一九二〇年長崎生。四一年上智大文学部を中退し
て朝日新聞入社。記者として福岡、名古屋、東京な
どで勤務。
戦前戦後の一時期『四季』『文芸汎論』などに詩を
のせたこともあるが、野田宇太郎、火野葦平らの推
挽により『九州文学』に。友人に安西均。五三年退
職、以後さまざまの職業にしたがう。この間に徳田
秋声の研究、文献年表ノートを作成。『作家』連載の
「徳田秋声覚書」で六二年作家賞を受けた。
著書に短文集『夏の男』北斗工房、七九年詩集『蝉蛻』樹下文庫、八〇年『タルホ草子―稲垣足穂
の記憶に』を編集発行、いずれも友人たちの厚意による。
戦後史の一時期、名古屋で新聞記者として「人間・言葉」なるコラムをうけもった。一部を当時の
まま追記して「ノート」年誌をそえて、八二年『会釈の人々』を出版。九九年四月一六日永眠。