恋し、春待ち人
第三話 春待ち人 参




 あたりは茜色に染まっていた。
 定時の鐘が鳴ったばかりだからか、子どもたちが高い声をあげながら、浅葱の横を駆けぬけていく。見知った少年がとおりすぎさまに手をふった。無言で手をふりかえすと、上機嫌に頬をあげる。道場で愛想のわるい浅葱になついてくれている数少ない子どもだ。
 通りにならぶ店の売り子たちの声が、一日のおわりをにぎやかにしていた。商品が売れ残れば、自分たちの食べるものも買えない。帰りゆく人々は、売り子から物を買ったり、あるいはさけたりして、家路を急いでいる。
 通りにたちならぶ店の奥は、住居をかねているところが多く、その奥からは夕餉の支度をしているのだろう。湯気があがり、よい匂いが香ってくる。
「ご苦労さま」
 声をかけてくれるのは呉服屋のおばさんだ。見回りをしているときに顔をみると、店棚の奥から顔をのぞかせて、にこにこしながら頭を下げる。こちらも頭を下げると、むこうもまた頭を下げた。
 浅葱の存在はよく目立った。何しろこの時代ではめずらしく長身で、並の男の頭ひとつ分はでかい。体付きはそれほど大きくはなかったが、切れ長の目が印象深かった。
 そのせいもあって、売り子のひとりが、浅葱に目をとめた。
「ちょいとだんなさん、うちの商品を見ていかないかい?」
 声をかけてから、売り子は、浅葱の羽織に気がついて、はっと顔をひいた。
「いやあね、金角さんかい。巡回中? 失礼したわね」
 藍染に山吹で鹿の描かれた羽織は、金角の鹿隊の隊員であることを表す。
 宮里は多くの神を宿した巡礼地だ。その中心の中小里の守りをまかされているのが、金角の鹿隊だ。
 浅葱は武道に長けていたこともあって、家をでて入隊試験に望み、見事合格した。もうこれで七年の勤めになる。年こそまだ若いが、二人一組の巡回をひとりでまかされるようになり、集まりのときは意見を述べることもできるようになった。
 いずれは森村に帰るつもりだが、〈星流れ〉によって宿禰が選ばれたからには、できれば〈魂もらい〉の守別となって、世の流れの変化を体感したい。
 守別となるのは大変名誉なことだ。そこには相当激しい争奪があるだろう。金角の鹿隊の隊員のことを考えても、浅葱にはかなわぬ夢にちかい。
 大通りをぬけて、里のはずれまでやってくると、どこからともなく悲鳴があがった。
 浅葱が駆けだすと、路地から人が飛びだした。
「金鹿さん、よかった。落ち武者だ! そこの飴屋の陰から出てきた!」
 背後を気にしながら、逃げざまに男が叫んだ。
 浅葱は男のいう飴屋にむかった。
 そもそもの戦の発端は、日乃出里と夜乃出里の領土拡大によるものだった。それまでもちいさな戦は各地であったが、ふたつの里がそれぞれ里を傘下におさめ、力を誇示しはじめたところから戦国の世がはじまった。
 位などもうあてにならず、力さえあれば、だれもが功名をたてられた。秩序は乱れ、どちらの里の傘下にはいるのが安全か、そればかりを考え寝返る者や、下克上に燃えるものもいて、統率がつかない里も多い。
 戦が長くつづいたこともあって、どこもかしこも疲弊しきっていると聞く。身体のつよいものは皆戦にかりだされ、女子どもばかりが残り、田畑は荒れ放題。食料も底をつき、食料を目当てに戦が起こっている。そうして踏み荒らされた大地はますます荒れ、悪循環におちいっている。それでも武将たちは戦をやめない。
 人々は安全な宮里を目指して、危険な道をやってくる。それは農民たちだけでなく、戦に敗れ将を失った武者たちも同じだ。
 金品を求め、食料を求め、あるいは手傷の治療を求め、平和を求め、やってくる。
 一番厄介なのは、戦にささくれだって、人を殺めようとする輩だ。
 現れた落ち武者は何を求めているのか、それ如何によって、浅葱も手を血に染めることになる。
 路地からでる前に、目の前をその落ち武者が横切った。兜を失い、顔の半分は血にぬれている。どす黒く変色した鞘を杖代わりにしながら、左足をひきずっている。戦の前まではそれは見事な胴であっただろうものが、いまは胸から腹へとばっさり切られ、血で汚れていた。
 目は死の淵をさまよっていて、視点がはっきりさだまっていない。いつ倒れてもおかしくない状態だった。見たところ、武器はもっていない。
 つい先日、となりの里境で戦があったと聞いた。そこからでた武者かもしれない。
 浅葱が駆けより、声をかけるまもなく、武者はどさりと倒れた。
「おい、しっかりしろ」
 仰向けにしてやると、武者はうめいた。
「み、……水、を……」
 浅葱はあたりを見わたした。こわごわと、家の中から目をのぞかせている女に、声をかける。
「水を用意してくれ」
 短く悲鳴をあげて、女の顔がひっこんだ。
 あてにならない、と武者を再度見下ろす。四十ほどの中年の武者だった。身なりのよいところから見るに、それなりの地位を得ていたものだろう。家紋部分が見事になくなっていて、どこの出のものかはわからない。
 青ざめ、冷たくなった身体。死期はちかい。せめて望む水を与え、心安らかに旅立たせてやりたかったが。
「宿禰、様は、……決まった、か……?」
 乾いた喉から、武者は必死に言葉をつむいだ。
「ああ、決まった。もうすぐ〈魂もらい〉がおこなわれるだろう」
「そう、か……」
 武者は安心したように目を閉じた。
 足音がして、顔をあげる。と、ボロをまとった少女が、こわごわと欠けた茶碗をさしだした。
「お水」
 みれば、茶碗の底にわずかだが水がはいっていた。ここまで来るあいだに、こぼしてしまったのだろう。少女はそのことに気づいて、茶碗をひっこめた。
「ありがとう」
 だが浅葱はうけとった。もう一度汲みにいっているあいだに、武者は息をひきとるだろう。
「水だ、飲め」
「かたじけない……」
 武者はほんのわずかな水さえ喉をとおせず、こぼした。それでも、満足したのか表情がやわらいでいく。
「宿禰様に、伝えてほしい」
 ゆっくりと、だがはっきりと、武者はいった。血にぬれていない片目をしっかりと浅葱にむけて。
「天座大神にうけいれられ、かならずや、世を平和へと、導いてほしい」
「ああ、かならず伝える」
 浅葱がうなずくと、武者は身体の力をぬいた。目を閉じると、そのまま首も落ちた。
 無言のまま、浅葱は武者を見下ろした。
 そっと、地面に頭を寝かせる。
 平和を願うために、瀕死の怪我を負いながら、中小里までやってきたのだろう。そう思うと、胸にくるものがある。
「おじちゃん、死んじゃったの?」
 少女がいった。
「ああ」
 浅葱は少女に茶碗をかえした。やせ細った少女は、難民の子なのだろう。死んだと聞いて、きゅ、と唇をむすぶ。
「あんたのおかげで、この武者はひとつ満たされて逝ったんだ。代わりに礼をいう。ありがとう」
 少女は首をふった。
 ふたりは亡くなった武者を見下ろしたまま、それぞれの胸にわく感情にしばらくひたった。
 周囲の喧騒が徐々にもどり、人々が集まってきた。
「浅葱!」
 呼ばれて顔をあげると、金角の鹿隊のひとりである甚三(じんぞう)が走ってきた。
「うわ、落ち武者か。死んだのか?」
「ああ」
「じゃ、ちょっくら人手を集めてくる。あんた悪いけど、ここにいてくれ」
 甚三が去ると、浅葱は羽織をぬいで死んだ武者にかけた。鎧をまとえるほど名のある人物が、こんなところで見世物になるのは不名誉なことだろう。
「おい、見世物じゃないんだぞ!」
 声を張りあげたのは、難民の少女だった。
「あっちへいけ! いけったら!」
 腕をふりまわして、少女は人垣を乱した。大人たちはうっとおしそうによけるものの、少女のいうことはきかない。
「あっちにいけよ!」
「おい」
 子犬のように、きゃんきゃんとほえる少女を、浅葱は捕まえた。
「何するんだよ!」
「あんたが騒ぐとよけいに人がくる」
 少女はぐ、と喉をつまらせた。浅葱がいうとおり、少女の声に見物人が続々とやってきていた。
「あんたの気持ちはうれしいが、黙っていたほうがいい」
 唇を固くむすんで、少女は顔をゆがませた。泣くかもしれない。
 だが少女は泣かなかった。浅葱の腕をはらって、武者の枕もとへいくと、お行儀よく正座する。そのまま、動かなくなった。
 野次馬の影から、「かわいそうに」と声がもれる。手を合わせ、足早に去っていくのは女たちだ。
 浅葱が横にならぶと、少女がつぶやいた。
「あたしの父ちゃんも、戦にいって死んだんだ。兄ちゃんは、村を襲ってきたやつらに殺された。だれも、助けてくれなかった」
 ひざの上でにぎりしめられた少女の拳が、白くなった。
「宿禰様が選ばれて、本当に平和になるのか? だれも死ななくてよくなるのか?」
 涙をためた目で訴えられて、浅葱は言葉につまった。
「母ちゃんも、弟も、病気で寝込んでる。だれも助けてくれない! 平和になったって、死んでしまうかもしれない! あたしは、どうしたらいいんだ」
 つかみかかってきた少女を、浅葱はそのまま抱きよせた。さっと緊張した身体を、ぽんぽんとやさしくたたくと、少女は胸に顔をよせて泣きだした。
 細い身体だ。肉がまるでついていない。一着しかないだろう衣はひどい臭いがするし、体も洗っていないとすぐにわかる。母も弟も病にかかっているというなら、少女にもうつっている可能性は高い。
 難民は平和を求めて宮里にやってくるが、道中の怪我や病で死ぬ者も多い。せっかく戦から逃れられても、満足な食事も得られない。
 荒れた田畑を細々と耕し、周囲の武者の脅威におびえながら生活するか、危険をかえりみずに宮里を目指し、安定することのない貧しい生活をするか、どちらがいいかなどわからない。
 浅葱が少女の不安をなぐさめても、母や弟の薬を買ってやることも、食事を与えてやることも、できないのだ。
 戦がなくなっても、本当の意味で平和になるのは、何年も先の話。それまで、この少女が生きていけるかは神のみが知るところだ。
 天座大神に選ばれた宿禰とは、どんな人物だろうか。
 少女をあやしながら、浅葱は御社のある方角へと目をむけた。



「浅葱、今日はご苦労だったな」
 金角の鹿隊をとりしきる璃寛(りかん)がいった。距離をおいた位置で、浅葱は頭を下げる。
 璃寛を上座に、ずらりとならぶ隊員は浅葱をふくめ十人。浅葱は下座から話をうかがっていた。
「しかし、今回の〈星流れ〉も我々の期待を裏切るものになりそうだ」
 璃寛がぼやくと、次々と声があがった。
「大巫女様も、何を考えていらっしゃるんだかな」
「選ばれた宿禰はひどく役立たずな巫女だというじゃないか」
「ああ、〈宿禰選択の儀〉を見にいった者たちの噂では、巫女も宿司たちも、首をひねっていたらしい」
「内部のものにも信用されていない巫女が宿禰とは、世はますますの荒廃をのぞんでいるということか」
「〈星流れ〉にうかれた人々の落胆は、相当なものだ」
「ああ。期待させられただけなんだからな」
 宿禰が選ばれたその日、里中に宿禰の噂がひろまった。はじめは期待の声が多かったが、そのうちあちらこちらから不満があがった。
『あいつが宿禰だって?』
『そりゃ役立たずな巫女のことだ。祈祷を願ったら、ろくな祝詞もあげられなかった』
『いつもきてる巫女のことだ。何度きても道をまちがえやがる。約束の時間を守ったことがない』
『世はお仕舞だ、あんな巫女が霊山にいけるわけがない』
『大神様は我々を見捨てたのか』
『ついに御社の大巫女様も気が狂ったんだ』
『終わりだ』
『この世は終わりだ』
 暗い噂は一晩で里を満たした。翌朝には、人々は集まって御社へ抗議にでた。それは三日たった今でも毎朝くりかえされている。
 御社は「大巫女様が決めたことだ」と言い張っているようだったが、外につながる巫女の話では、内部も相当もめているという。
 望みを託しながら、役立たずな巫女だからと、がっかりする人々の身勝手さもどうかと思うが、そこまでいうほどひどい巫女なのだろうか。浅葱にはなんともいえず、会話にはいる気にはなれなかった。
「守別になるものも少なかろうな」
「いないだろう。みすみす命をすてるようなものだ」
 あっさりと璃寛はいいきった。
「そのような馬鹿な真似は、この金角の鹿隊の隊員にもしてもらいたくはないものだな」
 璃寛は皆を見まわして、ひとりひとりにむかってうなずいてみせた。
 宮里がいくら平和でも、外からの脅威がないわけではない。戦力は貴重なものだ。
 だが、浅葱はふと思った。
 もしもだれも守別として立候補しなかったら、宿禰はどうするのだろう。ひとりで旅をするのだろうか。
 里を守るためとはいえ、ひとりの娘を何の守護もなく旅立たせるのは、無責任に思えた。宮里を守護するものとして、巫女をひとりで旅にだすのは、恥ずべきことではないか。
 しかし浅葱は、なおも黙ったまま意見することはしなかった。
 集まりを終えるまで沈黙をとおし、集まりが終わったあとは部屋にもどり、同室の甚三とたあいもない話をする。
 甚三は幼少のころから下働きで隊にはいり、最近になってようやく隊員として扱われるようになった男だ。
「まったく、暗い話ばかりで嫌になるな。せっかく〈星流れ〉もあったっていうのに」
「宿禰になった巫女のことを、知っているか?」
「いいや、まーったく」
 褥をひき、その上であぐらをかいたまま黙った浅葱に、甚三はいった。
「里人の噂では、十五、六の少女だという話だ。巫女として失敗して、里に下りてくるときは里娘のような格好をしてくるらしい。いつも狛犬をつれて歩いているって話だ」
 狛犬をつれた娘。
 浅葱の脳裏にさっと、先日の光景がうかびあがった。色白で、ふわっとした髪。小柄な身長は、浅葱の胸ほどの身の丈しかない。
 あの娘が、宿禰?
「篠庵の治療院に薬をもっていくのが、その娘の役割だったみたいだな」
 そうだ、あのときも包みをもっていた。あれは薬だったのか。
「あいつ、巫女相手にもひどい取引をしていたそうだ。何のかんのと巫女に難癖つけて、金を支払わなかったこともあったらしい。罰があたればいい、あのクソ医者!」
 甚三の話は、よく脱線する。浅葱は横になって目を閉じた。
「なあ、浅葱。おまえは守別になりたいと思うか? 隊長は守別に立候補するなと達しを出していたが」
 それは浅葱自身も悩んでいることだった。隊長がいうことは絶対だ。だが、彼のいうことにはすこし疑問を覚える。
「まあ、俺たちがならなくても、他の隊のやつらがなるだろうけどな」
 甚三も、どこか腑に落ちないところがあるらしい。
「宿禰になった巫女も、かわいそうだよな。これから危険な旅にでるってのにさ、里の人たちはだれも応援なんかしないぜ。世のため、人のための旅。だが、だれも望まぬ旅、か。俺だったら、逃げだすな」
 もしも彼女が逃げだしたら、そのときこの世はどうなるのだろうか。変わらず、荒れつづけていくのだろうか。彼女が大神に受け入れられず、旅が失敗に終わっても、世は荒れるというのに。
 あーあ、とぼやきながら、甚三は布団に入った。もう話は終わりだ。
 目を閉じながらも、浅葱は眠れずに、宿禰となった巫女のことを考えていた。