恋し、春待ち人
第五話 光の春 四




 浅葱は紅葉を抱きとめた。見れば、紅葉の額にはびっしょと汗がうかんでいる。森村で見せた〈祈踏〉もそうだったが、この儀式は宿禰の体力を相当奪うようだ。
 霊山まで、紅葉のちいさな身体がもつのか、浅葱は心配だった。
「宿禰様!」
 女たちがわらわらと集まってきた。その声に目が覚めたのか、紅葉は目をあけた。
「大丈夫か?」
「……はい、何とか」
 かすれた紅葉の声は、千草の明るい声にかき消された。
「宿禰様、ありがとうございました!」
「わたし、昔の村の様子を見たら、元気がわいてきました」
「あんな村にもどれるように、がんばります」
 うっすらと涙をうかべた千草や女たちの様子に、紅葉はかすかに微笑んだようだった。
「はい。わたしも〈祈踏〉をつづけて、天座大神様にこの村のことをかならずお伝えします」
 紅葉は村で休んでいってください、という千草の誘いを断った。そうして千草たちは先に村へ帰し、紅葉は力つきたかのように、ちかくの砂浜に腰をおろした。
 浅葱は黙ったまま、紅葉の横顔をながめた。彼女はずっと海を見ている。表情を表にださない紅葉は、何を考えているのか浅葱にはわからない。ただ、ぼんやりしているのではなく、彼女なりに何か考えているのだということは、わかってきていた。
「ここへきて、よかった」
 紅葉はぽつりといった。
 〈祈踏〉を終えたあと、千草たちはみちがえるように明るくなった。五人ではしゃぎながら帰っていく姿を見ていると、〈魂もらい〉が成功すれば、この漁村にもまた活気がでるだろうと思えた。
「そうだな」
 ただひいてはよせてをくりかえす、海の鼓動を感じながら、ふたりは満たされた気分だった。
 母に抱かれているような気分になって、のんびりしていると、ぽちのうなり声が聞こえて、浅葱は我にかえった。見れば、背後の岩陰を睨んでいる。
「おいおい、ちょっと待ってくれ。こっちには争う気はねえんだ」
 声と共に、岩陰からでてきたのは、昨日声をかけてきた、あの浮浪者風の男だった。だが、その格好は襤褸ではなく、旅装束に変わっている。
 男は平手をふりながら、ぽちから逃げた。
 浅葱は紅葉を背に隠した。
「なんのようだ?」
 浅葱が低くたずねると、男は手をあげて、ぽちから距離をとったままいった。
「さっきの〈祈踏〉は本当に見事だった」
 ぽちが攻撃態勢にはいると、男は早口にいった。
「俺は山越里(やまこしのさと)の常盤という。昨日、あんたたち――いや、宿禰様をお見かけして、〈魂もらい〉かと気になっていたんだ。もしもそうならば、俺もつれていってもらいたくてな。きっと、あの神宿へ参るだろうと待たせてもらった。それで〈祈踏〉を見せてもらったんだ」
 浅葱は常盤と名のった男をにらみつけた。
「昨日はおどろかせて悪かった。笑っちまったのは、うれしかったからだ。怪しいもんじゃねえよ。もし身の証がほしいってんなら、山越里の里長を訪ねてくれ」
 紅葉が浅葱の影からでた。それを手で制する。
「あなたも、守別になりたいんですか?」
「いや、守別じゃない。旅に同行させてもらいたいだけだ。でも、宿禰様の身は俺からもお守りさせていただくし、食料だってあんたたちの世話にはならねえ」
「どうだかな」
 浅葱の言葉に、常盤は肩をすくめてみせる。
「何故、〈魂もらい〉に同行したいんですか?」
 紅葉が問うた途端、男の飄々とした顔に影がさした。
「葉月」
 その名前に、紅葉が目をひらいた。
「前回の〈魂もらい〉に出た巫女の名前ですね」
「ああ、そうだ。俺と葉月は兄妹だ」
「!」
「何故、葉月が戻らなかったのか知りたい」
 紅葉は顔を伏せた。そして静かに答えた。
「〈魂もらい〉とはそういうものです」
 波が岩にくだけた。水しぶきが、風にのってとんでくる。ぽちが紅葉の足元へやってきて、身をすりよせた。
「常盤さんが、葉月さんの軌跡を知りたいとおっしゃるなら、わたしはかまいません」
 浅葱は首をふった。
「紅葉、どこのだれともわからないものを〈魂もらい〉に同行させることはできない」
「もしも彼が、物盗りでしたら、わたしたちの少ない荷でもほしいほど、何かに飢えているのでしょう。彼が、わたしたちを殺したとしても、この世はつづいていきます。この〈魂もらい〉でも世は平和を望まなかったというだけです」
 静かにとつとつと話す紅葉の口調は、他人事のようで、浅葱を苛立たせた。
「じゃあ、葉月は平和を望まなかった世の人のために死んだってのか!」
 怒鳴ったのは、常盤だった。
「あんたのいってることはそういうことだ。〈星流れ〉は、平和を望む心の流れじゃないのか? 〈魂もらい〉はその想いを霊山へかついでいくためのものだろ。宿禰がそんな考えじゃ、平和になるわけがねえ!」
「その怒りが、あなたが葉月さんの兄妹だということを表している」
 紅葉が投げてきた視線に、浅葱は認めるしかなかった。
「常盤さん、〈魂もらい〉の想いを受けとめるのは天座大神様です。宿禰は人の御霊をつないでいくだけ。わたしたちは道中の神宿に旅の安全を祈りますが、それを受け入れるかどうかも大神様がお決めになること。優秀な巫女であったという葉月さんが、それをわからないはずがありません」
 常盤はまだいいたいことがあるのか口をひらいた。それを、紅葉がとめた。
「そういう旅だと、わたしは受けとめています。それでも常盤さんは、同行されますか?」
 鴎が遠い空で鳴いた。戦の世だと、人が嘆いても動物も自然も、かわらぬ毎日を過ごしている。人が足踏みしていても、歩みつづけていても。
「〈星流れ〉があったとき、葉月が死んだってことがようやくわかったんだ。そうして思った。宿禰様に会って、〈魂もらい〉に同行させてもらおう。葉月が歩んだ道を見ておきたいってな。そんなわけで、よろしく頼むわ」
 常盤がさしだした手を、紅葉がにぎった。ふたりの目が浅葱にむいた。
 浅葱はもう一度いいのか、と紅葉に目で問うた。うなずく紅葉に、しかたがなく浅葱は手をのせた。
「おふたりとも、よろしくお願いします」
「ああ、まかせとけ!」
 元気のいい常盤に、浅葱は嘆息した。
「おい、ふたりっきりの旅路を邪魔されたからってそんなに怒るな!」
 浅葱は常盤の頭を疑った。
「〈魂もらい〉の意味をよく考えろ」
 これからの道中が、不安になった。