富田テニスクラブ沿革(創設15周年記念誌’15年間のあゆみ’より引用)

1.富田テニスクラブの設立
  1980年4月20日、郡山市営庭球場として完成共用された機会に、富田地域の活性化、誘致施設 の活用を主旨として、誘致に奔走した当時の地元市議佐藤恭三氏(現顧問)の呼びかけに賛同した有 識者を含む24名の会員で富田テニスクラブ連合会を設立する。
  当時は16方部でクラブを組織した関係で連合会と称し、それぞれ会長を置いたため、地元色の濃 いものとなった。16方部とは、町内、音路、北向、新屋敷、大島、逆池、養鶏試験場、西原、町畑、向舘、舘南、百合が丘、東百合が丘、赤沼、クラリオン、並木である。その中の小島(町畑)、新宮(百合が丘)、佐藤安信(大島)、薄(養鶏試験場)の4氏は、今日のクラブの中核つくりに貢献する。
 1982年5月、名称を富田テニスクラブと改める。

2.早朝テニスの導入
 勤労者の十分な練習とテニスの強化策の一環として、郡山市テニス協会のご協力を得、市教育委員会市体育協会の後援と保科氏(前郡山市テニス協会会長)の尽力で1980年6月に導入、夜間照明が点灯(1990年5月8日)と同時に一時中断するが、市に対し陳情、請願を重ね、復活する。早朝テニスは、強化策として欠かすことのできない富田テニスクラブの主要事業である。

3.富田テニスクラブ連合会の結成
 1982年6月17日故酒井忠之氏(当時市テニス協会参与)のご指導を戴き、日吉が丘、百合が丘(解散脱会)、富田の3テニスクラブの合意で、富田テニスクラブ連合会を結成する。
 (後に愛好会が加入するが、現在は解散脱会している。)
4.テニス講座の受入
 1985年富田公民館の富田地域社会体育振興行事として、テニス教室が開催される。これの指導に
酒井氏を中心とした連合会の役員があたり、郡山市民、特に富田地域のテニスの発展とレベルの向上に寄与する。
  これは1990年まで続き、参加した人たちの中から、愛好会、同好会(いづれも解散)が結成され、当富田テニスクラブの繁栄の礎となった。

5.主な対外成績
  最近の成績はこちら参照