恋し、春待ち人
第四話 東風吹かば 参




 大社の前には、初詣を思わせる人だかりができていた。〈宿禰選択の儀〉に反対の声をあげている人々だ。
 そうした人々がいるせいか、大社の門はかたく閉じられていた。その門をたたき、でてきた宿司に守別候補だと告げると、中へとおされた。だれもいない境内は常よりも神聖さが増しているように感じられた。
 宿司の案内で社務所の一室に案内されると、そこで待つようにいわれた。
 まもなく年老いた巫女がやってきた。浅葱は身を低くし、巫女からの言葉を待った。



 婆は目の前の青年を見すえた。かるく頭をふせている青年の表情は見えないが、彼から立ちのぼる気配は、ふざけた気持ちでないことだけはうかがえる。
 宿禰が選ばれたというのに、噂が先走って、守別候補者はなかなか現れない。やってくるのはいかにも盗賊出の怪しい男たちばかりで、とてもではないが紅葉をあずけようとは思えなかった。
 この青年はどうだろうか。
「守別候補者よ、名を名のり、己が出生を述べよ」
「はい、私は森村の浅葱と申します。成人を機に中小里(なかのこさと)で金角の鹿隊として働いてまいりました」
 金角の鹿隊といえば、先日〈宿禰選択の儀〉のやりなおしをおこなうよう、書状をもってきた自警団だ。断ると一蹴したはずが、今度は守別になるとはどういう了見だろう。
「金角の鹿隊は里人の意見を代弁し、〈宿禰選択の儀〉のやりなおしを求めておったはずだがのぅ」
 伏せていた顔を、浅葱はわずかにあげた。切れ長の目が、婆をとらえた。
「はい。それが理由で、私は金角の鹿隊を脱退しました。私は〈宿禰選択の儀〉のやりなおしをする必要はないと信じております。大神様が選ばれた宿禰様こそが、〈魂もらい〉へいくべきお方。大神様のご意志を疑っては、世が平和になるとは思えません」
 浅葱の言葉に、ゆらぎはなかった。芯のつよさを感じて、婆は不覚にも感動していた。
 噂に翻弄される里人や、巫女や宿司たちの心のもろさに、婆は苛立ちを感じていた。世に生きる人々が、皆このような心をもっているならば、この世は終わりだと、嘆きたくなる心を必死におさえこんできた。その嘆きを、浅葱は打ち砕いた。
 まだ、信じるものがいる。
「そなた、なぜ守別として立候補した?」
「このまま〈宿禰選択の儀〉のやりなおしの声が高まれば、宮里内で争いが起こると考えました。宮里はこの戦の世にあって、唯一平和な里。その里を自らが崇め祀る大神様をないがしろにしたあげく、戦場としてしまっては、それこそ宮里の恥。宮里を守るためにも、宿禰様には旅立っていただく必要があります」
 婆は目をまるめて浅葱を見つめた。浅葱はどこまでも、本来あるべき里人の信仰心を語る。
「〈魂もらい〉は危険な旅だ。ましてこのご時世、自身と宿禰の命を守るのはかんたんなことではない。道中だけでなく、霊山では試練にもむきあうことになる。宿禰は無事でも守別が命を落とすことも多い。体力勝負の旅ではないのだぞ。そのあたりもわかっての言葉か?」
「重々承知です」
 婆は黙った。どこまで信じるべきか悩むところだ。
 きちんと紅葉を守ってくれるだろうか。無事に霊山までつれていってくれるだろうか。紅葉に変な気はもたないだろうか。
 考え、やれやれと内心息を吐く。これではまるで紅葉の婿探しをしているようだ。
 だが、安穏としているわけにはいかない。
 宿禰をふたたび選ぼうという気運は、日に日に高まっている。いつ爆発してもおかしくない。このままでは紅葉に害がおよんでしまう。その前に彼女を旅にだす必要があった。
「おぬし、宿禰に会ってみるか?」
 伏せた浅葱の頭がぴくりと動いた。
「可能ならばぜひ」
 紅葉がうなずくならば、彼を守別にするしかない。何しろ他に候補者がいない。待てば待つほど、紅葉の立場はなくなる。
 もしかしたら、だれよりもふさわしい守別かもしれない。そんなふうに自身をなぐさめながら、婆は内宮をめざした。



 困った事態になった。
 巫女のひとりが、内宮にはいっていく浅葱の姿をみてしまったのだ。
 内宮には宿司さえ、許可のあるものしかはいれない。男人禁止なのだ。まして年若い男ならなおさら。
「こちらだ、急げ」
 婆は足を早めて内宮の奥をめざす。浅葱はすべてわかっているかのように足音を殺し、気配さえ隠しながらついてくる。
「ここへ来たならば、覚悟はできているのだろうな」
「はい」
 間のない答えは、偽りのない意志を表しているようだった。
「ならば旅立ってもらおう。宿禰を頼んだぞ」
 最後の襖をあけ、浅葱を中へとおす。
「婆様?」
 柱の影から紅葉が顔をだした。同時に狛犬が飛びだし、紅葉を守るような位置で、身を低くしてうなった。
「え、あれ、浅葱……さん?」
「なんじゃ、知り合いか?」
「薬を届けにでたおりに、助けていただきました」
 と、突然外宮のほうから、わっと声があがった。巫女が大宿司に知らせたようだ。
「旅の支度はできているのか?」
「婆様にご用意していただいたものはすぐこちらに……」
「ならば紅葉、よくきくがいい。これからおまえは宿禰として〈魂もらい〉にでる。守別はこの男だ。霊山へいき、天座大神様のご意志をうけとってくるのだ」
 婆は包みを紅葉におしつけた。
「いまから、ですか?」
「ぽち、おまえにはいわずともよいかもしれんが、紅葉を頼んだぞ」
 返事のかわりに、ぽちはじっと婆を見つめた。
「それから浅葱。急なこととなったが、おぬしを守別として任命する。宿禰を守護し、無事霊山までとどけてほしい。まず第一の難関として、ここから宿禰をつれだすのじゃ!」
 浅葱は一礼した。その背後で騒ぎが一段と大きくなった。
「嘆かわしいことじゃ」
 ぼやいて、婆は外宮に足をむけた。
「婆様!」
「紅葉、わしはおまえのいう春を待っておるからな」
 眉を困らせて、紅葉はもっていた包みをぎゅっとだきしめた。
「はい」
 背をむけると、胸がつまった。
 だが泣いてどうなる。これが紅葉の運命だ。
 別れをかみしめるまもなく、気を奮い立たせる。ちかづいてくる騒ぎに、これが紅葉への最後の親孝行だと気をひきしめた。



「こっちだ」
 建物の配置さえも知らないはずだが、浅葱は紅葉を先導して庭へおりた。草履もはかず、すたすたと物置小屋のほうへむかう。
 紅葉は騒ぎを気にしながら、結局は浅葱を追った。
 婆はどういうつもりなのだろう。内宮に彼をつれてきて、ばたばたしている巫女たちの気をあおるなんて。いつだって婆は冷静で、無謀なことなんてしない人なのに。
 浅葱は小屋の軒先に手をかけると、身軽に屋根に飛びのった。びっくりして言葉を失った紅葉に手をのばす。
「つかまれ」
 騒ぎはいっそうひどくなっている。
『大巫女様!』
 悲鳴がきこえると、紅葉は婆のことが気になって動けなくなった。
「来い、大巫女様はおまえを逃がそうとしているんだぞ」 
 紅葉は浅葱を見、もう一度外宮に通じる廊下をみた。ぽちがうなった。
「紅葉!」
 ぽちが縁側に駆けていった。姿が消えると、空気をふるわすような吠え声が響いた。
 紅葉は唇をかんだ。手を出したままの格好で待っている浅葱の手をとる。軽々と持ちあげられ、屋根の上にのぼる。
 だがそこを越えると、浅葱はまたひらりと地におりる。これで外宮にでたことになる。
 浅葱の手を借りながら、紅葉も屋根からおりる。
「あの、どうして守別になったんですか?」
 風呂敷包みを体にしばりつけて、浅葱は簡潔にいった。
「話はあとだ」
 バタバタ、と内宮が騒がしくなった。
「いないぞ!」
 大宿司の声が塀のむこうからきこえる。
「どこだ、どこにいったんだ?」
 つづいて、宿司たちの戸惑いの声。
 紅葉は黙って浅葱のあとを追った。瞬巡しながらも浅葱はすばやく移動する。
 回廊を越えると、そこは裏門だった。そのとなりにある、厩を見つけると、浅葱は迷うことなくそちらへむかった。
「あんたはゆっくりこい」
 足の遅い紅葉に、浅葱はそう吐きすてて、厩の戸をあける。
 が、あけようとした戸が勝手にひらいた。浅葱がぎょっとする。
「葵様!」
 あらわれた人物が、思いもよらない人で、紅葉は声をあげていた。
 浅葱が飛びずさって刀に手をやると、葵は浅葱に手のひらを見せた。
「待ってくれ、私は紅葉の味方だ」
 浅葱は黙ったまま答えない。
 葵が厩からでると、そのうしろから一頭の馬も姿を現した。
「きみが紅葉の守別になったのなら、ひとつ頼みごとがある」
 浅葱はまだ黙っている。
「霊山まで無事に紅葉を送り届けてほしい」
「葵様、どうして……」
 ようやくふたりの元までたどりつく。
 葵は紅葉を見てにこりと笑った。そうして、また浅葱に目をやると、もっていた馬の手綱をわたした。