恋し、春待ち人
第一話 出会い




 晩秋の夜、女は足を急がせていた。里の医者に薬を届ける予定が、すっかり遅くなった。
 ただでさえ短くなった日はすでに沈み、かわりにのぼった望の月が、女の足元を照らしていた。
 長い石段をのぼり終えると、大社が女を迎えた。月光に照らされ、さながら光の宣託をうけているかのようだ。
 女は巫女だった。
 ひと仕事を終え、ほっとした気分で裏門へまわる。
 と、女は足をとめた。
 御社と木々がつくる濃い影の中に、ふたつの光がきらりとかがやいた。
 獣――それも霊獣の一種、狛犬だ。
 女はゆっくりとうしろ足をだした。狛犬は御社の守護獣ではあるが、野生のものは獰猛で、人さえも食料にしてしまう。
 懐から、退魔の護符をとりだす。そんな巫女を安心させるかのように、狛犬はお行儀よくお座りをした。
 理解できずに、女は首をかしげた。
 口を閉ざしていても見える牙のするどさや、鼻から眉間にかけてよった皺に犬のような愛らしさはまったくなかったが、殺気もなかった。
 だが女とて、長年社務めをしている。霊獣が人よりも賢いことは、よく知っていた。女が気を許した隙に、襲いかかってくるつもりだ。
 護符をかまえ、油断なく狛犬を睨む。
 狛犬はじっと動かない。
 秋の終わりに、わずかにあたたかさをとりもどした風が、いまは気味悪くさえ思えた。
 狛犬はやおらたちあがると、犬そのものの動きで裏門へとむかった。女が目であとをおうと、狛犬はそこにあったものを鼻先で示した。
 狛犬の横には、籠があった。
 女が籠に目をとめると、狛犬は役目をはたしたといわんばかりに、ふわりと姿を消した。
 しばらくのあいだ、女は立ちつくしていた。きつねにつままれたような気分だった。
 狛犬が届けものを?
 まさか。そんな話は聞いたことがない。
 用心しいしい近づいて、籠の中をのぞきこむ。
 真っ白な布団のあいだから、紅の布がのぞきみえる。それがもぞもぞと動いたかと思うと、ちょろりと飛びだしたのは、ちいさなちいさな五本の指だった。
 赤ん坊?
 人間の赤子であれば、見捨てるわけにもいかない。
 御社には、さまざまな事情ですてられる子どもも多い。だが、狛犬が先導したなど前代未聞だ。
 関わらぬほうが身のためかもしれない。
 わかっていながら、女は籠をのぞきこんだ。
 籠の中のモノはもぞもぞと活発に動きはじめた。白い布団の中から、みじかい手がのびたと思ったら、布団がめくれた。
 くりっとした目がぱちりと女をとらえた。
 人間の子だ。
 女はあたりを確かめてから、赤子に手をのばした。ためらいもなく、赤子は女の指をつかんだ。ものめずらしそうに、大きな瞳で女を見つめる。
 女は籠ごと赤子を抱きあげた。
「おまえの母親はどこへいったのだろうね?」
 赤子は手足をばたつかせた。かけてあった布団のあいだから、紅色の産着が見え、女ははっと目を見張った。
 ふつう赤子には、ぼろ布を着せる。生まれ落ちたばかりの赤子は二、三日もたたずに、あの世から迎えがくることが多い。その迎えから目を盗むために、この世で生きる物の古着を着せるのだ。
 新しい衣は忌み子に着せ、迎えがやってくるように願うためのもの。
 女は赤子を見下ろした。
 狛犬に守られていた赤子。血の色に似た紅の産着。森にちかい裏門にすてられながら、獣に食われなかった。
 ひろうべきか、すておくべきか。
 女の悩みを知らずに、赤子はさかんに手足を動かす。
 紅の産着には帯がまいてあった。これもふつうならしないものだが、見事な金細工ではあった。
 ふと、女は帯のあいだにあるものに目をとめた。そっとつまみとって、息をのむ。
 榊の葉。
 かんたんな魔よけの葉だが、赤子を守ろうという気持ちもあったのだ。
 赤子をすてたのは習わしの知らない年若い娘かもしれない。
 そうとわかれば、女に迷いはなかった。
「母親が名のり出るまで、おまえをあずかろう。これもなにかの縁だ」
 布団をかけなおし、女は裏門をくぐった。