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2004.6.30 水曜日(旅の2日目)
パリ経由〜バルセロナ〜バレンシア


シャルル・ド・ゴール空港
成田を発ってから、寝たり起きたり、エコノミークラス症候群防止のため、機内を散歩?したり、ミネラルウォーターをガブガブ飲んだり、旅行のガイドブックを読んだりと、とにかく暇つぶしにいそしんだ。なにしろトランジットのパリ、シャルル・ド・ゴール空港まで12時間も飛ばなくてはならないのだ。尻はいたくなるし退屈だし、海外旅行も結構大変だ。長距離国際線の飛行機にのっていてよく思うことだが、十数時間も空中に浮いていて、よく燃料が持つものだと・・・。ガス欠なんてイヤだよ。ま、そんなことはどうでもいい。ガス欠することもなく、エコノミークラス症候群になることもなく、現地時間夜明け前の、3:40分、無事シャルル・ド・ゴール空港に到着した。 バルセロナへの飛行機は6:40分出発予定なので、約3時間の余裕がある。狭い機内から開放され、まずはトイレに・・・。洗顔をする人や、喫煙場所で12時間ぶりの一服をする人、それぞれに開放感を味わいながら次の出発準備をする。3時間後、バルセロナ行きエールフランス(AF1048便)に搭乗、一路スペインに向かった。

バルセロナ・スペイン広場
シャルル・ド・ゴール空港を出発し、1時間30分後(午前8:20分)、バルセロナに到着した。意外に近い感じ。いよいよバルセロナを起点に、スペイン観光の始まりだ。機内で暇つぶしに読んだガイドブックから、スペイン・ポルトガルの概要をすこし紹介しておこう。まず、スペイン。国名:スペイン、公用語:スペイン語、政治体制:立憲君主制、人口:約3,940万人、面積:約50万平方キロ(日本の約1.3倍)、通貨:ユーロ、時差:夏時間で7時間、民族と文化が交錯する激動の歴史を持つ国。次にポルトガル。国名:ポルトガル共和国、公用語:ポルトガル語、政治体制:共和制、人口:約1,040万人、面積:9.2万平方キロ、通貨:ユーロ、時差:夏時間で8時間、ヨーロッパ大陸最西端に位置し、多様な民族と統一された言語の国。とまあ、ザックリとこんなところかな。入国手続きを終え、空港で待機していたバスに乗車する。早速、バルセロナ市内観光に出発だ。最初はスペイン広場で10分間の写真タイム。モンジュックの丘にそびえる王宮(現カタルーニャ美術館)がそびえ、広場に面して茶褐色の古い闘牛場(現在は閉鎖中)があった。パチリパチリ写真を撮り、早々に、広場を後にした。時差ボケで、頭がボーっとしている。

カサ・バトリョ
バスはグラシア通りに入り北に向かう。グリーンベルトを広くとった大きな道路だ。バルセロナ空港からバスに乗り込んできた現地ガイドさんは、日本人男性で、あたりまえだが日本語がすこぶる堪能だ。「グラシア通りは東京でいえば銀座通り、大阪でいえば心斎橋通り、札幌でいえば・・・えーと、駅前通りといったところでしょうか。」などといってツアー客を笑わせていた。そのガイドさんが、「まもなく左側に、カサ・バトリョが見えてきます。」と案内した。スペインに入国して1時間余り。もうガウディの作品に出会えるのだ。「ハーイ、アントニ・ガウディさん、こんにちは。日本からはるばる、あなたの作品を見にやってきました。」などとご挨拶をしている余裕などはなく、「どこ?どこ?どこ?」と必死に左前方を探す。親切なバスの運転手さんは、スピードを落としてくれて、やがて、青い恐竜の背ビレを冠したような独特のデザインの建物が目にはいってきた。すばやくデジカメで2枚ほど撮影に成功。あっという間に、カサ・バトリョの見学は終わった。午前9:39分の出来事だ。旅行行程表には"車窓見学"とある。(^^;  この建築物は、繊維会社を営むブルジョア、バトリョさんの建物をガウディさんが改築装飾(1904-1906)したものだという。ガウディ円熟期の代表的な傑作といわれている代物だ。ま、撮影には成功したことだし、一瞬だが本物のカサ・バトリョを見られたんだからいいか。

カサ・ミラ
カサ・バトリョからわずか1分後(9:40)、カサ・ミラに到着。今度は下車見学だ。といってもわずか10分間の写真タイム。カサ・ミラはグラシア通りと交差している十字路の角地にドカンと鎮座している。行きかう車の通行量が多く、写真を撮るときなど注意しないとあぶないぞ。さて、この建物は、その形状がら別名、ラ・ペドレラ(石切り場)と呼ばれている。ホントだ。いわれてみれば石切り場そっくり。この建物の建築主も繊維会社を経営していた人で、1906年建築開始。ガウディは当初、最上部に5mの聖母マリア像を置く計画だった。ところが1909年、バルセロナで教会が焼き討ちにあう暴動が発生。その被害が自分に及ぶことにビビッた建築主は、聖母マリア像を置く許可を与えなかったのだ。すっかり落胆したガウディは、この仕事から手を引き、仕上げはジュジョールに委ねた。ジュジュールって?。やはり建築家でガウディの協力者の一人だった人だそうです。で結局、1920年、めでたく、この石切り場、ではなくカサ・ミラが完成したのだ。それにしても雨にぬれたガラスを通してみたようなグニャグニャとした曲線の奇妙なバルコニー。いかにもガウディらしく特徴的ですね〜。ちなみにこの建物は世界遺産に登録されている。

グエル公園
10:00、グエル公園駐車場に到着。カサ・ミラからバスで10分もかからない。駐車場からぶらぶら徒歩で数分歩くとバルセロナ市街を見下ろす丘にある有名なグエル公園に着く。ガウディの特徴であるグネグネした曲線のベンチが広場を囲むように配置してある(写真左)。色とりどりの破砕タイルで装飾してあるベンチは世界一の長さだったという。だったということは今は世界一ではないということだ。では世界一は? なんと北海道帯広市にある木製のベンチだそうだ。ギネスブックの記録更新をねらって製作したのだそうだ。ホントに世界一長いベンチは帯広にあるのかな? この件はいずれ確かめるとして、グエル公園の一帯は高級住宅地として60戸の住宅を建築し販売する計画だった。ところが売れなかったんだよね。たったの2戸しか売れなかったというから情けない。しかも、そのうちの一戸(写真右:現在はガウディ博物館)はガウディ自身が、しかたなく? 購入し、居住した。当時としてはあまりに斬新すぎたデザインの住宅ゆえ、敬遠されたのだ。広場は住宅地域の共同スペースとして造成されたものだが、結局、バルセロナ市に寄贈され公園となった。回りには散歩道などもあって現在は市民の憩いの場として親しまれている。破砕タイルのベンチ装飾は、ジュジョール作だという。散策するとカメレオンの造形物や、お菓子で作られたようなかわいらしい建築物などがあり、メルヘンチックな風情をかもしだしている。保母さんに引率されたチビッコがたくさん来ていてキャーキャーと楽しそうだった。50分間の自由行動時間だったが、十分堪能できた。グエル公園の名称は、ガウディのよき理解者、エウセビオ・グエルの名を冠したのだそうだ。一帯は世界遺産に登録されている。

サグラダ・ファミリア
11:00、サグラダ・ファミリア到着。まず、その大きさと、独創的なデザインに圧倒される。白状すると、実はスペイン旅行を思いたったのは、このサグラダ・ファミリア見たさでもあったのだ。アントニ・ガウディが設計し、1882年、着工され現在も工事中だ。実に120年以上も工事が続いていることになる。さらに完成まで100年後とも200年後ともいわれているから驚きだ。要するに、いつ完成するかわからないものを、セッセと造っていることになる。外にはクレーンが立ち並び、内部は足場が組まれ、タイルを切るカッターの音が唸っている。ガウディの構想では、「生誕の門」、「受難の門」、「栄光の門」を3正面を配し、それぞれに4本の塔、計12本を建てる。(12使徒) さらに、その内側に4本の塔(4人の福音家)およびキリストとマリアを象徴する2本の塔を建てる。つまり合計18本の塔をもつ教会堂の建設という壮大なものだったのだ。教会そのものを石に刻まれたバイブルにしたかったらしい。現在はそのうち8本が完成している。残りは10本だ。日本人だったら工期をキチンと決め、あれよあれよという間の完成してしてしまうかもしれない。しかし、おしげもなく、あらゆるところに配置してある聖人などの彫刻物を見ていると、時間のかかるのも無理はないと思う。単純な塔の建設ではないのだ。おまけに資金は信者からの寄付で賄われているという。寄付が集まった分だけ資材を購入し、コツコツと造り続けているのだ。受難の門にはイエスの生涯をあらわした彫刻が配されており、そのなかに数字が刻まれた4×4の正方形の石版があった。縦・横・斜め、どこを足しても合計が33となるのだ。イエスが死亡した歳といわれている。ま、こんなパズルのようなものまで配置しているのも、一般の教会と異なる特徴かもしれない。ガウディの生前に完成したのは、わずかに「生誕の塔」のみだという。彼は不幸にも路面電車にひかれ73才で亡くなった。(1852-1926) 壮大な建築物を見せてくれた、アントニ・ガウディさんに感謝しつつ、12:00分、サグラダ・ファミリアを後にした。

ランチタイム
スペインで最初の昼食だ。13:20分、バルセロナ市内の洒落た門構えをした"EL GLOP"というレストランに入った。メニューは、前菜、ジャム塗りパン、鮭のメインディッシュ、オレンジのデザートだ。ところがこの前菜で往生した。なんという名の料理かわからないが、茹でたほうれん草のクリーム和えのようなものだ。淡白で、結構いける味がしたのだが量が半端じゃない。あえて日本式表現をさせてもらうと、ドンブリ一杯分はあろうかという代物だ。おいおい、これで一人前かよ? ほうれん草は茹でるとたちまちシンナリとなり、量が極端に減るのだが、いったい何束茹でるとこの量になるのだろうか。がんばって食したが、結局半分ほどでギブアップ。シェフに「悪いな〜。」と思いながら、お皿を下げてもらった。食事が終わってバスに戻ると添乗員さんが大声で「誰かレストランでこのお帽子忘れた方いませんか〜。」って叫んでる。「誰だよ。帽子なんか忘れんなよ。」と思いながら自分の頭をチェックすると・・・ない! 帽子ががない!・・・ 「すいませ〜ん。私で〜す。」・・・。 14:10分、バスは何事もなかったかのようにバレンシアに向け、出発したのだった。(^^;

バレンシア到着
バルセロナから地中海沿岸を走り、19:10分バレンシア市に入った。まだ太陽が高々とあがっている。窓外には闘牛場もみえた。スペインらしくなってきましたね〜。さて突然ですがここでスペインの会社員の一日の行動様式を紹介しよう。起床は6:00頃。朝食をとり、8:30頃から会社での仕事が始まる。ここまでは日本とほぼ同じだが、ここからちょっと様相が変わる。13:00〜15:00、会社員のほとんどは一旦我が家に帰り昼食とる。シエスタと呼ばれる昼寝をし再び会社に戻り仕事。終業は18:00〜19:00頃だ。そんなわけでスペインではラッシュアワーが朝、昼、夕と一日3回、発生するという。仕事が終わると家族とともにショッピングやレストランでの夕食を楽しむ。どこかの国のように、お父さんだけ赤提灯になんか行かないよ。映画を観たり、ディスコへ行ったり、散歩をしたりと、なかなか寝ない。結局、就寝は午前1:00〜2:00頃になるという。これじゃ寝る暇なんて、ほとんどないべさ。←(北海道弁)  なにしろ小学生と思われるガキどもが、深夜にもかかわらずワイワイ遊んでいるお国柄だ。せっかくこの世に生まれてきたんだから、人生大いに謳歌しようってのがスペイン人の気質なんだな。ここでジョークをひとつ。「いったい君たちはいつ寝てるんだ?」「オ〜、心配な〜い。会社でぐっすり寝て〜る。」・・・。 さて我々もそろそろ夕食だ。

パエリアとハモン・セラーノ
19:30分、レストラン到着。時差ボケと、5時間のバス走行で、かなり疲れたが、ここでしっかり食事をし、体力回復だ。メニューは? 出ました。スペインのシンボル料理・パエリア。直径1m以上あるかと思われる平たい鍋に度肝をぬかれる。あつあつのパエリアが出来上がった。鶏肉、エビ、ムール貝などおなじみの具がたっぷり入っている。おいしそ〜。ウエーターがお皿に盛りつけてくれる。さっそく口に放り込むと・・・ん?、チョット日本で食べるパエリアと違うな。多少ドロリとしてリゾット風なのだ。ほかの人たちも、同じような感想を口にしている。要するにあまりお口に合わないらしい。後から知ったことだが、これが本物のパエリアなのだ。日本ではパサリとした舌感の米を使用しているが、スペインでは、具の風味がよくしみ込み美味しく炊き上がるカルメンチータパエリヤライスという米を使う。バレンシア地方の水田で栽培されているそうだ。このため、スペインのパエリアはパサリ感がない。「これなら、日本のパエリアのほうがおいしいよね。」などと言っている人もいた。たしかに日本人にはそうかもしれないが、スペインの人が日本のパエリアを食したらなんと言うだろうか?多分「なんじゃこりゃ。」となるのではないか。オプションでハモン・セラーノをオーダーした。豚肉を最低でも1年以上熟成させ旨みを引き出させた絶品の生ハムなのだ。スライスされたハムは赤身肉に半透明の脂身がタップリとついており、食べると口の中でトロリと溶ける。ちょっと強めの塩味が特徴だ。カミさんは肉を食べないので、私と義父でペロリとたいらげた。1時間余りの夕食を終え、今夜の宿泊ホテル・エキスポ(EXPO)へ着いたのは21:00分だった。外はやっと薄暮になりかけてはいたが、まだ明るい。時差ボケ、寝不足、観光、長距離移動、はっきりいってきょうは疲れた。大の字になって、寝るぞ〜。

【本日の走行距離:379Km、累計走行距離:379Km】