恋し、春待ち人
第七話 片蔭 壱




 うだるような暑さだった。
 何もかもぬぎすてて川に飛びこんだら、どんなにすっきりするだろうか。だが、泳げるような川はなく、あっても足の甲にさえとどかない小川だけだ。
 山道をぬけると、広大な平野にでた。見渡すかぎり何もない野っぱらだ。そのむこうには、海が見えた。
「戦場ヶ原、か……」
 だれにいうでもなく、常盤がつぶやいた。
 戦がはじまる前までの名では、もうだれも呼ばない。国を真っ二つにわける大戦がおこなわれ、その後何度となく戦場となったがために、ついた名だった。
 平野の中央を流れる天川を境に、東に日野出里、西に夜乃出里がある。どちらも東の都、西の都と呼ばれる大きな里だ。
 国をつかさどるふたつの里がならんでしまったことが、戦を生んだ原因かもしれない。
 風が、ざっと紅葉の頬をなでていった。
 草葉がざわざわと言葉をつないでいくようにさざめいて、去っていく。
 かすかな異臭に、紅葉は眉根をよせた。
「そういや、つい先日、またここで大きな戦があったらしいな」
「ちいさな里は疲弊しきってるというのに、徴兵で子どももとられたそうだ」
「ああ、ひどい話だぜ」
 よくよく見れば、緑のあちこちは馬や人に蹴散らされ、土がむきだしになっている。いたるところに立つ、墓標のような棒は槍だろうか、刀だろうか。月の描かれた裂けた旗が、むなしく風にゆれている。
 数日前まで、そこは血にぬれた大地だったにちがいない。あちらこちらに散らばる死体に群がる烏や妖獣たちの姿や、ときおり風にのってくる腐敗臭に胸が悪くなる。
 右手奥の小高い丘からは、煙がうっすらと立ちのぼっている。
 夜乃出里の方角だ。
 紅葉の身体は、自然と力がはいった。
 目に焼きつけておかなければならない光景だと思った。この戦が終わるようにと祈ることが、紅葉に託された使命だ。目をそむければ、真に祈りを捧げることなどできない。
 紅葉はじっと戦のあとをながめた。
 浅葱と常盤は、紅葉がいこうというまで、黙ってそのときを待った。
 戦場ヶ原をとおって、天川につきあたったら、川ぞいに北へのぼる。樹海をこえれば目指す霊山はすぐそこだ。
 今回の〈魂もらい〉の一番の難関が、この戦場ヶ原なのだった。国を荒廃たらしめるほど勢力をもったふたつの里にはさまれた地では、何が起こるかわからない。戦に巻きこまれるだけでなく、間者だと思われれば攻撃を受けるだろう。捕らえられ、処刑される可能性もある。
 三人はいつでも逃げられるようにと、山ぞいの道をいくことにした。旧街道のその道は荒れてはいるものの、戦場からも遠く、身もかくせる場所が多い。その分、待ち伏せされることも考えられたが、戦にまきこまれることも、目立つことも少ない。
「紅葉、馬にのれ」
 しばらく歩きすすんで、浅葱はたまりかねたようにいった。紅葉はすぐさま首をふった。
「強情を張っていると、すぐにばてるぞ」
 馬をひいて、前をいく常盤もふりかえっていった。紅葉との距離はだいぶあった。
 猛烈な暑さに、紅葉の足がにぶっていた。ふたりについていこうと足を動かしているものの、どうにも先へすすめないようだった。
 梅雨が終わってから、気温はぐんぐんあがった。笠をつけるのもうっとおしいと、常盤は黒く焼けてしまっている。
 今朝方、中途半端な雨が降ったせいで、昼をすぎるころには空気はじっとりとまとわりついてくるようだった。
「ちょっと休むか」
 道端のケヤキの影に入って、常盤はいった。
「……何度休んだと思っている?」
「何回休んだって、死にやしねーよ」
「死ななくても、遅れるだろ」
「んだよ、いいじゃねえか。もうあとちょっとだろ。紅葉ちゃんとも仲良くなったし、もうしばらく一緒にいたいじゃないか」
 浅葱は嘆息した。
「夏がすぎれば秋になる。秋がすぎれば冬になる。冬がくれば雪が降る。旅がしづらくなる」
 地面にぺたりと座りこんだ紅葉は、竹筒にはいった水を手にあけて、ぽちに飲ませた。ぽちも涼しい顔をしているが、竹筒をあっという間にカラにしてしまった。
「あのな、たしかにそのとおりだ。だけどよ、霊山につくってことはよ、ただのお別れってばかりじゃねえんだぞ」
 紅葉はきょろきょろと水場を探している。ぽちはそのとなりでどっしりと腰をおろし、はっは、と犬のように舌を見せた。 
 蝉がやかましいほどに鳴いていた。
「だが、のんびりしている暇もない」
「ないけどよぉ」
 常盤は頭をかいた。
 紅葉が立ちあがった。浅葱は自身の竹筒を紅葉につきつけた。
「紅葉、水ならおれのを飲め」
「でも……」
「そこで常盤と待ってろ」
 紅葉の竹筒を奪いとり、浅葱は水を探しに山にはいっていった。
「あいつ、ほんと不器用だな」
 常盤がつぶやいても、紅葉は去っていく浅葱の背を呆然と見ているだけだった。そうして、浅葱の竹筒をもてあます。
「待ってよーぜ。動いてなきゃ、落ちつかねえんだろ」
 常盤をふりかえって、紅葉は腰をおろした。
 じっとしていると、どこからともなく風がやってきて、頬をなでた。熱い空気とは裏腹に、涼やかな風だ。すうっと、生きかえった気分になる。
 山を背にして、戦場ヶ原をながめる。平原とはいっても、大地はなだらかにくだり、遠くはるかな海を見下ろすようなかたちとなる。
 世が平和なら、平野に稲の葉が青々とゆれていたことだろう。いまや一面草だらけだ。
 街道さえ整備されていないところが多く、草をかきわけ、倒木をまたぐことさえあった。だが、景色がどれほど移り変わろうとも、風も草木も、かわりなくそこにある。
「なあ、紅葉ちゃん。旅が終わったらどうする?」
 あぐらを組んだ格好で、常盤は問う。平野をながめていた首をまわして、紅葉は常盤を見た。だが、何も答えぬまま、さらに浅葱が消えた方角をじっと見つめた。
 そうして長い間のあと、ぽつりとつぶやいた。
「御社へ帰ります」
 気のない答えだった。何の思いもなく、他の巫女だったらこう答えるだろうという、模範的な回答だった。
「帰って、また巫女にもどるのか?」
 紅葉は黙った。長いあいだ、何もいわなかった。
「考えたことが、ありませんでした」
 常盤は目の色を変えて、紅葉の肩をつかんだ。紅葉はおどろいて、目をまるめた。
「考えろ! 何でもいい、考えたほうがいい」
 肩をつかんだ、手にこもる力の強さに、紅葉は常盤の想いを感じて戸惑った。
「未来がないからなんていうなよ。未来はだれにだって、ひとしくおとずれる。だれにだって、だ」
 懇願するように、熱いまなざしをむける常盤を、紅葉はじっと見つめた。
「常盤さん、ありがとうございます」
 おなじ宿禰となった妹の姿と、紅葉を重ねている。それは常盤の妹になったような気持ちにさせてくれる。ぽちしか家族をもたない紅葉にとって、ありがたい言葉だった。
 だが、常盤は首をふる。
「待て、礼をいってもらいたくていったんじゃない。頼むから悟ってくれるな。それくらいなら、真剣に受けとめて考えてくれ。俺は紅葉ちゃんが未来を歩んでいる姿が見たい。平和とか、そんなものじゃなく、紅葉ちゃん自身の未来だ」
 本当なら妹に伝えたい言葉なのだろう。
――葉月が、どんな旅をしていたのか知りたい。
 そんなふうに常盤はいっていたが、宿禰という存在に伝えたい言葉もたくさん抱えているのだ。そうして、妹のようになってほしくないと願う。その気持ちは、よくわかった。
 だから紅葉は考えた。自分の望む未来は何か。
「……今年の桜は、浅葱さんと見ました。来年も、だれかと一緒に桜が見たいです」
「じゃあ、俺と見よう。花見をしようぜ。酒とうまいものもってさ」
 呆れるかと思ったら、常盤はうれしそうにいった。その表情を見ていたら、紅葉の口は勝手にしゃべりだした。
「浅葱さんも一緒に見てくれるでしょうか?」
「あったりまえだろ、嫌だっつっても連れてくる。そうだ、紅葉ちゃん。にぎやかなのがいいなら、他にも知りあいを連れてくるぜ」
「本当ですか? ……ぽちも、入れてくれますか?」
「もちろんだ! 紅葉ちゃんとおなじ賓客の扱いでもてなすぜ!」
 紅葉は暑いことも忘れて、ぽちの首に抱きついた。
「ぽち、お花見だって。楽しみだね」
 ぽちはとじていた口から、べろんと舌をだした。はっは、と息をする。
 紅葉は目をまるめて、ぽちから手をはなした。常盤が笑った。
「平和になったらさ、俺の里にこいよ。夏は花火を見ようぜ」
「はなび?」
「夜空に大輪の花が咲くんだ。ひゅーぅ、どっかーん、てな」
「恐く、ないですか?」
「恐かねぇよ。耳がちょっと痛いくらいの音はするがな、赤い花が夜空にばーんと咲きほこって、一瞬で消えていくあの儚さが、たまらなくきれいだぜ」
 想像して、紅葉は思わず身をのりだした。
「見てみたいです」
「なっ、な! 屋台もでてっから。紅葉ちゃんの好きな練り菓子の屋台もあったはずだ。戦がはじまって、少ししたら祭りもなくなってよ。俺もちいさいころに何度か見ただけなんだ。平和になったら、また祭りができる。きっと楽しいぜぇ。人がたくさん集まるから、俺が案内してやる」
「……常盤さん、ありがとうございます」
「なあに、いいってことよ。俺にできることがあるなら、なんでもいってみ?」
 紅葉はかすかに笑って、うつむいた。
 蝉が鳴いていた。