このドットが紡ぎ出す言葉を、この瞬間に、その眼球から伸びる神経で、脳に映像化しているあなたは、瞬時に選択を迫れれます。
肯定するあなたは、きっと、あの人間と同じか、または似た類の人か、このドットをここに配列させている人間に共感する人なのでしょう。
否定するあなたは、きっと、あの群集と同じか、または似た類の人か、このドットをここに配列させている人間と対立する主張をもった人なのでしょう。
どちらも選ばないあなたは、きっと、不選択の選択の末に、惰性の波に攫われていく人なのでしょう。
紡がれるドットの列はあなたにこう問いかけます。
<絶望的な幸福感に満たされたいと思いませんか?>
さて、どうでしょう?
ここで、このドットを解読するのを放棄する人は数多くいることでしょう。
いや、始めの数ドットまでしかお付き合いしてくださらなかった方も多々いることでしょう。
それよりも、このドットの一つすら瞳に投影させずに没する人がどれだけいるのでしょう?
けれども、淡々とドットは紡がれていきます。
生物には、習性があります。
ヒトなどの生物には、欲望や欲求があり、更に<希望>と呼ばれているものをもつ個体もいます。
その内容は様々でしょう。
それら、種々の<希望>を投棄して、押し売られた生を退ける幸福感へと辿り着くことが、このドットをここに配列させている人間の<絶望的な希望>なのです。
このドットをここに配列させている人間は、その<絶望的な希望>に共感し、共に幸福感を分かち合おうとする人を探しているのです。
しかし、このドットをここに配列させている人間は、<絶望的な希望>に共感し、共に幸福感を分かち合おうとする人だけに、この場を製作した訳ではありません。
このドットをここに配列させている人間の目的は、決して揺るがないような絶対的なものとは呼べないからです。
様々な人間の様々なドットの列が交錯したり、衝突したり、結合したり、分裂したりし、自分を含めた各々の人間が、すべてを統べる者が握っている無限に広がっているように錯覚するカードの中から、一枚ずつ、選んでいるようにして選ばされ、引いているようにして引かされていけばいいと考えているようです。
ここまで、無数の点の集合体を脳内で映像化してきてくださった、あなたもドットを紡ぎませんか?
それとも、このドット紡績業から、沈黙の美徳に酔いながら立ち去りますか?
選択など現実的には一切ない世界ですが、すべての瞬間に、すべてを統べる者はあのカードを眼前に差し出します。
さあ、一枚引いてください。
このドットをここに配列させた人間 T(仮)
このドットをここに配列させられた人間 SPICY HERB