『音楽』
 音楽というとなんだかこう漠然としちゃってあれだけど、まぁいろんなジャンルを聴く方だろうと個人的には思う。洋楽でも邦楽も。あまり知らないが歌謡曲も聴くし、ジャズだって聴く。フォークソングはもちろんだし、クラシックも聴かないことはない。ただ、ジャンルで好き嫌いというのはさほどないが、嫌いな曲って云うのはもちろんある。で、結局とっちが好きかというと洋楽のほうが好きなのだが、決して言葉がわかるわけではない。「意味がわからなくて面白いの?」と訊かれても、『詩の朗読じゃないし、オタマジャクシが空間を飛んであるってるんだからそんなことは全然問題ない。』と個人的には思うのだが・・・。とりあえずそういうことで、『音楽』でも洋楽のほうが好きなわけで、とりわけロック・ミュージックが好きなのは、兄貴の影響が大きいから。小学生の時に聴いた「ベンチャーズ」や「スプートニクス」。「ビージーズ」(「ホリディ」は♪夕空晴れて〜♪だと思ってた。)に「クリフ・リチャード」と「ウォーカー・ブラザース」。もちろん「ビートルズ」に「ローリング・ストーンズ」も。みんな兄貴がいたからリアルタイムで聴くことができた。1960年代のことだ。日本も60年代後半「グループ・サウンズ(GS)」が大流行したが、「キサナドゥの伝説」といった洋楽のカヴァーも演奏したりした。日本も以前から「ロカビリー」が流行って(残念ながらこの時代は知らない。)、♪だぁれのせいでもありゃしない〜♪と洋楽を日本語でカヴァーしていたが、テレビ番組への出演があったのかどうかは知らない。なんとなく、ライブ中心だったんだろうという気がする。GSの時代になると、世の中は既に戦後ではなく、高度成長経済時代で、街頭テレビから一家に一台の時代になり、ブラウン管を通して、スターの姿を茶の間に映し出していた。もちろん歌手が歌う姿もブラウン管でみられるようになり、もちろん、GSも音楽番組への出演で、一気にアイドルやスターとなり、GS自体メジャーな音楽となった。この流行がボクに洋楽を一層聴きやすくした。さらに、ラジオの深夜放送が拍車をかけ、ラジオ局は司会者をパーソナリティーと呼び、フォークソングやポップス、映画音楽といった音楽を和・洋を問わず流し、カウントダウンの番組ももちろんあった。リスナーは当然のことながら、受験生を中心とした若者がほとんどで(3時頃からはトラッカーがメインになるものもあった。)、ビートルズの誕生後5年程度たつとイギリスのみならずアメリカでもロック・バンドが多数登場する。それまでのバンドと音楽性がどれほど違うかは、「バンドのポリシーの違いなんだろう。」というくらいにしか思えないが、とにかく、多種多様なリスナーに聴かせる多種多様な曲があって、司会者は若者向けの内容で放送をしていた。考えてみると、深夜放送自体もその放送時間帯からして『ロック』してた。ボクはといえば、そうこうしてるうちに、無事中学生になった。1969年。この年にビートルズが『アビーロード』を発表した。これがボクが初めて買ったアルバムだ(ちなみに初めて買ったシングル盤はウォーカー・バラザースの「ダンス天国」だった。)。この年のロック・アルバムはキング・クりムゾンの『宮殿』やレッド・ツェッペリンのファースト、ザッパの『ホット・ラッツ』・・・と名作ぞろいだ。そして、8月にアメリカで『愛と平和の3日間』、ウッド・ストックが開催された。これが野外のビッグステージのはしりだ。翌70年にはイギリスで『ワイト島ロック・フェス』が開催された。国内では大阪万国博覧会が開催され、『月の石』が展示された。ジミ・ヘンとジャニス・ジョップリンの不世出のロック・アーチストが死んだのもこの年だ。ハード・ロック、グラム・ロック、プログレッシブ・ロック、ブラス・ロックと様々なロックが生まれ、70年代後半にはパンク・ロックが発生しニュー・ウェーヴやテクノ・ロックにAORにディスコ・サウンドなどなど数え切れないジャンルのロックが誕生し(と云うのもなんか抵抗があるのだが・・・。)、数え切れない数のバンドが活動した。ボクのロックは60年代〜70年代がすべてで、後はそれを引きずってるだけのようなものかも知れない。
 ジャズはそれほど詳しくもないが、聴き始めたのはチック・コリアの「リターン・トゥ・フォーエヴァー」だった。結構聴き易かったからその後もジャズを聴こうという気になったんだと思う。学生の頃一番好きだったのは山下洋輔トリオ。山下洋輔(p)、坂田明(s)、小山彰太(dr)の第2期黄金時代がリアルタイムだった。ライブは結構行った。京都に居た時は、小さいライブハウスの一番前でドラムのスティックが足元に飛んできたり、耳は破裂しそうになるわ、アンコールはメンバーが疲れちゃったのでできなかったりとすんごいライブだった。レコードは後でも買えるからとライブへ足を運んだ。レコードは2枚しか持ってない。「キアズマ」がめちゃくちゃ好きだった。何回も聴いた。これは、ドラムが森山威男の時の第1期黄金時代のもので、このトリオでは残念ながら一度もライブを観ていない(とっても残念だ!)。それに、コルトレーン。「マイフェバリット・シングス」が好きで、特にエリック・ドルフィが参加してるものが気に入ってた。"Live in Europe Vol.2"のが一番イイ。
 フォークはちょうど吉田拓郎の「結婚しようよ」が中学生の時にヒットし、フォーク界の貴公子などと呼ばれ、アルバム「人間なんて」なんていうのも買った。数年後RCサクセションが「ぼくの好きな先生」を出した。あの頃はフォークだと思ってた。後々あの「さなえちゃん」の古井戸のギター中井戸麗市(字が違う気もするが・・・。)が加わってあんなに変身するとは思わなかった。あのシングルはどこかへ行ってしまった・・・。思えば、甲斐バンドが「バス通り」という曲を出した時もフォーク・グループだと思ってたっけ。両グループともその後の活躍をみても日本を代表するロック・バンドだと思う。そういえば、遠藤賢司の「カレーライス」も中学生の時(ということは三島由紀夫の割腹自殺もこの頃)で、その後、高田渡の凄さを知ったのは後々のことでした。この人はやっぱ図抜けてすごい!と思ってしまう。
 他にもはっぴいえんど、頭脳警察、タイガース、テンプターズ、ジャックス、プラスティックス、サザン・オール・スターズ、YMO等々素晴らしいバンドが日本にもたくさんあるのは事実で、とっても好きなバンドです。でも、洋楽の方を多く聴くというのは、国内にそういったバンドの絶対数が少ないからなのかなぁ〜?
 とにもかくにも、69年から70年代初期の中学生時代に色々とロックがラジオで流され、TVでも少々放映された利し始めた時に、聴くようになったことがポイントだったんだろうなぁ〜。あの3年間で、ロックはハード・ロックにプログレッシブ・ロックにグラム・ロックとその後発生するロックの全ての基礎を築き上げてしまっていたんだなと思う。まさしく黄金の時代だった。
 そういえば、レゲエとかって云うのはあんまり聴かなかった。そういえば、1回だけ野音へ行っただけかな?レゲエではジミー・クリフの「遥かなる河」(最近車のCMに使われていた)が一番好きだった。薬屋さんも酒屋さん、弁解するわけじゃないけど、ボクは全然聴かないわけじゃないよ、「エクソダス」だって「ノー・ウーマン、ノー・クライ」だって、「アイ・ショット・ザ・シェリフ」だって知ってるよ、ホントだよ。ほとんど聴かないのもホントだけど・・・、反省。)

ばってんきつねのカウントダウン アルバム編

10 DEJA VU / CROSBY,STILLS,NASH AND YOUNG
09 1 / 頭脳警察
08 BEFORE AND AFTER SCIENCE / BRIAN ENO
07 MUSIC FOR AIRPORT / BRIAN ENO
06 はっぴいえんど / はっぴいえんど
05 AJA / STEELY DAN
04 HEART STILL BEATING / ROXY MUSIC
03 THE RISE AND FALL OF ZIGGY STARDUST AND THE SPIDER FROM MARS / DAVID BOWIE
02 IN THE COURT OF THE CRIMSON KING / KING CRIMSON
01 THE GARDEN / JOHN FOXX

もう一度選ぶとまた違う結果になると思うけど、2003年7月4日時点ではこれです。