ぶ ら り 浅 草 三 社 祭 平 野 正 平成15年5月18日 |
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今年は江戸開府四百年(絵柄は神社謂われの魚網) |
先週、高尾山に行く途中8時頃秋葉原駅で青物市場跡に大きな神輿が休んでいるのを見た。 大きな神輿だと声をあげた。一瞬高尾は止めて渡御に付いて行こうと思った。隣にいた人が今年 は神田明神の表の祭りですよと教えてくれた。その人は秋葉原で降り駆け足で階段を下りていった。 その影響も有ったのだろう。次の休日は晴天でない限り祭り見物に心が動いていた。 今週はズッーと天気が悪く日曜もグツツクとのことで浅草に三社祭を見に行くことにした。 「宮出し」から見ようと四時半に起き出かけた。気持ちの高ぶりで目が覚めた。 北千住経由で東武鉄道に乗り換え浅草に行くのだが朝は電車が少なく浅草に着いたのは6時 ちょっと前で浅草神社に走った。着くと既に人がいっぱいで何も見えなかった。 脚立持参の人も多く余計に視界が狭まった。 浅草神社と浅草寺本堂は隣り合っている。 浅草寺の本堂には一般の人は入れない。地元の人なのであろう既に鈴なりである。 「宮出し」とは一ノ宮神輿が浅草寺の本堂前まで来て二ノ宮、三ノ宮は浅草神社境内での担ぎ初めの 儀式を言うのだろう。初物で特に力が入るに違いない。 セイヤセイヤの声と笛のピーッピの音に興奮してくる。 その時間が30分で「氏子による宮出し」の行事は終わりましたとアナウンスがあった。 |
浅草神社前午前6時 | 僅かに見えた一ノ宮 |
予定では8時に一ノ宮が浅草寺境内を通り花屋敷方面から浅草2丁目、国際通りを越え芝崎方面 となっている。 二ノ宮、三ノ宮は浅草寺から仲見世を通るようになっているので浅草寺の本堂の前の建造物の仁 王像がある宝蔵門脇に移動した。神輿は宝蔵門中央にあるTVでよく見る小舟町の大提灯の下を 通って仲見世に行く。神輿が通る8時迄は其処で無為に1時間半待たないといけない。 何が何でも神輿を見てやろうと立ち続けた。 警備の高さ2m幅1m長さ6mの金網を張った車つきのバリケードが宝蔵門から仲見世まで続いている。 私達はバリケードから5m外に金属パイプの丸太で遮断され、その間が神輿を担ぎ終えた人の通路とな り又神輿が来た時は機動隊員がバリケードを押されないようにガードに来る。 機動隊を真近に見るのは昭和35年国会前に度々デモに行って以来である。その時は敵対していたが 今日は頼もしく思える。 浅草神社境内、または神社から浅草寺までも距離はないがその間で交代があるらしい。周期的に 多数の担ぎ手が通る。晴れ舞台で大役をこなした満足感がどの顔にも見える。 7時頃から三基の宮神輿は浅草神社内や浅草寺との間でまた担ぎ出されたが私達の所からは見え ない。笛の音と掛け声は聞こえてくる。 「宮出し」は氏子によるものが先ず神社、観音様の境内であり次いで一般の人により街に担ぎ出され る事を云うらしい。 いよいよ三基の神社神輿が神社境内から街中に「宮出し」される。 予定通り8時ごろ一ノ宮が花屋敷方面に消え、三ノ宮が我々の視界に現れるまでに歓声に次いで何 回かの溜息があった。 浅草寺の本堂にいる人たちの目線で神輿の動きを知る。 神輿が上がる度に歓声が上がる。 歓声から1分もしないうちに溜息の漏れることもある。神輿の上に7〜8人乗って重たいせいか神輿を 落とすらしい。 晴れ舞台でなんでという感じもある。神輿の重さが1トン、大人1人70kgとして7人で490Kgの加重 だと担ぐほうにはきついかも知れない。神輿に乗らないように注意はあるが毎年の事で収まりはつかな い様だ。 昔松戸の祭りを一青会(本町の仲間)が復活したとき神輿の担ぎ屋としてあちこちで活躍している人 達に指導を受けたがその一人の言によると担ぎ手が多くなり過ぎると肩が入りにくくなり神輿を落とす のだと教えてくれたことがあった。 三ノ宮は目の前で一回落とされた。片側がガツンと落下した。 二ノ宮は見えない時から度々溜息が聞こえ8時10分に我々の所を通る予定が10時過ぎに成ってしま った。 私達の目の前で二ノ宮は仲見世商店会の人たちに渡る。仲見世の青年会の代表が一段高いところで 交通整理の指示や開けている店に注意を出していたが神輿が来るのが余りにも遅れたので一言漏ら した。私達は未だかって神輿を落としたことはない、格好よくやろうと気を引き締めていた。 私達は金属の丸太に手を添え一番前で見られたが神輿の来たときは後ろは黒山の人だった。待った甲 斐があった。 |
宝蔵門小舟町大提灯の下を通過する三ノ宮 | 羨望の特等席と防御シャッター(浅草寺本堂と機動隊) |
町中3方向に散った神社神輿を追って行くことにした。 6時から4時間も突っ立ていたので腰に違和感があり、足も十分上がらず道路に突っ掛かる。衰えたもの だ。 まず一ノ宮を追いかけることにした。ロックの交番で目的地の芝崎を聞くと神輿の渡御の3つの道筋を書 き込んだ地図をくれた。 インターネットで調べた時間とその時間に通過する町会を書いたコピーには旧町会名で書かれている。 地図には現町名と旧町会名と両方出ている。分かり易い。 花川戸の地名は有るが、芝崎、象潟(きさかた)、馬道、猿若等の地名は今はない。 謂れのある町名も浅草一丁目二丁目等管理しやすい名になってしまった。国中何処もそうである。成長 期には情緒より効率が最大の目的だったのだろう。 良く散歩するので多少の土地勘はあり芝崎で一ノ宮を見つけた。 |
一之宮
芝崎の一ノ宮 | 世話役 パナマ帽、絹(?)の浴衣に袴 |
次いでその時間帯三ノ宮が渡御してる花川戸、聖天方面に向かった。言問い通りの手前神輿の宮本卯之助商 店の近くで三ノ宮を見付けた。 警察のワゴン車と引継ぎの担ぎ手が大勢いるのでこの辺りに神輿は来るだろうと分かる。それだけで気持ちが高ぶる。 神輿がすぐ横を通る時は神輿に吸い込まれる様な気になる。 |
三之宮
以前街で偶然出会った三ノ宮が人も少なく寂しいと書いたが、今日は人手も多く活気があった。当方も活気を 持って神輿を追った。 |
今度は二ノ宮を追いかけて寿町に向かった。 雷門に出たら二ノ宮は雷門前にいた。ここは普段でも人の多いところで今日は歩道も車道も見物人で溢れて いる。人をやっとの思いで掻き分け神輿の前方に出た。やはり正面から写真は撮りたい。 二ノ宮は私達が浅草の西端迄行ってまた隅田川に戻った後に来た雷門にいることは出だしから遅れていたが 9時20分に通過する所を11時30分になっている。初めの二時間の遅れのまま経過している。予定をこなせ るのかな。 |
二之宮
雷門通りで | 吾妻橋先のアサヒビールビルを背景に |
御幣持ち | 各宮に騎馬の神主が付き添う.神主に赤子を抱いてもらう 芝崎にて一の宮の後 |
神社神輿を追いかけて横丁横丁を通れば町内神輿がセイヤセイヤとやっている。 流石祭りの街浅草何基の神輿が出ているのかうれしくなった。 横丁の個人の家でも車庫等にビニールを敷き簡易お膳に料理の準備をしている所が数多 くある。 この辺が下町の一年を掛け準備してきた祭りの楽しみ方なのだろう。 噂によると浅草中には町会神輿が100を超えてあると聞くが出会ったうち幾つかを紹介 する。 浅草公会堂の前では担ぎ屋さんも早朝からの活躍で道路に横になってゴロゴロしていた。 ご苦労さん。 見えなかった「宮出し」から8時間を経過し当方も疲れてきたので彷徨うのは終いにした。 伝統の神輿の渡御を見、勇壮さに感激し町全体が祭りで活力を得ているさまには羨望を感じた。 |
浅草神社(網の紋が付く) | 象潟町会 |
男はつらい(重さは男性の肩に) | 浅草2丁目 |