幕    山  (湯河原梅林)





  遠  州  屋  薬  局

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   平 野   正




        平成15年3月9日
            幕山梅林
先週は晴れだが強風で大変寒かったが午後暇が出来たので2時半過ぎから小石川植物園に行った。

其の前の週は曇りで雨もある予報だったので近場の小石川植物園まで足慣らしをし梅と山茱萸に感激した。

そろそろ天気さえ良ければ自主トレから練習試合のつもりで低山ハイクをしたいと思っているが日曜の度に天気が芳しくない。

本年は小石川植物園で梅を3週に渡り観察し出掛けるなら梅で有名な幕山と思っていた。しかし600m位の山だが十数年以前5月に幕山に行った時女房がばててしまった事が有る。それで前日まで躊躇していた。
山の中腹には3000本の梅が植えられていて見事な景観を写真で見ていたし又時期も絶頂だろうと決心した。

武家の歴史でも平家の横暴に辟易した朝廷が頼朝に挙兵を促し、立った頼朝が東海道線の早川駅近くにある石橋山の合戦で負け湯河原の幕山に逃走し箱根権現の僧兵に助けられ真鶴から房総の安房に逃げ兵を建て直し平家を壇ノ浦に滅ぼした、まさに緒戦に関係した所でもある。

(箱根権現で思ったが権現思想は八百万の神を信仰していた日本人に蘇我氏の影響で仏教が輸入され、特
に聖徳太子が仏教思想を持って政治を行い慈悲を基本とした善政であって広く国内に布教された時代に神と仏
の共存を図った知恵として生まれた。
古代日本人は本地垂迹説(仏が大衆を救う為に神として現世に使わされるという思想)により神仏の融合を図り江戸時代末期まで統一した思想として神と仏を受け入れてきた。

根津神社の神輿は家康が権現様(東照大権現)であるので巴でなく寺院のシンボルである卍が屋根に着いている。町内神輿も祭りの提灯もそうである。

江戸末期の国粋主義による神および神社信仰の奨励と明治政府が廃仏毀釈運動をし仏教を否定した。その上太平洋戦争後の駐留軍の政策により八百万の神及び神道をも否定することとなり日本人の宗教感は薄れたとの評論がある。現在の日本の無思想無道徳の風潮を考えるとそうかなと思う。

松戸神社も江戸時代末期までは御嶽山信仰と仏様の混淆の御嶽権現様であった。)

北の強風の予報であったが麓では風は感じない。
強い日差しに暑さを感じるほどだ。
バスを降りると直ぐに山、中腹の広大な面積の梅園が眼に入る。春の漸く強くなった日に紅白が輝き見事だ。
これだけ沢山の梅があると壮観である。
梅の実を採る曽我梅林に比べると枝も剪定され美しく見せるように手入れをしてある。
案内図でも山頂までは結構な急坂になっているのでゆっくり梅を観賞しながら登る事にする。
今年は小石川で何回も見た梅だがこれだけのスケールだと梅の種類が何だとか言う前に全体量に圧倒される。これも感激ものだ。
なだらかな道を選び頂上を目指した。
今年は文京区の真砂町の坂を二回登ったくらいなので本物の山の傾斜はきつかった。
坂になると汗をかき頂上に近ずく程に風があり、ほてった体に冷風が当ると皮膚が冷え皮膚が冷えると経絡を伝って大腸が冷える。これも年のセイと思える。腹が冷えると腹満がおこり終に一発。これが思いのほか轟音著しかったので周りに聞こえたに違いない。いと恥ずかしきことなり。
我が師は植物採集に良く出かけ木苺の季節はそれを好物にしている屁ップリ虫にも放屁で恐れられていただろうとの推測を随筆に書いていた。其れだけでも師に近つきたい。

霜解けのグチャグチャ道も一部にあり茅戸で視界が遮られた所を通り抜け頂上に着いた。
そこで昼食にしたが北風が寒く曇ってきたので一汗かいた体にはよけいにこたえた。
頂上に達っする直前から雨雲らしい物が出てきた。
70歳位の仙人がたいした事は無いが降るだろうと教えてくれた。下り終わり梅も少なくなってからぽつりと来た。たいした事が無くて良かった。
風で塵が払われた為か天気はあまりよくないのに初島の沖に大島が大きく見えた。
晴天でしかも冬の空気が澄んでいる時しか大島は見えないものと思っていたが。こんなにはっきり見える。
2001年の9月にこんな快晴は無いだろうと云う日に国府津駅の沖合いに大島が見えたときはびっくりした。しかしその時は明神ヶ岳に登り着いた時は大島は見えなかった。方角が違うのかもしれない。

エリツィン、ロシア大統領と橋本首相が領土問題等で会談した初島は大島が見えるとほんとに小さい。
島のレジャー計画も不景気で頓挫してしまった。
下山で高度が下がってくると梅園が上から丸ごと眺められた。
梅園だが桃源郷の例えがぴったりくる。
梅園の上は切り立った岩場になっておりフリークライミングやロッククライミングを楽しんでいる人が20名近くいる。
垂直な岩を登るので贅肉は無い人ばかりだろうと思っていたら結構太めの人も混じっている。
其の人達の更なる減量を願いつつ又梅に眼を移した。
10年前にはへばった女房も今日は花のせいで元気である。
山道は雑草にも道端の草花、木に付いた実と道脇の植物に励まされ季節を感じ楽しみながら歩けるのが幸せを感ずる。

前半は日の光に穏やかさを体に覚え、後半は梅に視覚から雑念を追い払い、汗でわだかまりを発散し自然を歩く事は心身に良い。今年の体力に合ったハイク初めであった。

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