恋し、春待ち人
第八話 秋思 壱




 遠い空に、筋状の雲が境をつくるようにのびている。
 薄(すすき)のまだかたい穂が、風にゆらされて秋桜(コスモス)と舞った。本当なら、稲穂が大地を金色に染め、あちらこちらの里では、収穫の祭りがにぎやかしくとりおこなわれているだろう。
 深い山へきて、そんな里の光景がなつかしくなるも、里へおりても稲穂がゆれる大地がどれほどあろうか。
 見えるのは赤や黄色に染まる葉と、それらを散らし、幹と枝ばかりを残した木々だけだった。大地はそれらの彩りを、錦をまとうがごとく敷きつめていたが、一昨日まで降りつづいた秋霖(しゅうりん)に、くちゃくちゃと水をふくませた土と同化している。
 足元はきたなく汚れ、見える景色は物悲しい枯れ枝ひろがる森となれば、一同の口が真一文字に結ばれていたとしても、だれを責められるだろう。
 そしてもうひとつ、一同を寡黙にしてしまう原因があった。落ちのこったわずかな葉と枝のあいだから、巨大な雲が見える。暗雲としたそれは、この世でありながらこの世ではない〈原郷〉との境。中に抱くのは天座大神が住まうという霊山だ。
 旅の終わりが、近づいていた。
 ふうわりと落ちてきた葉を、菫は駆けよってうけとめた。虫に食われたあとのないきれいな葉を、菫は紅葉にわたした。
「ありがとう」
 紅葉が礼をいうと、菫はちいさく笑ってみせた。
 結局、菫をどこかの里へあずけるという話はなくなった。霊山の麓に村はなく、また最寄の里は日乃出里か夜乃出里だ。来た道をもどることも考えたが、菫たちを追っていた男連中がこないともかぎらなかった。
 せっかく救えた命を無駄にしたくなかった。はたしてそれが、〈魂もらい〉の旅に同行することで、救えるものかはわからないが、悩んでいる暇もそれほどなかった。
 山をすすむにつれて、木々は葉の色を染めていく。雨が降るごとに、山は深く色をかえた。白いものがちらついてくるのも、そう遠くはない。
 日が沈むと、空気はますます冷えこんだ。火を囲んで、よりそうように暖をとる。
 山へはいってから、理由もなく、互いに交わす言葉は少なくなっていた。今日もとりたてて何かを話すわけでもなく、かすかに聞こえてくる虫の音と火のはぜる音だけが、あたりを支配していた。
 そんな中、紅葉は意を決して、口をひらいた。
「常盤さん、お願いがあります」
 一同はいっせいに紅葉を見た。
「なんだい、あらたまって」
「明日から、いえ、ここからは、わたしと浅葱さんとで先へすすもうと思います」
 紅葉にもたれかかるようにして休んでいた菫が、ぱっと身体を起して紅葉の腕をつかんだ。紅葉は、瞳をゆらす菫の頭をなでた。
「明日には、霊山の麓へたどりつくでしょう。霊山は……つらい場所です。菫様にも、常盤さんにも、つらい道になると思います」
 常盤は反論しようとした口を、閉ざした。
 霊山には難所がある。〈三途の川〉と呼ばれる、死者の集まる場所だ。死んだものに会いたいと願うものが、ときおりここへやってきては、死者にのみこまれ、地へ落とされるという。
 妹を失った常盤。母を失った菫。ふたりにとって、〈三途の川〉は誘惑の多い場所となるだろう。
「常盤さん、菫様をつれて宮里へいっていただけませんか? 御社なら、きっと菫様を受け入れてくれます」
「ここで紅葉ちゃんたちを待っちゃいけないのかい?」
 紅葉は首をふった。
「もうすぐ雪が降るでしょう。冬を越せる場所はここにはありません。菫様はまだお小さいですし、無理をさせたくはありません。常盤さん、お願いします」
 頭を下げた紅葉に、常盤は眉をよせた。
 紅葉の腕を菫がゆさぶった。顔をあげると、首をふって必死に嫌だとくりかえす。
「菫様、御社は安全な場所です。大巫女様はおやさしい方ですし、巫女ならば男性に触れられることもありません」
 菫は顔をゆがませて、首をふる。何度も、何度も。
 すがりついてくる菫に、紅葉は途方にくれてしまった。
「菫、紅葉を困らせるな」
 浅葱のひと言に、菫ははっとした。紅葉をゆっくりと見あげて、瞳をふるわせる。紅葉はそっと菫の頬をなでた。
「わたしも菫様の側にいたい。でも、わたしは宿禰です。いまは〈魂もらい〉に専念しなければなりません。〈魂もらい〉がすんだら、わたしは御社へ帰ります。そうしたら、また会うことができますから」
 ふるえていた目元から、ぽろぽろ、と涙がこぼれた。
 紅葉は菫を抱きしめた。
 冴え冴えとした夜空に浮かぶ月の光が、みっつの影をつくりだした。すぐ近くで、りいぃぃん りいぃぃんと虫が鳴いた。
 ず、と鼻をすすったのは、常盤だった。
「宮里で菫ちゃんと、ふたりの帰りを待ってりゃいいんだな?」
「はい」
「了解した。浅葱、紅葉ちゃんを頼んだぜ」
「ああ」
 常盤の視線を受けて、浅葱は深くうなずいた。
 紅葉はそっと菫の腕をはなして、姿勢を正した。
「常盤さん、お世話になりました」
 地に手をついて、紅葉は深く頭をさげた。常盤はあわてて姿勢を正した。
「紅葉ちゃん、お礼をいうのはこっちのほうだ。顔をあげてくれ」
 顔をあげた紅葉に、常盤は照れくさそうにいった。
「いきなり旅に同行させてくれっていったのに、何も疑わずに同行させてくれたこと、感謝してる。葉月のことも、紅葉ちゃんに会って、ようやく受け入れられた。紅葉ちゃんのおかげだ。ありがとう!」
 いきおいよく頭をさげて、顔をあげた常盤は、にやりと笑った。
「紅葉ちゃんが帰ってくるの、待ってるぜ。約束、果たしてくれよ」
「約束……?」
「お花見、するんだろ? 花火だって見にいかなきゃなんねえし、帰ってきたら忙しいから覚悟しておけ」
 紅葉は目をまるめた。そうして目を伏せた。
 胸がふるえて、言葉がでなかった。
 にぎりしめた手に、温かなものが触れた。菫のちいさな手だった。
 顔をあげれば浅葱も、常盤も紅葉を見ていた。
 こんなふうに、だれかに見守られていると感じたのは、婆と葵くらいなものだった。いつの間に、自分のまわりには人の存在が増えていたのだろう。
「ありがとうございます」
 やっとのことでつぶやけば、常盤にくしゃくしゃ、と頭をなでられた。
「さあて、湿っぽい話はここまでにしようぜ。また、会えるんだからよ」
「……はい」
 二の腕にぽちが鼻面をおしつけてきた。金色の目は満月のようだ。なんとなく、ぽちがよろこんでくれているような気がした。だから紅葉もうれしかった。



 紅葉は目を覚ました。
 あたりはもうすぐ朝日が顔をだす時間らしい。闇がうすれていく気配がする。すがすがしい空気が森を包みこんでいるが、鳥さえもまだ目を覚ましていなかった。
 寝返りをうつ。と、番をしていた浅葱と目があった。
 早いな、と目が語った。紅葉はうなずいて、そっと身を起した。
 菫のお守りをしていたぽちが目を開けた。
 紅葉は髪を結いなおし、身だしなみを整えた。
「いくのか?」
「はい」
 浅葱は立ちあがって、刀を腰にさした。
 紅葉はぽちの頭をなでた。
「ふたりのこと、お願い」
 ぽちは無言のまま紅葉を見あげた。
 紅葉は菫の頬をそっとなでた。
 顔や手足にあったあざのほとんどは消えていた。安全な御社で暮らせば、きっと声もでるようになるだろう。どんな声なのか、聴いてみたい。
 常盤は紅葉に背をむけて、まるくなって寝ていた。寒いのか、ときおり足をする。
 消えかかった火に、紅葉は薪をくべた。
 おっかない人だと思うときもあった。けれど常盤の芯はいつだってあたたかい。葉月の代わりだったとしても、兄をもった気分だった。
 紅葉に未来をくれた。お花見と花火が、本当に楽しみだ。
 紅葉はふたりを見つめ、それから一礼した。
 さようなら。
 前をむくと、浅葱が待っていた。
 紅葉は浅葱にうなずいた。
 浅葱も紅葉も音を立てぬようにしながら、間近にせまった霊山へとむかった。



 っくしょい。
 自分のくしゃみで、常盤は目を覚ました。肩から二の腕のあたりが寒くて、腕をさする。
 野宿をするには、厳しい季節に入っていた。火がなければ途端に冷えこむ。
 浅葱のやつ、ねむっちまったんじゃねえか?
 目をあけて、ほらな、とぼんやり思う。白い煤のあいだで、火がちろちろと動くだけで、暖がとれるような火力ではなかった。
 しょうがねえな、と身体を起して、常盤の目は一気に覚めた。
「浅葱? 紅葉ちゃん?」
 すでに明るい陽射しが、木々の合い間からふりそそいでいた。
 だが、ふたりの姿がない。
 下草も枯れ、見通しのきく森の中で、ふたりの姿はどこにも見えなかった。
 ふたりで水をくみにいってるんじゃないか、と考えたのは、菫の横にぽちがいたからだ。ぽちはじっときょろきょろする常盤を見ていた。
「おい犬、紅葉ちゃんと浅葱は?」
 きいて、答えてくれるとは思わなかった。だが、きかずにいられなかった。
 まさかもう旅立ってしまった――そんな考えが浮かんだのは、それからしばらくふたりが戻ってくるのを待ってからだった。
「見送りもさせねえなんて、薄情じゃねえか、っくそ」
 拳で地面をなぐる。腐葉土のような土に、拳は沈んでやわらかく受けとめられただけだった。
 顔をあわせて、言葉を交わせば別れがつらくなる、そう考えたのかもしれなかった。それでも、ひと言ぐらい声をかけたかった。
 しばらくのあいだ、常盤はこみあげてくる感情と葛藤した。
 だがそのうち、このままここにいてもしかたがないと気持ちをきりかえた。
 昨晩の話し合いで、紅葉は常盤に馬をあずけるといった。馬を駆れば、半年かけてきた道も半分ですむかもしれない。そうすれば、冬がくる前に宮里まではいけなくても、山越里まではいけるかもしれない。
 紅葉はとにかく菫の安全を最優先していた。わたしにはぽちも、浅葱さんもいてくれるから、大丈夫だと。
 だが、ぽちはここにいるではないか。
「おまえ、どういうつもりだよ。紅葉ちゃんが主人だろ?」
 常盤のいうことがわかったのか、ぽちは菫を見おろした。常盤は頭をかいた。
「あーあ、本当におまえは頭のいい奴だぜ」
 菫の肩をそっと常盤はゆさぶった。
「おい、朝だぞ」
 声をかけたとたん、菫はびくっとして、飛び起きた。ぽちにしがみつく。
 常盤は頭をかいた。こんな状態で、宮里まで菫に逃げられずにすむだろうか。
 菫はすぐに紅葉がいないことに気がついた。大きな目をさらに大きくさせて、小動物さながらに首を動かす。近くにいないとわかると、急に立ちあがって森の中を駆けた。
「おい!」
 追いかけてまもなく、菫は木の根につまづいてころんだ。起こすのに手をかそうかと思ったが、また逃げられては困ると、常盤は距離をおいて、いった。
「紅葉ちゃんと浅葱はもういってしまったんだ」
 愕然として、菫は立ちすくんだ。口にだすと、真実味が増して、常盤の胸も痛んだ。
「俺も、知らないうちにな」
 つぶやくと、菫はびっくりしたように、常盤をふりかえった。
「だから俺たちも、いかなきゃならない。紅葉ちゃんと約束したよな?」
 菫はうなだれた。
 しばらくすると、そろそろ、と常盤に近づいてきた。
「朝餉にしようぜ。それから、出発だ」
 大人しく菫は常盤のいうことに従った。
 朝餉をすませて荷物をまとめる頃には、いつのまにかぽちの姿は消えていた。紅葉のところへいったのだろう。
 常盤は霊山をふりあおいだ。ふたりが、いつ出発したのかはわからない。いまどこにいるのかもわからない。だからただ、ふたりが無事であるように祈った。