徳田秋声


小説家
明治4年(1871)〜昭和18年(1943)
71歳没
本名 末雄

 石川県金沢市横山町に、加賀藩の家老横山三左衛門の 
家中雲平を父とし、前田家直臣津田采女の三女で三度目
の継妻を母として生まれました。
徳田秋声

 複雑な家庭、ひよわな生い立ち、家計の窮迫からくる劣等意識がその消
極的ともいえる人生観の元となり、後年の作品の底流になっているといえ
ます。
 私小説の画期的傑作とされている「足跡」(明治43年)「黴」(明治
44年)により、日本自然主義文学盛行の中で文壇的地位を確立します。
 彼の全作品の集大成であり、帰結でもあった「縮図」(昭和16年)は
未完とはいえ、日本近代小説の一角を代表する傑作とよべます。
 その後昭和18年、肋膜癌のために、明治39年以来住みなれ無数の作
品を書き続けた本郷区森川町の書斎で亡くなります。
 秋声の名は、元々宋の欧陽修「秋声賦」から来た季題「秋の声・秋声」
によるものとされています。

徳田秋声散策コース
徳田秋声ゆかりの地を散策してみませんか。
上の絵をクリックすると詳しいマップが出てきます。


作品紹介
「足迹(あしあと)」(明治43年)
 崩壊した地方中農一家の離散を背景にしています。
「黴(かび)」(明治44年)
 秋声の文壇的地位が確立したといわれる私小説的な長編です。
「爛(ただれ)」(大正2年)
 もと娼妓を中心に入り組んだ女達の愛欲の葛藤を描いています。
「あらくれ」(大正4年)
 不幸な生い立ちをもつ女主人公お島の半生を描いています。
「或売笑婦の話」(大正9年)
 善良な心を持つ一売笑婦の哀愁と諦念の世界を描いています。
「蒼白い月」(大正9年)
 関西に住む親類を訪ねた時の落莫たる心境を描いています。
「感傷的の事」(大正10年)
 その死の前年に訪ねた生母の想い出が描かれています。
「挿話」(大正14年)
 金沢のひがし茶屋街に暮らす女性の生活を描いた大正期名作の
一つです。
「町の踊り場」(昭和8年)
 秋声の復活を決めた記念的作品です。
「仮装人物」(昭和10年)
 主人公庸三の姿は、中間者風な「仮装人物」としてとらえられ
女主人公葉子の姿は、ゆたかに肉付けされています。
「縮図」(昭和16年)
 舞台は東京は江東の細民街から芳町、白山、千葉や石巻へと広
範囲にわたり、庶民的な階層の無数の男女が登場します。


[戻る]


ホームページ