恋し、春待ち人
第二話 役立たずな巫女 参




「道に迷っただと? あんた一体何度ここに来てるんだ? いってやろうか?」
 髪をぼさぼさにまとめた男は、紅葉に顔を近づけて睨みをきかせた。
「百遍はきてるよ!」
 男の声が、頭にがーんと響きわたった。
これでもこの男、医者である。難民や自治組織の武者たちの世話があわただしく、すっかり気が立っているのだ。いつ会ってもこの調子だった。
「すみません……」
 うつむき、紅葉は包みを男にさしだした。
「あんたが巫女だなんて、世の中が腐るわけだよ」
 乱暴に包みをうけとって、男は部屋の奥へはいっていった。
 荒い足音が遠く消えていくと、部屋の隅で声があがった。
「あんさん、巫女なんてやめなよ」
 帳簿をつけている男だった。
「むいてないよ」
 筆をするすると動かして、顔をあげぬままつづける。
「巫女さんなら、そんな里人みたいな格好をしてたって、ふつうはそうとわかるもんさ。けど、あんたからは感じられないね」
 紅葉はうつむいたまま答えなかった。
「物覚えも悪いようじゃ、祝詞も覚えてないだろ」
 本当のことだったから、紅葉は何もいえなかった。
「ま、その調子じゃ、社からでたとしても、やっていけるかどうかわからないがね」
 筆をおいて、帳簿に紙をはさんでとじる。それを男は紅葉にさしだした。
「その守護獣のおかげで、御社にいるようなもんなんだ、大事にしてやるんだね」
 紅葉は足元にいるぽちを見下ろした。帳簿を受け取ったとみると、腰をあげる。
「あんさんよりもこっちのほうが賢そうだ」
 男は乾いた笑いをたてた。
 


 紅葉は、どうしても理解できずに首をかしげていた。
 薬草のつよいにおいが、あたりをただよっている。つぶした薬草を囲炉裏端で炒っていた婆が、顔をあげた。
 背はまるくなり、髪は白いもののほうが多い。それを無造作に束ね、着古した着物をあわせた姿は、巫女とは思えない。だが彼女こそが、大社を本当の意味でとりしきっている裏の大巫女なのだ。
「紅葉、手が動いてないよ」
「婆様、わたしには理解できないんです」
「何がだい?」
 炒る手を動かしながら、面倒くさそうに、婆はたずねる。
「どうして役立たずなわたしが、〈宿禰(すくね)選択の儀〉に参加しなくてはいけないのか、わからないんです」
「だれがおまえを役立たずだといった?」
「みんなそういっています。わたしもそう思うんですから、当然です」
 婆は呆れたように息を吐いた。
「おまえは薬をつくることができる。読み書きそろばんもできるし、料理も洗濯も掃除もできる。どこが役立たずなんだ?」
「それは、ここにいるみんなができることです。巫女として、人のお役に立ったことがありません」
「占いや祈祷も人並みにできておる」
「でも、わたしは役立たずだといわれます」
 それが悔しいわけではないし、悲しいわけでもない。
 ただ、おなじ人間なのに、何故他の人とおなじことができないのか、わからなかった。そしてそんな人間が、何故世の流れさえもかえる、儀式への参加を命じられるのか、わからなかった。
「表の大巫女様が任命されたのだ。すなわち神の御意志ということだろう? わしらなんぞにその理由がわかると思うのか?」
 紅葉が黙りこむと、どこからともなくぽちがやってきて、となりで伏せた。頭をなでて首のあたりに手をおく。
「おまえにはおまえの善さがある。ぽちがなついているのがよい例ではないか」
「ぽち……」
 毛並みに頬をよせる。微動だにしないぽちは、どこまでも大人しい。
「人には役割があるんだ」
 婆は薬草を炒る手をとめない。
「ひとりひとり、かならず役割をもっている。その役割に気づくか気づかないかは、その人しだいだ」
「婆様は、気がついたんですね」
「気がつかずにいられない立場だったからだよ」
「わたしも、巫女なのに……」
「ここに住む巫女たちだって、自分の役割に気づいているものは、そう多くはない。巫女は未来が見えるわけじゃないんだよ」
 ようやく婆の手がとまった。器をとって、炒った薬草をうつす。
「ほら、のんびりしてる暇はないんだ。次の薬草はつぶしたのかい?」
 紅葉はぽちから顔をはなした。つぶしてあった薬草を婆にわたす。
「婆様、もしもわたしが選択の儀で選ばれて、旅にでることになったら、この世は変わるでしょうか?」
「変わるだろう。〈星流れ〉があったんだ。おまえのことだから、善いほうに導くだろう」
 紅葉はすりこ木を手にした。ざり、ざり、と薬草をつぶしていく。青いにおいがぷん、と鼻をついた。
 わずかにあけられた障子戸のむこうには、すべてを飲みこまんとするような闇がひろがっている。煙のようにするすると、臭いはその中へ流れこんでいるように見えた。
「春と、平和は似ていますね」
「そうかい?」
「待ち遠しいから」
 婆は紅葉を見た。漆黒の髪は、まとめられているが、どこかふわふわと落ち着きがない。それでも、紅葉の声はどこまでも静かだった。
「そうかもしれないね」
 器の中身を鍋にあけると、草の汁がぱちぱちとはぜて蒸発した。つよい臭いがただよったが、ふたりの鼻はもうそれに慣れていた。
 手際よく、黙々とふたりは手を動かした。
 ざり、ざり、と紅葉が薬草をする音が、静かに響いた。