恋し、春待ち人
第七話 片蔭 参




 浅葱は近くの川で捕らえた岩魚の腹を切り、内臓をとった。枝にさして火にかける。炉辺には、すでに数匹の魚がそうやって、火にかけられていた。
 ゆらゆらとゆれる火にあわせて、草木の影がゆれる。
 長い日もようやく夜の帳をおとし、あたりは星の光に満ちていた。浅葱と常盤の背後からは、ごうごうと滝の音が、絶え間なく聞こえていた。
 火のまわりに、紅葉と菫の姿はない。
 菖蒲の遺体を山中へ埋葬したあと、ここまでやってきた。
 紅葉は蒼白な顔で、川のあるところへいきたいといい、ついた早々、禊をするといいだした。
 あたりは夕闇のせまってくる頃だった。危険だと浅葱がいっても、紅葉はきかなかった。
「一刻も早く穢れを落とさなければなりません」
 と泣きそうな顔でせまられたら、許さずにいられるだろうか。
 巫女で宿禰である以上、清廉潔白でいなければならない。菖蒲の死だけでなく、戦場ヶ原の無数の死を見た紅葉は、つよい穢れをあびたと感じていたのだろう。
 菫の手前、母の死を穢れというには抵抗があっただろうが、それ以上に、宿禰としての使命を考えたにちがいない。
「あの子、どうするんだ? このあたりで安全な里なんて、思いつかないぞ」
 菫も紅葉と共に、川でよごれを落としているだろう。紅葉が女ということもあって、菫は紅葉の側にいた。浅葱や常盤には、決して近づいてはこなかった。
「一度、戻るしかない」
 常盤はため息をついた。
「だよな」
「だが、すぐにあずかってくれるという人が現れるかはわからない。場合によっては……」
「おい、紅葉ちゃんが、そんなことを許すわけがないだろ」
 浅葱は焼けた魚を常盤にさしだした。紅葉は獣や魚を食べない。数匹とった魚のほとんどは、自分たちの腹におさめるためのものだった。
 常盤は受けとった魚を遠慮なくがっついた。一匹食べ終えると、次の魚に口をつける。浅葱も一匹食べた。
「なんで夜乃出里へ帰してくれとか、里長にあずけてくれとか、いわなかったんだと思う?」
 それは浅葱も考えていたことだった。
「わからない。だが、夜乃出里も戦を起した里だ。安全ではないことは想像がつく」
「でもよー、このご時世にだれが口のきけない子どもを、しかも他人の子をひきとってくれるんだ?」
 厄介ごとをおしつけられたって感じだぜ、と口の中でもごもごとつぶやく。浅葱もその言葉に心中でうなずいた。 ひきとった以上、すておくわけにはいかない。紅葉も許さないだろう。
「そろそろ、この戦も決着がつくかもしれないな」
「……ああ」
 煙の上がっていた夜乃出里。天川を越えていないというのに、日乃出里の兵士が戦場ヶ原をうろついていた。夜乃出里側の天川の警備が手薄になっている証拠だ。まして、女子どもの進入を許しているとあっては、完全に機能してないといっていいかもしれない。
 その現状を把握していて、菖蒲はあえて、菫を夜乃出里へ連れていってほしいといわなかったのかもしれない。
「この世は、平和になるかねぇ?」
 魚を食べおえ、常盤は骨と一緒に枝を火になげいれた。
「なる。紅葉なら天座大神様も受け入れてくださるだろう」
「なんでそう断言できる?」
「断言できない理由は何だ?」
 逆に問いかえすと、常盤は言葉につまって目を伏せた。彼は宿禰であった妹を失っている。その不安が、常盤に先へすすむことをとどまらせている。
 だが、だからといって、紅葉の失敗を連想されては困る。できなくても、できるといいきってもらわなければならない。
 宿禰である紅葉も、弱音を吐かないのだから。
「これからも、犠牲はでるだろう。夜乃出里でくいとめられていた日乃出里の兵士が、夜乃出里を拠点に、各地の里へ手をのばすだろう。だが、どこもかしこも里は疲弊しきっている。それは日乃出里も変わらない。菖蒲殿たちが逃げてこられたのは、日乃出里の内部も相当手薄になっているからだろう? 戦はもう、長くはつづかない」
 焼けた魚を、浅葱は火からはなれた場所にさしなおした。菫の分なのだろう。
「守別として、紅葉に期待をしているとか、感情的な部分で紅葉が成功するといっているわけじゃない」
 わからないか? 浅葱は問う。
「紅葉の人となりだ」
 炎を見ながら、浅葱はいった。
「宮里での、紅葉の噂はひどいものだった。祝詞も唱えられない、約束の時間には遅れる、とろくさくて物もいえない。宿禰にふさわしくないと、里人の意見を聞きいれた里の自警団が、守別の候補者を追いかえす計画をしていた」
 常盤は目を見ひらいた。
「嘘だろ……」
「このままでは宮里内でも争いが起こると考えて、おれは守別になる決意をした。だが、御社でも紅葉への非難がつよく、追われ、逃げるようにして御社から紅葉をつれだした。すべて本当の話だ」
 ぱちぱち、と火がはぜた。浅葱はひろっておいた小枝を火にくべた。
 常盤は首をふった。
「紅葉ちゃんが役立たずだって? どこがだ?」
「盲目なんだ。平和だといわれる宮里さえ、戦で目をふさがれている。だれが役立たずで、だれが役に立つのか、そんなことを、決める人間がいていいのか、それすら、もうわからなくなっている。神を祀る御社さえ」
 天座大神が選んだ宿禰を、宿司も巫女も信じることができなかった。大神の言葉は絶対という信仰はうすれ、宿司も巫女も里人に成り果てている。
「紅葉は役立たずじゃない。祝詞はきちんと唱えられる。これまで、いくつもの神宿をまわって、すべての神宿に祈りをすませている。疲れていようと、歩きづめで足の指から血を流そうと、紅葉は決して弱音を吐かない。宿禰として求められれば、それに応じている」
 役立たずだといわれた紅葉のほうが、よほど巫女――宿禰らしい。
「紅葉は宿禰としてふさわしくないと、宮里の人々にも、御社の人々にもいわれ、それを認めていた。否定しなかった。それでも宿禰として、その使命をまっとうしようとする彼女を受け入れない世ならば、おれもこの世に未練はない」
 紅葉が人からの批判をどう思っていたのかはわからない。だが、そんな人々に対して、紅葉が何を望んでいるかは、わかった。
「共に旅をしてきて思ったんだ。平和とか、だれかが争いで死ななくてすむ世だとか、紅葉にはそんな大きな願いはないんだ。ただそこにあって、そのことを認めてくれる人がいる。受け入れてくれる人がいる。……それだけなんだ。でもそれが、本当の平和なんじゃないかと、おれは思う」
 桜の花びらに家族のつながりをむすびつけた紅葉。孤児であった紅葉は、どんな想いで桜に家族を重ねたのか。
 紅葉はいつでも、そこに在るだけだった。何の主張もせずに、ただそこに在る。自然のようなものだ。そこに生えた木を、だれも否定しない。そんなふうに紅葉は存在していた。
 だが紅葉は自然ではなく、人だった。だから、せめて紅葉という存在が在ることを、認めてほしがっているようだった。
 宿禰として求められたとき、紅葉はそこに自分の存在が認められていると感じたのだろう。突然、神木のような大きな存在感をつくりだす。
 人は、だれかにその存在を認められたとき、本当の人の姿になるのだ。
「受けいれること、か」
 常盤は口元に、にがい笑みをうかべた。
「葉月のことも、きっと今回の宿禰が紅葉ちゃんだったから、受けいれられた気がするよ」
「消化できたのか?」
「ああ、なんとなーく、な」
 ごろりと常盤は横になって、頭を手でささえた。火を見つめるまなざしが真剣みをおびる。
「びっくりしたよ、死ぬのが怖いって聞いたとき」
「当たり前だろう」
 常盤は浅葱を睨んだ。
「葉月は、平然としてたぜ。紅葉ちゃんをはじめてみたときも、そう見えた。宿禰っつー生きもんは、死も超越していらっしゃるんだろうってな。でも、紅葉ちゃんは怖いってはっきりいった。葉月もそうだったんだろうって。その先のことを知らないから、死は怖いって。おんなじ人間なんだ。俺たちは、おなじ人間に死をかつがせてる。そうして、成功すれば喜んで、不成功に終わったときは怒って落胆するんだ」
 勝手なもんだよなあ、と常盤はわざと大きな声でいってみせた。
「……考えさせられる。宿禰の存在とか〈魂もらい〉の意味とか。まるで、答えがでないものによ」
「それもこの旅の意味なのかもしれないな」
「深すぎだろ」
 かさかさ、と下草がなった。はっ、と常盤が飛びおきる。
 ひょっこりと顔をだしたのは、菫だった。浅葱と常盤に鋭い視線をなげられて、菫はすぐさま下草のしげみに逃げかえった。
「あ、おい!」
 常盤が呼びかけたが、もどってくる様子はなかった。
「まずったな……」
「そのうち紅葉ともどってくるだろう」
 浅葱は火に、太めの木を何本かなげいれた。すこし火の力が弱まる。だがそのうち、もと以上の火力になって燃えあがるだろう。
「常盤、先に番を頼んでもいいか?」
「あ? いいけど、もう寝るのか?」
「ああ、さすがに大人をかついで山を登るのはきつかった」
 常盤は笑った。
「そうだったな。ご苦労さん。ま、まかせとけよ」
「頼む」
 浅葱は横になると目を閉じた。
 常盤は脇差をぬいて、手入れをはじめた。狛犬がいることと、浅葱の腕が立つおかげで、あまり出番がない。それでも常盤は、毎日の手入れを欠かすことはなかった。
 御社に認められた守別ではないが、紅葉と旅をするうちに、自分も守別になったつもりでいた。何かあったときは、命をかけてでも宿禰様をお守りする!
 考えて、常盤は苦笑した。
 不意に葉月が命をかけた気持ちがわかったような気がした。
 巫女となって、うすれたように見えた感情の中に、守りたい何かが、きっとあったのだ。それが一体なんだったのか、もう一度葉月に会えるなら、聴きたかった。話がしたかった。
 草がかさこそ鳴った。菫がもどってきたのだろう。驚かさないように、常盤は何気ない仕草でふりかえった。
 木の幹にしがみつくようにしながら、菫が常盤をうかがっていた。
「こいよ、腹減ったろ」
 常盤が焼いた岩魚をさしだすと、物ほしそうにしながらも、動かずにじっと見ている。
「これは、おまえの分だから。あったかいうちに食っとけ。そのほうがうまいだろ」
 しばらくじっとしていたが、やがて菫は常盤から魚を受けとった。すぐさま身をひるがえして、かくれていた木の影にはいる。そうして常盤を警戒しながら、ちいさなひと口で魚を食べはじめた。
「おまえ……かわいそうなやつだな」
 一口食べるごとに、常盤が奪いにこないか、何かされるんじゃないかと怯えている。犬ならば、うなっているだろうが、彼女は声さえも失っている。
 日乃出里でおこなわれたむごい仕打ちとは、どんなものだったのだろうか。
「もう、だれもおまえにひどいことはしない。安心していいんだ」
 声をかけたところで、菫がすぐに心を許してくれるとは思えない。それでも常盤は声をかけずにはいられなかった。
 菫は疑うようなまなざしで、じっと常盤を見つめていた。



 常盤と番を交代した浅葱は、紅葉がまだ禊から戻ってきていないことを気にかけていた。
 空を見上げれば天の川に浮かぶ十文字星が、西にかたむいている。
 たまりかねたように眠りこんでしまった常盤の話では、浅葱が寝ているあいだも、一度も顔を見せなかったらしい。
 ぽちがいるので大丈夫だろうと腹をくっていたが、いい加減睡眠もとらなければ、明日の道中にさわる。
 どうしたものかとしばらく悩んだが、結局浅葱は立ちあがった。多めに薪をくべておけば、獣の類はやってこない。常盤なら、襲われても何とかするだろう。
 すぐ側の沢をさかのぼると、滝の音にまぎれて、かすかに紅葉の声が聞こえてきた。
 さらにのぼれば、滝壷の中に、白い姿がぽっと浮かびあがる。その脇で、きらりと何かが光った。
 ぽちだ。
 浅葱は足をとめた。なんとなくだが、これ以上近よるな、といわれたような気がした。
 ぽちのとなりには、菫が横になっていた。どうやら、ぽちで暖をとりながら寝ているらしい。
「生魂(いくたま)、足魂(たるたま)、玉留魂(たまとるたま)、天座大神の御許へ参ります紅葉の御霊を、清め給え祓い給え……」
 シュ、シュ、と空気を裂く音が、三度鳴った。両手があがり、頭上で組み合わせると、ゆっくりと胸のほうまでおろしていく。
「清め給え、祓い給え……」
 つぶやきながら、紅葉は滝へはいって、祓いの詞をくりかえした。
 浅葱が寝ているあいだ、紅葉はこうして身を清めていたのだ。それだけ紅葉にとって、戦場ヶ原も菖蒲の死もつよい穢れだったのか。
 多少苦労しても、山道を選べばよかった。菫をあずかってしまった以上、日乃出里にも近いこの場所で、街道を歩くわけにはいかない。山道をすすむしかなくなったのなら、はじめからこちらの道を選べば、紅葉は穢れを感じずにすんだかもしれない。
 浅葱は紅葉の姿を見ながら、つよい後悔を覚えた。