| 沖縄 | ||||
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| 行 程 表 |
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| 座喜味城跡 | 万座毛 | かりゆしビーチ | ||
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| 辺戸岬 | パイナップルパーク | 海洋博記念公園 | ||
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| 琉球城・蝶々園 | やんばる亜熱帯園 | 玉泉洞 | ||
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| 摩文仁・平和の礎 | ひめゆりの塔 | 琉球ガラス村 | ||
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| 守礼の門 | 首里城・正殿 | 魔除・シーザ | ||
| ■旅行日■ 2001.5.18〜5.21(3泊4日) | ||
| ■旅行会社■ 阪急交通社 | ||
| ■ツアー名■ びっくり沖縄 << 4日間 >> | ||
| ■主な周遊地■ 行程表参照 | ||
| ■一口メモ■ 天候・・・あまりよくありませんでしたね。途中なんどか傘のお世話になりながらの旅行になりました。ちょうど梅雨の季節でしたので仕方ないですね。でも多くの観光スポットを見学し、沖縄民謡や舞踊を楽しむことができました。ゴーヤを使った野菜タップリの料理も美味しかったですよ。記念に入手した陶器製のシーサは魔除けとして我が家の玄関で睨みをきかせています。機会があれば、今度は雨のふらない季節に訪れてみたいですね。 |
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<<< 戦争のこと >>>現在の沖縄は紺碧の海が広がるリゾート地として多くの観光客が訪れ楽しんでいきます。しかし忘れてならないのは戦争のことです。太平洋戦争の末期、この地でいったい何が起こったのか? 写真は”ひめゆりの塔”の傍に保存されている当時の壕です。この壕の中で、のちに”ひめゆり学徒隊”と呼ばれる少女たちは負傷兵の看護など献身的に働いたあげく非業の死を強いられたのです。「ひめゆり平和祈念資料館設立について」というリーフレットには、次のように記されています。(部分抜粋) 米軍進攻に備える沖縄守備隊は、県下女子中等学校の生徒らに看護訓練を強化し、米軍が上陸すると、ただちに学徒隊を編成して、戦場に駆り立てました。なんの法的根拠もなく、少女らの戦場動員を強行したのです。1945年3月23日夜、女師・一高女の寮生全員と自宅通学生の222名と職員18名が南風原陸軍病院に配属されました。生徒らは、ただ祖国の勝利を信じて、砲煙弾雨の中、身の危険も顧みず、負傷兵の看護や死体処理、医療器具、薬品、食料や水の運搬など、命ぜられるまま、献身的に協力したのです。5月下旬、日本軍は敗走し、南風原陸軍病院や各地の野戦病院も南部へ撤退しました。そして、すでに壊滅状態となった日本軍は喜屋武半島の戦場の真っただ中で、学徒隊に解散命令を下したのです。年端もいかない生徒らを、米軍包囲網の中で、投降を許さず、地獄の戦場に放り出したこの解散命令が、学徒隊の犠牲を更に悲惨なものにし、学徒、職員あわせて219名が尊い生命を失いました。・・・真実から目を覆われ、人間らしい判断や思考も、生きる権利さえももぎ取られ、死の戦場に駆り立てられた、あの時代の教育の恐ろしさを決して忘れません。・・・ この少女たちはどんな気持ちで死んでいったのでしょう。沖縄戦は90日余りの死闘で日米双方に20万余の犠牲者を出し、その12万余は沖縄住民だったそうです。朽ちたこの壕を見て、「二度と戦争なんかしないでください。」と訴える少女たちの悲痛な叫び声が聞こえてくるような気がしてなりませんでした。 |