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2004.7.6 火曜日(旅の8日目)
リスボン〜シントラ〜ロカ岬〜リスボン


リスボンの朝
ポルトガルの一夜をホテル・ベルナ(BERNA)で明かした。昨夜はファドディナーショーのためホテルに戻ったのは午後11時半過ぎとなった。このため就寝したのは午前0時をまわっていたが、今日の出発予定時間が9:00分とゆっくりなので結構眠ることができた。窓外を見ると天気は快晴。ふと、「ユーラシア大陸の最西端の国にいるんだな〜・・・。」と感慨深くなる。そういえば実質的に今日で旅行の見学行程も終わるのだ。(明日は帰国の途につく。)ちょっぴり寂しい気持ちになった。この国も、ごたぶんにもれず民族や宗教が複雑にからみあった戦いの歴史を持つ。テージョ川の河口に開け、交易に恵まれた立地から、最初はフェニキア人による海上交易の拠点となった。紀元前3世紀にはローマ帝国、さらに8世紀からはイスラムの支配下に入り、その後のレコンキスタ(国土回復運動)によってキリスト教勢力がリスボンを奪還する。(リスボンは1255年、ポルトガルの首都となった。) もっとも栄華をきわめたのは15世紀の大航海時代だろう。 今日の行程は、これらの歴史を踏まえつつ、ベレンの塔やシントラ、ロカ岬などを訪れる。ホテルのレストランで朝食をしっかり摂り、9:00分、予定通りホテルを出発した。最初の観光ポイントはベレンの塔だ。

ベレンの塔
9:20分、テージョ川の貴婦人とも讃えられているベレンの塔に到着。この白亜の塔は、1519年、マヌエル一世がフランシスコ・アルーダに設計させたもので、マヌエル様式の代表的な建築のひとつなのだそうだ。世界遺産に登録されている。白い角型の塔は、とても500年前の建築物とは思えないほど綺麗で美しく優雅だ。しかし、この塔も、1階が水の干満を利用した水牢、2階には砲台が据えられていると聞くと、単なる優雅な建物じゃなかったことが窺える。テージョ川からの侵入者を見張るリスボンの西の砦だったのだ。すぐ川下は大西洋だ。川からの侵入者というよりも海からの侵入者を恐れていたに違いない。リスボンを守ることは、この地の王族の権益を守ることに直結していたのだ。ま、このような砦を築いて守るほど、リスボンは価値があったことになる。ちなみに現在は博物館になっているとのことだが、入場見学はしなかった。

発見のモニュメント
9:35分、ベレンの塔からバス5分で、発見のモニュメントに到着。同じベレン地区にあるこのモニュメントはエンリコ航海王子の死後500年を記念して1960年に建てられた。高さは52メートルもある。カラベラ船の先端には、エンリコ航海王子がスックと立ち、導かれるようにポルトガルを代表する偉人たち27人が続いている。このなかには有名なヴァスコ・ダ・ガマさんもいた。最後尾から2人目には、フランシスコ・ザビエルさんもいた。あとの人はよくわからないが・・・。(^^; とにかく海を越えた遥かなる異国の地に思いを馳せた大航海時代のイメージがこのモニュメントはよく表している。ところで発見のメニュメントの広場にはまだ見るべきものがあった。足元をみると大理石のモザイクで造られた世界地図があるのだ。地図には、大航海時代、ポルトガルが到達した地に、西暦年が記されている。アフリカ・インド・南米など世界のあらゆる場所に到達したことが一目でわかる。ならば日本へは何年に到達したのか?・・・と日本地図の場所を見てみると、"1541"と刻印されていた。この年は、てっきり種子島にポルトガル人が漂着し鉄砲を伝来した年に違いないと思っていた、・・・が、これが大きな間違いだった。広辞苑で調べてみると、種子島の鉄砲伝来は1543年(天文12年)で、刻印されていた年より2年後のことだったのだ。しからば1541年に日本のどこに到達したのか? 今でもわからない。そのうち調べておこう。(^^; いずれにしても、織田信長が7歳の年に、ポルトガルは既に日本に到達していたことになる。と、まあ歴史のロマンをチョッピリ感じた発見のモニュメント見学だったのだ。ところでエンリコ航海王子って何者だ?


(2006年5月、義父夫婦が我が家に遊びにきた。そのとき義父が「ポルトガルの日本到達年の謎が解けた。」と言って海外旅行誌のコピーを持ってきてくれた。それによると、ポルトガル船は1541年、豊後に漂着とある。やはり鉄砲伝来より先にポルトガル人は日本に到達していたのだ。漂着ということは、難破でもしたのだろうか。とにかく謎が解けてスッキリ。義父に感謝。)

ジェロニモス修道院
発見のモニュメントを10:00分に出発、10:15ジェロニモス修道院到着。修道院は発見のモニュメントからインディア大通りを挟んだすぐ向かい側にあるのに、なんでバスで15分もかかるんだ? 実はUターン可の場所が近くになく、えらい遠回りをしたのだ。この修道院はインド航路を発見したヴァスコ・ダ・ガマを記念し、エンリコ航海王子が設計した礼拝堂を基に、マヌエル一世により1502年から建設が始められた。設計はマヌエル様式の巨匠、ボイタック。彼の死後はスペイン人のジョアン・デ・カスティーリョが引継ぎ、完成したのは19世紀。なんと300年以上の歳月を費やしたわけだ。莫大な建築費は多くの植民地から徴収され賄われたという。大航海時代の栄華を象徴した建物なのだ。入ってみると、中庭を囲う2階建ての壮麗な四角の回廊がある。柱やアーチには、ロープ、貝、花などレリーフがギッシリと彫りこまれていて実に美しい。右手に進むと、サンタ・マリア教会だ。巨大な石造りのアーチに支えられた高い天井。壁にはステンドグラスが数多く施され、荘厳な雰囲気が漂う。壁には黒い懺悔室の扉がズラリとならんでいる。ヴァスコ・ダ・ガマおよび詩人カモンエスとペソアの棺も安置されていた。地元の幼稚園児だろうか、可愛らしいチビッコたちが引率者の女性の顔をみあげながら熱心に説明を聞いていた。ジェロニモス修道院は世界遺産に登録されている。

サルディーナス・アサーダス
11:10分、ジェロニモス修道院を出発。次は? 少し早めだが昼食だ。30分程で洒落たレストランに到着。今日のメニューはサルディーナス・アサーダス。(Sardinhas Assadas) リスボンの初夏の風物詩、いわしの塩焼きなのだ。ウェーターが次々と3匹づつ、皿に取り盛っていく。「3匹も食べられないよ〜。」とカミさんが言う。これがガイドブックにも載っていたいわしの塩焼きか〜。食してみる・・・。"うま〜い。こりゃいける。コクのある岩塩?がいわしとマッチして、"3匹も・・・。" なんて言っていたカミさんがペロリと平らげているではないか。ウェーターが塩焼きを盛った皿を手に、"もっといかが?"とユーモアたっぷりのジェスチャーでテーブルを回る。食後、陽気なウェーターに、"May I take a picture with you ? " と聞いたら、"OK"と気軽に応じてくれた。12:25分、バスはシントラに向け出発した。

シントラの王宮
14:20分、バスはシントラの町に入った。シントラは夏の避暑地として王侯貴族に好まれ、今でも豪奢な建物が数多く見られる。その昔ムーア人が造った城壁などの遺跡も残されている。世界遺産にも登録されている町なのだ。なかでも町のシンボルはシントラの王宮だ。ムーア人の城壁を基に、14世紀の初め、エンリケ航海王子の父が建てた。その後、マヌエル一世によって、マヌエル様式の建物が増築されている。入場見学だったが残念ながら撮影禁止。このため、内部の写真はない。外観はさほどでもないが、さすがに王様の別荘だけあって、内部は豪勢な造りだ。15〜16世紀のアズレージョで覆われたアラブの間。27羽の白鳥の天井画がある白鳥の間。この部屋は天正遣欧少年使節団が訪れたそうだ。備え付けの家具装飾品も一見の価値ありのものばかりだった。内部の見学を終え外に出ると、一風かわった2本の円錐形建築物が見える。これが厨房の煙突だというから驚きだ。この煙突の下に、巨大な竈(かまど)があって、ここから上昇する煙や蒸気を集め、外部へ排出されるという仕組みなのだ。雨が降ると煙突の先端部(小さく見えるが、これがかなり大きい。)から雨粒がそのまま進入し、厨房にも雨が降るのだという。巨大な厨房設備が往時の繁栄ぶりを窺わせる。王宮前の広場に沿ってみやげ物店がならび、現在は観光地としても賑わっている。

ロカ岬
15:40分、シントラを出発しロカ岬に向かう。15分ほど走ると大西洋が見えてきた。今回で海外旅行は7度目だが大西洋を見るのは初めてだ。16:20分、ロカ岬到着。北緯38度47分、西経9度30分、ついにユーラシア大陸最西端の地にたどり着いたのだ。感激!! ”ここに地尽て、海始まる”(AQUI ONDE A SE ACABA E O MAR COMECA)の言葉はポルトガルの詩人、ルイス・デ・カモンエスが「ウズ・ルジアダス」の中で詠んだ一節で、岬に立つ十字架が掲げられた塔に刻まれている。ゆっくり見学といきたところだが滞在時間はわずか30分。まずは観光案内所に赴き、最西端到達証明書発行の手続きをした。受け取りは見学後ということにして、岬に直行。十字架の塔や大西洋に面した断崖絶壁の風景を写真に収めた。時間がない。次は売店だっ!! 子供達やお隣さんへのおみやげをバタバタと買い求めた。さらに観光案内所へ戻り、到達証明書(写真右)をGETしてちょうど30分経過だ。せめて1時間くらいの時間はほしかった。さて到達証明書だが、我々3人の名前がローマ字で記載され、恰好の記念品となった。裏側に各国言語で到達証明文書が記されていて、もちろん日本語もある。文面を紹介しておこう。
No 155784  証明書  ポルトガル国シントラにあるロカ岬に到達されたことを証明します。ここはヨーロッパ大陸の最西端に位置し、「地尽き、海始まる」と詠われ、新世界を求め、未知の海へと、カラベラ船を繰り出した航海者たちの信仰心と冒険魂が、今に尚、脈打つところです。Latitude 38°47′NORTE Longitude 9°30′OESTE Altitude 140m Sobre o Man

最後の晩餐・あんこうリゾット
16:55分、ロカ岬での短い見学を終え、バスは大西洋を背にリスボンへと引き返す。これでスペイン・ポルトガル旅行の見学行程はすべて終了した。明日は帰国の途につく。18:00分、リスボンのホテルに戻る。夕食へ出発するまで少し時間があったので、カミさんとホテル周辺をブラブラ散歩する。ふらりと入った店で、エスプレッソ用の小さなコーヒーカップを買った。17:00分、バスでレストランへ出発、5分ほどで到着した。そういえばツアー仲間の皆さんとレストランで食事を御一緒するのも今夜が最後となる。入口には、グロテスクな顔面の"あんこう"がぶらさがっていた。メニューは、あんこうのリゾットなのだ。あんこう鍋を食したことはあるが、リゾットは初めてだ。前菜のあと、どんな味がするのだろうと、興味津々口にする。これがズバリ、イケタのだ。コッテリとしてるのだが飽きない味で、日本人の口にとてもよく合う。小さくカットされたあんこうの白身と、トロリとやわらかい米とが絡み合い、とても美味しい。この日、参加メンバーのお一人が誕生日ということで、添乗員さんからパチパチ花火のケーキがプレゼントされた。ツアー仲間全員でハッピーバスディを歌い誕生日を祝った。旅行も最終日ともなれば、皆んな気心も知れ、あちこちで和気合いあいとした会話がはずむ。とにかく、よく食べ、よく飲み、よく喋った。もうすぐ皆んなともお別れだ。一抹の寂しさとともにリスボンの夜は、賑やかに更けていった。

【本日の走行距離:75Km、累計走行距離:2,270Km】