本町自治会員の投稿頁 | |||||||||||||||||||||||||
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8月に塩山から金峰山へ行った時は、ガスにおそわれ、山の楽しさも半分だった。 その帰りのタクシーが駅に着く直前に運転手が指をさしたのが大菩薩峠。 こんもりと筋肉の盛り上がった相撲取りの肩を思わせる形だ。今年中に是非来たいと思っていた。 毎週、月曜日からの週間天気予報を気にしている。 月曜の週間予報に、次ぎの日曜の予報が曇りとなっていても、予報が外れて晴れることもある。むしろ、晴れとなっているほうが心配だ。 週はじめに、「今度の日曜は曇りだって・・・」、と言っていた女房が、木曜日頃から日曜日はどうやら晴れるらしいと感じてか、ソワソワしだした。土曜の昼には行く、行かないを決断しないと間に合わない。昼の予報で決行をきめる。 ところが、決行の日、平成13年10月14日は松戸神社の祭りの日だ!! 小学生の時、兄が買ってくれたプロ野球、日本シリーズの入場券を大切にしていたが、松戸神社の祭と重なったため、親父の一言で行けなくなった思い出がある。 「松戸神社の祭に松戸を離れるバカがいるか!」 これは良い教訓として憶えているのだが・・・・・最近、山歩きヘの誘惑は神の畏れを越える。 それに、今回の計画では塩山から上日川までタクシーで行き、そこから登るコースで、第一目標は福チャン荘なのだ。 親父の名は福七郎という。福ちゃんだ。だから松戸神社が祭でも 「福チャン」 の傍を通るのだから親孝行であり、また「山の神」を喜ばすこともできるのだから、などと勝手な言い訳を付けて決行することにしたのだ。 秋も半ば。
タクシーを降りると肌寒く感じたが、長女は特別寒がりなので、中腹の澄んだ冷気が骨にしみるようだ。 ロッジ長兵衛荘に着いたのは、まだ7時半。外で歯を磨いている人もいる。大きな葉が黄色に染まってきれいだ。 駐車場からも南アルプスのすばらしい眺望が楽しめる。身支度を整え歩き出す。 8月の山行きでちょっとヘバッタ女房は、以来弱気で完歩出来るか常に気にしている。 女房の友達で最近ハイキングの会に入り、あちこちに行っている人の話によると、会のリーダーの歩き方はゆっくりだとのこと。小生の歩き方は速すぎると言う。 いままで店を閉めた後、山歩きの体力増強のために自転車や、スクワットなどをやっていた事もあったが、最近はさぼって何もやっていない。女房から見れば楽そうに歩いているようだろうが、実は家長の手前もあって強がっているだけで、結構苦しい事もあるのだ。 黄色の世界をなだらかな道を登る。後ろから 「ゆっくり! ゆっくり!」 と牽制の声が掛かる。 8時ちょっと過ぎには 「富士見山荘」 に着いた。木の展望台があり、そこから富士山がくっきり見える。
40歳代ほどの山荘のオヤジはサービスで、双眼鏡を三脚に付けて見せてくれた。 手前の黄葉と雲一つ無い青い空に浮かぶ富士に、箱根明神ヶ岳からの富士の感動を思い出すとともに、ここで新たな感動を覚えた。 ここからのやや小さな富士と、箱根からの大きな富士に、箱根と大菩薩峠との距離の違いを感じた。 双眼鏡で見ると稲光の様に鋭角に曲がっている登山道が見える。 「双眼鏡にデジカメを付けたら拡大した写真が撮れるかな」、と言ったところ、娘が学校の後輩が同じ事をしたら写らなかったから止めな、と言う。馬鹿なことを言ったもんだ。 双眼鏡の傍に実を着けた木がある。山荘のおやじに聞いたらマユミと言うんだそうだ。 右に富士山と黄葉を見ながら、ふたたびゆっくり登り出す。 左の上方には喬木が無く、笹が茂っている。道を人が歩いている光景が青空と共に見える。秋の光に笹も土も人も美しく溶け合って遠景出来る。 8月の時とは違い、今回は三人揃って 「介山荘」 に着くことができた。山荘の直ぐ上が大菩薩峠の頂上で、その先に中里介山の文学碑がある。 介山の未完成長編小説 「大菩薩峠」 は手にした事が無い。映画も見てない。どちらかをちょっとでも見ていれば興味も倍増したことだろう。 ここから大菩薩峠より高い 「大菩薩嶺」 へ続く。
大菩薩峠の頂上からその方向にすこし登った所から見ると介山荘、富士山、南アルプスの山々が続き、 「親知らずの頭」 から更に右にまわるとブッシュに入り遠望は出来ないが、赤、黄色の紅葉と青空が殊更に美しい。奥多摩方面、高尾方面と一周して眺める。すばらしい!! 南アルプス方面には赤石岳、鳳凰山、北岳等に混じって山塊が違う金峰山も一列に望める。
刺のように見える岩がある。 三人とも 「あれは五丈石だ!」 と意見一致。 かつて行ったところを別の地点からの遠望でふたたび眺める、ということは、月から地球を眺めることまで想像させてくれる望外の喜びだ。
「親知らずの頭」 を下ると広くは無いガレ石も少ない 「賽の河原」 で、そこを通り越すと雷岩が現れ、視界の良い笹野原の絶景が続く。紅い実を付けたナナカマドが一本、また一本とある。青空と日に映える真紅の実は特別にきれいだ。 今日の最高地、「大菩薩嶺」 に近づくと笹野原からは樹林帯に入る。 ここは今までの太陽が一杯の明るい暖かい陽気に満ち満ちた世界と違い、深い味わいのある静かな、落ち着いた、多少暗さが勝った針葉樹の緑の中に紅葉が点在する 「陰の世界」 だ。 陰と陽は釣合ってバランスをとる。誠に良い調和である。 一つの山に、ここのような深遠な陰の表現された世界と、今まで歩いた明るく、底抜けに楽しい世界を対称的に楽しめるのはうれしいことだ。しかし寒風吹きすさぶ季節では笹野原の方が寒さは厳しく、ここの樹林のほうが楽かもしれない。常に変わる陰陽道で物を考える習慣がついてしまっているようだ。 陽光に照らされた草原を表す 「山河微笑」 と言う言葉と反対の、寒風激しく、心も荒れている 「山河慟哭」 と言う言葉も思い出す。 菩薩、すなわちプロの求道者が修行を積んで、山河慟哭から山河微笑の心になるように、陰陽を併せ持つ山だからこそ、大菩薩などという凄い名前が付いているのだろう、と感じた。
案内には丸川峠まで一時間とあるが、行けども行けどもその地には着かず、下りに弱い娘は、「ま−だ!やんなっちゃう!!」、といつもの科白。 地図で一時間の道が一時間半掛かってしまった。 丸川峠に到着したのは丁度十二時で、適当な岩に座って紅葉とススキの野の中で昼食を取った。ここでも青空と雲と赤、黄の輝く葉また葉と、一面に白く光るススキの野原に秋を堪能した。 早々と食べ、何時もよりはゆっくりしたが、「いんべ、いんべ」(行こう、行こう/ふだん我が家で使っている言葉。・・房州訛りと思う)、と母娘を急かして出発。 ここから裂石までは案内に書いてあるとおりの急坂で、岩がゴロゴロした下り道だ。 最初は下りの下手な娘に付き合っていたが、ある程度スピードをつけて下ったほうが楽だ。 所々で待ちながら小走り状態で下り終わる。 昼飯を挟んで2時間50分くらい掛かった。下りには三人とも “膝が笑って” しまい、明日のふくらはぎと腿の筋肉痛に思いが移った。 今回は晴天の秋空の中、楽しい一日を過ごせた。 同じ山に何回来ても、来るたびに新しい思い出を蓄積してくれる。 次ぎの機会への思いを馳せながら、3時間に1本のバスにタイミングよく乗りこみ、帰途についた。 | |||||||||||||||||||||||||
2001年10月14日 |