恋し、春待ち人
第七話 片蔭 弐




 不意に、悲鳴があがった。
 蝉の声にまぎれ、空耳かと疑ったが、ぽちがさっと反応して立ちあがる。
「なんだ?」
 常盤が立ちあがった。
 甲高い悲鳴は、女のものだろう。
 紅葉は息をつめて、あたりをうかがった。蝉はあいかわらず暑苦しい恋歌をまきちらしている。だがどこか、空気が騒然としていた。
 がさがさ、と山のほうから草のこすれる音がした。常盤は紅葉を守るように背後へかくした。音は、しだいに近づいてくる。鼓動が、自然と早くなる。
 ザ、といきおいよくかきわけられた草のあいだから、浅葱が飛びだした。
「無事か?」
 悲鳴を聞いて駆けてきたのだろう。息があがっている。
「ああ、俺たちは無事だ」
 ぽちが顔をあげた。先へのびる道を見ている。曲がりくねった道のむこうは、山裾の林にかくれて見えない。
 もう一度、悲鳴があがった。
「ちかづいてくるな」
「どうする? 助けに行くか?」
「いや、数が多ければ分が悪い。ひとまず山へはいろう」
 道の先を気にする紅葉の背を、浅葱がおす。
 茂みに身をひそめると、まもなく山裾から少女が駆けてきた。遅れて、その母らしき女が現れる。
「逃げなさい!」
 うしろを気にする少女に、女が叫んだ。 
「逃がすか!」
 追っているのは五人の男だった。簡素な胴守とすねあてをつけている。このあたりの里長の雇われ兵のようだった。
 男のひとりが、女を捕まえた。
「子どもも逃がすな!」
 ふたりの男が、少女を追った。少女は懸命に走ったが、つまづいて転んだ。すかさず男たちが捕らえる。抵抗する少女をひきずるようにしながら、仲間のもとへと連れていく。
「女、わかってるんだろうな?」
 腕をしめあげられた女の顔を見て、紅葉は息をのんだ。あざだらけだった。目元ははれあがり、新しいあざも、治りかけたあざもある。頬には幾本も切り傷があった。
「ありゃ、ただの女じゃないな」
 ぽそりと常盤がつぶやく。浅葱がうなずいた。
「今度逃げたら殺ってもいい、というお達しだ。さて、どうしたもんかね」
 男はもっていた脇差をぬいて、なぶるように刃の背を自身の手にとん、とんと当てる。にやり、と笑みを浮かべると、まわりの男たちも似たような下卑た笑いをうかべた。
 女は男たちを睨みつけた。
「助けましょう」
 紅葉は思わずいっていた。
「待て、まだ早い」
 浅葱が動きだそうとする紅葉の肩を、つかんでとめた。
 と、突然野太い悲鳴があがった。少女が男の手をかんだのだ。
 すかさず逃げた少女は、だがすぐに別の男につかまった。
 暴れる少女を、手をかまれた男が容赦なく殴った。
 女が悲鳴をあげた。
 少女はあまりの勢いに倒れる。
「お頭、こいつからやりましょう!」
 男は、殴っても気がすまなかったらしい。
「それもいいかもしれんな。目の前で娘を殺されるところを見るのも、身の裂ける思いだろう」
 女は罵倒しようとして、言葉をのんだらしかった。いったら、男がその気になると思ったのだろう。悔しさをぶつけるように唇をかんでいる。
 お頭と呼ばれた男は、眼光でもって刺し殺さんばかりの女の憤怒の表情を、おもしろそうに見ている。
「いい顔してるよ、あんた。旦那様が気に入るわけだ」
 しばらく考えこむようにしてから、男はいった。
「そうだ。俺のものになれ。旦那様には殺したと報告するさ。そうすりゃ命だけは助けてやる。もちろん、娘もだ」
 女は少女を見た。少女は母の視線を受けて首をふった。
「断る」 
 きっぱりと女はいいきった。お頭のゆるんだ顔が、さっとひきしまった。
「ふん、なめられたもんだ。おい」
 お頭は男に顎をふった。
「殺れ」
 指図された男が、刀をぬいた。
 紅葉はあわてて立ちあがった。が、常盤に肩をつかまれる。抗議しようとふりかえれば、常盤のうしろで、浅葱が弓をしぼっていた。ぽちがいつのまにか麓の木の影までおりている。
 男が刀をふりあげた瞬間、浅葱の矢が音をたてて飛んだ。同時に、ぽちが少女にむかって跳ねた。
 男が悲鳴をあげた。矢はねらい違わず、刀をあげた男の二の腕につきささった。
「なんだ!」
 お頭の声に、悲鳴が重なる。
「狛犬だ!」
 少女をぽちのほうへおしやって、男たちは逃げた。女を捕らえていた男たちも、転びまつろびながら逃げていく。
 女はこの隙に、少女へ駆けよった。
 お頭が、逃げる男たちに舌打ちをしながら、刀をぬいた。一閃のきらめきのあと、女が少女の手前でどさりと倒れた。
 あとずさりながら、男は仲間たちの逃げたほうへ走り去っていった。
 少女は倒れた女にしがみついた。
 浅葱は山をくだった。常盤と紅葉もその後にならう。
 女のもとへとやってきた浅葱は、言葉をのみこんだ。
 背中を袈裟斬りされている。衣が、みるみる血に染まっていく。
 近くで見れば、女も少女もひどい扱いを受けていたことが察せられた。袖からのぞく腕や手、首や顔に無数のきりきずや青あざがある。少女の手首には縄でしばられたあとが、まだ癒えない傷で残っていた。
「菫(すみれ)……いまのうちに、逃げなさい」
 女がいうと、少女は首をふった。
 紅葉はようやく女たちのもとへやってきた。女の様子を見て、息をのむ。
「止血を……」
 浅葱が目でもう遅い、と伝えると、紅葉は蒼白になって目をそらした。
 女がわずかに顔をあげた。
「もしや、あなた様は宿禰様、ですか?」
 紅葉は女の視界にはいって、ひざまずいた。
「はい」
 女の目に、光がともった。
「〈星流れ〉のあった日から、祈って、おりました。……私は、夜乃出里の里長の三女で、菖蒲(あやめ)と申します」
 女は息をついだ。
「娘を、どうか、娘を、お願いいたします。日乃出里へ、捕虜として捕らえられた、あと、むごい仕打ちをうけ、言葉を、失って、しまいました。どこか、安全な場所へ、連れていってくださる、だけで、よいのです。どうか、どうか……」
 菖蒲はむせこんで、血を吐いた。菫と呼ばれた少女が、ぼろぼろと涙をこぼした。
「泣かないのよ、菫。宿禰様が、いらしているなら、もうすぐ、世は、平和になる。大丈夫よ、大丈夫、だから……」
「菖蒲様」
 紅葉は菖蒲の手をとった。
「菫様のことはご安心ください。かならずや安全な里へ送り届けます」
 ふ、と女の目元がゆるんだ。わずかな力で紅葉の手をにぎりかえす。
「ありがとう、ございます、ありがとう、ございます……」
 くりかえしながら、女の舌はやがてまわらなくなり、まぶたが落ちた。紅葉の手をにぎっていたそれも、突然するりと力がぬけた。音が、したわけではないのに、ことりと、何かが止まった。
 少女は母に抱きついて、声なく泣いた。
 紅葉はこみあげてくるものをおさえきれずに、涙を落とした。彼女が御霊となって霊山を訪れたときには、天座大神様が受け入れてくれますようにと、心の中で何度も祈った。
 しばらくすると浅葱は、泣きつづける菫の肩に手をおいた。それだけで菫は、浅葱がおどろくほど、大きく身体をふるわせた。浅葱は菫から手をはなした。
「おどろかせてすまない」
 少女は浅葱を、警戒したまなざしで見た。
「浅葱さんは何もしないよ」
 紅葉がいうと、紅葉をじっと見る。
「わたしは紅葉。彼が浅葱さん。そっちの立っているのが常盤さん。それから……」
 ぽちの姿を探して、ぽちがいないことに気がついた。
「犬は奴らが戻ってこないように、追いかけていったようだ」
 常盤の言葉に、紅葉は心配しながらも菫に意識をもどした。
「さっきの狛犬はぽち。わたしの家族」
 菫の目から、警戒の色は消えない。
「あなたを、安全な里へ送り届けます」
「その前に、彼女の遺体をどうしかしなければならないな。このままでは妖獣の餌食だ。ようやくここまで逃げてきたというのに、これでは浮かばれない」
「そう……ですね。埋葬しなければいけませんね……」
 浅葱は、菫にいいな、とばかりに目をやる。菫は身体をこわばらせた。浅葱が女に触れると、かみつくように女にしがみつく。
「お嬢ちゃん」
 しゃがみこんで、常盤が声をかけると、ますます腕に力をこめる。菫の薄汚れた衣が母の血に染まっていく。
「このままお母さんと一緒にいるのかい?」
 菫は答えない。
「あいつらは戻ってくるぞ。でもって、きみとお母さんを連れ去っていくかもしれない。それでもここにいるか?」
「妖獣に身体を食われると、霊山へいっても地へ落とされてしまいます。そうしたら、お母さんとは会えなくなります。お母さんを埋葬してあげませんか?」
 菫はじっと動かなかった。三人は黙ったまま、菫がどうするのか見守った。
 しばらく菫は母を守るようにしながら、三人を見ていた。緊張しているのもあって、目ばかりが大きくなって見える。ろくな食事も与えられなかったのだろう、衣からのびる手足は、かんたんに折れてしまいそうなほどに細い。
 声を失った菫が、母と共にどのような暮らしを強いられてきたのかと思うと、見捨てることもできなかった。
 しびれをきらした常盤が立ちあがった。びくりと菫は顔をあげる。常盤は、山においてきた馬をとりにいくといって、山へはいっていった。
 彼が馬をひきつれてきても、菫は動かなかった。
 戦場ヶ原に着く前に、昼をすませた。日は頂点を過ぎ、かたむきはじめている。
「このままここで夜を過ごすのは危険すぎる」
 浅葱がいった。
 紅葉は菫に目をやった。目があう。が、菫はすぐに目をそらした。
「菫様、わたしはあなたのお母様にあなたのことを頼まれました。あなたをここにおいていくことはできません」
 菫はじっと母を見ている。
「共にいきませんか? お母様と一緒に。ここにいては危険です」
 菫の唇はかたく閉ざされている。
 紅葉はどこをみるともなく顔をあげた。
 首をめぐらせて、そこにあった姿に頬をゆるめる。
「ぽち」
 ぽてぽてと歩いていたぽちは、呼ばれて駆けてきた。手をさしだせば、鼻面をおしつけ、首に抱きつくとなぐさめるように、されるがままだ。背をなでると、ふさふさのしっぽの先をわずかにふってみせた。
「紅葉、動こう。ぽちがもどってきたということは、やつらがまたここへもどってくる可能性がある」
 厳しい表情の浅葱に、紅葉はうなずいた。
「そうですね。このままでは、菫様も危険です」
 紅葉は菫にむかうように座った。
「菫様、いきましょう。わたしたちと共に」
 菫はうつむいたままだった。だが、浅葱が女を抱きあげるのを許した。
「常盤は紅葉と彼女を頼む」
「どこへいく?」
「……街道はすすめないだろう」
 そうして山のほうを見た。常盤は、やれやれとゆるく首をふった。
 紅葉は菫に手をさしだした。
 菫はじっとそれを見た。
 紅葉は何もいわず、菫の目を見た。
 菫は不思議そうに首をかしげたが、やがて紅葉の手をとった。細いちいさな手だった。