恋し、春待ち人
第五話 光の春 壱




 ひらりと舞う桜の花びらを紅葉は追った。手のひらぎりぎりに、薄桃色の花びらをうけとって、両手におし抱く。
「何をやってる?」
 紅葉はそっと手をひろげ、浅葱につきだした。
「命のひと欠片」
 一瞬何をいっているのか、浅葱は理解できなかった。紅葉は黙ったまま両手をとじた。懐紙をとりだし、飛ばないようにそっと包んで、胸にしまう。
 浅葱の目の前で、また桜がひらひらと舞った。
「桜の花は家族で」
 唐突に紅葉はいった。
「花びらはひとりひとり。花びらがあって、花になって。花があって桜になる。ひとりというたくさんの人がいて、家族がいて、世界ができる。だから、花びらは命のひと欠片とおなじ」
 桜を見上げる紅葉の髪がふわふわゆれる。
 鴨が三匹、一列にならんで小川をのぼってくる。
 抽象的すぎる。
 浅葱は思った。だが、おそらく紅葉は理解してもらおうとは思ってない。だから、鴨に気がついてふらりと歩きだす。浅葱は首をふった。
 住む世界がちがう。見えるものがちがうのだ。
 浅葱は紅葉のうしろを歩いた。
 日差しがあたたかい。土手に寝そべって一眠りしたい陽気だ。ナズナやらハコベやらの白と緑の草原にどかりと寝そべる男もいて、半分うらやましくなりながら、先をいく。
 争いとは無縁なのどかな風景だった。
 だが、耕されていない田畑は荒れ、黒くなった地面はそこで火事があったことを物語っている。近くにはいくつもの墓がならんでいた。墓地かと思わせるほどの数だ。
 思わず目をそらす。平和そうに見えて、争いの火種はこんな山奥の村にも届いているのだ。
 ぼんやりしていたのだと思う。
「よう」
 声をかけられるまで、浅葱はその人物がそこにいたことに気がつかなかった。
 背後をふりかえり、浅葱は身がまえた。
 ぼさぼさの頭に、着くずした小袖。日に焼けた肌は肥えた土のようだ。見たところ刀はさげていない。一見浮浪者風だが、油断できる相手には見えなかった。
 紅葉を意識すれば、何事かと首をかしげている。
「その姿、〈魂もらい〉だな」
 何がおかしいのか、にやにやと口元がゆるいのが気に障る。
「宿禰様に何か用か?」
「別に」
 よく見れば、さきほど草っ原に寝そべっていた男のようだ。髪に桜の花びらがついている。着古した着物の裾には土汚れが見えた。
 浅葱と変わらぬほどの年齢に思えるが、いい年のものが真っ昼間からのんきに昼寝とはいい身分だ。こんな輩には関わらないほうが身のためだ。
 浅葱は男に注意をはらいながら、紅葉に先をうながした。
 さいわい、紅葉も男への警戒心をもったらしい。浅葱にうながされると、積極的に歩きだした。馬の鼻面に手をあてて、ちらちらとうしろを気にしている。
「宿禰様、馬にのりましょう」
 いって、浅葱はなかば強引に紅葉を馬にのせた。すこし馬で駆けて、男と距離をとったほうがいい。そう考え、浅葱も馬にのる。
 馬の腹をける前に、男を一瞥した。男は何をいうでもなく、ひきとめるわけでもなく、ただひょうひょうと成り行きを見ていた。
 一体、何がしたかったのだろうか。
 わからないまま背をむけることに不安はあったが、浅葱は馬の腹をけった。
 抱えこんだ紅葉の手が、腕に触れた。冷たかった。



 野を駆けると、前方に海が見えてきた。つよい風に潮の香りを感じる。浜にでる手前には、ぽつぽつと小屋が見えた。浅葱は馬をおりて、手綱をひいて歩いた。
「村でしょうか?」
 板張りの小屋は風雪によってだろう、つぶれているものが大半だった。それもなかば草に埋もれている。
「村、だな」
 かろうじてたっているような小屋は、あちこちにつぎはぎのような板が打ちつけられてある。人の姿は見えないが、だれかが住んでいる気配はあった。
 紅葉は浅葱に助けてもらい、馬をおりた。
 戦時中とはいえ、中小里は子どもの遊び声や、女たちの笑い声が聞こえ、売り子たちのかけ声もにぎやかで、品物もでまわっていた。
 だが、海ぞいのこの村は、人の歩いている姿はなく、声も聞こえない。聞こえるのは潮風が耳元で鳴らす、低いうなり声だけだ。
「今日はこの村で泊めてもらおう」
 浅葱がいった。
 人の姿のない村で、泊めてもらえる場所があるのかわからなかったが、この先には祈りを捧げなければならない神宿がある。
 それに、本当ならば人々と顔をつきあわせ、平和を祈らなければならないのだ。宿を探しながら、ひとりでも多くの人に出会い、宿禰が旅をしていることを知ってもらう必要がある。
 浅葱は紅葉に馬をまかせて、一軒の小屋へとむかった。軒先にわずかな海藻と魚が干してある。
 浅葱が近づくと、それを察知したかのように、むこうから戸がひらいた。女がでてきて、浅葱の姿に「あ!」と声をあげる。
 あわてて、干してある海藻と魚を手につかんだが、そこで紅葉と目があった。女は目をまるめて、海藻と魚を落とした。
「あの」
 声をかけるまもなく、女は急に身をひるがえして、小屋にとってかえした。
「おばあちゃん!」
 大きな声が、紅葉のところまでよく聞こえた。
「おばあちゃん、宿禰様だ。宿禰様がいらっしゃった」
 紅葉と浅葱は顔を見合わせた。
 しばらくすると、女はまたでてきた。
「あの、宿禰様とお見受けしました。よろしければ村長のところへご案内します」
「ぜひお願いしたい」
 女はちらちらと浅葱をうかがいながら、さびれた村の通りへと案内してくれた。
 近くで見れば、女は浅葱ほどの年に見えた。着古した着物はどこも接ぎ当てだらけで、接ぎ当てに接ぎ当てをし、それでも穴があいている。裸足の足の甲は骨が浮かんで見えた。
 となりあわせにならんだ三軒の小屋の前で、女は足をとめた。中央の小屋の戸をたたく。
「婆様、千草です」
 名のって千草は戸をあけた。
「うるさい、おまえの声は遠くにおってもよお聞こえるわ!」
「なら話は早いです。婆様、宿禰様がいらしたんですよ」
 千草は紅葉と浅葱を手招きした。
「なんと、宿禰様が?」
 目をまるめたのは、しわで目もおおってしまうほど、年老いた老婆だった。土間に座りこんで、膝に網をひろげている。大社の婆よりも年をとっているようだった。
「おお、なんとまあ。こんな村へ、ようお越しなさった」
「お邪魔しております。宿禰の紅葉と申します。こちらは守別の浅葱殿です」
 太陽を直視するような、まぶしいまなざしをむけた老婆だったが、それもわずかなあいだのことで、すぐに手元の網をもやいはじめた。
「戦が始まってから、この村は朽ちる一方じゃ。男どもはみんな戦にとられた。村長のわしの夫もじゃ。いまこの村に男はおらん。となり村から嫁いだわしなんぞが、村長を務めておるが、治める村人もこの千草をふくめもう一四人。それもみな婆ばかりじゃ。せっかく来てもろうたが、ここじゃ〈祈踏〉に参加できるものも少ない」
「婆様、私が参加します!」
 千草が力をこめていった。
「当然じゃ。……神宿はこの先の岬にある。今日は千草のところへ泊めてもらうがいい。これでももとは旅籠屋だ」
 老婆はそれ以上話すことはなく、網を黙々と編みはじめた。こうなるとだれが話してもきかないから、と千草はいって、紅葉たちはきた道をもどるかたちとなった。
「お客様が来るのは、本当に久しぶりです。私がちいさな頃には、魚や塩を買いつけに来る行商人がたくさんいたんですが、最近はまったくないんです。漁のできる男たちがいないし、街道は盗賊がでて、こちらから物を売りにいくこともできません」
 千草は紅葉をふりかえった。
「宿禰様、この村の人たちは、みんな滅びることを受け入れてしまっています。年老いた婆たちだけでなく、私の友達も」
「何故男がひとりもいない? 老いた男たちまで、戦にとられることはないだろう?」
 浅葱の問いに、千草は頬を赤くした。年頃の男と話す機会がないから、気恥ずかしいのだろう。浅葱を気にしながら、千草はそわそわと落ち着きがない。
「私がまだちいさいころには、爺たちが漁をしていました。その頃はまだこの村にも活気があって、行商人も来ていました。でも、あの日、日の旗をもった軍勢が村を襲ったんです。山越里を襲った日乃出里の軍勢は、山越里に負け、逃げのびた兵士たちが村を襲ったようでした」
 千草はうつむき、はきはきとした大きな声も、しだいにちいさくなった。
「いまここに住む女たちは皆、そのとき岬の神宿にいっていて、難を逃れたものたちばかりです。私たちが村に帰ってくると、……爺たちは殺され、女たちの大半はさらわれていました。兵士たちは村の船をつかって逃げ、私たちは生きているものがいないか探しましたが、息のあった爺たちは、怪我がもとで半年もたたずに亡くなりました」
「むごい……」
「いいえ、むごいのは、それからの私たちの暮らしのほうです。わずかなたくわえのほとんども盗られ、船もなくなり、私たちは食べるものに飢えました。ひとり、ひとりと餓死していく人を見送り、毎日どうやって飢えをしのぐか考え、死んだものの肉は食べられないかと何度話しあいが行なわれたか!」
 ぶるぶるとふるえた千草は、必死な顔で紅葉の両腕をつかんだ。
「宿禰様、私はこのまま死にたくはありません! 村と共に朽ちていくなど、絶対に嫌です! 世を平和にしてください。私の想いを天座大神様にお伝えください! 私は何も贅沢など申しません、ただ、ちいさかった頃のような、貧しくとも安らぎに満ちた日々を過ごしたいだけです!」
 紅葉は強烈な現実を突きつけられて、言葉をうしなった。
 そんな紅葉の戸惑いを感じたのか、浅葱は千草の腕に手をおいた。おどろいた千草は、腕をひっこめて、背のうしろに隠した。
「その祈りを捧げるために、宿禰様は旅をしている。明日の〈祈踏〉には、参加できうるかぎりの村人を集めてほしい」
「はい。……すみません、宿禰様。私、興奮してしまったようで……」
「いいえ、お気持ち、お察しします」
 うつむいたまま、千草はそれから必要なこと以外、口にすることはなかった。