恋し、春待ち人
第四話 東風吹かば 四




 浅葱はさしだされたものを受けとった。
 目を見れば、葵の紅葉への想いがはっきりと見てとれた。託されるものが、予想以上の重みを増したが、御社がこの状態では、紅葉をつれてでていくほかに道はない。
 浅葱の決意を感じとったのか、葵は目に力を宿し、高らかに宣言した。
「これは宿禰に与えられる馬。かならずや宿禰を霊山に送り届け、役目を果たすように」
 騒ぎが一瞬、静まった。
 偶然なのか、必然なのか、葵の言葉を響かせようしているようだった。
 瞬間、浅葱は全身に鳥肌がたった。
 天座大神は、浅葱が守別となることを歓迎している。そして紅葉が宿禰として旅立つことを、世に知らせたのだ。
 葵の声は、空気をふるわせ、波紋のようにひろがっていくだろう。人の耳には届かぬ音かもしれない。それでも、何かを感じとることができる波動になったはずだ。
 浅葱は神聖な気持ちで一礼した。
「たしかに享け賜りました」
 葵が深くうなずく。
 本来なら、大宿司が守別に対しておこなうことだったのだろう。だが、いまの葵に不足はなかった。
 騒ぎが一段とひどくなってかえってきた。浅葱は遠慮なく手綱をひき、馬にのった。



 紅葉はさしだされた浅葱の手につかまり、馬に乗った。
 葵が裏門にむかった。閂をはずし門をひらく。
「いたぞ!」
 声があがってふりむけば、若い宿司が紅葉を指さしていた。バタバタ、と足音が響く。
 浅葱が馬を走らせた。背後でぽちの吠え声がした。
「この犬、邪魔ばかりしやがって!」
 罵声に紅葉はふりかえる。ぽちが心配だった。
「紅葉」
 門をでると、葵がちいさな包みをさしだした。
「葵様、わたしに関わったら……」
「ほんのわずかしかつくれなかったが、旅の役にたたせてくれ」
 紅葉はうけとってもいいものか迷った。きっと御社は、紅葉が宿禰として旅立つことを許してはいないだろう。それは外宮のざわめきから、察していたことだった。紅葉自身、自分では〈魂もらい〉などするような器ではないとわかっているだけに、社内の動揺は手にとるようにわかった。
 それでも選ばれたからには、役割を務めなければならないと、責任を感じていた。
 守別が現れないのなら、ひとりで旅立ってもいい。そのぐらいの覚悟はできていた。
 けれど、守別は現れ、葵は逃げるように旅立つ紅葉を助けてくれた。次期大宿司と噂されるほどの人物が、役立たずな巫女の旅立ちを手伝っては、経歴に傷がついてしまう。
 迷う紅葉に、背後を気にしていた浅葱がいった。
「受けとれ。時間がない」
「でも」
 わらわらと宿司たちが、御社から駆けつけてくる。浅葱は葵がさしだした包みを乱暴につかんだ。
「かならず宿禰様を霊山へお届けする」
 馬が駆けだした。気をつけて、そんな葵の声が耳に届いたような気がしながらも、背後からの罵声に、すべてがのみこまれた。



 馬は鎮守の杜を駆けて、山へ山へとつきすすんだ。道などないはずなのに、浅葱は道標があるかのように、迷わず先へ馬をすすめる。
 訊ねたいことがたくさんあったが、倒木をとびこえ、小川のぬかるみを走っていては、舌をかんでしまう。
 いつまで杜をすすむのだろうと疑問になってきたころ、ようやく杜の切れ目が見えた。
 光の滝をくぐりぬけたかのように、一瞬明るさに目を奪われる。
 馬は休むことなく駆ける。紅葉がまぶしさに、涙ながらあたりを見わたすと、田園がひろがっていた。とはいえ、この時期はまだ、昨年稲の刈りとりをしたままの姿ではあったが。
 森と田んぼの境をはしる道をすすんでいくと、ちらちらと田んぼに人の姿が見えてきた。鍬をふるって、土を起しているようだ。
 しばらく走ると、村が見えてきた。田んぼを見下ろす高台に、簡素な門が建てられている。そのむこうに、家々がたちならんでいた。
「どこの村ですか?」
「森村だ」
 その村は、森の入り口にあった。十ばかりの茅葺屋と、小屋がいくつか建っている、ちいさな村だ。
 村の入り口で、浅葱は馬を下りた。村に人気は少なく、ちいさな子どもや年老いた者たちがまばらにいるだけだった。働けるものは皆、田や山へとでているのだろう。
 浅葱が足をとめたのは、屋敷といっても、他の茅葺屋よりもひとまわりほど大きな茅葺屋だった。
「中小里から浅葱、ただいまもどりました」
 はりあげた声をかえすように、中から少年がひとり、走りでてきた。
「おかえりなさいませ、浅葱様!」
「朔太郎、新しい草鞋はないか」
「はっ、……は?」
 紅葉よりも二、三年下であろう朔太郎は、返事をしてから、何故と思ったらしかった。
「宿禰様の御履物だ」
 いわれて紅葉が、そういえば素足だったと気がついた。朔太郎は紅葉を見て、あわてて探しにいった。
「荷物をこちらへ」
「いえ、これはわたしでもっています」
 包みを胸に抱くと、浅葱は何もいわずにひきさがった。
 朔太郎はすぐにもどってきた。
「申し訳ありません、浅葱様。あたらしいものは、あいにく切らしておりまして……」
「そうか。なら悪いが一晩で用意してくれ」
 浅葱は馬上の紅葉に手をさしだした。
「今はおれで我慢してほしい」
 何を、と問う前に、浅葱は紅葉を抱きあげ、馬上から屋敷の床まで運んだ。こんな扱いをされたのは初めてで、紅葉はおどろいて言葉もでない。
「朔太郎、ひとつ部屋を用意してくれ。宿禰様は、こちらへ」
「あの」
 先をいく浅葱を、紅葉は呼びとめた。
「わたしのことは紅葉、とお呼びください。宿禰様では、だれのことかわかりません」
 浅葱は紅葉の言葉の意味を、考えあぐねたらしかった。
「ふつうの、娘のように接してほしいんです。宿禰様では、こちらのほうが萎縮してしまいます」
「……わかった」
 浅葱の先導で先をいけば、ちいさいと思った屋敷も、奥にひろいのだということがわかった。剣術の稽古でもできそうな、飾り気のない庭を横目に奥へすすむと、浅葱の足はそこでとまった。
「父上、ただいまもどりました」
「おお浅葱か。おまえがもどってくるとは、めずらしいな」
 野太いが、しかし大らかな声が答えた。紅葉が障子戸から姿をあらわすと、熊のような大男があわてて身を起した。
「なるほどな、わしはよいぞ。そろそろおまえにも、よい娘を見つけてやらなければと思っておったところだ」
 ひげにおおわれた口から、白い歯がのぞく。人懐っこい笑みは、浅葱とは似ても似つかない。浅葱は男の前に座ると、紅葉もそのとなりに座るようにしめした。
「父上、彼女は宿禰です」
 しばらく大男は沈黙したあと、ぽかんとあいた口から問うた。
「とすると、おまえは守別になったのか」
「はい。準備をするためにもどってまいりました」
 大男の頭の中で、息子と宿禰がつながるまで、しばらく時間があった。そうして、突然目が覚めたように飛びあがると、いった。
「宿禰様はどうぞこちらへお座りください。浅葱、何をやっている、〈魂もらい〉の準備だろう? 何が必要なのか千歳に伝えよ」
 父の背におされて、浅葱は部屋をでていった。
 男は紅葉を上座に座らせると、伏して非礼をわびた。
「申し遅れましたが、私は森村の長を務めます浅尚と申します。僭越ながら、守別となった浅葱の父として、宿禰様の〈魂もらい〉の支度はおまかせください」
 はあ、と答えそうになって、あわててのみこむ。〈魂もらい〉は人の期待をかつぐものだ。紅葉でなく、宿禰として立つとき、その役割をしかと演じる必要がある。
 巫女であったとき、人々の期待に応えられなかった紅葉だったが、宿禰となった紅葉は、すこしでも期待に応えられる紅葉となりたい。
「浅尚殿、せっかくですが、荷はこの手に抱えている包みひとつで十分です」
「いえ、そんなわけにはまいりませぬ。不肖ながら、我が息子が宿禰様の守別となったのです。我が森村から御社の守別がでた、というだけで名誉なこと。これが〈魂もらい〉の守別となれば、これ以上名誉なことはございませぬ。中小里ほどのものはありませぬが、どうぞ、我らの気持ちとしてお受け取りください」
 気持ちといわれてしまえば、紅葉にかえす言葉はなかった。
 大変な旅の前にのんびりしてください、といいのこして浅尚はでていった。
 紅葉はひとりおきざりにされて、途方にくれた。することもなく、あたりを見わたす。
 とてもいい部屋だった。庭に花などは見えないが、すぐ間近にせまった森が生き生きと塀をのりこえ、さながら森そのものが屋敷の庭園のようだ。
 紅葉は立ちあがった。縁側まででる。
「ぽち!」
 ここへ来るまでのあいだ、ぽちは姿をみせなかった。まさか宿司たちにつかまっているとは思えないが、姿が見えないのは不安だった。
「ぽち!」
 もう一度呼んで、ようやくぽちは足音で自らの存在を知らせた。軽快な足音がぴた、ととまったかと思うと、塀のむこうから大きな狛犬が姿をみせた。庭に着地して、はっは、と舌をだして見せると、ゆっくりした足取りで紅葉のもとへやってきた。
「ぽち……、よかった、無事だったんだね」
 首に腕をまわして抱きしめる。よしよし、と身体中をなでまわして、怪我がないか確かめた。
 と、バタバタと複数の人が走る音が聞こえてきて、紅葉はぽちを背に隠した。といっても犬よりもふたまわりはゆうにある巨体が、紅葉の細身の身体に隠しきることができるはずもない。
 やってきたのは浅葱と朔太郎だった。
「狛犬が……」
 浅葱はいってから、紅葉の背から顔をだす狛犬に気がついた。
「浅葱様! あれです、あの狛犬です!」
 朔太郎が真っ青になって叫んだ。紅葉が狛犬の餌食になると思ったのだろう。
「紅葉、それはおまえの狛犬か?」
 浅葱の問いかけに、紅葉がうなずくと、朔太郎は信じられないといった顔つきで首をふった。
「屋敷のほうに狛犬がかけていったと、村人から通報があってな。そうか、ぽちならいい」
「……すみません」
「いや、もし野生の狛犬だったら、と考えただけだ。屋敷のものには伝えておく」
 身をひるがえして、浅葱は呆然とする朔太郎の肩をたたき、ともに去っていった。
 不思議な人。
 浅葱はぽちを怖がらない。邪険にもしない。
 紅葉はぽちの背をなでた。守別になった人が、ぽちを嫌わなくて、よかった。
 突然、追われるように御社をでてきたが、案外このほうがよかったのかもしれない。役立たずといわれる巫女に、ついてくる守別など、それほどいるはずがないのだから。
 部屋にもどって、紅葉は葵からもらった包みを手にとった。
 大宿司の昇進に傷がつかなければいいけれど、と葵を憂いながら包みをひらく。でてきたのは、たくさんの護符と練り菓子だった。
 護符の一番上には文があった。

 わずかしか作ることができなかったが、すこしでも道中の役にたたせてほしい。道中の無事を祈る。かならず、帰ってくるように。                                        紅葉 拝  葵

 走り書きだった。もしかしたら、騒ぎが起こってから筆をとったのかもしれない。
 紅葉は文を胸におしあて、きつく目を閉じた。
――葵様……
 どんなにわずかであっても、気にかけてくれた葵の心に、胸がふるえた。
 わずか、と文にはあるが護符の枚数は、一日や二日で書ける量ではない。一筆、一筆、丁寧に、力のこもった文字からは、無事を祈る想いがにじみでるようだった。
 いつのまにか、すぐ側にぽちがやってきていた。身をすりよせ、膝頭の前に鼻面をおいて、紅葉を横目でうかがっている。
 ぬれた目じりをぬぐって、紅葉はぽちの頭をなでた。
「ぽち、葵様が練り菓子をくれたよ。大事に食べようね」
 紅葉は文を丁寧におりたたんで、数枚の護符と一緒に胸にしまった。お守りにしようと思った。