!! って言ってるのだ。一見、ずるがしこいガキどもだと思ったりしたが、きっと、この子供たちは稼いだチップを親に渡しているに違いないと思い、かわいそうな気もした。いずれにしても、この国は子供も稼がなければならないほど貧しいのだ。考えさせられた。

ルクソールへ
さて、カイロおよびカイロ周辺の見学が終わり、ナイル川沿いのレストランで夕食をとり、
21:30、移動のため飛行機でカイロ空港を出発、22:20ルクソール空港へ到着した。
この日はカミさんが風邪ぎみで微熱もあり不調だったが、なんとか一日を消化した。
こんなときは、とにかく睡眠が大切だ。
おやすみ。