「…」 「シリウス…」 夕暮れの談話室で、二人のやわらかい唇が重なった。 窓とは反対側の絨毯にぼやけて映る二人の影も、やはり同じように唇を合わせていた。 恋人たち特有の、蜂蜜のようにとろりと辺りに溶けていく甘い時間…。 だが唇を離した二人の顔はまるで能面のように無表情だった。蜂蜜のような甘さはティースプーン一杯分すらない。 「なんかねぇ、マンネリなのよねぇ」 「これが巷で言うところの倦怠期って奴か」 「そうかもね」 ・ ・ ・ ・ ・幸 せ 恋 人 計 画 ・ ・ ・ ・ ・ 冒頭からも大方察しがつくように、シリウス・ブラックと・は恋人同士である。 お互いを思いつつ日々を過ごし、ある日ふと蓋を開けてみれば両思いだったことに気付いたという、傍から見れば(当時は二人にとっても)この上なく幸せな二人だったのだが、最近のの言葉を借りればこうだった。 「幸せって一体なんなのよ?」 晴れて恋人としての付き合いを始めた当初は、手を繋ぐことすらくすぐったく感じられるほど可愛い恋愛をしていた。 口付けも今と違って流れる時間を忘れてしまうほど甘く、その雰囲気に数十分は浸っている事すらあったほど。 そんな二人の仲は日増しに加速して行くものだとばかり思われていたが、二人のテンションの移り変わりは空中へ放り投げたボールの動きに非常によく似ていた。ある地点まで上りつめた後、綺麗なストロークを描いて下降し始めたのだ。 今、付き合いだした頃の胸に溢れるあのときめきは何処へやら。相手が幾ら愛しく美しい顔をしていても、これだけ始終顔をつき合わせていると流石に、もうお腹一杯ご馳走様と両手を合わせてしまいたくなるような気持ちが湧いてくる。 そんな訳で、結婚はしていないものの二人は今”巷で言うところの倦怠期って奴”の真っ只中にあった。 「…なぁんにも感じないわ」 は溜め息と一緒に、シリウスを慕う大勢の女子達が聞けば怒り狂うであろう、なんとも贅沢な台詞を吐いた。 シリウスとて「何も感じない」とまで極端な意見は出ないが、の言うことはもっともだと思っていた。 想いが通じ合ったばかりの頃に比べると、今の生活のなんとつまらないことか。 「刺激もドラマもないのよ…だから、ときめきもないのよ」 がまた溜め息をついた。溜め息の数も、二人の恋が降下の一途をたどり始めてから随分増えた。 「そう言い切るなよ。なにも刺激とドラマだけが全てじゃないだろ」 「やだ、それがなきゃ恋愛なんて、スパイスの入ってないカレーみたいじゃないの!」 「スパイスの入ってないカレーなんて、もはやカレーじゃないだろうが」 「あたしが言いたいのはそういうことなのよ。レンアイしてなーい!」 どうやら恋愛沙汰に固定観念のあるらしいの台詞に、シリウスまでもが溜め息をついてソファに沈みこんだ。溜め息は伝染する、とはよく言ったものだ。 シリウスの方は、今の状況でもそれなりに幸せだと思っていた。のことが好きで大切に思っていたし、彼女以上に想える相手はいなかったから浮気などもしようと思わない。ましてや別れる事も考えていない。 「…トキメキが少ないからって別れたりはしないよな、俺たち」 そう呟いてシリウスは、目の前の机に軽く腰掛けているの柔らかな髪を手で梳いた。 「…別れる?」 ふいに、がくぐもった声でシリウスの言葉を繰り返した。 「そうか、そうよ。なるほどね」 「おい、なんだよ」 一人で考えて一人で納得している。シリウスには、何か嫌な予感がした。 「別れましょ、あたし達」 その後、どういうことだ考え直せと喚くシリウスを十分程かけて落ち着かせてから、はまた話を切り出した。 「要するに、ちょっとの間離れてみましょってことよ」 「何でそんなことすんの?」 「だから、マンネリズム対策に決まってるじゃないの」 に言わせれば、関係のマンネリ化というのはそもそも毎日飽きるほどに顔をつき合わせるから起こるものなのだという事で、それならば単純に少し距離を―喧嘩中のカップルでいうところの冷却期間を―おけば、数日後に再び出会うときにはまたときめきというものも芽生えるかもしれないとのことだった。 「だからね、少なくとも数日はまともに会話したり、顔を合わせたりしちゃ駄目なのよ」 「そしたら俺たち倦怠期脱出なのか?でも数日も会わないって辛くないか」 「だからこそ、数日後に会ったときのトキメキは加速するのよー!楽しみだわ!」 は心配事など何もない様子で、「あのすばらしい愛をもう一度」の一部を口ずさみながらシリウスに背中を向けた。 シリウスは実のところあまり乗り気でもなかったが、のあまりの気合の入れように折れ、一度やれば満足するだろうと軽い気持ちで彼女の『倦怠期対策(はマンネリ対策と呼んだ)』に付き合うことにしたのだった。 それがどれだけ大勢の人々の心をかき乱すかなど、つゆも知らずに。 「シリウス…僕達は一体何人から『グリフィンドールのシリウス・ブラック君と・さんが別れたって本当なの?』という台詞を聞かなければいけないんだ!簡潔に説明したまえ!速やかに!」 「えーと、倦怠期対策」 「意味が分からない!」 「お前が簡潔にって言うから短くまとめたのに!」 『倦怠期対策』開始初日にして、シリウスはジェームズから明解な状況説明を強いられていた。 美形で目立つ存在であるシリウスとには、欠けた相方の後釜を狙う生徒達が少なからずいた―否、少なからずという表現はやや控えめかもしれない。 その良くも悪くも”目立つ”カップルが朝、目も合わさず別々にホールへ入ってきたというだけで、二人の姿を見た生徒達は「すわ派手カップルの地味な別れか!?」と騒ぎ立てるのだった。大半は興味津々ながらも傍観に徹していたのだが、幾らかの男女は今こそ狙い時とばかりに二人を追い掛け回し、シリウスもも精神的・肉体的に疲労していた。彼らは場所を問わず出没しては「私が、貴方の心の隙間を埋めてみせるわ…」等、様々な気合の入った言葉をシリウス達にぶつけていくのだ。 だが当人達だけでなくその周りにも余波は影響を及ぼしたようで、かの悪戯仕掛け人たちもご多分に漏れず体力を消耗させられていたのだった。彼らに非はないというのに、正にご苦労様といった感である。 「とにかく何とかして欲しいんだよね、僕達も心身穏やかじゃなくなってくるよ…」 リーマスの、ともすればこちらが心穏やかではなくなってくるような響きを帯びた台詞がシリウスに更なる焦りを与える。 「俺、を探してくる。倦怠期対策は白紙に戻すって事で」 その台詞も言い終わらないうちにシリウスは早々とジェームズ達に背を向け、何処にいるかも分からない恋人を探しに駆けていき、悪戯仕掛け人たちは文字通り置き去りにされてしまった。 「だから倦怠期対策って一体何なんだよ」 「さん、僕ならあのブラックなんかよりもずっと君を大切にするから」 ある廊下の曲がり角にさしかかる頃、シリウスは生徒らしき男の聞き捨てならない台詞を聞いた。 大切にするから、だから…?シリウスの頭にカッと血がのぼる。 「ああ、こんなこと計算に入れてなかった…ミスったわ…」 「え、何をミスだって?」 が己の思慮不足を嘆いた直後、必要以上にに近づいていた男子生徒の背後に黒い影が差す。 「俺がちょっとでもから離れた事がな」 その影のあまりの黒さに、男子生徒は悲鳴を上げてその場から消え去ったのだった。 後に残ったのは黒い影も消え勝ち誇った顔をしたシリウスと、呆れたように眉を八の字に曲げた。 「あーあ、計画は失敗だわ」 この計画で得られるはずだったものはどこへやら、手元に残ったのは疲労だけだったことには落胆したが。 「アイツにお前を取られるくらいなら失敗したっていい」 下唇を突き出して怒ったように口を挟んだシリウスに、は思わず苦笑してしまった。 「そうかもね」 そうしてこのホグワーツに小さな波乱を呼んだ二人は、なんとも穏やかに談話室へと戻って行ったのである。 「何、そういうことだったの?可笑しい」 紅茶のカップを片手にころころと鈴のような音で笑うリリーとは逆に、ジェームズは深い溜め息をついた。 「可笑しいなんていうような可愛い問題じゃなかったんだよリリー。巻き込まれた僕達はもう散々さ。 そもそもこの二人がナントカ対策とか言って気まぐれに離れてみたりするからこんな騒ぎになったんだよ?」 疲労の見えるジェームズに対し、多数の女子生徒たちからうんざりするほど追い掛け回されたはずのシリウスはさも楽しそうに笑って、隣のに向かってにっと笑う。 「じゃあもう俺たち一生離れなきゃいいんだろ。な、?」 シリウスの大きくて少し骨ばった手が、ビスクドールのように白いの手をぎゅっと握った。 「ばか、勝手に言ってなさい」 突き放すような言葉遣いの割には、は少しはにかんだ様な少女らしい表情を見せていた。 計画は初日にして潰れたものの、騒動ののちに繋いだ手ともらった言葉はくすぐったくなるような暖かさで、それはシリウスに初めて恋をしたときのあの感覚に似ていたから。 結局計画は成功というわけで、苦笑してしまうようなめでたしめでたしのお話なのである。 「君達、その味をしめてまたドタバタ起こしたりしないでね」 幸せの中、リーマスが二人に釘を刺した。 |
長くてAHOだ…(客観的な意見)ちょっとしたドタバタを書きたかったんですが…。 ドタバタ=AHOではないはずなのに、何処をどう間違ったのかなぁ。 幸せ恋人計画なのに何の計画もなくだらだら書いてしまったからでしょうか…(そりゃダメだ) 「あのすばらしい愛をもう一度」はイギリスでは知られていないんじゃないかと 思いますが(つーか日本の曲だよ…桑○さーん)気にしない気にしない。フィクションですから。 b a c k |