恋し、春待ち人
色なき風 弐




 父浅尚の帰宅と同時に、浅葱は実家にもどった。千歳に手伝わせて着替えを済ます浅尚に、浅葱は紅葉のことを語った。彼女がやってきて、三日が経っていた。
「……本人が望むことならば、森村の長として歓迎はするが、大社の許しを得ていないというのは問題だな。そのことで我々が批難されるようなことにならなければよいが」
 帯の締まり具合をたしかめ、浅尚は浅葱に向かうようにして座った。その脇で千歳は脱いだ着物をたたむ。
「紅葉のことについては、おれがすべての責任を持ちます」
 言うと、父は無精髭の生えた顎をなで、母は横目で息子を見た。
「おまえは守別だったのだぞ。わかっていて言っているのか?」
 浅葱は深くうなずいた。父は浅葱が紅葉を引き取れば、その関係を疑われ、<魂もらい>の神聖性も疑われてしまうと言いたいのだろう。
 そのくらいのことは、浅葱とて考えている。
 宿禰であった巫女と、それを守護する守別。年若い男女が組めば、色恋の話が出てもおかしくはない。
「この<魂もらい>の旅で、紅葉が願ったのは、誰かにこの存在を認めてほしいということでした。おれは紅葉のそのささやかな願いが、天座大神さまを動かしたのだと思います。誰かを認め、そして誰かに認められることは、争いをなくすことにつながる。この平和を産んだのは紅葉です」
 けれど、と浅葱は続けた。
「その彼女はまだ、誰かに認められていないのだと思います」
「和魂を持って帰った宿禰さまだぞ。認められないわけがなかろう」
 千歳が言った。
「おれもそう思っていました。でも紅葉はここにやってきた。それが何よりの証だと思います。何があったのか話しませんが、<魂もらい>を成し遂げた彼女は、自分の責任から逃れるような人ではない。何かあったのではないかと思っています」
 霊山からの帰路、紅葉は大社にもどることにためらいがなかった。和魂を届ける必要があるということもあるが、帰りたくないともらすこともなかった。
<魂もらい>が成功した実感もなかったのかもしれない。一年が経ち、実感がわいて、ようやく自分の今後について考えたのかもしれなかった。
 どちらにしても。
「おれたちは紅葉から平和を与えられました。今度はおれたちが紅葉に平和を与える番です。ですからおれは紅葉の望むようにしてやりたいんです」
 顎をなでながら、浅尚は千歳を振り返った。
「所帯を持つ気はないのか」
「そうだ、大社からの迎えがないのなら、どうせならば結婚してしまえばいい」
 浅葱はぎょっとしてから、首を振った。
「それは紅葉が考えることです」
「私が言うたのは、浅葱、そなた自身のことだ」
 ふたりのやりとりに、千歳がまなじりをつりあげた。語気の荒くなった母に、浅葱はあわてて答える。
「先日の見合い話の時にも話しましたが、おれはまだそのつもりはありません」
「紅葉殿を迎え入れるということは、他の女子の入る余地がなくなるということだろう。わかっているのか」
「わかっているつもりです」
「今度は<魂もらい>のときのような制約はないぞ。そなた自身、紅葉殿に触れられずにいられるのか」
 母の真っ直ぐな視線に、浅葱はたじろぎ、耳が熱くなるのを感じた。
「は、母上……」
「そなたは甘いな」
 言って、千歳は嘆息した。
「紅葉殿が行く行かないは別にして、大社に顔を出し、紅葉殿に対する大社側の意見を聞いてきなさい。その上でもう一度、紅葉殿も交えて話をしようではないか。これでよろしいか、浅尚殿?」
 伸びた髭をやたら気にしていた浅尚は、鋭く妻に問われて、お、おう、とあわててうなずいた。
 日も傾き始めた時間、明日大社のある中小里に旅立つ約束をして、浅葱は実家を出た。
 村人たちはまだ田や畑に出ていて、村内に人影は少ない。糸を紡ぐ婆の横に、赤子が寝ている。婆と目があって、互いに軽く会釈をし、浅葱は自宅へと足を急がせた。
 紅葉を森村に置いてもらおうと決めたとき、彼女を引き取る先は自分だと考えていた。互いに旅をした仲でもあるし、いつまでも実家にいては紅葉も落ち着かないだろうと思ったからだ。
 だが、母の言うとおり考えが浅かったかもしれない。浅葱も紅葉も<魂もらい>の時とは関係が違う。守別だったから、旅をした仲だからと、引きとることは当然だと考えていたが、考え直したほうがいいかもしれない。
「浅葱さん」
 足音共に紅葉が駆けてきて、浅葱は振り返った。ぽちが影のようについてきて、紅葉が止まるとぽちも止まった。
――いや、紅葉には優秀な番犬がいる。
「お話は終わりましたか」
「ああ。それと明日、中小里に行くことになった」
 紅葉の表情が曇った。
「わたしは帰りません」
 身体も強張らせてしまった紅葉に、浅葱は首を振る。やはり彼女を連れて行くのは無理なようだ。
「大社に用があるんじゃない。父の使いだ」
 ごまかすと、疑問を残しながら、紅葉はとりあえず肩の力を抜いた。
「何か用か」
「今日も夕餉のお手伝いをと思ったんです」
「それは助かる」
 ふたりそろって家に帰り、紅葉は竃に火を入れ始めた。浅葱はそれを横目にしながら、籠を編む。山で取った蔓を水に浸してやわらかくしておいたのだ。
「浅葱さんは、いつからおひとりで暮らし始めたんですか?」
 火が燃え出したのを見てから、紅葉が訊いた。あまり会話はないが、ときどきこうして尋ねてくることはあった。
「今年の春からだ。雪が溶けてからこの家をつくり始めた」
「おひとりで作ったんですか?」
「いや、兄上がときどき手伝ってくれた。材料の切り出しにも、村の皆が手伝ってくれた」
「浅葱さんは何でもできるんですね」
 籠を編んでいく手元を見ながら、紅葉は呟いた。
「子どものころから何でも手伝わされていた。だからできるだけだ」
 この籠も時間の空いている時によく作らされた。作ったものはまとめて、里に出る時に持っていき、森村では採れない魚や野菜に交換されて帰ってくるのだ。
「わたしも浅葱さんのようになれるでしょうか」
 浅葱は顔をあげて紅葉を見た。紅葉は浅葱の手元を見たままだ。
「おれのようにならなくていい。紅葉のできることをやれればいい」
 紅葉は顔をあげて首を傾げた。
「それぞれにできることがちがうから、互いが互いを求め合う。社会が成り立っていく。そういうものじゃないか」
 呟きを漏らすように、口をわずかに開いて、紅葉は瞬きをする。
「わたしには、わたしの役割がある」
「そういうことだ」
 浅葱がうなずくと、紅葉はその言葉を噛みしめるようにうつむいた。
 やがてそれを自分の中におさめたのか、竃に向きなおる。紅葉が野菜を切る音を聞きながら、浅葱は籠を編み続けた。
 明日、中小里へ行ったら、この籠の代金で紅葉のこれからの暮らしに必要になるものを、いくつか買ってこよう。
 紅葉はぽちと共に外へ出て行った。薪を取りに出たのだろう。だが、間もなく紅葉は血相を変えて駆けもどってきた。草履を脱ぐ間も惜しく板の間に駆け上がり、浅葱の背に隠れる。
 戸口の前に、ぽちがかまえた格好でいる。だが唸り声を上げてはいない。
 浅葱は閃いて紅葉を残し、戸口へ出た。
「やはりあなたでしたか」
 そう言ったのは宿司の葵だった。戸口から距離を置いた位置に、ふたりの守別を連れて立っている。その姿は凛としており、あたりの空気をその身を持って浄化しているかのような清々しさがあった。
 葵は<魂もらい>で浅葱に紅葉を預け、また彼女を帰した時には、感謝の言葉を何度も何度もかけた人だ。葵がやはりと言ったように、浅葱も迎えが来るなら彼ではないかと思っていた。
「迎えにくるのがずいぶんと遅かったように思えるが」
 視線を交し、浅葱と葵は対峙した。
「方々捜し歩き、ようやくここまで来たんだ。紅葉を帰してはもらえないか」
「それはおれが決めることじゃない」
 紅葉、と浅葱は彼女を呼んだ。返事がなかったので中をのぞきこむと、板の間の隅に怯えるようにして身を固めている姿があった。浅葱よりも先に、ぽちが紅葉に駆けより、身をよせる。
「紅葉、葵殿に自分の気持ちを言うべきだ。彼なら、おまえの気持ちも受け止めてくれるのではないか」
「わたしは帰りません」
 浅葱はうなずく。帰らなくていい、と言うと紅葉の目に光が宿った。
「だがその気持ちは伝えるべきだ」
 のぞきこむように、紅葉は浅葱を見つめ返した。戸惑いとかすかな光が浮かんで、にじむようにして消えていく。
 紅葉はうつむき、やがてちいさくうなずいた。


 葵は紅葉がとつとつと話す言葉のひとつひとつに耳を傾け、そうしてすべてわかっていたようにうなずいた。そしてあっさりと身を引いた。
「はじめから連れ戻す気がなかったのか?」
 家を出、村を出たところまで見送り、浅葱は訊ねた。葵は正体のわからぬ食べ物を口にしたような何ともいえぬ顔をする。
「そういうわけではなく――いや、そうだったのかもしれません。私が捜しに出たのは、形式的でもある」
「どういうことだ?」
 田の中で草取りに励む村人たちを見やりながら、葵は言った。
「大社では<魂もらい>以降、紅葉を大巫女にと掲げる裏の大巫女派と、別の優秀な巫女を大巫女にと掲げる大宿司派とに分かれているのです」
 驚いて、浅葱は声を上げる。
「紅葉は<魂もらい>を成功させた宿禰だぞ。その彼女をおいて、別の巫女の名を上げているのか?」
 葵は遠くを見やりながらうなずく。
「紅葉は和魂をもって帰ってきた。けれどそれは時代の流れであり、紅葉自身の能力によるものではない。それが大宿司の主張です」
 信じられず、浅葱は言葉を失った。
「裏の大巫女さまは大宿司の考えに激怒し、彼を解任しようとさえしました」
「当然だ。大社が<魂もらい>をなした宿禰をないがしろにすれば、引いては<魂もらい>の行事も大神さまさえもないがしろにすることになる」
「しかし大宿司は里人を味方につけて、裏の大巫女さまを批難したのです。役立たずといわれた紅葉を何とか人に認めさせたいという親心から、宿禰として旅立たせ、和魂をもって帰ってこさせたのだと」
 葵は続ける。
「裏の大巫女さまについていた巫女たちも、大巫女さまが紅葉に構っていたことをよく知っている。みな次々と大宿司の言を信じ、裏の大巫女さまは孤立してしまいました。紅葉はそのことで胸を痛めていた」
 自分の胸も痛むのだろう、葵は胸に手を押し付け、悔しそうに唇を噛む。
「紅葉自身にはもともと大巫女になるつもりなどなかったのでしょう。何度も紅葉は裏の大巫女さまと話をしていました。大巫女にならなくてもいいと。しかし、問題は紅葉の気持ちではないのです。裏の大巫女さまも、紅葉を認めさせるために大巫女にさせようとしているわけではない」
「神を信じる気持ち」
 葵はうなずく。
「大業をなしたのは紅葉だ。たとえ時代の流れが彼女に重なったのだとしても、大社は天座大神さまを祀る者として、神の業だと思わなければならない。いまの大社には――いや、紅葉が宿禰として選ばれたときから、神は不在となった。裏の大巫女さまもそれに気付いておられて、強く紅葉を大巫女にと望むのです」
「紅葉はその争いを避けて逃げ出したということか」
 ええ、と消沈した顔で葵はうなずいた。
「自分さえいなければと、考えていたようでした」
 胸が痛んだ。たまらず、苦々しく息を吐く。
 いまある平和の下に、紅葉の認められたいという想いがあった。<魂もらい>を経て、生まれ変わったはずの紅葉の世界に、変わらぬ世界を突きつけられたのなら、逃げ出すのも無理はない。
「では迎えとしての葵殿の役割は、紅葉に帰ってこないように告げるためか」
 葵は答えず、揺れる田の緑を見ていた。
「立場上はそうなるのでしょうね。私自身としては、紅葉にもどって来て欲しいと頭を下げたい」
 大社に務める者として、神を信じる者として、そして紅葉を想う者としての言葉だった。
「彼女が逃げ出したと聞いたとき、すぐにあなたのことを思い出しました。紅葉が頼りにするならば、きっとあなただろうと」
 そこでようやく葵は笑みを見せた。柔和だった顔は、以前会ったときよりもやつれている。
「<魂もらい>から無事に紅葉を連れ戻したあなたなら、安心して彼女を預けられます」
「葵殿はこれからどうするつもりですか?」
「時間をかけて大社へもどり、紅葉のもどる意思のないことを伝えます。それから――大宿司になるつもりです」
 にやりと笑う葵に、浅葱も笑みを浮かべた。
「紅葉は帰らないと思うが」
 葵は首を振る。
「私が大宿司を目指すのは、大社の存在意義を失わないためですよ。今回の戦でも、宮里が戦火から逃れられていたのは、ここが神々の集まる土地だからです。いまの大宿司のもとでは、宮里はただの里になってしまう。紅葉が持ち帰った和魂にこめられたものを守っていくのが、私のできる唯一のことだと思うことにしました」
「そうか」
 葵は村を振り返った。囲いのしてある村は、その外に出れば家々は見えない。それでも、そこに紅葉がいるような目をして。
「私は帰ります」
「気をつけて」
 一度目を閉じ、そしてゆっくりと葵は森村に背を向けた。彼のあとをふたりの守別がついていく。
 しばらくそれを見送って、浅葱は村にもどった。村の入り口にぽつんとぽちが座っている。と思えば、囲いの影から紅葉が姿を見せた。
 何も言わずに入り口に立ち、葵が去った道に目をやる。かすかな虫の音が響いた。
「帰ろう」
 ちいさな背に呼びかける。
 紅葉は誰の姿もない道に、深く頭を下げた。
 そうして振り返り、待っていた浅葱と目が合うと微笑んだ。