〈土地問題〉                              HOMEへ戻る

           地価と土地政策はこれで良いのか 
                           (流通動向 ’90.2)

         
 
当面する土地問題

 我が国は国土が狭い、そのうえ大部分が山岳・丘陵地で可住地はさらに少ない。しかも大都市に人口が集中しすぎている、だから大都市では土地問題が深刻化する…。日本の土地問題を地理学的に説明する考え方は広くゆきわたっている。しかし、この考え方は必ずしも正しくない。欧米の都市と比べても、日本の都市の人口密度は決して高いものではないし、むしろ低いものだからである。日本の都市が雑然としているのは計画的な都市づくりがなされていないことに加えて、都市的・公共的利用のスペースが少ないためである。

 大都市での土地問題は今や深刻化…どころではなく、日本経済の基盤をゆるがし、「体制の危機」につながるものであるとの認識が深まりかつ広まっている。たしかに86年から88年にかけて、東京の住宅地はわずか三年間で約三倍に高騰した。一般のサラリーマンが首都圏の通勤可能圏に一戸建の住宅を取得することはいまや不可能である。一方、たまたまこの圏内に余分な土地を保有していた人は、土地のキャピタルゲイン(値上り益)だけでその人の生涯所得を超える利益を得た。社会的不公平も極まれりである。政府は土地臨調、土地基本法…と対応策を打ち出しているが、これは「政府も全力でやっています」というアリバイ作りの政策にすぎないことは見ぬかれている。国民は、政府の土地問題解決能力を信頼しておらず、現状を前提として個別的解決策を講じざるを得ず、このことが土地需要を増大させ、価格の上昇をもたらし、土地問題を更に悪化させている。

 

 地価上昇の原因

 地価が高騰するのは、基本的には、その上で行なわれる経済活動が活発だからだとされている。首都圏での地価高騰の原因としては、国際金融都市東京の地位の上昇に伴い、オフィスビルの需要が増大したために都心商業地の地価がまず上昇し、その代替効果、波及効果として周辺住宅地が上昇したものだと説明される。
 
 土地の場合は、地価が上がっても、供給が直ちに大幅に増えるわけではない。他の商品と違って海外からの輸入もできない。本来、下方硬直的でインフレ化しやすい特性を備えている「商品」である。しかも、いったん生じた地価の上昇は値上がり期待を高め、そのことがさらに地価を上昇させるという、悪循環を生じさせることになる。
 
 地価高騰や地上げ騒動が連日紙上をにぎわした首都圏においても、年間に取引される土地は、全体の土地の2%程度である。このごくわずかな取引される土地のいわば「釣り値」で全体の地価が評価される。この「釣り値」は、市場価格、公示価格に影響を与え、結果として大土地を保有する企業や資産家は膨大な含み資産の増加となる。含み資産の増加は担保余力を生じさせ、それを元手に資金を調達し、他の資産を手に入れる。つまり、ほとんど架空の価値ともいうべき「釣り値」を元手として、実物の資産を手に入れることが可能となる。日本型錬金術あるいは「虚構の地価」といわれるゆえんである。さらに加えて超金融緩和策がとられたわけであるから、地価のバブルは膨らみっぱなしとなったわけである。
 
 土地保有が相続税の支払時に強力な節税効果を発揮することは広く知られており、土地需要増大の一因となっているが、高い法人税、低い固定資産税も土地需要の増大、その結果としての価格の上昇を促進する大きな役割をはたしていることも理解されてきた。

 

  地価高騰がもつ二重の二面性

 日本の高度成長を支えたメカニズムの中に地価上昇はしっかりとくみこまれている。つまり、企業は高騰した土地を担保に借り入れを行ない、設備投資を行うわけだが、この借り入れの原資は高い住宅を手に入れるため、勤勉に働き貯蓄にはげんだ国民の汗の結晶そのものである。土地という担保と国民の高い貯蓄性向が存在しなければ、高度成長のメカニズムは機能しなかったのであり、しかも、このメカニズムは地価上昇によって大きなメリットを受けるように組み立てられている。企業は、その社会的コストを負うことなく、地価高騰から利益を得ることができた。これを国民の側からみれば合法的な収奪が行われたということになる。これが第一の意味での地価高騰のもつ二面性である。
 
 しかし地価高騰も現時点では日本経済にとっては大きな障害と化している。それは、@持てる者と持たざる者との絶対的な格差の拡大は国民の勤労意欲に長期にわたって悪影響をもたらし、A外国企業も含めて新規参入企業の大きな障壁となって経済活動の活力を失わせることになり、B含み益は産業界の構造転換の遅れをもたらし、C今でさえ遅れている社会資本の整備を一層困難なものにするものだからである。つまり個別企業にとってはさまざまな利益をもたらした地価の高騰は日本経済全体としての立場からは今や最大の障害となっていることが第二の意味での地価高騰のもつ二面性である。

 

  世界の火薬庫視される高騰地価

 90年代の幕あけと同時に発生した株式市場の混乱が象徴するように、日本のストックの価格(土地・株)は世界の目が注がれている。土地の総評価額1800兆円、株式の時価総額600兆円、合わせて2400兆円にもなる日本のストック価格は、今や世界のGNP1年分にも匹敵するものとなっている。このストック価格の過半を占める土地価格が、実は「釣り値」を基にしたバブルを含んだものであることは今や世界の常識となりつつあり、土地と株の信用創出を成長の原動力としてきた日本経済には、今、大きなツケが回ってこようとしている。きっかけは何であれ、地価と株価の暴落は金融機関を直撃し、信用秩序は危機に直面する。「信用秩序の維持」をつけ加えた日銀総裁の就任あいさつ(’90三重野総裁記者会見)は意味深いと見なければならない。

 

 政治は機能するか

 土地問題は政治によってしか解決できないことは自明の理であるが、土地に関しては政治は失敗を重ねており、これからも多くは期待されていない。その理由としては、土地問題には明確な利益集団が存在しないことがあげられる。つまり、政治家や官僚にとって土地問題の解決は、格別の利益をもたらすものではないからである。
 
 さらに我が国の土地問題はすぐれて「東京問題」であり、地方出身の議員にとって票に結びつかない。したがって、国会での審議もお座なりなものとなる。また、全世帯の約7割がなんらかの形で土地を所有しており、土地所有者としての「意識」、「幻想」が現実の政治の場では多数となり、政治的エネルギーとはなりにくい背景がある。結局、土地問題について突っこんだ論議は政党レベル、政治家レベルでもなされず、「耳ざわりのよい言葉」だけしか伝わってこない。利益誘導型の政治から日本の進路を見つめた真の政治への変革なくして、土地問題の解決も期待できない。 
 
 しかし、幸か不幸かは別として、日米関係の中の日本政治として見た場合、土地問題は意外な展開を見せることも予想される。それは東京の高地価が「経済大国」日本の攻撃力と防御力の「核」であることに米側が気づいたことである。つまり高地価が生む担保力=資金力を背景に海外の土地を買いあさり、同時に高地価がもたらす「含み」が日本企業の対外競争力を強めているという高地価の攻撃性と、高い土地が外国企業の参入を妨げる非関税障壁として作用する防御力という二つの側面を持っていることに米国は気づいたのである。
 
 巷間伝えられる土地問題についての米の対日戦略は、@まず、日本の世論を見方につけ、A日本政府の「建前」を逆手にとって論理的にせまり、B官庁間の縄張り争いも利用して日本側を誘導するというものである。その結果として日本が土地問題に正面から取り組めば経済のエネルギーは内向せざるを得ない。土地問題に足をとられて消耗することもあろう。それで対外膨張にブレーキがかかれば、それは、世界にとってプラスだとみているわけである。これからは国際的な視点で、日本の土地問題をみていくことも必要となった。

                                                 
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 総論としての土地対策

 土地問題の解決には、複雑な権利関係をめぐる利害調整、土地に対する根強い所有意識など様々なハードルが待ち受けており、短期的に解決がつく問題ではない。しかし、その解決のためのタイムリミットもまた存在する。
 
 第1は経済的側面からのものである。それは、我が国の経済の今後の推移を考えたとき、貯蓄や財政の面での制約が強まり住環境整備のための社会資本投資を行う経済的余力がなくなることが予測されているからである。つまり、高い貯蓄率と低い社会保障費という恵まれた条件のある今世紀中に土地問題を解決しなければ、日本の土地問題を解決する経済的条件は失われるということである。
 
 第2は日米経済摩擦に見られる政治的・国際的側面からのタイムリミットである。これは経済面でのタイムリミットより前に位置することはまちがいない。
 
 では、このような経済・政治両面でのタイムリミットをにらみながら、政策展開はどうあらねばならないのであろうか。
 
 その第1は政策当局にとってはつらいことであろうが、今回の土地問題のかなりの部分が誤った土地政策、あるいは土地無策によってもたらされたものであることをはっきりと認識することである。それは、1つには固定資産税を主とした土地保有税および相続税にみられる土地税制上の対応の誤りである。2つめは借地・借家法という非合理的法体系を放置したことである。
 
 第2に個別の利害や既得権に基づく主張を排し、社会的公平を実現するという毅然とした態度で事に臨むことである。「誰かに負担をかける政策はタブー」としているかぎり、土地問題の解決は望めない。「誰の負担にもならない政策」とは、ほとんどの場合に、効果がない政策である。たしかに、土地問題を一気に解決する特効薬はない。欧州の美しい町並みも、きびしい土地利用規制のもとに、長い年月をかけてつくりあげられたものであることを考えると特にこの感は強い。

 

 土地の「節税効果」をなくす税制とその効果

 固定資産税に代表される土地保有のための税が我が国の場合非常に低率であり、その結果として資産としての土地保有を有利にして地価高騰の底流を支えていることはすでに述べた。土地保有税の強化が今後の土地政策の中心となることは今や明らかである。その効果としては、安定した資産あるいは長期的投資としての土地の有利性をなくし、需要サイドで大きな抑制効果が期待できる。供給サイドに対しては企業や個人が所有する遊休地・低利用地のハキ出し効果が期待できる。市街化区域内農地の宅地並み課税についても保有税の強化が前提とならなけらばその効果は期待できない。
 
 保有税の強化には国民の多くが利害関係を有しており、強い反対も予測されるが、日常生活に不可欠な一定規模(例えば330u以下)についての軽減や住民税の減税と併用すれば実現不可能ではない。土地保有税の強化が実現するとの見通しがはっきりする段階で土地に対する仮需要は急激に減少し、地価上昇は止む。そして土地保有税強化が実施された後は保有税負担に耐えられない土地(低・未利用地)は文字通り放出されることになろう。それがどの程度の地価下落になるかは、保有税の強化の程度と範囲によって決定されよう。同じ理由で相続税対策としての土地の節税効果がみなおされることも、土地に対する仮需要を減少させ、地価の安定に資することになる。

 

 借地・借家法の改正とその効果

 大正10年に制定された借地法・借家法は、住宅が乏しく、多くの市民が貧弱な借家でようやく生活を営んでいた時代を反映して作られたものであり、借地人・借家人の保護を厚くすることはその時代としては必要なことであった。しかし、借地権の保護が強すぎると、土地を貸すことは家主にとって事実上土地を手放すことと同じになる。このため借地の新規供給は抑制されている。また、現在のように地価上昇が激しいと、上昇に見合う借地料の値上げは困難なので、「借地」は経済行為として無意味なものとなる。ここ数年、借地法の改正作業が進められている。既存の借地契約は別として、新規の借地契約について定期借地権制度を導入し、借地の供給を増加させようとする動きである。この借地法の改正が実現すれば、限定されたワクはありながら経済合理性に基づいた借地関係が可能となり、借地の供給は大幅に増加することが期待されている。しかし、土地価格を低下させる効果はあまり期待できないし、借地料(地代)は経済合理性に基づいたもの、つまり現在の高地価に見合う高地代ということになろう。

 

 土地供給増大策

 土地供給増大策として、一つには鉄道・道路等の交通網の整備により利用可能な範囲を広げることであり、二つには既成市街地における容積率を見なおして、利用可能な床面積を増大させることである。しかし、首都圏においては高地価のため鉄道・道路等の整備事業はその事業費の大部分が用地費であり、多くを期待することができない。容積率の見直しについても、上限を上げるだけではその効果は大きいものではないが、低層ビルなどにみられる容積率の低利用地に対しては重い税金をかけるといった措置までふみこめれば実効性が期待できよう。
 
 その他に都心部の土地供給策として東京湾臨海部の大規模開発が、いわゆるウォーターフロント計画として一部でもてはやされている。が、これは大地震時の液状化現象に対する対策はほとんど考慮されていないものであり、東京湾臨海部に大規模な土地を保有する企業の株価操作のための計画といった疑いが強く残るものである。

 

 取引規制等の効果

 地価高騰が話題となり、土地問題がクローズアップされると必ず土地の取引規制が持ち出されてくる。いわゆる監視区域・規制区域制度である。一部にはこの制度は伝家の宝刀であり、大変ありがたいものだと考えている向きもあるようだが、実態はどうであろうか。そもそも地価は需要と供給で決まるものであり、規制や統制によって決まるものではない。地価を強制的に規制すれば表面上は地価高騰は鎮静化したようにみえる。しかし、需要・供給面で有効な対策がとられなければ、あらゆる裏取引を通じて投機は進行する。投機が水面下に潜航するだけである。首都圏の地価が鎮静化(高止まり)しているのは市場原理が働いた結果と見るべきで、取引規制の効果と見るのはあまりに皮相である。取引規制の強化が云々されるのは、政府はとにくかくなんらかの対策をとっていますよというエクスキューズ(弁解)であり、弁明のための対応と言いきっては酷であろうか。

 

 東京の土地問題に抜本的解決策はない

 東京の土地が誰にでも安く手に入るようになる抜本的解決策などはありえない。土地の公有化などの「革命的改革」によっても、土地問題は解決できることではないし、市場の論理に反することをいくらやってみても事態はなんら改善されるものでもない。土地問題に対する正しい対処のしかたは、無用な規制を撤廃してこの問題を市場にまかせることである。その結果として、東京の地価はこれ以上に上がることになるかもしれない。しかし、それが市場の答えであればやむをえないと受け入れて高い地価に対処するしか方法はないのである。「これだけ土地が高くて住みにくいが、それでもいいから住みたい人、住める人だけが東京に住む資格がある」というのが地価高騰のメッセージなのである。                                                                                                                         

                                      

                                         

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