恋し、春待ち人
第二話 役立たずな巫女 壱




 強烈な悲鳴が、御社中に響きわたった。おどろいた巫女や宿司たちが、ふりかえる。
 が、すぐにまたか、といった調子で日常にもどっていった。
「あああんた、何度いったらわかるわけ!」
 きつい切れ長の目をつりあげた巫女が、ひとりの少女に指を突きつけた。
「そいつを連れて、あたしの側に近よらないでっていっているじゃない!」
 指をさされた少女は、困ったようにうつむいた。そのうしろに、隠れるように狛犬がしっぽをだしている。
「ぽちは、悪いことはしません」
「あたしの腕をかんだのは、悪いことじゃないっていうわけ!」
「それは、あのとき彩さんがぽちの嫌がることをしたから……」
「言い訳は無用よ!」
「まあまあ、彩、落ち着いてちょうだい」
 彩のとなりにいた巫女が、ふたりのあいだにそっと入った。
「落ち着けないのよ、珠乃! かまれたときの傷は、まだ残っているんだから!」
 ほら、と袖をめくった彩の腕には、かまれた痕がみごとに残っていた。
「でも紅葉(くれは)は庭の掃除をしていただけじゃない。ぽちは、そこにいただけでしょう?」
 珠乃のいうとおり、紅葉は庭の掃除をしていた。そこに珠乃ととおりかかった彩が、ぽちを見て悲鳴をあげたのだった。ぽちはずっと、松の陰で伏せていた。
「珠乃はかまれたことがないから、そんなことがいえるのよ! きちんと管理もできないくせに、霊獣なんか飼ってるからいけないんじゃない!」
 黙った紅葉に、ふん、とあごをそびやかせて、彩はいいすてた。
「ちょっと霊獣をあやつれるからって、いつも側においてるから友達もできないのよ」
 傲然とあごをあげ、彩は珠乃の腕をひいた。
「ごめんなさいね」
 申し訳なさそうにしながら、珠乃は彩につれられ、本殿のほうへと去っていった。
 紅葉は肩を落として、息を吐いた。狛犬のぽちが、身体をすりよせながら、紅葉の顔をのぞきこむ。
 内側から光を放っているような金茶の目は、宝石のようでとてもきれいだ。しゃがみこんで、見事なたてがみの首に抱きつくと、あたたかくて安心する。毛皮は見た目以上にやわらかく、御社中で焚く香の匂いがした。
 ぽちは紅葉をなぐさめるように、抱きついてもじっとして動かなかった。
「ごめんね、ぽち」
 見た目はどんな犬よりも凶悪だが、ぽちは決して悪いことはしない。紅葉が与えるものしか食べないし、お手も伏せも、お座りも待ても、なんでもできるのだ。だから、人をかんだりすることなど、絶対にない。悪意をもって近づかないかぎりは。
 ぽちは狛犬で、霊獣だ。守護獣として数匹の狛犬を御社で飼っているが、ぽちはそれらの狛犬とはちがい、紅葉だけを守っている。私物として動物を飼うことは禁止されているが、どこからともなくやってくるぽちの存在は防ぎようがなく、特別に許可が下りたのだった。
 紅葉にとってぽちは特別な存在だった。物心ついたときから側にいて、ときどきふらりと姿を消す以外は、寝るときも一緒にいる。
 よしよしと頭をなでてやれば、ぽちは盛大なあくびをした。ずらりとならぶ鋭い歯。紅葉の頭がすっぽりはいるほどの大口だ。
「お、おっと?」
 声に、顔をあげる。とおりかかった青年が、目を大きくして紅葉を見た。
「食べられるかと思ったよ」
「葵様」
 色白で柔和な顔立ちをした葵は、巫女の中でも人気の高い宿司のひとりだ。かわった人で、ぽちをこわがらない貴重な人物。
「おお、よしよし。おまえは今日もけわしい顔つきだな。疲れないのか?」
 そういって、ぽちのしわだらけの鼻頭をなでる。ぽちはじっとしているが、犬のように気持ちよさそうに目を細めることもなければ、嫌がることもない。
「また彩の悲鳴が聞こえたんだが、あいかわらずなんだな」
「……はい」
 縁側に腰かけた葵は、紅葉に座るようにうながす。ぽちは葵の手をするりとかわすと、松の下までいって、ごろりと横たわった。
「こうやってみると、犬にしか見えん」
「どっちでもいいんです。ぽちは、ぽちだから」
 犬だろうと狛犬だろうと霊獣だろうと、ぽちはぽち。どこかに定義されて、なんのかんのといわれるのが、許せないだけだ。
 葵はちいさく笑った。
 呆れたのだ。その顔を見たくなくて、紅葉はうつむいた。
 衣擦れの音がして、葵は去るのだろうと思った。
 だが気配は、なおもそこにある。
 膝のうえに重ねた手に、包みがぽん、と落とされた。
「練り菓子だ。好物だろう? 巫女のひとりが分けてくれた。私はあまり食べないから」
 包みと葵の顔を、紅葉は交互に見た。
「遠慮せずともいい。私もすこし食べたよ。とてもおいしかったから、上等なものだろうな。おすそわけだ。気にせず食べなさい」
 声にださなくても、質問のすべてを葵は答えてくれた。
 しばらく紅葉は包みを見つめた。片手におさまるほどのちいさな包みだ。練り菓子は高価なものだから、これだけでも紅葉の目が飛びでるほどの値がするはずだ。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
 食べたら? とすすめられて、紅葉は包みをあけた。赤、緑、黄色に着色され、うすくまるくのばしたものを、きゅ、と袋状にして固めたものだった。
「ぽち」
 狛犬はすぐにやってきた。ひとつはぽちに、ひとつは自分で食べる。
「おいしい?」
「はい」
「それはよかった」
 葵は笑みを見せた。こんなところを目撃されたら、他の巫女たちにあとで小言をいわれるだろう。
 神がもっとも多く住まう里、と呼ばれる宮里には、あまたの神を崇め祀る特別な神宿――大社がある。
 大社はふたりの大巫女と大宿司を軸として成り立っている。大巫女には表の大巫女と裏の大巫女の役があり、前者は神事で人前にでたり、神の依り代となる巫女。後者は巫女を育て監督する巫女である。大宿司は事務仕事を一手に受け、巫女と宿司はそれぞれの補佐役や雑務をおこなっている。
 葵は次期大宿司と呼ばれるほど優秀な人格者で、巫女の中でも落ちこぼれの紅葉とは、まったく正反対の位置にある人だ。
 だというのに、時間を見つけては、紅葉に声をかける。お菓子をもってきてくれる。捨て子で、嫌われ者の女の子に、同情している。
「ここにいると、戦の世とは思えない」
 葵は、空を見上げていた。紅葉もうなずきながらそれにならう。
 春らしいうす曇の空は、近くの山さえもかすませてしまう。
「……本当ですね」
 太平の世がすぎて、二〇年余り。あちこちで争いが起こり、宮里にも難民がおしよせている。
 神を宿す里は、多くの里々に欲しがられるが、中立を守るため、自治組織が発達している。戦の起こった当初、宮里にも戦火が押しよせてきたというが、里独自の守りと自治組織のおかげで、いまは落ち着いている。
 それでもときおり、朱塗りの塀のむこうから、落ち武者や戦にまぎれての盗賊がやってきたといって、騒ぐ声が聞こえる。外からやってくるものたちからは、暗い話が多い。
「〈星流れ〉はこの乱世を終わらせるためのものか、はたまた、更なる災厄への煽りとなるのか。紅葉はどちらだと思う?」
 まだ雪の降るひと月前のこと。東の空から夜の帳がおしよせる誰そ彼どき、ひとすじの星が流れた。まばゆいほどのかがやきに、人々は空を仰いだ。
 それが、引き金だった。
 西の空から、東の空へ。いくつもいくつも星が流れた。ひとつ、ふたつ、と数えていたものも、しだいに数えきれぬようになり、ただ呆然ときらめく空をながめるだけ。
 そのとき紅葉は、育ての親でもある婆の手伝いをしていた。難民にくばる薬をつくっていたのだ。人々のざわめきから何事かと縁側にでてみると、あふれこぼれんばかりに星星が流れていた。
 ぽかん、と口をあけていると、婆がやってきて、その口を閉めてくれた。
『〈星流れ〉だね』
〈星流れ〉とは、争いで成仏できずにいる御霊が、霊山へいっせいにむかうことを星に例えていう。霊山にはこの時期だけ、世を司るあまやどり天座おおかみ大神が舞いおり、霊山へつどった御霊を、良いものと悪いものと選別する。そうしてこの世の流れを決めるのだ。
 これが起これば、大社は忙しくなる。天座大神に平和な世となるよう祈りを捧げる旅〈魂もらい〉の準備が始まるのだ。
〈魂もらい〉は霊山で、天座大神に和魂をさずかる行事だ。霊山へたどりつくまで各地をまわり、人々とその地に宿る神々をむすび、平和を願うという行事でもある。大神は人々と神々のむすびつきと願いをうけて、世の采配を下すといわれている。
 この行事に参加することになるのは、大社の巫女である。多くの巫女の中から、〈宿禰選択の儀〉によって、たったひとり、大神を宿したものを宿禰(すくね)といい、〈魂もらい〉にでるのだ。
 宿禰には、旅の道中を守護する守別がつく。守別は、里人の中から、自推他推を問わず、役割にふさわしいものであれば、何人でも大巫女によって選ばれる。
 長くつづく戦に、〈魂もらい〉にかける里人の想いはつよい。宿禰となるものには、そうとうな負担がかかるだろう。
『〈星流れ〉は世の流れに変化がうまれるときにおこるもの。忙しくなるな』
 婆はじっと紅葉を見つめた。にごった目だが、頭上を流れる御霊にかがやきを得て、つよい光を見せているようだった。
『おまえも、のほほんとしているのは、いまのうちじゃ』
 それから、いくらかのあわただしさはあったものの、役立たずでとおっている紅葉には、あまり関係のないことだった。
「葵様、わたしは吉兆だと信じたいです」
「何故?」
「どうして何故と問うんですか? このまま乱世がつづくことを望むものは少ないでしょう。〈星流れ〉が人の御霊なら、望むのは戦ではなく、平和だと思います」
 葵は紅葉を見て、微笑んだ。
「紅葉の意見を聞くと安心する。私もおなじ意見だ。ありがとう」
「どういたしまして……?」
 葵は満足そうな顔をして、本殿へと去っていった。
 一息ついて、よっこらしょ、と立ちあがる。彩との騒ぎで投げだした竹箒をひろう。
 ふたたび掃除をはじめてまもなく、紅葉は大切なことを思い出した。
 寅の刻に、すべての巫女は本殿に集まること。
 彩も珠乃も、葵も本殿へむかった。
 もう寅の刻にちがいない。
「あー!」
 叫んで、紅葉は竹箒をなげすてた。